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──第一話──
「剣士と王族の少女たち」

十三景

 刻限がきた。
 トレスは目をひらくと、胡座をとく。
 ふうっと、ゆっくり息をはいて、起立。
 場所は、ジャンヌの居室。
 昨日から、トレスの部屋でもある。
 やたらと広い、部屋の隅で、ジャンヌが机に向かい、ランプの灯を頼りに、本の頁を繰っていた。
 むろん、トレスの精神集中を邪魔しないためである。
 ジャンヌは約束通り、午後からは決闘の準備に集中させてくれた。
 というより、どこかに出かけていたようでもあるが……
 ともかく、ありがたい。
 いや、彼女としても決闘に勝ってもらわなければならないのだから、当然のことをしたまで、なのだろう。
 すくなくとも、彼女自身はそういうに違いない。
 トレスには、ジャンヌ自身がいうほどの悪人には見えないのだが……。
 でも、また怒るから、黙ってよっ。

 ジャンヌは本から目を上げた。
 すこし離れた場所で、鍛練着姿のトレスが立ち上がる気配がしたからである。
 彼女はしばらく、おいっちにぃと体をほぐすと、最後に大きな伸びをした。
 わずかに緊張しているものの、集中力は十分に高まったようである。
 結構。
 こちらに気づいたトレスは、軽く手をあげてから、やってくる。
 ジャンヌも、小さくうなづきかえす。
 トレスは自分のベットのほうにくると、荷物をあさりはじめた。
 取り出したのは、赤に金の線が刺繍された着物と、茶色にこげ茶の線が刺繍された短袴。
 最初に合ったときに着ていた、本物の晴着だ。
 着物は目にも鮮やかな紅、短袴は深みのある茶と、まるでおろしたてのよう。
 王宮暮らしが長く、目の肥えているジャンヌから見ても、なかなかの逸品である。
 なんでも、母親から譲られた、伝紗[ディンシャ]族ゆかりの品らしい。
 普段着とちがい、背中に家紋が、金糸で刺繍されている。
 紅茶用の茶器を図案化したもので、紅茶器[くれないさき]という。
 アフタヌーン家の家紋、とのこと。
 ジャンヌは聞いた。
「……そんな大切なもの、決闘に着ていくの?」
 トレスは稽古着を脱ぎながら、いう。
「大切なもの、だからさ」

 ゆるみかけたさ晒布[サラシ]を解くと、運動用の腰巻き一つになった。
 トレスは、ベットの下につっこんだ籠から新しい晒布を取り出すと、きつめに巻き直す。
 腕をあげ、体をひねってみても、だいじょうぶ。
 その上に、汗とり用の襦袢をはおり、短袴をはいて袴の帯を結んだ。
 さらに、豪奢なつくりの赤い着物に袖を通す。
 絹布の裏地が、すべすべである。
「でも、その格好だと動きにくくない?それに、暑そうだし……」
 ジャンヌが横で、着付けを手伝いながら言う。
 あいかわらず、王族らしからぬ手際のよさだな……そう思いながら、答えた。
「いや、けっこう軽いし、通気もいいんだ……それに、これで押さえれば……」
 いいながら、トレスは別の籠から、皮製の細いベルトのようなものを取り出す。
 ベルトには、三角形の板状の部品と短い帯がぶら下がっている。
「それは……?」
 そう聞かれるのを見越して、トレスは動いていた。
「こいつは、こうやって使うんだ。」
 トレスは輪になったベルトを中央でねじると、それを背中にまわし、左右の穴に腕を通す。
 そして、三角形の板状の部品が左肩の位置にくるよう、調節した。
 帯状の部品は、板状の部品のすぐ下、左脇のあたりに垂れ下がっている。
 すると、ベルトを留めているバックルが、ちょうど右脇にくるので、いったん留金を外し、ベルトの端をぐいっとひっぱる。
「へへぇ」
 ジャンヌが感嘆するように、その動作で着物の両肩口が、ぎゅっと締められた。
 最後に、左脇に垂れ下がった帯を、右肩に留めて、完了。
 ベルトで両脇を締めて、三角形の部品が肩当てになり、短い帯が、首の下を防御している。
「……つまり、タスキに防具をつけたみたいなものね」
「そういうこと……ま、防具は、気休めだけど、あんまり重い防具は、動きをさまたげるからな」
 いいながら、トレスはぐるりと一回転。
 長い紫銀[しぎん]の髪が、ふさっと広がる。
 やっぱり、髪がうっとうしい。
 トレスは荷物の中から、竹製の髪留めを取り出す。
 右手をそえて、左手で髪をつむじの当たりでたばねてから、右手にもった髪留めをぐっと広げる。
 両手を離すと竹製の髪留めが締まり、紫銀[しぎん]の髪を馬尾結[ポニーテール]に留めた。
 はみ出した髪を、ジャンヌが整えてくれる。
 さて、準備完了……とトレスが思っていると、ジャンヌが難しい顔をしていた。
「……なんか、マズいか?」
「いえ……そのままでもいいけど、せっかくそこまでしたら、化粧もすべきかな?って思ったの」
「け、ケショウ!?」
 かつてない提案に、トレスは絶句した。
 いや、トレスも一応は女の子。
 おしゃれも化粧もするにはするが、決闘と化粧を結びつけるという意識がなかったのだ。
 などと考えているうちに、ジャンヌがずかずかと近づいてきて、ベットに座らせる。
「ちょ……ちょっ、ナニすんのよっ」
「いいから、ほらっ、動かないっ!」
 ジャンヌは、自前の化粧道具をかたわらに置くと、メイク開始。
「い、いや別にデートに行くわけじゃないし……」
 そう抗議するトレスに、ジャンヌはいう。
「あら……戦の前に化粧するってのは、常識よっ」
「そうなの?」
「……気休めかもしれないけど、化粧をすることで、強くなった気になれるの……部族によっては、全身に奇怪な文様を書き込んで、神の力を身に宿そうとしたりもするのよ」
「あたしは、そんな迷信は信じないけど」
「わたしだって、効果があるなんて期待してはいないけど……わたしがトレスにしてあげられるのは、これぐらいだから……」
「ジャンヌ……」
 なんか、また感謝の言葉が出そうになったので、トレスはあわてて口をつぐみ、ジャンヌの好きなようにやらせた。

 しばらくして、メイク終了。
 目のまわりに朱色の線を描き込み、うすく頬紅をさし、赤紫の口紅が塗ってある。
 元から肌が白いので、白粉は省略。
 短時間でやったわりに、なかなかの出来映え。
「こんなもんで、どうかしら……」
 ジャンヌは、鏡をトレスに見せる。
「……ううん、いいんじゃないか?」
 半分お義理、半分本心という感じで、トレスは返事をした。
「じゃ、行きましょうか?」
「ああ、行ってくる……」
 そういって、トレスは雄々しく立ち上がると、修行用の木剣に手をかける。
 って、あれ……?
 ジャンヌは、そのまま行こうとするトレスを、ぽかんと見ていた。

十四景

「あなた……一体、どういう了見なのっ!?」
 見るからに、ジャンヌは怒り狂っている。
 やれやれ。
 屋根裏部屋、下へおりる階段の前で、二人は口論している。
 決闘の時刻が近づき、準備も整ったトレスが、指定の場所に向かおうとするのを、ジャンヌが引き止めたのだ。
 トレスは、彼女がそういう態度を取ることを予測していたので、冷静に対処できた。
 その落ち着きぶりが、さらにジャンヌを激昂させる。
「なんと言われようと、あの剣を使うつもりはない……決闘には、これを使うっ」
 そう言いながら、トレスは手にする木剣をかざす。
 ジャンヌは、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そんな棒きれで何ができるっていうの?……もっといい武器があるなら、それを使うのが当然でしょっ!……より強い武器を使ったほうが、勝利する確立が増えることぐらい、し、素人でも、わ、わかるわよっ……!!」
 最後は怒りのあまり、声がふるえている。
 よほど、理不尽に感じているのだろう。
 気持ちはわかる。
 だが、言葉ではこう言った。
「ジャンヌ……あたしは、あんたを警護すると約束した。勝負には勝つつもりだし、ジャンヌを守り切るつもりだ……でも、そのやりかたは、このっ、あたしが決めるっ!ジャンヌは口出ししないでほしいっ!」
 冷静なつもりでも、つい語気が荒くなる。
 でも、嘘をついてるつもりはない。
 しかし参った。
 昨日、あの剣を見つけられたばっかりに、こんなことになるとは……
 ジャンヌは、冷酷な目でトレスを睨みながらいう。
「そう、わかったわ……あなたがそう考えてるなら、それを信用する。トレスを雇ったのは、わたしだものね……じゃ、行きましょうか?」
 理性を総動員したという感じのジャンヌ。
 だが、話はそれだけではない。
「わかってくれて、うれしいよ……それともう一つ、頼みがある」
「……なによっ?」
 ふてくされた声。
 言ったら、怒るだろうなぁ〜。
 でも、言う。
「ジャンヌはここに、残ってくれ……決闘には、あたし一人で行くっ」
 瞬間、ジャンヌの髪が逆立つように見えた。
 慣用句でいえば……おお、『怒髪、天を突く』だな。
 ジャンヌはうつむき、ぶるぶると震えている。
 そして、漆黒の闇から絞り出すかのような、声。

「その方……如何な了見で、我が意に背くか?」

「え?……」
 トレスはしばらく、その言葉がジャンヌの口からついて出たものだと認識するのに、時間がかかった。
 だが、間違いなくそれは、ジャンヌの声。
「如何な了見かと、聞いておるのだっ……返答せぬか、下賎な小娘がっ!」
 威厳のある、格式ばった口調。
 今までののジャンヌからは、想像もつかない居丈高さだ。
 トレスはどうにか、返答する。
「……イカなリョウケンったって、これは、あたしが受けた決闘だ。余計な邪魔が入ると、困る……あたし一人なら、たいがいのピンチは乗り切る自信があるけど、ジャンヌが一緒だと、その、守り切れるかどうかわからない。だから、その……悪いけど、ジャンヌはここで大人しく、待っててほしい……かならず勝つから、さ」
 あらん限りの誠意をもって、トレスは諭した。
 だがジャンヌには、無効。
「答えよ……そなたが決闘遊戯に興ずる間、わらわの安寧は如何にするのか?」
「???……」
 しばらくトレスの中で、言葉が意味を結ばなかったが、やがて『答えて……あんたが決闘ゴッコしてる間、わたしの安全はどうしてくれるのよっ?』と翻訳することができた。
 ……ひょっとして、これがジャンヌ本来の口調か?
 じゃ、いままでの言葉づかいは、わざと庶民っぽさを演出してたってワケ?
 などと考えながらも、トレスは返答する。
「なんだよ……さっきだって、あたしが瞑想してる間、外出してたじゃないか。いまさら陽動を心配したって、しょうがないだろっ」
「そなた、慈恵院[ジャンヌ]西振[セイシン]宝蓮水叢[フォリアミナムラ]の名を愚弄するか?わらわが何時、如何なる場所に赴こうと、そなたの関知することではない。そなたは、わらわの命ずるままに、敵を討ち果たせばよい。わらわは事の当事者として、この対決の結果を見定める義務がある。下賎の者が、いらぬ斟酌はせぬことだ!」
 『あなた、水叢[ミナムラ]国第四王女をバカにしてるの?わたがどこで、何をしようと、あなたには関係ないでしょ。あなたは、わたしのいう通りに敵を倒せばいいの。これは私の問題なんだから、決闘の結果を見定めるのは当然の義務よ。下等な田舎娘が、余計な気を回すんじゃないっ!』……って、トコロか?
 なんか、コツがつかめて来たぞ……って、そんなこた関係ない。
 ともかくこの場をどうにかしないと、いい加減、約束の時間だ。
 トレスは、強硬手段に出ることにする。
 木剣を突き出し、凄みをきかせた声を出す。
「……これ以上、議論しても無駄みたいだな。ジャンヌ……どうしても行くってんなら、足をへし折ってでも、この場に残ってもらうぞっ!」
 そんな恫喝に、しかしジャンヌは一歩も引かない。
「好きにするがよい。だが、わらわの決意は変わらぬ。如何にしても、決闘の場に立ち……あうっ」
 みなまで言わせず、トレスは瞬時に間合いをつめ、木剣を返してジャンヌのみぞおちに柄を突き立てる。
 息をつまらせ、つっぷしかけたジャンヌを、トレスは受け止めた。
 彼女を抱きかかえ、ベットに寝かせる。
「悪いけど、行くよ……」
 しかし、うめきごえを上げる水叢[ミナムラ]国第四王女には、その言葉に耳を傾けるだけの余裕はなさそうだった。

十五景

 月明かりに照らされて、トレスは歩を進める。
 学園の、敷地はずれの並木道。
 輝く満月があれば、明かりは不要。
 虫の音が、周囲を満たす。
 手には、愛用の木剣。
 トレスは、手にする木剣を見る。
 使い込まれ、手になじんだそれは、もはや体の一部だ。
 慣れない真剣よりは、こちらのほうが信頼できる……
 そう思って、決闘にはこれを使おうと決めていたのだが……やっぱりジャンヌは納得してくれなかった。
 真剣を持っているのに、使わないとはどういうつもり?
 一理ある。
 果たし状には、「いかなる武器の所持も、随意のままに」と明記されているのだから、トレスが秘蔵する真剣を使用すれば、有利に戦いを進められるかもしれない。
 そして敵も、同じく強力な武器を持ってくると考えれば、むしろ真剣を所持するのが当然ともいえる。
 だが、その一方でトレスには、あの剣は、自分にはまだ早い、という認識もある。
 過ぎた武器は、逆に自己の成長のさまたげになるように思えるのだ。
 だからこそ、今回の決闘には、使い慣れた木剣を使用することに決めていたのである。
 そして、そんな自分のこだわりで、ジャンヌを危険な目に遭わせることはできないと考えたからこそ、決闘への同行を拒否したのだ。
 自分なりに、筋は通っている。
 しかし、だからといって、それをジャンヌが受け入れてくれるとは限らない。
 ひょっとしたら、自分は取り返しのつかないことをしたのかもしれないな。
 トレスは思う。
 せっかく手に入れた住みかも、頼りになる知恵袋も、なにもかも……
 たとえ、この決闘に勝利したとしても、もうあそこにはいられないかも……いや、もしかしたら、この大學にもいられなくなるのでは……
 まぁ、それだけのことをしたのだから、仕方ないか。
 満月と、端月が輝く夜。
 決着の時は、間もなく。

 ジャンヌは冷静だった。
 冷静なつもりだった。
 ただ、黙々とトレスの荷物をひっくり返している。
 どうしてこうも、冷静でいられるか、自分でもびっくりしている。
 暴力などというものは、単なる野蛮人の自己表現にすぎないと思っていた。
 その暴力に、こうもあっさりと屈してしまった自分が、滑稽だった。
 滑稽すぎて、怒る気もしない。
 惨めすぎて、泣く気もしない。
 胸がむかついている。
 腹にはアザが出来ている。
 だが、吐き出すものは、もうない。
 酸っぱい液体が、口の中に溜まっているが、気にならない。
 ただ、黙々とトレスの荷物をひっくり返している。
 どうしてこうも、冷静でいられるか、自分でもびっくりしている。
 ジャンヌは冷静だった。
 冷静なつもりだった。
 騒音。
 そして、ジャンヌは目的の長物を、発見する。
 ベットの裏にくくりつけるとは、田舎娘にしては考えたものだ。
 あらゆる荷物が散乱し、吐瀉[としゃ]物の異臭が漂う部屋の中で、ジャンヌは赤い布を取り去り、黒い漆塗りの鞘に収まった剣を取り上げる。
 ずしりと手ごたえのある剣の鞘と柄を握り、ゆっくりと左右に引く。
 刃があらわになるにつれ、ジャンヌは息をのむ。
 凝った細工が施されているわけではない。
 貴石の一つも、はまっているわけではない。
 ただ、銀色の刃が輝くのみ。
 しかし、その刃には、複雑玄妙な模様が、銀色の表面に奔っている。
 まるで濡れたような、しっとりとした刃。
 ただ、美しい……だが、それ以上の何かを感じさせる刃。
 ジャンヌは、反りのある片刃の剣にしばし魅入っていたが、やがて無造作に刃を鞘にもどす。
 軽く身繕い。
 そして、黒鞘の刃を抱きかかえながら、部屋の出口を目指した。

 並木道をぬけ、夏草になかば埋もれた道を進む。
 いくらか、草が踏み分けられているところを見ると、相手はもう到着しているのかもしれない。
 虫の声。
 満月。
 雲の塊。
 微風。
 葉擦れ。
 精神が乾き、あらゆる何かが、見えそうだ。
 恐怖はある。
 だが、それ以上の何かが、トレスを奮い立たせる。
 前方がひらけ、左右にいくつかの石の列がならぶ、幅十五[セキ]ほどの道になる。
 そのまま前進。
 さらに進むと、直径四十[セキ]ほどの円形広場。
 ここが指定の場所であり、広場の中央に決闘の相手。
 そこは、彼女のための空間。
 誰にも、邪魔はさせない。
 たとえ、何を失おうとも。

 学園の東側は、鬱蒼とした森になっており、その奥の小さな広場が決闘の場所に指定されている。
 地図によると、そこは円と長方形を組み合わせた鍵穴のような形をしており、なにやら意味ありげにも見えた。
 もしかすると、古代の祭場かなにかかもしれない。
 ジャンヌは、そこを目指す。
 何としても、この剣をトレスに使わせなければ。
 いや、もはや必要の有無は関係ない。
 ジャンヌは意地でも、この剣をトレスに使わせるつもりなのだ。
 身の安全とか、利害とかは関係ない。
 正当性とか、必然性など知ったことか。
 ジャンヌは、決闘の場所を目指し、夜道を走った。

「あんたが、カズトって人かい?」
 トレスの問いに、人影がうなずいた。
 広場の中央。
 そこに、カズトはいた。
 たしかに、昨日ちらりと顔を見せた奴だ。
 引き締まった長身。
 月光に浮かぶ褐色の肌。
 束ねた赤い髪。
 濃い色の着流し姿。
 腰に長剣を模した木剣。
 赤い晴着姿、化粧までしたトレスにくらべ、特に気負った様子はない。
 やはり、場数はむこうが上だろう。
 鍛え抜かれた体躯とそこから漂う気配が、経験の差を物語っている。
 ゆっくりと間を置いて、カズトは口を開く。
和吐[カズト]鋭利剣[エイリケン]だ。手腕は見せてもらった……女にしては、なかなかのものだ」
 思ったよりも、甲高い声。
 昨日のアレは、わざと抑えたモノだったのか。
 トレスも返答する。
紅素茶[トレスティー]午後雲[アフタヌーン]よ……ふんっ。そいつぁ、どうもっ」
 『女にしては』などという台詞に、いちいち腹を立てていては剣術など志せない。
「では、始めようか」
「ああ……あんたの手腕も、じっくり見たいからなっ」
 そして二人は、剣を構え、一足一刀[いっそくいっとう]の間合いに立った。

 息が切れる。
 生まれてこの方、これほど熱心に走ったことはない。
 ジャンヌは剣を抱えたまま、並木道を走った。
 やがて道は、道なき道にかわり、夏草の踏み分けた跡を頼りに進むのみ。
 何やってるのかしら、わたし?
 そう思う理性は残っていたが、どうなろうと止まるつもりはない。
 あと、どのくらい?
 道は正しいはずだが、距離感がつかめない。
 ともかく走るしかない。
「待てっ!ここから先へは通さんっ」
 横合いの森から声がしたかと思うと、前方に二つの影。
「来ると思ってたぜっ!」
「と、通さないだっ!」
 もうシルエットだけでも判別可能な二人。
 チビとデブだ。
「そいつを捕まえろっ!」
 横から姿を見せたノッポが命令すると、二人はジャンヌに襲いかかる。
「なっ……」
 何か言う間もなく、ジャンヌは二人に組み伏せられる。
 必死に抵抗しようとするが、二人がかりではどうにもならない。
 なんてこと。
 ジャンヌは、改めて思い知らされる。
 この連中、トレスにとっては十把一絡[じっぱひとから]げの雑魚なのに、自分にとっては抗いがたい凶暴な『男』なのである。
 あの時もそうだった。
『あの時?』
 ジャンヌは自分でもわからない想念にとらわれて、思考に空白が生じる。
「先輩……こいつ、なにか持ってるぜっ」
 チビがジャンヌの持つ剣に目をつける。
「剣みたいだっ」
 デブの声。
「あっ、こいつ俺が報告してんの、邪魔するなっ」
「オイラも報告するだっ」
「二人とも、静粛にな……なるほど……あの娘に、剣を届ける途中、我々に捕縛されたというわけか……惨めだな」
 例の不毛な口論をしている脇で、ノッポが冷静ふうな感想を述べる。
「んなろっ……黙れっ!……それで先輩、コイツどうしましょう?」
 チビが、いくらか建設的な質問をする。
「ふむ……どうするかな?」
 ノッポは、顎に手を当てて思案中。
[]っちまったらどうだ?……ぐへへ、ぐへ、ごほっ、ごほっ、ごほっ」
 デブがぐへへ、と笑おうとし失敗し、ムセてしまった。
「……おまえ、女とヤったこともないクセに無茶いうなよっ」
 チビが呆れた声をだす。
「うむ。己の分をわきまえった発言をするように……それに、我々には大望がある。現在は不本意ながら暴力を用いているが、不必要な虐待を行うのは我々の理想を汚す行為でもある」
 そういって、ノッポはデブをたしなめた。
「オ、オイラだって、いっぺんこういうセリフが言ってみたかっただけだっ……なにも二人して、そんな……オイラだって、そんなことしたら国の母ちゃんに顔向けできないだっ!」
 デブは、涙声で弁解する。
「わかったから泣くなっ……でも先輩、本当にこの娘、どうしましょう?」
「そうだな……おお、ちょうど今、カズトと娘が決闘しているはずだな?」
「ええ、さっきここを通り過ぎましたからね。今頃、戦ってるでしょう……いや、カズトさんが相手なら、もう決着がついてるかもしれませんがね」
「ならばよしっ……だが、万一カズトが苦戦しているようなら、この娘を人質にして、戦いを有利に進める、というのはどうだ?」
 得意げなノッポ。
 チビが、それに追従[ついしょう]する。
「なるほど……流石は先輩。スバラシイ考えですねっ!」
「そうだろう?……万一にも、カズトが負けることなどないだろうが、その万一に備えての人質……我ながら、会心の秘策だっ!」
「で、でもそれって卑怯だ……」
「オマエは黙ってろっ!……先輩の策にケチつける気か?」
 気をおちつかせたデブが、ノッポに反論するも、チビにねじ伏せられる。
 ノッポは、デブの意見を聞き流し、自説に酔っている。
「すばらしい……まさに必勝の策……さっく実行しようっ!……二人とも、その娘を連れて……いや、その前に、娘が抱えている剣を取り上げろっ!」
「わっかりましたっ!」
 そういって、チビがジャンヌの持つ剣に手をかける。
 三人が会話している間、ジャンヌには全てが見えていた……全てが聞こえていた。
 だが、それらのやりとりは、すべて意味をなさず、ジャンヌの意識を通り抜けていた。
「!?……」
 突如、チビの腕がジャンヌの胸元に延びたとき、意識が覚醒する。
 チビはただ、剣を取ろうとしただけなのだが、ジャンヌはそうは判断しなかった。
『襲われる!』
 ジャンヌはそう思い、そう思った瞬間、叫び声を上げる。
 俗にいう、『絹を裂く悲鳴』というヤツだ。
「きぃやぁあああああああああああああああああああっ!!」
 あまりの大音声に、三人が五[セキ]ほど飛び退いたのは、いうまでもない。

 トレスとカズトは、対峙したまま動かない。
 風が、草を揺らす。
「きぃやぁあああああああああああああああああああっ!!」
 その悲鳴は風に乗り、かなり明瞭に聞こえたが、眼前の敵に集中するトレスの耳には入らなかった。
 戦いに集中したいからこそ、トレスはジャンヌを部屋に残したのだ。
 いまのトレスの意識にジャンヌはない。
 むしろその悲鳴にカズトのほうが、わずかに視線を逸らす。
 その隙を、トレスは見逃さない。
「でぇいやぁあああああっ」
 先々[せんせん][せん]で、木剣を突き出すトレス。
 カズトはわずかに反応がおくれ、後退。
 だが、瞬時に間合いを詰めたトレスの切っ先から、完全には逃れられない。
 トレスは木剣をカズトのそれれに絡ませると、勢いよく跳ね上げた。
 宙を舞う、カズトの剣。
 いや、被害を最小限にするため、カズトがわざと手放したのだ。
 トレスは、突きがカズト自身には無効と見るや、素早く後方に飛ぶ。
 ふたたび距離を取る、二人。
「見事だ……」
 賞賛の言葉と共に、カズトは腰から短剣を抜く。
 月光にきらめく、鋼の刃。
 そうだ……これは練習でも、試合でもない。
 これは、決闘という名の殺し合いなのだ。
 少なくとも、どちらか一方が動けなくなるまで戦いは続く。
 トレスは木剣を中段に構え直した。

「あー、びっくらしただっ」
「いや、まったくまったく」
「婦女子の悲鳴など、わたしも初めてだ……たしかに、聞きしに勝るな」
 デブ、チビ、ノッポの三人が、共通の感想を言い合う。
 トレスの真剣は、ノッポの手に。
 残りの二人が、ジャンヌの手足をつかみ、運んでいる。
 かろうじて意識はあったが、抵抗する気力はない。
 三人の会話。
「でも、決闘はどうなってますかね?」
「うーむ、さきほど広場のほうからも叫び声がしたような気がするから、もう決着がついたかもしれん」
「だったら、人質の意味がないだっ」
「いや、西振[セイシン]族への見せしめに使える……宝蓮[フォリア]族を馬鹿にする連中も、少しは礼節というものを学ぶだろう」
「先輩!……オマケにその剣、売ればかなりの値になりますよっ」
「馬鹿者っ……これは、我々だけのものではない。組織共有の資産であり……」
 いいながら、ノッポはトレスの剣を少し抜いて見る。
「……にしても、見事な刃。さぞ名のある刀工の作であろう……」
「でしょ、でしょ、先輩!……ここはひとつっ」
「オホン、う、うむ、検討に値する案であることは、わたしも認める……だが、とりあえずは当初の計画を実行するっ……いいなっ!」
「りょうかいっ」
 そんなやりとりを見て、デブが一言。
「二人とも、たいしたワルだなっ」

 トレスは短剣の間合いの外から、木剣を繰り出す。
 その攻撃を、カズトは慣れた動作で受け流している。
 くっ。
 敵にはまだ、余裕がある。
 トレスは焦った。
 得物の長さでは有利だが、これでは決定打にならない。
 やはり、踏み込んで一撃を加えねば。
 そうは思うのだが、短剣とはいえ本物の剣を持つ相手に、木剣で踏み込むには勇気がひつようだ。
 トレスの上段からの剣を、カズトは体捌きだけでかわす。
 すかさず突きを入れるトレスだが、こんどは短剣に弾かれる。
 ここで、動きを止めては駄目だ。
 トレスは弾かれた突きの動きに逆らわず、体を一回転させると、踏み込んで、カズトの横腹を薙ぐ。
 もらったっ!
 だがその瞬間、カズトが消える。
 いや、予想を超える速度でしゃがんだのだ。
 ぶふぉんっ
 空を斬る木剣。
 マズイ。
 なんとか後方に跳ぼうする、トレス。
 下から繰り出される、カズトの短剣。
 トレスはどうにか木剣を前方にかざし、刃に備える。
 ぐっきぃいいいんっ。
 意外なことに、短剣はトレスの木剣の三分の一のあたりをヘシ折り、自身も中央から、ぽきりと折れて飛ぶ。
 てっきり、足か、手を狙われると思ったのだが……
 まだ、得物がある分、こちらが有利。
 そう思い、ゆっくりと態勢を立て直そうとする、トレス。
 カズトは何を思ったか、トレスに背を向け、近くに立つ列石の一つに走る。
 何だ?
 トレスが反応する間もなく、カズトは列石の根元にかがみこむと、何かをつかみ上げる。
 その手には長剣が握られている。
 鞘を抜き放つ、カズト。
「やはり、これを使わねばならぬか……まだ未熟だな」
 自嘲的なカズトの声。
 月光に、銀色の細長い刃が照らし出された。
 短剣を犠牲にして、トレスの木剣を折る……
 本物の長剣があるにもかかわらず、である。
 その周到さが、逆にトレスの技量に対する評価の高さを表していたかもしれない。
 だが、トレスにはその慎重さを誇るだけの余裕はなかった。
 真剣、対、折れた木剣。
 技量は、どう見ても、対等以下。
 勝てるのか?
 トレスの心の内で、恐怖が増大しはじめた。

「なんだ……まだ決着がついてないですよ、先輩っ。」
 広場に到着した三人とジャンヌは、二人の決闘の場に出くわした。
「だが、それももうすぐだな……あの小娘、なかなかの手練れだが、やはりカズトの敵ではなかったようだな」
 ノッポの言葉に、手足を持ち上げられたままのジャンヌは、首を巡らす。
 かろうじて、対決する二人の姿を視界にとらえる。
 列石を背に、トレスが敵に追いつめられていた。
 敵……カズトの持つのは、真剣。
 対するトレスが持つのは、なかば折れた木剣。
 だから、言わんこっちゃない。
 おとなしく、剣をもって行けば、武器で遅れをとることはないだろうに……
 そうは思うが、今さら過ぎたことを糾弾しても、仕方ない。
 何としても、ノッポに取られた真剣を、トレスにわたさなければ……
 素早くジャンヌは、思考をめぐらす。
 この三人の性格は、だいたい把握している。
 あのカズトとかいう宝蓮[フォリア]のことはわからないが、どうせこの三人と、どっこいどっこいだろう。
 そう判断して、ジャンヌは声を出す。
「ちょ〜っと、そこの三人組。このまま黙って、あいつに手柄を取らせていいのっ?」
「なんだぁ?」
 ジャンヌの足をつかんでいるデブが、こちらをのぞき込む。
 こいつが一番、扱いやすそうだ。
 あとの二人は決闘に夢中。
「ああ、あなたでいいわっ……あのノッポ……いや、先輩に言ってよ。はやくしないと、あなたたちの功績が、カズトに取られちゃうって……いま、わたしを人質にすれば、カズトの勝利にあなたたちが貢献したことになるわっ」
「えっ?えっ?……な、何いってるだ?」
 デブは、ジャンヌの理屈が理解できないようだ。
 つ、使えないわねっ。
 だがその言葉に、残る二人が反応する。
 先に口をひらいたのは、チビ。
「なに?……てめぇ、自分を人質にしろ、だぁ?……なに考えてやがるっ」
 懐疑的な意見。
 思ったより冷静だ。
 失敗か?
 しかし、ジャンヌを救ったのは意外にも、一番理性的で冷静そ,う,な、ノッポだった。「いや……まて。この娘のいう通りだ……ここで、人質を主張すれば、上層部も我々の活躍を認めざるをえまい」
「そんな、先輩?……こんな小娘のいうことを信じるんですかい?」
「敵でも小娘でも、有益な助言には素直に耳を傾けるのが、真の知者だっ……時間がない、行くぞっ」

 トレスは観念しかけていた。
 息が乱れる。
 対等な木剣、刃の短い短剣ならば、対等以上に戦う自信があった
 だが、本物の長剣相手に、折れた木剣で勝てるとは思えない。
 そして、その精神的な弱腰が、現実の劣性として具現化していた。
 またもや踏み込む、カズト。
 トレスはかろうじて身をひねり、突きをかわす。
 完全には回避できず、刃がトレスの左上腕をえぐる。
 赤い衣が裂け、数瞬おいて、痛みと血が腕をしたたる感触。
 致命傷こそないものの、幾度となくカズトの刃がトレスを刻んでいる。
 先ほどとは逆に、カズトは反撃を警戒して、思い切った踏み込みを避けていた。
 だからこそ、まだ戦える。
 しかし木剣とはちがい、真剣は、かすっただけでも傷を生む。
 そして、浅いが攻撃がゆえに、反撃の隙もない。
 無駄のない、失敗のない戦いだ。
 じわじわと体力をうばわれ、やがて狩られる以外にない。
 だが、面白みのない戦いだ。
 トレスは追いつめられながらも、カズトに失望を感じている。
 あんたはその程度の奴、だったのか?
 そう、言いたかった。
 そう、言おうとした瞬間、横から声がする。
「まてっ、小娘……これを見ろっ!」
 聞きおぼえのある声……あれは、宝蓮[フォリア]族三人組の、ノッポ先輩の声だ!
 そうは思ったが、トレスには、カズトから視線を外す余裕はない。
 が、カズトが先に剣を下ろし、声のほうを向いたので、トレスもそちらを見ることができた。
「おいっ……!」
 そう言ったきり、絶句するトレス。
 視線の先には、チビとデブに手足を持ち上げられたジャンヌと……そして、トレスの剣を持ったノッポ。
 なにが一体、どうなってるんだ?
 ノッポ先輩の口上は続く。
「小娘……この娘の命が惜しければ剣を捨て、大人しく、カズトの刃にかかるのだっ!……貴様に勝ち目はない。観念することだ……うわはははははははっ」
「はっはっはっはっはっはっ……ざまぁねぇ!」
「うはっうはっうはははっ……だなっ!」
 つられて二人も笑う。
「はあっ、はあっ、はあっ……ジャンヌ……なんで……?」
 息を乱しながら、、トレスはつぶやく。
 頭が混乱する。
 なんでジャンヌがここに……なんで、あたしの剣をもって……だいたい、負けそうなのはこっちなのに、なんで今さら人質なんか……?
 ……などと考えていると、宙ぶらりんのジャンヌが、意味ありげな視線を送っている。
「!……」
 そこでようやく、三人の不審な動きが、ジャンヌの扇動によるものだと気づく。
 ……ジャンヌめ、またやりやがったな!
 経緯はどうあれ、ジャンヌの悪知恵は健在。
 トレスは嬉しくなった。
 ともかく、カズトの動きは止まっている。
 息を整える余裕があるだけでも、ありがたい。
 この隙に、どうにかしろということだ。
 だが、どうする?
 いくら視線が外れているとはいえ、カズトが黙って不意打ちを食らうとは思えない。
 ともかく、武器をどうにかしなければ……
 そして、気づく。
 最初に跳ね上げた、カズトの木剣があるはずだ。
 少なくとも、折れた木剣よりはマシ。
 どこにある?
 なるべく目立たないように視線を巡らすと……あった、ここから十[セキ]ほどはなれた場所に、カズトの木剣が転がっている。
 よし、行けっ!
 そう思った瞬間、絶妙の間でカズトの言葉。
「しばし、決闘を中断するっ……その場を動くな」
 機先を制されて、トレスは動くに動けない。
 だがそれは、ジャンヌを拉致した三人組も同様だ。
「な、なんだっ……どういうことだっ」
 オロオロするノッポ先輩、ほか二人。
 それを無視するように、カズトが三人のほうへ歩く。
 カズトは三人の前に立つと、ちゃきりと剣を突き出し、言う。
「その娘を解放しろ……おれは、邪魔が入らないよう見張れと言ったのだ。人質を取れ、などと命令した覚えはない」
 静かだが、有無を言わせぬカズトの声。
 その言葉に震え上がったチビとデブは、すかさずジャンヌを地面に放りだす。
 ノッポすら、口をぱくぱくするだけで、反論することができない。
「行け……」
 カズトはそういって、ジャンヌにトレスの方を視線で示す。
 ふう、やれやれ。
 トレスはほっと、息をつく。
 これで、最悪でもジャンヌの安全は確保できる。
 そう思った瞬間、またもや事態は急変した。
「ちょっと、まちなさいっ!」
 立ち上がったジャンヌが、カズトに詰め寄ったのだ。
 またまた呆気に取られる三人組と、トレス。
「まだ、何かあるのか?」
 カズトも多少、驚いているようだ。
 しかし、ジャンヌはあくまでも、ジャンヌ。
 強気にこう、要求する。
「そうよっ……あのノッポが持ってる剣。あれは、トレスのものよ……わたしは、トレスにあの剣を届ける途中で、この連中に捕まったの。だから、わたしを解放するなら、あの剣も返してっ!」
 一瞬の間をおいて、返答。
「……おれが、むざむざ敵に武器を渡すと思うのか?」
 そう、カズトはいうが、明らかに困惑している。
 ジャンヌは冷静なものだ。
「ええ、思うわ……でなければ、わたしを解放させたりしないもの……あなた、トレスと同類でしょ?……強い敵と戦えるなら、自分の不利なんかちっとも気にしない。
 わたしは、そんな非合理的な思想にはヘドが出るけど、今はその馬鹿な感情を利用させてもらうわ……
 いいこと?あの剣を持ったトレスは、本気で強いわよ。あなた、強い敵と戦いたいのでしょ?……だったら、剣を返しなさい。最強のトレスが、お相手するから……」
 そういって不敵に笑う。
 カズトに視線を合わせたまま、一瞬たりとて外そうとしない。
 とても、さっきまでノビていたとは思えない……まだ苦しいだろうに、大したハッタリだ。
 カズトはしばらく、ジャンヌとノッポが抱えるトレスの剣を見比べていた。
 そして、意を決したように、言う。
「……わかった。お前のいう通りだ……おい、この娘に剣を渡せっ」
「こ、これは我々の戦利品だっ……一介の動員[どういん]の分際で、わ、わたしに指図……ヒッ!」
 かろうじて、ノッポが抗議する……が、カズトが鋭い視線を向けただけで、動けなくなってしまう。
 剣を向けながら、カズトがゆっくりと進みはじめる。
 がっ。
 ふいに、横合いから誰か飛び出した。
「何をする、貴様ァ!」
 ノッポの怒号。
 デブが、横からノッポから剣を奪うと、そのままカズトの脇をぬけてジャンヌの元へ走ったのだ。
「これでいいだろ、カズトさんっ。命ばかりはお助けだっ!」
 ジャンヌに剣を渡しながら、デブがいう。
 すかさず、ジャンヌがこちらにやってくる。
「いいだろう……決闘が終わるまで、この娘には手を出すな……もし、再び命令を破ったら……命は保証しない」
 カズトは、デブにむかって答えた。
 まだしも交渉する価値がある、そう判断したのだろう。
 トレスも同感。
 デブは、急に話を向けられて、あわあわしている。
 どうにか、ノッポがカズトに向かい、必要最低限の交渉を持ちかけた。
「あ、ああ、了解した。手出しはさせないから、こ、心おきなく戦うがいい……だが、お前が勝ったら、後は我々の好きにさせてもらうぞ……いいなっ」
 カズトはノッポを見ずに、「好きにしろ」と返答し、きびすを返した。
 剣を返したデブと入れ違いに、トレスの方に戻っている。
 それより早く、ジャンヌがトレスの元に、到着した。
 近くでみると、顔や手足、青い着物に泥やその他のものが付着し、髪も乱れかかっている。
 ここまでの道のりが、容易なものではないことが、想像できた。
「ジャンヌ……あのさ」
 決まり悪そうに、トレスが言いかけたのを制して、ジャンヌはいう。
「弁解や謝罪はないにしましょっ……わたしは大丈夫。トレスもまだ、戦えるわねっ」
 トレスは、無言でうなずいた。
 そして、ジャンヌは黒い刀装の剣を差し出す。
「でも……いまさら、これを使うのを嫌とは言わせないわよっ、紅素茶[トレスティー]午後雲[アフタヌーン]……おのが剣を用い最善をもって、かの敵を討ち果たすのだっ……これは勅命である。異論は認めぬぞっ!」
 あの威厳ある声で、ジャンヌは命じた。
 トレスは苦笑して、答える。
「いいけどさ……それがジャンヌ本来の喋り方、なのかい?」
 途端、ジャンヌは破顔した。
 大げさな身振りで言う。
「馬鹿みたいでしょ?……でもね、王宮って場所は、無意味に形式ばった所なの……わたしは、こういう虚礼[きょれい]が嫌で、紫陽花[オルテンシア]に来たはずなのにね……我ながら、滑稽だわっ」
 いつもの、皮肉屋なジャンヌだ。
 トレスは心底思ったことを、そのまま口にする。
「ああ……そうやってるほうが、ずっとジャンヌらしいよ」
 瞬間、ジャンヌは顔を赤らめ、うつむいてしまう。
 沈黙。
 それでも、声を振り絞り、どうにか聞き取れる大きさで、返答。
「うん……ありがとう」
「……お、おうっ」
 ちょっと、びっくり。
 こんな素直なジャンヌは、はじめでだ。
 なんだかそれで、トレスはすべてが許せる気になった。
 ジャンヌが、ジャンヌでいたことが、心強い。
 心を開いてくれたことが、妙にうれしい。
 そんな二人を尻目に、カズトは前方を通り過ぎると、すこし離れた列石の根元に向かう。
 何をする気だ?
 カズトの動きを目で追いながらも、トレスはジャンヌの手から、自分の剣を受け取る。
 反りのある細身の剣の、ずしりとした手ごたえ。
 やっぱ、これだ。
「ありがたく使わせてもらうよ……しかし、よく見つけたな、この剣」
 その言葉に、ジャンヌは微妙な笑顔。
「は、ははっ。わたしの洞察力をもってすれば、田舎娘の隠し物なんて、見つけるのは、お茶の子サイサイよっ……あ、あとで片づけを手伝ってほしいけどねっ」
 どういう意味?
「ま……いいけど、ちょっと離れててくれないか?もう、帰れなんて言わないからさ……しっかり、結果を見届けてくれっ」
「ええ、了解……じゃ、頼んだわよっ」
 ジャンヌは、三人組のいる場所から、少し距離をおいた木立へ向かう。
 彼女が離れたのを確認してから、トレスはカズトに視線を戻す。
 見ると、カズトもまた別な武器を取りに行ったようだ。
 長剣のかわりに、ごついシルエットの剣らしきものを、手にしている。
 ……なるほど、そいつが使いたいばかりに、こちらの武器補充を認めたわけか。
 トレスはカズトを見直した。
 なんだ……わかってるじゃないかっ!

十六景

 トレスとカズトは、最初の場所に戻っている。
 直径四十[セキ]ほどの、円形広場。
 よくみれば周囲を、膝ぐらいの高さの環状列石が囲んでいた。
 観客となったジャンヌと三人組も、それぞれ距離を取って二人を見守る。
 対峙する、二人。
 なかなか動こうとしない二人を、ジャンヌは観察する。
 鞘に納めたままの剣を持つトレスは、月光にも鮮やかな赤い着物に、茶色い短袴。
 タスキがわりのベルトで、両肩を締めている。
 紫銀[しぎん]の髪を、馬尾結[ポニーテール]に。
 赤い着物の背には、家紋である紅茶器[くれないさき]
 肩当てが取れかけ、着衣は切れ、泥と血で汚れているが、戦意はいささかも衰えていない。
 対するカズトは、紺地の着流しに黒い帯と、気のままの衣装。
 長剣のかわりに、いまは革製の鞘に収まった鉈のような武器を手にしている。
 あの形の剣は、王宮でも見かけたことがある。
 名前は……何だっけ?
 ま、いいか……
 鍛え抜かれた体躯。
 精悍な表情。
 赤毛をうなじで束ねている。
 にじみ出る戦士の風格に、ジャンヌはかつてない感慨をいだく。
 こいつは違う、と。
 それは、ひょっとするとトレスが感じた強敵の気配と、同種のものかもしれない。
 誇り高く、荒々しく、優秀な戦士として真那砂[マナサ]半島の荒事を一手に担う、武門の一族の気概が感じられる。
 こいつが、本物の宝蓮[フォリア]だ。
 少なくともジャンヌが王宮で見てきた、不馴れな玉座に萎縮する褐色の田舎者、土蓮[ドバス]共とは違う。
 そうだ……どうせ頭が悪いなら、こいつのように愚直に武人として生きればいい。
 分不相応な玉座にしがみつく必要が、どこにある?
 ジャンヌは王宮に巣食う、脆弱な土蓮[ドバス]を軽蔑し、眼前の猛々しい宝蓮[フォリア]を肯定した。

 トレスはいう。
「感謝する……色々な意味でね。ジャンヌのこともそうだが……やっと、本気で相手してくれるみたいだし、な」
 不敵に口元を歪める。
 対するカズトは、あくまで無表情。
「その得物……さぞ名のある剣と見た。おれも、相応の剣で相手させてもらう」
 いいながら、鞘を取り去る。
 闇の中に幅の広い、鉈のような片刃の剣が姿をあらわす。
 巨大な剣だ。
 トレスの得物の、一・五倍はあるだろうか?
 切っ先が切り取られており、突くのには不向きだが、力任せに叩きつけたら、受けるのはまず不可能。
 なぁに、それぐらいでなくちゃっ。
 トレスも、すらりと剣を抜き放つ。
 濡れた刃があらわになる。
『おお〜』
 各所から漏れる、ため息。
 刃渡り、肉厚とも、カズトの大剣とは比ぶべくもない。
 反りのある、細身で片刃の長剣。
 にもかかわらず、トレスの剣が放つ刃の輝きは、この場を圧倒している。
 やはりコイツも、半端じゃない。
 行けるっ!

 カズトが大剣を諸手上段に構えながら、告げる。
瀬亞刀[セアトウ]汲場狩鳴[クムバカルナ]……勝負、つかまつるっ!」

 トレスも真剣を中段に構えてから、告げる。
那刀[ナトウ]富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]……じゃ、始めようかっ!」

 二人の剣客が、己の誇りを賭けて、勝負開始。
 途端、びりびりとした気配が、周囲を満たす。
 一撃必殺の武器を持つため、一歩も動かずに互いを牽制する。
 長引けば、勝ち目なし……初太刀がすべて。
 トレスはそう、決めている。
 先ほどカズトの木剣を弾いたときも、初速では勝っていた。
 渾身の一刀。
 なおかつそれに、タイミングが合えば、あの大剣すら恐るるに足りない。
 それを信じ、極限まで精神を研ぎ澄ます。

 虫の音が聞こえる。
 微風にざわめく、木々。
 月の美しい夜だった。
 トレスは、希定[マレサダ]をわずかに構えなおす。
 月光に、濡れた刃が鈍く輝く。
 馬尾結[ポニーテール]に束ねられた紫銀[しぎん]の髪が、ふさりと揺れた。
 カズトもまた、わずかに揺れはじめた狩鳴[カルナ]の切っ先を、止める。
 ふと、トレスは敵の背後に輝く月の脇に、小さな輝きがあるのを目にとめた。
 剣士としての鋭敏な知覚はそのままに、トレスは残ったわずかな意識で、思う。
 それは「端月[ハヅキ]」と、呼ばれている。
 月に従う、伴星。
 端月のことが史書に登場するのは、今からおよそ六百年前。
 当時は凶兆を示す星として、王朝を滅ぼすほどの混乱をもたらしたそうだが、今では当然のように天球の一部となっている。
 なぜか、そんな話を思い出した。

 ジャンヌは木によりかかり、腕を組みながら、じっと二人の対決を見守っている。
 ちらりと隣に目をやると、出来の悪い三人組は、二人の対決に固唾を飲んでいた。
 当分、こちらに危害を加えることはないだろう。
 少なくとも、この戦いに決着がつくまでは。
 視線を前に戻す。
 月光を背に、トレスとカズトの対決は続いている。
 まるで端月ね。
 ジャンヌは思う。
 トレスがしようとしていることは、まさに端月の出現と同じだ。
 端月が出現したのは、今から六四〇年前。
 通砂[つうさ]九三六年、敏弧[としこ]三五三年のこと。
 三百五十年以上続いた伝紗朱樹[ディンシャアカギ]朝が滅亡するきっかけとなったのは、この星の出現といわれる。
 この星の出現が、王朝の滅亡を予言していたのか、それとも、この星が出現したことがきっかけで、王朝が滅亡したのか、長く議論の的となっていた。
 現在、端月の出現は単なる自然現象の一つとされている。
 当時の人々は無知なるがゆえに、その自然現象を凶兆ととらえ、現実に凶事としてしまったのだという。
 新たな存在が、世間に認知されるのは並大抵のことではない。
 その過程において、命が失われることすらある。
 トレスにとって、これが最初の試練。
 端月が天球に在ることが、認められるか否か?
 そして、トレスに賭けた自分が、認められるか否か?
 下らぬ決闘遊技なところまで、端月と名のつく、あの低俗な戯作と同じではないか。
 いずれにせよ、結果はまもなく出る。

 トレスとカズトが、同時に叫ぶ。
「でぇいやぁぁぁぁぁっ!!」
「セイ、ハァァァァァッ!!」
 夜の空気を切り裂くように、二つの影が動く。
 距離が、瞬時に縮まる。
 トレスは希定[マレサダ]を振り上げ、渾身の力で振り下ろした。
 わずかに出遅れたカズトは、それでも狩鳴[カルナ]をかざし、受けの態勢。
 機先を制するというトレスの目論見は、完璧に潰された。
 あの重そうな剣で、なんて動きだ。
 だが、初太刀に全霊をかけるという決意に、迷いなし。
 不惑の念を込めて、トレスは希定[マレサダ]を打ち込む。
 二つの月に照らされて、二つの決意ある刃が、激しく打ち合わされた。

 火花、散る。

 トレスは剣を、振り抜いた。
 抵抗は、ほとんどない。
 どさり。
 倒れる音。
 返り血が頬を濡らす。

「カズトさんっ!」

 誰かの叫びが、トレスに現実を認識させる。
 希定[マレサダ]の刃は狩鳴[カルナ]を両断し、カズトの左肩から右脇腹にかけて、袈裟懸けに斬り裂いていた。
 斬られたカズトは背中から、どぅと倒れ、傷口から血を吹いている。
「勝った……のか?」
 トレスには、実感がない。
 あれほどの敵が、たった一太刀で……
 これが、真剣の力……
 富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]の威力……

「ほらっ……用が済んだら、さっさと撤退よっ!」
 いつのまにかジャンヌが背後に立ち、トレスの着物の袖を引いている。
 両腕で、希定[マレサダ]の鞘を抱えている。
「あれ?その鞘……なんで持ってるの?」
 ぼーっとしながら、トレスは聞く。
「なんでもなにも、あなたが投げ捨てたのを、わたしが拾ったのよっ!……いいから、はやくっ!」
 ジャンヌは無理矢理、トレスをカズトがいる場所から引きはがす。
 同時に足音がして、チビとデブが飛び出して来た。
「カズトさんっ!……しっかりして下さい!」
「しっかりするだよっ、カズトさんっ!」
「待てっ……不用意に動かすな」
 そういって、ノッポがやってくる。
 チビとデブをどかせると、テキパキと処置しはじめる。
「浅く斬られただけだな……これなら、命に別状はない」
「本当ですか、先輩!」
「助かるだかっ!」
 離れた場所で、トレスはジャンヌに支えられ、立っている。
 そうか、助かるか……
「!?……」
 ふいに、横でジャンヌが身じろぎする。
「どうした?」
 見ると、神妙な面もちで、カズトを見ている。
 そして、小声でいう。
「あいつ……生かしておいたら、また襲ってくるかもよ」
 ニヤリとする、トレス。
「だろうな……楽しみだよ」
「……いいわけ?それで……」
「いいさ……あれだけ強い敵、そうそういない」
「殺しておくべきだと……わたしは思うけど?」
 さらりと言ってのけたが、その一言には、相応の覚悟があるように、トレスには思える。
 人の命を奪うという業を背負ってでも、殺しておくべきだ、そう言っているのだ。
 だから、トレスも自分が思っている通り、答えた。
「あたしは、カズトにとどめを刺すつもりはない……どうしてもってんなら、自分でやりなっ!」
 そういって、ジャンヌに希定[マレサダ]を差し出す。
 希定[マレサダ]を見つめる、ジャンヌ。
 トレスを見つめる、ジャンヌ。
 後ろをむく、ジャンヌ。
 やがて言う。
「黒幕は、自ら手を汚さないものよっ……さっ、行きましょうか?」
「ああ、行こう!」
 二人は、決闘の場を後にした。

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