★長編小説〈エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦〉★
─2007年11月─
〈エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦〉は、
郁雄/吉武が2007年11月に発表した長編小説です

■あらすじ■

 
 魔法文明が衰退し、かわりに科学文明が発展しつつある異世界。独立高山都市バリオン市国では、魔導技術を基盤とする情報端末的な汎用魔導書、エルグノートを使用したエルジオーグというサービスが行われていた。
 イバナム学園中等部に通うエキセントリックな少女、刻藤[コクトー]オキナは、行方不明のペットを探すためにエルジオーグが策定したプランにアサインする。途中、彼女の窮地を救った仮称美人、穂村[ホムラ]タツミと共に、バリオン市国で唯一の、個人で民間に魔法力を提供する渡頼場[トライバ]架空事務所の門を叩く。
 二人を迎えたのは、所長の渡頼場[トライバ]と、助手を務める犬耳美少女の帝田[データ]アオイ。オキナの要請に応じて渡頼場は、魔法によって構築した情報収集用の魔導演算装置、ダブルプラスクライを起動する。アオイのオペレーティングによって、情報樹と呼ばれる、樹木を思わせるビジュアルの情報検索が行われるが、そこへ何者かが介入し、情報樹を破壊して行く。渡頼場とアオイ、さらにオキナとタツミの力をも結集し、壮絶な樹状情報戦が展開される。

■エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦 1/4■

 
 光を撒き散らす架空のページが、さらさらとめくられて行く。
「ふう、ふうっ、はふぅ〜ん……ですねっ!」
 少女は息を切らせながらも、かがんだ姿勢で両膝に手首を載せて、手帳の情報をチェック。補習授業の受講票と、行きつけの定食屋のクーポンページの間から、どうにか自身がアサイン(割り当て)されたページを見つけ出すと、「コレですね!」と、叫びながら背筋を伸ばし、開いたページを道路に向けて勢いよくかざす。
 ……しかし、環状三番街の四車線道路をせわしなく行き交う車の中に、応じるものはない。ついでに言えば周囲の通行人も、別な意味で応じようとするものはいない。
 少女は息を飲み込んでから、小さくつぶやいた。
「んぐっ? ……プラン通りじゃ、ないですね」、と。
 彼女、刻藤[コクトー]オキナは小柄で華奢。淡い小麦色の肌に、緑色の垂れた瞳と小さな唇。はちみつ色の金髪をショートにまとめている。瞳も肌も髪も、生来備えた色彩だ。西方移民系の多いバリオン市国では微妙に目立つ容姿だったが、独特のノンビリした雰囲気がエキゾチックさと融和し、彼女の印象をやわらかくしている。衣服は橙色のブレザーに、赤いリボンとチェックのスカート。ダークグレーの学生鞄を背負い、同色の革靴に白いハイソックスという、イバナム学園中等部指定を律儀に守った、暖色構成の学生服。
 オキナはあらためて、ローズピンクのカバーをつけた手帳型汎用魔導書、エルグノートの記述を確認する。さきほど開いたページを良く読むと、最後に記載されたタクシーとの待ち合わせ時間が更新されていた。新しい予定だと、あと十分は遅れるとのこと。日没も近い時刻だ。
 そもそも、プラン通りにタクシーが接近すれば、ちゃんと手帳が教えてくれるはず……そんな基本すら忘れるほど焦っていたことに、彼女はようやく気づく。
 これならユージェのアイス、食べときゃ良かったですね。
 放課後、掃除を済ませてさっさと下校しようとしたのは良いが、近道を行こうと普段は通らない旧校舎裏の細道を選択したのがまずかった。国際史科の凛西[リンゼー]先生に呼び止められ、教材室の整理を手伝う羽目になってしまう。報酬代わりの茶菓子に釣られたせいもあるが、いったん戻って着替える機会を完全に逸してしまった。
 ホームステイ先には公衆電話で遅くなると連絡し、直接、指定の場所である、散状七番商店街と環状三番街が交わる外周出口へと向かう。それでも予定に遅れそうだったので、彼女はプランが指示する通りに商店街を通り抜けたものの、店先に並ぶ魅惑の品々をすべて無視し、環状三番街の出口まで小走りに駆け抜けてきたのだ。
 途中、見かけたユージェイナスのアイスクリームチェーン店では、アンケートプランにアサインすると、二段重ねを倍の四段にしてくれると宣伝していた。あれをスルーしなければならなかったのは、痛恨の極みである。プラン的にも、商店街で買い物をすることを期待されていたというのに。
「!……」
 そこで彼女は、微妙に忘れていた本来の目的を思い出す。
 そうだ、こんな所でモタモタしている間にも、あの子は寂しい思いをしているかもしれないですね。そう考えれば、アイスなど些細なこと……のはずだが、惜しいものはヤッパリ惜しい。
 あの子だって、親切な誰かに拾われて、おいしいエサをもらっているかもしれないですね。
 少しぐらい家を空けたからといって、要領の良いあの子の身に、何かが起こったと考えるのは心配しすぎかも……いやいやですね。
 オキナが道端であれこれ考えを巡らしていると突然、何かが……いや、ごつい大きな手が、彼女の手帳を奪い取った。
「あうえっ?」
 目の前で高く掲げられるエルグノート。
 気がつけば両脇で大男が二人、オキナを背後から取り囲んでいた。正面には、自動車が激しく行き交う道路。
「……な、何ですね? 返して下さいねっ!」
 振り返りながら、怯まず主張することは出来たが、二人の大男にはさして効果がない。
 オキナから手帳を取り上げた太目の大男ではなく、銀縁眼鏡を掛けたひょろ長い大男が苦笑を浮かべ、大げさな身振りで語り出す。
「フゥ……ここにも、偽造神に魂を縛られた少女が一人。哀れにも程があるので、救済の道を拓いたまで。感謝されこそすれ、なぜ可憐な少女にそのような怖い顔をされるのか、まったく理解出来ないな」
「?……」最後だけは同感。まったく意味が理解出来ない。
 太目の大男が、眼鏡の大男に言う。
「何を言っても無駄ですぜ。頭のてっぺんから爪先まで、偽造神を信じ切ってるんですからね」
 眼鏡男は、残念そうに首を左右に振る。
「そうだったな、同志……。ここで何をしても、偽造神に精神まで蝕まれた少女はまた、新たなる偽典を手にするだけだろう。我々は何と無力なのか……虚しくなる」
「!?……」
 二人の大男は、哀れみの目をオキナに向ける。
 何だか本当に、自分が哀れに思えてきた。
「……それはさておき、我々の救済活動を完了させようか」
「承知でさぁ」
 オキナが返す言葉を探しあぐねているうちに、大男二人は彼女への関心を失い、背を向けて環状三番街の歩道を忙しく行き交う人々に向けて演説を始める。
「蒙昧なる市国民の諸君、ごきげんよう! 我々は、真実の啓蒙に努める善意の一市民だ。諸君らは気づいていない──いや、あえて目をそむけているだけかもしれないが──今や多くの者が所持を強いられている、偽造された神による偽りの聖典、エルグノートと呼ばれる魔導書の真実を悟り、偽造神打倒のために大同団結して立ち上がることを期待し、語りかけている。おそらく、大多数の者にとっては戯れ言と聞こえるであろう。しかし、十人、百人、千人……いや、万人に一人であろうと、真実に目を向ける者がこの場にいることを期待し、語る――」
 ここは幹線道路と商店街の出口が交わる場所なので、人出は多い。
 スーツに身を包んだ会社員や、学校帰りの学生、夕飯の買い出しに来た主婦などの街行く人々は、初めは何事かと足を止める者もいたが、おおよその内容を理解すると、足早に大男たちの前を素通りすることに専念し始める。
 無論、その後ろで呆然と立ちすくむオキナに関心を示す者はなかった。
 眼鏡男は、構わず演説を続ける。
「──諸君らは一企業にすぎないエルグ社に管理された、エルジオーグなる偽造神に、生活のすべてを委ねようとしている。この大いなる危険性はいまさら言うまでもないことだが、エルグノートを末端とするエルジオーグは、収集した情報を元に独善的な誘導を行い、エルグプランなる愚策をもって無から有を生み出すがごとき幻想を抱かせる。人生を偽造神に委ね、思考を停止することこそ、エルグの悪意ある洗脳工作なのだ。この巨悪に対し、我々は断固とした対決姿勢を示す。その証として私はまず、この少女が手にする偽典を今、この瞬間、焚書[ふんしょ]することを宣言しよう! しかるのち……」
「?……あのぅ、スイマセンですね……」
 オキナ自身、無視されると決めつけていた、微かなつぶやき。
 しかしそれに眼鏡男は耳ざとく反応し、振り返る。
「ん?……何か言いたいことがあるのかな?」
 声音は優しかったが、眼鏡の奥にある瞳の輝きが、狂った火花のように激しくまたたいている。
 この人、おかしい。
 恐怖しながらも彼女は疑問を口にした。
「んっと、そのぅ……“フンショ”って、どういう意味ですね?」
「……」
 直後、眼鏡男は首を振り、大げさに落胆して見せる。オキナにも、かなりのダメ出しであることは理解出来た。
 太目男が言う。
「論より証拠。まずはやって見せやしょうぜ」
「あぁ、そうだな、同志」
 眼鏡男の承諾に、太目男は背中に背負ったリュックサックの中から、何やら取り出してアスファルトの地面に置き、組み立て始める。円筒形の筒の上に、管とバルブがささり、三つ叉の金具が開かれ、物を置く台座となった。以前、キャンプに行った時に見たことがある。携帯用のコンロだ。
 “焚書[ふんしょ]”という言葉の意味は理解出来なくても、加熱調理器具でエルグノートに何をするかは容易に理解出来る。オキナの手帳を燃やしてしまおうというのだ。
「イヤッ!……それがないと、あの子が探せないですね! 返せっ!」
 おもわずオキナは、考えなしに太目男へ飛びかかろうとする……が、眼鏡男にひょいと襟首を掴まれる。動きを封じられた彼女は、暴れながら眼鏡男をキッと睨みつけたが、生温かい軽蔑の視線に迎えられただけだ。
 諭すように、眼鏡男は言う。
「我々と君との間には、理解し合えぬ大きな溝がある。どちらが正しいかは、いずれ歴史の判断を待たねばならないだろう。だが今、この瞬間、君は君の要求を実現出来る立場にないことが理解出来ないのか? 官憲の巡回経路は把握しているが、今すぐこの場に駆けつけてくることはないはずだ。よって助けは期待出来ない。その上、我々は直接君に危害を加えるつもりはないのだ。賛同はせぬまでも、大人しくこの場を立ち去るか、あるいは傍観するか、ともかく、いたずらに我々を刺激せぬ選択をするのが最善であると判断すべきだ。何か反駁[はんばく]はあるか?」
「もちろんですねっ、あぐぅっ!」
 オキナが何とか反撃に出ようとした矢先、眼鏡男が、さらに彼女の襟首を引っ張る。そのショックで、彼女は舌を噛んでしまう。痛みそれほどなかったが、ふと気がつくと彼女は自分の言うべき事柄を完璧に見失っていた。
「?……ひょ、ひょれはでふね……ひょの……?……んと、でも、あたひはでふね……」
 パニック状態に陥ったオキナに、眼鏡男は容赦しない。
「どうした? 君は、自己の正当性も満足に主張出来ないのか? いくらでも反論の余地はあるはずだ。主義主張の違いはあれど、無知も無能も罪であることだけは理解したまえ!」
 すでに眼鏡男はオキナの襟首を放していたが、混乱したままの彼女は動くことも反論することも出来なくなっていた。自分が正しいはずなのに、相手が間違っているはずなのに──頭がこんがらがって、ワケがわからなくなる。手の平にべっとりと汗をかき、涙をにじませてうつむくことしか出来ない。号泣を堪えるだけで精一杯だ。
「そろそろ、良いですかい?」
「あぁ、頼む」
 眼鏡男の言葉に、太目男は携帯用コンロの燃料を噴射させ、マッチを擦って火をつける。
 ゴウゴウと、コンロから炎が噴出する音。
 涙で歪んだ視界の片隅で、オキナのエルグノートが太目男の手により、ゆっくりと炎で炙られ始めた。
 ピンクの皮表紙が茶色く染まろうとした寸前。
「ぬぅぐあっ!」
 太目男が、顔を両手で覆ってのけぞり倒れる。ゴスンという音と共に、後頭部をアスファルトの地面へ打ちつけた。
 火のついた携帯コンロが、足元で虚しく炎を吹き上げている。
 オキナが事態を理解する前に、何者かが彼女の腕を掴み、強引に引き寄せた。
「んっ、あうっ!?」
 その直後、彼女はその何者かの背中越しに、道路を背にした眼鏡男と、のたうち回る太目男を見ていた。彼女を庇う形で立つ人物の背格好は、オキナとあまり変わらない。
「ホラこれ、キミのだろ?」
 その人物が、背中越しにオキナのエルグノートを差し出す。
「?……あっ、ひゃい、そうでふねっ。おっ、おありがとうですねっ」
 ピンクの革表紙の手帳を受け取りながら、しどろもどろに礼を言う。
 わずかに焦げているが、機能に問題はなさそうだ。
「危ないから、ちょっと離れていてくれるかい?」
「んっと、えっと、……あうっ、ハイ、わかったですね」
 ──無知も無能も罪──咄嗟に眼鏡男の言葉を思い出したのは悔しかったが、確かにこれ以上、誰かの足手まといになるわけには行かなかった。
 眼鏡男は距離を取ったオキナを無視し、冷ややかな視線で新参者に言う。
「何だ君は? 随分と乱暴な奴だな。暴力では何も解決しないぞ?」
 斜め後方に離れてやっと、オキナは自分を助けてくれた人物の顔を見ることが出来た。
「!……」
 彼女は思わず息を飲む。
 穏やかな厳しさを秘めたその人物は、あまりにも端麗な顔立ちをしている。。
 年齢と背丈は少し、オキナよりも高い。腰まである長い黒髪を四つ編みに垂らし、肩から革製のポシェットを下げ、薄絹の白い手袋をはめ、鮮やかな紺に染め上げられたジーンズ生地のワンピースを身に纏う。艶然と伸びた手足。光沢のある滑らかな肌。流麗風雅な目鼻立ち。引き締められた淡いピンクの唇。濡れた黒真珠を思わせる瞳が、眼鏡男を見据えていた。
 間違いなくオキナが知る中で、もっとも美しい人物であると断言出来る。
 しかし……。
 衣服の種類からすれば絶世の美少女と形容したい所だが、何か直感的な違和感があった。
 その人物――仮称美人――は眼鏡男に言う。
「……確かに暴力は良くないねぇ。でもボクは、話の通じない相手と議論をするのはイヤなんだ。ただ……一つ、言わせてもらっていいかい?」
 眼鏡男は、しばし沈黙したのち「聞こう」と答えた。仮称美人は、「どうも」と礼を言って続ける。
「つまり、アナタの意見を要約すると、たとえ意見の異なる相手でも、勝てないとわかったら大人しく従ったフリぐらいはすべきだ……そういうことだよねぇ?」
「……あぁ、いかにも」
 そう答えながら、眼鏡男は右手を懐に入れる……が、上着の内側から左脇腹をもぞもぞとまさぐった途端、顔色が変わった。
 仮称美人が言う。
「探し物は見つかったかい? ボクはさっき、コレを拾ったんだけどなぁ」
 そう言って差し出したのは、銃身の短い銀色の拳銃。回転式の弾倉がついたタイプだ。
 仮称美人は一瞬だけ拳銃を構え、銃口を眼鏡男に向けるが、にっこりと見惚れるばかりの微笑を浮かべながら、後方へ放り上げる。背後も見ずに投擲された拳銃は、歩道の隅でわずかに開口していたダストボックスへ、ゴトンと音を立てて収まる。
「どういう、つもりだ?」
 言葉に詰まりながら、眼鏡男が問う。
「……」
 仮称美人は答えようとせず、笑みを浮かべたまま左足を引き、半身で構えを造る。武術か何かだろうか?
 ワンピースのスリットから、なめらかな白い太股が露出する。
「!?……」
 その時オキナは、仮称美人の頭上から、何かがゆっくりと降りてくる気配を感じた。それは、複雑な折り目がつけられた、等身大の紙細工人形、のように見える。
 降りてきた紙細工人形のような“モノ”は、両足に当たる部分から仮称美人の肩口に吸い込まれ、やがて頭の先まで完全に混じり合う。
 彼女にはわかる。
 おそらくあれは、他の人には見えない類の“モノ”だ。
 変な人に思われたくないので友人にも話したことはないが、オキナはまれに、そういう類の“モノ”が視えることがある。おそらく魔法的な“モノ”だろうと思う。
 それに気づいた風もなく、眼鏡男は不敵に構える仮称美人から、まだ地面に転がったままの相棒に視線を向け、チッと舌打ちをした。
「……わかった、行きたまえ!」
 そう言い捨てると、倒れた太目男の介抱を始めた。
 緊張した空気が一気にほぐれたのを見計らうように、オキナの手にしたエルグノートが淡い光を放ち、チチチチチと音を立てる。約束の時間が近いことを知らせているのだ。
 その音に、仮称美人がわずかに視線をこちらに向ける。
 ……と同時に、眼鏡と太目の大男が二人、仮称美人に飛びかかった。
「あぶっ……」
 オキナが警告するよりも、大男二人が攻撃するより早く、仮称美人は飛び出している。太目男は、低い姿勢から脚を取ろうと仕掛けるが、仮称美人の優美な右脚に頭を踏みつけられる。
「ウぐえっ!」
「このっ!」
 眼鏡男は火がついたままのコンロを投げつけながら飛び出している。そのまま殴りかかろうとするが、仮称美人は太目男の頭を踏台にして高々と跳躍し、飛来するコンロを避ける。
 その動きが速すぎて、眼鏡男は目標を見失う。
 仮称美人はワンピースの裾を翻しつつ空中で一回転。その動きが、オキナにだけはスローモーションのようにはっきりと見えた。仮称美人は眼鏡男の背中を左足で蹴る。
 突進していた眼鏡男は、蹴りに加速されて前のめりに倒れ、銀縁眼鏡を弾き飛ばしながら腹を打ち、太目男と盛大にクラッシュ。仮称美人が完璧な着地を決めると、一拍遅れて革製のポシェットと長い四つ編みがふわりと舞い降りた。
 火がついたまま弾き飛ばされたコンロは、水平に激しく回転しながら、歩道の脇の金網にぶつかって止まる。すぐ近くだったので、オキナは咄嗟に駆け寄り、コンロのコックを閉じて炎の噴出を止めた。さすがに無視出来ず、幾人かが立ち止まって一連の状況を観察している。
 大男二人は悲鳴も上げられず、もぞもぞと地面に転がっていたが、生きてはいるようだ。
 オキナが立ちつくしていると、仮称美人がこちらに駆け寄ってきて、「行こう!」と、彼女の手を取る。
 思わず赤面しつつ見ると、一台のタクシーが、オキナの前で減速してくる所だった。表示は“予約”になっている。
 考える余裕もなく、反論する理由もなく、オキナは仮称美人に導かれ、自動で開かれたタクシーの後部扉に転がりこむ。
「早く出して下さいね!」
 オキナが運転手にそう告げる。
 タクシーが扉を閉めて走り出した時、彼女は予定外の同行者が追加されたことに、ようやく気づいた。
 二人の手は、繋がれたままである。
■エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦 2/4■

 
「まったくもう、こっちも遅れて悪かったけどさ、アンタらも大層な厄介ごとに巻き込まれてたみたいだねぇ」
 エルグプランにアサインされたタクシーの運転手は、恰幅の良い中年の女性。サイズの合わない制服をラフに着崩している。
 車種は中型のセダン。車内中央の天井に、後部座席から見えるよう、電像式(ブラウン管式)の小型テレビ受像機が据えつけられている。電源は入っていない。
 タクシーは環状三番街北西部から散状十番街と交わる交差点で左折し、急な坂道を登って目的地の事務所がある環状八番街を目指していた。太陽は西の峰に隠れ、周囲は急速に暗くなりつつある。
 仮称美人は会話に応じる気がないようなので、オキナがおばさんドライバーの質問に答える。
「んっと……ハイ、あたしの手帳が変な人たちに燃やされそうになったですね」
「!……あぁ、そういやあの辺、ハングの連中が出るから気をつけろって、お達しが出てたね。仲間内でもイチャモンつけられた奴、知ってるよ」
「んっと、“はんぐ”って、何ですね?」
「知らない?……エルグが嫌いな連中を、“[ハン]”する愚か者の“[]”と書いて反愚[ハング]って言うの」
「反愚ですね、ナルホド……ああいう人たちって、多いですね?」
「ん〜、月に何度かは見かけるよ。警察が来る前にとっとと逃げちまうし、手帳を燃やす以外のことはしないみたいだけど、ああいうのは余所でやって欲しいもんさ。あたしゃ、プランのおかげで今の仕事にありついた口だから、エルグ様を悪く言う奴の気が知れないよ、まったくもう……」
「エルグ様……ですね」
 少し引き気味のオキナに、おばさんドライバーは苦笑して続ける。
「……それだけ感謝してるってことさね。ま、実際に神様みたく拝んでるのもいるみたいだけど、それで贔屓してくれるわけでもって……そうそう、忘れてた。アサイン票をおくれでないかい?」
「?……にゅ〜んっと、あっ!」
 おばさんドライバーに請われ、オキナはエルグプランを進める手順を思い出す。
 焦げ気味の手帳を開こうとして、彼女は隣に座っている人物を見る。
「ナニかな?」
 微笑む仮称美人。ここまでレベルが高いと、目の保養を通り越して目に毒だ。
 オキナはうつむき、顔を真っ赤にしながら言う。
「んっと……あっと、て、手を離していいですね?」
「……あぁ、どうぞどうぞ、ご自由に」
 そう言って、仮称美人は繋いだままだった手をパッと離す。
 オキナはなぜか残念な気持ちになりながらも、自分のエルグノートを開く。
 一枚だけ、赤く光っているページを開くと、彼女はその架空紙を破り取る。
 ビリッと破れる音や、手にした感触まで、まるで本物の紙のようだ。
 破られたページは、燐光を放ちながらも形を保ったまま、オキナの手に摘まれていた。
「ハイ、お願いするですね」
 おばさんドライバーは、ルームミラーで背後を確認し、振り向かずに受け取ると、開いたままだった自分のエルグノートに挟み込もうとするが、思い直して架空紙の内容を再度確認する。
 そして……。
「……悪いけどコレ、このままじゃ使えないよ」
 そう言って、おばさんドライバーは汎用魔導書のページを握り潰す。
「あうっ!」
 止める間もなく、オキナの渡した赤いページは光の粉となって消滅する。
 理由を問う前に、おばさんドライバーが言う。
「そっちのお客さんの情報が足りないよ。プランにアサインしてない人は乗せられないけど、降りてもらう?」
 プランにアサインしてない人とは、もちろん仮称美人のことである。
 オキナはあらためて、同乗者を見た。
 彼女のピンチを救ってくれた親切な人であるのは間違いない……が、そもそも何者なのだろう? もの凄く強くて、もの凄く綺麗な女の子の格好をしているけど……でもこの人、本当に“女の子”、なのだろうか?
 どこか根本的な所で、美少女と言い切ってしまうことの出来ない違和感が、オキナにはある。
 “名前は?”とか、“年齢は?”とか、“恋人はいますかね?”とか、気になる所は多かったけれど、まず最初に知りたいのは、“もしかして、男の子ですかね?”がダントツで一位決定だった。
 悩んだまま、ずっと黙りっぱなしだったオキナより先に、仮称美人が切り出す。
「……もし良かったらだけど、ボクもキミのプランに参加させて欲しいんだ。どうかな?」
 オキナは数秒間、反応出来ずに固まっていたが、どうにか仮称美人からの要請を理解して言う。
「!?……はうんっと、はう、ハイ、お願いするですねっ!」
「そう、良かった。で、ボクは何をすれば良いのかな?」
「ハイ?……え?……えっと、ご存じないですね?」
 意外な仮称美人の答えに、オキナは動揺した。この国へ移民して一年ほどの彼女と違い、生粋のバリオン市国人ならエルグノートの使い方など熟知しているものとばかい思っていたからだ。
 仮称美人も自身の答えの特異性に気づいたのか、説明を加える。
「あぁ、ボクもさっきの連中ほどじゃないけど、エルジオーグに頼る生活はあまり好きじゃなくてねぇ。普段はあまりプランをアサインしたりしないんだ。もちろん、自分のエルグノートは持ってるよ」
 そう言って、仮称美人は革製のポシェットから、紺色のブックカバーがついた手帳を取り出して見せる。カバーには傷もなく、あまり使っていないというのは本当のようだ。とりあえず納得したオキナは、話を進めることにする。
 ちょっぴり、上からの目線で。
「コホン……では最初に、あたしがアサイン要請をするので、それを受理して欲しいですね」
「具体的に、アサイン要請って?」
「ハイ……ちょっと待つですね。追加申請書……を作るので、エルグノートに読み込ませるですね」
 オキナはそう言いながら手帳を開き、自身にアサインされたエルグプランのページを開く。
 プラン名は『第五八三八二〇号:失踪動物の捜索』。アサイン主は、刻藤オキナ一名と記載されているが、その右にある“人員追加”と書かれた文字をボールペンで丸く囲む。
 すると、次のページに新たな架空紙が出現し、プラン変更申請と追加アサイン要請用の書式が自動的に書き込まれた。追加アサイン要請用ページの方は、目立つように赤く光っている。
 オキナは赤く光るページを破り取ると、仮称美人に手渡す。
「エルグノートに挟み込めばいいの?」
「そうですね。あとは自動でやってくれるですね」
 仮称美人が言われた通りにすると、オキナのエルグノートに作成された、プラン変更申請ページに、仮称美人の情報が追加される。
 仮称美人の名前は、穂村[ホムラ]タツミと書かれていた。
 タツミというと男の子っぽい名前ではあるけれど、女の子でもアリな名前だ。このままでは性別を判断出来ない。
 名前の横にある“詳細”と書かれた文字を丸で囲むと、さらに新たなページが作成される。エルグノートに登録された、使用者の公開情報が書き込まれて行く。
「ふぅ〜ん、刻藤オキナちゃん、十四歳か。イバナム学園中等部……まぁ、見た通りだね。バリオン市国へ就学移民して一年。依頼はいなくなったペットを探して欲しいと……へぇ、それでこんな大ごとになってるのか」
 穂村タツミも、追加アサイン申請に付加された、オキナの情報に目を通しているようだ。
 オキナの手帳に表示された情報によると、穂村タツミはイバナム学園高等部在学の十六歳。二歳年上で彼女の先輩に当たるわけだが、肝心カナメの性別欄は無記入だった。公開情報の内容は任意で制限出来るので、記入がないからと文句を言うわけにも行かない。
 二人が情報に目を通していると、おばさんドライバーが少しイライラした調子で「まだかかるのかい? ……早くしないとついちまうよ、まったくもう」と、催促。
 オキナは「ハイ、もうすぐですね」と答え、プラン変更申請のページに戻る。
 追加アサインを許可しますかと書かれた欄の“はい”を丸で囲むと、追加人員側の承諾を待っていますという表示に書き換わる。
「あのぅ、穂村……先輩?」
「タツミでいいよ、オキナちゃん。で、何?」
「んっと、タツミ……先輩の方でも、人員追加のオッケーが欲しいですね」
「あぁ、はいはい、了解……っと」
 数秒後、タツミ側のアサインが受理され、プラン変更申請ページの色が赤く変わる。すかさず赤いページを破くと、おばさんドライバーに手渡した。
 おばさんドライバーは信号で停車した隙に、内容を確認してから自身のエルグノートに申請ページを挟み込み、「はい、こっちも受理完了よ、まったくもう!」と嬉しそうに言う。
 “まったくもう”は、機嫌とは無関係に付加されるものらしい。
 手続き完了でホッとひと安心。
 あとはタクシーの到着を待つだけ……と思いかけて、不意にオキナは大変失礼なことをしているのに気づく。
「あの、タツミ先輩……それともう一つですね……」
「まだ、手続きがあるのかい?」
「そうではなくてですね、そのぅ……さっきは危ない所を助けていただいてホンット、感謝です、ありがとうですね!」
 精一杯の感謝と好意を込めて、ペコリとお辞儀をする。
 遅きに失した感はあるが、それでも言わないよりは良い。そう信じて言ったのだが、当のタツミはオキナの言葉に、しばらくポカンとしてから、「……あぁ、そんなことなら気にしないで」と、実に素っ気ない返事。
「でもですね」――それじゃあたしの気がすまないですね、と続けたかったのだが、オキナは続きを言うことが出来なかった。ほんの一瞬ではあるが、タツミが露骨に顔をしかめるのを見てしまったから。続けて聞きたかった諸々の事柄は、一時保留せざるを得なかった。
 会話が途切れたのを見計らい、おばさんドライバーが言う。
「じゃ、決まりだから、着くまでこれを見てて頂戴」
 その直後、後部座席用に設置された小型テレビの電源が入る。動画が映るより早く、音だけがテレビから流れ出し、甲高い男性の声が、車中に響き渡った。
『……ンが、今なら何ともう一個、おつけしますっ! ご用命は、次の画面をスキャン!』
 通信販売の告知番組のようだが、何を売っているのかは良くわからなかった。
 おばさんドライバーが操作したのか、すぐに聞きやすい音量へ調節される。
 十数秒後、じわじわと画面が総天然色[フルカラー]で結像する頃には、別な番組が始まっていた。
 脳天気な明るい声。
『バリオン市国の皆さぁ〜ん。こぉ〜ん、にぃ〜ち、は〜! “いつもあなたと共にある”、エルグ社が提供する、“エルジオーグの基礎のキソ”のコーナーでっす!』
 画面の中には、スタジオでにこやかに白い革表紙のエルグノートをかざして見せる、少女が一人。
 服はライトブルーで統一された、バスガイドかエレベーターガールのような制服調のコスチューム。年齢はオキナやタツミと同じぐらい。クセのある亜麻色のロングヘアーの間から、人間の耳とは異なる、犬っぽい大きな耳が垂れている。
 何でも彼女は、犬徒[ケント]と呼ばれる犬獣人の血を引いているそうだ。目立つ特徴だったが、バリオン市国の市民のうち数パーセントは獣人の血を引いているので、獣の耳や尻尾が生えている人々はそう珍しいものではない。素で金髪に小麦色の肌というオキナの身体的特徴の方が、よほど珍しいぐらいだ。
 年齢や背丈はオキナとあまり変わらないものの、白いきめ細やかな肌と、胸のふくらみや腰のくびれが、かな〜り羨ましいレベル。そこに人当たりの良さそうな犬っぽい動きと、ハイテンションな喋りが加味され、一種独特の魅力を生み出している。最高の素材を極限まで磨き上げた、実にテレビ映えのする美少女タレントだった。
 それでもオキナは、傍らにいる仮称美人こと穂村タツミの容姿の方が、“上”だという確信は微塵も揺るがなかったが。
「アオイちゃん……か」
 テレビ画面を凝視しながらふと、タツミがつぶやく。
「タツミ先輩、ご存じなんですね?」
「ん? ……うん、彼女は有名人だし、さすがにのボクでも知ってるよ」
「いえ、そういう意味ではなくてですね……えっと、あう〜、何でもないですね」
 言いたいことが上手く説明出来なかったので、オキナは黙り込むしかなかった。
 仕方なく、視線を犬耳美少女に戻す。
 相変わらず、ハイテンションに喋りまくっている。
 ここ十年ほど、エルグ社のイメージキャラクターを勤めているという少女、アオイ。
 外見がほとんど変わらないことから、実在の人物ではなく、魔導技術で合成された模擬人格ではないかという説もあるそうだ。その真偽はともかく、事前収録番組以外には絶対に出演しないというのは事実らしい。
 小さなテレビに映されたアオイは、エルジオーグの仕組みと、エルグノートの使い方をオーバーアクション気味に、優しく説明している。
『つまりエルジオーグっていうのは、旧時代の魔法文明の技術で作った、魔導演算装置の一種なのっ。今ある電子演算装置っていうのは、その仕組みを魔法じゃなくて、電気の力で再現したもの、なんだってさっ。でもね、今の科学技術では電子演算装置は魔導演算装置の性能にかなわないのよっ。はやく、電子の技術が魔導の技術に追いつくといいねっ!』
 この手のレクチャーは、移民研修の時にさんざん受けている。ありきたりな内容の番組に興味を失ったオキナは、視線を窓の外へと移す。
 タクシーは散状十番街の急な坂を登り続け、環状七番街の交差点を過ぎた。次の環状八番街に、目的地がある。
 ここ西地区では太陽は完全に峰の向こうに隠れていたが、正反対にある東地区は、縁の部分がわずかにまだ、陽光を浴びていた。丸い擂り鉢状の高地に築かれた独立高山都市バリオン市国は、人口八〇万人。市国の中央部にある、もっとも標高が低い地域にあるクルサクル湖を囲む一番街から、もっとも標高が高い八番街までを国土としている。クルサクル湖の湖畔、東西南北四箇所に、市内の電力を賄うための火力発電所が設けられている。行政機関は湖を囲む、環状一番街北側にあり、刻藤オキナと穂村タツミが通うイバナム学園は、環状二番街の南側にあった。
 標高は、もっとも低い環状一番街中心部で海抜八〇〇〇オグ(約四千メートル)、もっとも高い環状八番街外縁部では海抜一〇〇〇〇オグ(約五千メートル)にも達する。そのため、都市全体に魔法的な与圧処理が施され、平地と同程度の気圧が保たれている。それでも、環状七番街を超えた辺りからは、何度か唾を飲み込んで耳抜きをする必要があった。もちろん、本当にここが標高通りの気圧であるならば、オキナはとっくに高山病で倒れている所だろう。
 テレビの中では相変わらず、犬耳美少女が嬉しそうにエルグノートの説明を続けていた。
『みんなもアオイも持っている、このエルグノート。エルジオーグの端末でもあるけれど、エルジオーグの一部でもあるのっ。エルグノートは、みんなが持っている小さな魔法力で動く汎用魔導書だけど、その小さな力がたくさん集まって、エルグプランを考える大きな力になるのよっ。で、肝心のエルグプランってのはね……』
 タクシーは散状十番街を右折して環状八番街に入り、北東方向に市国の北端を目指す。
 環状八番街は、三番街に比べると車もまばらで、道の両脇にも空き地や空家が目立つ。眼下に広がる中央街の賑わいとは、比較するまでもなかった。
 単調な景色が続き、オキナはしばらくウトウトしてしまう。
 気がつけば、ハイテンション犬耳美少女の番組が終盤に差しかかっていた。
『……そんなワケでぇ〜。アオイもみんなとプランで会えると嬉しいなっ! それじゃ、今回はこれまでっ。この番組は、“いつもあなたと共にある”、エルグ社の提供でお送りしましたっ。じゃ、まったねぇ〜!』
 そこで不意に、テレビの電源が切られる。
「ついたみたいだよ」
 タツミの言葉通り、タクシーは環状八番街沿いの、明かりの灯った雑居ビル前に停車する。ひと気も車通りも少ない環状八番街でも、ひときわ寂しい場所だ。
「はい、お疲れ様だよ、まったくもう」
「ありがとですね」
 オキナは、おばさんドライバーから赤い架空紙を受け取り、エルグノートに挟む。到着を確認するページが追加されたので、代表者である彼女がサインをする。
「はい、オッケー。まったくもう、帰りもよろしく!」
 二人が車から降りると、タクシーは近くの空き地でUターンし、来た道を戻って行った。
 乗車運賃などは一切支払っていない。プラン通り指定の商店街を通り、指定の時間、場所でタクシーに乗り、指定のテレビ番組を見るだけで、合法的に無賃乗車が出来るのだ。エルジオーグが提供する、エルグプランならではのサービスだった。
 到着地は、環状八番街五十三番地にある、──まるで幻想時代の遺跡のような──四階建ての雑居ビル“第三帝田[データ]ビルヂング”。
 いかめしい建物の一階に明かりが灯り、分厚い木製扉の横に“渡頼場[トライバ]架空事務所”と書かれた看板が掛けられている。ここで間違いなさそうだ。
 “架空”の事務所という割に、ちゃんと建物が存在している。“架空”という言葉が微妙に引っかかるが……。
 内部に明かりはついているものの、すべての窓にブライドが下ろされており、中の様子をうかがい知ることは出来ない。
 タツミが頷くのを確認してから、オキナが恐るおそる玄関の呼鈴を押すと、事務所の奥の方でジリリリリとベルの音。やがて、扉の向こうからトタトタと足音が近づいてくる。
 重そうな木製扉がわずかに開き、隙間から小さな顔が半分だけのぞいた。
 それはオキナやタツミとそう年齢も背格好も変わらないであろう……おそらくは、少女。
 電球の明かりの下、輝く長い髪の隙間から、垂れた犬耳が見える。彼女も犬徒の血を引いているようだが……。
 少女は無表情のまま、消え入りそうな声で「どうぞ……」とだけ言う。
 従うしかないのはわかっていたが、思わず同行者を見る。
 すると驚いたことに、タツミは少女に向かって軽く手を挙げて挨拶をした。
「やぁ、アオイちゃん。今日はお客さんを連れてきたよ」
 アオイと呼ばれた少女は、犬耳をピクリと動かしてから、最小音量で「どうも……」と返事をし、小さく会釈。
「!?……えっ、えっ、ええっ?」
 オキナは両者の顔を交互に何度も見る。
 事態が把握出来ずにいるオキナに、タツミが解説した。
「こちら、渡頼場架空事務所の事務員兼助手の、データ・アオイちゃん。ちなみに“データ”の字面は、このビルの名前、“第三帝田ビルヂング”の“帝田[データ]”と同じだよ。さらに余談だけど、さっきタクシーのテレビで見た、アオイちゃんのモデルになった娘、なんだって」
「さ、さっきのってですね……」
 オキナが、まじまじとアオイの顔を見つめると、彼女はまた小さく会釈をし、木製扉を完全に開く。
「よっ、よろしくですね……」
 オキナの挨拶が聞こえているのかいないのか、アオイは開けた扉のノブを持ったまま、じっと立ちつくしている。中に入れと言いたいのは間違いないだろう。
 事務所のドアをくぐりながら、オキナはそれとなくアオイを観察する。
 亜麻色のロングヘアーと犬耳、整った顔立ちに白い肌とメリハリのある体型は、テレビで見たのと同じ。長い髪はうなじで束ねられているが、毛先の部分がツンと反り返り、まるで犬の尻尾[ドッグテイル]のように見える。服は裾を出したライトブルーのワイシャツに濃紺の紐ネクタイを締め、茶色い革靴とぴったりした紺色のスーツズボンを穿いている。
 衣服や身にまとう雰囲気は全く異なるが、そこに立つ美少女は確かに、エルグ社のイメージキャラクター、アオイその人だった。
 生アオイを見てもなお、密かにオキナは確信を新たにする。
 やっぱり、タツミ先輩の方が上ですね、と。
■エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦 3/4■

 
 帝田アオイに案内されて入った事務所で印象深かったのは、天井の高さ。フロアの三分の二ほど、二階部分の床がなく、吹き抜けの天井には蛍光灯が三列に吊されている。交換するのが大変そうだ。
 事務所内は入口を入ってすぐ、何も置かれていない広めのスペースがあり、その奥に衝立てで仕切られた応接スペースと、所長や事務員が仕事をするスペースがある。事務机の上には資料類の他に、電像式の画像表示装置や、キーボードなどが複数台、置かれていた。さらに奥にはガラス張りの別室が設けられており、冷蔵庫のような機械装置が並んでいる。会社や研究所にあるような大型の電子演算装置……のように見える。それらの機械装置が発する駆動音が、事務所内に重く響いていた。
 オキナとタツミを迎えたのは、長身の青年。茶色い髪を整髪料でオールバックに固め、ブランド物の黒い上下の背広と臙脂[えんじ]色のネクタイをびしっと着込んでいる。服の上からでも、筋肉質の体であることが伺える。浅黒く日焼けした肌に黒い瞳。彫りが深く、太い眉が意志の強さを感じさせる。赤茶けた鉄鉱石のような印象の二枚目だ。
 青年はいかつい外見に反して、にこやかに自己紹介をする。
「はじめまして、ミス刻藤。私が当架空事務所所長の渡頼場[トライバ]です。ご来所いただき深く感謝いたします」
「刻藤、オキナですね……よろしくお願いするですね」
 渡頼場から差し出された大きな手を、オキナはぎこちなく握り返す。ゴツゴツした感触だ。
「それで……その、こちらはですね……」
 次いで、タツミを紹介しようとするが、渡頼場はオキナの言葉を遮る。
「そちらは、良く存じ上げております。……タツミ、事前に認識はしていたが、本当に君がミス刻藤のプランにアサインされて来るとはな」
 話を振られたタツミは、特に緊張した様子もなく、気楽な調子で返事をする。
「色々あってね。この娘……オキナちゃんが反愚[ハング]に絡まれていたのを放っておけなくて」
「ほぅ、連中もご苦労なことだな。しかし……プランの情報にその記述はなかったようだが。ミス刻藤、被害報告は出されましたか?」
「え? えっと、その……ハイ、まだですね」
「では、アサイン票を頂戴すると同時に、こちらからトラブル報告をさせていただきますが、よろしいですか?」
「は、ハイ、お願いするですね」
「では、それも含めて詳しい話を伺いましょう。どうぞこちらへ」
 二人はその言葉に従い、応接スペースの、立派だけれど少々くたびれた感じの革製ソファーに並んで腰を下ろす。渡頼場もテーブルを挟んで向かいのソファーに座った。
 そこへ、犬耳少女がお盆にお茶を乗せてやってくる。
「どうぞ……」
 それだけ言って、緑茶の入った三つの白磁茶碗をぴったり正三角形に並べ、小さく会釈して応接スペースを出て行く。
 渡頼場は軽く緑茶をすする。そして黒い革張りのエルグノートを開き、オキナから受け取ったアサイン票を読み込ませた後、万年筆を片手に言う。
「アサイン票を受理しました。それではまず、ここへ来るまでの経緯をご教示下さい」
 オキナは「ハイですね……」と返事をしてから、説明を始めた。
 学校帰りにプランが指定するタクシーとの待ち合わせ場所へ行ったら、大男二人に自身のエルグノートを取り上げられ、燃やされそうになったこと。それをタツミに救われ、タクシーに飛び乗ったこと。なりゆきでタツミをオキナのプランにアサインしたこと、などを一通り語る。
 喉が渇いたので、オキナは出された緑茶を飲んでみた。ほどよい苦味と共に、濃厚な茶葉の甘みが口の中に広がる。良い茶葉を上手に淹れているようだ。
 渡頼場は、オキナの話を聞きながら、何やらエルグノートに入力していたが、「なるほど」と、小さく言ってから、腹に響く大きな声で「ミス帝田! そちらに情報を送った……後は頼む!」と言う。
 隣の事務所スペースから、「うん」という小さな返事が聞こえた直後、断続的に金属を打ちつけるような音が響き始める。
「何の音ですかね?」
 オキナの問いに、渡頼場ではなくタツミが答える。
「多分、アオイちゃんがキーボードを使って電算機に情報を打ち込んでいるんだと思うよ。そういうの、得意みたいだからね」
 続いて渡頼場が言う。
「ミス帝田は、当事務所で扱う演算装置全般のオペレーションを担当してもらっています。手前味噌で恐縮ですが、実に有能な助手ですよ」
「へぇ〜、それは凄いですね」
 何がどう凄いのかは自分でも良くわからないが、多分、すごく凄いことなのだろう。
「さて……と。トラブル報告はこれにて完了です。では、いよいよ本題に入らせていただきます」
「わかったですね。で、何すればいいですね?」
「まず、ご依頼内容を伺いたいのですが」
「?……えっと、ハイ。ひと月前に、家で飼っている猫のケイトが行方不明になったですね。それで、エルグプランにアサインしたら、こちらを紹介されたですね」
「なるほど、頂戴した情報通りですね。対象は茶虎の雑種猫ケイト、メス、推定年齢六歳。ひと月前に夜のエサを与えた直後から行方不明。住居のある環状五番街二十五番地付近の目撃情報なし。性格は温厚で社交的。鈴つきの首輪あり。写真も何枚か登録されてますね」
 そう言って渡頼場は、自分のエルグノートのページをオキナに示す。
「ハイ、これですね。わりと最近撮ったので、参考になると思うですね」
 オキナは資料の中から一枚の写真を指し示す。私服姿のオキナが、猫を抱き抱えて微笑んでいた。他の写真と比べると、撮影された時期によって、オキナの身長や服装に違いはあったが、猫の印象はほとんど変わらない。
「ちょっと質問、いいかな?」
「何だ? 言ってみろ、タツミ」
「……アサイン資料を見ても、オキナちゃんの話を聞いても、これって単なる行方不明のペット捜索依頼だよね。それでなぜ、この事務所に話が来るんだろう? 普通、探偵事務所とか興信所の仕事だと思うんだけど」
「?……ここって、そういう所じゃないですね?」
 オキナの疑問に、渡頼場は小さくため息をついて言う。
「なるほど、一般の方にはもっともな疑問です。当、渡頼場架空事務所はバリオン市国内で唯一……そして、おそらく世界でも数少ない、民間人に対して魔法力を提供する個人事務所なんです」
「!……魔法力っていうと、所長さんは“魔法使い”なんですね?」
 魔法という神秘ワードに、オキナは目をキラキラさせて問うが、渡頼場は苦笑気味に答える。
「まぁ、そういうことになります。もっとも私は、ホウキで空を飛んだり、カボチャを馬車に変えたりは出来ませんが」
 それで納得しかけたオキナだが、再び新たな疑問を抱く。
「とすると所長さんは、魔法で何が出来るんですかね?」
「そうですね……情報系と、戦闘系の魔法を少々、といった所です」
「ほわぅ〜。魔法使いの人って、はじめて見たですね」
「まぁ、多くの魔力保有者は、あまりマスメディアには露出しませんから」
「何でですね? せっかく魔法が使えるのに……」
「ご存じかと思いますが、現代文明は幻想時代の魔導技術が元となって成立しており、有能な魔力保有者も少数ながら現存しています。ですが、人材の大半は国家か企業に囲い込まれており、現状では個人が民間人に対して魔法力を提供するのは難しいのです」
「所長さんはその、難しいことをやっているんですね!」
「……恐縮です」
 渡頼場は微妙な表情で、一応同意した。
 再びタツミの発言。
「で、話を戻すけどさ、その世界的にも珍しい渡頼場架空事務所に、今回の件がアサインされた理由は何なんだろう?」
「エルジオーグがプランを策定する基準は非公開だ。我々で類推するしかない。そのヒントを掴むためにも、依頼者に直接話を伺っているわけだ」
「何か魔法絡みだと思うの?」
「まだわからんな」
 エルジオーグにアサインされた意味を、魔法使いであるという渡頼場も理解出来ないのだろうか?
 オキナがこの国へ移住して一年が過ぎようとしているが、いまだにエルジオーグという存在の意味を掴みかねている。それは彼女に限ったことではなく、この国に住む多くの人々が抱く想いでもあるようだった。
「神様の考えていることはわからない、ということですかね?」
 ぽつりと漏れたオキナの言葉に、渡頼場とタツミが同時に視線を向ける。
「ミス刻藤……」
「な、何ですね?」
 目を白黒させているオキナに、渡頼場は力強く断言した。
「エルジオーグは神じゃない」、と。
 タツミが確認する。
「……それは、“神ではない”という意味だよね」
「無論だ。エルジオーグは収集した情報を自動的に結びつけて、様々なプランを提示する。それを神の託宣のように思う連中もいるようだが、あくまで提示するだけだ。プランの内容が保証されているわけではないし、完璧に従う義務もない。エルジオーグは単なるマッチングシステムだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「まっちんぐシステムって……」
「つまりね、エルジオーグやその末端であるエルグノートは、集めた情報を使って人と人、モノとモノとを結びつける便利な道具ではあるけれど、“使うモノ”であって、“使われるモノ”ではないということ。道具も、結局は使う人次第……それを忘れちゃいけないよ」
「……道具を使う人が、道具の使い方を考えないといけないんですね?」
「そういうこと。どうすべきかを決めるのは、ボクたち自身なんだから」
「あたしも、ですかね?」
「オキナちゃんの問題なんだから、当然そうだよ」
「ふむゅうぅ〜」
 オキナはエルグプランにアサインされたら、何も考えず従えば良いとばかり思っていた。だから、プランの意味を考えるという発想もない。
 エルグプランによって、魔法使いのいる事務所に案内されたということは、今回の件に何か魔法が関係しているであろう、というのは想像出来る。オキナは自分なりに理由を考えてみた。自分や飼い猫が魔法に関係すること……。
 だが、どう考えても、魔法に縁があるとは思えない。思えない……が、何かが引っかかるような。魔法とは直接関係なくともだ。
「?……!?……!」
「オキナちゃん、何か思いついた?」
 タツミの言葉に、渡頼場もオキナに注目する。
 二人に気圧されながらも、彼女は思いついたことを言う。
「あの……所長さん。この事務所って、何年前からやってますかね?」
 タツミと渡頼場は、ハッと顔を見合わせる。渡頼場が答えた。
「しばらく休業期間がありましたが、十年ほど続いています」
「休業期間というのは、どれくらいですね?」
「業務を再開してから現在までで半年。閉鎖期間は五年です。それ以前に、四年半ほど業務を行っておりました」
 つまり、開業から十年といっても半分は休業期間だったということになる。
「じゃ、五年半前はお仕事してたということですね」
「ええ、そうですが……」
「あたしの父さん……刻藤ジアンっていいますけど、父さんはその頃、バリオン市国で仕事をしてたんですね……」
「続けて」と、タツミが促す。
「……父さんは、ケイトをある所から引き取ったって聞いてますね。ハッキリ覚えていないんですけど、何とか“カクウジムショ”って所からだったはずですね」
「架空事務所だとっ!」
 渡頼場がテーブルをバンと叩き、立ち上がる。
「ひおぅっ!」
 その剣幕に、オキナはビクッと身をすくめた。
「おいおい、お客を脅してどうするのさ?」
 タツミに[たしな]められ、渡頼場はソファーに座り直す。
「いや、失敬。なるほど……架空事務所という名称が確かならば、何らかの経緯でケイトをミス刻藤の父君に譲ったのは、当事務所である可能性が高いですな」
「参考になったですかね?」
「ええ、非常に興味深い情報です……なるほど、そうなるとだな……」
 渡頼場は、しばらく腕を組んで考え事をしていたが、やがて意を決したようにオキナに向かって問う。
「ミス刻藤。あなたは本気でケイトを探したいと思っていますか?」
 口調は穏やかなままだったが、真剣な質問であることはわかる。だからオキナは躊躇なく答えた。
「ハイ……絶対に見つけて欲しいですね。あの子は……ケイトは、あたしなんかよりしっかりしてるから、危ない目に遭ってるなんて思ってはいないですね。でも、だからって、これから二度と、あの子に会えないなんて耐えられないですね……お願いします、どうかケイトを見つけて欲しいですね」
 その言葉を受けて、タツミがつけ加える。
「オキナちゃんは、あんな危険な目に遭ってまでここに来ているんだ。大切な友達を捜したい気持ちに、嘘はないと思うよ」
 二人の言葉に、渡頼場は大きく頷く。
「よろしい。では、ただいまよりケイトの捜索にかかりましょう!」
 そう言って立ち上がり、応接スペースを出て行く青年を見て、オキナはタツミに小声で聞いた。
「所長さんは、何を始めるですね?」
 タツミはにっこり微笑みながら片目を瞑り、答える。
「“失せ物探しの魔法”を使うのさ」、と。
 
 ほどなくして。
 オキナとタツミは事務所を入ってすぐの、何も置かれていない、開けたスペースの隅に立っている。
 スペースの中央に渡頼場が立ち、その脇に事務机と椅子が運び込まれている。事務机の上には電像式の画像表示装置とキーボード。椅子の上には犬耳少女の帝田アオイが座っている。キーボードは画像表示装置に直結され、画像表示装置からは十数本のケーブルが伸び、事務所の奥にある電子演算装置が置かれた部屋まで続いていた。アオイは紙の資料や白い革表紙のエルグノートを見ながら、何やら入力作業をしている。キーボードがリズミカルに叩かれるたび、金属的な打鍵音が事務所内に響く。
 渡頼場が一同に向かって告げる。
「それでは捜索を開始する。各自、その場を動かないように。ミス帝田、準備は良いかね?」
 問われたアオイは打ち込み作業を続けたまま、淡々と答える。
「キーボード、チェック。表示装置、チェック。コンソール接続、チェック。電源装置、チェック。予備電源装置、チェック。冷却装置、チェック。電算機一番から四番まで、チェック。五番は修理依頼中のため除外。中央演算処理装置の総合稼働率二〇パーセント未満、チェック。テンレットフーへの接続、チェック。回線使用率四〇パーセント未満、チェック。主要プロセス起動確認、チェック。スクリプト・シレーヌ、単体試験完了、チェック。スクリプト・ティタン、単体試験完了、チェック。スクリプト・ペガーズ、単体試験完了、チェック。スクリプト・シレーヌ、ティタン、ペガーズ、結合試験完了、チェック。現在は追加スクリプト、リコルヌの単体試験中……完了、チェック。十五秒後に結合試験完了予定──」
「よろしい、続けてくれたまえ」
「──うん。追加スクリプト、リコルヌの結合試験……完了、チェック。事前確認項目、オールチェック。ターブル・ロンド、起動」
 アオイはキーボードをパシンと叩く。直後、事務所の奥に並んだ電子演算装置が甲高い唸りを上げ始めた。
 タツミが小声で、オキナに説明する。
「あの装置は、所長の造る魔導演算装置をアオイちゃんが操作するための機械なんだよ」
「魔法を操作する機械、ですかね?」
「そう、所長は調査するための魔導演算装置を構築、駆動、維持管理するのが仕事なんだ」
「???」
「見ててごらん。そろそろ始まるよ」
 タツミの言葉通り、渡頼場が自身のエルグノートを開き、宣言する。
「これより、エルグプラン『第五八三八二〇号:失踪動物の捜索』に基づき呪紋魔力[グリフレゾン]、キャパ・アタナソフ=ダブルプラスクライの架空を行う。指揮および架空維持は渡頼場が、操作はミス帝田が担当する」
 続いてアオイが告げる。
「ターブル・ロンドの起動、チェック。ダブルプラスクライとの接続準備完了、チェック」
 渡頼場は両手を前に突き出して意識を集中し、告げる。
「キャパ・アタナソフ=ダブルプラスクライ、架空開始」
 同時に、彼の周囲へ力ある何かが集積し始める。
 それはやがて、目には見えないが確かに存在する形となり、渡頼場の眼前に構築されて行く。初めに細い針金のような枠組みが生じ、空中で長方形の箱のような造形となる。次いで、内部に板状の構造物が生まれ、内部を仕切って行く。そして仕切りの中に機械装置のような構造物が形成される。構造はどんどん複雑になり、やがて箱の内部はぎっしりと機械装置らしき造形で埋めつくされた。
 箱の周囲にもパイプやケーブル、ファンのような構造物が生じる。箱から生じたケーブルが伸び、アオイの操作する画像処理装へと繋がった。
 展開が終了すると、長方形の構造体は、アーティストがデザインした、小粋な冷蔵庫のような姿となっている。
「架空完了、確認、コンタクト!」
 渡頼場の宣言に合わせ、空中の構造体が鳴動を始める。構造体の中心部に金色の輝きが生じ、それはやがてすべての構造体をなぞるように広がり、染め上げて行く。
「オキナちゃん……見えるだろ。あれが所長の魔法さ」
「え?……あ、ハイ、良く見えてるですね」
 オキナには構築過程が最初から見えていたが、タツミには今、金色に輝いた直後からしか見えていないようだ。これもまた、彼女以外には視えない種類の“モノ”であるらしい。
 目に見える構造体として出現した金色のデザイン冷蔵庫は、事務所の開けたスペースの中央で安定した鳴動を続けている。
 アオイが告げる。
「ターブル・ロンド、ダブルプラスクライ間の接続確認、チェック。通信テスト完了、チェック。フィンガープリントの整合性確認、チェック。認証完了、チェック。パラメータの自己診断……完了、チェック。スクリプト・シレーヌ、ティタン、ペガーズ、リコルヌの投入開始……完了、チェック。駆動準備完了、チェック」
 渡頼場はアオイの報告に頷き、告げる。
「よろしい。操作権譲渡、ミス帝田」
「うん。操作権受領、アオイ、チェック」
「以後の捜索情報は、私のエルグノートへ転送。必要があると判断した事象のみ、口頭にて報告するように」
「情報連携開始、チェック。以後、報告は簡略化……テンレットフーへ接続し、対象の捜索開始」
 それきり、アオイは口を閉ざし、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
 金色のデザイン冷蔵庫……に見える魔導演算装置、ダブルプラスクライが輝きを増し、エネルギーをほとばしらせながら鳴動を強める。
 タツミが小声で解説する。
「あの魔導演算装置一台で、奥の電算室に並んでいる電子演算装置の数千万倍も、処理能力があるんだって」
「にゅう? それって、もの凄いことですか……ね?」
「ピンと来ないかい? 実はボクもだよ。ともかく魔導技術と電子技術の間には、それだけの差があるってことさ。ダブルプラスクライは、単体でエルジオーグを稼働させている魔導演算装置に近い性能がある。しかもそれを、アオイちゃんの意志で自由に動かすことが出来るんだ。これだけの性能があれば、バリオン市国内どころか、世界中の魔導ネットワークから、好きな情報を見つけることが出来るはずだよ」
「ケイトの居場所もですね!」
「迷子のペット探しをわざわざ渡頼場架空事務所へアサインしたエルジオーグの意図も、わかるかもしれないよ……ホラ、始まった!」
 タツミの言葉通り、ダブルプラスクライの上面にある丸い枠のような模様の中から、にゅっと何かが突き出た直後、二つに割れる。それは巨大な双葉だった。
 魔導演算装置から生えた双葉は急激に成長し、吹き抜けの天井へ向かって伸び始める。樹木のように育ったそれは、無数に枝分かれし、様々な方向へ突き進んで行く。
 成長する枝が、金色の輝きを帯びていることを確認してから、オキナはタツミに問う。
「あれは、何ですね?」
「“情報樹”というそうだよ。実際にあの枝が何かをしているというわけではなくて、アオイちゃんがダブルプラスクライを使って世界中の魔導ネットワークに接続している様子を、目に見える形で表しているんだ……情報樹の中身を見てみるかい?」
「見たいですね」
 オキナの返事に、タツミは大きな声で言う。
「アオイちゃん! ボクらのエルグノートにも、そちらの情報を転送して欲しいんだけどな!」
 犬耳少女はその言葉に、犬耳をピクリと動かし、ちょっと困ったような表情でこちらを見る。
「ミス帝田、クライアントからの要望だ。言われた通りにしたまえ!」
「でも……うん」
 雇用主である渡頼場に促され、アオイは渋々という感じで操作を実行する。
 二人がそれぞれのエルグノートを開くと、そこには無数の情報が乱舞していた。文章情報、画像情報、図形情報などが、内容を読むよりも早く現れては消え、架空紙が次から次へと追加されて行く。この中から特定の情報を見つけることなど不可能ではないだろうか?
 十数秒ほど表示が追加され続けた所で、情報の乱舞が急に停止する。最後に追加されたページには、『規定の表示可能枚数を超えたため、ページの更新を停止します』と書かれていた。
「う〜ん、やっぱり無償版のエルグノートにはキツかったかぁ」
 タツミが苦笑しながら言う。
「?……それじゃ、アオイさんは……」
「こうなるのを知ってたから、嫌な顔をしたのかもねぇ」
「!……じゃ、所長さんのノートは大丈夫ですかね?」
「そりゃま、有償版を使ってるだろうから、平気だろうよ」
 確かに大丈夫そうだ。
 オキナも、街で配布している無償版のエルグノートの他に、有償版が存在していることは知っていたが、どれほど機能に違いがあるかまでは認識していなかった。
 強制的に更新が止まったエルグノートのページを確認すると、どうやら動物病院やペットショップから収集した情報らしい。扱っている情報の中から猫に関するものが抜粋されている。こういう情報を、勝手に引き出して大丈夫なのかわからないが、着実に調査が進行しているのは間違いないようだ。
 黄金の輝きを放つ情報樹は天井付近まで成長を続け、樹木というより毛細血管のように分岐を続ける枝葉は、天井だけでなく部屋の四方、隅々まで伸び切ろうとしている。事務所の天井を占拠した情報樹の各所に、他とは異なる輝きを放つ部分が数カ所あった。その部分だけ金色ではなく、赤や青、緑など様々な色の輝きを放っている。
「あの、色の違う部分は何ですね?」
「うん、詳しくはわからないけど、あそこに重要な情報がありますよって、印らしいよ」
「はふぉぇ〜。じゃ、あっちの影みたいなのは?」
 彼女が示した場所を見て、タツミが怪訝な顔をする。
「?……何があるのかな。ボクにはちょっと……」
「い、イヤッ、な、何てことない見間違いですね」
 オキナがしまったと後悔した直後、彼女が指摘したまさにその部分の情報樹が、金色の粒子を撒き散らして、霧散する。
 渡頼場が叫ぶ。
「ミス帝田、状況を報告!」
 アオイは打鍵を続けながら、淡々と報告を行う。
「外部から侵入。防火壁を突破されてる……対象を隔離、解析中……消えた」
「再度侵入される危険は?」
「うん……また来た」
 アオイの言葉通り情報樹の別な箇所に、まだ金色に着彩されていない影が近づいているのが、オキナには視える。直後、影が触れた部分の情報樹が、またも霧散した。
「対象を隔離……する前に消えた。市内からの接続みたい」
「チイッ、同業者か? 攻撃するから、指示を頼む!」
 渡頼場はそう叫ぶと、情報樹に向かって片手を突き上げ、何か構える仕草をする。
 本来なら見えてはいけないモノだが、オキナには彼が銃のような構造体を構えているのが視えた。再度、影が接近。
「直上八時、目標明示」
 オキナが視たのと同じ箇所をアオイが指示し、その部分の情報樹が白く輝く。渡頼場が構えた構造体の引き金を引くと、見えない稲妻が発生し、白く輝く部分を打ち抜く……が、その寸前に影が情報樹の一部を霧散させている。天井一杯に成長した情報樹はしかし、その各所が削り取られるように霧散し始めていた。それから数回の攻撃。アオイはその都度、的確に攻撃場所を指示したが、渡頼場が認識して攻撃するまでのタイムラグを埋めることは出来ない。
 そして不意に、部屋が暗くなる。
 黄金の魔導演算装置が暗闇に浮かび上がった。
「!?……クソッ! 状況報告ッ!」
 渡頼場の悪態が事務所内に響く。
「六番変電所からの給電停止、詳細不明。現在は予備電源にて稼働中。キャパシタの残量、八分未満」
 アオイの報告を聞いた渡頼場が、今度はタツミに問う。
「外の状況はどうなってる?」
 渡頼場の言葉を待つまでもなく、オキナの隣にいたはずのタツミが、いつの間にか事務所の扉を開いて外の様子を伺っていた。
「今、見てる……ダメだ。北西外縁部は全部落ちてるねぇ」
 オキナも扉の外を見る。環状八番街はバリオン市国内でも、もっとも標高が高い場所にあるため、周囲の状況を一望することが出来た。タツミの言う通り、事務所の左右と下方一帯だけ真っ暗だが、それ以外の地区は明かりが灯っている。
 事務所内にも非常灯が灯り、引き続き情報樹での戦いは続いている。
 オキナにも、現状がかなりマズいことは、何となくわかる。
 彼女は敵の攻撃する予兆を視ることが出来たが、それを伝えるわけにも行かず、オロオロするばかりだった……が。
 唐突に、タツミが言う。
「オキナちゃん……次の攻撃が来たら教えて」
「んなっ?……そ、そんな、あ、あたしは、な、何も……」
「言い訳はいいよ。猫を探して欲しいんだろ? だったら協力して欲しいなぁ」
 タツミはオキナの瞳をまっすぐに見据えて、言う。
 いくらか慣れたとはいえ、その破壊力は強烈だ。
「わ、わかったですね」
 思わず頬を染めながら頷いてしまう。
「ありがとう。ボクがオキナちゃんの視線を追うから、攻撃のタイミングだけ教えて欲しい」
 オキナはコクコクと頷いてから、頭上の情報樹に意識を集中する。タツミが彼女の肩に手を置き、少女の視線と情報樹とを交互に見比べていた。恥ずかしがっている暇はない。またもや影が接近。
「来ますね!」
 オキナの宣言とほぼ同時に、タツミは彼女の視線の先を無言で指し示した。
「直上三時、目標明示」
 やや遅れてアオイの指示が飛び、それに合わせた渡頼場の攻撃が放たれるが、すでに情報樹の一部は霧散している。
「……うん、行けそうだな」タツミはそうつぶやいてから、叫ぶ。
「二人とも! ボクが攻撃場所を指示するから、それに合わせて!」
「何を言ってるんだタツミ、お前に……」
「来ますね!」
「そこだ! ボクの言うことを信じて!」
「!……直上二時、目標明示」
「クッソ、どうなってやがる!」
 オキナからの情報を元に、タツミはアオイが指示するより早く攻撃場所を指示して見せた。その早さと正確さに、二人は驚きの表情を見せるが、先にアオイが対応する。
 彼女はタツミに向かって言う。
「穂村君、かわりに指示を。アオイは反撃に専念する」
「任されたよ、アオイちゃん!」
「わかったから、さっさとしやがれ!」
「来ますね!」
「直上七時、緑のポイント!」
 タツミはオキナの視線を追って、敵の攻撃目標と思われる箇所を指示。
「オラよっ!」
 今までのタイミングより遙かに早く、渡頼場は攻撃目標を定め、構えた銃のような構造体の引き金を引く。稲妻が情報樹に到達する寸前、何も見えない空間が弾け、その直後、金色に輝く小さなネズミのような構造体が出現する。ネズミは情報樹を足場に逃れようとするが、情報樹そのものが変形し、檻となって小動物を模した構造体を捕獲した。光るネズミは情報樹の檻の中で激しく暴れている。
「対象自壊中……解析、八五パーセント完了、目標自壊。対象、オーヘイからの不正進入。詳細不明。以後、同種の攻撃は防御可能」
 アオイの言葉通り、光るネズミは霧散し、それで攻撃は止んだ。
 ホッと息をつく一同。
 それからは順調に捜索作業は進む。情報樹の霧散した部分は修復され、情報収集が一通り完了した後、事務所の天井一杯に広がった情報樹は、自らの意志で霧散した。
 その直後、天井の明かりが灯る。付近一帯の電力も回復したようだ。
 すべてが終わり、冷蔵庫を思わせるダブルプラスクライ本体が消滅してから、渡頼場が険しい顔でオキナとタツミの元へ歩いてくる。
「タツミ、テメェ……コイツ……い、いや、ミス刻藤に反映領域が視えるって、いつ気づいた?」
 問われたタツミは、涼しい顔で答える。
「最初に会った時から、何となく一般人と視線が違うなと思ってたんだよ。で、さっきの情報樹への攻撃を、オキナちゃんはアオイちゃんより早く察知しているみたいだったからさ。確証はなかったけど、本当に視えてたみたいだねぇ」
「ケッ、畜生、助かった! ミス刻藤……あなたにも深く感謝しますよ。これから収集した情報を解析します。結果は追ってご連絡いたしますので、本日はどうか、お引き取り下さい!」
「あっ……あう、ハイですね」
 感謝の言葉とは裏腹に、渡頼場の表情は苦々しげであった。
 淡々と機材の片付けをするアオイとは、実に対照的である。
■エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦 4/4■

 
 翌日の昼過ぎ、環状二番街六番地に位置する、イバナム学園の旧校舎裏。
 イバナムはエルグ社の出資一〇〇パーセントによって設立された私立の学園で、様々な階層に広く門戸を開いていた。学費の払えない生徒であっても、エルジオーグが提供するプランにアサインすることで格安、もしくは無料で授業を受けられるほか、衣食住のすべてにおいてサポートを受けることが出来る。結果、親が学園のスポンサーを務める富裕層の生徒から、学費を払うアテはないが、プランにアサインすることで入学した生徒まで、学園内には様々な階層出身の生徒がひしめき合い、独自の社会を形成していた。
「オラよっ!」
 渡頼場ソージは不機嫌さもあらわに拳を固め、眼前の生徒に鉄拳を叩き込む。殴られた生徒は元々、徒党を組んで彼に襲いかかって来ていたのだが、現在は最後の一人が無様に地面と接吻するという、残念な結果となっていた。ソージは最後にノックアウトした生徒が窒息しないよう、足を使って体を仰向けに転がしてやる。それで終了だった。
 旧校舎裏の資材置き場には、昏倒させた不良学生が八人、転がっている。上級生も数人は混じっているだろう。
 ソージはいかつい面構えと長身を活かすべく、茶髪を逆立てて固め、指定の制服を指定外に改造し、周囲を威圧することに最大限の努力を払っている。どこに出しても恥ずかしくない、立派な不良少年だった。
「ケッ、ザコならザコらしく、ちったぁアタマ使って、かかってきやがれっての!」
 イライラしながら、地面を蹴って土埃を巻き上げる。しかし、彼の口汚い言葉に「覚えてやがれ!」と捨て台詞を返せるだけの人材は、とうの昔に尽き果てていた。
「お疲れ、ソージ。いつにも増して荒れてるねぇ」
 背後から、呑気そうなねぎらいの言葉がかけられた。
 振り返るとそこに、積み上げられた土管の上で、ずっと喧嘩を観戦していた人物が一人。高等部指定の紺を基調とした女子生徒用ブレザーを着こなし、座っているだけでも、只者ではない気品と風格を放つ、穂村タツミの姿だった。
「タツミ、テメェ、ちったぁ加勢しろよ!」
 札付きのワルをも震え上がらせるソージの眼力だが、タツミにはまったく通じない。
「前から言ってるだろ。ボクは、話の通じない相手と、手加減しなきゃらならない相手とは、なるべく争わない主義だって、さ」
「オレより喧嘩が強ぇクセに、二言目にはそれかよ。テメェと互角以上にやれる奴なんて、この学校にいやしねぇだろが?」
「キミを除けば、ねぇ」
「素手で、テメェに勝てるわきゃねぇだろうが!」
「何言ってんの? もちろん、何でもアリでの勝負に決まってるだろ」
「?……テメェ、殺し合いでも始めようってのか?」
「そこまでする気がないから、キミと喧嘩しても意味がないって言ってるんだよ」
「ケッ、そうかよっ! どいつもコイツも、ワケわかんねぇ奴ばっかだなっ!」
「とりあえず、この場を離れた方が利口だってのは、キミにもわかるだろ?」
「……あぁ、行こうぜ」
 暫定的な合意に達した二人は、旧校舎裏の資材置き場から続く、体育館裏へ向かう細い道を進む。前を行くタツミの背中を睨みつけながら、ソージは背中を丸め、ポケットに手を突っ込んで歩く。
 最近は、不快な思いをさせられることが多い。その原因は多岐にわたっているが、昨晩の出来事はその極みであった。あそこまで、好き勝手に不正進入を許すとは。だが、犬耳女の手腕にケチをつけるつもりはない。アイツでダメなら、他の誰がやってもそれ以上の結果は望めないだろう。
「クッソ、畜生!」
 悪態が口に出てしまうほど、イライラが募っている。
 ふと、前を歩くタツミが立ち止まり、誰かと会話を始めていた。
「……やぁ、オキナちゃん、こんにちは」
「あうあっ、たっ、タツミ先輩、こんにちはですね。きのうはタイヘンお世話になったですね」
「いやいや、オキナちゃんのおかげで助かったって、所長も感謝してたじゃないか」
「にぇっ、タツミ先輩のおかげですね……こっ、これからも、よろしくお願いするですね」
「こちらこそ、どうぞよろしく……?……そういやソージ、情報の解析はいつ終わるの?」
 ごく当たり前のように、タツミはソージに話を振ってくる。それでつい、返事をしてしまう。
「あぁ、それならミス帝田があれから……って、何でオレに、そんな話を振ってくんだよ!」
 明らかな失策であることは自覚していたが、ここは誤魔化し通すしかない。
「アレ……んっと……え〜っと、ふにゅ? おや? ん〜?」
 いつの間にか出現し、タツミと親しげに会話をしていた刻藤オキナが、ソージを訝しげに観察している。不利な喧嘩にも、決して臆することのない彼であったが、今、この瞬間は脱兎のごとく逃げ出したい気持ちで一杯だった。
「どうしたんだい、オキナちゃん?」
 わざとらしくタツミが訊ねる。その白々しさは、もはや芸術の域。
 オキナは、しきりに首をかしげながら言う。
「ひょっとして、もしかするとですね……こちらの方、昨日の、えっと、そのぅ〜……あぁ!……渡頼場所長さん、じゃないですかね?」
 ソージは内心で頭を抱えた……が、動揺を押し隠して答える。
「んだぁ? テメェ、何言ってやがる……所長なんて知るかよ!」と、オキナを睨みつける。その剣幕に彼女は萎縮するが、タツミの背に隠れることで、辛うじて耐え抜いてしまった。
 クソッ、そうか。コイツはタツミが半端なく強ぇことを知ってやがるのか。
 たかが小娘一人追っ払えないという事実に、ソージはいたくプライドを傷つけられたが、それでも何とか、この窮地を切り抜ける必要がある。
 彼はふと思い立ち、あなたが勘違いする理由がわかりましたよ──というフリをして言う。
「!……あぁ、なんだアンタ、兄貴の客だろ?」
「あにき……お兄さんですね?」
「そうさ。オレの名は渡頼場ソージ。渡頼場架空事務所の所長をやってるのは、兄貴の渡頼場ソーイチって野郎の方さ。オレぁ、タツミのダチなんだがよ、コイツぁちょくちょく、兄貴の事務所にも出入りしてっからな。ソーイチとも面識があんのよ」
「そうなんですね?」
 オキナはソージにではなく、タツミに確認する。
「本人がそう言ってるんだから、そうなんじゃないかなぁ」
 実にムカつく白々しさであったが、それでもオキナは納得したようだ。
「そうなんですか、スイマセン。ちょっと勘違いしちゃったですね」
 昨日も思ったが、コイツはコイツで、壮絶にアタマ悪いな。
 そのアタマの悪さに助けられたことを棚に上げて、ソージは辛辣な評価を下す。
「では、これで失礼するですね」
「新しい情報が入ったら連絡が来ると思うから、その時はまた一緒に事務所へ行こうよ」
「ハイですね!」
 オキナとタツミは、互いににこやかに手を振り合って分かれる。
 彼女の姿が旧校舎の角を曲がって消えたのを見計らい、タツミが言う。
「……別に正体をバラしたって構わないんじゃないかなぁ、渡頼場所長さん?」
「ケッ、勤務時間外に接客なんざ、したかねぇんだよ!」
「普通に話せばいいじゃないか。ミス刻藤とか、あんなわざとらしい喋り方しなくても」
「テメェが言うか、それを……フンッ、兄貴がな、そういう喋りだったんで、真似してんのさ」
「お兄さんって、五年前に失踪した?」
「あぁ、あのケイトって猫も多分、兄貴の仕事絡みだろ。まぁた尻ぬぐいさせられんだぜ。ったく、何やってんだか!」
「プラン通りとはいえ、キミも学生と兼業で架空事務所の所長をやるとは、ご苦労なことだよ」
 いつものことながら、その涼しげな口ぶりにムカッ腹の立ったソージは、反撃を試みる。
「テメェだって、アイツに自分が女装男だって、話してねぇんだろ?」
 が、例によってタツミはサラリと受け流す。
「聞かれたら正直に答えるつもりだよ。まぁ、オキナちゃんも疑ってはいるみたいだけどねぇ。ボクは、いたずらに少女の夢を壊すほど、ロマンが足りない人間じゃないからさ」
「ケッ、詐欺まがいエセ女の分際で、ロマンが聞いて呆れるぜ!」
「嘘つき兼業魔法使いの不良君にだけは、言われたくないねっ」
 しばし睨み合った後、ニヤリと笑みを交わす、二人。
 そこで終われば良かったのだが。
「タツミせ〜んぱ〜い!」
 二人の前に、再びオキナが駆け寄ってくる。
 息を切らせ、膝に両手をつく彼女に、タツミが問う。
「どうしたの、オキナちゃん?」
「ふう、ふうっ、はふぅ〜ん……ですねっ……アオイ先輩がっ、んぐっ、探してた、ですねっ」
「アオイちゃんが?」
 見れば、犬耳少女の帝田アオイが紙の束を手に、こちらへと歩いてくる。彼女もタツミと同じ、イバナム学園高等部指定の女子生徒用ブレザーに身を包んでいた。
「アオイ先輩……も、ここの学生さん、だったんですね」
「まぁね。やぁ、アオイちゃん、何か用かい?」
 声をかけられたアオイはしかし、タツミを完璧に無視してソージの前へ立つ。
「!?……」
「所長、資料のまとめ、目を通して」
 そう言って、有無を言わせず昨晩の資料らしい紙の束を押しつけてくる。
「ん……あぁ、わかった。夕方までには目を通しておくよ、ミス帝田」
 ソージが思わず、渡頼場架空事務所の所長として返事をすると、アオイは小さく会釈をする。そして、この場から立ち去ろうとしかけるが、ピクリと犬耳を動かし、動きを止めた。彼女はブレザーのポケットから、おもむろにレースのハンカチを取り出す。
「血、ついてる……」
 そう言って、アオイはハンカチをソージの口元に軽く当て、拭う。真っ白いレース生地に、小さな赤黒いシミがつく。顔を殴られた覚えはないが、さっきの喧嘩で返り血でもついていたのだろう。
「あ、ありがとう、ミス帝田」
 それで満足したらしく、彼女はもう一度コクリと頷いてから、スタスタと去って行った。残された一同はただ、彼女の背中から垂れ下がる犬の尻尾髪[ドッグテイル]が揺れる様を見送るしかない。
 それにしても、アイツが校内でオレに話しかけてくるのは珍しいな……。
 などとソージが考えていると、オキナが彼の顔を、じいっとのぞき込んで来る。
「やっぱり、渡頼場所長さん……ですよ、ねっ?」
 一筋の汗が、ソージの頬を伝う。
 さすがに誤魔化すのは、もう無理だな。
「ケッ……だから何だってんだ、畜生め!」
 悪態をつきながらも観念したソージは、正直ベースで話を進める決心をする。
 相も変わらず、にこやかに状況を楽しんでいる穂村タツミが、無性に憎たらしかった。
 


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elG-org is not God
01 / Information warfare like trees
エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦

2007年11月18日 初版発行
2007年11月21日 2版発行
2008年3月30日 3版発行

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著 者 郁雄/吉武
発行所 ★Astronaut
Web:www.astronaut.jp
Mail:info@astronaut.jp

(C)2007 Ikuo/Yoshitake:禁無断転載
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Copyright(c) 2000 - 2007 Astronaut by Ikuo/Yoshitake


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