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[しゅう]

 翌日、華九月運七日。
 午前の講義を終えたジャンヌは、廊下を歩いている。
 トレスは、昨日の疲れを癒すため、午前中は自主休講。
 かわりに、ジャンヌが講義をノートに取って、あとで補習講義を行う予定。
 今日の講義はレベル高かったから、目をまわすぞぉ〜!
 高度な内容に、パニックを起こすトレスを想像しながら、後先考えずに、ほくそ笑むジャンヌ。
 その時、どこからか声がする。
「あ、ジャンヌさん、こんにちは〜」
 こ、この間の抜けた声は……
 見ると廊下の隅に、伝紗[ディンシャ]族の少女が、本を抱えて立っている。
 おととい部屋に押し掛けてきた、眼鏡におさげ髪の少女、エリーだ。
「あら、エリーじゃない……どうしたの?」
 ジャンヌは白々しく、エリーを見る。
 そう、白々しく、だ。
 エリーはにこにこしながら、やってくる。
「昨日は、楽しんでいただけましたかぁ〜?」
 『今日はいい天気ですね〜』ぐらいの調子で、エリーはいう。
 ジャンヌは、素早く左右を見る。
 誰もいない。
 よし。
「昨日って……なにか楽しいこと、あったかしら?」
「ええ、それはもちろんっ……うちのカズト君が、お世話になったみたいでぇ〜」
「!……あなた、まさか……いえ……本当に……」
 ジャンヌは困惑している……ように見えた。
「どうしたんですかぁ〜?言ってることが、よくわかりません〜」
 うれしそうなエリー。
 そこで、ジャンヌはようやく、といった口振りでいう。
「……全部、あなたが仕組んだことなのね」
 恐怖にうち震える……ような声。
 にっこりと笑う、エリー。
「そうです〜、ジャンヌさん……いえ、慈恵院[ジャンヌ]西振[セイシン]宝蓮水叢[フォリアミナムラ]さん?」
「あなた……全部知ってて……」
「ジャンヌさんが、宝蓮[フォリア]族なのは、もちろん知ってますよ〜。王宮でのご活躍は、ずっと耳にしてましたぁ〜……狂瀾[きょうらん]西呪[セルジュ]、様?」
「わらわを、その名で呼ぶなっ……下世話な妄伝[モーディン]の分際でっ」
「まあ、こわいです〜。それに、妄伝[モーディン]なんて汚い言葉、王族が使っちゃイケないと思いますよ〜。ねえ、土蓮[ドバス]の王女様〜?」
 ……はぁ、わかってても腹立たしい小娘ね……ジャンヌは心の内で、そう毒づいた。
 まさか『狂瀾[きょうらん]西呪[セルジュ]』なんて王宮での通り名まで知ってるとは……あなどれないわね。
 しかしま、だいたいこの娘の思考過程は読めたわ。
 そろそろ、いいか。
 ジャンヌは、ふっ、と憎々しげにエリーを睨む、演技を止めた。
「?……」
 微かに困惑するエリー。
 自分の思い通りに、精神をかき乱されているはずではないのか?そう目が語っている。
 ジャンヌは、いつもの皮肉げな表情を作り、言う。
「さすが、紫大最大の学閥、紫陽花[オルテンシア]研究会を、影で牛耳ってるだけのことはあるわねっ……絵嘉禎[エカテリーナ]麻鐘[マーベル]さんっ?」
「……御存知、だったんですか〜?」
「まあね……大層なご身分じゃない。それだけの地位にいれば、わたしが何者かなんて、すぐに調べがつくでしょうよ」
「……なんで、わかったんですか〜?」
 おっ……今度は向こうが、探りを入れてきた。
 ど〜しよっかな〜。
 ま、いいや、答えてあげようっ!
「あなたが持ってきた果たし状……書いたの、あなたでしょ?」
「です〜」
「……達筆なのはいいけど、詩集に書き込みしてた文字と、筆跡が同じだったわよ……」
「あっ……」
「で、思ったわけよ……あなたが、たんなる使いじゃなく、敵の組織の重要な人物じゃないかって、ね……さすがに、頭目がノコノコやって来たとは思わなかったけど……あとは、その筋から情報を仕入れて来たってわけよっ」
「ううっ……エリー、うっかりさんです〜」
「それはいいけど……あなた、いつでもその喋り方なわけ?……その、陰謀を巡らしてる時も?」
「はい〜?……あっ……『ふっふっふ〜、よくぞ見破ったな〜』とか、言わないとイケナイですか〜?……エリーはいつでも、エリーです〜」
「そうなの?(苦笑)ま、そういうことにしとくけど……決闘は、トレスが勝ったんだから、もう、西振[セイシン]族を襲うのは止めるんでしょうね?」
「約束は、約束です〜」
「なら、いいけど……もしまた、被害を受ける人がいるようなら……こっちも相応の報復をさせてもらうわよ」
「万事、オッケ〜です〜……今回は、わたしたちの負けです〜」
「今回ってことは、次は勝つってことね」
「そこらへんは〜、ご想像にお任せします〜」
「はい、はい……にしても、なんで伝紗[ディンシャ]族のあなたが、宝蓮[フォリア]族をけしかけて、西振[セイシン]族を襲わせたわけ?……理由がイマイチわからないわ」
宝蓮[フォリア]族への、デモンストレ〜ションです〜」
「デモスト?……ああ、示威[じい]行動のことね」
「です〜。現在の宝蓮[フォリア]族の王朝で、もし宝蓮[フォリア]族を迫害したら、大學内のこととはいえ、ただでは済みません〜。
 ですが、それ以外の部族、特に現在も文官として王宮でイバってる、西振[セイシン]族を標的にすれば、王宮内での、わたしたち紫陽花[オルテンシア]研究会の印象は、グッと良くなります〜」
「なるほどね……王宮にいる、紫陽花[オルテンシア]研究会出身者は、保守的な宝蓮[フォリア]に、いい顔できるってワケか……学閥ってのも、大変ね」
「個人的に、西振[セイシン]族の人に恨みはないです〜」
「さすが、打算的な伝紗[ディンシャ]ね……じゃ、わたしを標的にしたのは?」
「最初はホント、偶然です〜。でも、そのあと調べてみたら、ジャンヌさんが第四王女だってわかって、ついでにトレスさんが、あのクミルホフ=モレンティさんの娘さんだって知って〜」
「で、お頭自ら、お部屋訪問ってわけ?……まぁ、王宮の宝蓮にしてみれば、わたしが西振族にまちがわれてどんな目に遭おうと……いえ、ひどい目に遭えば遭うほど、大喜びでしょうしね」
「カズト君が、トレスさんの強さに興味を持って〜……で、わたしはジャンヌさんのお手並みを拝見したくて〜」
「西振族を襲わないのを条件に、決闘を申し込んだわけ?」
「です〜……結果、見事に惨敗です〜」
「ヤリすぎは禁物だから、そろそろ止めるつもりだったんでしょ?」
「バレバレ、ですか〜?」
 エリーは、ぺろりと舌を出す。
「白々しいわね……ま、いいけど……たぶん、これからしばらく、敵対することになるんでしょうけど……よろしくねっ。あななたちには負けないわっ」
 ジャンヌはあえて、手を差し出した。
 これからどんな暗闘を繰り広げるとしても、とりあえずは正面から宣戦布告したかったのだ。
「こちらこそ……ジャンヌさんたちを、地べたに這いつくばらせてやる、です〜」
 エリーも手を差し出す。
 二人は、目線を合わせたまま、軽く握手した。
 ジャンヌはフフフと、エリーはエヘヘ〜と笑う。

「え〜いっ!」
 ちゅっゥ
「!★∀▲◎……√!?∨∞?」

 ふいに、エリーがジャンヌを引き寄せ、唇を重ねた。
 ごく、軽いものだったが、ジャンヌの思考は大混乱。
 何が起こったのか理解できない。
 短剣で腹でも刺されたほうが、まだ冷静でいられたかもしれない。
「?……えっえっ何、何……0110……うわっおぅ……!」
 全身真っ赤にして、わたわた中。
 対するエリーは、悪びれた様子もない。
「えっへっへ。カズト君をぶった斬ってくれたお礼、です〜」
 ジャンヌ、混乱中。
 かまわず、エリーは続ける。
「カズト君は、エリーの『ステディ』なんです〜。もし、カズト君が死んでたら、こんなモンじゃ済まなかったです〜」
 あくまでもにこやかに、だが底冷えのする酷薄さで、エリーはいう。
 ちなみに、ジャンヌはまだ、混乱中。
「いくらジャンヌさんが頭が良くても、それを乱す方法はいくらでもあるんです〜。あんまし、自惚れないほうが、イイですよ〜」
 まだまだ、混乱中。
「……あの〜、聞いてますか〜?」
 まだまだまだ、混乱中。
「エリー、知〜らないっ……じゃ〜これで、失礼します〜」
 そう言って、エリーはスタスタと去って行く。
 ジャンヌは、まだまだまだまだ、混乱の渦中だった。


 どうにか、部屋から出てきたトレスは、痛む体をひきずっている。
 部屋は、きのうジャンヌがかき回したままにしてあった。
 とても、片づけができる状態ではない。
 寝る前に、吐瀉物だけ片づけて、さっき起きたばかり。
 並木道から、中央広場へむかう。
 決闘が終わった直後は、どうってことなかったのだが、部屋に戻り、傷の手当をしはじめたころから、だんだん痛くなってきた。
 捻挫や骨折はなかったが、体中に無数の傷が刻まれている。
 いや、剣客を指向した以上、こういう目に遭うのは覚悟していた。
 あの強敵に、この程度の傷で済んだのは、むしろ幸運というべきだろう。
 ……それにしても、あいつ……助かったのかな?
 正直いえば、あの時、思い切り踏み込めなかった。
 迷いはないつもりだったが、微妙に斬撃が浅かったのは、自覚している。
 カズトの大剣、汲場狩鳴[クムバカルナ]を切り落としたのは、トレスの技量というよりも、富良帝丸[フラディガン]希定[マレサダ]の力である所が大きい。
 それでも、あの噴出する血と、真剣で人を斬ったという事実が、トレスを苛む。
 もし本当に、人を斬り殺したら……たとえ、正当な果たし合いだったとしても、その事実を受け止められるのだろうか?
 わからない……
 でも、この道を進む限り、いつかは越えなければいけない壁だ。
 なんとしても、越えなければならない。
 越えて見せる!
「……」
 ま、なるようになるさっ。
 難しく考えても仕方ない。
 そう割り切れるだけの純朴さを、彼女は持っている。

 紫陽花[オルテンシア]大學中央広場。
 視界の隅で、今日も『紫陽花[オルテンシア]大學治安回復なんちゃら〜議会』の面々が、ビラを配っている。
 一部の宝蓮[フォリア]族の暴挙を許すな!
 そう、演説している。
 決着はついてるのに……そう思ったが、ふと気づく。
 ひょっとするとジャンヌは、今回の決闘によって敵が大人しくなった理由を、あの連中の活動のおかげ、ということにしたいのではないだろうか?
 私的な決闘によって、問題を解決するのではなく、人々の誠意の力で暴挙をやめさせる……このまま、敵がおとなしくなれば、連中は自分たちの活動の成果によって、西振[セイシン]族が襲われなくなった、そう思うかもしれない。
 それを見越して、ジャンヌは自ら活動に参加することを、拒否したのか……
『……黒幕ってのはね……決して、表舞台には立たないものよっ』
 そういうこと、ね……

 ざっ。
 しばらく歩くと、物陰から、例の三人組が姿をあらわす。
 襲撃か?
 そう思ったが、往来で人通りも多く、手に武器も持っていない。
 だいたい、この三人では、武器を持っていてもトレスの相手にはならないのだから、それ以外の理由だろう。
 よくよく、物影の好きな連中だ。
「なんか、用かい?」
 ぶっきらぼうに、トレスは言った。
 ノッポが一歩、前に出る。
「カズトから、伝言だ……最後の一撃、見事。よもや、我が狩鳴[カルナ]を両断するとは思わなかった。率直に、敗北を認める。貴殿は宝蓮[フォリア]族が失って久しい、争志[]ある剣士と見た。いずれまた、刃を交えることもあろう。その時を楽しみにしている……以上」
「ちょっと待て……約束はどうなった?もう、西振[セイシン]族を襲わないって話は……」
 トレスの問いに、チビが答える。
「馬鹿か?……カズトさんが負けを認めたってことは、約束は守るってことだ……もし、俺たちが西振[セイシン]族を襲ったら、カズトさんが黙っちゃいない」
「カズトさんは、立派な人だなっ!」
 デブがそれに続く。
「ああ、それはあたしも認める……敵だけど、尊敬できる奴だ。そう言っていたと、伝えてくれ……それと……」
「それと……何だ?」
 ノッポが問う。
 どうしようかと思ったが、トレスは聞いた。
「……さっき、あんたが言ってた『ソウシある剣士』って、何だ?」
 その一言だけが、理解できなかったのだ。
 わからないことは、聞く。
 トレスがここで、最初に学んだことだ。
 チビとデブが顔を見合わせて、首を振っている。
 どうやら、こいつらも知らないらしい。
 オホンと一つ、咳払いをしてからノッポがいう。
争志[]とはだ、な……宝蓮[フォリア]族に古くから伝わる、戦士の心構えのことだ……
 要約すると、『双方合意の上での一対一の勝負においては、その決着に遺恨を残さない』というような意味だったはずだ。
 ま、今時こんな古くさい考え方をするやつは、宝蓮[フォリア]族にもいないがな……カズトは見てのとおりの奴だから、再戦は望んでも、貴様を恨んだりはしないだろうさ……まったく、愚直にもほどがあるがなっ」
 吐き捨てるような言葉。
 どうやらノッポは、カズトのことを快く思っていないらしい。
 宝蓮[フォリア]族とて、一枚岩ではないようだ。
「なるほどね……わかった、ありがとう」
「あ、ああ……では、我々は、これにて失礼する……」
 そういって、三人組は去って行った。
 なんか、ちょっとだけノッポが顔を赤くしたような気がするが……気のせいか?

 ふたたび一人になり、トレスは教室に向かって歩く。
 にしても、争志[]か……
 悪くない考え方だ。
 敵も味方もその考え方を守れるなら、いいのだが……
 だが、トレスが知ってる現実と照らし合せても、それが理想論にすぎないことは容易に想像できた。
 決闘に勝ったはいいが、そのあと門弟達にタコ殴りにされた、なんて話はざらにある。
 人間、そうそう立派な奴には、なれないのだ。
 金や地位や名誉のために、他人を陥れるなぞ、そこら中でやってること。
 ジャンヌなんか、モロそういう人種だ。
 ってゆーか、自分でそう言ってるし。
 それが悪いとはいわないが、自分やカズトみたいに、ただ己の強さを見極めたい……そのためなら、命を失っても惜しくない……そう考える馬鹿がいてもいいじゃないか。
 甘いのか?
 そうかもしれない。
 でも、甘くて結構。
 正々堂々、自分に自分は正しいといえる、そんな生き方があってもいい。
 そうなるよう、努力しよう!
 せめて、自分だけは……
 よしっ。


 なんか、ジャンヌは元気がない。
 つーか、上の空だ。
 せっかく決闘に勝ったのに、何が不満なんだ?
 午後、教室にて。
 もうすぐ授業がはじまるため、生徒たちはノートをならべたり、ごみ箱の前で鉛筆を削ったりしている。
「ジャンヌ……なにかあったの?」
 トレスが言葉をかけると、ジャンヌはビクッと飛び上がってこちらを見た。
 な、なんかマズいこと、しました?
「ああ、なんだ……う、うん、なんでもないっ」
 その態度が『なんでもない』わけなかろーがっ!
 ……とは思ったが、一応「ふ〜ん」と答えておいた。
 沈黙。
 不意に、ジャンヌが話しかけてきた。
「ねぇ、トレス……」
「何さ?」
「……悪女の道は、遠く険しいわ……それを今日、痛感してね……」
「ワケわからん……キチンと説明してよっ」
「ふっ……トレスは大人になってからね」
「なんだよ、それっ……」
 言うだけいうと、ジャンヌは授業の準備をしはじめた。
 これ以上、話すことはナイ、というコトだろう。
 まあいいや。
 ともかく、住む場所も決まったし、ケンカの相手も見つかったし、勉強の……あっ。
 ふいに、トレスは嫌なことを思い出す。
 あと十日……いや、一日たったから九日のうちに「柏崎史丸茶諭[マルティーニュ]伝」を読破しなければいけないのだ。
 すっかり、忘れてる。
 こんなことなら、教室にも持ってくるんだった。
 後悔しても、もう遅い。
 めくるめく活字の洪水を想像するだけで、頭がクラクラする。
 ちくしょう。
 これなら毎日、決闘してるほうがナンボか楽だっ!
 うひぃ〜。

 何やら、もぞもぞと悶えているトレス。
 隣に座るジャンヌは、不信げなまなざしでトレスを見た。
「どうしたのよ?」
 その声に、トレスはうっとおしそうな視線をむけてくる。
 なによ、その態度はっ!
「いやぁ、これから楽しい学園生活になるなぁ〜って、思って、さ」
 皮肉が幾重[いくえ]にも重なった、婉曲[えんきょく]表現。
 おおかた、読書の課題のことでも思い出して、気が滅入ったのだろう。
 それ以外、いまの彼女を落ちこませる理由などない。
 真面目に相手するのもアホらしいので、ジャンヌはわざと、気づかぬふりで返事をした。
「ええ、ホント……これからが楽しみだわ」
 そう言ってみると、さっきエリーに受けた屈辱のことが、思い出される。
 ぅおのれ、あの妄伝[モーディン]小娘めぇ〜。
 この借りは、ギッチリ返してくれるぅ〜

 なにやら意味深に、ニヤリとする二人。
 トレスはヤケクソ気味に、グヒヒと笑った。
 ジャンヌは不気味に、ウフフと笑う。

 がらがらがらっ。

 入口から老講師、入室。
 一斉に、教室が静まりはじめる。
 でも、トレスは笑いを止めない……グヒヒヒヒ、ま、なるように、なるさぁ〜、ヒヒヒヒ。
 そして、ジャンヌは笑いが止まらない……ウウフフ、こんどは、わたしがぁ〜、フフフフ。 

「ン、ホンッ……そこの二人。授業をはじめますよ」
 がたたんっ。
 同時に起立する、ふたり。
『失礼しました、ピエール教授っ!』
 その声は、見事にハモっていた。

 なにはともあれトレスとジャンヌ、二人の少女の奇妙な大學生活は、こうしてスタートしたのである。

おしまい


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