「小説」カテゴリーアーカイブ

男の子牧場物語

「それってホラ、植物性男子がどうたらってヤツでしょ?」

「……いや、それをいうなら草食系男子だよ。草食動物にも肉はあるから」

どうやら母の認識は、大幅すぎるほどにぶれまくっているようだ。

それでも僕は、これから行かなければならない場所について、可能なかぎり説明した。

その『牧場』にいけば、優柔不断な僕でも、オーナーに飼育してもらえることを。

たとえ家畜として放牧されるにしても、選択する権利は僕にあることを。

あえて僕は、その囲みを選ぶことを。

ダイエット体操を一時中断した母は、きょとんとした目で僕をみながら、いった。

「ふ~ん。で、放牧されたあとはどうなるの?」

「僕は、オーナーに評価されるんだ。肉食系とか草食系とか、硬派とか軟派とか。その情報がほかの牧場主にもつたわって、いつか僕をもとめる真のオーナーのもとへたどりつけるって寸法さ」

「ずいぶんオーナーまかせなのね。変なところへ売られたりしないのかしら?」

「身の危険を感じたら、管理者に通報すれば大丈夫。僕をバッチリまもってくれるんだ!」

「まあ、その歳でアテもないなら、そういうのもアリかしらね。いいわ、いってらっしゃい」

いつもは口やかましく、僕や父さんを人間あつかいしない母が、この時だけはすんなりと『牧場』いきをゆるしてくれた。

みずから望んで飼育されにいく僕を、こころよく送りだしてくれるとは、なんて心のひろい母なんだろう!

『牧場』へいくことで、強権的な母から逃れたいという気持ちもあった僕の心が、チクリといたむ。

はなせばわかる母のもとをはなれ、『牧場』へ逃げだして良いものだろうか?

──ふとみると、部屋のすみでちぢこまってテレビを観ていた父が、手招きしていた。

「なんだい、父さん」

「おまえ……『牧場』へ行くのか?」

ああ、もちろんさと、『牧場』について説明しようとする僕をおしとどめ、父はいった。

「あそこは、やめておいたほうがいい」

「なんでさ? すてきなオーナーに飼育してもらえれば……」

「その、すてきなオーナーとやらに飼育され、繁殖させられた結果、生まれたのがお前だとしてもか? 家畜は死ぬまで、いや、死んでからも搾取されつづける存在なんだぞ?」

そうつげる父の瞳には、ねぶかい疲労と、長年家畜としてあつかわれてきた者の憂いがみちていた。

かつての『牧場』のオーナーは、部屋の中央で巨体をゆらし、効果のでる見込みのないダイエット体操を再開していた。

子牛が売られていく、あの唄を口ずさみながら。

※この物語はフィクションです

■2009年5月18日追記

ホワイトボードで楽画キング

小型のホワイトボードを買ってみた。

勉強用に買ったのだけれど、こういう素敵アイテムは、すべからくラクガキしたくなるものです。

P1070306

一発描きは苦手ですが、ホワイトボードだと消してやりなおせるのが良いですね。極細です。

軍隊の階級の和訳になやむ

軍隊の階級についてしらべています。

伍長とか軍曹とか、そういうやつ。国ごとによって呼び方がちがうのはもちろん、日本でも旧陸軍、海軍と、現行の陸、海、空の自衛隊でも呼称がちがう。外国の陸海空軍でも当然ちがうわけですが、それらを和訳するのが、けっこうむずかしい。ぶっちゃけ、正解がありません。

おなじ階級でも、ソースによって表記が微妙にことなり、どれを参考にして良いやら。原語に忠実だとヘンテコな和訳になるし、日本語の軍隊っぽい階級をあてはめると意訳になる。指針はあるものの、絶対の正解がないだけに、なやみだすとキリがありません。

まあ、おかしくならない範囲で、ボチボチ訳すことにします。う~ん、ムズ悩ましい。

『NHKことばおじさんのナットク日本語塾 (Vol.1)』で日本語再考

『NHKことばおじさんのナットク日本語塾 (Vol.1)』を読んだ。

「もしもし、ことばおじさんですか? 日本語が大変です!」と、ハム太郎に請われてスタートする、『ことばおじさんのナットク日本語塾』。5分間の帯番組の書籍版で、ことばおじさんこと梅津正樹アナウンサーが、微妙な日本語に関するウンチクを愉快に解説してくれます。解説はしてくれますが、正誤を断じないのが特徴。言葉というものは、時代とともに変化するのでなにが正しい、なにが間違っているとは、いちがいにいえなからだそうです。

「情けは人のためならず」、「役不足」、「檄を飛ばす」といった、異なる解釈が並立している言葉の場合は、それぞれの立場を説明し、それをふまえたうえで適切に使いましょうという具合。なんとなくあいまいに認識していた言葉の定義が、いろいろ明確になります。

おもしろかったのは、「人一倍」という表現。ひとより努力しているハズなのに、なぜ「一倍」なのか。これ、ひとなみプラス「一倍」で、「人一倍=通常の二倍」という意味なんだそうで。古い表現だと給料を倍にすることを「給料を一倍増やす」としたそうですが、わかりにくいので「二倍にする」と改めた。でも、「人一倍」という表現は残ったので、いまも「人一倍」なのだとか。

言葉は常に変化するものだし、辞書的な意味が、正しく通じるとは限らない。微妙な表現は、うまく場の空気を読みとって、通じることばとして用いるのが良いのでしょう。むずかしいけどね。

小説『駿河城御前試合』気楽に読める地獄めぐり

漫画『シグルイ』の原作小説『駿河城御前試合』を読了。

寛永6年9月24日、駿河大納言徳川忠長公の面前にておこなわれた駿河城御前試合。11組、22人の剣客たちが、それぞれのドラマを背負って死闘をくりひろげる。『シグルイ』の原作となった第1試合、「無明逆流れ」のほかにも、さまざまな経緯でバトルが発生。おなじ決闘というシチュエーションながら、流麗な筆致でさまざまなバリエーションを楽しませてくれます。言葉づかいはけっこう難しいけど、意外にサラサラ読めますね。物語の基本パターンは、美剣士かブサイク剣士が、絶世の美女をめぐって争う感じ。各エピソードは完全に独立しており、最終エピソードまで交わらないため、さながら平行世界のごとし。剣豪は横のつながりが希薄なのでしょうか? 見せ場となるはずの決闘シーンは、かなり淡泊。決闘そのものよりも、決闘にいたるまでの過程をみせるのがメインのようです。最終エピソード「剣士凡て斃る」で、「無明逆流れ」の登場人物のその後も描かれますが、おそらく『シグルイ』はちがう展開になるのでしょう。だって、ねぇ……。

残酷無残、死屍累々、愛別離苦の大安売りなわりに、描写があっさりしているので、読んでてイヤな気分になることはない。各篇は短く、区切りがつけやすいのも良い。『シグルイ』の続きを読むというよりは、気楽に読める地獄めぐりといったおもむきです。無残、無残。

『駿河城御前試合』無明逆流れを読んだ

時代小説『駿河城御前試合』の一篇、「無明逆流れ」を読んだ。

マンガ『シグルイ』の原作といったほうが良いかもしれませんね。原作は、盲目と隻腕の剣豪が対峙するシーンはおなじですが、三十数ページで完結する短編。秘剣「流れ星」も詳細な説明がなく、『シグルイ』におけるそれは、「無明逆流れ」の原理を逆算して、「流れ星」→「無明逆流れ」という発展形にみせていることがわかりました。原作での決着のつきかたはわかりましたが、これから御前試合の場面となるであろう『シグルイ』が、このみじかい原作をどうふくらませて魅せてくれるかたのしみです。

『トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』で壮絶なる祖国解放

小説『トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』を読了。

トルコ革命における、1921年のサカリヤ川の戦いから、1922年のイズミルを奪還するまでを描いた大作歴史小説。内容も重いけど、物理的にも超重量級の書物でした。西欧列強によって解体されつつあったオスマントルコ帝国からトルコ共和国を誕生させた、のちの初代大統領、ムスタファ・ケマル(アタテュルク)の活躍を軸に、そこで生きた人々を豊富な資料をもとに活写しています。小説なので、著者の創作したキャラクターも登場しますが、実在した人物の発言に関しては出典を明記し、検証を可能にしています。

瀕死の病人といわれたオスマントルコ帝国にかわり、トルコのあらたな指導的立場を標榜するアンカラ政府。ひとつの国にふたつの政府が並立する不安定な状態で、アンカラ政府を打倒するために進軍してきたギリシャ軍を、自国の奥深くに誘いこんで、撃退するさまは手に汗にぎります。武器が不足しているだけでなく、兵士に軍服や靴もそろえられないという、人も物も不足した圧倒的に不利な状況下で、よくぞ勝ったもんだと関心することしきり。多くの血と汗を代償としながらも、国民が一丸となって自国の領土を防衛、開放したという実績は、トルコの方々にとって大いなる自信の源となっているのでしょう。

本作で敵役として登場するのはイギリスとギリシャ、そして彼らにおもねるオスマントルコ帝国の為政者たち。さいごには敗退し、あるものは退陣をよぎなくされ、あるものは亡命し、あるものは処刑されてしまう。でもそれは、資料にもとづく客観的な事実のつみかさねをおこなえば、どちらに非があるかは明白なこと。著者が真に敵とみなしているのは、いま現在のトルコに巣くう、過去を歪曲して都合の良い歴史観を押しつけようとする者たちのようです。是非を論じる自由はあるにしても、前提となる事実にいちじるしいゆがみがあってはならない。本作は、自身の正当性を声高に主張できるだけの力をもった、大作歴史小説だと思います。

むずかしい話はぬきにして、良い弱者が悪い強者を打倒する物語なので、判官贔屓な日本人むきの軍記物ですよ。すべてがあなたの心のままになりますように。トゥルキエ!

小説『動物農場』で、どうぶつの森農場?

ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』を読んだ。

農場の動物たちが、農場主に反乱を起こし、動物による動物のための農場を打ちたてる話。さいごはリーダー格であった豚が特権階級となって恐怖政治をおこない、反乱をおこすまえよりも悲惨な状態になるという、どっかの国の、どっかの誰かを想起させる寓話。同作者の『1984年』よりも前に発表された作品ですが、『1984年』ではさらに、独裁者が実在する必要のない独裁国家にまで発展しているので、『動物農場』は『1984年』にいたる前段階ということらしい。権力者が都合のいいように現在と過去を書き換えるさまは、決して他人事ではありません。アニメや実写ドラマ版もあるそうなので、機会があったらぜひ観てみたいです。

そして、この作品からどうしても思いつかざるをえないのは、どうぶつの森版の『動物農場』たる『どうぶつの森農場』。どうぶつの森の住人たちが、たぬきちや人間を追放し、平等などうぶつだけの社会を形成したはずが、リーダーの暴走により、たぬきち時代以上に過酷な生活を強いられるのです。そのときの彼はもう、たぬきちとみわけがつかないのでした。「きりきりはたらくだなも!」

そういや、『街へ行こうよ どうぶつの森』でも、100万ベル寄付すると風車が建設できるんだよなぁ。 『おいでよ どうぶつの森農場』とか、おそろしすぎる!

小説賞の二次審査結果ですが……

先日ご報告した、徳間書店エッジdeデュアル新人賞の一次審査通過ですが、二次審査の結果が発表され、結果は落選でした。残念ですが厳粛にうけとめ、さらなる高みをめざします。応援してくだっさったみなさま、どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

ひとしきり、しょんぼりしてから次回作に取り組みますよ。