「感想」カテゴリーアーカイブ

小説『シナン』で至難の建築指南

夢枕獏さんの小説『シナン』を読んだ。

オスマン帝国、スレイマン大帝時代の建築家、ミーマール・シナンの人生を活写。日本でいえば戦国時代、織田信長がブイブイいわせていたころに活躍していた人物です。もとはキリスト教徒出身でのちにイスラム教に改宗し、イェニチェリという軍団に所属して従軍建築家となる。その後、帝室造営局長に任命され、モスクや橋など、たくさんの建築物を遺しています。世界遺産にもなっている、イスタンブールのスレイマニエ・モスクが、シナンが手がけたもっとも有名な建物でしょう。

Google先生が誕生日に、特製ロゴバージョンへ変えてくれるぐらいの有名人。

シナンはイスタンブールにある、アヤソフィアという──東ローマ帝国時代にハギア・ソフィア大聖堂として建てられ、のちにモスクに改修された──建物以上のモスクを建てることに執念を燃やす。しかし、スレイマン大帝の命令でイスタンブールにスレイマニエ・モスクを造ったときは、壮麗さではまさるものの、建築規模では一歩およばず、のちにより地盤の強固なエディルネに、アヤソフィア以上のドームをもつセリミエ・モスクを建設し、目的をとげます。

ラストで、セリミエ・モスクを完成させたくだりが大変良かったです。史実と伝説と創作が渾然一体となって、チューリップ畑に結実しています。また、上下2冊あるわりには大変読みやすく、歴史的な背景もバッチリフォローされているので、予備知識がなくても大丈夫。

トルコには渡航経験があり、アヤソフィアにもブルーモスクにも行っているのですが、スレイマニエ・モスクには行かなかった。こんどトルコへ行く機会があったら、エディルネのセリミエ・モスクとともに、訪れてみたいと思います。トゥルキエ!

『ゲッサン』を買ってみた

新創刊された『月刊少年サンデー ゲッサン』を買ってみた。

週刊少年サンデーは愛読しており、けっこうみなれた方が執筆しておられたので。付録が2冊ついているのも豪華。時代劇がまじってるのが、週刊とは異質な感じ。『あずまんが大王』の新作が載っていたのにはビックリです。版元が変わったのか~。

しばらく買ってみようと思います。

『NHKことばおじさんのナットク日本語塾 (Vol.1)』で日本語再考

『NHKことばおじさんのナットク日本語塾 (Vol.1)』を読んだ。

「もしもし、ことばおじさんですか? 日本語が大変です!」と、ハム太郎に請われてスタートする、『ことばおじさんのナットク日本語塾』。5分間の帯番組の書籍版で、ことばおじさんこと梅津正樹アナウンサーが、微妙な日本語に関するウンチクを愉快に解説してくれます。解説はしてくれますが、正誤を断じないのが特徴。言葉というものは、時代とともに変化するのでなにが正しい、なにが間違っているとは、いちがいにいえなからだそうです。

「情けは人のためならず」、「役不足」、「檄を飛ばす」といった、異なる解釈が並立している言葉の場合は、それぞれの立場を説明し、それをふまえたうえで適切に使いましょうという具合。なんとなくあいまいに認識していた言葉の定義が、いろいろ明確になります。

おもしろかったのは、「人一倍」という表現。ひとより努力しているハズなのに、なぜ「一倍」なのか。これ、ひとなみプラス「一倍」で、「人一倍=通常の二倍」という意味なんだそうで。古い表現だと給料を倍にすることを「給料を一倍増やす」としたそうですが、わかりにくいので「二倍にする」と改めた。でも、「人一倍」という表現は残ったので、いまも「人一倍」なのだとか。

言葉は常に変化するものだし、辞書的な意味が、正しく通じるとは限らない。微妙な表現は、うまく場の空気を読みとって、通じることばとして用いるのが良いのでしょう。むずかしいけどね。

小説『駿河城御前試合』気楽に読める地獄めぐり

漫画『シグルイ』の原作小説『駿河城御前試合』を読了。

寛永6年9月24日、駿河大納言徳川忠長公の面前にておこなわれた駿河城御前試合。11組、22人の剣客たちが、それぞれのドラマを背負って死闘をくりひろげる。『シグルイ』の原作となった第1試合、「無明逆流れ」のほかにも、さまざまな経緯でバトルが発生。おなじ決闘というシチュエーションながら、流麗な筆致でさまざまなバリエーションを楽しませてくれます。言葉づかいはけっこう難しいけど、意外にサラサラ読めますね。物語の基本パターンは、美剣士かブサイク剣士が、絶世の美女をめぐって争う感じ。各エピソードは完全に独立しており、最終エピソードまで交わらないため、さながら平行世界のごとし。剣豪は横のつながりが希薄なのでしょうか? 見せ場となるはずの決闘シーンは、かなり淡泊。決闘そのものよりも、決闘にいたるまでの過程をみせるのがメインのようです。最終エピソード「剣士凡て斃る」で、「無明逆流れ」の登場人物のその後も描かれますが、おそらく『シグルイ』はちがう展開になるのでしょう。だって、ねぇ……。

残酷無残、死屍累々、愛別離苦の大安売りなわりに、描写があっさりしているので、読んでてイヤな気分になることはない。各篇は短く、区切りがつけやすいのも良い。『シグルイ』の続きを読むというよりは、気楽に読める地獄めぐりといったおもむきです。無残、無残。

アニメ『ソウルイーター』最終回は勇気で打破

アニメ版『ソウルイーター』が最終回。

原作は長期戦のかまえで、いっこうに終わる気配がありませんが、アニメ版はサクッと最終回。終盤はオリジナル展開ながら、原作を読んでなければこういうモンかと思えるまとめ方でした。最強の敵に最強の技で対抗するのではなく、勇気をもって相手の狂気という信念を──文字通り──打破する方向できましたか、ナルホド。個人的には、今年度の最注目作品。最後まで堪能させてもらいました。

『駿河城御前試合』無明逆流れを読んだ

時代小説『駿河城御前試合』の一篇、「無明逆流れ」を読んだ。

マンガ『シグルイ』の原作といったほうが良いかもしれませんね。原作は、盲目と隻腕の剣豪が対峙するシーンはおなじですが、三十数ページで完結する短編。秘剣「流れ星」も詳細な説明がなく、『シグルイ』におけるそれは、「無明逆流れ」の原理を逆算して、「流れ星」→「無明逆流れ」という発展形にみせていることがわかりました。原作での決着のつきかたはわかりましたが、これから御前試合の場面となるであろう『シグルイ』が、このみじかい原作をどうふくらませて魅せてくれるかたのしみです。

映画『ハンコック』ウルトラ・スーパー・デラックス野郎

映画『ハンコック』をDVDで鑑賞。

超人なんだけど、素行不良で世間からは困ったヒーローとして認識されている主人公、ハンコックがプロモーターのアドバイスで、まっとうなスーパーヒーローにイメチェン成功したと思ったら……という話。アメリカのスーパーヒーローは、すくなからず自国を擬人化している要素があるようですが、力はあるけどつかいかたがなっていない暴力バカな初期型ハンコックは、なるほど、どこぞのテロとの戦いに熱心な国を彷彿とさせます。罪をみとめ、謙虚さ──もしくは、謙虚な印象をあたえる演技力──を身につけた後期型ハンコックはしかし、意外な現実と対峙しなければならない。ここらへん、定石なら主人公と同等以上の能力を持った悪者が敵対するところだけど、微妙にそうはならないところが、興味深くはある。主人公ハンコックがあの国なら、相手は紅茶の国かウォッカの国か……あれこれ深読みするのも一興でしょう。

困ったスーパーヒーローといえば、藤子・F・不二雄ファンなら、「ああ、ウルトラ・スーパー・デラックスマンね」で、かたづいてしまうわけですが、USDマンが無敵なまま、無敵であるがゆえに最後をむかえたのに対し、ハンコックは意外な理由で弱体化する。アイデアとしてはおもしろいけど、アクションを盛りあげる要素にはなっていないのが惜しい。無敵超人を苦しめるのも大変だね。

平成漫画版『日本沈没』最終15巻で消えない愛のひかり

平成漫画版『日本沈没』の最終巻である、15巻を購入。

14巻の装丁は黒一色で、15巻は白一色でした。ついに日本が完全に沈没するというところで、まさかの楽屋落ちへのニアミスをかまし、さいごは幼年期の終わりばりの、高次元への移行を明示する。作中でも指摘されているとおり、どれほどの苦難があろうとも、「つぎのステップへ進める可能性」が明示されているぶん、日本が沈没するというファンタジー世界のほうが、まだ希望がもてるのかも。オーバーマインド(精神的な超越的存在)にはなれない我々は、おめおめとオーバーロード(物質的な究極的存在)をめざすしかないのでしょう。

単行本化にさいして、スピリッツでの雑誌連載版よりもいろいろ加筆されており、終盤のじゃっかん尻切れトンボぎみだった展開がスッキリしています。そのうち、一気にぜんぶ再読してみますよ。

『トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』で壮絶なる祖国解放

小説『トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』を読了。

トルコ革命における、1921年のサカリヤ川の戦いから、1922年のイズミルを奪還するまでを描いた大作歴史小説。内容も重いけど、物理的にも超重量級の書物でした。西欧列強によって解体されつつあったオスマントルコ帝国からトルコ共和国を誕生させた、のちの初代大統領、ムスタファ・ケマル(アタテュルク)の活躍を軸に、そこで生きた人々を豊富な資料をもとに活写しています。小説なので、著者の創作したキャラクターも登場しますが、実在した人物の発言に関しては出典を明記し、検証を可能にしています。

瀕死の病人といわれたオスマントルコ帝国にかわり、トルコのあらたな指導的立場を標榜するアンカラ政府。ひとつの国にふたつの政府が並立する不安定な状態で、アンカラ政府を打倒するために進軍してきたギリシャ軍を、自国の奥深くに誘いこんで、撃退するさまは手に汗にぎります。武器が不足しているだけでなく、兵士に軍服や靴もそろえられないという、人も物も不足した圧倒的に不利な状況下で、よくぞ勝ったもんだと関心することしきり。多くの血と汗を代償としながらも、国民が一丸となって自国の領土を防衛、開放したという実績は、トルコの方々にとって大いなる自信の源となっているのでしょう。

本作で敵役として登場するのはイギリスとギリシャ、そして彼らにおもねるオスマントルコ帝国の為政者たち。さいごには敗退し、あるものは退陣をよぎなくされ、あるものは亡命し、あるものは処刑されてしまう。でもそれは、資料にもとづく客観的な事実のつみかさねをおこなえば、どちらに非があるかは明白なこと。著者が真に敵とみなしているのは、いま現在のトルコに巣くう、過去を歪曲して都合の良い歴史観を押しつけようとする者たちのようです。是非を論じる自由はあるにしても、前提となる事実にいちじるしいゆがみがあってはならない。本作は、自身の正当性を声高に主張できるだけの力をもった、大作歴史小説だと思います。

むずかしい話はぬきにして、良い弱者が悪い強者を打倒する物語なので、判官贔屓な日本人むきの軍記物ですよ。すべてがあなたの心のままになりますように。トゥルキエ!