道楽の邪魔はさせません!
みじかい小説を書いてみました。炎上案件で疲れた青年が、鎌倉駅のホームでみかけた白い女性俥夫の人力俥に乗って、夜の鎌倉をめぐる物語です。
本作の冒頭部分を動画化してみました。
VIDEO
死神俥夫は眠れない
郁雄/吉武
横須賀線の車窓に側頭をつきながら、流れる鎌倉の夜をながめている。
北鎌倉側から鎌倉駅のすぐ手前に、朽ちた洋館があったはずだ。
子供のころから廃屋だったあの館は、はじめから廃墟の姿で建てられていたのかもしれないな。
そんな想いをたゆたわせていると、いつしか電車は鎌倉駅をすぎ、逗子駅へと到着するところだった──。
──次に意識を取りもどすと、下りの電車は、上りに変わっていた。
西田解(かい)は鎌倉駅で東京行きの電車を降り、ホームの北側で、闇に流れる二筋の線路をながめている。
──また、切り戻しだな──。
帰宅ラッシュの時間はとうにすぎている。ひと気のないホーム北端のさらに先には、東側の小町通りと西側とを結ぶ踏切があり、ときおり、ひとや自動車がわたっていく。
青年は無意識のうちにズボンのポケットに手をつっこみ、じゃらつく感触をたしかめる。四角い穴のあいた金属片が六枚、たしかにあった。
アナウンスが横須賀行きの列車が到着することを告げると、北端の踏切が鳴りはじめ、遮断機がおりる。
そう言えば、あの踏切の小町通り側に、例の洋館があったはずだ。
やがて北鎌倉側の闇から、光る大蛇のような電車が流れてきた。
現場に缶詰になって三日。仮眠はとっていても、疲労が蓄積していた。
システム障害からの切り戻し作業はまだ完全には終わっていないが、ひとまず自宅に戻れる。残件である、成果物( せいかぶつ ) の納品手順を思い浮かべながら、接近する電車を見つめていると──。
不意に、足元でなにかがきしむ音がして、体がふらつく。
傾斜する視界の先に、先頭車両の閃光が近づいてくる。
拡大する電車の脇に、白いなにかがみえた気がした。
衝撃で正気を取りもどすと、西田はホームの縁で尻もちをついており、眼前では減速した横須賀線が停車するところだった。起き上がり、あらためて踏切の先を凝視する。
そこにあるのは廃屋ではなく、白い洋館。
玄関前に、白い人力俥と俥夫が客待ちをしていた。
思わず、ホームを飛びおりようとしかけたが、思いなおして反対方向、ホームのなかごろにある改札口をめざす。
西口改札を出て、旧鎌倉駅舎の時計塔が飾られた広場の脇を抜け、横須賀線のホームを右手にみながら自転車のならぶ小道を北に駆ける。
思った以上に距離がある。北端の踏切につくころには、かるく息が上がっていた。
闇に浮かぶ白い洋館の前に、俥夫と人力車は、たしかにいる。
洋館は最近改装されたというより、最初からこうだったと言わんばかりのたたずまいだ。
さきほど見おろしていたホームの突端を見あげながら、踏切へはいる。
背後で警報器が鳴りはじめた。
西田が小町通り側に駆け込むと同時に、遮断機が背後をふさぐ。銀色のゲートを抜け、一直線に俥夫の元へ進む。
観光地の俥夫と言えば、浅黒く日焼けた男性のイメージだったが、白装束の俥夫は、若い女性だった。
二十六歳の西田と同年代か、わずかに若い。
人力俥も俥夫も、真珠のような光沢をはなつ白を基調とし、要所を黒と茶と金で締めている。
なにより目を惹くのは、女俥夫の整った顔立ちと、街灯に照らされた白い肌。長い黒髪は後頭部でまとめられ、白い法被には白鳩屋と刺繍されている。
色白の女性であることは異質だが、鍛錬された体躯と、凛としたたたずまいには、無言の安心感がただよう。
「あの、西田と申しますが……」
そう言いかけてから、自分がなぜ、ここへはせ参じたか、その理由が思い出せなかった。
大切ななにかを切望していたことだけが強く脳裏に浮かぶのみだ。
西田が言葉を紡ぐより先に、女俥夫がよく通る声音で告げる。
「いらっしゃい。白鳩屋、夜の鎌倉巡行です。行き先はおまかせ、お代は六文になります」
六文? 二十一世紀の日本で、おかしなことを言うなと思いながら、癖でズボンのポケットに手をつっこむと、なかから寛永通宝と刻まれた古銭が六枚、出てきた。
「お、お願いします」
わけがわからないが、そのまま差し出す。
「文銭六枚、たしかに頂戴いたしました。では、梶棒の間に前をむいて立ち、うしろむきにお乗りください」
女俥夫は、白い人力俥の車軸に引っかけてあった踏み台をおろし、車体をおさえて乗車をすすめる。
よくある人力俥はふたり乗りだった気がするが、これはひとり乗り。
後傾した幌に囲まれた白い椅子を背にして、おっかなびっくり俥に乗ると、板ばねがふわりと衝撃を吸いこむ。
中背の体がぴたりと嵌まった。背もたれに身をしずめて周囲を見わたすと、自転車や自動車よりも視線が高い。
女俥夫は、白い膝掛けで西田の下半身を覆うと、両脇の隙間を埋めるように端をおさめる。じんわりとしたぬくもりが心地よい。
「……申し遅れましたがわたくし、白鳩屋の俥夫、小鳩( こばと ) と申します。以後、お見知りおきを」
小鳩と名乗った女俥夫は、手漉き和紙の名刺をくれた。
静かに梶棒が上がり、前傾していた人力俥が水平になる。
俥載灯から白光がはなたれると、俥はゆるりと前進をはじめた。
なめらかな歩調にあわせて、小鳩の口上が流れだす。
「夜分遅くのご乗俥、ありがとうございます。今宵は白鳩屋の小鳩が、夜の鎌倉をご案内させていただきます」
昼間なら観光客でごったがえす界隈も、いまは家路を急ぐまばらな人影がみえるのみだ。
俥がスーツ姿の中年男性を追い抜くと、ぎょっとした視線がむけられる。
小町通りのメインストリートを直角に横切ると、二体の狛犬と赤い大鳥居がみえてきた。信号をわたって小鳩が俥を停めたのは、左右の車道にはさまれた参道の入口。
小鳩はくるりと振りむき、後ろ手に梶棒をつかみながら、西田と正対する。
「こちらは鎌倉を南北に貫く若宮大路のなかごろ、みっつある鳥居のうちふたつ目、参道である段葛( だんかづら ) 入口にある二の鳥居です。鶴岡八幡宮前にあるのが三の鳥居、海岸の近くにあるのが一の鳥居となります。二、三の鳥居は鉄筋コンクリート造りとなっておりますが、一の鳥居のみ石組みとなっております」
彼女が示す先には海までつづく若宮大路がのびているが、赤信号がならぶのみで、一の鳥居とやらはよくみえない。
一拍おいて、小鳩は声音を低く落とす。
「元来、みっつの鳥居はすべて石造りでしたが、関東大震災で倒壊し、一の鳥居のみ元の石材を組み直して再建されました。破壊と再生、あるいは荒廃と消滅……。一の鳥居のほど近くに、磯野と標札がかかげられた廃屋、通称サザエさんの家がございます。家人が心中した、無人であるはずの廃屋に人影をみた、などの噂が絶えない場所として全国的に知られております。ご存知ですか?」
「い、いえ、知りません」
「そうですか。残念ながら、通称サザエさんの家は、火災により取り壊されてしまいました。著名な心霊スポットですので、希望されるなら跡地へむかいますが……ご興味はなさそうですね」
西田の淡泊な反応をみて、小鳩は気にしたふうもなく、俥を曳きはじめた。
若宮大路をわたりきり、教会の十字架を左手にみながら道をさらに進むと、左右につづく道と、ちいさな神社に突きあたる。
大通りから外れると、とたんに虫の音が高く響きはじめた。
俥は右折して南に進む。幾重もの電線が頭上をわたり、厚く覆われた雲はいまにも泣きだしそうだ。
人力俥は夜の鎌倉を次々と進む。
この寺は、鎌倉時代に謀殺された比企一族の居館があった。この寺では尼僧が、斬首されそうになった日蓮上人に胡麻ぼたもちを振る舞うことで法難を逃れた。この寺は江戸時代末期、桜田門外の変で井伊直弼を暗殺しようとした浪士がかくまわれていたが、仲間が死刑になったことを知って切腹した……などなど。
死と伝承とオカルトに満ちた夜の鎌倉を案内する、というのが趣旨のようだった。
小鳩の曳く快適な俥と巧みな口上に、退屈はしなかったが、期待したものとなにかがちがう。
「お客さんは、このあたりの方ですか?」
小鳩がそう問いかけてきたのは、長い直線のゆるいのぼり坂。方角的には西、逗子市へむかっている。
「はい、横須賀です。小鳩さん……は、俥夫歴は長いんですか?」
会話をかわすうちに、西田もいくらか打ち解けてきていた。
小鳩は、前をむいたままこたえる。
「まだ新米ですよ。兼業なもので、夜間限定で個人俥夫をやらせていただいております」
「ほかに、お仕事を?」
しばしの間をおき、小鳩がふり返る。
「……忘れん坊さんには、ナイショです」
そう言って、子供っぽく人差し指を頬にあてると、にっこり笑って会話を打ち切った。
意味がわからないが、追求もできない。
俥は踏切をわたり、大きく左にカーブする。鎌倉材木座霊園入口と書かれた看板の脇を進むと、急なのぼり坂の先に巨大な清掃工場の煙突と、黒塗りの山がみえてくる。
この先になにがあるかは、オカルトにさして興味がない西田でも知っていた。本日の目玉と言える場所、小坪トンネルだ。
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