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──第二話──
  はなち   やいば
花散 らす にて」

七景
 
 那水[ナスイ]東部、山間にある延谷[エンヤ]という地名の場所に、目的の店はある。
 屋号は、安儀螺屋[アギラや]
 木造平屋、瓦葺[かわらぶ]きのどっしりとした店構え。
 本字の大きな看板がかけられているあたり、かなり歴史がありそうである。
 安儀螺[アギラ]って何?……というトレスの問いに、ジャンヌは「貝の名前よ」と短く答えた。
 なるほど、言われてみれば屋号の看板の脇に、渦を巻く丸い貝のような浮き彫りがされている。
 これが、安儀螺貝[アギラがい]という奴だろう。
 店の入り口には、「よろず兵具、修繕、売買しており[ます]」と彫られた板が掛けられている。
 盗難よけのためか、頑丈な造りの扉が、入口を塞いでいた。
 そこに、先客らしき一団がいる。
 親子連れらしく、背の低い男が一人、男よりわずかに背の高い女が一人、それと兄妹らしい子供が二人。
 みな黒髪に黄色い肌なので、おそらくは西振[セイシン]族だろう。
 父親らしい背の低い男が代表して、店の中をうかがっている。
 最初に二人に気づいたのは、兄妹らしい子供のうち、女の子のほう。
 不安げに二人を見上げ、男の子にひっしとすがりつく。
 気づいた男の子は、ちょっと敵意のある視線で二人を見ると、母親らしい女性の裾を引く。
 すると、母親らしい女性は、明らかに子供たちよりも動揺したらしく、ひゃっと小さく叫んだ。
 その叫びに、ようやく父親らしい男が気づき、うろんげに二人の方を見る。
 途端、だれよりも驚愕したらしい男は、妻子をひきずり、強引に入口の場所を開けた。
 そして男は、入口からすこし離れた場所で、妻子を後ろ手でかばいつつ、がたがたと震えながら、二人を見つめている。
 
 トレスはもちろん、ジャンヌも事態が把握できないようで、二人して、ぽかんとしていた。
 先に動いたのは、ジャンヌ。
「……どいてくれたんだから、先に入りましょ」
 そういって、すたすたと入口に向かう。
 たしかに、あの脅えようでは、ろくに話もできないか……
 速攻、無視を決め込んだジャンヌの意図を察して、トレスもそれに倣った。
 ジャンヌの後を追うトレスは、二人の位置が離れてはじめて、男の視線が自分一人……に注がれていることに気づく。
 男の顔に浮かぶ表情は……恐怖、ただ一つ。
 もちろん面識はないし、そもそも会話もしていないのだから、恐怖される覚えはない。
 一体、何を恐がっているのやら……
「ううぅ……」
 と、扉の前で、ジャンヌがうめいている。
 見れば、必死の形相で扉を開けようとしているようだが、重くて開かないらしい。
「ああ、かわってやるよ」
「頼むわ……」
 引き戸らしいその扉に、トレスが右手に剣を抱えたまま左手をかけて力を込めると、ごろごろと音を立てながら、ゆっくりと開きはじめる。
 両手を使うほどのことはないが、かなり本気を出さないと開かない重さだ。
 ジャンヌでは開けられないのも無理はない。
 
 トレスはそのまま、店の中に入る。
 背後から、ジャンヌが続く気配がした。
 店内は薄暗がりで、所々に置かれたランプで照らされている。
 その明かりが照らす範囲だけでも、無数の剣や槍、弓といった武器や、鎧や盾といった防具が陳列されている。
「おやおや、お客さんですか……?」
 暗闇に目が慣れる前に、店の奥から若い男の声がした。
 続いて、ランプの灯を背景に、黒い長身の人影が現れる。
「しかも、お二人とも、うら若き女性……これは、安儀螺屋[アギラや]創業以来の珍事ですな」
 どこか皮肉めいた、男の声。
 よく見ると、男の手には光るものが……
 どうやら、短剣のようなものを手にしているらしい。
 トレスは心もち、ジャンヌをかばうように前に出る。
「おっと、これは失敬!」
 男の影は、近くから垂れ下がったいた紐状のものを掴むと、一気に引き下ろす。
 がばっ。
 同時に、周囲が白くなる。
 店の各所の窓が、一気に外側に持ち上がり、外光が差し込んできたのだ。
 二人は、その明るさに順応できず、しばらく目を閉じてしまう。
 それでもトレスは、布に入ったまままの希定を正面に突き出して、不意の一撃に備える。
 相手の思うままに目が眩まされたのはトレスの失態だったが、それを後悔する前に、ジャンヌを守らなければならなかった。
 
 相手が動く、気配はない。
 
 しばらくして、どうにか視界がひらけてくると、男はあいかわらず、手に短剣らしきものを持ったまま、同じ場所に立っている。
 どうやら、攻撃する意志はないようだ。
 それどころか、よく見れば男は両の瞳を閉じているではないか。
 あれなら目は眩まないだろうが、攻撃することなど不可能だ。
 心配しすぎか……
 ちょっと警戒をゆるめたトレスは、それでも男から視線を外さず、ジャンヌに声をかける。
「大丈夫か?」
「ええ……平気」
 その声を確認しても、トレスは警戒を解かなかった。
 もしかしたら、男が短剣を投げつけてくるかもしれない。
 その動きに、瞬時に対応する必要があるのだ。
 だが男は目を閉じたまま、短剣  しかも、豪華な装飾が施された短剣だ  を鞘に納めると、脇にある机の上に置いてしまう。
 男は長身で、蒼銀の髪に白い肌をした那水[ナスイ]族の青年。
 紺色の上着に黒いスボンをはいている。
 ところどころ、銀糸の刺繍が施されており、かなり羽振りがよさそうだ。
 エリーの話では、店には主人である中年男性か、息子である若い男がいるはずだと言っていたが……どうやら、息子の方らしい。
「お嬢さん方、失礼しました……」
 そう言いながら、青年の閉じた瞳がゆっくりと開きはじめる。
 そこで二人は、思わず息を飲む。
 瞼から解放された青年の瞳は、右目が蒼く、左目が……黄金色をしていた。
「いらっしゃいませ、安儀螺屋[アギラや]へようこそ」
 青年は、含みのある笑みを浮かべ、二人をじっと見つめている。

八景
 
 ジャンヌが、その青年に抱いた第一印象は「うさん臭い奴」、だった。
 すべてはあの、黄金の左目を印象づけるための……そう考えると、美形と評価して十分な容姿も、単なるペテン師の自己演出としか思えない。
 だから、呆気に取られているトレスの前に出て、ジャンヌはいう。
「一体、どういうつもりかしら?わたしたちは用があって、この店に来てあげたっていうのに、客を驚かすような真似をして、あなたに何の利益があるっていうの?」
 対する青年は、ジャンヌの剣幕に、少し気圧されたようだ。
 だが、すぐに気を取り直して笑みを浮かべる。
「それは申し訳ありません、お嬢さん。私も少々、悪戯がすぎたようですね……ははは」
 歯を見せて、さわやかに笑う青年。
 だがジャンヌは、その種の笑みを浮かべる者には、少なからず打算が潜んでいることを、嫌というほど知っている。
「……で?……つまらない小細工でわたしたちを驚かせて、精神的に優位に立ったつもりかしら?……それであなた、わたし達と本気で取引するつもり?……わたしは、他人を驚かせて悦にいるような奴と、真面目に取引するつもりはないわ!……さっ、トレス、もう帰りましょっ」
「お待ち下さい!」
 話すことはないと帰ろうとするジャンヌを、青年は間髪入れずに引き留めた。
「なによ?」
 そう問い返すジャンヌ。だがしかし、青年が声をかけたのは、いまだ呆然としているトレスのほうだった。
「お嬢さん……あなたがお持ちのそれ……ひょっとして、那刀[ナトウ]ではありませんか?」
 その言葉で呪縛が説けたように、トレスはびくっと反応する。
「あ……あんた、那刀[ナトウ]を知ってるのか?」
 彼女の動揺に青年は眼を光らせて、ずずいとトレスの前に立つ。
「知っているも何も、私どもは那刀[ナトウ]も商品として取扱っておりますので……買い取りですか?それとも研ぎ直しですか?……よろしかったら、拝見させていただきたいのですが?」
 こっちは攻略できないと悟って、目標をトレスに切り替えたか。
 ジャンヌは苦々しく思いながらも、トレスの持つ武器のことを知っているらしい青年の態度に、退出を踏みとどまった。
那刀[ナトウ]に詳しいのか?」
「ええ、商売柄、那刀[ナトウ]を扱うことは多いですよ」
 営業的な笑顔をむやみに振りまいて、青年は言う。
 ジャンヌは一瞬、トレスがまずい状態……つまり、青年に魅了されているのでは?という危険を感じたが、どうや杞憂のようだった。
 単に、知りたいことを知ってそうな人というだけで、年頃の娘らしい反応ではない。
 別な意味では困ったことかもしれないが、今回はそれが救い。
「じゃ、ちょっと見てくれよ」
「鑑定料は、まけときますね」
 トレスは、抱えていた希定を、しゅるしゅると赤い袋から取り出すと、青年に差し出す。
 思わずジャンヌは、それを止めさせそうになった。
 いくらなんでも、初対面の相手に武器を渡すなんて……そう思ったのだが、トレスの表情を見て、思いとどまる。
 トレスは視線を走らせて、無造作に陳列されている武器を観察していた。
 いざ、相手が攻撃してきても、咄嗟に対応する自信があるのだろう。
 ジャンヌは、その自信を信用することにしている……だから、沈黙していた。
 トレスから希定を受け取った青年は、慎重ながら慣れた手つきで外装を観察しはじめる。
「ほぉ、黒漆で仕上げた、打刀[うちがたな][こしらえ]……長は七四宇か五宇……極めて、オーソドックスな造りですな……保存状態は、見事ですね……刃を見せていただいて、よろしいですか?」
 トレスは一瞬、身構える……が、すぐに力を抜いて、言う。
「ああ……構わない」
「では、失礼して……」
 青年は、上着の襟を立ててから、襟元をしっかりと閉じて口元を隠す。
 何やってんだ?……と、ジャンヌはしばし考えたが、そういえば先日、トレスもあの剣の手入れをする時に、半紙をくわえていたことを思い出す。
 なぜかと聞いてみたら、息がかからないように……とのこと。
 あの襟も、同じ目的で直接、息がかからないようにするためだろう。
 青年は、ちょっと体の向きを変えてから、すらりと鞘を抜きはなった。
 濡れた輝きを放つ刃を、青年はしばし眺め続ける。
 素人のジャンヌでさえ、息を飲む美しさを放つ刃を見ても、青年は特に感銘を受けた様子はない。
 純粋に、商品を見定めている……以上の印象は感じられなかった。
 青年は、希定の刃を様々な方向から観察し、時折「なるほど」などと口走っている。
 やがて満足したのか、青年は希定を鞘に納めると、トレスに返した。
「で……どうなんだ?」
 沈黙したままの青年に、トレスが問う。
 青年は、静かに答えた。
甲伏造[こうぶせづく]りの丁字刃[ちょうじば]で、わずかに[よう][あし]が入る……地金は杢目肌[もくめはだ]ですね……見たところ、初刃[うぶば]のようですが……今日まで、よくこの状態を維持されましたね。さぞ、手入れが大変だったでしょう……惜しむらくは、物打ちに傷があることですが、それを差し引いても、なかなかの逸品だと思いますよ」
 ジャンヌには、青年が何を言ってるのか、さっぱりわからなかった。
 どうやら、トレスも同じらしく、ぽけっと聞いている。
「ただ……私も勉強中でして、見ただけでは刀工名がわからないのです……銘などわかりましたら、教えていただけませんか?」
 青年は、ちょっと申し訳なさそうに聞いてきた。
 案外、率直な奴なのかもしれないな……と、ジャンヌは思う。
「……那刀[ナトウ]富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]……っていうけど?」
「フラディガン?……聞かない名ですね。ちょっと調べてみる必要があります……申し訳ありませんが、本字でここに書いてもらえますか?」
「ああ、いいよ」
 トレスは頼まれるままに、青年が差し出した紙束に、ペンで希定の銘を書き込んだ。
「なるほど、富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]ですか……ちょっとお待ち下さい……おっと、お二人とも、こちらに腰掛けて、お待ち下さい。今、お茶を……」
「いや、それはいいから、早くしてくれ」
 トレスにそう言われて、青年は着席した二人を残して、店の奥の方の棚に置かれた、分厚い本を取り出す。
 そして、なにやら頁を繰りながら、希定に関する記述を探しはじめたようだ。
 
 店の一角、商談のために設けられたらしい椅子に腰掛けて、トレスとジャンヌは調べものが終わるのを待っていた。
 ふと、トレスが声をかけてくる。
「なぁ、さっき外にいた奴、なんだと思う?」
「さぁ?知らないけど」
「まだ外にいるみたいでさ、ちらちら覗いてんだよ」
「本当?……なんか、危ない奴かしら?」
「そうは思えないけど……」
 ジャンヌは、よっぽど外をうかがおうかと思ったのだが、下手なことをして、トレスの足を引っ張りたくなかったので、我慢した。
 そういえば、わたしたち、何しにここへやって来たのかしら?
 などと肝心なことを思い出しかけた時、青年がこちらにやって来た。
 
「お待たせしました」
「で……どうなんだ?」
「申し訳ありませんが、資料では、富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]という刀工は存在していないようです……おそらく、記録されていない、無名の刀工だと思いますが……」
「そうか……いや、それだけでも十分だよ。どうもありがとう」
「いいえ、お役に立てませんで……」
 青年は、すまなそうに頭を下げた。
 トレスも、それなりに納得したようだ。
 だだ一人、ジャンヌだけは収まらずに、椅子から立ち上がる。
「で、あなた、率直に言って、その剣は、どの程度のものなのかしら?……なかなかの逸品だけじゃ、わからないわ!本当のことを言ってよっ!」
 青年は、冷めた目でジャンヌを見つめ返す。
 もう、うわべだけの笑いは浮かべてはいない。
 悪くない傾向だ。
 ふぅ、と嘆息してから青年は言う。
「……そうですね。悪くないのは事実ですが、はっきり申し上げて、中の上か、上の下、といった所ですか……どうにも刃が眠い……もっと刃文[はもん]が冴えていないと、どうにも……見た所、あまり研ぎ映えのしない刃のようです。研ぎそのものも、あまり上手くない。もう少し、刃を白く見せるように研ぐだけで、随分と印象が違うと思いますよ」
「それから?」
 ジャンヌは後をうながす。
「……えー、それと、この那刀[ナトウ]、はまぐり刃といって、断面がふくらんでいるのですが……こういったものは、あまり好まれないんですよ……断面は直線でないと……まぁ、平らに研ぎ直すことも可能ですが、そういった強引な改変は、結局、刃の味わいを損ないますからね、あまりお勧めできません」
「じゃ、あなたが上物だと思う那刀[ナトウ]って、何?」
 そう問われて、青年はちょっと笑った。
 気に食わない笑いだ。
「まぁ古刀なら、[オビ]殻國[カラクニ]古郷諭[ブルゴーニュ]賢宗[サカムネ]、新刀なら、古郷諭[ブルゴーニュ]晴実[ハルザネ]庫裡子靖[クリコヤス][クサビ]……といった所でしょうか?
 これらの美品ともなれば、その希定が、数十振は買えるでしょうね……にしても、状態がいいのは事実ですし、物が悪いわけでもないですよ……
 ちょっと落ちて、古刀なら[オビ]霧包[キリカネ]か、掘雅[ボルガ]近忠[キンチュウ]。新刀なら、酸羽諭[シャンパーニュ]君定[キミサダ]次映蒸寸[ジェイムスン]時國[トキクニ]浄盤似[ジョウバンニ]助影[スケカゲ]に近い水準には達してます。
 銘が資料にない……というのは減点対象ですが、ままある事ですから、それほど問題ではありませんよ」
 青年はそう一気に喋ると、ふぅ、と息をつく。
 名前を羅列されても、ジャンヌには何が何やらわからない。
 トレスも同様に、さっぱり理解できていない様子。
 こちらが無知と知って、わざと列挙してみせたのだ。
 反論しようにも、材料となる知識がない。
 どうしたものかと、歯がみしていると、ずっと沈黙していたトレスが、ぼそっと口をひらく。
「……よくわからないけど、じゃぁ、そういうのと比べたら、あたしの那刀[ナトウ]は、大したことないって事か?」
「残念ながら、そういうことになります。いえ、売り物にならない……などとは申しませんが、一級品とは言い難い……ですね」
 残念そうに、青年は断言する。
 トレスはまた、沈黙してしまう。
 それでもジャンヌは食い下がらない。
「じゃ、それを売ったら、どれくらいの値段になるってのよ?」
「そうですね……ま、お引き取りするなら、八十良……という所ですかね」
 
 沈黙。
 
「えぇっ!!」
 そう叫んだのは、トレス。
 ぴんと来ないジャンヌは、ちょっと考えてみる。
 良とは、普通に使用される金額の単位の、一番大きなもの。
 彼女の知識から言えば、一良あれば、一月は生活できる金額だ。
 八十良ともなれば、しばらくは遊んで暮らせる金額……といえるのか?
 ずっと、王宮暮らしだったジャンヌには、いまいち感覚がわからない。
 青年は言う。
「もちろん買値ですから、私が売る時は、もう少し高い値段で売ることになりますがね……」
「で……でもさ、普通、長剣とかだと、どんなに高くたって、えーと、十良くらいで買えるよな?」
「遊びのない長剣なら、それぐらいが相場ですね……彫刻や、宝石が散りばめられているような品なら、上限はないですけど」
「だって、希定にも飾りなんかないだろ?」
「ええ……飾りはありませんが……この刃自体に、それだけの価値があるんですよ」
「そういう物なのか?」
那刀[ナトウ]の真の価値は、刃、そしてその表面に現れた刃文[はもん]という、うねりの模様です。これは、低温で鉄を鍛造[たんぞう]するために出来るものですが、現代の長剣とは根本的に造りが違いますから、非常に珍重されるんです。お嬢さんの希定も、もっと刃文が冴えていれば、二、三倍は価値が上がるのですがねぇ……見たところ、肉厚で肌頑丈な造りをしてますから、実際に使えば、さぞよく斬れるでしょうが……市場的な価値は……」
 
「はぁ?……」
 
 そう叫んだのは、トレスとジャンヌ、どちらが早かったか?
「?……なにか私、変なことを言いましたか?」
 今度は青年が、わけがわからずにぽかんとしている。
 トレスより先に、ジャンヌが立ち上がった。
「待ってよ!……じゃあなた、この剣は切れ味はいいけど、値段はそれほどでもない……そう言いたいわけ?」
「え……ええ。刃もそうですが、全体的に見せることより、使うことを重視していて、かなり丁寧に造ってあります……面白味には欠けますが、武器として考えれば、実によく出来ていると思いますよ……それが、どうかしましたか?」
 何を今さら……そう言いたげな青年の態度に、ジャンヌの声は震える。
「わ、わたし達は、武器としての価値が知りたいのよ……あなた、何を基準に、この剣を評価してたわけ?」
「無論、美術刀剣としてですっ!」
 青年は、きっぱりと断言した。
「び、びぢゅつとーけん……て、アンタ……」
 そう、ジャンヌが言った途端、今度は青年も立ち上がり、叫ぶ。
「何かおかしいですか!……実用的な剣が欲しければ、ほら、そこらにいくらでもあるじゃないですか?……わざわざ、那刀[ナトウ]を実用に使う必要がどこにあります?
 ご存じかどうか知りませんがね、現代には、那刀[ナトウ]に刃文を浮かび上がらせる技術は存在しないんですよ……いわば、失われた文化の遺産です!……それを、人殺しの道具として評価するなんて、あなたの方こそ、どうかしてるんじゃないですか?」
「……そうだったのか!」
 今度は、トレスも叫びながら立ち上がる。
「じゃ今、この国では、那刀[ナトウ]は造られてないんだ!」
 その勢いに気圧されながらも、青年は答える。
「そうですよ……那刀[ナトウ]が造られなくなって、かれこれ四百年はたってます……ですから、あなたの希定の状態が良いことを、評価してるんじゃないですか!……まぁ、刀装はわりと最近、新しくしたんでしょうが……にしても、刃を造る技術は、とっくに失われてますからね……さっき挙げた銘刀にしても、実際に使うなんて、もっての外ですよ!……大切に鑑賞すればこその価値ですからねっ」
 青年も、息をあらげている。
 彼なりに、真面目に答えていたのかもしれない……と、ジャンヌは思うのだが、武器としては実用的だけど、美術的価値は二流……と言われても困ってしまう。
 多分、トレスだって同じだろう……
 にしても、どうりで見たことがないはずだ……四百年前、ねぇ。
 那刀[ナトウ]などとご大層な名前がついている割に、聞いたことがないわけだ。
 ……と、納得してもいいのだが、何かおかしい気もする。
「四百年前……って言ったら、リュッケナイン朝時代、だよなぁ」
 トレスが誰にともなく、そうつぶやいた。
 言われてみればその通りだと、ジャンヌは思う。
 青年も、トレスの言葉にうなずく。
「ええ、那刀[ナトウ]という武器が造られなくなっただけでなく、人々の記憶から消えてしまったのは、流恵九[リュッケナイン]のせい、とも言えますからね……」
 それを聞いて、ジャンヌはある単語を思い出した。
 真那砂[マナサ]半島の人間にとって、忌まわしい単語……それを、口にしてみる。
 
「それって、不緩士到[フュールシトウ]流……に、関係があるのかしら?」
 
 問われて青年は、にやりと笑う。
 そして青年が口をひらこうとした時、店の奥から、誰か出てきた。
「なんだ、なんだ……さっきから店ン中で、ぎゃぁぎゃぁ叫びやがって……客が、逃げちまうじゃねぇか!」
 西振[セイシン]族らしい髭面の中年男性で、手に小振りの那刀[ナトウ]らしき剣を持っている。
 その後ろに、おなじく西振[セイシン]族らしい、眼鏡をかけた若い男がつき従う。
「父さん……せっかく店番してもらってるのに、レザノフさんに失礼だよ」
「いや、構いませんよサザン君……こちらのお客様は、率直な意見を必要としていらっしゃるようなので、その通りに応対しているまでです」
 レザノフと呼ばれた青年は、サザンと呼んだ青年の言葉に、そう答える。
「ふんっ……ま、俺の知ったこっちゃねぇがなっ」
「知ったこっちゃないって……父さんの店のことだよ?」
「ははは……相変わらずですね、ロクセンゴさん」
 
 なにやら、なごんでいる男三人を前に、ジャンヌ達は言葉を失っていた。
 ……が、ともかく最大の疑問を口にする。
「ねぇ……ひょっとしてこの人、安儀螺屋[アギラや]の人じゃないの?」
 そう問われた三人は、一斉にジャンヌの顔を見た。
 代表して、レザノフと呼ばれた青年が答える。
「ええ……私は、安儀螺屋[アギラや]さんと取引のある、ワーナー商会の者で、レザノフ=ワーナーといいます。レジーとお呼び下さい……以後、お見知り置きを」
 それから青年は、残る二人の男性のほうを見る。
「そして、こちらのお二人が、店主のロクセンゴ=シンカイさんと、ご子息のサザントゥ=シンカイさんです……えーと、あなた方は……」
 レジーが、ジャンヌ達の名を問おうとすると、ロクセンゴと呼ばれた男が問う。
「ンなことより、他に誰か、来なかったのか?……いい加減、カズトの代理が来る時間なんだが……」
「いいえ……このお二人以外は誰も……確か、カズト君を倒した凄腕の剣士、ですよね……」
「そう聞いてるがね……こっちの仕事は、とっくに終わってるんだがなぁ」
 言いながら、ロクセンゴは手に持つ小振りの那刀[ナトウ]をレジーに渡す。
 刀装には装飾が一切なく、木の地肌があらわになっていた。
 レジーはそれを軽く抜いて、刃の状態を確かめると、満足して鞘に納める。
「流石ですね。同順理[ドウジュンリ]絵瑠部[エルベ]の小太刀、確かに……」
 
「あのさぁ……」
 たまらずに、トレスが声を上げる。
「おっと、そうでしたね……ロクセンゴさん、こちらのお嬢さんの持っている那刀[ナトウ]、聞かない刀工の作なんですが、なかなかの品なんですよ……ちょっと、研ぎが冴えないんですが、状態がすばらし……」
「そうじゃなくてっ!」
 トレスが叫ぶ。
 瞬間、店内を静寂が支配した。
 ジャンヌが代わりに、紹介する。
「はじめまして。わたし達がその代理です。連れがカズト=エイリケンを倒した、トレスティ=アフタヌーン。わたしは後見人の、ジャンヌ=アブリルです」
 
「……」
「……」
「……」
 
 三人の男達は、硬直したまま、二人の少女を見つめる。
 
「はぁ……そうですか」
 
 どうにかレジーが反応したのは、ずいぶんと時間がたってからだった。

九景
 
「アンタ、がんばっとくれ!」
「父ちゃん、ファイトだっ!」
「母ちゃん、おしっこぉ〜!」
 
 なにやら必死の応援に、トレスは困惑していた。
 場所は、安儀螺屋[アギラや]の裏手。
 周囲を塀に囲まれ、隔絶された感のある一隅。
 トレスは目的である、試合の相手と対峙している。
 相手は、店の前にいた小男で、名前はチデン=フュール。
 なんでも、四百年まえに隆盛を極めた那刀[ナトウ]剣術家の末裔、なんだそうだ。
 実に興味深い話だったが、したり顔のレジーが説明をはじめるより早く、ジャンヌが試合を始めるようにと言い出した。
 
 なぜ試合をするか?……どうやらこれは、ある種の賭事らしい。
 賭けるのは、先ほど研ぎ上がったばかりの那刀[ナトウ]同順理[ドウジュンリ]絵瑠部[エルベ]……その研ぎ代。
 さる名家の古い倉から発見された物だそうで、腐食が激しかったので、修復を安儀螺屋[アギラや]に依頼したのだとか。
 その依頼をしたのが、ワーナー商会という貿易商で、担当者がレジーこと、レザノフ=ワーナーだったのだ。
 ワーナー商会と安儀螺屋[アギラや]には、ある契約が成立している。
 それは、那刀[ナトウ]に関する取引の値段は、決闘によって決める……というものだ。
 よくわからないが、ワーナー商会の代表が、チデンという小男で、安儀螺屋[アギラや]の代表がカズトだったのだが、トレスがその代理となったらしい。
 
 別に殺し合いをするわけではなく、木剣による立ち合いで、どちらかが負けを認めるか、試合の続行が不可能になるまで続けるという程度のもの。
 無論、負けるつもりはないのだが、トレスにしてみれば練習試合のようなものなのだ……が、相手のチデンの表情は、まるで真剣の立ち合いのようである。
 安儀螺屋[アギラや]で借りた木剣を手に、対峙していても、落ち着いているトレスに比べ、チデンは緊張の余り汗をかき、手が小刻みに震えていた。
 そして、先ほどの家族からの声援。
 まるでこの勝負が、人生を決めるみたいではないか。
 ちょっと、やりにくいな。
 
 レジーが二人の間に立ち、宣言する。
「それでは、定例の牡幕[ボマーク]を行いたいと思います……今日は、初めての方もいらっしゃるので、簡単に説明しますと、牡幕[ボマーク]とは古来、那刀[ナトウ]の取引に用いられた価格決定法です。
 双方が代表となる剣士を出して勝負し、勝者となった側が売り手となった場合は、適正価格の倍……勝者が買い手の場合は、適正価格の半額で取引する、というものです。現在では、ほとんど行われていませんが、ワーナー商会と安儀螺屋[アギラや]との那刀[ナトウ]に関する取引に限り、この牡幕[ボマーク]によって価格の決定を行っている……という次第です。では双方、よろしいですね?」
 そういって、一歩さがる。
 トレスとチデンは、互いに木剣を構えた。
 そこに、レジーが優しい口調で話しかける。
「チデンさん……この勝負に勝てば、あなたの借金は帳消しになる。ご家族ともども、安心して暮らせるようになります……あなたも不緩士到[フュールシトウ]流の末裔ならば、超絶とうたわれた那刀[ナトウ]剣術の冴えを、披露してやってください。ご健闘を、お祈りしていますよ」
 そういうことか……トレスは、納得する。
 借金のために、この試合に駆り出されたというわけか。
 にしても、フュールシトウ流って、さっきも話題になってたけど……
「なんでもいいから、さっさと始めてよっ!」
 ジャンヌが叫ぶ。
 さっきから、ずいぶんと焦ってるような気がするけど……何か、問題でもあるのだろうか?
 見たところチデンという男、とりあえず剣を握ったことはあるようだが、さほどの手練れとも思えない。
 軍隊か何かで、とりあえず基礎だけ習ったという印象である……が。

十景
 
「では、試合開始です……」
 レジーはそう言うと、二人から離れてジャンヌの横に立つ。
 彼女の持ち物である風呂敷包みは足下に置き、希定はしっかりと抱えている。
 さらに少し離れた場所に、安儀螺屋[アギラや]のシンカイ親子が立っていた。
 トレスとチデンは対峙したまま、位置を微妙に変える。
 互いに、様子をうかがっている……という所か。
 ジャンヌは、うさん臭そうにレジーを見る。
「今度は激励のふりして、トレスを動揺させるつもり?」
 対するレジーは、黄金の左目だけを閉じて、にやりと笑う。
「その程度で動揺するようでは、立派な剣士とは言えませんよ……それにお、嬢……いえ、ジャンヌさんだって、余計な知識を与えて、トレスさんを混乱させないよう、試合をいそがせてるじゃないですか。」
「当然でしょう?……トレスがちゃんと実力を出せれば、そうそう負けることはないでしょうけど、下手なこと教えて普段通りの動きができなくなったら、大変じゃない」
「たしかに……天を舞い、地を砕き、海を割るほどの超人の末裔……と知ったら、心おだやかじゃないでしょうねぇ……実際がどうあれ」
那刀[ナトウ]って、あのペテン師共が使ってた武器だったの?」
「ええ、そうです。流恵九[リュッケナイン]朝が崩壊した直後、新王朝によって那刀[ナトウ]剣術と共に、那刀[ナトウ]自身も厳しい迫害を受け、ついには存在そのものが人々の記憶から抹消されてしまったのです」
「でも、那刀[ナトウ]剣術の全てがインチキだったわけじゃないでしょ?……まして、武器が悪いってわけじゃ……」
「ともかく、不緩士到[フュールシトウ]流によって受けた被害が大きすぎました……無敵剣士のはずが、貧弱詐欺師だったわけですからね……私個人としては、那刀[ナトウ]にとっても、那刀[ナトウ]剣術にとっても不幸なことだったと思いますよ」
「じゃぁ、那刀[ナトウ]って武器そのものが、悪いわけじゃないのね?」
「その通りです。さっきも申しましたが、那刀[ナトウ]の刀身は、武器としての実用性以上に磨き上げられていて、装飾などなくても、それ自身に美術的価値があります。逆に言えば、価値のある那刀[ナトウ]だからといって、よく斬れるとは限りません……というより、価値がありすぎて、おいそれと実用には使えないんです……那刀[ナトウ]剣術の全盛期でも、価値のあるものは大切に保管して、佩刀[はいとう]するのはそこそこ斬れるものを使用していたみたいです」
「じゃ、その基準から言えば、この希定は……」
「そうですね……美術刀剣としては二流ですが、実用性を伴った那刀[ナトウ]としては、最上の部類に入るかもしれませんね。昔は、よく斬れる那刀[ナトウ]業物[わざもの]と呼んでいたのですが、希定ならその上の大業物や、最上大業物と評価できるかもしれませんよ」
 
「そんなに凄いんですか、その那刀[ナトウ]?」
 ……と、ジャンヌとレジーの会話に、息子のサザンが割り込んだ。
 目を輝かせて希定の入った袋を見つめる姿は、ずいぶんと幼く見える。
 急に話しかけられて、反応できないジャンヌにかわり、レジーが返事をした。
「ええ……なにせ、カズト君の汲場狩鳴[クムバカルナ]を両断したという話ですからね……折れず、曲がらず、よく斬れるという、那刀[ナトウ]の理想に忠実な剣だと思います」
「へぇ、そりゃ凄いや。僕も、そういう那刀[ナトウ]を研いでみたいな」
「そこはサザン君が努力して、お客様を口説くべきでしょう……なにせ、相手は妙齢の女性、ですからね」
 そして、意味ありげな視線をジャンヌに送る。
 うげぇ。
「ちょっと、そういう言い方、やめてもらえる?……客としてはともかく、それ以外、あなた達と付き合うつもりは一切、ないからっ!」
 対するサザンも、ちょっと狼狽気味。
「い、いえ、僕だってそんなつもりはっ……」
「はっはっは……二人とも、若いなぁ」
「え〜い、綺麗にまとめるなっ!」
 そう、ジャンヌが怒鳴るのと同時に、トレスが動いた。

十一景
 
 するりと間合いを詰める、トレス。
 思わず後ずさる、チデン。
 ……だが、トレスのほうが数段早い。
 たちまち接近した双方……すでにチデンの腰が引けている。
 トレスはかまわず、木剣を脳天に叩き込む……と見せかけて、素早く木剣をおろすと、軽く腹を突いた。
 とすっ。
「んぶぐっ……」
 同時に、奇妙なうめき声を上げて、チデンはうずくまってしまう。
 放した木剣が、からからと地面を転がった。
 
「あっ……」
「父ちゃァ〜ん!」
「ちゃ〜んっ!」
 咄嗟に反応できない母親の代わりに、幼い兄妹が飛び出した。
 そして、うずくまっている父親を助け起こそうとする。
 トレスは肩に木剣かついで、その情景を見守っていた……が、ふいにしゃがみ込んでいた兄妹が、こちらを睨む。
 そんな、親の仇みたいに……あ、仇なのか?
 ようやくトレスは、自分が恨まれていることに気づいた。
「ぐぐっ……う、う〜ん……げぐぼはぁっ」
 しばらくして、意識が戻ったチデンは胃の内容物をぶちまけてから、声をあげて身じろぎしはじめる。
「あっ、父ちゃんが生き返った!」
「えった〜!」
 それはそうだろう。
 あざ位はできるだろうが、ちょっと腹を突いた程度で人が死ぬわけがない。
 振り上げ木剣に注意が行っている隙に下腹を突かれたので、力を入れていなかったのだ……
 ちゃんと予測できていれば、あの程度で息が詰まることもない。
 下手に脳天を打てば、木剣とはいえ頭を砕いてしまう恐れがあった。
 だから、なるべく衝撃が小さな攻撃で無力化しようとしたのだが……
 しかし、そんな事情を幼い兄妹が理解できるわけもなく、ただただ、愛する父親を痛めつけた憎い相手として、トレスを睨んでいる。
 そしていつしか、後ろで立ちつくしている母親まで、トレスのことをもの凄い形相で睨んでいた。
 うぅ〜ん。
 これまでも、立ち合いめいたことは幾度も経験しているが、ここまで恨まれた覚えはない。
 せいぜい、悔しそうな表情を向けられる程度で、憎まれるほどのことは……そう考えてから、気づく。
 
 ……ああ、この勝負に勝てば、借金をチャラにできるはずだったな……あたしが勝ったばかりに、この親子は借金のために、路頭に迷う……いやいや、下手をすれば自害して果てることにも……ああっ。
 
 勝ってから言うのもなんだが、この家族がそういう切羽詰まった状態であることを、トレスはすっかり忘れていた。
 彼女にとっては、単なる木剣の立ち合いだが、この親子にとっては、一家存亡を賭けた大勝負だったのである……にしては、弱すぎる気もしたが。
 トレスとしては、チデンがなんとかいう、強い剣術家の子孫とかいう触れ込みだったので、外見で侮るのは危険だと考えていた。
 だから、慎重に相手を観察し、不用意な攻撃は控えていたのだが……
 しかしどう見ても、真の実力を隠しているようには見えなかったので、とりあえず、すぐ逃げられるように軽く踏み込んで、打ち込もうとした……のだが、あまりにも無防備なので思わず、軽い突きに切り替えた……という顛末。
 一見、弱そうに見えて、本当に弱かった……ということなのか?
 どういうつもりだ?
 
「トレス、おつかれーっ」
 涼しい顔で、ジャンヌが近づいてくる。
「あ、ああ……」
 どうにか返事は返したものの、トレスは自分がしてしまった事実に動けない。
「どうしたの?」
「いや、その……勝ったんだよ、な?」
「もちろんっ!わたし達は、立派に依頼を果たしたのよ……相手が誰であれ、手を抜かずに慎重に戦ったのは、偉いわっ」
「でも……」
 そう言おうとしたトレスを、ジャンヌは急に表情を厳しくする。
「いいこと、トレス……これは勝負なのよ?相手が強かろうと弱かろうと、勝てる勝負には勝つ……それが当然なの。
 たしかにあの人は、トレスの相手になるほど強くはなかったし、色々と事情もあったみたいだけど、ともかく勝てる相手だった……
 勝つべき人間が勝って、何を恥じる必要があるの?
 まぁ、あそこのにやけ男は、トレスが試合中に動揺することを期待したんでしょうけどねっ」
 そう言いながら、背後に立つレジーを見た。
 レジーはふぅ、と肩をすくめる。 
「カズト君の代役と聞いたので、ちょっと搦め手で攻めてみたのですが……失敗だったみたいですね。どうやらトレスさんも、カズト君の同類のようですな……少しばかり、非情になりきれないみていですがね」
 レジーはにやりと笑いながら、トレスとジャンヌを見比べた。
 じゃぁ、こうして動揺しているのは、レジーの策略というわけか?
 ジャンヌが悔しそうな顔をしているところを見ると、その通りなのだろう。
 
 命を賭けるわけでもない、単なる木剣の立ち合い。
 勝っても負けても、大した意味はなかった。
 知り合ったばかりの安儀螺屋[アギラや]に、いくら損害が出ようと気にはならないが、目の前で親子が絶望しているという事実を目の当たりにすると、動揺せざるを得ない。
 いっそ、真剣での勝負だったら……と、トレスは思う。
 もし、これが真剣の立ち合いならば、自分も命を賭ける以上、勝っても負けても後悔はないという覚悟があった。
 ……これを昔の宝蓮[フォリア]族は争志[ソウシ]と呼び、決闘の精神として尊重していたのだそうでだ。
 真剣で相手を斬り殺したのなら、どれほど恨まれても恥じるつもりはなかったが、木剣による立ち合い……しかも、遊び半分の座興で、これほど敵意を向けられるとは……トレスには想像もつかなかった。
 
「お前ら、勝負はついたンだ……さっさと、ケガ人の手当でもしてやれっ!」
 さっきから黙って試合を見ていたシンカイが、だみ声をはりあげた。
「おっと、そうでしたね」
「僕、薬箱を取ってくるよ!」
 レジーとサザンが素早く反応する。
 うずくまるチデンに駆け寄るレジーと、安儀螺屋[アギラや]に戻るサザン。
 が……
「いまさら善人面はやめてよっ!」 
 いままで黙っていたレジーの妻が、声を上げる。
 相手は、介抱しているレジー。
 吐瀉物で窒息しないよう体を横にして、帯をゆるめてやっている最中だった。
 レジーもそうだが、サザンまでが動きを止めて、声の主を見る。
 幼い兄妹も、聞き慣れないのか、きょとんと母親に顔を向けた。
「どういう意味ですか?ナセル=フュールさん?」
 レジーは落ち着いた声で、ナセルと呼ばれた女性を見つめ返す。
 一瞬、ナセルはたじろぐ素振りを見せたが、それでも気力をふりしぼって言う。
「アンタのせいだ……みんな、アンタのせいで……うちの人は、うちの人は……剣術なんて、ほとんどやった事なかったんだ!……それを無理矢理……なんで、なんでアタシ達親子を、そっとしておいてくれないのさ!……いくら借金があるからって、こんな惨めな真似させられるほど、悪いことした覚えはないよっ!」
 そう、一気に言うと、ナセルは息を荒げて黙り込む。
 一同が沈黙する中、レジーはしばらく黙っていたが、変わらぬ冷静さで返答する。
「出資を要請したのは、こちらのチデン氏ではありませんか?私どもとしては、高利貸しの真似事をするつもりはありませんよ……ただ、昔から取引のあったフュール家の方からのご依頼とあって、特別にお貸ししたまでです。
 はっきり申し上げて、金利による利潤が出ることなど期待しておりませんでした……ですが、お貸しした金額だけは、きっちりと返済していただくのは、取引の鉄則だと思いませんか?あなた方が相場で失敗し、多額の借金を作ってしまった経緯は存じておりますが、それは自業自得というものでしょう?
 今回の試合は、いわばこちらの好意で申し出たまでです。それを受けたのはチデン氏ですし、負けたのも氏です。
 私としては、勝負に勝つことで、ワーナー商家に少なからぬ利益を生んだ……その実績をもって、あなた方の借金を帳消しにするという、私どもとしても、温情に限りなく近い処置だったのです。ですが結果、チデン氏は敗北した。
 ……あなた方が、私共よりもたちの悪い所から、借金をしており、そちらはどうにか返済した……という話は聞いています。他の借金は、きっちり返済しているのに、良心的な私共からの借金は後回し……いくらなんでも、それはないでしょう?
 貸した分も回収できないようでは、我がワーナー商会の沽券に関わりますのでね……残念ですが、しかるべき場所に訴えざるを得ませんね……」
 レジーは介抱の手を休めず、淀みなく一気に喋った。
 その言葉を聞くうちに、ナセルは次第に目に涙をため、話の最後の部分では、ついに泣き崩れてしまう。
「う……うわぁあああああああああああんっ!」
「かーちゃんっ!」
「かーっ!」
 泣き崩れたナセルのそばに、幼い兄妹が駆け寄る。
 一通りの処置を終えたレジーは、服のほこりを払って立ち上がった。
 トレスは問う。
「その人……どうなるんだ?」
 レジーは無表情にトレスを見ると、こう答える。
「まぁ、十年の強制労働という所ですか……私としても、一家心中などされては、寝覚めが悪いですからね……それなりの処置はしますが、罪を犯した以上は、相応の償いは受けていただかないと……」
「そうか……」
「ええ……残念ですが……」
 トレスは自分でも、なんでそんなことを聞くのかわからなかった。
 どうなろうと、自分には関係のないことである。
 事情はどうあれ、勝負は勝負。
 剣の勝負で負けるのは、トレスだって我慢ならない。
 
 だが……
 
 トレスはおもむろに、ジャンヌが抱える、富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]をひったくるように奪う。
 何事かと見つめるジャンヌを無視して、トレスは赤い袋から漆塗りの黒い那刀[ナトウ]を取り出す。
 すらりと刀身を抜き放ち、レジーに向ける。
 そして、自分でも驚くほどの自信をもって、こう告げた。
 
「あんた……もう一度、あたしと真剣で勝負しな!」
 
 抜き身の剣を向けられても、レジーはレジーだった。
「息がかかると、刀身が錆びますよ……話はうかがいますから、刃をぬぐって鞘に収めてください」
「あ……ああ、いいだろう」
 トレスはちょっと動揺しつつも、慣れた手つきで懐から折りたたんだネルを取り出すと、さっと刀身をぬぐってから納刀する。
 それを確認して、レジーもうなずく。
「結構……では、話をもどしますが……なぜ、私があなたと戦う必要があるのですか?」
「あたしが、納得できないからだ」
「納得する必要などありません。あなたは単なる代理闘士なのですから……だいたい、商人である私が、剣の専門家であるあなたと戦えると、本気で思ってるのですか?」
「別に、あんたじゃなくてもいい。誰か、あたしの相手になりそうな奴を連れてきな」
「せっかく勝った勝負を、あなたの独断で無しにするというのですか?……それではロクセンゴさんが納得され……」
 
 その時、背後に立っていたロクセンゴ=シンカイが声を上げる。
「構わねぇよっ……その嬢ちゃんの、好きにさせなっ!」
 
 トレスは嬉しくなって、ついつい笑ってしまう……この人は、わかってる!
「だってさ……どうする?」
 対するレジーは、思案げな表情。
「……ですが、勝負はすでについています。いまさら、何を賭けるというのですか?」
 言われてみれば、確かにそうだ。
 だが、すぐに考えをまとめる。
「あたしが勝ったら、その人の借金はナシ!」
「私が勝ったら?」
「この希定を……あんたにやる!」
「ふっ……チデン氏の負債総額は、ご存知ですか?」
「……知るわけないだろ」
 
「……いいでしょう。その勝負、お受けします」
 
「そうか……」
「ただし、一対一の真剣勝負……という以外は、こちらで決定してもよろしいですか?」
「それで構わ……」
 
「ちょっと待ってっ!」
 そこで、横にいるジャンヌが口を出す。
「何です?」
「一対一の真剣勝負という以外って、何?……何を決めたいのか、具体的に列挙してくれる?」
「……ふっ。あなたも抜け目ないですね」
「どっちがっ?……曖昧な条件で、自分に有利な状況を作ろうったって、そうはいかないわよ!」
 あ……なるほど。
 たしかに、なんでも相手の好きに決められたら、どんな不利な条件を出されるか、わかったものではない。
「わかりました。私が決めさせていただきたいのは、対戦する相手と日時、それに勝利条件です……これで、よろしいですか?」
 トレスは、ジャンヌの顔をうかがう。
 彼女はこくりと、うなずいた。
「ああ……それでいい」
「よろしい……では、再試合は半刻後(約一時間後)、対戦相手はこの私、勝利条件は……」
 
 かくて、トレス対レジーの対戦が決定した。

十二景
 
 決闘が決まってからジャンヌはふと、レジーに聞いてみた。
 あなた、エリーとはどういう関係なの?
 帰ってきた答えは、彼女は私のいとこです……だった。
 その表情がちょっと微妙だったことに、ジャンヌは気づく。
 深く追求はしなかったが、なんとなく理解できる……ように思う。
 エリーとレジーが完璧な協調関係にはないことも。
 もしそうなら、ここまでトレスや自分のことを知らないわけがない。
 カズトの代理だから……という理由で、借金苦の軟弱男をぶつけてみたり、慇懃無礼な接客をして反感を覚えさせたりするのは、明らかに代理人がどんな奴か知らない証拠だ。
 これは推測にすぎないが、利害が一致すれば協力する……程度の関係に思える。
 だとすれば、エリーとしても、トレスを倒すために罠にかけたというわけではないだろう。
 あわよくば、共倒れ……とまではいかなくても、どちらが勝ってもそれなりの利益が出るようにしているに違いない。
 エリーは油断のならない相手だが、行動に無駄がない分、合理的に考えれば意図は読みやすい……むろん、彼女にそれ以上の意図がなければ、だが。
 そもそも、レジーはジャンヌが水叢[ミナムラ]国の王族であることを知らない……これだけは断言できる。
 もし知らない振りをしてたとしたら、あそこまで率直な発言はできないと思う。
 生まれや身分などに、毛ほどの価値も見いだせないジャンヌではあるが、そういう肩書きに相応の効力があるのは認めざるをえない。
 レジーのそれは、知っていることを隠しているものではなく、初めから知らないからこそ出来る態度だ。
 ……むしろ望む所ではあるが、それを感じたからこそ、エリーとの関係が緊密でないという推測を確信する根拠ともなっている。
 
「すいませんね……お茶も出さないで」
 場所は、安儀螺屋[アギラや]の奥。
 作業場兼、住居となっている一角の、台所。
 店主であるロクセンゴ=シンカイの息子、サザンこと、サザントゥ=シンカイが、土瓶で湯を沸かしている。
 トレスとジャンヌは、すこし離れた場所に所在なげに腰掛けていた。
「そりゃ構わないけど……あんた達、二人で住んでるの?」
「ははは……父は見てのとおり、武器にしか興味のない無骨者ですから……ねぇ」
 トレスの問いに、サザンは何やらまな板で切りながら答えた。
「そうか?……あたしは、あーゆーおっさん、好きだけどな」
「へぇ……そういう人もいるんですね」
「なんてゆーか、あたしと気が合いそうだな」
「愛想がない所とか?」
 と突っ込んだのは無論、ジャンヌ。
「そりゃ、お互い様だろ」
「お飾りで、へらへら笑ってるのは嫌じゃない」
「ま、そーかもしれないけど」
「……?」
 トレスはなんとなく理解してくれたようだが、ジャンヌの素性を知らないサザンは、怪訝な表情。
 王族の公務で、面白くもない相手に微笑みを浮かべるのはまっぴら……という意味なのだが。
 
 レジーが決めた決闘の時間は、半刻(約一時間)後。
 場所は先程と同じく、安儀螺屋[アギラや]の裏手。
 ただ、決闘の方法がちょっと変わっている。
 真剣を使うことに変わりはないのだが……
 なんでも他の用事を済ませてから……ということで今、レジーはいない。
 あの一家は、別室で休んでいる。
 トレスが手加減したおかげで、大したことはなかったが、次の決闘に立ち会ってもらうために残っていた。
 
「でさぁ、ジャンヌ……さっきの相手のその、なんとかシトウ流って何なんだよ?……もう、教えてくれてもいいだろ?」
 ふと、トレスがそう聞いてきた。
 ま、勝負は済んだのだから、教えてもいいかな……
 そう考えていると、サザンが驚いたような声を上げる。
「ええっ!……トレスさん、知らないんですか?」
「ああ、知らない……なんか、マズいのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……で、でもお二人は紫陽花[オルテンシア]大學[だいがく]の学生さんでしょ?……僕は小學しか出てませんけど、不緩士到[フュールシトウ]流のことは習った覚えがるんですけど?」
 もっともな意見だったので、ジャンヌが事情を説明する。
「トレスは那水[ナスイ]族だけど、水叢[ミナムラ]で育ったわけじゃないの……ずっと、大陸中を旅してたんでしょ?」
「ああ、そうだよ……ちょっと事情があって紫大に入ったけど、本当は剣士になりたいんだ」
「……そうだったんですか?どうりで、剣の扱いが様になってたわけだ……で、その那刀[ナトウ]は……って、家に古くから伝わってる物なんでしょうね?」
 そういえば、なんで大陸育ちのトレスが、那刀[ナトウ]なんていう珍しい武器を持っているのか、疑問といえば疑問である。
 だから、ジャンヌも興味深くトレスの答えを待つ。
「……え?……いやぁ、そんな大層な物じゃなくて……その……」
「なによ、トレス。勿体つけないで、早く教えてよ!」
「……だから、その……もらい物、なんだ」
 
「もらい物ぉ?」
 ジャンヌのサザンは、同時に妙な声を上げてしまう。
 
「……そう、ある人からもらったんだ」
「どこでよっ?」
「……街を歩いてたら……その……くれたんだ」
「そんな都合のいい話、あるわけないじゃない!」
「だって、ほんとにそうだから仕方ないじゃん!」
「まぁまぁ……お二人とも、怒鳴らないでくださいよ……ほら、お茶とようかんを用意しましたから、ゆっくり話をしましょうよ」
 サザンがちょっと困り顔で、盆に人数分のお茶と蒸しようかんを持ってくる。
 あわてていたのか、手に包丁を持ったままだ。
「!……その包丁?」
 と、なにやらトレスが、その包丁に注目している。
 見れば、先が直角に切り立った、なかなか立派な四角い包丁。
 どんな意味があるのか、表面に何やら彫刻のようなものが……
「ああ、これですか?……もう使えないからって、カズトさんに貰ったんですけど」
 ジャンヌが、銘を告げる。
汲場狩鳴[クムバカルナ]……だったわね、それ」
 太古の戦神の名を冠する大剣、瀬亞刀[セアトウ]汲場狩鳴[クムバカルナ]
 トレスの希定に切り折られたそれが、いつのまにか包丁になっていたとは……
「古いものですが、いい鉄を使ってますよ。なかなか具合がいい」
 そういって、サザンはこちらにかざして見せる。
「なんだかなぁ……」
 そう嘆息するトレスは、ちょっと不満げだったが、あの大剣も第二の役割を与えられたわけだから、まぁ良しとすべきだろう。
 
 それから三人で、お茶と蒸しようかんをおいしく食べた。
 色々と話すことはあったが、ともかく決闘がおわってからということにする。
 ずっと観察していたが、これから命のやり取りをするというのに、トレスは落ち着いたものだ。
 ここらへん、見習うべきかもね。
 

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