■エルジオーグは神じゃない 01/樹状情報戦のあらすじ■

 
 魔法文明が衰退し、かわりに科学文明が発展しつつある異世界。独立高山都市バリオン市国では、魔導技術を基盤とする情報端末的な汎用魔導書、エルグノートを使用したエルジオーグというサービスが行われていた。
 イバナム学園中等部に通うエキセントリックな少女、刻藤[コクトー]オキナは、行方不明のペットを探すためにエルジオーグが策定したプランにアサインする。途中、彼女の窮地を救った仮称美人、穂村[ホムラ]タツミと共に、バリオン市国で唯一の、個人で民間に魔法力を提供する渡頼場[トライバ]架空事務所の門を叩く。
 二人を迎えたのは、所長の渡頼場[トライバ]と、助手を務める犬耳美少女の帝田[データ]アオイ。オキナの要請に応じて渡頼場は、魔法によって構築した情報収集用の魔導演算装置、ダブルプラスクライを起動する。アオイのオペレーティングによって、情報樹と呼ばれる、樹木を思わせるビジュアルの情報検索が行われるが、そこへ何者かが介入し、情報樹を破壊して行く。渡頼場とアオイ、さらにオキナとタツミの力をも結集し、壮絶な樹状情報戦が展開される。


■エルジオーグは神じゃない 02/闇雲に魔法使いのあらすじ■


 樹状情報戦を経た調査の結果、刻藤[コクトー]オキナのペットの正体が判明する。彼女のペットである猫のケイトは、千年前に生み出された魔導兵器、虚人[ゴーレム]であった。ショックを受けながらも、それを受け入れるオキナ。
 さらに調査の過程によって、渡頼場架空事務所所長、渡頼場[トライバ]ソージの兄であるソーイチが、今回の件に関わっていることが明らかになる。どうやら兄ソーイチと、オキナの父が、五年前に虚人であるケイトをどこかから連れ出したらしい。
 かろうじて連絡が取れたオキナの父からの言葉を手がかりに、渡頼場ソージ、刻藤オキナ、穂村[ホムラ]タツミの三人は、渡頼場ソージにとっては因縁浅からぬ、噴水広場へと向かう。
 問題の噴水広場は物理的な噴水と、魔導的な噴水が二重に存在する魔導遺跡で、古来より何度も調査が行われていたが、広場に隠された謎はいまだに解き明かされてはいない。
 千年間、魔法の専門家が見つけられなかった謎に、五年前の事件で魔導的なハンディキャップを負いながらも、闇雲に魔法使いを続けている渡頼場ソージが挑戦する。


■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底のあらすじ■


 噴水広場の謎を解き、対象の探索行を開始する渡頼場架空事務所所長、渡頼場[トライバ]ソージと、助手の帝田[データ]アオイ、依頼人である刻藤[コクトー]オキナと、穂村[ホムラ]タツミ、の四人。
 敵対勢力が、かつてエルジオーグに破れた勢力の名を冠する、非合法なシステムにアサインされた者たちであることが明らかになる中、一行は虚人[ゴーレム]である猫のケイトがいると思われる場所へ、魔導的な空間転移ゲートを使って移動する。
 ゲートの移動先は、どこの場所とも知れぬ魔導研究施設。敵対勢力はすでに進入を果たしているようだ。
 施設の奥にある実験施設で、敵対勢力と暴走して魔獣化したケイトが戦っている。敵対勢力はケイトを追い詰めたかに見えたが、施設に満ちあふれた膨大な魔力による再生能力が、攻撃側を上回る。代わって対峙することになる渡頼場ソージたち。だが、真に恐るべき敵は、魔獣化したケイトなどではなかった。

■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 1/8■

 
 穂村[ホムラ]タツミは聞いてみる。
「オキナちゃんはボクのこと、どう思う?」、と。
 問われた少女が、むやみとアタフタしているので、説明を追加する。
「……いや、ごめん。ボクが聞きたかったのは、オキナちゃんがボクの性別を、女か男か、どっちだと思っているか、なんだけど……どう思う?」
 質問の趣旨を理解した刻藤[コクトー]オキナはしばしの間、腕を組み「ウ〜ンっとですね」と、頭をひねってから答える。ちょっぴり、はにかみながら。
「……男の子だったら、嬉しいですね」
 仮称美人にして、女装少年のタツミは少し、驚く。
 断定でも推測でもなく、希望的観測な所が面白い。
「へぇ……。その答えは、期待以上だねぇ」
「……それで、その、せ、先輩ってホントは……」
 期待に瞳を輝かせるオキナを制して、タツミは言う。
「オキナちゃんの期待に応えられるよう、努力してみるよ」、と。
 煙に巻くような、答えになっていない答えに、きょとんとする少女。
 隠すつもりはないはずだが、そう答えたい気分だったのだ――特に、こんな状況の今は。
 
 穂村タツミと渡頼場[トライバ]ソージが出会ったのは、今から一年前。タツミがイバナム学園高等部へ編入された直後のこと。
 当時の彼は、まだ普通に男子生徒の格好をしており、長髪に今と変わらぬ整った顔立ちと、今とは異なる内向的な性格により、転校早々に不良グループから、いじめの標的とされていた。
 タツミは、いわれ無き暴力に対して一切の反撃を行わなかったが、周囲に助けを求めることも、恐喝や恫喝に屈することもなかった。彼の実力をもってすれば、殴られようと、蹴られようと、すべてを受け流し、食らったフリをするのは造作もない。だが、何をされても平然としていることが、かえって彼に対する暴力をエスカレートさせて行く。
 その日、タツミは校舎裏でいつものように、常連の不良グループから暴行を受けていた。適当に殴られ、蹴られる……フリをしていれば、そのうち飽きるだろう。彼は冷めた心で、そう考えていた。
「オラっ! イッちまえよっ!」
 素人にしては、それなりに腰の入った拳。タツミはその動きをじっくりと観察し、頬にヒットした瞬間に旋頚[センケイ]を用い――拳の動きに合わせて首を振り――最小限の衝撃で受け流してやる。こちらはダメージを受けない程度に、相手へ殴る手応えを感じさせてやるのは、これでなかなか難しい。もちろん、それから続く二撃、三撃目も、急所を外した上で、部位に応じて惑腕[ワクワン]報胸[ホーキヨウ]背労[ハイロー]退腹[タイフク]揺脚[ヨーキヤク]といった技を駆使し、衝撃を散らすことを考慮しなければならない。
 それから、十数発の暴打を受け流し、皆様もお疲れのご様子なので、適当に倒れたフリをしていると、校舎裏のさらに奥から、大柄な少年が近づいてくる。
 タツミも見覚えのある彼の名は、渡頼場ソージ。どのグループにも属ない、硬派な不良として知られる。魔導の大家として名高い、渡頼場家と関係があるようだが、象牙の塔に篭りがちな青白い痩躯[そうく]の探求者といった、ステロタイプな魔法使いとは、まったく異なる外見。見た目はまんま、不良の兄ちゃんである。
 タツミとは別な意味で目立つ容姿だが、見かける時は決まって不機嫌で、いつも何かに怒っているような印象があった。これまでの所、ソージはタツミに対しては静観を決め込み、積極的に関わって来ることはなかった。
 だが、その日は違う行動に出る。不良グループの一人が、無言で近づくソージに問う。
「……んっだよっ、渡頼場じゃねぇか。オメェも一発、殴ってみっか? それっとも、一発ヤル気かよ?」
 それを、相方らしいもう一人の不良が小声で制止する。
「馬鹿、やめとけって……メンドーはゴメンだぜっ」
 ソージは不良たちの言葉には耳を貸さず、タツミに近づく。
 最初に話しかけた不良が、続けて言う。
「コイツ、いくらボコッてもケロッとしてやがんだ。最初は薄気味悪かったがよ、まったく抵抗しやがらねぇから……」
「失せな……」
「ハァ?」
「テメェら、失せろっつってんだっ!」
 地鳴りかと思うほどの、大音声。
 それだけで、不良たちは大きく目を見開き、次いで決まり悪そうに視線を逸らす。そして、恨みがましくブツブツ言いながら、肩を揺らして校舎裏を立ち去る。
 それには一瞥もくれず、ソージは冷ややかにタツミを見下ろす。彼の表情には、侮蔑も同情もなく、ただ静かな怒りだけが見て取れた。
 地面に倒れたままのタツミを前に、ソージは傲岸不遜に、「立ちなっ!」と言う。
 タツミはしばらく無表情にソージを見上げてから、ゆるりと立ち上がる。土埃に汚れ、うつむいたままの彼にソージは宣言した。
「今からテメェのツラを、ブン殴るっ。嫌なら殴り返してもいいぜ」
 ……何だ、こいつもただの殴りたがり、か。タツミは先ほどと同じように、旋頚で受け流そうと考える。何発か殴った気分にさせてやれば満足するだろう。
 直後、ソージはタツミの顔面に拳を繰り出す。素人にしては、かなりの練度。プロに習ったことがあるのかもしれない。タツミが知る限り、この学園内では一番の不良君だ。並みの素人が何人束になっても、素手の勝負なら、早々負けることはないだろう。十分に、アマチュア最強を狙える。
 ソージの拳が、タツミの頬にヒットした瞬間。だが、次に来るはずの衝撃がぴたりと止む。ただ、拳の先が彼のなめらかな頬に触れるのみ。寸止めにする気配はなかった。
 そこで、食らいもしない拳に、誤って旋頚を使うようなタツミではなかった。しかし、触れた拳の先にいる、不良少年とモロに視線が合う。
「!……」
 と、不意にソージはタツミの頭を左手で鷲掴みにする。逃れるのは造作もなかったが、なすがままにさせておく。何をするつもりなのか、少し興味が湧いていた。
「ケッ、テメェを殴るにゃ、こうした方が良さそうだな」
 そう言いながら、ソージは左手で頭部をさらに持ち上げ、つま先立ちにさせてから、右手で顔面を殴りつける。
 その一撃は、十分な威力と速さを備えたプロの拳だった。じっくりと観察する余裕はなく、頭部を固定されているため、旋頚も使えない。
 タツミは反射的に、右手刀で頭部を拘束するソージの左手首を打ち払い、頭部の拘束が解けた刹那、迫る拳の威力を旋頚で散らしつつ、そのまま体全体を左旋回させ、浮いた踵が大地を捉えると同時に踏み込み、ソージが引き戻した左腕の下から逆薙ぎの左手刀を頚部に一閃。
 そこまで躊躇なく動いてから、タツミは自分がまったく手加減をしていないことに気づく。
 頚動脈を斬り裂き、敵を血溜りの中で落命させるはずの一閃は、しかし、ソージに達する寸前、不可視の何かに阻まれる。それが魔導防壁の一種であろうと気づいたのは、反射的に飛び退き、距離を取った後だった。
 ゆっくりと、タツミの口腔に血の味が広がる。旋頸では散らし切れない拳により、想定外のダメージを受けていた。
 不敵に嗤うソージ。
「ケッ、良かったな。オレに喧嘩で魔法を使わせたのは、テメェが初めてだぜ」
 困惑したまま応えるタツミ。
「……ボクが、反撃させられたのは、キミが初めてだよ」
 おずおずとした──だが、隠しようのない自負に満ちた返事に、ソージは相好を崩す。焼けつく太陽を思わせる、激しく、それでいて心地好い笑顔だった。
「しっかしテメェ、何者だ? 拳法家か何かかよ?」
 純粋に興味本位の問い。そこに悪意は感じられなかった。タツミは率直に答え、問う。
「この[わざ]は、鳴鈴[メイリン]拳って言うんだ。キミは魔法使い……呪紋魔力行使者[グリフレゾンドライバー]なんだろ?」
 素早い切り返しに、ソージは少し驚いたようだ。若干、間を空けてから言う。
「……オレはしがねぇ架空屋さ。鳴鈴拳、ね……フンッ……まっ、胡散臭い野郎同士ってこったな。オレだって、[]られる危険でもなきゃ、喧嘩に魔法なんざ使うつもりはねぇさ。けどよ、テメェもそんだけ腕が立ちゃ、連中をボコるのなんざワケねぇだろうに。好きこのんで殴られる気が知れねぇな」
 もっともな指摘に対し、タツミは噛みしめるように答える。
「……ボクは……ボクはね、話の通じない相手と、手加減が必要な相手とは、争わない主義だから。それに……」
 そこまで言って、彼はソージの瞳を凝視した。不良少年は、黙ってタツミの言葉を待っている。見下したり、馬鹿にする様子は微塵もない。
 だから続ける。
「……それに、体に痛みはないけれど、確かにボクは傷つけられているよ。ボクを否定しようとする連中の意思は、今もボクの心に冷たく突き刺さっている……」
「……認められてぇのか?」
「いや……友達になりたいとか、そういうんじゃないよ。無視されても、軽蔑されても構わない。逃げないし、従わないし、反撃もしない。そんなボクを否定しないで欲しい……ただ、それだけだよ」
 それが、嘘偽りのない、タツミの本心だ。
 ソージは顔をしかめ、ボリボリと頭を掻く。
「……ケッ、面倒臭ぇ奴だな。そんな調子じゃ、いつまでたっても、ナメられっぱなしじゃねぇか。……そもそも何が原因で、難癖つけられるようになったんだよ?」
「?……多分、ボクの顔が女みたいだからじゃないかな。最初は無視してたけど、だんだんエスカレートしてきてね……」
「ツラが女々しい、だと? だから何だってんだよ。関係ねぇじゃねぇか!」
「それを、ボクに言われてもねぇ……」
「理由なんざ、ど〜でも良いのかもな」
 そこで不意に、ソージは目を見開く。何か思いついたようだ。
「そうか!……だったらいっそ、女の格好してみたらどうよ?」
 唐突な提案に、困惑するタツミ。
「……え?……ボ、ボクが……女装、するの?」
「あぁ、結構似合うんじゃね?」
 最初は冗談を言っているのかと思ったが、どうやら本気らしい。
「う〜ん、それは……考えたことがなかったな。毒食らわば皿まで、ということか。面白いね」
 外見こそ女性と見違うタツミであるが、彼は男尊女卑の気風が強い、古風な家庭で育てられた。そのため、自らが女装するという選択は、想像すらしたことがなかった。
 結構乗り気なタツミの様子に、ソージは戸惑い気味に言う。
「いや……そんな大した考えでもねぇんだが……ま、そういう手もあんじゃねってことよ」
「ううん、実に興味深いアイデアだよ、これは。課題はいくつかあるけど、前向きに検討させてもらうよ……渡頼場君、ありがとう」
「ケッ、ソージでいいさ」
「う、うん……ありがとう、ソージ。ボクはタツミ。穂村タツミ……」
 それが、タツミとソージの出会いだった。
 タツミは翌日から三日間、学校を休む。
 四日目の朝、彼はイバナム学園指定の女子用制服に身を包んで登校する。それは、提案者であるソージですら言葉を失うほどの、美麗すぎる出来映えであった。
 突如出現した美少女に、学園中は話題騒然。さらにそれが美少年であることがわかると、ますますもって話題沸騰。煮沸消毒でも済ませたのか、その日を境に彼に対する不良たちの攻撃はぴたりと止む。
 それが女装の効果なのか、はたまた渡頼場ソージの恋人になったという噂が、まことしやかに流れたからなのかは、定かではない。
 以降、タツミは暴力を振るうことも、振るわれることもなく、穏やかな気持ちで学園生活を送っている。
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 2/8■

 
 バリオン市国中央部、クルサクル湖の南岸に位置する、ユーケイザス第四火力発電所。
 湖畔に四基ある、火力発電所のうちの一つ。そのシンボルとも言える、長大な煙突の頂上付近。そこに設けられた、大きな部屋の小さな丸窓からソージがのぞくと、独立高山都市の東側斜面が夕日に紅く染まり、西側斜面が闇夜に黒く染まりつつある様が一望出来た。擂り鉢状に窪んだ土地を、八つの環状道路と十二の散状道路で区切って造られたこの街は、まるで深皿に蜘蛛の巣を貼りつけたかのようにも見える。
 噴水での一件があった翌日の夕刻。
 渡頼場ソージと助手の帝田[データ]アオイ、依頼人の刻藤[コクトー]オキナと穂村タツミの四人は、煙突の頂上付近にある、魔導排煙処理装置の監視室にいる。監視室内は、発電所のスタッフとエルグ社のスタッフが計十人ほど、元からある監視装置と、新たに持ち込まれた機器の間でせわしなく動く。そして時折、電子演算装置の端末を叩くアオイと、何やら相談をしている。残る三人は、部屋の隅に用意されたパイプ椅子に座り、準備が整うのを待っていた。
 昨夜の一件の後、ソージ、オキナ、タツミの三人は、警察で一通り事情聴取を受けた後、ソージは事務所へ戻り、オキナはタツミと共に、環状二番街八番地に位置する、タツミの実家である鳴鈴拳の道場屋敷に泊まったそうだ。年頃の男女がウンヌンという観点からすると、色々面倒なことになる危険はあったが、敵から物理的に害される危険を考慮すれば、妥当な判断と言えるだろう。
 一方、事務所に戻ったソージはアオイと共に、変形する呪紋魔力[グリフレゾン]について調査を行い、スパイラルダガーから派生する次元隔壁を、安定的に架空させる方法を検討する。
 まず第一の課題は、消費念量が過大な変形後の次元隔壁を、現代の魔導環境下にて最大効率で架空出来るよう、再調整を行うこと。ソージの指示により、アオイがグロス用の起動イメージを最適化した結果、性能を落とさず架空時の最大消費念量を七二・八パーセントまで削減する。これで現代魔法として、最低限の動作条件をクリア。
 第二の課題は、安定して魔力を供給出来る場所を確保すること。渡頼場架空事務所も、シアイ=アソムの噴水以上に魔力の潤沢な立地ではあったが、試算した結果、極限まで最適化を行ってもなお、変形後の最大出力時に念量不足となることが予想された。これについてはエルグプランによって、休止状態にあったユーケイザス火力発電所の、魔導排煙処理装置用に確保された魔力供給ラインが使えることとなる。公共施設の設備だけに、念量不足の心配は皆無だ。
 翌朝、徹夜で今後の目途を立てたソージは、依頼人二人に連絡し、夕刻からの調査開始、および昼間は休養と準備に専念するよう提案し、了承を受けた。イバナム学園の授業を休むことになるが、エルグプランに従った結果なので、公休日扱いとなる。
 夕刻前に、タクシーで渡頼場架空事務所を出発したソージとアオイは、鳴鈴拳の道場屋敷へ寄ってオキナとタツミを拾い、ユーケイザス火力発電所へ到着。専用リフトで煙突の頂上付近にある監視室へ移動。
 先に来ていたエルグ社の担当と打ち合わせを行ったのち、アオイは機器の準備を手伝っている。ソージは昼過ぎに入手した新たな情報を整理し、依頼者二人に状況説明を行う。
「二人とも、昨晩はお疲れ様でした。出来れば十分な準備期間が欲しい所ですが、敵に先んじるためには……いえ、敵に遅れを取らないためには、多少無理をする必要があると考えます」
 オキナが力強く応える。
「当然ですね。ケイトを取られるぐらいなら、多少の無茶はヘッチャラですね!」
 昨晩別れた時はかなり憔悴していたが、半日休んで随分と元気を取り戻したようだ。
 タツミの方は、いたって元気。
「オキナちゃんがその気なら、ボクもとことんつき合うつもりだよ」
 コイツのスタミナは底が知れねぇな。そう考えながら、ソージは話を続ける。
「よろしい。では、新たに判明した情報についてご説明いたします。まず、我々の敵対勢力であることが判明した、オーヘイについてですが……」
「それなら、あたしも調べてみたですね」
 そう言って、オキナは自身のエルグノートを開く。情報検索は、エルグノートの基本機能の一つだ。
「ほほう、素晴らしい。では、お聞かせ下さい」
「ハイ、えっとですね……、オーヘイの意味は二つあったですね。一つは、バリオン市国で生まれた、エルジオーグと同じようなサービスの名前ですが、今はもうないですね。エルジオーグに負けて、潰れたって書いてありましたね」
 そこでタツミが補足する。
「オーヘイって、ボクらがもっと小さい頃には、まだあったんだけどね。確か、今のエルグノートに相当するサービスを始めたのは、オーヘイの方が早かったはずだよ」
 さらにソージが引き継いで言う。
「だが、連中は汎用魔導書──確か、オーヘイブックとかいう名前だったか──を売って商売しようとした。だが、エルグ社はオーヘイブックの機能を大幅に削った、エルグノートを無料でバラ撒いた。オーヘイが金を取っていたものを、エルグ社が無料にしたせいで、連中のビジネスモデルはガタガタになって潰れちまった。そしてエルグノートはバリオン市国から世界中に広がりつつある、というわけだ。そちらのオーヘイは現存しません。もう一つの意味として、何とありましたか?」
「あ、ハイですね。もう一つの意味は……えっと、ですね」
 オキナはエルグノートのページを繰り、該当項目をそのまま読み上げる。
「……近年、魔導ネットワーク内で、エルジオーグを複製したシステムの存在が噂されている。このシステムの通称が、オーヘイと呼ばれる。ただし、旧オーヘイの関係者は、新オーヘイとの関与を否定している。新オーヘイは、オーヘイブック、もしくはエルグノートを使用し、エルジオーグと同様にプランを作成、提示する。しかし、エルジオーグのプランがあくまでも合法的な範囲で、参考意見として提案されるのに対し、オーヘイのプランは合法、非合法を問わず、その上、提供者にプランの絶対遵守を強制する。これは魔導的な強制力を含み、呪詛の一種とも言える。ひとたびオーヘイプランにアサインされた者は、与えられた課題が達成しない限り、代償なしにプランから解放さることはない。プランを途中で放棄した者、もしくは目標達成が不可能と判断された者は呪詛が発動し、しかるべき制裁を受けるとされる。新オーヘイの存在は、長く都市伝説として扱われ、エルグ社もその存在を公式に否定して来たが、近年オーヘイプランの関与によるものと思われる事件が複数発生しており、近日中に公的な捜査が開始される、もしくは極秘裏に開始されていると言われる……という感じですね、……フゥ」
 ソージは大きく頷いてから解説する。
「我々の敵対勢力と目されるオーヘイとは、後者の新オーヘイのことです。ミス刻藤がエルグプランの発起人となった時点で、何者かが──おそらく裏社会の人間でしょうが──オーヘイの裏プランにアサインされたようです。連中も、ケイトが普通の猫ではないことを掴んでおり、我々に先んじて入手せんと動いているのでしょう。虚人[ゴーレム]には、それだけの価値がありますから」
 タツミが、呆れるやら感心するやらという調子で言う。
「噂には聞いてたけど、裏プランって本当にあるんだねぇ」
「あぁ。オレも昨日までは、単なる都市伝説だと思ってたさ。一昨日の情報樹への攻撃で、ミス帝田がオーヘイからだと報告してきたが、にわかには信じられなかった。その時は確信が持てず、昨晩は再検証中だったんだが、ミス刻藤が反愚の眼鏡男を言い負かしたのに便乗して、確認させてもらった。あの時は助かりましたよ」
「え?……いえ、あの、その、キョーシュクですね」
 思いがけず感謝され、オキナは戸惑っているようだ。その様子に、ソージはわずかに表情をほころばせる。
 実を言えば、オキナに助けられた事柄は、それだけではない。彼女の機転で、情報樹を可視化し、緊縛魔法と偽って時間を稼げたのも大きかった。アオイ以外は知らないことだが、ソージはあの時一度、スパイラルダガーの起動に失敗している。
 反愚たちとの戦闘が開始され、タツミと前衛を入れ替わった直後、彼は魔導ネットワーク経由でアオイから送られてきたスパイラルダガーの起動イメージを、早速発動さていた。しかし、反映領域を認識出来ないことが原因で、深刻な問題が発生していることに気づくのが遅れ、グロス本体の再起動と起動イメージの再調整を余儀なくされている。この時の彼は、どうにか平静を装っていたものの、内心の焦りから、伏兵に背後を取られるという、致命傷となりうる失策を犯していた。
 それだけに、オキナとタツミのおかげで、どうにか状況を立て直す猶予を得られたことには、ただただ深謝するばかりだ。ハンディキャップを負いながらも、闇雲に魔法使いを続けてきた彼ではあるが、あの時ばかりは味方のありがたみを、心底痛感させられている。
 ……助かったぜ、ありがとな。ソージは心の中でもう一度礼を言ってから、解説を続ける。
「オーヘイ側は、エルジオーグのシステムを勝手に複製出来るぐらいです。かなりの技術と資金を持ってる奴がいるのでしょう。一昨日に続き、昨晩は噴水広場まで手下が押しかけて来ました。ということは、噴水広場の秘密も知られ、スパイラルダガーから変形する次元隔壁の存在まで、オーヘイ側の連中にも知られていると考えるべきでしょう」
 そこでタツミが指摘する。
「待ってよ……だとすると、一昨日、オキナちゃんが反愚の連中に絡まれた時から、その裏プランが関係してたのかな?」
「……その可能性はあるな。オレたちがケイトの正体を解析するより早く、連中がミス刻藤に目をつけていたとすると、最初からこちらが後手だったのかもな」
 続けてオキナが問う。
「それでですね、あたしが見た、鎌を持った影みたいなのは何だかわかったですね?」
 彼女が言っているのは、昨晩の戦いで、戦意を喪失した反愚たちに出現したという、魔力で出来た人影のようなもののことだろう。あの場では彼女にしか視ることが出来なかったが、それについても報告が来ている。
「はい。反愚たちが運び込まれた病院からの情報があります。魔導科で精密検査を行った結果、眼鏡の大男──名前は、城賀[ジョーガ]トランフと言うそうです──奴が見せたオーヘイの黒いロゴマーク。あれが間違いなく、呪詛の正体です。あのロゴマークには強力な魔力が封入されており、オーヘイプランに失敗したと判定された者と、達成への意志を失った者に対して発動し、対象者の記憶を削除する効果があるようです」
「記憶を削除って、記憶がソーシツしちゃうんですね?」
「そうです。呪詛が発動すると黒いオーへイのロゴマークから、ミス刻藤が視たという、鎌を持った人のような魔導構築物──オーヘイの鎌[ファルクス]とでも呼ぶべきものが出現し、対象者がプランにアサインされてから後の記憶を削除します。詳しい説明は省きますが、裏プランにアサインされた時点でオーヘイの痣から脳の一部に魔力が付与され、任意のタイミングで記憶を操作しているそうです。鎌によって記憶を刈り取られた反愚たちは、今も意識不明で、魔法的な記憶探査も不発に終わったとか」
「じゃぁ、ボクらが倒した反愚たちからは……」
「裏プランにアサインされていた反愚であるという以上の情報は、何も得られていない。気絶したまま病院に運び込まれた連中も、意識を取り戻した瞬間に鎌が発動し、記憶を刈られたそうだ。意識を失ったまま記憶探査を行おうとしても、鎌が発動したそうだから、精神的な自爆装置とでも言うべきものだな」
「つまり、オーヘイの裏プランにアサインされたら、目標を達成するか、失敗して記憶を奪われ意識不明となるか、あるいは死ぬかの、どれかというわけだね」
 ソージは嘆息しながら言う。
「反愚の眼鏡野郎が、エルジオーグを偽造された神だと言うのも、わからんでもない。呪詛めいたオーヘイの掟に比べれば、エルグプランなんざ、甘っちょろい神もどきに見えるだろうさ。……オレには、受け入れられそうもない代物だがな」
「そういうのを好む輩も、いるってことだろうね。裏社会の連中なら、案外気楽にアサインするのかもよ」
「確かにな。失敗すれば記憶を消されて昏睡状態に陥るが、別に死ぬわけでもない。そこらへん、意外にリスクが低い所が、オーヘイの正体を今まで隠してきた要因だろうな……」
 黙り込むソージとタツミ。
 そんな二人を見て、不安そうにオキナが問う。
「でもでもっ、どんなに怖い人たちが相手でも、ちゃんとケイトを見つけてくれるですね?」
 それに対して、ソージとタツミは、さも当然とばかりに答える。
「ん?……あぁ、その点ならご心配なく。厄介な連中なのは確かですが、こちらもプロですから。万事、我々にお任せ下さい」
「そりゃそうさ。ボクの格闘とソージの魔法、それにオキナちゃんの魔導視点と、アオイちゃんの情報処理能力が揃ってるんだから、完璧だよね!」
 気楽に笑う二人を見て、オキナは安心したようだ。
 ソージとしても、不安がないと言えば嘘になるが、ここで弱気な態度を見せても得はないと考えていた。無論、タツミと組めば大概の敵は倒せる自信があるのも事実。タツミの真意が読み切れない部分もあるが……ま、どう転んでも、何とかなるだろう。
 その後、これからの探索活動についてのレクチャーが終わる頃には、バックアップ側も含め、すべての準備が完了する。
 今回はソージ、オキナ、タツミに加え、アオイも探索行に参加する。バリオン市国内でのバックアップ体制は整えられているが、次元隔壁の転移先が不明のため、随行するバックアップ要員を必要とするからだ。
 本来なら今回の探索は、専門の業者が行うべきものである。事実、エルグプランではソージたちではなく、バリオン市国を拠点に活動する、魔獣専門のハンターがアサインされていた。しかし、ソージはオキナたちと相談し、自身の手による探索行にプランを修正している。
 魔獣専門のハンターなら捕獲出来る可能性は高いかもしれないが、オーヘイの息がかかった連中が紛れ込む危険がつきまとう。そうでなくとも、ケイトを発見したのちに、捕獲が困難であると判断すれば、安全確保のために対象を殺害してしまう可能性もある。そこに、飼い主であり、魔導的な主であるオキナがいれば、ケイトを従わせる切り札となり得るし、彼女が同行するならソージやタツミ、そしてアオイも同行する方が良い。そして、このメンバーが揃うなら、そもそも不確定要素となりうる魔獣専門のハンターなぞ不要だろうという判断だった。
 四人は発電所の職員に案内され、管理室から専用通路を通り、魔導排煙装置の中央に仮設されたプラットフォームへ移動する。そこは工事用の照明に照らされた円筒形の空間。周囲の壁は煤で黒く染め上げられており、直上に空が丸く見える。ここは突端に近い、長大な煙突の内側だった。火力発電そのものは、天然ガスを使用した科学的なものだが、ここを通る燃焼後の排煙は、魔導的な触媒効果により浄化され、基準値以下の排煙として放出される。今回は、その魔導装置を稼働させるための魔力を、変形する呪紋魔力に使用しようというわけだ。
 探索行に参加するメンバーのうち、後衛となるオキナとアオイは、ジャングル探検で着るような厚手の上着とスカートに防弾ベスト、ヘルメットとヘッドランプ、手袋に、厚底のブーツを装備。オキナは食料や医薬品、ロープなどが詰まったバックパックを背負い、アオイは端末操作用の、箱型のケースに収納された引き出し式のキーボードと、茶色い革張りの特大エルグノートを背負う。特大エルグノートには通常の業務用エルグノートとしての機能の他に、通信機やカメラ、マイク、各種計測器など、探査装置としての機能が含まれる。通信さえ疎通すれば、遠隔地からでも調査分析が行えるようになっていた。
 前衛となるのはソージとタツミ。ソージもヘルメットとヘッドランプは標準装備。ツナギの作業着を着て、腕と脚に合成樹脂製のプロテクターを装着。胸には防刃、防弾ベストを着ている。手には鋲がついた革製のグローブ、足は鉄板入りの安全ブーツ。あとは、オキナと同じく食料やその他装備品が詰まったバックパックを背負う。
 もっとも軽装なのはタツミ。防具と言えるものは額に巻いた鉢金のみで、薄茶色の全身タイツの上から、スリットの入ったジーンズ生地のワンピースを着て、小型のザックを背負い、手袋を嵌め、軽そうなシューズを履いているだけ。全身ガッチリ固めたソージに比べると、何ともシンプルな、機動性重視の装備だった。
 四人の準備と、後方支援体制が整ったのを確認した所で、ソージはグロスを立ち上げ、改良したスパイラルダガーの起動イメージを選択。着彩され、黄金に輝く野戦魔法が煙突内部に架空する。独特の叩きつけるような駆動音が、煙突の内部で反響を繰り返す。
 横で、アオイが引き出し式のキーボードを広げ、大型のエルグノートをディスプレイ代わりにして、呪紋魔力の状態をモニタリングしている。これは本来、架空を行う術者自身が行えば良いことだが、魔導的感覚を喪失している彼には、機関士に相当するアオイのバックアップは不可欠のものだ。
「出力、臨界に到達。誤差、許容範囲内。根源たる魔力[オートムレゾン]、架空維持可能水準を維持。状態、安定してる」
 アオイの報告とソージのエルグノートに転送された情報を見る限り、消費念量の問題はないようだ。
 スパイラルダガーをアイドリング状態で維持し、規定時間が経過すると、唐突に呪紋魔力が変形を開始する。
「変形開始を確認。魔力濃度、低下してる。魔力の過給開始」
 アオイの言葉に合わせ、直上の丸い空間に、大きな魔導構築物が架空される。ソージによって黄金に着彩されたそれは、パイプを組み合わせて造った、パラボナアンテナを思わせる構造体だった。
 これはドップラウンダーと呼ばれる、魔導排煙処理装置へ効率的に魔力を供給するための呪紋魔力。人間が架空しているのではなく、魔導装置が自動的に構築しているものだ。円蓋の中央部部に集積した魔力が、シャワーのように降りそそぎ、変形中のスパイラルダガーへと供給されて行く。
 一分後。
 再び姿を現す、魔導力の門扉。国際魔力[レゾン]協会から新たに付与された名称は、次元隔壁、オーメド・ケイオード。今回の構造体には、新たに魔導過給器が追加されていた。新たなデバイスを付加したことで、架空時の消費念量は増加したものの、次元隔壁を維持するための消費を抑えられるため、トータルでコストを抑えることが出来る。魔導過給器とドップラウンダーのおかげで、変形後も架空状態は安定していた。
 ソージが告げる。
「架空完了。ミス帝田、バックアップ側への制御権委譲を頼む」
「うん……オーメド・ケイオードの架空トリガを委譲。制御権委譲を要請……承認……承認確認」
 報告通り、ソージのエルグノートに委譲完了のログが流れたことを確認し、彼は集中を解く。これ以降は、ソージ自身の魔力を媒介にして呪紋魔力を維持する必要はない。次元隔壁の先でケイトを探索する間、門扉はバックアップ側で維持され続けることとなる。
「転移領域接続開始」と、ソージ。
「うん。転移領域接続開始」
 復唱の後、アオイがキーボードを叩くと、次元隔壁が鳴動し、黄金の輝きが増す。
「コネクションを確立。接続品質を検証中……確認」
「よろしい。では、門扉を解錠」
「うん。ロック解除開始」
 ソージの指示とアオイの復唱がなされた後、オーメド・ケイオードを閉ざす、四十六本の閂が、ガラス棒を打ち合わせたような音を立てて、右上隅から時計回りに外れて行く。
「解除完了。中間領域の大気組成、確認……問題ない」
 扉の先で、いきなり目的地に繋がるわけでなく、まずは緩衝地帯である中間領域へ移動し、いったん入口側を閉止した後、目的地へと再接続を行う。この中間領域までは、安全に移動出来るということだ。
 ソージは告げる。
「入力側門扉、解放!」
「オーメド・ケイオード、内向入力側門扉、解放」
 アオイの操作で、次元隔壁の扉が四つに分割され、四隅のヒンジを支点として十字に開く。
 扉の先には、暗く澱んだ通路が続く。魔力の扉が見えていなければ、空間にぽっかりと四角い穴が空いているように見えるだろう。
 唐突にオキナが「アレ? なんか扉の先に通路っぽいのが続いてますね」と、脇へ移動しながら指摘する。
 言われてみればなるほど、門扉を斜め横から見ると、扉の先から魔導構築物の四角い通路が延び、煙突の壁面を貫いている。
「あれは転移先へと続く緩衝地帯です。通過するために魔導的資質は必要としませんから、誰でも入れるはずです。行ってみましょう」
「ハ、ハイですね」、とオキナ。
「じゃ、行こうか」、とタツミ。
「うん」と、大型のエルグノートとキーボードを背負いながら、アオイ。
 ソージとタツミを先頭に、四人は次元隔壁をくぐる。ひんやりとした風。自身で指摘した通り、魔導的に存在する通路は光学的に視認出来る上に、物理的に踏みしめて歩むことも可能だった。架空された壁面の向こうに、煙突内部の空間が透けて見える。通路は物理的な構造を無視して、壁面の先へ続いていたが、阻まれることなく進むことが出来た。
 しばらく歩くと、不意に視界が開ける。
 壁面から透けて見えた先は、ユーケイザス第四火力発電所、魔導排煙処理装置が設けられた煙突の外。バリオン市国の夜景を一望出来る、クルサクル湖の直上だった。
「ひうっ!」
 たまらず、オキナがタツミの背中に貼りつく。落命確実の高さだ、恐怖を感じても無理はない。しかし、物理的に移動出来るはずのない、煙突の外部へ移動出来ているという事実が、ここがすでに異界との中間領域であることを物語っている。
 ソージは、わずかに芽生えた恐怖を理性でねじ伏せ、「大丈夫です、進みましょう」と告げた。
 クルサクル湖中央部へ向けて伸びた通路の外側には、湖の四方に設置された、残る三基の火力発電所が見える。東部のユーリエス第一、西部のオーカイブ第二、北部のユーブネグ第三、そして背後に、出発地点である南部のユーケイザス第四火力発電所。燃料である液化天然ガスは、幻想時代に市国北部に穿たれたという大斜坑を通じ、麓の精製施設から供給されている。水力、風力、太陽光発電も併用されているが、この四基の発電所の内、通常時で二基、ピーク時でも三基で、市国内すべての電力需要を賄うことが出来た。
 発電所で作られた電気の一部は、市国内を地上と同水準の大気圧に保持するための、魔導与圧施設の動力源として用いられている。この施設は電力と魔力の両方で稼働し、万一、電力供給がストップしても、魔力により市内の大気圧を一定水準に維持することが出来る。
 科学技術の進歩により、魔導技術への依存度は低下しつつあるが、先端分野における魔導技術の優位性は、いまだに揺らぐ気配はない。最新の研究でも、科学技術がすべての魔導技術に追いつくためにはなお、数十年から数百年以上の研究が必要とされている。もっとも、本当にすべての分野で科学技術が魔導技術に追いつくのは不可能ではないかと、ソージは思うのだが。
 千年前の最先端技術である次元隔壁を、四人は進む。徐々に周囲の景色が薄れて行く。これが異界への転移という奴なのだろう。感覚的な距離としては、クルサクル湖中央部、レトネック岩礁の辺り。
 そこに、対向側の門扉があった。通路はいつしか灰色に染まり、外側が透けて見えることはない。アオイが背負ったキーボードを引き出し、大型のエルグノートを広げて状況を確認する。対向側も、大気組成に問題はないようだ。
 扉の向こうがどこへ繋がり、何があるかはわからない。ソージは戦闘用の呪紋魔力がすぐに発動出来るよう準備をし、一同に告げる。
「いきなり戦闘になる可能性もあります。フロントはタツミ。ミス刻藤とミス帝田とは私の背後に。私は防御と遠距離攻撃を担当します。よろしいですね」
 一同が了解するのを確認し、彼は指示を出す。
「出力側門扉、解放!」
「オーメド・ケイオード、対向出力側門扉、解放」
 閂が、時計回りに次々と外れ、次元隔壁の出口が開放された。
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 3/8■

 
 とかく理解に苦しむことが多いと、帝田アオイは思っている。
 たとえば、彼女の雇用主である渡頼場ソージ。
 なぜ彼は、すべてにおいて自身を上回っている……と思っている兄、渡頼場ソーイチの真似をして、架空事務所を再開させたのだろう? なぜ彼は、反映領域が認識出来ないのに、魔法使いを続けているのだろう? なぜ彼は、得体の知れない自分を雇っているのだろう?
 たとえば、依頼人である刻藤オキナ。
 なぜ彼女は、命の危険すらあるというのに、ペットの猫を探し求めるのだろう? なぜ彼女は、ケイトが虚人だと……いや、普通の生物ではないと気づかなかったのだろう? なぜ彼女は、父親が危険な状態にあるかもしれないというのに平然としているのだろう?
 たとえば、依頼人であり、ソージの友人でもある穂村タツミ。
 なぜ彼は、いつもソージと一緒にいるのだろう? なぜ彼は、平然と女装をしているのだろう? なぜ彼は、ソージと対等に会話をしてもらえるのだろう?
 でも、それを言うならば、自分自身……帝田アオイ。
 なぜアオイは、この場所にいるのだろう? なぜアオイは、この場所にいたいと思うのだろう? なぜアオイは……。
「ミス帝田、結果を報告してくれ」
 ソージに請われ、アオイは眼前の大型エルグノートに意識を戻す。気を散らしていた程度で仕事がおろそかになる彼女ではない。キーボードを叩き、調査結果を報告する。
「うん。数時間以内に、ここを通った集団がいる。相手方が使った次元隔壁の接続は切れてる。この部屋へ戻って来てはいないよ」
「そいつはオーヘイ側の探索隊だろうな。畜生、やはり後手か……で、猫の痕跡はあるか?」
「……ここ数時間は、ない。でも、一ヶ月前後についた、猫の足跡はある。足跡と歩幅から見て、対象の物である可能性は高いよ」
 それを聞いて、ソージは苦笑する。
「ここまで来て、無関係な野良猫が紛れ込む可能性はないだろう。ケイトがここへ来たと断定して差し支えあるまい」
 なるほど、そういう割り切り方もあるか。そう思いながら、アオイは小さく頷く。
「けけけっ、ケイトがここにいるですね?」
 横から血相を変えて、オキナが首を突っ込んでくる。ソージとの会話を邪魔されるのは面白くなかったが、もちろん黙っていた。
 雇用主が依頼人に報告する。
「ミス帝田に付近を調査させました。その結果、約一ヶ月前についたと思われる猫の足跡と、数時間前に通ったと思われる集団の痕跡がありました。猫はケイト、集団はオーヘイ側の探索隊と思われます。我々としては、オーヘイ側に先んじてケイトを確保するか、もしくはオーヘイ側に確保されたケイトを奪還する必要があります」
「じゃ、早く行かないとダメですね!」
「おっしゃる通りですが、後方支援体制を確立しておく必要もあります。現在、そのための準備を行っているので、しばらくお待ち下さい」
「そしたら、ケイトが敵に捕まって、そのまま逃げられちゃうですね!」
「調査の結果、次元隔壁によって施設と往来出来るのは、この部屋だけであることが判明しております。我々がここを占拠している限り、敵が逃げ出す心配はありません。オーヘイ側も生きたケイトを捕らえることを目的にしていますから、害される危険は低いでしょう」
「でもでもっ、プロのハンターだったら、手に負えなければやっつけちゃうかもって、さっき所長さんが……」
「それはそうですが、そういう状況になれば私でも……」
 何やら揉めているようだが、依頼人との折衝は雇用主に任せ、アオイは小さく欠伸をしながら体を伸ばす。犬耳が蒸れるので、ヘルメットを浮かせ、後頭部から手の平で風を送る。ひとまず、自分に出来ることは終えていた。あとは、バックアップ側の対応を待って、それから今後の方針を決めるだけだ。
 彼女は空いた時間を利用して、魔導ネットワーク経由で情報収集を行う。めぼしいニュースとしては、エルグ社がエルグノートを利用した簡易型呪紋魔力システムを開発したことと、魔導技術への依存率を極力抑えた、人工衛星による位置情報システム構想を発表したこと、ぐらいか。どちらもエルグ社の内部情報としては、さして目新しい内容ではない。
 アオイはもう一度、小さく欠伸をしてから、黄金に輝く門扉の出口より周囲を見廻す。
 ここは次元隔壁、オーメド・ケイオードの、対向出力側から繋がった部屋。どうやらここは、幻想時代の魔導研究施設のようだ。物理的にも魔導的にも厳重にシールドされているため、物理的な座標を特定することは出来ない。魔導的な空間転移が唯一の移動手段で、物理的な出口は存在しないと思われる。そして、オーヘイ側もソージと同じ変形する呪紋魔力を使っているとすれば、変形後の接続先もこの場所に固定される。よって、ケイトを確保した敵をここで待ちかまえるという戦術も有効のはずだが、依頼主はあくまでも、自分たちで確保すべきだと主張している。どちらの考えにも一理あるので、あとは折衝で決めてもらうしかない。
 次元隔壁の出口となった部屋の広さは、学園の教室程度。最初は、窓一つ無い、灰色の壁の無機質な部屋だと思われた……が、オキナの指摘によると、反映領域下では異なる様相を呈しているらしい。そこでソージが、グリフ・ティーナップを起動。これは、指定した反映領域下の魔導構造体に、金色に輝く着彩を行い、目に見える姿にするものだ。今回、ソージは付近に存在する魔導構造体すべてに、グリフ・ティーナップを適用させている。そして現れたのは、灰色の壁一面に架空された、複雑な幾何学的模様。魔導的な壁画と呼ぶべきものだった。ダイナミックな模様が視界一面に広がる様は確かに壮観だが、それだけに落ち着かない気もする。唯一、オキナだけが、この光景に、ある種のなつかしさを感じているらしい。これもまた、アオイには理解に苦しむ感覚であった。
 部屋の隅には、ソージによって魔導演算装置であるダブルプラスクライが架空されている。現在はバックアップ側と魔導ネットワークによる接続が確立しているため、必ずしも必要ではないが、単独で高度な情報処理を行う必要が生じた場合は、これだけが頼りとなる。幸い、魔導施設内はバリオン市国内よりも根源たる魔力[オートムレゾン]が濃密なため、数日程度なら魔力供給も含めた自動運転が可能だった。
 すでに、魔導壁画に関する情報の取り込みは完了しており、架空が継続されている次元隔壁を経由して、バックアップ側が解析している所だ。その待ち時間で、ソージとオキナが前述の折衝を始めたという次第。どちらでも良いので、早く決めて欲しい。進むにしろ待つにしろ、オキナはソージについて行くだけだ。
 なぜなら……。
『ソージ君、大好き!』
 突如発せられた告白に、ソージはもちろん、オキナ、タツミも、反射的にアオイを見る。
 だが、一番パニックに陥っているのは、アオイ自身だ。そんなこと、口が裂けても言えるわけがない。
『んもう、こんなに大好きなのに、どうして気づいてくれないのかな? アオイはちょっと怒ってるだぞっ』
 どこからともなく、決して本心とは言えない言葉がベラベラと流れ出てくる。大混乱に陥ったアオイは、でたらめにキーボードを叩いたり、荷物を漁ったりするが……。
「あのさ、アオイちゃん、落ち着いて。その声って、アオイちゃんの大きなエルグノートから出てるんじゃないかな?」
 腫れ物に触るように、タツミにそう指摘されて、アオイはようやく謎の声の出所に気づく。大判の高機能版エルグノート、エルグペディアこと、エンサイクロペディア・エルジオーグの内蔵スピーカーから、彼女と瓜二つの声が流れていたようだ。
 正体をバラされたエルグペディアが言う。
『いやん、バラしちゃダメ〜。アタフタするお姉様って、すっごくレアなんだからっ!』
「え? あ、いや、その、ごめんなさい……って、別に謝る必要はないのか」
 かく言うタツミも、若干パニック気味。
 そこでソージが指摘する。
「そうか……ひょっとして君はアオイ……いや、うちのミス帝田ではなく、テレビに出てくる方のアオイじゃないのか?」
 アオイとそっくりの声はしばらく沈黙した後、返答。
『あ〜あ、もうバレちゃったか。さっすがソージ君、バッチリご名答っ! ……そんなワケでぇ〜。アオイもみんなと一緒にプランに参加出来て嬉しいなっ!』
 エルグ社提供のテレビ番組と同じ、後頭部に突き刺さる声音にも怯まず、ソージは言う。
「ケッ、テメェがエルグ社側のバックアップ要員か。支援は感謝するが、私の部下を混乱させるような真似は謹んでいただきたいですな」
『だってだって〜。尊敬するお姉様とご一緒出来るんで、何て言ってご挨拶していいか、わからなかったんですもの〜』
 わざとらしく、甘えたような困り声を出す、エルグペディア。
 そこでオキナの問い。
「お姉様ってことは、ソッチのアオイ先輩は、コッチのアオイ先輩の妹さん、なんですかね?」
『ハイッ、そうで〜すっ!』
 テレビ番組同様の元気な返事に、タツミが言う。
「そうなのかぁ。でも、アオイちゃんが二人いると、どっちがどっちか区別……はつくけど、ちょっとややこしいかな?」
『んもう、質問やら注文やらの多い人たちねっ。じゃじゃっ、ちょっぴり余計にサービスしちゃうわっ……コレでどうかしらん? アーアー、テステスッ。天気晴朗ナレドモ波高シッ!』
「っ!」と、驚く一同。
『コレでどうかしら──』以降から声音が変わった。幼い感じに変化した少女の声が告げる。
『あらためて、はじめまして。今回、皆さんのサポートを担当します、帝田サクラです。よろしくねっ!』
 その自己紹介に対し、各人の返答が済んだ後。 
「……でも、アオイちゃんって、妹さんがいたんだねぇ」と、タツミ。
「オレも初めて知ったぜ」と、ソージ。
「ビックリですね〜」と、ノリで同意する、オキナ。
 三人に視線を向けられるが、アオイはどう反応したら良いのかわからない。彼女自身、自分に妹がいるなど初耳だったが、エルグ側のサクラが言うのだから、多分、その通りなのだろう。
「サクラ……」
『なになに、なぁに? お姉様っ』
 サクラの過剰な反応に気圧されつつ、アオイはしばし黙考してから言う。
「……少し、静かにして」、と。
 とかく理解に苦しむことが多いと、帝田アオイは思っている。
 たとえば、アオイの妹と称する帝田サクラ。
 なぜ彼女は……。
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 4/8■

 
 アオイ改め、多少は営業トークを控えた帝田サクラの報告によると、オーヘイ側と思われる探索隊は、バリオン市国外から送り込まれているようだ。探索隊は、呪紋魔力行使者[グリフレゾンドライバー]――いわゆる魔法使いを含めた、専門のハンターがアサインされているとのこと。エルジオーグの違法改造版とはいえ、オーヘイには不明な点も多く、それ以上の情報は掴めていないそうだ。敵側が進入口となる次元隔壁を構築した場所も、現在探索中だと言う。
 ソージとしては、こちらと同等の戦力だけが投入されているという情報で十分だった。万一、こちらに倍する敵がいるならば、一時撤退するなり援軍を要請する必要があったが、同等であればその必要はない。待つか攻めるか? その答えは既に出ていた。
「では、進みましょう」
 その言葉に、顔をほころばせるオキナ。明らかな誤りでない限り、依頼主の意志を尊重すべきであるし、待つより攻めるのがソージの主義でもある。他に異論は出なかった。
 かくして一行は、施設の奥へ進むこととなる。方針が決まってからの探索行は、スムーズに行われた。なにしろ、オーヘイ側が調べた後を進めば良いだけなので、間違ったルートを進むこともなく、余計な場所で足止めを食らうこともない。罠の類もないようだ。
 魔導研究所の各所には、反映領域とリンクした様々な魔導装置が残されている。ケイトと関わり合いのある場所だけに、虚人の研究をしていたらしい。学術的にも極めて価値のある場所ではあるが、それらに関わっている余裕はなかった。オーヘイ側の探索隊も、軽く調査しただけで進んでいるようだ。ソージたちも、情報収集はバックアップ側に一任している。
 研究室だったらしい部屋をいくつか通り過ぎた所で、サクラが所見を述べた。
『ふ〜ん。ざっと見た感じ、ロア氏族の魔導研究施設って感じよねっ』
 その名前に、オキナが反応する。
「!……それって、死んだお母さんの名前と一緒ですね。刻藤ネイザ・ロアって言うですね」
『やっぱり〜。ロアっていうのは多分、旧姓よ。ロア氏族というのは、幻想時代から国を持たない放浪の魔導一族として知られているの。オキナさん、あなたの金髪に褐色の肌っていう身体的特徴は、ロア氏族に多く見られるものよ。反映領域を認識出来る能力も、お母さんから受け継いだんでしょうねっ』
「それで、何だかなつかしい感じがしたですね。そっか……お母さんの感じですね」
 納得顔のオキナに、エルグノートで情報を確認したソージが言う。
「……なるほど。ミス刻藤の母君が、ロア氏族の一人で、この施設に関わりのある者ならば、施設への侵入方法……つまり、あの噴水広場の敷石を解読する方法を知っていても不思議ではない。ミス刻藤。資料によると母君は、あなたが幼少の頃に亡くなったとされていますが?」
「ハイですね。あんまり、お母さんのことは覚えてないですね」
 タツミの問い。
「オキナちゃんのお父さんは、どうやってお母さんと知り合ったのか、聞いてる?」
「あ……えっと、戦場でシュクテキとして出会ったって、言ってましたね」
「戦場? 宿敵? テメェの親父は、伝説の傭兵か何かかよ?」
 思わず素で聞いてしまうソージ。
 すかさず答えるサクラ。
『記録によると、刻藤ジアンが旅行中に巻き込まれた某国の内戦で、反政府側についていた術者が、ネイザ・ロアだったみたい。宿敵かどうかはわからないけど、敵、味方の関係だったのは確かみたいねっ』
「ですね、ですねっ」
 良くわかってなさそうに、コクコクと頷くオキナ。
 ソージが見解を述べる。
「そうですか。経緯はともかく、お二人は結ばれた、と。その後ミスター刻藤は、亡き妻から聞いた情報を元に、私の兄へこの施設への侵入を依頼した。情報さえ揃っていれば、兄なら造作もないことでしょう。そして、虚人であるケイトを入手し、ミス刻藤へ託した。その際のいざこざが元で、私の兄は失踪する羽目になったのかもしれません」
「そそそっ、それはすまないことですね」と、オキナ。
「いえ、これも兄が選んだ道です。ミス刻藤が気に病む必要はありません。ともかく、これでやっと、事件の流れが見えて来ました。今までの話が事実だとすると、オーヘイ側の連中は五年前に、私の兄と敵対関係にあった勢力の人間であると推測出来ます。ならば最初から、ケイトの正体が虚人であることを知っていてもおかしくない」
 サクラの問い。
『でも、何で急に、ケイトちゃんの正体が虚人だってバレたのかしら? 猫の姿なら、ちょっと調べただけじゃ、魔法でも判別がつかないはずでしょっ?』
「そこで、最初の疑問に戻ります。なぜ、ケイトは失踪したのか? いや、なぜ、この施設へ戻って来たのかという疑問にです」
 そこでタツミが意見を述べる。
「それは……反愚とかオーヘイの息がかかった連中に見つかって、ここへ逃げてきたとか、じゃない?」
『それはないわ。オーヘイ側は、虚人が猫の姿であることを知らなかった。でなければ、オキナさんがこの国へ来た時、すぐにケイトちゃんを取り上げているはずだものっ』
 そこでソージが情報をまとめる。
「そうか。魔導的な訓練を受けていないミス刻藤は、ケイトを虚人として使いこなせない。猫の姿でいる限り、オーヘイ側に露見する可能性は低い。とすると、何らかの理由で、ケイトが虚人としての正体を、オーヘイ側にわかる形で発現させたのが原因か」
『そんな所ね。エルジオーグも、現在の情報からそう判断してるみたい。残念ながら、露見した原因が何なのかは不明だけどっ』
「その経緯を明らかにするのが、次の課題だな。ミス帝田……いや、ミス・サクラ、どうもありがとうございます」
 ソージとしては、普通に礼を述べたつもりだが、エルグペディアの向こうで、すこし気色ばむ気配がする。
「何か、失礼なことでも?」
『あのね……ずっと気になってたんだけど……その、ソーイチさんみたいな口の効き方、やめてくれないかな? あなたはお兄さんじゃなくて、弟のソージ君でしょっ』
 強い口調で指摘され、ソージは面食らう。
「……テメェ、兄貴の知り合いか?」
『そ、そんな大した関係じゃないけど、ソーイチさんにはお世話になったわっ。お願いだから、サクラにはソーイチさんの真似じゃなく、ソージ君らしく接して欲しいのっ』
 サクラがアオイと同じく、エルグ社の関係者であるなら、兄ソーイチと関わりがあっても不思議ではない。兄もまた、エルグプランによって架空事務所を設立しているのだから。
「……ケッ、テメェは客じゃねぇし、どっちかと言や雇い主だからな。お望みとありゃ、そうしてやるさ、サクラ」
『うふふっ。ソージ君、ありがとう。そうしてくれると嬉しいなっ』
 どうやら機嫌を直したらしいサクラ。やれやれ、女は厄介な生き物だな。ソージがそう考えていると、背後から強烈な視線を感じる。振り返ると、アオイが恨めしそうにソージを睨みつけていた。何が気に入らないのか、さっぱりわからない。
 やれやれ、女は厄介な生き物だな。
 
 開け放たれた扉のその先で、戦いは終盤を迎えている。
 ロア氏族の魔導研究所と思われる施設の奥。大きな搬入扉の先にある、実験場らしい円形の広間で、武装した一団が激しい戦闘を行っている真っ最中だった。オーヘイ側の探索隊は、総勢五人。リーダーらしい男が一人。銃を持った男が二人、呪紋魔力行使者[グリフレゾンドライバー]らしい男女が二人。
 敵は、小山のような四足獣。魔法的な力を媒介とする魔獣だった。あれがケイト、なのだろうか? 猫のような茶虎の毛並みは情報と一致するが、体のあちこちに瓦礫を貼りつけ、凶悪な手足を振りかざす様は、有機物と無機物が融合した合成魔獣[キマイラ]という形容がふさわしい。あれが虚人本来の姿ということか。
 オーヘイ側はすでに、銃を持った男と、魔法使いの男の計二名が倒され、ボロ切れのように転がっている。遠目にも、致命傷を受けているであろうことが見て取れた。なるべくなら、人の生き死にに関わる事態は避けたかったが、このレベルの敵が相手では、敵も味方も無傷では済みそうもない。こちらの番になった時、果たして味方を守り切れるかどうか。
 広間入口の脇で、様子を伺うソージたち。
 横では、ケイトと覚しき魔獣の元へ飛び出そうとするオキナを、タツミが押さえつけている。悪いがあの魔獣には、オーヘイたちを無力化するまで暴れてもらう。明日は我が身のことなので、卑怯だの何だの言っている余裕はない。
 銃を持ったもう一人の男──ちなみに犬耳つき──が、散弾銃を魔獣に撃ちかける。強力な弾丸を使用しているらしく、散弾は魔獣の表層を大きくえぐる。すでに捕獲は断念しているようだ。しかし、魔獣が一声、咆哮を上げると、周囲に散乱した瓦礫が引き寄せられ、えぐれた部位を無機物で補ってしまう。これでは捕獲はおろか、倒すことも難しいだろう。
「う、うわぁ〜!」
 銃を持った犬耳男が、武器を投げ捨て、こちらへ向かって走り出す。
「馬鹿、サイラス戻れ!」
 リーダーらしき男の制止も聞かず、サイラスと呼ばれた犬耳男は走り続ける。走る、走る、走る。。しかし、広間の入口にたどり着く前に、ぱったりと倒れ、意識を失う。おそらくオーヘイの鎌[ファルクス]に記憶を刈られたのだろう。間違いなく、覚悟の上の行動だ。この状況下で、オーヘイプランにアサインされた者が、死亡を回避しつつ戦闘状態から離脱するためには、ああするしかないのだろう。
 リーダーらしき男は、魔獣の振るった前脚を紙一重で躱し、ライフル銃を撃ちかけるが、効き目はないようだ。向こうも素人ではあるまい。プロ用の装備でも歯が立たないとなると、相当強力な魔獣なのだろう。
「どいて、撃つよ!」
 女魔法使いの叫び。彼女の脇で、聞き覚えのある叩音[こうおん]と、見覚えのあるエネルギーの収束。あれはスパイラルダガーだ。リーダーらしき男の牽制により、魔獣は野戦魔法の射線上にいる。
「テェッ!」
 彼女が告げると同時に、螺旋を描く紡錘形の光弾が射出される。光弾は魔獣の脳天をえぐり、背後の壁まで抉り取る。すかさず、リーダーらしき男が何かビンのようなものを投げつけた。ビンのようなものは魔獣の体に当たって砕け、そこからほとばしる液体が魔獣の体を覆い、石のように固めて行く。魔導的な拘束剤のようだ。
 マズい、倒しちまったか? 焦るソージ。
「ケイトォ〜」
 オキナが声を殺してうめく。
 その時すでに、タツミが神速で飛び出している。一気にオーヘイ側の二人へ距離を詰め、勝利に酔いしれた二人を一挙に打ち倒す。プロだろうが何だろうが、手負いの人間二人なら、対人戦闘の専門家であるタツミの敵ではない。
「ミス帝田、対象の状態を確認」
 この場でミス帝田と呼ばれるのは、アオイの方だ。問われた彼女はすでに、エルグペディアをキーボードで操作している。
「……大丈夫、生きてるよ。あれはケイトに間違いない」
 アオイの報告に、ハッと振り返るオキナ。
「ホントにホント、ですね?」
「うん……」
『それはいいけどさっ……この広間の魔力密度、半端じゃないわ。多分ここ、実験場だと思うけど、根源たる魔力[オートムレゾン]が幻想時代並みよっ。あの程度でケイトちゃん、ホントに大人しくなったのかしらっ?』
 そう、サクラが指摘した直後、広間に立つタツミが、何かに驚いて構えを取る。次の瞬間、広間を揺るがすほどの咆哮が、魔獣から発せられた。
 凝固した体が一気に砕け、飛散する。無数の瓦礫が広間を乱舞し、死者にも生者にも等しく、無慈悲に[つぶて]を打ちつける。
 タツミは大丈夫だ。回避出来る物は回避し、そうでない物は打ち落とすことが出来る。
 入口で待機していたソージは、反射的に物理専用の魔導防壁、ソリッドウォールを展開。飛来する瓦礫の運動エネルギーを中和する。悪いが、オーヘイの連中まで守ってやる余裕はない。
 粉塵の舞い散る広場の中央で、いったん砕けた魔獣ケイトが、再び瓦礫を引き寄せ、物理的な体を再構築して行く。
 ソージが告げる。
「ミス帝田、我々も行くぞ!」
 キーボードとエルグペディアを背負いながら、「うん」と返事を返す、アオイ。
 続けてオキナに問う。
「我々は、ケイトを鎮めに行きます。可能ならば、ミス刻藤にも同行していただきたいが、強制は出来ない。どうされますか?」
 問われたオキナは辺りに転がる、かつて人間だった残骸を一瞥した。それでも彼女は恐怖心を表に現さず、毅然とした態度で決断する。
「行くですね。そのために、あたしはここまで来たですね!」
 期待通りの答えに、ソージは不敵に嗤う。
「ケッ、上等ォ……行くぜ!」
 ソージを先頭に、三人は広間へ飛び出した。
 
 ソージ、アオイに続いて、オキナが広間の中央へたどり着く頃には、ケイトはすでに瓦礫を使って八割方、体を再生させている。
 丸い広間の丸天井に描かれた魔導構造体は、星座を思わせる点と線を結んだ幾何学文様だ。
 先に来ていたタツミが、埃まみれの困り顔で一同に告げる。
「どうしよう……ボク、人間の壊し方しか知らないんだけどなぁ」
「どうせ殴ったぐらいじゃ効きゃしねぇ。奴を牽制して、攻撃を引きつけてくれ。そんくらいなら出来るだろ?」
「わかった、やってみるよ」
「あ、あたしは、どうすればいいですね?」
 オキナに問われ、ソージが指示を出そうとするよりも早く、サクラが告げる。
『オキナさんは、ケイトちゃんに呼びかけるのよっ。今、ケイトちゃんは暴走状態にあるのっ。それが解ければ、魔導的な主であるあなたの言うことを聞くはずよっ。ソージ君たちも、暴走状態を解くことが目標、いいわねっ!』
「わ、わかったですね!」と、オキナ。
「ケッ、そういうこった!」と、ソージ。
「了解!」と、タツミ。
「うん」と、頷くアオイ。
「オラよっ!」そう叫びながら、ソージはスパイラルダガーを起動し、ケイトに打ち込む。再生しかかっていた体の三分の一が、再び砕け散る。
 この程度で、ケイトは死なない。そう割り切って、オキナも声を張り上げる。
「ケイト!! 大人しくするですね!! 迎えに来たですね!! 一緒に帰るですね!!」
 その言葉が通じたのか、魔獣ケイトは一瞬だけ動きを止める。
『効いてるきいてるっ! オキナちゃん、その調子。言葉を魔力に変換して、ケイトちゃんにぶつけるのよっ!』
「ハイですねっ!」
 良くわからないが、ともかく叫び続けるしかない。
 オキナにだけ認識出来る世界で、魔力で出来たケイトの骨格が見える。骨格から数百本の触手が伸び、散乱した瓦礫を掴んで引き寄せて行く。これではきりがない。
 さらに触手のうちいくつかが、他とは違う動きを見せる。オキナは直感的に危険を感じて叫ぶ。
「何か来るですね!」
 すかさずタツミが一同の前に立ちはだかった直後、引き寄せられた瓦礫が一つ、こちらへ向けて射出される。タツミは腰を落とし、気迫を込めて飛来する岩塊を拳で打ち据える。それだけで迫り来る塊は軌道を逸らし、広間の壁面に激突して砕ける。
 その際、わずかだがタツミの体の内に、目には見えない何か……いや、魔導構造体が見えた気がした。初めてタツミと会った時も、それっぽいものを見た気がするが、あれも魔法の一種、なのだろうか……。
 オキナのわずかな戸惑いなどお構いなしに、タツミが笑顔で言う。
「オキナちゃん、その調子。また何かあったら教えてね」
「ま、任せるですね!」
 そう返事をしてからあらためてオキナは、自分が頼りにされていることを実感する。大したことが出来るわけではない。だが、それでも自分の能力が、みんなの役に立っている──その事実が、彼女を大いに勇気づけた。
 ケイト、絶対一緒に帰るですね!
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 5/8■

 
 再生しようとする魔獣ケイトと、それを阻止しようとするソージたちの攻防は続いていた。オキナが呼びかけると、確かに魔獣は動きを鈍らせる。その上、この広間は魔力に満ちあふれており、スパイラルダガーのような消費念量が過大な呪紋魔力でも、易々と架空することが出来る。しかし、それは相手も同じこと。膨大な魔力に物を言わせ、どれほどダメージを与えても、すぐさま付近の瓦礫を使って体を修復してしまう。やがて魔獣の修復速度が、こちらの切り崩す速度を上回り始める。ついに魔獣ケイトの左前脚が完全に再生し、すかさず横薙ぎに払う。タツミは跳躍して軽やかに回避……だが、攻撃を逸らすことは出来ない。
 ソージの展開したソリッドウォールが、左前脚の爪と干渉し、鈍く軋む音を立てる。運動エネルギーを殺し切れていない証拠だ。ソージはすかさず、五発目のスパイラルダガーを放つ。
「ンだとっ!」
 だが、螺旋を描く光弾は、魔獣ケイトが再生した左前脚を使い、横方向に跳躍することで回避されてしまう。均衡が崩れた。わずかな隙に、魔獣は残る右前脚も再生し、四足獣としての機敏さを取り戻した上で、間髪入れずソージたちに襲いかかる。
 タツミがオキナを、ソージがアオイを庇った間の床を、ケイトの爪が深々とえぐる。
「ケイトォ!」
 オキナの叫びも、決定的な効果はない。意図せぬ形で一同は分断される。ソージは反射的に魔導銃、バレットストライクを架空させると、ポケットから取り出した特殊弾を装填し、魔獣の鼻面に打ち込む。
 ケイトが苦悶の声を上げ、同じく逃げるオキナも「きゃうっ!」と叫ぶ。高圧の魔力を拡散させることで魔導的な感覚を惑わす、対魔導閃光弾。魔力付与した実体弾を使用するため、コストと弾数に制限はあるが、ソージ自身には無効な所が大きな利点と言える。
 タツミは転びそうなオキナを支えながら、広間の入口付近へ撤退。オキナを庇ったまま近接戦闘を行うのは無理という判断だろう。
 一方、ソージはアオイと共に、広間の隅、壁がえぐれて窪みになった場所を目指す。直近で対魔導閃光弾を食らった魔獣は、しばらく動きを鈍らせていたが、すぐさま瓦礫の体を跳躍させ、ソージたちへ迫った。
 二人が隙間へ逃げ込んだ直後に魔獣が突っ込んで来るが、ソージが全力で架空したソリッドウォールに阻まれる。敵の侵入角度を特定し、魔導防壁を斜めに展開することで、有効な装甲厚を割増ししたおかげだ。しばらくは耐えられそうだが、長くは持ちそうにない。
 ソージは瓦礫の隙間から魔獣を睨みつけながら、肩越しにアオイへ問う。
「ミス帝田、策はあるか?」
 犬耳少女はキーボードを叩き続けながら言う。
「今、検討してる……少し持たせて」
 彼女の考えていることは、良くわからない。だが、有能な助手が根拠のない発言をしないことは、良くわかっている。ソージは「頼む」と短く返事をして、魔獣の動きに意識を集中する。現状を打破する策があると言うなら、それまで耐えて見せるまでだ。
 
 瓦礫の虚人を前に、ソージが必死の防戦を続けている背後で、アオイは彼女にしか成し得ない戦いを繰り広げている。エルグペディアに繋いだキーボードを介し、もっとも使い慣れた魔導演算装置、ダブルプラスクライで情報の奔流を御し、ある一点を目指して魔導構築物を設計する。狙った結果が出るまで、次々とパラメータを変更し、膨大な試行錯誤を繰り返す。
『無茶よ。これじゃ……こんなことしたら、お姉様っ!』
 アオイが立案中の代物に、戸惑うサクラ。
 異論めいた自称妹の言葉を無視して、彼女はソージに告げる。
「所長、手順が出来た。説明するから聞いて」
 六発目のスパイラルダガーを射出するも、またもや回避されたソージは歯噛みをしつつ、「あぁ、待ってたぜぇ」と、返す。アオイにとっては嬉しい返事だった。
 
 オキナが認識出来る魔導的な視界に突如、それは現れた。先ほどと同じ、まぶしい魔力がケイトに炸裂した直後、ソージたちが逃げ込んだ瓦礫の隙間から構築された魔導構造体は、巨大な手を思わせた。まるで、巨大な人型の何かが、隙間から手を突き出しているかのようだ。良く見るとそれは、五基のスパイラルダガーを五本のアームで支えた物。それぞれの野戦魔法が、まるで五本の指のように独立して動いている。
 螺旋を描く五つの光弾が、五基のスパイラルダガーの先端から発し、射出されることなく、野戦魔法の本体ごと、ケイトに打ち下ろされた。三撃目までは回避したケイトだが、四撃目の直撃を受けて動きを止める。そこへ、残る四基のスパイラルダガーが容赦なく打ち下ろされた。ケイトは瓦礫の体を削り取られながら、魔法の手に握り潰されて行く。苦しげな魔獣の咆哮に合わせるように、五基のスパイラルダガーは、ますます螺旋の輝きを増す。圧倒的な破壊力だった。
 オキナは内から込み上げる感情を吐き出した。
「ダメですね!! やめるですね!! ケイトを殺しちゃダメですね!!」
 血管が千切れるほど叫んだが、攻撃が止む気配はない。捕らわれのケイトは全力で暴れ回り、必死に脱出を試みる。そのために魔法の手の中指に当たる、中央のスパイラルダガーが跳ね上げられ、煙を噴いて動きを止めるが、残る四基の勢いは止まらない。逃れることも、振り払うことも出来ずに魔導構造体ごと体を四散させて行く。ケイトは脱出を試みつつ、同時に破損した体を再生させようとするが、破壊速度を上回ることは出来ない。
 たまらずオキナは、いったんは待避した広間の入口から、ケイトの元へ駆け寄ろうとするも、タツミが無言で押さえつける。
「ダメッ、放せっ!! 放すですねっ!! そんなこと、これっぽっちも頼んでないですね!! ケイト……ケイトォ!!」
 タツミは何も言わなかった。ただ、黙って彼女の暴走を押し留めるのみ。いつも彼女を助け、守ってくれたタツミがなぜ、今は自分の邪魔をするのだろう……爆発する感情の片隅で、オキナはそう考えた。
「?……っ!!」
 そして、唐突に理解する。タツミは今も、オキナを守るためにそうしているのだ、と。手のつけられない怪物と化したケイトから、彼女を守るために。自棄になって、暴れるケイトに突っ込ませないために。
 ソージだって、好きでケイトをいじめているわけではない。オキナの言うことも聞かず、捕縛も出来ないとなれば、殺してでも大人しくさせるしかない。そうしなければどうなるかは、広場のそこかしこに破片が散乱している、かつてオーヘイ側だった者たちの末路を見れば明らかだ。誰もが好きで、彼女の意志を無視しているわけではない。他に方法がない以上、諦めるしかない。
 オキナは暴れるのを止め、じっとケイトの最後を見守る。
「ケイト、ケイト、ケイトォ……ゴメン、ゴメンですね……」
 知らぬ間に、熱い涙が滴っていた。声を出さずに鳴く彼女を、タツミは優しく抱きしめる。悲しみの絶頂の中で感じる温もりを、どう受け止めるべきかわからず、彼女はただ、体を預けることしか出来ない。
 ……と。
 突如、手を思わせる五基のスパイラルダガーのうち、壊れた一基が分解し、残る四基が螺旋の光弾を輝かせたまま動きを止めている。それから見覚えのある、一連の動き。それは、次元隔壁への変形だった。瀕死のケイトなどお構いなしに、アームの先端で四つの次元隔壁が構築される。辛うじて一命を取り留めたケイトは距離を取り、手近な瓦礫を取り込んで再生を開始。
「そうか……そういうことか。ソージ、やるね」と、つぶやくタツミ。
 仮称美人はオキナを解放すると広間へ飛び出し、最大時の五分の一ほどになったケイトに、全力で拳を打ち込む。再生しかけたケイトの体が、再び四散する。
 その頃にはオキナも、ソージやタツミが、ケイトを倒そうとはしていないことに気づいていた。四つの次元隔壁は構築を完了すると門扉を開く。それはどこの空間とも繋がっておらず、ただひたすらに周囲の魔力を吸収して行く。巨大な魔力の消費活動は、周囲に満ちた魔力をすべて食らいつくすほど。広間の壁面にびっしりと描かれていた魔導構築物の壁画が崩れ、魔力の粒となって次元隔壁に吸い込まれて行く。ケイトが再生するために集積した魔力も、根こそぎ門扉が吸収する。それでも魔力が足りず、四つの門扉が自壊した頃には、ケイトも小さな魔力の塊に変わっていた。
 ソージが五基のスパイラルダガーを構築したのは、ケイトを倒すためではなく、ケイトを暴走させていた魔力を消耗させるためだったのだ。濃密な魔力が吸収された後に、我を忘れた魔獣の姿はない。オキナは、ゆっくりとした足取りで、かつて魔獣だったものの元へと歩む。瓦礫の隙間から、ソージとアオイがのっそりと出てくる。二人にペコリとお辞儀をし、傍らに立つタツミに笑顔を向けてから、そっと魔力の塊を抱き上げた。反映領域だけに存在する、魔導構造体の塊。
「ケイト、ケイト……お久しぶりですね」
 そう、呼びかけると、小さな魔導構造体がもぞもぞと動き、「ニャァ」と鳴く。
 少女はそれを、優しく抱きしめた。自身の中に秘めた力が、小さな魔導構造体……彼女の愛猫、ケイトに流れ込んで行くのが分かる。今度は暴走ではない。制御された構築がなされ、骨格、筋肉、血管、神経などが生じ、目に見える、見慣れた茶虎の猫に変じて行く。
 ようやく、ケイトをこの手に取り戻したのだ。
「タツミせんぱ……」
 だから、振り向いてタツミに感謝の言葉を述べようとした彼女は、咄嗟に何が起こっているのか理解出来ずにいる。
 最初に見えたのは、渡頼場ソージの背中。
 次に見えたのは、穂村タツミの突き出した腕が、ソージをえぐる瞬間。
 それが何を意味するのか、刻藤オキナにはわからない。
 鮮血を滴らせながら、ソージが地の底から響くような声で問う。
「タツミ、テメェ……どういうつもりだ」、と。
 
 それは、極めて僅差のことだった。
 凶器の水準にまで高められたタツミの突きを、ソージは魔導防壁で逸らせ、さらに自身の体を割り込ませることで、右上腕部をプロテクターごと軽くえぐられる程度で留めることに成功する。でなければ、オキナは頚動脈を切り裂かれ、愛猫を取り戻せたという幸福感のうちに、絶命していただろう。
 だが、タツミは必殺を意図した一撃が外されたことを悟るや、たちまち先ほどまでソージが立っていた場所へ移動し、茫然としているアオイの首筋に、右手刀を突きつける。徒手空拳とはいえ、彼の腕なら一撃で絶命させられる位置。
 ソージが叫ぶ。
「ミス帝田、指示があるまでその場を動くな!」
 アオイは視線だけを動かし、突きつけられたタツミの指先を見てから、小さく頷く。
 犬耳少女を人質に取ったまま、タツミが穏やかな口調で評する。
「へぇ……このタイミングで、オキナちゃんを庇えるってことは、一応疑ってはいたんだねぇ。アオイちゃんまでは、気が廻らなかったみたいだけど」
 ソージは内心の焦りを押し殺し、可能な限り平然と、使い物にならなくなった右肩のプロテクターをむしり取る。いくらか平静を取り戻してから、問う。
「……ケッ、想定はしてたさ。だがよ、虚人は主と揃ってなきゃ意味はねぇはずだ。そいつを消そうとするたぁ、一体どういう了見だ?」
 問われたタツミは、なるほどと得心して答える。
「あ、そういう意味か。疑ってはいたけど、事を起こすににしても、このタイミングはあり得ないと思ってたわけだ。……生憎と、ボクの目的は、虚人を入手することだけだから、主を連れて行くことは、考慮しなくていいんだよ」
「そいつがテメェの、真のプランか……」
「ご推察の通り。いつから気づいてた?」
 気楽に話しているように見えて、アオイの首筋に突きつけた手刀は、微動だにしない。ソージはしばらく、タツミを険しい表情で睨みつけてから答える。
「……最初にテメェが騎士[ナイト]気取りで、ミス刻藤にくっついて事務所へ来た時から、変だとは思ってたさ。手加減が嫌いとか言ってる割にゃ、ザコ相手に大立ち回りしてるしな。それから情報樹で調査してる時に、ウチのシステムが破られたのも、防壁に裏口を開ける奴がいりゃ簡単だ。監視や盗聴の形跡もねぇのに、何かにつけてウチが後手に廻ったのだって、内通者がいると考えりゃ納得が行く。極めつけは、眼鏡野郎の最後だ」
「……昨日やり合った、反愚の親玉か。あれはさすがに、わざとらしかったかねぇ」
「ケッ、承知でやったのかよ。あん時、眼鏡野郎は気絶する前に、オーヘイの鎌[ファルクス]を発動させた……つまり、途中でプランを放棄したってことだ。オーヘイ様にぞっこんだった奴が、野郎自身の意思でプランを放棄するなんざ、よほどのことだろ。おおかたテメェの正体に気づいて、オーヘイ様に絶望したって所だろうよ」
 タツミは、フンと鼻を鳴らしてから言う。
「勝手に期待して、勝手に絶望されちゃ、オーヘイだっていい迷惑だよ。神様じゃあるまいし。でも、そこまで気づいてて、ボクを放置してたってことは……」
「テメェと一緒さ。利害が一致する間は、敵だろうが何だろうが、利用させてもらうまでよ」
「そうかい。やっぱりボクたちは、気が合うねぇ」
「ケッ、まったくだぜ、畜生!」
 話がひと段落した所で、オキナがソージの袖を引く。彼がわずかに視線を向けると、猫の姿の虚人を抱えた少女が、不思議そうに訊ねる。
「それで一体……どういうことなんですね?」
 問われたソージは、タツミに向き直り、ニヤリと嗤いながら告げる。
「タツミさんよ……依頼人様たってのご希望だ。ここは一つ、わかりやすく教えてやっちゃぁくれねぇか?」
 タツミも、薄い笑みを浮かべる。
「いいよ。オキナちゃんには、色々と疑問があるみたいだからねぇ……これで、どうだい?」
 そう言って、仮称美人は左手でワンピースの胸元を掴み、ジーンズ生地と、アンダーウェアのタイツを引き千切りながら、一気に左胸をはだけさせる。
「キャッ!」と、悲鳴を上げつつも、オキナは視線を逸らさない。
 そこには、明らかに女性のそれとは異なる、鍛え上げられた男性の胸板があった。さらに良く見ると、左胸の上、鎖骨の下の辺りに、〈O-hey〉と読み取れる、黒いロゴマークが痣のように浮かび上がっている。
「……た、タツミ先輩、やっぱり男の子、だったんですね」
 的外れな依頼人の認識を、ソージが補足する。
「あぁ、奴は男さ。ついでに言やぁ、奴はオーヘイの裏プランにアサインされた、裏社会の人間……オレたちの敵さ!」
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 6/8■

 
 タツミがオキナを害しようとする直前、次元隔壁オーメド・ケイオードを介した、魔導研究施設とバリオン市国との接続は途絶している。回線品質を維持出来ないため、サクラがアオイのエルグペディアへ送った最後のメッセージは、以下の文字情報のみであった。
『お姉様、接続が不安定になってるわ。回線に割り込みもかかってる。そちらからの再接続は難しいから、こちらで何とかする。しばらく時間を頂戴』
 暴走状態にあったケイトを鎮めるためとはいえ、施設内に蓄積された貴重な魔導資源を、消費念量過多な呪紋魔力を多重起動させることで一気に空費させてしまった。そのため、次元隔壁によるバリオン市国との接続が切れ、魔導演算装置ダブルプラスクライも架空状態を維持出来ずに消滅している。
 その上アオイは今、敵であることが確定した穂村タツミの人質となり果てていた。だが、自らの立案で手足を潰してしまった彼女には、たとえ首筋に凶器を突きつけられていなくとも、出来ることはすでに限られている。
 それはソージも同じはず。一基でも安定させるのが難しい、次元隔壁に変形するスパイラルダガーを五基同時に架空させた物──スパイラルフィンガーを、接近戦で運用して見せたのだ。潤沢な根源たる魔力[オートムレゾン]とアオイのサポートがあったとはいえ、反映領域が認識出来ない状態で架空し続けるのは、相当な負担のはず。良く、オキナを庇うために飛び出せたものだと思う。
 ソージはいつも、平然と無茶をやってのける。その結果がどうであろうと、彼はそれを受け入れ、前に進み続けて来た。それは、これまでも……そして、これからも変わらないのだろう。
 タツミと対峙するソージは言う。
「んじゃ、そろそろおっぱじめるか」
「そうだね、始めよう」と、タツミ。
「お互い手持ちの女を賭けて、男の勝負と行こうぜ」
「いいねぇ。ボクに異存はないよ」
「テメェが勝ったら、猫はくれてやる。ただし、ミス刻藤とミス帝田には手を出すな。オレぁ、煮るなり焼くなり好きにしろ。……それでよろしいですな、ミス刻藤」
 ソージに確認されたオキナは呆然と立ちつくしながらも、辛うじて意味を理解したらしく、コクリと頷く。
 タツミも頷きながら言う。
「そっちで合意が取れたなら、良いんじゃないかな。ボクが負ければ、死ぬか記憶を刈られるかの二択だしねぇ」
 余裕で快諾するタツミに、ソージは苦い顔で指摘する。
「ケッ……てこたぁ、テメェはここから自力で帰るアテがあるんだな。門の接続が切れてるのは、知ってんだろうが」
 そう指摘されたタツミは、空いた手で裏プランへアサインされた自身のエルグノートを取り出し、素早く情報を確認した。
「そのようだねぇ。あぁ、ソージの魔導演算装置も落ちてるんだ。……まぁ、最初からあの門で帰るつもりはないよ。手はずでは、もうすぐオーヘイ側の迎えが来るはずなんだ。その時、虚人を引き渡せば、ボクのプラン完遂ってこと。ちなみに、エルグ側には妨害がかかってるはずだから、時間稼ぎをしても、損するのはソージたちの方だよ」
「ご忠告、感謝するぜ、畜生。ミス帝田! 私はこれからタツミと決着をつける。その間、ミス刻藤と一緒に、さっきの瓦礫の隙間で待機してくれ。勝敗が決したら、施設を出るまで勝者の指示に従うこと。いいな!」
 忠誠を誓う所長の指示。それでもアオイは躊躇した。思わず、最悪の結末を想像をしてしまったからだ。もしそうなった時、果たして彼女は正常な判断が出来るのだろうか?
「どうした、ミス帝田、返答しろ!」
「でも……」
 答えあぐねるアオイに、ソージは破顔して言う。
「……ケッ、オレぁ負けねぇよ。ちょっと待ってな」
 根拠などない……だが、不思議と説得力のある言葉に、アオイは犬耳熱くなるのを感じつつ、返事をする。
「うん……待ってる」、と。
 それが彼女の選んだ道だった。ソージの意志には可能な限り従う。でも以前のように、神にも等しい存在だからといって、それに盲従するつもりはなかった。
 もはや彼女に、頼るべき神はいない。あの時、自分でそう決めたのだ。
 ……もう、エルジオーグは神じゃない、と。
 それを絶対に忘れてはならない。この状況を打破するために、最大限のことを成す必要がある──今、すぐにだ。
 ソージの合図で、男子二名は女子二名のそばから離れる。アオイは、ヨロヨロと歩いてくるオキナと合流し、彼女の手を引いて、広間の入口より奥の方にある、瓦礫の隙間へと移動した。握ったオキナの手が、小刻みに震えている。彼女の腕の中で、猫の姿をした虚人のケイトが主を心配するように、ニャァと鳴いた。
 
 オキナは頭の中が真っ白だった。眼鏡の大男に論破された時も、ケイトがソージの魔法に倒されると思った時も、ここまでのショックは受けていない。絶対に自分を守り、絶対に自分を裏切らないはずの存在に裏切られたという事実は、彼女には到底、受け入れられるものではなかった。たとえそれが、最初から何の根拠もない、勝手な思い込みだったとしても。
 眼前では、ソージとタツミの決戦が開始されていたが、オキナはどこか別な世界の出来事であるかのように眺めていた。
 あんなに仲の良かった先輩たち二人が、本気で戦う理由なんて、あるわけないですね。
 事実、二人は実に落ち着いた表情で向かい合っている。まるで、訓練か何かのように。そう、これは昨晩泊めてもらった、タツミの実家である鳴鈴拳の道場屋敷で見た、門下生たちの修行と何ら変わらないはずだ。
 鳴鈴拳とは、千年前にこの国に伝わったという、対人戦闘に特化した素手の格闘術。この拳法を身につけるためには、独特の修行法がある。それは、後頭部から紐に括られた大きな鈴を吊し、鳴鈴拳独特の動きを鈴を鳴らさぬ様に行うというものだった。道場屋敷に集う門下生たちが、鈴つきで修行をする様は、かなりインパクトのある光景。
「鈴を鳴らしちゃいけないのに、鳴鈴拳って鈴を鳴らす拳法なんですね?」
 オキナが素朴な疑問を口にすると、タツミは実際にやって見せてくれた。長い四つ編みの髪に、修行用の鈴を括りつけ、型通りに一連の動きを行う。なめらかに次々と攻撃が繰り出される間、鈴は一切、鳴ることはない。
「これが基本なんだけど、鳴鈴の概念には続きがあるんだよ」
 そう言いながら、タツミは深く腰を落として息を吐く。次の瞬間、一気にオキナとの距離を詰め、強烈な突きを放つ。繰り出す拳が彼女の髪を揺らし、頭蓋が砕けるのではないかと思える一撃が、左側頭部をかすめた直後、鈴が一回だけ、リンと鳴った。
 タツミは拳をゆっくりと引いてから、四つ編みの先に括りつけた鈴をガラガラと鳴らしながら言う。
鳴鈴[メイリン][イタズラ]ニ鈴ヲ鳴ラサズ。[タダ]、鈴ヲ鳴ラスニ足ル一打ノミ放ツベシ。……つまり、鈴を鳴らさない修行をした上で、それでも鈴を鳴らす価値のある一撃を放ちなさい、ということだよ」
 今思えば、タツミはいつでもオキナの命を奪うことが出来た。それをしなかったのは、ケイトを手に入れるためには、彼女が生きている必要がある──ただ、それだけのために、敵である“彼”に生かされていたのだ。いや、ケイトが手に入れば殺さないと言うなら、殺す価値すらないということか。オキナは果てしなく、自分自身が無意味な存在に思えて来た。
 
 ソージとタツミの戦いが開始されてから、しばしの時間が経過している。
 中長距離からの魔法攻撃を主体としたソージと、接近戦に特化したタツミ。自然、距離を取ろうとするソージと、距離を詰めようとするタツミという構図になる。広間を縦横に動き回る二人。だが、ソージからすれば、距離を取りすぎれば投射魔法は簡単に回避されてしまうし、かといって、接近を許せば格闘では分が悪い。近寄りさえすれば良いタツミに比べ、ソージは微妙な距離の調節を必要とする。五連独立駆動のスパイラルフィンガーを放った直後に、この戦いは正直キツかった。
 ただの殴り合いなら、ソージに勝ち目はない。そこに魔法力を加えることで、辛うじて均衡を保っているだけだ。認識出来ても体が反応出来ない攻撃に対しては、魔導防壁を限定的に発動することで受け止めることが出来る。だが、認識出来ない攻撃は、魔法でも防ぎようがない。すでに三発、タツミの重い攻撃が彼の肉体に打ち込まれている。急所は外れていても、それらのダメージが、徐々に彼の動きを鈍くする。
 唯一の救いは、衰滅した施設内の根源たる魔力[オートムレゾン]が、辛うじて現代の呪紋魔力を構築出来る水準を保っていること。ソージが戦闘でメインとして使う、物質、魔力を問わず投射可能な拳銃型呪紋魔力、バレットストライクと、物理的なあらゆる運動エネルギーを吸収し、熱エネルギーに変換することが出来る、物理防御型呪紋魔力、ソリッドウォールは、問題なく架空出来る。
 しかし、それを言うならタツミの方にも利があるはずだ。彼の驚異的な身体能力はおそらく、魔法的な何かが介在している。反映領域を認識出来なくとも、ソージは薄々気づいていた。
 前にタツミ自身から聞いたことがある。それは確か、[オロシ]と呼ばれていたはずだ。
 何でも、歴代鳴鈴拳士のノウハウを蓄積し、その意識体を現世代の鳴鈴拳士に“卸す”ことで、若輩でも達人レベルの技術と、超人的な身体能力を得ることが出来る秘技だと言う。最初にこの話を聞いた時には、眉唾な話だと──いや、嘘ではないにしろ、古武術特有の精神的な心構えの一種、ぐらいの代物だと思ったのだ。
 だが、実際的に想像すれば、魔導専用装置[アプライアンス]のようなものを介在さることで、魔法力のない人間にその種の魔力を付与することは不可能ではない。だとすれば、敵は鳴鈴拳、千年分の知識と技術を備え、その上、魔法で基礎体力を底上げされた魔法拳法家ということ。おそらく、呪紋魔力行使者[グリフレゾンドライバー]に対する戦闘も考慮されているはずだ。一年前、初めてタツミとやり合ったあの日の戦いが続いていれば、倒されていたのはソージだったかもしれない。
 五年前に魔法使いとして致命的なハンディキャップを負い、渡頼場家の主流から外れてしまった彼は、いつしか喧嘩に明け暮れる、俗に言う不良となっていた。タツミと知り合った後、エルグプランにアサインされ、兄の残した渡頼場架空事務所を継ぐ決意をしたのも、ソージを見捨てた渡頼場家から離れ、独力で生きる糧を得たいと思ったからだ。
 お互い、家のことを詳しく話したことはなかったが、どうやらタツミも、鳴鈴拳の宗家である穂村家には複雑な思いを抱いているらしい。今回の造反劇も、彼の家庭事情に起因するものなのだろう……と、ソージは当たりをつけていた。
 ……ケッ、相変わらず面倒臭ぇ奴だな、テメェは。
 彼がそう考えていた時、突如戦局が変わる。数撃の攻防の後、タツミが四発目の重い膝蹴りを脇腹に叩き込み、それと引き替えにソージが零距離投射した、固形化魔力装填型のバレットストライクがこめかみを掠り、頭部に巻いた鉢金が千切れ飛ぶという、最小限のダメージで後方へ回避した直後。タツミは今までに倍する速度で……だが、フェイントも何もなく、ただまっすぐに突っ込んで来る。バレットストライクを発動した直後のため、魔導防壁を架空する余裕はないが、動きは丸見えだ。特攻に合わせて拳を繰り出すソージ。当たらぬまでも、牽制にはなるだろうとの思惑。だが、タツミは回避する素振りを見せない。大きなモーションで、渾身の拳を放とうとしている。
 その一瞬、リンという鈴の音が聞こえたような気がした。
「っ!?……ンゴフッ」
 直後にソージは、タツミの拳を胸に受け、防刃、防弾ベストを砕かれながら地面を転がっている。
「ソージ君!」
 どこからか、悲痛な叫びが聞こえる。……誰だ? ……ありゃ、犬耳女の声か? ……らしくねぇな。何をあわててやがる。オレが死んでも関係ねぇだろ。テメェは、エルグプランにアサインされて来ただけの、単なる派遣なんだからよ。エルグ様の命令とありゃ、どこにでも行くし、何だってするんだろ。でなけりゃ、オレみてぇな壊れかけの架空屋に、テメェみてぇな優秀な奴が来るワケ……。
 そんなことを考えつつも、ソージは地面を転がる勢いを利用して起き上がり、辛うじて体勢を立て直す。追い撃ちに来たタツミの拳を魔導防壁で受けながら、自身の右拳をフック気味に左肩へ打ち込む。タツミがわずかに顔を歪め、距離を取る。
「ソージ君、ソージ君!」
 背後でアオイが、必死に叫んでいる。精一杯、自分を心配する声だ。
 だから彼は一喝する。
「キャンキャン吠えるな。ウルセェぞ、アオイ!」、と。
 沈黙する犬耳少女。だがそれは、叱られて落ち込んだ沈黙ではなく、いまだにソージが健在であることを確信し、安堵した末の沈黙だった。
「ソージ君、負けないで……アオイが絶対、何とかするから……」
 最後にそんな声が、小さく聞こえた気もする。
 ソージは痛みを堪え、疲労を忘れ、気持ちを奮い立たせると、敵するタツミに問う。
「ケッ、そいつがテメェの、必殺技かよ」
 女装少年は涼しい顔で答える。
「相手を確実に殺せない技は、必殺技とは言わないんじゃないかな? 一応、鳴鈴拳の中でも、一番威力の高い技ではあるけどねぇ」
「名前は……技の名前は何て言うんだ?」
「?……ボクは、技名を叫ぶような趣味はないんだけどねぇ」
 そう前置きしてから、タツミは告げた。
「鳴鈴拳、[オロシ]天則[テンソク]」、と。
 
 タツミは見た目ほど冷静でも、余裕でもなかった。
 ソージの粘りは、彼の予想を遙かに超えている。全開で卸を発動させた上に、満を持して放った天則さえも耐え抜くなど、あり得ないことだった。本気の勝負をすれば勝てるだろうというタツミの予想は、じわじわと覆されつつある。
 オキナが何度か目撃している、彼に重なるように架空された人型の魔導構築物こそが、卸と呼ばれる技の正体だった。ソージが予想した通り、それは鳴鈴拳の道場屋敷地下に設置された、神体[シンタイ]と呼ばれる魔導専用装置[アプライアンス]によって管理されている。
 今回の件でわかったことだが、魔導構造体が物質に干渉し、付近の瓦礫を動かして仮初めの肉体とする魔獣ケイトと、達人の一挙手一投足を再現し、身体能力を強化する卸は、根本的に同じ虚人の魔導技術が用いられているようだ。だとすれば、虚人であるケイトが失踪した原因にも心当たりがある。
 いまさら、オキナちゃんに弁解するようなことでもないけどねぇ。
 タツミは再び構え、卸を発動する。魔導構造体が強化内骨格として肉体と融合。この力が彼に、余人には及びもつかぬ身体能力を与え、同時に、ありふれた幸せを奪ったのだ。せめて、失った分を帳消しにするだけの働きはしてもらう。
 神体によって付与された魔力は、卸と、そこから派生する天則を発動させる分を含めて、あと一回。魔導の専門家ではない彼は、ソージやアオイのように、設定を変更して消費念量を抑えるといった微細なカスタマイズは出来ない。次で決めなければ、こちらが圧倒的に不利になる。それだけは、何としても避けねばならない。
 タツミは内心の焦りを押し殺し、まだいくらでも戦えるという風を装って言う。
「そういえばソージ、キミはボクに聞かないのかい?」
 荒く息をつきながら、ソージは答える。
「何がだ?」
「そりゃ……もちろん、何でキミたちを騙してまで、ボクがこんな真似をしたか、とかさ」
 タツミとしては、オーヘイの援軍が来るまでの時間稼ぎとして持ち出した話題だった。最悪、次の攻撃を凌がれても、援軍が来れば形勢は再度、逆転可能だ。ソージさえ倒せば、あとは卸が使えなくとも虚人を入手するのは造作もない。理想としては、オーヘイ側の魔導隔壁が再度開通する直前にソージを倒すことだが、誰の手を借りることになったとしても、虚人を入手出来る目途をつけておくことが、最優先課題だった。
 タツミの提示した話題に、オキナが顔を上げる。予想通りの反応だ。仮にソージが無視したとしても、依頼人であるオキナが興味を持てば、話題を継続出来る。
 彼の問いに、ソージはこう答えた。
「オレは、テメェの流儀に従ってるまでさ──」、と。
 続けてソージは吠える。
「──話の通じない相手と、手加減しなけりゃいけない相手とは争わない主義、なんだろ? オレぁ、壊れかけの架空屋だがよ、テメェの言いてぇことぐらい理解出来るし、手加減させてるつもりもねぇ。要はテメェと、本気で喧嘩するだけの資格は、十分あるってこった。下らねぇ泣き言なんざ、どうでもいい。とっととケリつけようぜっ!」
 っ!……キミに一体、何がわかる? 三流術者のキミに、ボクと対等な立場のつもりになられちゃ、いい迷惑だよっ!
 反射的にそう言い返そうとして、タツミは言葉に詰まり──そして気づく。渡頼場ソージは、言葉通りのことを、ずっと実践して来たのではないか、と。その事実を、誰が認めなくとも、穂村タツミ自身が認めているのではないか、と。
 追い撃ちをかけるように、ケイトを抱えたオキナが叫ぶ。
「そうですね、やっちゃってくださいですね! どうせ、あたしはタツミ先輩が本当のことを言ってるかなんて、わかりっこないですね!」
 自身の無力さを認めた上で、それでも前に進もうとする……まったく、ソージもオキナちゃんも、大したもんだよ。
 そしてタツミは苦笑しながら言う。
「へぇ……。その答えは、期待以上だねぇ。じゃぁボクも……キミたちの期待に応えられるよう、努力してみるかな」、と。
 
 ソージは必死に考えた。
 どうすれば、タツミに勝てるかを。体力は、とうに限界を超えている。かなりの血を失ったし、骨も何本かやられているはずだ。無茶を続けるにしても、あと一戦するのが限界だろう。先ほどタツミが見せた、天則なる技。あれをモロに食らったら、今度こそ確実に死ぬ。胸の防具に刻まれたタツミの拳が、二度目はないことを物語っている。だからどうしても、タツミに勝つ方法を見いださなければならない。
 技術と体力が同等なら、あとは知力で勝る方が勝つ。ソージには、タツミに勝るだけの格闘術はないが、喧嘩仕込みの腕力ならば……つまり、当てることさえ出来れば、倒すことは不可能ではない。とすれば、天則とを迎撃するのが一番確実だ。あれだけ防御無視で突っ込んで来るなら、やりようはある。だが、それなら先ほども何とか出来たはずだ。なぜ自分は、あんな大技をモロに食らったのだろう? そこまで考えて、ソージは真逆の事実に気づく。
 いや、そうじゃねぇ。あれだけの大技をモロに食らって、なぜオレは、生きてるんだ?
 ソージは必死に考える。
 
 オキナには視えていた。
 タツミがソージに、必殺を意図した拳を打ち込む寸前、タツミの体から魔導構造体の腕が何本か出現し、ソージの動きを止めたのを。それを伝えるべきだろうか?
 専門家に、素人の自分が何を教えられると言うのだ? そうも考えたが、自分がまったくの無力ではないこともわかっている。だから声を張り上げた。
「ソージ先輩! さっき、タツミ先輩から、魔法の手が出て、動きを止めてたですね!」、と。
 その言葉に、ソージはオキナを振り返りこそしなかったが、片手を挙げて、「助かります、ミス刻藤」と、返事を返す。
 オキナは満足感と同時に、歯痒さも感じていた。
 今の自分に出来ることはやっているつもりだ。でも自分には、もっと色々なことが出来るのではないか? 彼女に魔法の才能があるなら、それをもっと伸ばす努力すべきだと思う。無力なまま、誰かに守られるだけの自分ではいたくない。
 そう考えながら、オキナはケイトの頭を撫でた。愛猫は周囲の争乱などお構いなしに、彼女の腕の中で静かに寝息を立てている。反映領域を認識出来る彼女の能力をもってしても、それはすでに、ただの猫にしか視えなかった。
 
 アオイには、魔導演算装置が必要だった。
 必要な情報は揃っており、実際に流し込むスクリプトまで、エルグペディア上で作成してある。あとは処理を実行するだけだが、それを実現するためには、ダブルプラスクライ級の魔導演算装置を必要とした。交戦中のソージに再度架空してもらうのは無理。魔導研究施設の装置でも良いのだが、システムを掌握するための時間が足りない。今、この瞬間に、アオイが自在に扱える魔導演算装置がなければ、ソージを救うことは出来ないだろう。
 そんなもの、あるわけない。実行不可能なプランを立てて、自分は一体、何をしようと言うのだろうか? 合理的とは言い難い自身の行動に戸惑いつつ、ふとアオイは、傍らに立つオキナを見た。
 少女の腕の中で、茶虎の猫が、尻尾をゆらゆらと揺らしている。
 
 ソージは魔法を無効化出来るのかもしれない。
 それが、タツミの結論だった。オキナが指摘した通り、天則の正体は魔導構築物の腕によって対象を拘束し、その間に鳴鈴拳が到達し得る、至強の一打を放つというもの。単純明快であるがゆえに、回避は至難。効果は一瞬だが、その拘束力は魔導防壁すら凌駕する。鳴鈴拳は、対魔導戦闘も十分に考慮されているのだ。にもかかわらず、ソージは天則から逃れ、体をひねって天則からの一撃を半減させている。それはつまり、ソージには魔法が通用しない、もしくは完全に作用しないということだ。理屈はわからないが、そうとでも考えなければ、完璧に発動したはずの天則から逃れられるはずはない。
 魔法の視えない……だが、魔法の効かない魔法使い、か。人のことは言えないけど、それって結構、反則じゃないかなぁ?
 
 タツミが動く。
 一気に距離を詰め、重く鋭い刃のような攻撃を、降りしきる雨のごとく次々と繰り出す。右拳、左手刀、右脚、右脚、左廻し蹴りから左手刀。ソージはそれらを手足と魔法で受け切った後、一番自信のある右拳を一閃。タツミの右頬を捉えるが、手応えがない。旋頚[センケイ]とかいう技か。ソージが右拳を引き戻すより早く、タツミは体を旋回させながら踏み込んで脚を狙う。たまらずバックステップしたソージを、タツミが追撃。頚部を狙った突きを、物理魔導防壁であるソリッドウォールで防御させられる。次の一撃は、受けるか回避するしかない。どうにか転倒を堪えたと思った直後、タツミが再度踏み込む。来る気か?
 迎撃のため拳を振り上げるソージと、低い姿勢で急接近するタツミ。その二人が、直前でぴたりと停止する。図らずも見合う、ソージとタツミ。
 畜生、奴も気づきやがった! 心の中で吐き捨てながら、ソージはさらに距離を詰めようとするも、タツミは冷静に距離を取る。……チイッ、仕切り直しかっ! そう考えた一瞬の隙を突いて、タツミが猛然と迫る。瞬きする間もなく、眼前に敵。
 リンという鈴の音が、脳裏に響き渡る。
 ソリッドウォールを架空する間もなく、タツミの抜き手がソージの胸を深々と貫く――かに見えたが、流星光底のごとき一閃は、防具ごと彼の胸板を真一文字に斬り裂くのみで、惜しくも長蛇を逸する。
「グガッ!」
 かわりに鈍い音がして、タツミの額に、ソージの肘がカウンターで決まる。しかし、血を吐き、のけぞりかけたタツミは声を張り上げ、廻し蹴りから逆薙ぎの手刀、さらにもう一度廻し蹴りを繰り出す。それらはすべて、ソージが全力で架空した厚いソリッドウォールに阻まれる……が、当のソージは胸の傷から鮮血を溢れさせながらも、自身の魔導防壁などまるで存在しないかのように、のそりと一歩を踏み出し、拳を振り上げ、望み得る最強の一撃を放つ。
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 7/8■

 
 その一瞬、タツミは動けなかった。
 脳裏にリンという鈴の音が響く。
 馬鹿な、天則……だと?
 シンプルな――だが、それゆえに野蛮な破壊力を秘めたソージの拳が、束縛されたタツミの肉体に深く、重く、みしりと刻み込まれる。これは、耐えられない。
 意識は残っていたが、体はまったく反応せず、地平が傾ぎ、ゆっくりと倒れるのみ。
 負けは、負けだ。しかし、タツミには納得が行かなかった。
 ソージが魔力の影響を受けづらいのは理解していたし、それさえわかっていれば、いくらでも戦いは組み立てられるはずだった。事実、二度目に天則を発動した結果、不完全ながらソージの戦闘力を大幅に奪うことに成功している。最悪でも、こちらが倒されることなどないはずだった。
 ……オキナちゃん?
 倒れ伏すタツミの視界に、エルグノートを突き出すように構える、刻藤オキナの姿。まさか、彼女が天則を使ったというのか? アオイちゃんが解析した? でも、どうやって? ソージとの決戦に集中していたタツミには、アオイやオキナの存在は、戦力としてまったく眼中になかった。
 ……結局、ボクが潜在的な脅威を、ちゃんと排除しておかなかったのが敗因だねぇ……努力はしたつもりだけど、所詮、この程度だったよ……母さん……。
 そう結論しかけた時、耳元でソージの声。
「タツミ、テメェ……勝手に気持ちを折んなっ! こっちの都合もあんだ。テメェはテメェの望みを捨てるんじゃねぇっ!」
 満身創痍の身には、はなはだ堪える大音声に、タツミは心の中で返答する。
 ……何を勝手な。ボクをこれだけ痛めつけたのは、ソージじゃないか。……まぁ、手前勝手を貫いたのは、ボクの方が先だけどさ。そうか……そういう意味じゃ、お互い様か。わかった、……わかったよ。諦めるのは、もうしばらく我慢するよ。……にしてもホント……つくづくボクたちは……気が、合う、ねぇ……。
 そしてタツミは、意識を途切れさせた。
 
 ──どこからか、若い女の声がする。
『むか〜し昔。と言っても、そんなに昔のことじゃないけれど、あるところに妖精の女の子がいました』
 なんだい、コレは? アオイちゃん?……いや、サクラちゃんか?
 得体の知れない陽気な声に、つい耳を傾けるタツミ。
『妖精の女の子は神様の言いつけで、世界のあちこちを飛びまわっていました。ある日、妖精の女の子は、魔法使いの男の子と知り合います。女の子と男の子は友達になりました。でも、妖精の女の子は、悪い魔法使いが仕掛けた罠にかかり、それを助けようとした男の子とともに、大怪我をしてしまいます。』
 ん? ……どこかで聞いたことがある話のような……。
『その怪我のせいで、魔法使いの男の子はもう、魔法使いではいられなくなり、妖精の女の子はもう、妖精ではいられなくなりました。神様は、女の子が今まで頑張ったご褒美に、三つだけ、どんな願いでも叶えると約束してくれました。女の子は一つ目の願いで、人間の女の子にしてもらいました。二つ目の願いで、男の子と一緒にいられるようにしてもらいました。女の子が手伝えば、男の子はずっと魔法使いでいることが出来るのです。神様は、三つ目の願いをたずねましたが、女の子にはもう、願い事はありませんでした。こうして女の子は、男の子と一緒に、いつまでも幸せに暮らしました。でも、残された三つ目の願いは、今も世界のどこかで、誰かに願いってもらうことを、じっと待ち続けているのです。これが世に言う、エルジオーグのマスターコード、なのです。めでたし、めでたし……』
 あれ? マスターコードの逸話って、そういう話じゃなかった気がするけどな。確か……。
 心に疑問符を浮かべたまま、タツミは静かに覚醒する。
 
 タツミが目覚めた場所は、渡頼場架空事務所内の、応接スペースに置かれたソファーの上だった。横たえた体に毛布がかけられ、破れた服のかわりに簡素なシャツが着せられている。
「穂村君、起きたの?」
 給湯室から顔を出したアオイが、声をかけてくる。
 どう答えるべきか判断がしかねたが、ともかくタツミは聞いてみた。
「いや……その、あれからどうなったんだい?」
 緑茶の入った茶器を盆に乗せて、アオイは給湯室から出てくる。タツミは起き上がってソファーに腰かけると、勧められるままに熱い白磁の器を受け取り、すする。いつもながら、ホッとする旨さだ。
 しばし後、アオイがぽつりと言う。
「所長と刻藤さんは、ここにはいないよ……」
「いないって、どういうこと?」
「かわりにアオイが、穂村君から話を聞くようにって……」
 ……それもそうか。あれだけのことをやらかした以上、ボクの顔なんか見たくもないってのも、当然だな。刺されないだけマシってもんだよ。そう割り切ったタツミではあるが……。
「!……そうだ、ボクもアオイちゃんに聞きたかったんだ。何であの時、オキナちゃんは天則を使うことが出来たんだい?」
 問うより先に問われたアオイは、タツミをじっと見てから答える。
「穂村君の使った魔法は、エルグペディアが記録してた……だから、同じものを使えた」
「いや、結果的にはそうだろうけど、情報があるからって、簡単に他人に移植出来るものでもないだろ? ソージの魔導演算装置は使えなかったはずだよ。どうやって、解析とか変換とかしたんだい?」
「……ケイト」
「え? ……ケイトが、何だって?」
「……刻藤さんのケイトは、幻想時代の虚人[ゴーレム]で……虚人の体を維持構築するためには、高度な演算処理が必要なの」
「あっ!?……そうか……ケイトを魔導演算装置代わりに使ったってことか!」
「うん……構造は理解してたし、刻藤さんが管理者権限をくれたから、すぐに使えた。それで、穂村君の魔法を解析して、刻藤さんの魔力で使ってもらった」
「……なるほど。まさか、あの虚人に、そういう使い方があったとはねぇ……いや、でも、待ってよ。オキナちゃんは、魔法使いの訓練は受けてないはずだよ? ボクの天則をコピー出来たとしても、ソージならともかく、オキナちゃんが使うのは難しいんじゃない?」
「……得具魔力[エルグレゾン]
「それは?」
「今、エルグ社内で、得具魔力[エルグレゾン]って言う、エルグノートを使った簡易型の呪紋魔力[グリフレゾン]が研究中なの。穂村君の魔法を得具魔力[エルグレゾン]のイメージに変換して、刻藤さんのエルグノートに転送した。あとは資質さえあれば、同じ魔法が使える……」
「へぇ……そんなものがあったのか……魔導関係の情報はかなり調べてたけど、それは知らなかったなぁ。ともかく、オキナちゃんとケイトにしてやられたわけだ、ボクは……」
 何より予想外だったのは、オキナが振り絞った勇気。彼女に近づくためとはいえ、ここ数日間、一番長く一緒にいたはずのタツミだが、いくら手段があったとはいえ、あの場面でこちらに歯向かってくるとは思わなかった。自分なりに、オキナの良い所は評価しているつもりだったが、一番彼女を侮っていたのは、ソージやアオイではなく、実はタツミ自身だったというわけだ。
 自嘲的に嗤うタツミに、アオイが問う。
「穂村君……何で、こんなことしたの?」
「いや……別に、それほど大した話でもないけどねぇ……」
 そう答えてから、タツミは異変に気づく。彼は、オーヘイプランにアサインしてからの記憶を有していたのだ。あわてて胸元を確認すると、黒いオーヘイのロゴマークは、どこにも刻まれていない。プランを放棄するか、失敗と判定されれば、記憶を奪われるはずではなかったのか? さらに言えば、ソージとの戦いで受けた傷跡がないのもおかしい。幻想時代じゃあるまいし、神に祈れば傷が治るなんて、便利なことは出来ないはずだ。一体今は、何年何月何日だ? ――あの戦いから、どれほどの時間が経過したのだろうか?
「どうしたの?」
 不思議そうに問うアオイ。
 疑問は尽きないが、まずは勝者の要求に応えるのが敗者の責務と考え、タツミは言う。
「いや、何でもないよ。そうだね……ちょっと長くなるけど、聞いてくれるかい?」
 アオイがコクリと頷くのを見て、彼は語り始める。
「……ボクにはね、母親が二人いるんだ。一人は生みの親で、育ての親。もう一人は……何なんだろう? 父親の結婚相手、かな?」
 結論から言うと、タツミの望みは、実家である穂村家に捕らわれた、実の母親であるサレンを解放すること。彼女は父の愛人であり、タツミは妾腹の子であった。
 サレンは、タツミが五歳になるまで、女手一つで幼い彼を育てている。タツミに引き継がれた美貌の持ち主である母は、容姿だけでなく、知的で心根の優しい女性でもあった。
「あの頃は、それが当たり前だと思ってたけど、今考えると本当に、完璧な人だったなぁ」
 そう、タツミが述懐するほど完全無欠な母親であったが、母子二人の幸福な時代は、父親であるトラウの死で終焉する。血縁を持つ後継者候補のいなかった穂村家は、タツミと実母を道場屋敷に呼び寄せた。そして、なかば強制的にタツミへ鳴鈴拳の修業をさせる。当時の穂村家頭首は、タツミの祖父である穂村ネウシ。彼はタツミに目をかける一方、実母であるサレンを疎んじていた。次第にタツミは、サレンと会う時間を奪われて行く。
「鳴鈴拳ってのは、昔ながらの乱暴な修行法でね。実際に死にかけたことも、何度かあるよ。修行仲間で、本当に死んじゃった奴もいたから、ボクは運が良かったんだろうねぇ」
 それでもタツミは、修業に励んだ。鳴鈴拳の頂点に立てば、母親との幸福な日々を取り戻せると信じていたからだ。十歳になった彼は、道場屋敷の地下に設置された魔導専用装置、神体[シンタイ]から鳴鈴拳専用にカスタマイズされた呪紋魔力[グリフレゾン]である、[オロシ]を授けられる。魔力付与により、歴代鳴鈴拳士のノウハウを得た彼は、短期間で達人の域まで、一足飛びに成長。その頃には、実母サレンと会う機会は一切なくなっていたが、タツミは穂村家の後継者に指名されることを最優先にしていたため、それを顧みることはなかった。
 やがて祖父ネウシが没し、期待通り十五歳のタツミが後継者に指名される。継承の儀式が執り行われ、亡き祖父の意識を取り込んだ神体より、鳴鈴拳の奥義である天則を宿した卸を授けられる。穂村家頭首となったタツミは、晴れて母サレンと再会しようとした。だが……。
「ボクは、母さんがいるはずの部屋へ行ったよ。誰もボクを止める奴はいなかった。でも、そこにはもう、母さんの姿はなかったんだ」
 その後、道場屋敷中を探し回ったタツミは屋敷の地下で、変わり果てた母サレンを発見する。母は祖父ネウシの手により、神体に管理された魔導冬眠装置、アイオ・イルメインによって、眠らされていたのだ。サレンは魔導的に反映領域へと遷移され、着彩された上で、見ることは出来ても触れることの出来ない、ただ美しいだけのオブジェに成り下がっていた。タツミにとっての完璧な母も、ネウシにとっては穂村家の恥部でしかなかったのだ。祖父はタツミの母を、追放もせず、謀殺もしなかったが、彼から永久に取り上げたことに変わりはなかった。
「その時初めて、ボクは本気で人を殺したいと思ったよ。まぁ、死んでる奴は殺しようもなかったんだけどねぇ」
 母親をアイオ・イルメインの呪縛から解放するために、タツミは八方手を尽くした。そして判明したのは、魔導冬眠装置を停止させるためには、神体に穂村家頭首の資格──つまり卸と天則を有する者の承認が必要であるということ。その資格を、タツミはすでに有していたが、そこで障害となったのが、卸に内包された祖父ネウシの意識。神体にアイオ・イルメインの停止を命令しようとすると、卸が異常動作を起こし、処理が中断してしまうのだ。
「ここまでボクの邪魔をされるとなると、いっそ清々しいぐらいだったよ。これほどわかり合えない人がいるってのも、ある意味興味深かったねぇ」
 無論、それで諦めるタツミではなかった。
 イバナム学園高等部へ編入したタツミは当初、深刻ないじめの対象となっていたが、渡頼場ソージと知り合い、日常的に女装をするようになってからは、その状況を脱する。一見すると、気楽な学園生活を謳歌しているように見えた彼だが、裏では持てる力のすべてを使い、魔導冬眠装置に捕らわれた母を救うべく動いていた。
 専門家を雇い、徹底的に調査させた結果、卸から祖父ネウシの意志を消し去る方法を掴む。卸を管理する魔導専用装置、神体にはシステムを管理するための隠しコマンドが存在していたのだ。このコマンドを入力すれば、卸を初期化し、祖父の意志を消すことが出来る。
「ついにやったと思ったよ。これで母さんに会えるってね」
 しかし、事態は思わぬ方向へと動く。
 隠しコマンドを入力することで、確かに神体は管理モードへ移行した。卸を初期化する指令も出すことが出来た。だが、処理は完了しない。長きにわたり、歴代当主の意識を内包してきた卸は、当初想定された以上に膨大な情報を処理することとなり、多重継承を繰り返した結果、システムが初期化出来ないほどスパゲティコード化(複雑化)していたのだ。
「これは推測だけど、ケイトがオキナちゃんの元から勝手に魔導研究施設へ戻ったのは、多分ボクのせいだ。設定を変えて、何度も初期化の命令を送信させていたから、たまたまその影響を受けたんじゃないかな? 卸って、虚人と同じ技術が使われているみたいだしね。結果的に、今回の事件のきっかけを作ったのは、ボクなんだと思うよ」
 タツミの見解に対し、アオイは記録からわかったことを告げる。それは、ケイトが外部からの指令で管理モードへと移行させられ、魔導研究施設側から開かれた次元隔壁によって強制的に連れ戻されていたというもの。やっぱりねぇと言ってから、彼は話を続けた。
 ケイトの管理モードが起動したことを知らぬまま、タツミは神体の初期化を断念する。正攻法ではダメだ。それにかわって昨今、裏社会で知られつつあった、オーヘイの裏プランによる解決を模索する。リスクは承知していたが、他に手段を思いつかなかったのだ。裏ルートで入手したマニュアルに従ってエルグノートを改造し、裏プランへアサインする。
 オーヘイから、卸の初期化条件として提示されたのは、一体の虚人を入手すること。オキナが渡頼場架空事務所の門を叩く前から、オーヘイ側はケイトが虚人であることを掴んでいたのだ。これが五年前の、渡頼場ソーイチと、刻藤ジアンの行動から続く因縁であるというソージの推測は、おそらく正しいのだろう。
 タツミはオーヘイの指示通り、オキナに絡む反愚二人を倒すことで彼女に近づき、エルグプランへのアサインを果たす。それからは内通者としてエルグプラン側の情報をリークし、最終的にケイトを入手することを狙ったのだ。
「結果はこのザマ、だけどねぇ」
 一通り話を終えたタツミに、アオイは問う。
「事情はわかった……でも、わからない。何でこの話を、所長……ソージ君に相談しなかったの?」
 当然の疑問だが、タツミは返答に窮する。
「そりゃ……その、ソージは闇雲に魔法使いをやってるような半端な術者だし……その……」
「嘘……穂村君は、自分の言ってることを、自分でも信じてない。穂村君は誰よりも、ソージ君のことを評価してる。それに……ソージ君が本気になれば、お母さんを助けるぐらい、絶対何とかするよ」
 手厳しいねぇ、アオイちゃん。
 
■エルジオーグは神じゃない 03/降りしきる流星光底 8/8■

 
 タツミは冷えた緑茶の残りをすすってから、小さな声で認める。
「……確かに。漠然とわかってはいたけど、今回のことで痛感したよ。ソージなら、暴走するケイトを鎮めたように、母さんを魔導装置から解放してくれるかもしれないって……。オーヘイプランなんかより、確実に。……でも、それじゃ困るんだよ」
「?……それが、穂村君の望みじゃないの?」
 タツミはしばらく、困った顔で微笑み、やがてうつむいてから言う。
「……わかってもらえるか、わからない。でも言うよ。ボクはねぇ、母さんと再会するのが、怖いんだ」
「……なぜ?」
「さっきも話した通り、幼いボクにとって母さんは、欠点なんて一つもない、まさに理想の母親だった。でも今考えると、そんなことがあるはずはないんだよ。母さんだって人間だ。生きるためには、狡猾で、残忍で、醜悪な何か──綺麗事では済まされない何かを、きっと抱えて生きていたはずなんだ。それで母さんを責めることは出来ないけれど……母さんを解放したいのも本当だけど、でも……」
 彼は顔を上げ、アオイと視線を合わせて続ける。
「……ボクは思い出じゃない、本物の、生きた母さんと再会するのが怖かったんだ。だから、ソージには相談しないで、わざとリスクの高い、オーヘイプランに頼った。そうすれば、万が一にも、上手く行く心配がないからね。おかげさまでボクは、全力で頑張ったけど上手く行きませんでしたという結果だけ残して、生きた母さんと再会する恐怖から逃れることが出来た。……我ながら、実におめでたい、救いようのない破滅思考だよねぇ」
 そう語りながら、タツミはなぜ、自分がソージを怖れているのか、その根源に気づく。それは、初めてソージと知り合ったあの日、いじめを回避するために女装したらどうだという提案を受け入れたこと。タツミは最初から、ソージの提案が上手く行くなどとは思っていなかった。外見がどう変わろうと、いや、女装などしようものなら、ますますいじめは激化するに違いないと予想していたのだ。そして、万が一にも上手く行く心配などないのだからと、安心して、全力で女装に取り組んだ。
 それから変化した状況は、タツミを大いに戸惑わせた。報われるはずのない努力が、うっかりと報われてしまったのだ。当初、周囲の生徒たちは好奇の目で女装した彼を見ていたが、やがてその中に、嫌悪や侮蔑ではない、好意や憧憬らしき感情が混在し始め、やがてそれが大勢を占めるようになる。彼は、周囲に認められてしまったのだ。
 ソージが単なる思いつきで女装を提案したことはわかっている。いじめの対象から外れた一番の原因は、ソージの友人だという周囲の認識だろう。だが、あの時の体験は彼に、ソージに対する潜在的な恐怖を植え付けていた。その後タツミは、ソージと親しくしているようでいて、根幹の部分では決して心を許していない。だから、魔導装置に捕らわれた母親のことも話していなかったのだ。万が一にも、報われる心配をなくすために。
 
 話を終えて。
 あれからアオイは、何も言わない。タツミの想いを、否定も肯定もしなかった。彼は敗者の責務として、勝者の言葉を静かに待った。
 結局、彼女は何者なのだろうか? エルグ社の関係者で、テレビ番組出てくるアオイのモデルらしいというのはソージから聞いていたが、それ以上のことは何も知らなかった。多分、ソージも同じだろう。モデルということは、妹であるサクラが、姉であるアオイの真似をしているという意味なのだろうか? どうやら、ソージと浅からぬ因縁があるようだが……。
 何やらずっと思案しているように見えたアオイがふと、窓際へ歩いて行く。じっと、窓外を注視する犬耳少女。犬の尻尾髪[ドッグテイル]が、ゆらゆらと揺れている。その不思議な熱心さが気になったタツミは、立ち上がって窓の外を見る。
「えぇっ!?」
 そこにはバリオン市国の街並みも、環状八番街もない。ただ茫漠と、灰色の空間が広がるのみ。そして眼前には、鎌を振り上げた巨大な黒い人影が佇んでいた。人影は、巨大な鎌を振り下ろそうとしているものの、見えない何かがその動きを束縛している。
 まだ色々と聞きたいことはあったが、ともかく一番肝心な点を訊ねる。
「アオイちゃん、大丈夫なの?」、と。
 問われたアオイは、コクリと頷いてから言う。
「穂村君……後で、お母さんに合わせてあげる。これまでの記憶だって、奪わせやしない」
「じゃ、じゃぁ、あれがオーヘイの、呪い……ってことは、まだ、ボクはソージに負けた直後で、ここは……」
「これがアオイの……三つ目の願い」
 そう言うのと同時に彼女の体が急激に変じ、小さな光の塊となる。その輝きには一本、触覚か尻尾を思わせる糸が垂れていた。小さな輝きは光弾となって、一直線に黒い人影へ命中する。拘束が解けたのか、黒い人影は輝きを放ちながら、でたらめに鎌を振り回す。それらは、渡頼場架空事務所と思われた建物を切り裂くが、ついにタツミを捉えることはなかった。人影は暴れ廻りながらもその大きさを徐々に縮め、やがて尻尾のついた、小さな光の塊に変わる。
 いつしか灰色の空間を漂っていたタツミは、呆然としながら問う。
「アオイちゃんが、エルジオーグのマスターコードの持ち主、だったのか。でも……何で、ボクなんかを助けてくれるんだい?」
 その問いに、小さな輝きは尻尾を揺らしながら、こう答えた。
『アオイの願いはもう、叶ったから。それに……お父さんとかお母さんとか、アオイにはそういうの、ないし……』
 そして再び、タツミの意識は途切れる。
 
「タツミ先輩っ!」
 目覚めると、いきなりオキナが抱きついて来た。全身を貫く痛みに、思わず顔をしかめる。どうやら本当に、目が覚めたようだ。今度は、毛布を敷いた上に寝かされている。傷には包帯が巻かれており、左胸にオーヘイの痣は見当たらない。
「オキナちゃん……その……この度はどうも、ご迷惑をおかけしました……」
 金髪に褐色の肌を持つ少女は、タツミから体を離し、そばで寝ているケイトを抱き上げながら言う。
「タツミ先輩の話、聞いてたですね! そういうコトなら、まったく仕方ないですね!」
「そう……なのかなぁ? ボクは一応……」
 ……オキナちゃんの命を狙ってみたりしたんだけど。そう言おうとしたが、笑顔で見つめる少女にそれ以上、言葉を続けることは出来なかった。彼女はすべてを理解した上で、タツミを許そうとしているのだ。その気持ちを、素直に受け入れるべきではないか。
 隣には、あちこちに包帯が巻かれたソージが寝かされており、その傍らには大型のエルグノートを広げ、キーボードを叩くアオイがいる。彼女がちらりとこちらを見たので、「アオイちゃん、さっきはどうもありがとう」と言うと、犬耳少女は犬耳をピクリと動かしただけで、すぐに視線を戻してしまう。苦笑するタツミ。
『んもう、助けてはあげたけど、タツミ君とアオイはソージ君を狙う、恋のライバルなんだから、なれなれしくしないでよねっ!』
 突如、アオイにそっくりな声が、大型のエルグノートから流れてくる。大慌ての犬耳少女は気にせず、タツミは言う。
「その声はサクラちゃん、だろ? また接続出来たんだねぇ」
 冷静な指摘に、声の主は落胆しつつ、声音を変えて言う。
『う〜ん、これだからタツミ君は、からかい甲斐がないのよねぇ〜。あっ、そうそう、オーヘイ側の援軍は、サクラが次元隔壁の疎通を妨害したから来ないわよっ。もうすぐ通路も再接続出来るから、あとはみんなで帰ってくるだけっ!』
「とすると、ボクのオーヘイプランへのアサインは……」
『もっちろん、お姉様が記憶を刈らせずに解除したわっ。オーヘイプランは完全阻止っ! エルグプランも完遂目前っ! やっるぅ〜っ』
 妹に絶賛されたアオイは、何事もなかったかのように作業を再開しながら答える。
「サクラが……手伝ってくれたし……」、と。
 その姿を微笑ましく見ていると、横から胡乱[うろん]な声。
「タツミ、テメェ……オレに言うことはねぇのかよ?」
 問われたタツミは、視線を天井に戻す。どうやらここは、二人が戦った丸天井の大広間らしいが……。
「そうだねぇ……二つほど、あるかな。一つ目は、ソージと本気で喧嘩するのは、もうこりごりってこと。二つ目は……もしその気があるのなら、ボクの母さんを魔導冬眠装置から目覚めさせて欲しい」
「いいのかよ? お袋に、幻滅したくねぇんだろ?」
「いいんだ……それでも」
「そうか。任せときな」
「ありがとう、ソージ……悪かった」
「ケッ……わかりゃいいさ」
 と、そこで不意に、タツミはいつもの軽い調子で訊ねる。
「ところでソージ、さっきから気になってるんだけど……」
「んっだよ、まだあんのかよ?」
「悪いね。だけどどうしても気になってさ。あの丸天井の隙間から見えている、青くて丸くて大きなものは、ひょっとして……」
 写真で見たことはあるが、実際に見たことがある人はほとんどいない……でも、誰もが知っている、青く輝く美しい世界。
「あぁ、あれがオレたちの住んでる星らしいぜ。この魔導施設は、小惑星に偽装した宇宙ステーションだったみてぇだな」
『お姉様が、施設の外装を外してくれたから、こうして通信出来てるってワケよっ。剥がれた破片が、大気圏に突入してるのが見えるでしょ?』
 そう、サクラが言うように、無数の小さな光の糸が、青い星へと降りそそいで行く。
 この光景が、本当に言葉通りの物なのか、確信は持てない。だが、タツミはその言葉をありのままに受け入れる。魔法で迷子の猫を探して、友達と喧嘩して、それから仲直りをした場所が、たまたま宇宙空間だったという、ごくありふれた物語。
 ホント、それほど大した話でもないんだけどねぇ……。
 
 西の空に流星雨が降りそそいだ夜から十日後、バリオン市国。
 散状十番街の急な坂道を登り、渡頼場架空事務所へと走るタクシーの後部座席。架空事務所の所長として、一仕事終えたソージの隣で、助手の帝田アオイが、静かに寝息を立てている。
 ついさっき、穂村タツミの実家である鳴鈴拳の道場屋敷へ赴き、魔導専用装置[アプライアンス]神体[シンタイ]に管理された[オロシ]の初期化と、魔導冬眠装置、アイオ・イルメインの解除を済ませた所だ。作業は困難が予想されたが、ケイト探索の過程で得たノウハウのおかげで予想よりも早く、目的を達成している。オーヘイ絡みでタツミと喧嘩したことは、まったくの無駄ではなかったということ。
 五年ぶりに目覚めたというタツミの母、サレンは、息子と同じ……いや、それ以上の美人であった。それほど言葉を交わしたわけではないが、タツミが幻滅するような人物ではなさそうだ。強いて特徴を挙げるとすれば、妙にオキナと意気投合していた所が、意外と言えば意外か。理想と現実とのギャップはあるだろうが、それは時間をかけて埋めて行くしかない。
 母を救うために行ったタツミの行動が、罪に問われることはなかった。オーヘイの裏プランにアサインすること自体は、今のところ違法行為ではないし、誰かを直接殺害したわけでもない。詐欺、恐喝、暴行、傷害、殺人未遂など、直接的な被害を被っている、オキナ、ソージ、アオイの三人に彼を訴えるつもりがない以上、話はそこまで。……というのが表向きの理由だが、実際はオーヘイプランにアサインして、意識を刈られずに生還した唯一の生き証人ということで、情報提供と引き替えに不問に付すという、司法取引が成立したそうだ。裏社会にも精通したタツミの協力が得られれば、オーヘイに関する捜査も少しは進むだろう。
 兄である渡頼場ソーイチの行方については、最後までわからず仕舞いだ。あれから、オキナの父である刻藤ジアンと再度、電話で話したが、ケイトをジアンに託し、バリオン市国で別れた後のことは知らないそうだ。死んだとは思わないが、また厄介事に巻き込まれている可能性は十分にある。ソーイチが残した負の遺産に巻き込まれるのは、これが初めてではない。渡頼場架空事務所を続ける以上、今後も何かしらあるかもしれないが……その時は、その時だ。
 そして刻藤オキナ。彼女の突飛な行動には最後まで驚かされる。
 何とソージに弟子入りを申し込んだのだ。反映領域を認識出来ない自分に、魔法使いの弟子を指導出来るはずもない……そう言って断ろうとしたが、虚人であるケイトの正式な主となるためには、魔法使いとして国際魔力[レゾン]協会の正式会員になる必要があり、そのために必要な、彼女の師となり後見人となる人物は、見知ったソージが良いというオキナの判断。得具魔力[エルグレゾン]とか言う、エルグノートを使った新型の呪紋魔力[グリフレゾン]なら、魔法力さえあれば長期間の訓練や脳内魔力付与は必要ないらしい。
 まだ正式な返事はしていないが、オキナの魔導的な筋の良さは彼も認める所なので、とりあえず見習い所員として雇ってみるつもりだ。確かに、あの虚人の力を自在に操ることが出来れば、大きな力となるだろう。そして、オキナが仲間になるということは、セットでタツミの奴も、ついて来ることになるはずだ。何でも、オキナへの贖罪として、彼女を一生守るという誓約したらしい。確かに、前衛の戦士が後衛の魔法使いを守るというのは、定番の組み合わせだが、またあの連中と組むことになるのかと思うと、色々な意味で気が滅入る。
「……んっ」
 眠ったままのアオイが、頭をソージの肩に預けて来た。無理もない。昨晩から、不眠不休で神体と卸を解析していたのだ。彼女は、スパゲティコード化していた卸をいったん初期化した後、戦闘能力のみ同等の性能を有しかつ、より洗練されたシステムに再構築している。
 これだけ能力のある奴が、プランにアサインされたからといって、ソージの元へやって来るのはおかしいと、ずっと思っていた。今でも、彼女が何を考えているのかは、良くわからない……が、どうやら懐かれているらしいというのは理解出来る。深く詮索するつもりはないが、まさかサクラが勝手に声を当てていたような、乙女チックな理由でもあるまいに。
 まっ、変な奴に懐かれるのは慣れてるさ……昔っから、な。
 結局、五年前のあの日、ソージが噴水広場で妖精捕獲器[スプライトトラップ]に捕らわれた尻尾つきの妖精を救おうとしなければ、反映領域認識力を失い、魔法使いとしての王道を歩めなくなることもなく、不良化してタツミと知り合うこともなく、兄に代わって渡頼場架空事務所を継ぐこともなく、アオイと知り合うこともなかった。ひょっとすると、兄ソーイチも、あの噴水の謎を解くことが出来ず、ケイトがオキナの元へ届けられることも、なかったかもしれない。そうなれば、兄もバリオン市国を捨てることはなく、タツミもケイトを暴走させようがなかっただろう。悔いるつもりはないが、自分が思っていた以上に、多くの人々の運命を変える選択をしてしまったようだ。
 そして、ハンディキャップだとばかり思っていた、反映領域認識力の欠如は、その見返りとして、彼に魔導的な影響を受けづらいという特性を与えていた。
 サクラの仮説によると現在のソージは、魔導現象の及ばない領域に位置する、極めて特殊な存在となりつつあるのだそうだ。物理法則だけが存在する世界にありながら、自在に魔法を操る能力だけは失わなかった、呪紋魔力行使者[グリフレゾンドライバー]。しがない架空屋であることに変わりはないが、損ばかりではないことがわかっただけでも、大きな収穫だ。
 せいぜい、この特性を利用させてもらうまでさ。
 やるべきことは、まだまだ残っていた。新しい案件もいくつか入っている。のんびりしていられる時間はほとんどない……が、今はしばし休もう。不意に眠気を覚えたソージは瞳を閉じて、犬耳少女と身を寄せ合うように、ささやかな休息を取る。
 アオイの垂れた犬耳がピクリと動き、顔を寄せるソージの鼻を撫でるように、優しくくすぐった。
 

■あとがきのようなモノ■

 
 ツンデレじゃない、イヌデレです。
 はじめまして、郁雄[いくお]吉武[よしたけ]です。『クイックハルト』や『竜をはかりしもの』をお読みいただいた方、お久しぶりです。『すわんde剣姫[ソードプリンセス]』や『ストレイトティーブレイク』をお読みいただいた方、大変お久しぶりです。
 
 今回は、ファンタジー風味の探偵小説……のようなモノを書いてみました。推理やミステリーは苦手なので、あくまで風味ではありますが。結局、戦ってるし。本作『エルジオーグは神じゃない』は、かつて栄華を極めた魔導文明が崩壊し、魔法と科学が混在した新たな文明が発展しつつある世界を舞台としています。科学的な知識があるとはいえ、人々にとって魔法はまだ身近な存在。特に、情報通信技術に関しては過去の時代よりも進歩している部分もあります。それが、本作のタイトルともなっている“エルジオーグ”という存在。エルグノートと呼ばれる汎用魔導書とリンクして、さまざまな情報を提供してくれます。グーグルやヤフーといったインターネットの検索サービスを高度化させたようなものとお考え下さい。
 物語は、刻藤[コクトー]オキナという少女が迷子の飼い猫を探すために、エルジオーグが提供するプランにアサイン(割り当て)した所から始まります。猫探しの過程で、性別不詳の美人に窮地を助けられたり、犬耳アイドルのそっくりさんが助手を努める、魔法事務所で情報戦を繰り広げたり、魔導遺跡の謎を解明した挙げ句、最後は非合法なシステムにアサインされた敵と、ガチンコバトルを繰り広げたりするわけです。地味な話のつもりが、最後は微妙にスケールが大きくなってしまいました。
 
 社会人らしきモノをやっていて痛感するのは、優秀な奴というのは凄いことを完璧にこなす奴ではなく、出来て当然のことで致命的な失敗をしない、もしくは失敗が少ない奴であるように思います。トライ&エラーが基本。もし、全く失敗しない奴が実在するとしたら、それは本当に失敗しないのではなく、失敗したことを隠し、失敗したことを認めようとしない奴だけでしょう。
 本作の登場人物たちは有限の能力を駆使し、それぞれに小さな失敗を積み重ねつつも、自身が目標とする結果を目指します。敵も味方も全知全能ではないし、それぞれ無知や無能、思い込みや思い違いで結果が出せない場合もある。扱う能力は超常的でも、やってることは地味な試行錯誤の繰り返しです。万能ではない連中の小競り合いを、ファンタジー風味でまとめてみました。
 
 毎度のことながら、僕は作品に要素を詰め込みすぎるきらいがある。アレもコレもとブチ込んで散漫な印象を与えるのは、もう、まっぴらだ! というコトで今回は、テーマを可能な限りシンプルにしています。
 ズバリ、“魔法で迷子の猫探し!”。
 これなら想定枚数以下で収まることはあってもオーバーはすまい。そう思っていたのですが、今回もバッチリと想定枚数ギリギリになってしまいました。何でだろう? やっぱり“長編”と名のつく小説を書くなら、最低でも原稿用紙換算で千枚は欲しいトコロです。
 ──スンマセン、贅沢言いました。今後も地道に作品を発表して行きたいと思います。そんな感じで。
 
二〇〇八年五月 郁雄/吉武


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