■第二話のあらすじ  樹状情報戦を経た調査の結果、刻藤(コクトー)オキナのペットの正体が判明する。彼女のペットである猫のケイトは、千年前に生み出された魔導兵器、虚人(ゴーレム)であった。ショックを受けながらも、それを受け入れるオキナ。  さらに調査の過程によって、渡頼場架空事務所所長、渡頼場(トライバ)ソージの兄であるソーイチが、今回の件に関わっていることが明らかになる。どうやら兄ソーイチと、オキナの父が、五年前に虚人であるケイトをどこかから連れ出したらしい。  かろうじて連絡が取れたオキナの父からの言葉を手がかりに、渡頼場ソージ、刻藤オキナ、穂村(ホムラ)タツミの三人は、渡頼場ソージにとっては因縁浅からぬ、噴水広場へと向かう。  問題の噴水広場は物理的な噴水と、魔導的な噴水が二重に存在する魔導遺跡で、古来より何度も調査が行われていたが、広場に隠された謎はいまだに解き明かされてはいない。  千年間、魔法の専門家が見つけられなかった謎に、五年前の事件で魔導的なハンディキャップを負いながらも、闇雲に魔法使いを続けている渡頼場ソージが挑戦する。 ※本作は全三話完結の第二話です。 エルジオーグは神じゃない 02/闇雲に魔法使い  白い夜が明け、幻想時代は終焉を迎えた。  そして、千年。  根源たる魔力(オートムレゾン)の衰滅により、栄華を極めた魔導文明は緩慢に衰退を続けいている。才覚者が独占した魔導文明に成り代わり、万人が共有し得る科学文明が、その欠落を埋めようとしていた。  天を穿ち、地を砕き、海を裂くがごとき大魔法は過去の遺物となったが、ごく限られた分野のみで、魔導文明は幻想時代とは異なる独自の発展を続けている。幻想時代末期に急激な発展を遂げた、立体型集積魔法陣である呪紋魔力(グリフレゾン)は、軍事の要である魔導兵器としてではなく、情報通信技術の要である魔導演算装置として、今もなお、社会の重要な地位を占めている。  その最たるものが、エルグ社が提供する双方向多目的情報提供サービス、エルジオーグと、その端末である汎用魔導書エルグノート。消費する魔力を極限まで軽減し、一部の処理を電子演算装置で肩代わりすることで、情報処理に特化したシステムを構築し、競合するサービスを駆逐して市場を独占した。  エルグ社は本社を独立高山都市バリオン市国に構えている。四方を山に囲まれ、独自の閉鎖世界を形成するバリオン市国は、エルジオーグというシステムの実験場として最適であると判断されたのだ。エルグ社の企業城下町と化した、バリオン市国に暮らす人々は、好むと好まざるとに関わらず、エルジオーグというシステムから逃れることは出来ない。たとえ、エルグノートを所有していなくても、だ。  現状、バリオン市国以外の地域で実施されるエルグノートのサービスは、情報の検索と発信、メッセージの送受信など、一部の機能に限定される。エルグプランの策定を含め、エルジオーグのフルサービスが提供されるバリオン市国の様相が、いずれ世界に満ちあふれるか否か。その結末はまだ、明らかになってはいない。  五年前の渡頼場(トライバ)ソージにとって、魔法を認識することは、あまりにも当然のことだった。むしろ、目に見える情報だけに頼る大多数の人々の方が、彼にとっては奇異に感じられる。物質界と重複して存在する、魔法という不可思議な力が顕在する異世界、反映領域そのものが、彼の遊び場となっていた。  そこは、当時、彼が学んでいた魔導私塾にほど近い路地裏にある、小さな石畳の噴水広場。四方を高い塀に囲まれて日当たりは悪く、中央に据えられた噴水の水は涸れている。たどり着くのが一苦労な割に、さして面白い物があるわけでもないため、近所の子供たちすら寄りつかない場所だった。渡頼場ソージ以外は。  彼には視えていた。そこは、妖精の通り道なのだ。ソージが認識する世界の中では、水の涸れた現実の噴水と重なった架空の噴水から、わずかに濡れたビーズのような魔力の粒が、光彩を変じながら噴き出している。その魔力を目当てに、反映領域に棲む者たちが集い、陽気に舞っている。常ならざる日常の光景が、ソージの心に暖かく降りそそぐ。そこは、冷たい世間から隔絶された、彼だけの小さな世界だった。  大丈夫、こいつは夢だ。ソージは意識の奥底で再確認をする。何度も追体験している、あの時の夢。いつものように、アイツを助けてやらないと。  それは最近見かけるようになった、新顔の妖精。光球の輝きが他の奴よりも強かったが、大きさが他の奴よりひとまわり小さかった。さらに特徴的なのは、他の妖精は丸い光の塊にすぎなかったが、こいつだけ尻尾のような、あるいは触覚のような光の筋が、一本垂れ下がっていた。そいつは噴出する魔力に目もくれず、噴水の周りで何か探し物をしているようだった。ソージは尻尾つきの妖精を見かけるたびに、後をついて歩くようになっていた。  その日も同じように、彼は尻尾つきの後を歩いていた。どうやらこいつが注目しているのは、割石が敷き詰められた石畳の地面、そのもののようだ。割石の形状は様々で、一つとして同じものはないが、魔法的な何かがあるようにも見えない。  見えない……いや、見ちゃいけない、視るんだ。ソージは呪紋魔力(グリフレゾン)の基礎を思い出す。高名な魔法使いの一族である、渡頼場家の次男として生まれたソージは、幼い頃より呪紋魔力行使者(グリフレゾンドライバー)としての英才教育を受けていた。兄であるソーイチと共に、未来の大魔法使いとなることを嘱望されていたが、そんな期待は幼少期の彼にとって、単なる重荷でしかなかった。  しかし、ソージはその時、誰に請われるでもなく、尻尾つきの力になりたいと心から願った。だから彼は、両目を閉じて光学情報を遮断し、反映領域を視る感覚だけに集中する。目に映ることのない世界の有様が、彼の精神世界に構築されて行く。  魔力を噴出させる、架空の噴水を中心とした広場の片隅。噴水へ魔力を伝える管は地下まで伸びているようだが、その源泉までは感知することが出来ない。尻尾つきの妖精が調べている石畳には、うっすらと魔力の輪郭を感じたが、それは物質界との干渉で帯びた天然の魔力にすぎず、特に異常というわけではなかった。魔導的な遺構以外に、何があると言うのだろうか。  ソージは両目を閉じたまま、尻尾つきの妖精が調べている割石を、魔導的感覚を駆使して精査する。十個、二十個、五十個、百個、数百個と調査につき合い、もういくつ調べたかわからなくなった頃。尻尾つきが調査し、何もなしと判断した一個の割石に彼は違和感を覚える。その違和感の正体が何であるかはわからなかったが、強いて言えばその割石は、あまりにも特徴がなさすぎた。無数にある割石の特徴を平均化し、もっとも無難な形状を意図的に造り出したような、そんなわざとらしさを感じる。  ソージの異変に気づいた尻尾つきの妖精が、何事かと周囲を舞う。彼は目を開け、尻尾つきへ意味ありげに微笑んでから、問題の無難すぎる割石に触れてみる。  指先が吸いつけられるような、痺れるような感覚。  やはりそうだ。反映領域に満ちた魔力を認識し、干渉する能力を持つ者──俗に言う魔法使いの見習いであるソージにはわかる。これは巧妙に割石へと擬態した魔導構築物だ。 物質界に顕在化し、一般人が見ることも触れることも可能でかつ、非接触式の探査魔法では検知されないであろう、非常に高度な代物だ。数百年――あるいは千年以上前の幻想時代から存在するものかもしれない。 「これを探してたの?」ソージが誰何すると、尻尾つきの妖精は彼の顔面近くを舞い、この場から遠ざけようとする。 「わかった、わかった。あとは君の仕事なんだね」  ソージがそう言うと、妖精は犬が尻尾を振るように、輝く尾をパタつかせてから、ゆっくりと無難すぎる割石に近づいて行く。  危ない! ソージが直感的に危険を感じた時には遅かった。妖精の尾が、無難すぎる割石に触れるか振れないかの刹那、割石は擬態を解き、数十本はあるワイヤー状の魔導構築物に変化して襲いかかった。  妖精捕獲器(スプライトトラツプ)、と言うそうだ。後に調べてわかったことだが、この割石もどきの魔導構築物は、妖精などの魔導的存在の干渉を検知すると、擬態を解いて攻撃を仕掛ける。一定以上の魔力に反応するため、もし尻尾つきの妖精が止めなければ、かわりにソージが襲われていたかもしれない。  妖精捕獲器のワイヤーに捕縛された妖精は必死の抵抗を試みるが、くまなく全身を縛り上げられているため脱出することが出来ない。その直後、ワイヤーを伝って高密度の魔力が注入され、溢れた魔力が狂ったように妖精の体から噴き出す。尻尾つきの妖精を、魔導的に蒸発させようというのだ。妖精はさらに激しく暴れ回るが、どうしても緊縛から逃れることが出来ない。  その時のソージは、打算もなく躊躇もなく恐怖もなく、ただ捕らわれの妖精を助けるためだけに、妖精捕獲器に飛びついた。  それは体験したことも、想像したことすらもない衝撃だった。物質的にも魔導的にも視界が白く染まり、全身が上下左右から押しつぶされ、同時に上下左右へ引き千切られるような感覚。口の中に強烈な苦味が広がり、全身の骨が砕け、全身に針を刺される。  実際には、肉体への物理ダメージはなく、精神のみに対する攻撃であることにはすぐ気づいたが、だからといって苦痛が和らぐわけではない。彼が正気を保っていられたのは、卓越した魔導的才能と、日々の鍛錬の賜物だった。  ソージは精神世界の苦痛を無視し、強引に物理世界の腕を伸ばして、魔導世界で捕らわれている尻尾つきの妖精を引き寄せる。魔導的なワイヤーの隙間から魔導防壁を展開し、自身のことは一顧だにせず全力で妖精をガードした。混濁と混迷を極めた世界の中で、防壁越しに感じられる妖精が放つ淡い魔力のみが、信じられる唯一の温もりとなる。  ソージが最後に視た魔導的な世界では、辛うじて難を逃れた尻尾つきの妖精が、心配そうに眼前を飛び廻っていた。いつの間にか、ソージは石畳の上に倒れ、天を仰いでいる。視界の隅に舞う、魔力の噴水に群がる妖精たち。三方を石造りの高い塀に囲まれた噴水広場の空は狭く、そして、深く蒼かった。  いつもなら、そこでソージの夢は終わる。実際の彼は、直後に意識を失った所を兄のソーイチに発見され、病院に担ぎ込まれている。そして一週間の昏睡状態の後に、病院のベッドで目を覚ますことになる――はずだったが、今回の夢は違った。ソージの眼前を飛び廻っていた尻尾つきの妖精が、ふと動きを止めると、爆発的に膨れ上がり、彼の腹の上にのしかかって来る。苦しくはないが、ただならぬ何かが、もぞもぞと動いていた。巨大化した輝く尻尾の先端が、ソージの鼻をくすぐる。それが、夢でも幻覚でもないと気づくと同時に、彼は目覚めた。  見れば、椅子に浅く腰かけて眠っていた彼の上で、犬耳少女の帝田(データ)アオイが身を乗り出して、何やら作業をしている。時折、鼻先をかすめる犬の尻尾髪(ドツグテイル)の毛先と、肘に当たる形の良い胸の感触が、何ともこそばゆい。  ここは渡頼場架空事務所の片隅。電算室として間仕切られた壁と、建物の壁との間にあるわずかな隙間に設けられた資材置き場。ソージはそこで、肘掛けが片方外れた古い事務椅子に座って居眠りをしていた。イバナム学園在校生としての、清く正しい不良スタイルから、渡頼場架空事務所所長としての欺瞞に満ちた端正なスーツ姿に着替えたまでは良かったが、昨日の樹状情報戦と昼間の喧嘩、および資料の精読による疲労がピークに達したため、たまらず仮眠を取っていたのだ。  ようやく状況を理解し始めたソージは、遅蒔きながら訊ねてみる。 「な、何のつもりかね、ミス帝田?」  ワイシャツの裾を出し、紐ネクタイにスーツズボンという、スタンダードな姿の犬耳少女は、作業を続けながら答える。 「これ、貼ってた」  そう言って見せたのは、不規則な白黒の縦縞模様が印刷された、長方形の小さなシールの束。大型商店などで商品管理に使われる、バーコードだった。この模様をエルグノートに読み取らせることで、あらかじめ登録された情報と紐づけ、検索することが出来る。  そういえば数日前に、エルグ社からエルグプランの一環として、事務所の備品すべてに貼るようにと送られてきたものだ。バーコードの縞模様は一枚ごとに異なり、渡頼場架空事務所共通の番号と、一枚ごとに異なる細番が併記されていた。  もっとも、すべての備品をリスト化するのは大変な手間であるし、それらをバーコードの細番と紐づけるのは、さらに大きな手間となる。業務簡素化のために業務負荷を著しく増大させるという愚を避けるため、とりあえず機器や事務用品、工具類など、消耗品ではないすべての備品にバーコードを貼れば良し、ということになっていた。 「あぁ、例のバーコードか?」  アオイは「うん」と返事をして作業を再開する。  彼女は資材置き場に置かれたネジ回しにバーコードを貼り、それを自身のエルグノートに挟み込む。バーコードと物品の形状を画像として取り込むことで、エルジオーグ経由で物品の品番を検索し、最小限の手間で備品リストを作成しようというのだろう。  エルグノートを使用した検索機能は優秀で、物品全体の画像が取り込めなくても、型番もしくは一部の形状がわかれば、かなりの精度で品番を特定出来る。物によっては手入力で修正する必要もあるだろうが、すべてを手作業でリストアップする手間を考えれば、遙かに効率的と言えるだろう。  ソージの腹にのしかかりながら、アオイは黙々と備品へのバーコード貼りとエルグノートでの読み取り作業を続けている。雇用主とはいえ、就業時間中に居眠りをしていたソージが、業務を忠実に遂行している彼女に文句が言えた立場ではないが、それでも──仕事すんなら、オレをどかしてやりゃいいじゃねぇか、と言いたい所だった。相変わらず、コイツの行動はさっぱり読めない。  最後に残った備品は、棚の上にある古いケーブルテスター。前のめりの姿勢では、わずかに手が届かないようだ。 「……んっ」  アオイは犬耳と犬の尻尾髪(ドツグテイル)をはためかせながらつま先立ちになり、必死で手を伸ばす。 「おいおい、今どっから無理すんなよっ」 「無理してない」  雇用主の言葉にも耳を貸さず、彼女はソージの腹に膝を掛けてまで、さらなる高みを目指そうとする。無理に場所を空けようとすれば、腹の上のアオイがバランスを崩しかねない。 「チッ、しゃあねぇっ!」  そう言って、ソージはアオイの腰を両手で掴む。  腕の力だけで、犬耳少女を持ち上げてやる。天井に頭をぶつけないよう、注意しながら。 「!……」  初めのうちこそ犬耳をピクピクさせ、体をこわばらせていたアオイだが、姿勢が安定していることを理解すると、すぐに作業を再開した。腰を支える両手から、微かな振動と共に彼女の体温や息遣いが伝わってくる。  腕力には自信のあるソージだが、しかし、力を込めにくいこの体勢で、人間一人を持ち上げ続けるのは予想以上に辛かった。徐々に腕が震えてくる。 「まだかね、ミス帝田? あまり……長くは、持たん、ぞ」 「……んっ、もう少し……」  ソージにとってはヘビーな数秒を耐え、アオイが古いケーブルテスターを元の位置に戻そうとする寸前。ふと彼は気配を感じ、資材置き場の入口を見る。  ひょっこりと、二つの女顔がのぞいていた。それぞれ、イバナム学園中等部指定の橙色と、高等部指定の紺色の女子制服に身を包んだ、刻藤オキナと穂村タツミ――二人に気を取られたのがまずかった。 「終わったよ」 「あ、あぁ……おわっ!」  テスターを戻し終えたアオイを降ろそうとした瞬間、わずかに腕の力が弱まり、彼女を落としそうになる。ワイシャツの裾がめくれ、優美な曲線を描く、アオイのウエストラインがあらわになった。 「っ!?……」 「危ねっ!」  ソージは咄嗟に足を踏ん張ることで、彼女を抱き寄せることに成功する。やわらかい圧力を全身に感じながら問う。 「痛くねぇか?」 「アオイは平気……所長は?」 「オレぁ……いや、私も平気だよ、ミス帝田」 「……うん」  図らずも、間近で見つめ合う二人。微かに上気した少女の頬。抱き寄せた手から、犬耳の内側が、意外なほど熱を帯びているのが伝わってくる。 「いや、その……お楽しみの所、誠に悪いんだけどねぇ……」  資材置き場の入口で、タツミが心底困った顔で言う。  少し後方で、オキナが両の拳を口に当て、瞳をぎらつかせながらこちらを凝視していた。 「こっ、これがウワサの、おふぃすラ〜ヴ、ですね!」  興奮気味の彼女を評して、タツミは言う。 「……オキナちゃんをこのまま放置するのは、色々な意味で、非常にマズいんじゃないかなぁ?」、と。    夕刻。ソージとアオイの微妙なやりとりを目撃されてから、二人の客を応接スペースに案内した後。  アレはつまり、ソージが居眠りしている間に、アオイが真面目に仕事をした結果であると、経緯も含めて正確に説明したつもりなのだが、オキナはウンウンと頷きながら、著しく誤解を増長させていた。 「あながち、誤解と言い切れない気もするけどねぇ」  などという、タツミの勝手な見解を無視して、ソージは自身のエルグノートを広げ、話を進めることにした。 「オホン、本件はひとまず脇に置きましょう。ご依頼の件につきまして、本日までに明らかになった点について、ご説明いたしたいと思うのですが……その前に、ミス刻藤。先ほどご連絡差し上げた件ですが」  話を振られたオキナは、あわててニヤニヤを引っ込め、真面目っぽい表情を作る。  最初からそうしてりゃいいんだよ。 「あ、えっと、ハイですね。お父さんと連絡を取りたいってハナシですね?」 「ええ、そうです。本件についての周辺情報が極端に不足しているため、お父上の刻藤ジアン氏に直接お話を伺いたいのです」  オキナはちょっと困り顔で言う。 「それでですね……実家に電話したんですが、お父さんは旅行に出てしまってて、すぐに連絡を取るのは難しいですね」  タツミが問う。 「オキナちゃんのお父さんって、画家なんだよね?」 「ハイですね。スケッチ旅行で、いつも世界中をホーローしてるですね」  ソージの方でも、その情報は掴んでいた。オキナの母は病没しており、兄弟はいない。父親である刻藤ジアンは放浪の風景画家として、一定の評価を得ているものの、経済状態はあまり良くない。  オキナ自身は昨年まで、バリオン市国西方にある、アシナ与連邦(よれんぽう)西海岸の小都市イライチに、父方の叔母と一緒に住んでいた。現在はイバナム学園への入学にともなう就学移民により、一時的にバリオン市国国民となっている。  望みは薄いなと思いつつ、ソージは問う。 「緊急連絡先をご存じでは?」 「いいえ……お父さんは滅多に連絡なんかくれないし、連絡先も教えてくれないですね」 「エルグノートで連絡を取るのは……無理ですか」 「そういうのは、頼んでも絶対に持たないですね。一応、お父さんから連絡があったら、あたしの所かここの事務所に連絡して欲しいって伝えたですが、いつになるかわからないですね」 「そうですか。いや、ご対応ありがとうございました。それでは本題に入らせていただきます」 「あっ、ハイですね」  ソージはエルグノートを繰り、調査結果をまとめたページを開く。 「ご依頼いただきました猫のケイトの捜索につきましては、目撃情報の収集および、ケイト自身についての調査を行っております」 「そういえばコレ、見たですね……んっしょっ」  そう言って、オキナは自分のエルグノートを広げて見せる。そこにはケイトの目撃情報を募る旨の告知が、写真つきで掲載されていた。無償版エルグノートの広告ページを保存したものだろう。 「ええ。エルグノートの利用者のうち、目撃情報を有する可能性の高いユーザに、そちらの告知が自動配信されているはずです。今のところ、有力な情報は届いておりませんが。ちなみにこれは、プランの範囲内ですので、追加の費用は発生いたしません」 「なるほどですね」  次いで、タツミの質問。 「目撃情報はわかるとして、ケイト自身の調査というのは?」 「あぁ、それについてはだな……」  想定内の質問とはいえ、答えづらい問いではある。ソージが考えをまとめていると、アオイが緑茶を四杯、盆に載せてやってくる。ん?……四杯? 「どうぞ……」 「ありがとう、ミス帝田」  違和感を感じつつも、ソージは置かれた緑茶をすする。いつもながら美味だ。……と、そこで退出するはずのアオイが、何やら物言いたげに立っている。 「ミス帝田、まだ用があるのかね?」 「……うん。アオイも所長の話、聞いていい?」 「いや、それは……私は構わんが……」  ソージが視線を送った二人は、意味ありげに顔を見合わせてから、同時に頷く。微妙にムカつく態度だが……。 「……クライアントの方々にも異存はないようだ。掛けたまえ」 「うん」  アオイはソージの隣に腰を下ろし、自分用に用意したらしい四杯目のお茶をテーブルに置いてから、自身のエルグノートを開く。  気を取り直して、ソージは言う。 「本題に戻りましょう。ご存じの通り私、渡頼場ソージは、兄であり初代所長である渡頼場ソーイチを引き継ぐ形で、半年前より渡頼場架空事務所の二代目所長を務めております。昨日の事前調査にて、ケイトが兄であるソーイチと関わりがあった可能性が判明したため、当事務所との関連性についても調査いたしました」 「記録とか、そういうものがあるですね?」と、オキナ。 「いえ、残念ながら兄ソージの業務記録はすべて抹消されておりました」 「オリジナルはないとしても、エルジオーグや魔導ネットワークのどこかに情報が残ってないのかな?」と、タツミ。 「タツミの言う通り、魔導ネットワークのシステム上、一時的に蓄積した情報の残滓、いわゆるキャッシュデータが、どこかに残っている場合があるのですが……」 「……それも全部、消されてた」  ソージの言葉を引き継いで、アオイが答えた。彼女がフォローしてくれたことに、ソージは少なからず驚いたが、表情に出さないよう注意する。 「消したのは、誰ですね?」と、オキナ。  その問いに、アオイはソージの顔を見上げる。自分が答えていいものか判断がつかない、といった所だろう。  彼は小さく息を吐いてから答える。 「証拠はありませんが、おそらくは兄の仕業でしょう。失踪する直前にすべての記録を消去、もしくは無意味な情報に上書きしたようですから」  タツミの発言。 「確か、ソージのお兄さんが失踪したのって、理由もわからないんだよね?」 「あぁ、奴は五年前に失踪したんだが消える前、かなり周到に記録を消してやがるな。おおかた、ヤバい何かに手を出したんだろうよ」 「そ、それがケイト、なんですね?」不安そうなオキナ。 「率直に申し上げると、私にはわかりかねます。ですので、失踪前の兄と交流があったと思われる、ミス刻藤のお父上と連絡を取らせていただきたいと申し上げた次第です」 「そうだったですね」 「ですが……」 「ですが、何ですね?」  オキナに食い入るように見つめられ、ソージは一瞬言葉に詰まる。どう切り出したものか。 「……ミス刻藤。あなたはケイトを飼って五年と伺っておりますが……」 「ハイですね」 「その間、何かケイトについて気づいたことはありませんか?」 「ん?……う〜んっと、えっとですね……」 「明らかに、他の猫とは異なる点があったと思うのですが」 「!……?……い、いえ、ケイトはとっても賢い猫でしたが、フツーの猫ですね!」 「そうですか……」  多少引っかかる物言いではあるが、気づかないのも無理はない。ソージは意を決して調査結果を告げる。 「……驚かれるかもしれませんが、落ち着いて聞いて下さい。魔導演算装置、ダブルプラスクライにて情報の収集、分析を行った結果、ミス刻藤がお探しのケイトが、ただの猫ではなく、魔導的な存在であることが判明いたしました。また、この件に私の兄とミス刻藤の父上が関与しているであろう、ということも併せてご報告いたします」 「!!……」  忠告を受けてもなお、オキナは衝撃を受けたようだ。目を見開いたまま黙り込んでいる。  かわりにタツミが問う。 「……なかなかに、ショッキングな情報だねぇ。一つずつ確認させてもらうけど、ケイトが魔法的な存在というのは、動物ではないということ?」 「そうだ。有機生命体ではない、動物に擬態した魔導的な構築物、といった所か。専門的に言うと虚人(ゴーレム)と呼ばれる魔導生命体の一種、だな」 「名前は聞いたことがあるよ。巨大な人型の怪物ってイメージがあるけど……」 「外見は異なるが、動作原理は一緒だ。亜種や変種だと思って欲しい」 「なるほどねぇ……でも、何でケイトが虚人だってわかるのさ?」 「まず一点は、資料として提供された写真だ」 「オキナちゃんとケイトが一緒に映ってるのが十何枚かあったよね」  タツミがそう指摘すると、ソージは自身のエルグノートの中から、写真の分析結果をまとめたページを開く。その直後、オキナとタツミのエルグノートが淡い光を放つ。アオイの配慮で、ソージの資料と同じものが、二人にも転送されたのだろう。二人も追加された資料のページを開く。  内容は、複数の写真から推測出来るケイトの身長、体重、骨格、肉付き、毛並みなどを数値化したものだ。最後に、ケイトの五年分の変化が折れ線グラフ化されているが、すべての値がほぼ一直線になっている。  ソージは折れ線グラフを示しながら言う。 「これだな。提供された五年分の写真からケイトの体格を分析させたが、見ての通り、飼育中の変化が全くないんだ」 「けど、大人の猫なら、体格なんて早々変わらないんじゃない?」 「にしても五年間だぜ。詳細に分析すれば、少なからず変化しているはずだ。人間の大人だってそうだろう? だがケイトは、写真で比較した範囲では全く変化していない。変化率が少ないのならともかく、変化率がゼロというのは、生物としてあり得ない。これだけでも、普通の生物でないことは明白だ。分析結果を、専門機関で再検証してもらっても構わない」 「これも、見て」  そう言って、アオイが自分のエルグノートを操作する。  直後、三人のエルグノートにケイト以外の複数の猫を調査したページが追加された。どの猫も、大人になってから数年で、体重が増減したり、骨格や体格が微妙に変化していることがわかる。ソージが断言した通り、一見すると変化がないように見える猫でも、数値化した変化率が、すべて一直線ということはない。明らかに、ケイトの変化率の少なさは突出していた。  二人は半信半疑、といった様子で資料に目を通している。オキナはいまだ、ショックから立ち直っていないらしく、沈黙したままだ。引き続き、タツミが問う。 「う〜ん、完全には納得しかねるけど、ケイトがユニークな存在であることは認めざるを得ないね。他に根拠は?」 「二点目は、ケイトの外見が変化しない理由が、虚人と呼ばれる魔導生命体の機能に即した物と合致するからだ。虚人とは、幻想時代に開発された、自動人形だな。魔法的な動力で無機物の体を動かすというのが基本機能だが、高度な物になると外見的に有機物そっくりの体を造り出すことが出来る。探知魔法すら欺けるレベルで、だ」 「でも、成長や変化はしない、と?」 「虚人と言っても、色々とタイプがあるんだが、ケイトの中身に、そこまでの機能は備わっていないということだろう。にしてもバラしたり、変化率を比較しなけりゃ判別出来ないなら、かなりの上物だぜ」  ソージの言葉に、オキナがぶるっと身を震わせる。それを見かねてタツミが言う。 「ソージ……オキナちゃんの前なんだからさ、発言には注意してくれないかな。今は渡頼場所長さん、なんだろ?」  冷ややかに窘められてて、ソージは周囲を見る。オキナはうつむきを深め、アオイは少し険しい表情でソージを見上げている。 「い……いや、失敬。配慮に欠けた発言だったな。以後、気をつけよう」 「そうしてくれると助かるよ。で、そんなに珍しい魔導生命体が、何でオキナちゃんのペットになったんだろう?」 「そこらへん、兄貴が……いや、私の兄が関連している理由として考えられますね。ケイトを害さずに、バリオン市国の外部へ出す方法として、刻藤ジアン氏を経由してミス刻藤に託すのは、合理的な判断ですから」 「!……合理的って、ナニがどうしてですね?」  ここでようやく、オキナの発言。うつむきながらも、はっきりとした声で問う。  ソージはオキナに向き直り、真剣な表情で告げる。 「ミス刻藤、受け入れ難いこととは思いますが、大前提として、ケイトが普通の猫ではなく、猫に擬態した虚人の一種であるというということを認識していただきたい」  真摯に理解を求めたつもりだが、しかし、彼女はうつむいたまま、絞り出すような声で言う。 「……け、ケイトはあたしの友達で、フツーの猫ですね。怪物なんかじゃないっ!」  叫ぶオキナに、ソージは努めて冷静に問う。 「では、あなたはケイトの残した抜け毛や、糞尿といった、体外へ排出された物質を見たことがありますか? おそらく、虚人であるケイトは、その種の排泄行為をしなかったはずですが」  彼女は一瞬だけたじろぐが、ゴクリと唾を飲み込み、しばらく頭をひねってから答える。 「……えっと、その、ケイトはとっても賢くて、キレイ好きな猫ですね。変な臭いもしないですね。毛づくろいとかトイレとかは、人が見てない所で……」  ソージはそこで、「それはないでしょう!」と、強引に言葉を遮り、強い調子で言う。 「ケイトが普通の飼い猫であるならば、抜け毛の一本もあるはずだし、たとえ躾が完璧だとしても、五年間もの間、用を足す所を飼い主に一回も見せない、などということはないはずです。ミス刻藤……ひょっとしてあなたは、ケイトが普通の猫ではないと、薄々気づいていたのではないですか? 思い当たる節があるのに、わざと気づかないフリをしていませんか?」  そこまで言い切ってから、彼はしまったと後悔する。間違ったことは言っていないつもりだが、明らかに、言い方が不適切だった。タツミとアオイの視線が冷たい。  ソージは咄嗟に、話を続けることがことが出来なかった……が、オキナは彼が言葉をかける前に、自らの力だけでゆっくりと顔を上げる。ふるふると首を震わせ、ぎゅっと唇を噛みしめてから、力強く言う。 「……んっと、えっと、その……ハイ、わかったですね。確かにケイトは、ちょっと変わった猫でしたね。抜け毛は飛び散らないし、トイレも使わないし、それにあたしの言葉がわかってるみたいでしたね。でもでもっ、普通の猫でなくても、ケイトはケイト、あたしの友達ですね!」  彼女は涙目でそう宣言し、用意された緑茶を一気に飲み干してから、プハァと息を吐き、口元を拭って気合を入れる。そんな少女を見て、図らずもタツミとアオイが同時に頷く。あまりにもぴったりな動きだったので、ソージは吹き出しかけたが、グッとこらえる。ともかく、彼女が精神的に持ち直してくれたのは喜ばしいことだ。クセの強すぎる奴だが、それなりに頑張ってる所だけは評価してやるべきだな。そう考えながら、ソージは続ける。 「ご理解いただけたようで何よりです。私の言動に配慮が欠けていたことを、重ねてお詫び申し上げます。未熟な点も多々あるかと存じますが、どうかご容赦下さい」  まずは謝罪だろうと頭を下げてみたものの、オキナはすっかり立ち直ったらしく、明るい調子で言う。 「いえいえ、不良のソージ先輩にしては、ガンバッてると思うですね!」 「!……ケッ、そいつぁ、ありがとよ!」  ソージは苦笑しながら、不良少年として礼を述べると、渡頼場所長として表情を改める。 「……よろしい、では続けましょう。なぜ、虚人のケイトがミス刻藤に託されるのが、合理的な判断であるかという理由、でしたね。……まず、虚人という存在についてですが、虚人とは幻想時代に魔法使いの護衛として生み出された、人間もしくは生き物の姿をした自律可動式の魔導構築物です。大前提として、どれほど巨大な力を持っていても、虚人は主である魔法使いには絶対服従するように創られているのです」 「なるほど、ですね」 「さらに言うと、虚人は通常、魔法使いから供給される魔力を糧に、存在を維持する必要があるのです。魔力が尽きれば、虚人は体を維持出来ないので、魔力を持った主の存在が必須なわけです」 「なるほど、ですね」 「?……ミス刻藤……失礼ですが今の説明で、おわかりいただけたのですか?」 「え?……えっと、その、んっと、いえ……スイマセン。ゼンゼンわかってないですね」  しどろもどろに返答する少女。ソージもいい加減、彼女のペースを理解しているので、平然と話を続ける。 「ここが重要な点のため、詳細に説明させていただきます。魔力というのは大別すると、魔導現象を視る……認識する能力と、魔導現象を発現させる能力に分かれます」 「魔法を視る力と使う力、ですかね」 「そう、その通り。魔導現象を発現させる力を制御するためには訓練が必要ですが、認識する能力は、魔法使いの資質がある者ならば、生まれながらに持っているものです」 「魔法が視えれば、使えるのですかね?」 「魔導現象を認識出来ることが大前提で、その能力から得た情報を元に、魔導現象を発現させるという流れです。厳密に言えば、光学的に見ているのではなく、異なる次元の領域を精神的に認識しているのですが……ともかく、魔法使いとなる絶対条件は、魔導現象が発現する反映領域と呼ばれる異次元空間を視る能力を持つことなのです。その資質さえあれば、訓練次第で魔法使いになれる可能性があるわけです。おわかりですか?」 「……なるほど……!……い、いえ、その、まだ良くわからないですね」  そこでタツミが助け船を出す。 「つまりね、オキナちゃんには魔法使いの素質があって、ペットとしてのケイトの主であると同時に、虚人としてのケイトの主にもなっていた、ということじゃないかな?」 「……そういうことだな」  タツミは早々に理解したようだが、オキナはまだ飲み込めていないようだ。せわしなくあちこちへ視線を向け、どうやら自分についての情報であると認識してから言う。 「あうっ……あ、あたしが魔法使い、なのですかね?」 「そうなる資質があると申し上げております。あなたにはしばしば、他人に見えないものが視えていたはずだ。それこそが。魔導現象が発生する、反映領域を認識する能力なのですよ」 「あたしだけが視えるもの……あれが魔法、なのですね」  ここまで説明すれば、さすがに理解出来たようだ。実際、昨日は彼女の能力のおかげでソージ自身が助けられている。非常に不快だが、事実は事実だ。  苦々しい想いを振り切るように、ソージは「実際にやってみましょう」と言いながら、意識を集中する。右腕に魔力を収束させると、オキナが目を見開く。 「ミス刻藤には視えていると思いますが、タツミとミス帝田には見えていないはずです」  タツミが「何も見えないね」と答え、アオイも「うん」と頷いた。もう一点、非常に重要な事実があったが、そこにはあえて触れずにおく。必要になってから告げれば良いことだ。 「では、これでどうでしょう?」  そう言って、ソージは再度意識を集中すると、彼の右手で黄金に輝く銃のような構造体が顕現する。 「今度はボクにも見えるよ」  タツミの言葉に、アオイも頷く。二人とも、魔法に関しての基礎的な概念は知っているはずだが、話を合わせてくれているようだ。  ソージは軽く手を振り、銃のような構造体を分解消去する。 「これは、呪紋魔力(グリフレゾン)と呼ばれる、魔導能力者でなければ視えない、立体魔法陣です。黄金に輝いていたのは、光学的に見えるようにするための、追加魔法を発動した結果です。これは本来、呪紋魔力(グリフレゾン)を発動させるためには、不要な処理なのです。見えない物を意図的に着彩し、目で見える姿にしたわけですね」  ウンウンと納得しかけたオキナだが、ふと何かを思いつく。 「あれ?……でも、ケイトには、そういう変なものが視えたことはないですね」  ソージが答える前に、タツミが言う。 「さっきソージが、虚人の中には探知魔法にも引っかからない物があるって、言ってたよね」 「あっ……そうですね。だから、気づかなかったんですね」 「ミス刻藤。確かに、あなたには魔法使いの資質があります。しかし、そのための訓練を受けているわけではない。それが先ほども申し上げた通り、ケイトを託す相手として合理的な理由、なのですよ」 「?……スイマセン、まだわからないですね」 「そうですか……では、これでどうでしょう? 魔力の供給源として、ケイトの主になれるだけの魔導的資質を持ちながら、ケイトを使いこなすだけの能力を持たない人間、つまりミス刻藤に託すのが望ましいことだった。この説明で、ご理解いただけますか?」 「あたしが、ケイトを使いこなせないのが良かったんですね?」 「ええ、そうです」  オキナはフンフンと頷きながら、わかったような、わからないような表情をしている。理解してくれたことを期待する。 「じゃぁ逆に、オキナちゃんがケイトを使いこなすことが出来れば、何が出来るんだい?」  タツミの野郎、理解が早いのは良いが、こっちが言いにくいことばかっり聞きやがる。そう思いながら、ソージはしばらく間を置いて、答える。 「……虚人にも様々な種類がありますが、探知魔法に全く引っかからない物となると、幻想時代の物でも、ごく限られます。少なくとも、愛玩用としては高性能すぎる」 「では、何だと?」と、タツミ。  ソージは一瞬ためらいを見せるが、覚悟を決めて告げる。 「……おそらくは、兵器の類でしょう」、と。 「……」  一同の間に、冷えた重苦しい空気が流れる。沈黙のとばりを、タツミが破った。 「もし、それが本当なら、欲しがる人は多いだろうね。“そういう”虚人って、他にもあるの?」 「全世界でも、まっとうな研究施設に数体。軍で使われているって話もな。裏市場で取引されている噂もあるが……」 「なるほどねぇ……何となくわかったよ」  オキナの手前、はっきりとは言いづらかったが、タツミは察してくれたようだ。  魔法探知を回避出来る、“そういう”虚人の用途が、兵器の中でも主に、暗殺用であることを。  タツミの言葉を受けて、オキナが眉根に皺を寄せて問う。 「……何でお父さんは、あたしにケイトをくれたんですかね?」  当然の疑問。しかし、ソージには彼女を満足させるだけの正確な情報を、提示することが出来なかった。 「大変申し訳ないが、私の兄とミス刻藤の父上との間に、どのような経緯があったのかは不明です。ケイトの入手経路も同様です。手がかりとなる情報は、現時点ではほとんどありません。今後の調査次第で明らかになる可能性がある、としか申し上げられません」 「むぅ、よろしくお願いするですね」 「ご期待に添えるよう、微力を尽くします」 「ちょっと、いいかな?」と、タツミの問い。彼にしては珍しく、不安そうな表情をしている。 「何だ?」 「それでボクたち、このままケイト探しを続けて大丈夫なのかなぁ? ケイトが迷子の猫じゃなくて、幻想時代の……魔導兵器だとしたら、その筋の連中が……あっ!……もしかして、昨日の調査の時に介入して来た奴も……」  察しの良いタツミがいると、話が早いな。 「あぁ、これからその話をするつもりだった。昨日のダブルプラスクライによる調査時に介入してきた存在だが、我々の敵対勢力と考えて間違いないだろう」 「ハァ……やっぱり、そうなるわけだねぇ」 「それってナニヤツ、ですね?」 「この点についてもケイトの件と同様、確定情報はありません。情報が錯綜しているため、現在も調査中です。ですが昨夜の攻撃には、我々の調査を妨害し、同時にこちらの情報を入手しようとする意図がありました。残念ながら、昨夜の一件で、こちら側の情報が一部漏洩した可能性があります。おそらく連中も、ケイトの正体が虚人であることを知り、我々に先んじて捕獲しようとしていると考えるべきでしょう」 「そ、そんな謎っぽい人たちに、ケイトは狙われてるですね!」  すかさずタツミが指摘する。 「オキナちゃん……それを言うなら、ケイトだけじゃなく、ボクたちも狙われる可能性があるんだよ」 「!……そんな……それは……そうかも、ですね」  ソージとしても、その危険を告げないわけには行かなかった。 「タツミの言う通り、敵対者が存在する以上、今後も調査を続けるのであれば、我々の身にも危険が存在します。さらに申し上げれば、よしんばケイトを発見、保護出来たとしても、普通の猫ではない以上、その後の扱いは慎重に行う必要があることは覚悟しておいて下さい」 「はうぅ、大変なコトになってるんですね」 「ええ。最善を尽くすつもりですが、我々の手に余る場合もあります。そこでミス刻藤に、あらためてご確認したいのですが、リスクをご理解いただいた上で、本件の調査を今後も継続される意志はありますか?」  ソージに問われ、オキナは困惑顔で固まっている。彼自身としても、継続の意欲はあったが、危険を承知で依頼を続行するか否かは、クライアントの判断に委ねる他ない。  答えあぐねている少女の横で、タツミの発言。 「質問だけど、オキナちゃんがケイトの魔導的な主として契約しているなら、なぜ姿を消したんだろう? 契約が切れた、もしくは切られたという可能性は?」 「失踪理由も不明だ。しかし、契約に関してはミス刻藤が意図的に打ち切らない限り、勝手に切れることはないし、第三者が意図的に断つことも難しいな」 「じゃぁさ、たとえばだよ……オキナちゃんの魔力でここへ呼び寄せたり、それが無理でもケイトの様子を知ることって、出来ないかな?」  タツミの質問に、オキナが目を見開く。確かにそれが可能なら、事態は遙かに好転するだろうが……。 「ある程度の術者であれば、それは可能だろう。虚人には、そういった使い魔的な機能もあるはずだ。しかし、先ほど申し上げた通り、ミス刻藤には魔導的才能はあっても、しかるべき訓練を受けていない。魔力の供給源以外の、双方向通信機能は設定されていないようだ。現状、ミス刻藤とケイトの間に、魔力的な繋がりは一切ないな」  一瞬浮かんだ望みを絶たれ、オキナは失望の色を濃くする。 「つまり、契約は今も生きていて、本人以外の誰かが解除するのは難しい、と」 「そういうことになるな」 「とすると、ケイトは魔力の供給源であるオキナちゃんから離れてて大丈夫なのかなぁ? 電池切れと言うか、エネルギー切れになる心配は?」 「魔力の供給については、とりあえず大丈夫だ。猫程度の大きさなら、消費念量……時間当たりで消費する魔力は、たかが知れている。何年先はわからんが、少なくとも一年ぐらいは自身に蓄えた魔力で稼働出来るだろう。数ヶ月以内にミス刻藤の元に戻せば問題はない」 「それは大丈夫なのか……」  一通りの質問を済ませると、タツミは黙って考え込む。  オキナも同じように考え込んでいるように見えるが、こちらはあまり、思考がまとまらない様子。チラチラと、タツミの様子ばかり伺っていた。  やがて、タツミは「なるほどねぇ」とつぶやくと、一同に告げる。 「……だったらさ、調査を止めても進めても、オキナちゃんの身に危険があることに変わりないんじゃないかな? 誰かがケイトを手に入れても、オキナちゃんとセットでないと価値はないわけでしょ。だったら……このまま調査を進めるべきじゃないかな? どちらも危険なら、よりケイトを取り戻せる可能性が高い選択をすべきだよ」  熟慮しただけあり、方針としては悪くない。 「なるほどな。だが、我々で調査を継続するとなると、ミス刻藤の護衛も考えなければ……」  それが一番の問題のはずだったが、タツミは当然のごとく言う。 「それならボクがやるよ!」、と。 「いえ、そんな……そこまでしてもらっちゃ悪いですね」  唐突な申し出に目を白黒させるオキナに、タツミはいたずらっぽい笑みで言う。 「オキナちゃんは、ボクの腕を知ってるだろ? 護衛役としてなら、そこそこ役に立つと思うけどなぁ」  大した謙遜ぶりだ。ソージは、素手でタツミ以上に腕の立つ人間を知らなかった。タツミは依頼者側の人間なので、こちらからは依頼しづらかったが、護衛役として申し分ないだろう。  騎士役を買って出られた姫役のオキナは、頬を両手で押さえ、うるんだ瞳でタツミを見つめる。 「ひぁうあ……あぅあ……あう、はう、その、とっても嬉しいですね。!……とゆ〜コトは、ケイトを探してる間中、ずっとタツミ先輩といっしょってコト、ですかね?」 「そうだね。なるべく一緒にいるようにしよう」 「そっ、それは素敵に無敵にスバラシイですね!」  異様に盛り上がる二人に呆れつつ、ソージが言う。 「あ〜、こらこらテメェら、勝手にハナシ進めんじゃねぇよ。それでミス刻藤、調査は継続という認識でよろしいですか?」  大事な確認のはずだったが、肝心のクライアントは上の空のまま、断言する。 「ハイですね、そうですね、もちろんですね、よろしくお願いするですね!」 「ボクからも、よろしくお願いするよ!」 「ケッ、わかったよ、やるだけやりゃいいんだろ、畜生! ハァ……」  二人の軽すぎるノリに頭を抱えつつも、ソージは調査が一歩前進したことを実感していた。ソージとタツミの二人で護衛をすれば、オキナの身は何とか守れるだろう。調査を継続出来る目途は立った。だが、今のところ具体的に調査の役に立つ情報は皆無。さて、どうしたものか……。  ソージが今後の方針を思案していると、先ほどからずっと黙ったままだったアオイが、自身のエルグノートに何やら書き込みをしているのに気づく。  何をしているのかね? ソージがそう訊ねようとした矢先。アオイは「うん」と小さくつぶやいて、エルグノートを閉じる。直後、事務所の奥の方で、電話のベルが鳴った。アオイは素早く、応接スペースの隅に置かれた子機電話の受話器を取り、ワンコールで回線を繋げる。 「はいっ、暮らしに魔導を提供する、渡頼場架空事務所ですっ……」  その途端、オキナとタツミは浮かれるのも忘れ、驚愕の表情を浮かべて彼女を見た。ソージには、二人の驚きが良く理解出来る。アオイの声音は、普段の低い声とはまったく違う、明朗快活なものに変貌していた。まるでエルグ社提供の胡散臭い番組に出てくる犬耳美少女、アオイのような口調であった。 「……はいっ、ご連絡ありがとうございますっ。ただいま所長の渡頼場と代わりますので、少々お待ち下さいっ」  彼女は後頭部に突き刺さるような高いトーンで一気に喋ると、送話口を手で押さえ、ソージに受話器を差し出しながら告げる。いつもの低いトーンで。 「所長、刻藤さんのお父さんから……」 「!……あ、あぁ。ありがとう、ミス帝田」  ソージは、予想を上回る早さで、望む人物からの連絡があったことに困惑しつつ、受話器を受け取った。アオイが、魔導ネットワークを使って連絡をつけてくれたことは想像がつくが、具体的にどうやったかまではわからない。だが、手段はともかく、今は情報収集が先決だ。彼は驚き顔のオキナに向かって、任せろと言う意味で頷く。通話の録音ボタンが押されていることを確認し、深呼吸を一つしてから、送話口を覆った手を離す。 「はい、お電話代わりました、所長の渡頼場です」  受話口の向こうからは、工事現場のような騒音と共に、中年男性の声が流れてくる。 『やあやあ、どうも、渡頼場さん。刻藤ジアンですよ、お久しぶりですな』  砕けた調子の声。脳天気な所が、娘のオキナと通じるものがある。 「大変お世話になっております。早速ご連絡いただき、大変恐縮です。ですが、その……私は渡頼場ソージと申しまして、先代所長である渡頼場ソーイチの弟、なのですが……」 『いやいやいや、それはわかっとりますよ。ソーイチ君が、その事務所にいるわけがない。あたしゃソージ君、君とも五年前にお会いしとるのですが、覚えとりませんかな?』 「?……大変失礼ですが、私にはミスター刻藤とお会いした記憶がございません。よろしければ、いつ頃お会いしたのか、お教え頂けますでしょうか」 『アレ?……あっ、そうかそうか、そうでしたな。自分がソージ君に会ったのは、君が入院している時で、その時ソージ君はベッドの上で昏睡状態でしたな。覚えているワケがない……こりゃまた失敬ですな。ワハハッハッ!』  昨日までのソージなら、そこでブチ切れて乱暴な口調になる所だが、オキナとの対応でいくらか耐性が出来ていた。込み上げる怒りを飲み込んで、冷静に応対を続ける。 「……そうしますと、私にはミスター刻藤と面会した記憶はない、という認識でよろしいですね。娘さんからのご伝言を受けられたかと存じますが、娘さんの飼い猫のケイトが行方不明でして、その件について調査を行っております。それで……」  ソージが状況を説明し終える前に突如、受話器の向こうからガリガリという雑音が聞こえてくる。 「もしもし、もしもし、ミスター刻藤、聞こえますか?」  雑音に混じって、ジアンの声が途切れ途切れに聞こえた。 『……面倒に…………てましてな。ケイト……となら、…………あの噴水へ…………てはどう……かな?』  その直後、通話は途切れてしまう。  アオイの方を見ると、彼女は自身のエルグノートで何やら確認してから、ソージに向かって首を横に振る。どうやら再接続は不可能らしい。  ソージはアオイに受話器を返し、依頼者二人に向き直った。  不安そうにオキナが問う。 「お父さん、何て言ってましたね?」 「実際に聞いていただいた方が早いでしょう。ミス帝田、再生してくれたまえ」 「うん」と、返事をしながら、アオイは録音テープを巻き戻し、再生を開始する。ソージとジアンのやりとりが、子機電話の外部スピーカーから流れた。  一通り聞き終えると、タツミは若干、呆然としながら言う。 「え?……あのさ、オキナちゃんのお父さん、大丈夫なのかな?」  問われた娘はしかし、平然としたもの。 「あ、それは平気ですね。あたしのお父さん、トラブルに巻き込まれやすいですけど、危機回避能力に優れてるですね。いつものことだから、てんでヘッチャラですね!」 「それはまた……随分と特殊な危機回避能力だねぇ。いや、大丈夫ならそれで良いんだけど」  あまりにも突っ込み所満載なオキナの発言に、さすがにのタツミもどう反応すべきか悩んでいるようだ。冷えた緑茶をひと口すすってから、しみじみと言う。 「……何と言うか、その……いかにもオキナちゃんのお父さん、という感じだねぇ」 「そ、そうですかね? あたしは意外に、シッカリ者ですね!」  じゃ、テメェの標準設定はウッカリ者なのかよ? わかってんじゃねぇか!   という暴言は内心に留め、ソージは告げる。 「お聞きの通りミス刻藤のお父上から、大変貴重な情報を得ることが出来ました」 「貴重な情報って言うと、最後の“あの噴水へ”って奴?」と、タツミ。的確に指摘してもらえると、話が早い。 「そうだ。ミス刻藤の父上が、私と面識があるという情報と合わせると、噴水という単語で思い当たる場所が一箇所だけあります。早速、現地へ向かおうと思うのですが、お二人にもご同行願いたい。よろしいですか?」 「あたしは、構わないですね」 「ボクも構わないけど……でもオキナちゃんは不用意に外出させない方がいいんじゃない? 魔法絡みならソージだけでも……」  皆まで言わせず、ソージは告げる。 「確かに危険はあるでしょう。ですが、今回の件に魔導が関わるのであれば、是非ともミス刻藤には同行していただく必要があります」 「……理由を説明してくれるよね?」  タツミに言われるまでもなく、そのつもりだ。可能な限り言いたくはなかったが、この事実を告げなければ仕事が進まない。せっかく見えた、解決の糸口を失うわけには行かなかった。ソージは可能な限り冷静に、だが、あふれ出る苦々しさを隠し切れずに告白する。 「なぜなら私には……魔力を視る能力がない、からです。私は魔法使いですが、魔導構築物を認識出来ない、魔導的な盲目という後天的なハンディキャップを負っています。ですから私には、魔導認識能力を持つ者の助けが……ミス刻藤の協力が必要なのです」  ソージの告白は、オキナとタツミを沈黙させた。言葉なき世界の中で、アオイだけが黙々と応接スペースの片付けを開始している。不愛想な助手が、いつも通りに仕事をこなしてくれることに、ソージは無言で感謝した。  環状七番街と散状二番街が交わる交差点の中央に、みすぼらしい老人の像が建っている。人生の労苦を刻みつけたような、皺だらけの顔と手足。伸び放題の髭。貴族が身にまとうような、上物の上着を羽織っているが、まるで似合っていない。さながら、浮浪者が拾った上着をそれと知らず、暖を取るためだけに身に纏っているかのような印象。それでいて眼光だけは鋭く、眼下の中央街をじっと睨みつけていた。  台座のプレートや観光ガイドには、憂いの老人像とだけ記載されているが、実はバリオン市国の建国者、リオン・バッサートルムの姿を忠実に再現したものだとされる。幻想時代の終焉後、廃墟となったこの都市を復興し、バリオン市国の基礎を築いた建国王は、今も人々からの尊敬を集めている。  彼は自身の肖像画や立像を創ることを、死後も永久に禁止する法を残してしていた。そのため、やむなく後代の人間が、当時は街はずれだった環状四番街に、建国者に良く似た立像を建てたという逸話がある。非公式な像ではあるが、英雄性よりも写実性を重視したというだけあり、建国王の息遣いまで聞こえそうなほど、見事な出来栄えだ。本人にとっては迷惑千万かもしれないが、おかげで千年後の人々も、建国者の姿を間近に見ることが出来る。建国者の姿を伝えるとされる像は、市国内ではこの一体であるため、観光バスの巡回コースに必ず組み込まれるほどの定番スポットとなっていた。  その、憂いの老人像からほど近い場所に、目指す噴水はある。地図上の距離は老人像から近いものの、実際にこの場所へ至るためには、古い街並みの中を縦横に走る路地を幾本も経由する必要があった。やってきたのは、オキナ、ソージ、タツミの三人。アオイは一人、事務所で待機している。エルグノートでソージと連絡を取り合い、必要に応じて電子演算装置でサポートを行う手はずになっている。  近くまでは、昨日オキナとタツミを渡頼場架空事務所まで乗せた、おばさんドライバーのタクシーで移動し、そこからの案内は、ソージ自らが行う。彼は複雑な路地を、迷うことなく進んで行く。  オキナは数回角を曲がっただけで、位置も方角も見失ってしまった。エルグノートで現在位置と戻りの経路を検索出来るので、仮にはぐれたとしても何とかすることは可能だろう。だが、申し訳程度の街灯に照らされた薄暗い路地を、一人で歩きたいとは思わない。オキナは、前を行くソージの背中を追うので精一杯だったが、最後尾のタツミが、何かと彼女の様子を気にかけてくれるだけで、随分と気が楽だった。  長く単調な道を歩き続け、ようやく目的の噴水広場へたどり着く。  外灯に照らされた広場は、何とも奇妙な空間だった。ひと気のない、三方を高い塀に囲まれた正方形の敷地中央に、水の涸れた石造りの噴水が一基。以前は豪華な造りだったようだが、今はかなり風化が進んでいる。噴水の周りは、割石が乱雑に敷き詰められた、石畳になっている。幻想時代末期、今から千年以上前に造られたと言うが、それにしては良く原型を留めている。以上が、目で見た印象。  一方、魔法使いの目であるという、反映領域認識能力で視ると、印象は一変する。オキナが意識を集中すると、石の噴水に重なるように、魔導構築物の噴水が視えた。魔法の噴水は風化も破損もなく、突端からわずかながら液体のような――だが、明らかに液体ではない何かが噴き出している。  噴水の前でソージがオキナに問う。 「ミス刻藤にだけは視えると思いますが、石の噴水に重なるように、魔導構築物の噴水が存在しているはずです」 「……ハイ、視えるですね」 「石の噴水から、水は噴き出していませんが、魔導構築物の噴水からは、微弱ながら魔力が噴出しているでしょう?」 「ええっと……何か小さな玉っぽいのが、じゃらじゃら出てるですね」 「それが、反映領域に存在する魔力の源である、根源たる魔力(オートムレゾン)です。他に、何か舞っているようなものは見えませんか?」 「ぬん……?」  そう問われてよくよく観察すると、確かに何か、光る球体のようなものが浮かんでいる。手を近づけてみるが、するりと手を避けて行く。熱くはないようだ。  光る球体は噴水の周囲に三つほど舞っている。 「なんか、フワフワ光ってるですね」 「それは妖精と呼ばれる魔法生物です。噴水から吹き出す魔力が呼び寄せたのでしょう。私にはもう、視ることは出来ませんが」 「……所長さん、本当にコレが視えないんですね?」  問われたソージは苦笑しながら答える。 「ええ、残念ながら。ミス刻藤、あちらをご覧下さい……割石が一個、なくなっているでしょう?」  オキナは噴水から十歩ほど歩き、彼が指し示す場所へ行ってみた。そこだけ、ぽっかりと割石の一つがなくなっており、代わりに土が詰められている。少し窪んでいるため、気づかなければ躓いてしまいそうだ。 「……コレ、何なんですかね?」  オキナの後に続いてきたソージが、感慨深げに窪みを見つめながら答える。 「それが五年前、私から反映領域に対する認識力を奪った罠の痕跡ですよ」 「わっ、罠ですねっ……」  ソージの隣でタツミが指摘する。 「それって、危険じゃないのかい?」 「その痕跡に関しては、問題ない。この魔導遺跡は、専門家が何度も調査しているが、オレが見つけた妖精捕獲器(スプライトトラツプ)以外は、何も発見されていないからな。もし何か見つけた場合は、決して手を出さず、私に教えて下さい」  さらに問うタツミ。 「で、その、妖精捕獲器ってのは何?」 「自然物……ここでは割石に偽装した、魔導構築物なんだが、半端に能力のある奴が、魔力で干渉しようとすると、正体を現してそいつをショック死させるのさ」 「所長さん、ソレに引っかかったですね?」 「結果的にそうなります。私は見つけただけで、最初に引っかかったのは、知り合いの妖精ですがね」 「お友達の妖精さんを、救助したんですね」 「それほど立派なものではありません。気づいたら助けに入っていただけですよ。冷静に考えれば、命を賭ける価値のある行為とは言えないでしょうけど」 「でも、助けたかったんですね!」 「……ええ、まぁそうです。あの時の私にとっては当然の行為でした。結果として、私は魔法使いの正道を征くことは出来なくなりましたが、あの妖精を助けたことに後悔はありませんよ」  そう言い切る表情は、実に晴々としたものだ。 「それでソージ、この広場に何があるのさ? 専門家が何度も調査してるんだろ。いまさら何を探せばいいのかな?」 「確かに、価値のあるものが発見されたという記録はない。けどよ、オレが妖精捕獲器に引っかかって倒れた所を、兄貴が見つけて病院へ運んでる。さっきの電話からすると、ミス刻藤の親父は、その時オレに会っているらしい……つまりオレが担ぎ込まれる前後に、ケイトを手に入れる何らかの出来事があったはずだ。その上、意味深に噴水なんて単語が出てくれば当然、ここに何かあると考えるべきだろう」  確信めいたソージの言葉に、オキナは不安を覚える。 「そ、それはそうかもだけど、今まで見つかってない何かが、急に見つかるですね?」 「可能性は低いかもしれない。だが古来より、この広場には隠された意味があると考えられてきたのも事実です。こんなひと気のない場所が、いまだ取り壊されずに残っているのが、何よりの証拠です。……ミス刻藤に、あらためてお願いしたいのですが」 「ハ、ハイですね」 「あなたの感覚で、この広場を視て欲しい。専門家ではない、あなたの感覚が何らかの手がかりを見つけるかもしれない。私も、自分なりに再調査をしてみますので」  真剣な表情のソージ。魔導的な調査を素人に依頼する。それが魔法使いにとって、とてつもなく屈辱的な行為であることは、オキナにも想像がついた。  そして、自らを犠牲にしてまで妖精を助けたという、五年前のソージの判断は、危険を覚悟した上でケイトを探す、現在のオキナの判断に通じるものがあるように思えた。損得ではなく、助けたいから助ける。それで良いのだ。  その気になったオキナに、タツミが微笑みながら頷く。それが嬉しい。 「わかったですね。自信はないけど、いっちょ調べてみるですね!」  ソージに了解の旨を伝え、オキナはあらためて広場を視わたした。  ケイト、必ず見つけてあげるですね!  あなたの感覚が何らかの手がかりを見つけるかもしれない……などと、我ながら調子の良いことを言ってはみたものの、ソージもいきなり、素人が重要な手がかりを発見出来るとは思っていなかった。それでも、期待せずにはいられないのが辛い所だが、自分だってポンコツながらもプロの魔法使いなのだ。今の能力で調査出来ることを考えてみる。  肩に力を入れまくりで、噴水広場を歩き回るオキナと、その後ろを漂々とついて歩くタツミを横目に見ながら、ソージは涸れた噴水の縁に腰かける。五年前の自分も、尻尾つきの妖精とともに、あの二人と同じようなことをしていたわけだが……端から見ると、実にアホっぽいな。  などと思いつつ、ソージは黒い革表紙のエルグノートを開く。最初のページに、メッセージありと表記されている。送信者はアオイ。内容は、噴水広場に関する、魔導ネットワーク上での調査結果だ。このレベルの情報収集なら、ダブルプラスクライを使うまでもない。架空紙に浮かび上がる文字情報に、ざっと目を通してみる。  この噴水の正式名称は、アソムの泉と言う。石造りの噴水はエウクアイ=アソム、魔導構築物の噴水はシアイ=アソムと名付けられ、区別されている。  この千年で、何度か大規模な調査がされているが、シアイ=アソムが、エウクアイ=アソムに重なって存在する、魔導的な噴水であるという以上の発見はないようだ。  この魔導噴水は、バリオン市国近傍を流れる魔力流を源泉としており、湧出量は年々減少傾向にある。しかし、これは反映領域上の架空世界全体の傾向であるため、特筆すべき現象とは言えない。  シアイ=アソム以外に発見された、唯一の魔導構築物が、五年前にソージが身をもってその威力を体験した妖精捕獲器。これについても記録はされているが、その後に新たな発見があったという情報はない。つまり、妖精捕獲器は何かを隠したり守ったりするために存在していたわけではない、ということ……だが、本当にそうなのだろうか?  記録にないだけで誰か、たとえば兄ソーイチが何か、たとえばケイトを見つけた可能性もある。そのケイトが行方不明なのだから、ここに手がかりがある可能性は十分あるはずだ。記録上は、何もなくともだ。  だが、仮に何かが隠されているとして、この噴水広場に千年間も、何をどうやって隠すと言うのだろうか? 物理的な意味で、地中に何かを埋めたわけでも、魔導的な意味で、何かを隠蔽したわけでもないとすると、一体……。  ソージがあてどなく資料と実物を見比べていると、オキナとタツミが寄ってくる。オキナの方は少し、やつれているようだ。 「進展はありましたか?」  あったら、そんな疲れた顔はしねょよな。……という予想通り、オキナは残念そうに告げる。 「期待の新人さんなあたしでは、なにも見つけられなかったですね」 「期待の? ……い、いや、そうですか。ありがとうございます。他に何か、気づいたことはありませんか?」 「えっとですね、アヤシイ何かもないですし、ケイトがここにいたっぽい雰囲気もないですね……ただ、ですね……」 「ただ?」  オキナは、口に出してはみたものの、あまり自信はないという感じで続ける。 「なんかこの場所、なつかしい感じがするですね」 「ここへ来るのは初めてですよね。似たような場所を知っているとか?」  物質的な建造物と、魔導的な構築物が重複して存在する魔導遺跡自体は、それなりの数が現存している。オキナが以前にも同じような場所に親しんでいてもおかしくはない、が……。 「そうではないですね……んっと、えっと、その……上手く説明出来ないですが、ホッとすると言うか、暖かいと言うか、頭を撫でられてるような感じがするですね」 「それは、魔導的にですか?」 「?……えっと、良くわからないですね。スイマセン」  魔導的な訓練を一切受けていない彼女に、物理的な感覚と魔導的な感覚を切り分けろというのも酷な話だ。ソージは質問を変えてみる。 「では、目を閉じて、両耳を塞いでみて下さい。それでもなお、そのなつかしい感じはしますか?」 「ハイ、やってみるですね」  オキナは指示通り目を瞑り、両手で耳を押さえた。フラフラしてバランスを崩しそうになるが、すかさずタツミが背後から支えてやる。 「タツミ先輩、ありがとうですね。……ええっと、あっ、魔法の噴水が視えるですね。石畳も、何となく形がわかるですね。それで……ハイ、やっぱり、この広場からなつかしい感じがするですね」 「タツミ。ミス刻藤に、もう耳を塞がなくて良いと言ってくれ」 「了解。……オキナちゃん、もう良いみたいだよ」  タツミに耳元で優しく囁かれ、オキナは一瞬、身震いしてから両耳を塞いだ手を離し、ゆっくりと両目を開ける。 「ど、どうですね?」  問われたソージは、率直な感想を述べる。 「理由はわかりませんが、おそらくは魔導的な何かが、なつかしいという感覚を生み出している可能性が高いでしょう。やはりここに、何らかの手がかりが存在する可能性があります。今日はもう遅いので、明日あらためて調査を……って、何だ、オイ?」  話の最中、唐突にオキナが近づいて来る。彼女は困惑するソージの眼前まで来ると、おもむろにしゃがみ込み、下半身をまじまじと見た。 「どうしたの、オキナちゃん?」  さすがにのタツミも、彼女の行動が理解出来ないようだ。  オキナはソージの下半身の一点を見つめながら言う。 「所長さん……ズボンに何か、ついてるですね」 「え?……ズボン、ですか?」  そう指摘されて、ソージは黒いスーツのズボンを見る。オキナが指さす先──左足の太股の内側に、小さな四角い何かがある。白と黒の縞模様が印刷された、バーコード。夕刻の事務所での一件で、アオイが貼っていた備品管理用のバーコードが一枚、ソージのズボンに貼りついていた。 「あぁ、それは、ミス帝田が……」  アオイが貼っていたものが、貼りついただけ……そう答えようとしてソージは動きを止める。 「!!……」  バーコード、だと? 「ソージ、どうした?」 「なにかわかったですね?」  二人の問いを無視して、ソージはズボンに貼りついたシールを乱暴に剥がす。途中で半分に千切れてしまうが、構うものか。分断された白黒の縞模様をつなぎ合わせ、じっくりと見る。  バーコードとは、縞模様の太さで、特定の情報を記載したものだ。魔導的な技術は使われておらず、法則さえわかれば誰でも解読出来る。それと同じことではないか?  物理的な意味で、地中に何かを埋めたわけでも、魔導的な意味で、何かを隠蔽したわけでもない――が、法則を知らなければわからない暗号が、物理的に存在するとしたら? 目が見える者ならば、誰もが認識することが出来る暗号情報……それは、魔導的な感覚を有する者にとって、盲点となり得るのではないか?  ソージは目を見開いて、広場を見渡す。中央に噴水があり、周囲に割石の敷き詰められた広場があり、一点、妖精捕獲器の痕跡だけが、染みのように空白地帯となっている。もしかしたら、過去にもこの法則に気づいた者はいたかもしれない。だが……。  ソージはエルグノートを開くと、メッセージ送信のページを開き、送信者にアオイを指定してから、口述筆記の欄にチェックを入れる。 「ミス帝田、そこにいるか?」  ソージがエルグノートに向かって喋ると、メッセージ欄に彼の言葉がテキストとして表示される。音声認識の内容が正しいことを確認してから、「送れ」と告げると、メッセージが送信される。  数秒待つと、アオイから『うん、いるよ』とテキストによる返信。問題ないようなので、ソージは続ける。 「ミス帝田に指示。これより魔導演算装置(ダブルプラスクライ)を起動する。電子演算装置(ターブルロンド)の接続準備。調査対象は、アソムの泉周辺の割石。……送れ」  今度はしばらく間があり、返答メッセージが返ってくる。 『ターブルロンドの接続準備は完了してる。調査内容を、もっと詳しく教えて』  それからソージは、自身の考えを簡潔に漏れなく伝える。数度、メッセージをやりとりすると、アオイも彼の意図を理解したようだ。最後に『やってみる、ちょっと待って』と返信し、沈黙する。  横で聞いていたオキナにはまったく理解出来ず、タツミも完璧には理解出来ないという感じで問う。 「ソージ、どういうことなのか、ボクやオキナちゃんにもわかるよう、教えて欲しいなぁ」  正直、説明している時間が惜しかったが、これも仕事のうちと割り切って、魔導演算装置ダブルプラスクライの架空と平行して解説することにする。少し待って欲しいと断って、呪紋魔力の基本管制システムである、グロスを脳内で起動。次いでデモンワイズベースの魔導演算装置、ダブルプラスクライを解析モードのスクリプトにて起動させる。魔導的感覚の喪失したソージには、意識下に転送されるはずの状況イメージが一切伝わって来ないが、感覚喪失前の経験と勘、およびエルグノートによる補助を頼りに、呪紋魔力の架空を進める。エルグノートに転送した起動ログが正常に流れ、ダブルプラスクライの架空を指定した噴水の辺りで、微かに物理的な鳴動が聞こえるので、問題はないだろう。あとの処理はグロスに任せて、ソージは二人に解説を始める。 「お待たせしました。現在、ダブルプラスクライを起動中で、ミス帝田には調査のための準備をしてもらっています。ミス刻藤、視えますか?」 「ハイ、どんどん組み立てられてますね」 「結構。具体的な調査項目ですが、広場の割石を再調査させます」  怪訝そうにタツミが問う。 「え?……ソージが以前に見つけた罠以外、割石に魔法的な何かはないはずじゃ……」 「いや、魔法的にではなく、物理的に解析する。もちろん、地面に何か埋まってるとかじゃねぇぞ」 「んじゃ、何を調べるですね?」 「二人とも、これを見て欲しい」  そう言って、ソージは千切れたバーコード片を見せる。彼は半分に切れたバーコードをエルグノートに貼り、ズボンのポケットから小さなナイフを取り出して、横に細長く切り分けた。それを一枚ずつ剥がしながら、手の平に並べていく。貼る時は、ずらしたり左右を入れ替えたりして、ランダムな模様になるようにする。そうすると、元は縦縞模様だったものが、小さな四角形を組み合わせたモザイク模様に変化した。 「あっ……」と、タツミが声を上げる。どうやら理解出来たようだ。まだ理解出来ていないオキナのために、ソージは解説する。 「この白黒のモザイク模様ですが、ご覧の通り、細長いバーコードを縦に並べたものです。この模様の一行ごとに異なる意味を持たせれば、普通のバーコードよりもたくさんの情報を書き込めるはずです。ここまでは、ご理解いただけますか?」 「えっと、その、う〜ん、細いバーコードをたくさん並べると、書き込めることが増えて、シマシマじゃなく、モザイクになるですね」 「そうそう、その通り。この理屈なら、モザイク模様に意味のある情報を持たせることが出来るはずだ」  すかさず、タツミの指摘。 「つまり、この広場の噴水に仕掛けがあるのではなく、割石の地面の模様そのものが、意味のあるモザイク模様じゃないか、と言いたいわけだね。魔力の噴水は、魔法使いに対してはやたらと目立つけど、それ自体には意味がなかった。物理的な割石のパターンを解析すれば良いだけだ、と」 「そういうことだが、ここに魔導的な仕掛けがなかったわけじゃない」 「それは……」 「すぷらいととらっぷ、ですね」  タツミが答える前に、オキナが正解を出す。コイツ、魔導的なセンスは悪くねぇな。ソージはエルグノートのページを繰り、アソムの泉の上面図を表示させる。 「ミス刻藤の指摘は正しい。これをご覧下さい。泉を中心とした正方形の割石の模様から、妖精捕獲器の痕跡を除く。そして、この状態の上面図を細かく区切り、割石の専有面積から白と黒に塗り分け、解析します……ほどなく結果が出るはずなので、少々お待ち下さい」  ダブルプラスクライの起動を完了したソージは、アオイの操作でアソムの泉の割石を再調査させる。現代の割石の配置から経年劣化分を差し引き、幻想時代当時の状態を再現。その上で、妖精捕獲器が占有していた部分を除去し、意味のあるモザイク模様として解読を試みる。解読するためのロジックが不明のため、膨大な試行錯誤を必要としたが、量子計算が可能なダブルプラスクライをアオイが適切に操作することで、数分後に解析作業は終了した。  ソージは噴水の縁に腰かけて休憩していた、オキナとタツミを呼ぶ。  タツミは平然としているが、オキナはキョロキョロと周囲を見廻し、おっかなびっくり歩いてくる。理由は想像がつくので、ソージは気にせず説明を再開した。 「解析の結果、やはりこの割石が形成する模様には、数学的な意味が隠されていました。この模様を解析可能な状態にするためには、妖精捕獲器が擬態した割石の部分を除去してやる必要があります。つまり、私が魔導的な盲目状態となることと引き替えに発見した妖精捕獲器は、取り除くことで割石が形成する模様に正しい意味を与える、という役割があったわけです」  ソージの説明に、タツミが呆れたように言う。 「それじゃつまり、魔法の噴水じゃなく、目に見える割石に意味があることに気づかなければ解析しようがないし、気づいたとしても、妖精捕獲器というノイズを取り除かなければ正しく解析出来ないし、ダブルプラスクライ級の魔導演算装置と、アオイちゃん並のオペレーターがいなけりゃ、解読も出来ない、と。随分手の込んだ仕掛けだねぇ」 「模様の読み方がわかってりゃ、ここまで苦労はしねぇさ。ここが怪しいって情報以外は、手がかりナシで解析したから、面倒だっただけだ」 「なるほどねぇ、それが出来る、ソージとアオイちゃんが凄いのか」  そこでオキナが、もう我慢出来ない、という感じで問う。 「そそそ、それより、なんか広場イッパイに樹の枝が広がってますね。コレ、大丈夫ですね?」  彼女は謎解きよりも、反映領域下でダブルプラスクライから架空させた、情報樹が気になるようだ。 「私には視えませんが、ミス刻藤にだけは、ダブルプラスクライから生じた情報樹が、地面一杯に展開する様が視えているはずです。おそらく、樹にうずもれたような感覚だと思いますが、これは攻撃魔法ではないので、人体には無害です。お気になさらずに」 「や、やっぱだ、だいじょぶ、ですね。そ、そうだと思ってたでっす……ゼンゼン、ヘッチャラですね!」  と言いつつも、彼女は腰が引け、ぎゅっとタツミの腕にしがみついている。なまじ反映領域を認識出来るばかりに、怖れる必要のないものが気になるとは皮肉なことだ。  そんな彼女に優しく微笑みかけてから、タツミが問う。 「で、そのモザイク模様を解析して、一体何が出てきたのさ?」 「もうすぐだと思うが……おっ、来たぜ。こいつは……」  アオイから転送されてきた解読文は、魔導ネットワーク上に存在する情報の住所を示す文字列、統一資源位置指定子だった。しかもこれは、現在主流の魔導ネットワーク、テンレットフーのものではなく、幻想時代から使い続けられている、シナプスワンと呼ばれる回線の書式。早速アオイに指示し、アクセスさせてみる。エルグノートに転送された情報を見ると、指定された接続先は、国際魔力(レゾン)協会や世界冒険者組合といった、幻想時代より存在する組織の情報網。その中で、一見すると未使用領域と思われる箇所に、指定の方法でアクセスすると、隠された情報を取得することが出来るようだ。情報は複数箇所へ分散しており、単独では意味を成さない。得られた情報を結合、解凍、復号することで、意味ある情報となるようだ。千年間、魔導ネットワーク上に分散して秘匿されていた、情報へのアクセスコード。それこそが、アソムの泉に隠されたものの正体だった。  しばし後、集められた情報が整理されてソージたちのエルグノートに送られてくる。表示されたのは、魔導構築物の三面図。翼のない航空機械のような形状だ。細長い胴体の前部に太い円筒形のエンジンのようなものがあり、尾部に垂直尾翼のようなものがついている。 「コレって、何ですね?」と、オキナ。当然の疑問だ。 「魔法の一種、なのかな?」と、タツミ。的確な見解だ。  ソージは情報にざっと目を通してから、所見を述べる。 「これは……デュウ・アイオダイン=スパイラルダガーという、貫通能力を重視した攻撃用呪紋魔力。幻想時代末期に開発された野戦魔法です。試作品でしょうか。記録には残っていないタイプです……少々失礼します」  そう断ってから、ソージはアオイに、このスパイラルダガーが今の自分に使用可能であるか調査し、可能であれば起動イメージを作成するよう依頼する。魔導管制システムである、グロスことグリフレゾン・オペレーティングシステムは、古今の様々な系統の魔法を擬似的に再現し、管理することが出来る。グロスで使用可能な起動イメージさえあれば、幻想時代の野戦魔法も、現代魔法と同様に使用出来るはずだ。  アオイからの、『やってみる、少し待って』というメッセージを受信した所で、ソージは再び二人に向き直る。 「スパイラルダガーを、私が使用出来る形式に変換するよう、ミス帝田に依頼しました」  オキナが良くわからない、という調子で訊ねる。 「えっと、あれ? ここにケイトの居場所の手がかりがあるはずじゃ? 何で攻撃魔法が出てくるですね?」  まっとうな疑問だ。ソージは頷きながら言う。 「ええ、確かに不可解です。それを調べるためにも、実際に起動させてみようと思うのです」  そこでタツミが、微妙に立ち位置を変えながら問う。 「なるほどね。それは良い考え……だと思うけど、彼らはどう思うかな?」  そう、言い終わる頃にはすでに、オキナを庇う位置にいる。一瞬後れてソージも気づく。この広場の入口が、複数の男たちに塞がれていることを。連中には見覚えがある。エルグ社とエルジオーグを否定する、反愚と呼ばれるグループの構成員たちだった。  眼鏡の大男が不敵な薄ら笑いを浮かべながら、高らかに告げる。 「蒙昧なる偽造神の犠牲者諸君、ごきげんよう!」、と。  昨日噛んだ舌の傷が、疼(うず)く。  オキナは眼鏡男を見るなり、反射的に噴水の影に隠れ、視線を逸らしてしまう。彼女は昨日、圧倒的に自分が正しい立場であるにもかかわらず、あの眼鏡男に、良いように論破されてしまっている。そのショックは、自分で思っている以上に大きかったようだ。  けれど、負けっぱなしは悔しいとも思う。オキナは勇気を振り絞り、恐るおそる視線を戻す。  眼鏡男の腕には包帯が巻かれ、顔には絆創膏が貼られている……タツミに手ひどくやられた傷跡だが、それであの時の恐怖と屈辱が薄れるわけではなかった。  ソージが前に進み出て、眼鏡男以上に芝居がかった調子で言う。 「ようこそ、反愚の皆さん。万人に望まれぬ舞台へようこそ! わざわざ醜態を晒しに来られるとは、よほどの好事家とお見受けします」  場違いに朗らかなソージの悪意に、反愚の男たちは一瞬たじろぐが、リーダーである眼鏡男だけは平然と切り返す。 「エルグの亡者よ、歓待は無用。貴兄らに招かれずとも、自ら客演を買って出るまで。大義のためならば見事、浅薄な悪漢をも演じ切ってご覧に入れよう。……我らが目的は、一つ。そこの金髪小娘を、こちらに引き渡してもらうことだ!」  そう言い放ちながら、眼鏡男は聖者の救済ばりに、力強くオキナに手を差し出す。異様な情熱にぎらつく瞳に、彼女は震え上がった。  ソージもまた、敵対者に臆することなく言い返す。 「私どもの業務は、調査依頼の他にクライアントを守ることも含まれます。無血譲渡はあり得ないことを、お忘れなきよう……ケッ、にしてもテメェ、どっから情報仕入れてきやがった?」  不意に口調を荒げるソージに、眼鏡男は眉をしかめる。 「おや? 汝は幾分、諧謔(かいぎやく)を嗜む者かと思ったが、なんだ、単なるチンピラか。存外つまらん奴だ」 「そうかい? そんなに、つまらねぇチンピラを哀れに思うなら、情報の一つも教えちゃくれねぇか?」  そう懇願するソージの口調はしかし、卑屈さを装った露骨な嫌味に満ちている。眼鏡男は気勢を削がれた様子で言う。 「フン、馬鹿にしおって……まぁ、良かろう。そこなる娘が、我らが大望の一助となるであろうことは、善意の第三者より得た情報だ」 「ケッ、善意の第三者とはまた、ブチ上げたもんだな。じゃ、その善意の第三者様とやらは、アイツがエルジオーグのマスターコードを知ってることまで、教えてくれたのかよ?」  ……アレ? なんか、変な話になってるですね。オキナが疑念を持った直後、不意に眼鏡男は語気を荒げる。 「!……何だと! その娘は、偽造神を意のままに使役する言魂を有するというのか!」 「あぁ、業界じゃ有名な話だろ。エルグを自由に操れる、デバッグ用のマスターコードが消されずに残ってるってな。何だ、善意の第三者様は、一体何を教えやがったのさ? おおかた、小遣い稼ぎにしかならねぇ、カスみてぇな情報なんだろうな」  衝撃的なソージの情報に、反愚の男たちも一様にざわつき始めた  眼鏡男は渋面を真っ赤にして吐き捨てる。 「クッ、娘が虚人の主なれば、高値で引き取るのも道理だと思ったが、それどころではないということか。随分と舐められたものだ……!」  そう言った直後、眼鏡男は一瞬だけ目を見開くと、歪めた顔はそのままに、口を左右に引き絞る。どうやら、笑顔のつもりらしい。 「ク……ククク。面に泥を塗られた屈辱は認めよう。だが、汝には感謝すべきだな。どういうつもりか知らんが、その情報の真偽がどうであれ、我々が娘を確保すべき理由を補強しただけではないのか? 総身に知恵が廻りかねているようだな」  勝ち誇る眼鏡男に、ソージは肩を震わせる。オキナからは後ろ姿しか見えないが、こちらも笑っているようだ。 「何がおかしい、と一応聞いてやろう」  律儀に浅薄な悪漢の義務を果たす眼鏡男に、ソージもまた、肩を震わせたまま律儀に答える。 「ハッ、ハハハハハッ……処理が終わるまでの時間稼ぎ。それだけでも十分だってのに、そっちが虚人目当てってことまでわかったんだからな。チンピラのハッタリから引き出せる結果としちゃ、十分すぎるだろ? え? 反愚の旦那!」 「なっ、まさか今のは……」  眼鏡男の台詞が終わるより早く、ソージは振り向き、オキナたちの方へ全力で駆け出す。  入れ違いに、タツミが飛び出した。黒い四つ編みとスカートの裾を翻しながら、神速で間合いを詰める。目標は眼鏡男だったようだが、さすがに取り巻きが立ちはだかる。  直後、タツミが舞うように一回転すると、三人の反愚がふわりと宙に浮く。足を払ってバランスを崩しただけだが、無防備に石畳へ落下すれば、それだけで十分な打撃となる。  機先を制されつつも、眼鏡男は檄を飛ばす。 「我に構うな! 目的は金髪娘のみ。何があろうと、確保優先!」  その言葉に奮い立ち、鉄パイプや木剣を持った十数名の反愚の男たちが、「うぉう!」と叫びながら、タツミを無視して特攻を開始。  ほぼ同時に、噴水の裏側に隠れて様子をうかがっていたオキナの元へ、ソージがやってくる。 「ミス刻藤、大丈夫ですか?」 「だっ、だいじょぶ……じゃ、ないですね」 「申し訳ないが、しばしの辛抱で……」  そう言った直後、二人の眼前に鉄パイプを持った髭面の男が迫る。ソージは反射的に髭面の顔を殴る。髭面は、折れた歯を撒き散らしながら吹っ飛ぶが、さらに眉毛の太い反愚が、木剣で突きかかった……が、突きよりも速く、タツミの蹴りが太眉の手に当たり、あらぬ方向に木剣を飛ばす。そこへ三人の反愚がそれぞれの得物を同時に振り下ろす……が、タツミはわずかに得物を振り遅れた、ニキビ面の男へ突進し、片手で鉄パイプの軌道を逸らせながら背後を取り、回し蹴りで押し込む。タツミと入れ替わったニキビ面は、体勢を崩しながら味方二人の攻撃を受け、同時に自身の鉄パイプを突き込んでしまう。そこにタツミが逆進し、三人に止めの一撃を加える。しかし、反愚たちは同士討ちにも怯まず、タツミが背後へ移動したのを幸いに、オキナの元へと殺到する。個人の能力ではタツミが圧倒的に上だったが、素手で対応出来る人数は限られていた。  さらに数名の反愚がオキナの面前に到達するが、ことごとくソージが殴り、蹴り飛ばす。タツミほど神懸かった強さではないものの、最後の砦は思った以上に堅固だった。ソージを攻めあぐねた反愚たちを、タツミが次々と背後から打ち倒して行く。 「撤退っ!」  背後で督戦していた眼鏡男の指示。残った五名の反愚が撤退を開始。最後尾は、左腕をあらぬ方向にねじ曲げられた長髪の男。長髪男はよろよろと歩き、石畳に躓いて倒れる。しかし、長髪男は倒れた衝撃を無視し、残った右手で懐から拳銃を取り出して、構えようとする。すかさずタツミが飛び出し、拳銃を蹴り上げた。思わずソージも飛び出しかけるが、それをタツミが鋭く制す制す。 「オキナちゃんから離れるな!」  敵はすべて撤退している。守られるオキナ自身、なぜソージが離れてはいけないのか理解出来なかった。その理由は直後に判明する。 「動くべからず!」と、野太い叫び。  突如背後から、太目の大男が率いる反愚の男たちが五人、出現した。それぞれに拳銃やライフル銃を構えている。噴水広場は入口である一方向以外は、高い塀で囲まれているはずだった。しかし、良く見ると反愚たちの出現した塀の一部が長方形に切り取られ、数人がいっぺんに通れる入口が出現している。ついさっきまで、確かにそんなものはなかった。  最背面で守られていたはずのオキナはしかし、今は敵対者が構える銃口の最前面にいる。眼鏡男が勝ち誇ったように告げる。 「動けば娘を撃つ。静止状態を保て!」  苦々しげに、ソージ。 「畜生、穿孔魔導器か……やりやがる。けどよ、目的の娘を撃っちまって、どうすんだよ?」  問われた眼鏡男は、凄惨な笑みを浮かべる。 「汝らの戦闘能力の高さは理解している。結果を惜しんで敗北するぐらいなら、潔くこの手で打ち壊すのみ」  平然と言い放つ瞳のぎらつきは、それが嘘偽りのない決意であることを物語っていた。  ソージは石畳に唾を吐き、小さく首を振って言う。 「ケッ……依頼者の生存優先だ。好きにしな!」  そんな、ヒドイですねっ! と言いかけて、オキナは五つの銃口に狙われていることを思い出す。見捨てられたのではない。今この瞬間に撃ち殺されるよりはマシ……と、ソージは判断したのだ。 「よし、娘を確保」  眼鏡男の指示に、動ける反愚の男たちがオキナの元へと歩み寄る。  一歩近寄られるたびに、彼女の全身から冷や汗が吹き出す。  なぜ、自分がこんな目に遭うのだろう? 虚人だか何だか知らないが、たかが猫一匹のために。  さっさと諦めて、普通に学園生活を楽しんでいれば良かったのだ。自分は何と愚かな選択をしたのか。こんなくだらないことのために、こんなくだらない連中のために、命を危険に晒す価値など、まったくないと言うのに。  もう、嫌ですね……勘弁して欲しいですね!  そう言いたかったはずなのに、実際に彼女が口にした言葉は、違った。 「待つですね!!」  オキナの声音は、本人が思った以上に大きく、思わず反愚たちは動きを止める。彼女は続けて言う。 「あ、あたしは魔法使いですね! あたしに近づくと黄金の枝で、みんな動けなくするですね!」  無我夢中で叫び、エルグノートを開き、指ででたらめな模様を描く。自分が何のために何をしているのかわからなかったが、こうすることが一番だと、直感的に思えたのだ。 「テメェの好きにしな……ケツはオレが持つぜ」  ソージが小声でそうつぶやいたことが、彼女の漠然とした考えを確固たる確信に変える。  そう、これしかないですね! 「何をしている? 娘は動いた。さっさと撃て! ……い、いや、撃つな、その娘が術者だという情報など……」  眼鏡男の命令が錯綜する。  太目男とその部下たちは、不明瞭な判断に戸惑い、動きを止める。  その瞬間、オキナはエルグノートを振り上げた。 「枝よ〜、出るですね!」  大げさな身振りで彼女が叫んだ瞬間、噴水広場全体に樹木を思わせる黄金の構造体が出現する。先ほどまで、オキナだけに見えていた反映領域上の魔導演算装置であるダブルプラスクライと、そこから生じた情報樹が、彼女の演技に合わせ、ソージの力で目に見える姿に着彩されたのだ。突如、魔法の樹木に捕らわれた……ように見える反愚たちは、パニックに陥る。  そこですかさず、ソージが告げた。 「おいおい、派手に動くと大変なことになるぜ。オレたちも、迂闊に動けないんだからな」 「そ、そうですね。みんな動いちゃ怪我するですね!」 「何を馬鹿な……こんなもの、ただの幻覚だ。物理的な効果など……ない」  そう言いつつも、眼鏡男は一歩も動かない。いや、動けない。  さらにタツミが畳みかける。 「本当にそう思うのかい? ならやってみればいいよ……ボクはご免だけどねぇ。ホラホラそこ、うっかり倒れたら、一生後悔することになるよ。たちまち終わる一生かもしれないけど」  反愚の一人が、バランスを崩してふらついていたが、タツミの指摘に驚き、辛うじて体勢を立て直す。  誰もが動くに動けない十数秒が経過。  オキナ自身も、これからどうすべきなのか、まったく見えていない。  沈黙を破ったのは、ソージ。雑談レベルの軽い調子でタツミに問う。 「タツミさぁ、テメェが自分より弱い集団を一人で相手にする場合、真っ先に倒すのはさ、一番強い奴と、一番弱い奴の、どっちだ?」  問われたタツミもまた、軽い口調で返す。 「そうだねぇ。こちらより実力では劣っても、数で勝る連中を相手にする場合、いかに効率良く相手の戦意を削ぐかがポイントだと思うよ。最初に倒すのが、強い奴か弱い奴かじゃない。真っ先に倒すことで、もっとも集団の戦意を喪失させられる奴から、倒すべきだろうね。団結力の弱い集団なら、一番強い奴かリーダー格の奴を倒せば、後は勝手に逃げ出すだろうし、団結力の強い集団なら、リーダー格を倒しても、残った他の連中が復習に燃えて襲いかかってくるか、ナンバーツーへ指揮権が引き継がれるだけだから、一番弱そうな奴から倒して、少しでもこちらの強さを印象づけるかな。たださ、リーダーが指揮官として優秀なら、リスクを背負っても、先に倒してしまった方が良いかもしれないね。理想を言えば、今回は最初に指揮官を倒すのがベストだったね。で? ……ソージなら、どうするんだい?」 「オレか? そうだな、オレなら……圧倒的な力で、ねじ伏せるぜ!」  ソージの言葉と共に、黄金に輝く情報樹が一気に霧散する。その直後、情報樹の根本に当たるダブルプラスクライも消滅。 「あうっ」と、オキナが奇声を上げた時、すでに彼女はタツミの手に引かれ、ソージの側まで移動している。  オキナの認識する世界の中で、魔力の噴水から吹き出す根源たる魔力(オートムレゾン)がソージの傍らに吸い寄せられて、急速に新たな魔導構築物が形成されて行く。  我に返った眼鏡男が叫ぶ。 「射殺しろ! 全員だ!」  直後、太目男に率いられた五人の反愚が、オキナたちへ向けて発砲する。乾いた音が、五発。  咄嗟にオキナを庇うように立つ、タツミ。しかし、オキナが反射的に閉じた瞳を再び開けた時、弾丸はいまだ空中に留まり、静止していた。オキナの魔導感覚では、三人の眼前に展開された魔力の干渉壁が、静止した弾丸から何かを吸い取っているように視えた。数瞬後、五発の弾丸は地面に落ちる。防御用の魔法、なのだろう。  ソージが吠える。 「魔力がフルで使えりゃ、銃なんざ怖かねぇ!」  そして、新たに形成された呪紋魔力──さきほど資料で見た野戦魔法、デュウ・アイオダイン=スパイラルダガーが、目に見える黄金の姿に着彩される。翼のない、小型の航空機を思わせる姿。機首に据えられた円筒形の魔導機関が始動し、独特の叩音(こうおん)を上げて先端部に魔力を収束させる。細長い胴体を経て、垂直尾翼のような後部の屹立が微弱な魔力を放出し、魔導構造体全体を細かく制御して照準を調整する。その延長線上には、眼鏡男が定められていた。  金色に輝く猛々しい魔導構造体に反愚たちは皆、一様に圧倒されている。  さらに数発、反愚たちから散漫に銃が発砲がされたが、いずれも魔力の壁に阻まれた。  タツミが言う。 「さて……ソージはキミたちのリーダーを狙っている。仮にリーダーを犠牲にしても、ボクやソージを倒して、対象を確保するのは困難だと思うけどねぇ。それでも、まだやるかい?」  実力に裏打ちされたその言葉は、眼鏡男を除く、反愚の男たちすべてに向けられていた。タツミに睨まれた反愚たちは、目に力を失い、次々と武器を地面に落とす。広場の出口近くにいた禿頭の男が「うわぁ!」と叫びながら逃げ出すと、残りの男たちも次々と噴水広場から立ち去ろうとする。 「逃げるな! 露骨な逃走行為に及べば……」  眼鏡男の静止も聞かず、出口に殺到する反愚たちだが、しかし、彼らは逃走を完了する前に次々と、糸の切れた操り人形のごとく地面に倒れてしまう。  オキナには視えた。倒れる直前、男たちの背中から人の上半身のような魔導構造体が出現し、手に持つ鎌で、首を断ち斬るような動きをしたのを。実際に首が落ちたわけではないが、倒れた反愚たちはピクリとも動かない。 「痴れ者どもめ……心を折るから、刈られるのだ」と、眼鏡男がつぶやいた。  もはや、この場に立っている反愚は、眼鏡男と太目男の二人み。  唸りを上げるスパイラルダガーの照準を眼鏡男に向けながら、ソージが言う。 「何だか知らないが、随分とお仲間が減ったようですな。ちなみに、警察へは助手から通報済みです。このまましばらくお待ち下さい。にしても、本当に最後までケチな悪漢を演じ切るとは、なかなかどうして、見事な客演でした。私、大変感動しましたよ」 「ど、同志……一体、どうすりゃいいんです?」  辛うじてこの場に踏みとどまった太目男が、不安げにリーダーへ問う。 「クッ、うろたえるな……まだ手はある!」  眼鏡男は歯ぎしりしながらも腹心の部下にそう答えてから、ソージに向き直る。 「汝……その攻撃魔法は、かなりの威力を持つ呪紋魔力と見た。されど、本当に撃てるのか? 市街戦用としては、威力がありすぎるのではないか? 背後の民家にまで被害が及ぶぞ」  その指摘に、ソージは余裕の対応。 「……かもな。けど、テメェも逃げ出せば、お仲間みたいになるんだろ? オレが魔法をブッ放せねぇとしても、そっちの銃は効かねぇし、殴り飛ばしも出来ねぇ。テメェらに出来ることはもう、あんまねぇはずだぜ」  眼鏡男は返す言葉がない……が、かわりに別な対象へ問いかける。 「そこの娘、汝がこの者たちの依頼人であろう!」、と。 「!?……あ、あたしですね?」  話を急に振られ、目を白黒させるオキナ。そこへソージが割って入る。 「待てよテメェ。交渉すんなら代理人のオレと……」 「黙れチンピラ! 我は本件の代表者と直接交渉を要求する。三下の出る幕ではないわ!」 「んだと、コラ……!」  ソージが言い返すよりも早く、少女が一歩前へ出る。  素早くタツミが背後を守り、ソージもあえて止めはしなかった。  その時のオキナは、確かに恐怖を感じていたし、混乱もしている。しかし、それでも前に踏み出した。なぜなら、ここで踏み出せなければ、大切な何かに一生立ち向かえない気がしたから。自分がか弱い少女であっても、無知で無力な人間であっても、昨日のような、あんな惨めな思いだけは、二度としたくない。先輩たちの見せた力と勇気を、ほんの少しでも見習わなければ。今度は舌を噛むわけには行かなかった。  だからオキナは、眼鏡男にまっすぐ視線を向けて、問う。 「な、何でそんな、ヒドいことばかりするですね?」  眼鏡男は、したり顔で答える。 「エルジオーグが憎いからだ。汝の力が何であれ、存分にエルグ潰しの役に立ってもらう」 「憎いって、何か恨みでもあるですね?」 「我よりすべてを奪った存在だからだ……この怒りを理解してもらおうとは思わんが」  オキナはエルグノートを振りかざして叫ぶ。 「わからないですね。こんなに便利なモノなのに。嫌いなら、使わなければいいだけですね!」 「偽造神に魂まで売り渡した者は、皆そういうのだよ」  偽造神という言葉に、オキナはハッと息を飲む。眼鏡男は、エルジオーグを否定しているはずなのに、なぜかずっと、小さな違和感があった。彼女はその漠然とした違和感を、渡頼場ソージの言葉を借りて相手に叩きつける。 「エルジオーグは神じゃない、ですね」、と。  眼鏡男は、当然とばかりに切り返す。 「当たり前だ。偽造されたものが、神のわけがない」  そこでようやく、オキナは違和感の正体に気づく。 「っ!?……偽物でも何でも、あんたはエルジオーグを神様扱いしてるですね。じゃぁ、ホンモノの神様って何ですね?」  自身の言葉に、あらためて納得するオキナ。確かに、偽造された神が存在するなら、眼鏡男にとっての神が、どこか別に存在するはずだ。  眼鏡男は微かに狼狽する。 「それは……そのようなことに、答える義務は、ない」  あまりにも見え透いた、不用意な言い逃れ。その弱腰を見逃さず、ソージが叫ぶ。 「なら、かわりに教えてやるぜ──オーヘイ、それがテメェの神の名だ!」  粗暴な指摘に、眼鏡男はあからさまな動揺を見せる。顔色が変わり、汗が吹き出し、体がふらつく。何も答えずとも、それが正鵠を射た答えであることは明白だった。 「くぬっ! ……な、なぜその名を知っている……」 「やっぱりな。昨日、オレたちの魔導ネットワーク上での調査に介入してきた奴の送信元を解析したら、潰れたはずのオーヘイからだった。最初、何かの冗談かと思ったぜ。どんなドス黒い願いでも叶える、オーヘイの裏プラン。こいつぁ、エルジオーグのマスターコード並に、メジャーな都市伝説だからな。胡散臭すぎて、まだ依頼人にも説明しちゃいねぇが……テメェ、本当にエルグに負けた、哀れなエセ神様の信奉者かよ!」 「貴様、オーヘイを愚弄するか!」 「あぁ、愚弄でも何でもするさ。そいつが何であれ、単なるシステムを神格化する奴を、オレは認めねぇ。それに、さっきのは何だよ……オーヘイはいつから、呪いの類になったんだ? こんなもん、プランですらねぇ!」 「クククク……オーヘイはエルジオーグに先んじて、より実効性のある姿に進化したのだよ」  そう言って眼鏡男は腕に巻かれた包帯をむしり取る。そこには、〈Oh-hey〉という文字をデザイン化した、痣のような刺青のようなものが浮かび上がっている。 「オーヘイのロゴマーク、か」と、ソージ。 「いかにも。これぞオーヘイプランに身を捧げた者の証。我が神の定めたプランに反すれば、呪詛が発動する。呪詛に刈られるとわかっていれば、嫌でもプラン通りに行動するからな。汝も、その大層な魔法を撃ちたければ、撃つがいい。オーヘイに身を捧げた者は、我だけにあらず。だが我は、最後までオーヘイの意に従うまで!」  眼鏡男はそう言い捨てると、ソージを無視してオキナに突撃しようとする。  ……が、いつの間にかタツミが眼前に立ちはだかり、視線だけで動きを完璧に押さえ込む。そして、にっこりと微笑んでから、告げる。 「確かにキミたちは頑張ったよ。でもこれ以上は、足を引っ張らないでくれるかな?」  直後、眼鏡男はタツミに鳩尾(みぞおち)を突かれ、ヨロヨロと後ずさる。 「な?……き、貴様、グワァァァ」 バランスを崩した眼鏡男は、唸りを上げるスパイラルダガーの先端、魔力の集積部分へ突っ込みそうになる。 「っぶねっ!」  咄嗟にソージが蹴り返したため、直撃は回避するが、眼鏡男はわずかながらエネルギーの余波を受け、煙を吹きながら倒れる。その時、オキナは見た。眼鏡男が地面に到達する寸前、背中から鎌を持った人影が出現して首を刈る、例の動きを。 「また、刈られたですね……」 「うぐグくっ!」  オキナがつぶやくのと、タツミが最後に残った太目男を昏倒させるのが、ほぼ同時だった。 「?……ミス刻藤、刈られたとは何にです?」 「えっとですね……」  ソージに問われ、オキナは逃走を図る反愚たちが次々と倒れた時に見た、魔法的な人影について説明する。これと同じものが、最後に眼鏡男が倒れる直前に見えたことも。 「それは、私やタツミに倒された反愚たち……いや、そうじゃない。一番最後に倒した、その、太った大男にも見えましたか?」 「ぬふん?……ずっと視てたわけじゃないから、ハッキリ言えないですが、そっちの太った人には見えなかったですね。他に倒された人も同じですね。見えたのはみんな、逃げた人たちばかりですね」 「裏プランに逆らった奴限定、なのか? そう、ですか……ありがとうございます」  彼女が説明を終える頃、倒れた反愚たちの様子を見て廻っていたタツミが戻って来る。 「倒れた連中に、致命傷を負った奴はいないみたいだよ。オキナちゃん、怪我はない?」  四つ編みの黒髪を揺らしながら、端正な目鼻立ちの魅力を何倍にも引き立たせる、魅惑の微笑を浮かべるタツミ。顔がほてるのを感じつつ、オキナは答える。 「ハイですね。またまた、タツミ先輩に助けてもらったですね」 「オキナちゃんこそ、随分頑張ったじゃない。助かったよ」 「先輩に褒めて欲しくて、頑張ったですね!」  安堵する二人とは別に、ソージは倒れた眼鏡男と太目男を不審そうに見比べている。 「……倒れる前に、心が折れた、だと……?」  そんなつぶやきが、オキナにも聞こえた。眼鏡男の最後に、何か不審な点でもあるのだろうか? 他に変わったことはないかと、彼女が周囲を見廻すと……。 「……!」  オキナの視線の先にある呪紋魔力、スパイラルダガーが、奇妙な音を上げながら、急速に姿を変じつつあった。唄うような、鳴くような、軋むような音と共に、収束した魔力が機関部から細長い胴体に流れ、そこから枝葉が生じるように新たな枠組みが構築される。その速度は、金色に着彩する処理が追いつかないほどだ。数秒遅れで、ソージやタツミも異変に気づく。  魔力の噴水から、今までの数倍もの魔力が一気に噴出し、呪紋魔力に流れ込む。  一分後。  幻想時代の野戦魔法は、その姿を門扉のような魔導構築物に、完全変形させている。  二、三人が同時にくぐれそうな大きさ。扉には無数の閂(かんぬき)がかけられ、固く閉ざされている。門扉は鋭利な直線を基調としながら、時折、歪んだ曲線を織り混ぜ、独特の調和と緊張感を生み出している。無機的でありながら、どこか生物的な脈動を感じさせた。  呆然としながらソージがつぶやく。 「コイツが最後の関門、だったわけか……」 「何なのさ、コレは?」と、タツミ。 「スパイラルダガーを起動し、一定以上の魔力を集積させると、目的地へ移動するための門が出現するって仕掛けみてぇだな。最後のさいごは魔法力がモノを言うわけさ」 「これって魔法の門、なんですね?」と、オキナ。 「ええ、資料で見たことがあります。これは次元隔壁と呼ばれる、空間転移用の呪紋魔力です。おそらく……」 「ケイトのいる場所へ繋がっているですね!」 「ソージ、本当かい?」 「ええ、間違いないでしょう。ですが、転移先の情報が不明ですから、慎重に事前準備をして……何っ!」  次元隔壁の架空が完了し、門を閉ざす無数の閂が、一つずつ解除され始めた矢先。不意に、門の形が歪み、振動し、崩壊が始める。オキナが周囲の様子を確認すると、異変の原因はすぐにわかった。 「あっ! 魔法の噴水が壊れたですね! 魔力も出てないですね!」  彼女が視る世界の中で、魔力の噴水は折れ砕け、すべてが魔力の粒となって門へ吸収されて行く。噴水の周囲を舞っていた妖精は、いつの間にか姿を消している。無事、逃げ出せていれば良いのだが。  ソージが毒づく。 「念量不足か、畜生! これだから、幻想時代の大魔法って奴ぁ!」  事件を解決する糸口となるであろう魔力の門は、噴水広場周辺に満ちていた魔力のすべてを吸収し、それでも足りずに自壊を始め、やがて消滅する。  後に残されたのは、水の涸れた噴水と割石の敷き詰められた広場──そこに立ちつくす三人と、倒れ伏す十数人の反愚たち。パトロールカーのサイレン音が聞こえ、警官隊と思われる集団の足音が、薄暗い噴水広場へ徐々に近づきつつあった。 つづく     ---------------------------------------------------- elG-org is not God 02 / Wizard of desperate エルジオーグは神じゃない 02/闇雲に魔法使い 2008年3月15日 初版発行 2008年3月30日 2版発行 ---------------------------------------------------- 著 者 郁雄/吉武 発行者 吉武郁雄 発行所 ★Astronaut Web:www.astronaut.jp Mail:info@astronaut.jp (C)2007 Ikuo/Yoshitake Printed in Japan:禁無断転載 ----------------------------------------------------