★Astronaut 小説★
〈クイックハルト〉外伝
〈 #_quickhalt_external:オッカムの剃刀ふたつ 〉

###シンプルテキスト版###

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■オッカムの剃刀[かみそり]ふたつ 3/4■

 
 ダブルベッドの中で一人、ミッチェルは目覚めた。
 今、何時であろうか?
 枕元の電気時計を見ればすぐにわかることだが、なぜかそうする気が起きなかった。
 ベッドの脇机の上に、見慣れた黒いノートパソコンが開かれ、液晶画面に羽の生えたトースターが無数に舞うアニメーションが映し出されている。
 考えてみれば今回、レイアと会ってからかなり時間が経過しているにもかかわらず、彼女の忠実な部下であるこの黒いノートパソコンを見るのは、これが最初だった。
 寝室の床には、脱ぎ捨てられたスーツだのドレスだの下着だのが、無造作に散乱している。昔、ハリウッド映画で、こんなシーンを観た気がしたが、タイトルは思い出せなかった。あるいは、男女の交わりを示すステロタイプな演出だったか。
 暗い寝室の先で明かりが漏れ、バスルームから水音がしている。
「君のご主人様は、シャワー中かね?」
 ミッチェルが半身を起こしながら、黒いノートパソコンにそうつぶやくと、液晶画面が舞飛ぶトースターから灰色の画面に切り替わった。
 自動的にメッセンジャーソフトが立ち上がり、スピーカーからレイアの声が告げる。
『……起きたのか。すまんが風呂を借りている』
 水音がするので、ノートパソコンを介してバスルームから話しているのだろう。
「好きに使ってくれたまえ」
『……借りておいてなんだが、底の浅い風呂は、どうにも落ち着かんな』
「洋式のバスより、和式の風呂の方が良いのかね」
『ああ、肩まで楽につかれる方が良いな』
「なるほど、覚えておくよ」
 ミッチェルは、ベッドの脇に散乱した着衣の中から、スーツの上着を引っ張り上げる。
 上着のポケットから、そっと小箱を取り出す。
 さて、彼女にどう切り出したものか……。
 蓋をあけて中で鈍く光るものを確認し、再び上着のポケットにしまった。
 ミッチェルはあらためて、レイアが所有するノートパソコン、パワーブックG3を見つめる。
 世の中には、喋る機械など無数にあることを現在のミッチェルは知っていたし、このノートパソコンも人語を解する以上、会話能力だってあるはずである。喋れないのではなく、喋らないのだ。もし、この機械と直接会話できたら面白いだろうな、と思う。寡黙な従者が、不滅の所有者を何と評するか、ぜひ聞いてみたいものだ。
「ところでレイア、食事の時は聞けなかったが、これからどうするつもりかね?」
 考えあぐねたすえ、ミッチェルは無難と思える話題を振ってみる。
 沈黙があった。
『……そのことだがな……ミッチ。オレたちの関係は、これっきりにしてくれないか』
 ミッチェルの心に雷鳴が轟く。
 それでも彼は、内面の混乱を制して平静に尋ねた。
「つまりそれは、別れ話の相談かね?」
『そう認識してもらって構わない』
「そうか……そうなのか。いや……いずれそんな日が来ると思ってはいたが、よりにもよって、今か」
『済まんな。弁解になるが、お前に愛想をつかせたわけではないし、他に男ができたわけでもない』
「ではなぜ……!!……嘆きのエヌとの戦いに集中したいから、か」
『そういうことだ』
 よりシンプルな状況を選択することで、より効率的な対処を行う。
 彼女らしい判断だ。
 ミッチェルは、自身が想像した以上に狼狽していることに、いまさら気づいた。
 仮に、こういう状況になったとしても、もっと冷静でいられると思っていたのだが。
 深く息を吸う。
 そして、可能な限り心を鎮め、質問する。
「どうして君は、そこまで嘆きのエヌにこだわるのかね? この世界の維持管理は、管理体直轄の、ヴァリアブルス条約機構に任せておけば良いではないか。それとも、僕よりも世界を守る大儀を優先したとでも言うのかね?」
 ノートパソコンのスピーカーから、レイアが小さく笑う声が聞こえて来た。
『オレに、そんな大それた意識があるわけなかろう。オレが守ってやらなければ維持できない世界なら、いっそ滅んだ方がいいぐらいさ』
「君がそういう考え方をするのは知っている。ならばなぜ、救世主じみた真似を……いや、文字通りの"救世主"を演じているのかね?」
『売られた喧嘩を買ったまでさ。やられっぱなしは、悔しいからな』
「別に、君個人を狙った攻撃ではあるまい。ドライブエンジニアとして数機構に協力するのはわかるが、君がそこまで傾注する理由がわからんよ。せめて、それだけでも教えてくれないか?」
『それは……話せない』
「?……さきほど、君自身から色々と事情を聞いたし、聞かれてまずい話などないと言っていたではないかね」
『あれから状況が変わったのさ』
「変わったとは何がっ!! ……いや、すまない。冷静にならなければ、会話にならないな。……状況が変化したという事情について、説明してくれないか?」
 そこで不意に、レイアの黒いノートパソコンのスピーカーから、聞き慣れぬ若い男の声がする。
『その件につきましては、私の方からご説明しましょう、ミッチ』
 思わずミッチェルはベッドから跳ね起き、愛用の杖を掴んで身構える。
 そして、声の主が何者であるか思い至り、問う。
「ひょっとして君が、レイアの言っていた"奴"かね」
『ご賢察の通りです、ミッチ。こうして会話をさせていただくのは初めてですね。はじめまして。私は、パワーブックG3の人格プログラムです。以後、ハンスとお呼び下さい』
「ハンス……ドイツ人か」
『トルコ系ドイツ人という設定です』
「……さしずめ、ハンス・G3[ゲードライ]といった所か」
『結構ですね。以後、フルネームとして名乗らせていただきましょう。……さて、ご質問の件について説明させて頂いてよろしいでしょうか?』
「あ、ああ……頼む」
『了解しました、ミッチ』
 間の取り方など、会話として芸が細かいなとミッチェルは感心しかけたが、三十年来のパートナーから絶縁されたことを思い出す。
 いっそ、自棄になって笑い出したい気分だった。
『さきほど、ヴァリアブルス条約機構から堀越レイアに対して、正式に通告が出ました。〈平成日本〉の有選クイックハルトプレイヤーを辞し、後任を疾風良一に委譲する件につき、付帯条件を設けるというものです』
「それは何かね?」
 ミッチェルの問いに応じて、ハンスこと黒いノートパソコンのディスプレイに、一枚の電子文書が表示される。
 それは、ヴァリアブルス条約機構の内容証明がついた、正式なものだった。
『後でヴァリアブルス条約機構に問い合わせていただいても結構です。ごらんの通り、今回の嘆きのエヌによって引き起こされた事件について一切、他者に口外しないこと。この守秘義務に違反した場合、後任を疾風良一とする件は白紙とする……という内容です。やりますね、エージェント近恵も』
「……近恵というと、中島近恵女史か。現地人と結婚して、財閥婦人になった模造人間という……彼女が、レイアに守秘義務を課したのかね」
『ここは"左様でございます"とお答えすべきでしょうか。昨日少々、レイアと近恵がやり合いましてね。レイアの発言を危険視したための措置でしょう。昨晩の段階では問題なかったのですが、今は守秘義務に抵触するため、話すことができないというわけです。ご了承下さい』
「それは……迂闊な発言はできんな」
 ヴァリアブルス条約機構が守秘義務を課すということは、血縁者や配偶者、恋人や友人、知人に対しても発言を禁じ、これを監視するということだ。
 もっとも、レイアの常軌を逸したドライブエンジニアとしての能力をもってすれば、守秘義務を回避することも不可能では……。
「……つまり、嘆きのエヌを万全の態勢で迎え撃つために、余計なリスクは負いたくないというわけか」
『ご理解が早くて助かりますよ、ミッチ』
 しばらく茫然自失していたミッチェルの口からふと、ラテン語の一文が漏れる。
「……Pluralitas non est ponenda sine neccesitate.」
『単純な理論で良しとするならば、複雑な理論を用いるべきではない。"オッカムの剃刀"と呼ばれる、二者択一の指針ですね』
「そうだ……指針であって、正解にいたる確実な方法論ではない」
『確かにその通りですが、よりシンプルに見える方法が正解である場合が多いと、一般的に思われていますね。シンプル・イズ・ベスト、などと言いますし』
「なぜ、そこまでこだわるんだ? 僕には理解できない……理解できないよ、レイア……」
 ミッチェルはそう言ったきり、黙り込んでしまう。
『……』
 しばし、何事か考え込んでいるふうだったハンスが言う。
『伺いますが、レイア。"あの件"について、ミッチに説明してよろしいですか?』
 ふたたび、スピーカーからレイアの声。
『構わんが、守秘義務は大丈夫だろうな』
『ええ、所詮は人工知能の"戯れ言"ですからね。都市伝説のようなものです』
『ならば好きにしろ』
「?……」
 ベッドの上で力なくうなだれるミッチェルに、ハンスが言う。
『まずは、この画面をご覧下さい』
 その言葉と同時に、モニター上でワープロソフトが起動する。
 自動的に文字が入力され、画面に大きく、
 
N:'-[
 
 という文字が表示された。
『これが事件の発端となった、メールの件名です。呼称については、私が字面から適当に名付けたのですが、どうもパブリックな名称になってしまったようですね』
 アルファベットのNと、人が泣いているような西洋式の顔文字。
「嘆きのエヌ……か」
『次に、こちらをご覧下さい』
 すると、嘆きのエヌの顔文字が改行されて下がり、かわりに、
 
Q33NY
 
 という文字が表示された。
「これは?」
『今回の事件が起こった日付……九月十一日で、世界的に有名な事件といえば何がありますか、ミッチ』
 彼は頭の中で、旧世界の歴史を検索した。
 言葉を学ぶということは、歴史や文化を学ぶことでもある。
「世界中で、誰もが知っている史実と言えばまず……旧西暦二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ事件か」
『その通り。この事件でもっとも有名なのは、ニューヨークの世界貿易センタービル爆破事件──テロリストにハイジャックされた旅客機が、ビルに激突したというもの──ですが、この文字列はクィーンズ通り三十三番地……このビルの住所を表しています』
「これに、何かあるのかね」
『ええ。これをとある書体に変換すると……。フォントという概念は御存知ですか?』
「明朝体やゴシック体など、文字を同一の規格で管理する概念だろう。同じ規格のフォントならば、書体が違ってもコードを指定することで同じ形の文字が表示されるはずだ」
『基本的にはそうですが、例外もあります。絵や記号を表示する専用のフォントの場合、一般の文字列とはとは異なるものが表示されることがあります。ご覧下さい』
 ハンスの言葉に合わせて"Q33NY"の文字が反転し、異なるフォントが指定される。
 そこには、次のような絵記号が表示された。
 
Q33NY
 
「これは……」
『飛行機が双塔のビルに向かい、死を生み出す……というようにも読めますね』
「不吉な予言というわけか……」
 そこでふと、ハンスはシリアスな語調を緩める。
『もっともこれは、良くできた"デマ"なのですがね。実際のニューヨーク世界貿易センタービルの住所は"NY 10048"ですから、この文字列は、住所とは無関係です。ただ、今回の首謀者がこの故事に倣ったという可能性はあります』
「つまり、同じことを嘆きのエヌの文字列に適用すれば……」
『やってみましょう』
 ディスプレイ上で、"N:'-["の文字列が反転し、さきほどと同じ書体が適用される。
 そこには、次のような絵記号が表示された。
 
N:'-[
 
『郵便ポストに火がつき、コンピュータに死が訪れる……というようにも読めますね』
 ミッチェルは、変換された記号を見つめ、熟考する。
「ポストを電子メール、コンピュータをドライブスペースに読み替えれば……たしかに、今回の事件を予告しているようにも読み取れるな。だが、最後の太陰対極図(陰陽マーク)は何かね? それに、この絵記号の意味とレイアが事件にこだわる原因との因果関係も理解出来ないのだが」
『それについては、もうしばらくお待ち下さい。あと、そろそろレイアもバスルームから出てきますので、着替えられた方がよろしいかと』
「?……ああ……わかった」
 さっぱりわからなかったが、とりあえずハンスの忠告に従ってスーツを着込む。
 彼がネクタイを締め直す頃に、バスルームの方からゴソゴソと物音がして、黒い人影が出て来た。
 いつも通り、黒い全身服を身にまとい、ミッチェルの元パートナーが立っている。
 彼女は床に放り出された白衣をつまみ上げると、無造作に袖を通した。
 ミッチェルが言う。
「前から聞きたいと思っていたのだが」
「何だ? 守秘義務に……」
「いや、そのことではなくてだな……君のその全身服は、自動的に温度調節がされ、発汗も体臭も吸収されるはずだね」
「損傷の再生と、使用者が受けた傷の応急処置もな」
「そう聞いている。ではなぜ君は、白衣を着るのかね。全身服だけで、機能的に事足りるのではないか?」
 問われたレイアが、少し苦笑する。
「こいつには……手を入れる場所がないんでね」
 そう言って、白衣のポケットに両手を突っ込んで見せた。
 ミッチェルも苦笑する。
「君らしいよ……」
 彼女は一見、冷徹な合理主義者のように見えて、実はそうでもない。
 思考接続され、考えただけで指示ができるコンピュータがあるというのに、わざわざキーボードによるコマンド入力を併用しているぐらいだ。
 今度は、彼女自身にとっては無駄でしかない、ハンスという音声対話装置まで使うようになった。
 どれほどの力を持とうと、自分より優れた相手が出現すれば、それに応じて自らを変革して行く努力を惜しまない。
 以前の彼女を認め、愛していた者になど、構ってはいられないということだ。
 ──僕はもう、今日からの彼女には、不要な存在なのか──
 そう、ミッチェルが諦念しかけた時、レイアが白衣の大きなポケットから、何やら取り出しながら言う。
「ミッチ、こいつが何かわかるか?」
 それは、トンファーのような形状に刃のついた武器。
 刃の部分にはカバーが装着されている。
 どこかで見た覚えがあった。
「たしか昨日……いや、一昨日のクイックハルトで……」
「そう。オレの相手が使っていた、オプティマスダガーだ。こいつが最初の鍵となる……来るぞ、構えろ」
 レイアの言葉と同時に、周囲の空気が一変した。

■オッカムの剃刀ふたつ 4/4■

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