★Astronaut 小説★
〈クイックハルト〉外伝
〈 #_quickhalt_external:オッカムの剃刀ふたつ 〉

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■オッカムの剃刀[かみそり]ふたつ 2/4■

 
「二名で予約した堀越だが」
 ミッチェルがそう告げると、若い給仕は一瞬だけ目を見開くが、すぐさま平然と言う。
「堀越様ですね。お待ち申し上げておりました。お連れ様が先にいらしております。どうぞ、こちらへ……」
 よく訓練されているな、とミッチェルは思った。
 いかにも白人らしい彼の容姿と、流暢すぎる日本語とのギャップに驚く者は多いが、それを表に出さずに済ませられる者は少ない。
 英語の訛りが一切ないというだけでなく、日本語として素人離れした"良く通る声"のため、『まるで洋画の吹き替えを生で見ているようですね』、ななどと言われたこともある。
 事実、彼は日本語の教材として、日本映画だけでなく、日本語にアテレコされた外国映画を大量に観て研究したので、自然とプロの発声技術を習得しているのかもしれない。
 ミッチェルは、給仕の案内に従って歩く。
 ここは、ホテル最上階にある展望レストラン。
 空港と空港に隣接する施設の夜景を楽しむことができた。
 安全宣言が出され、すでに航空機の離発着は再開している。
 ラストオーダーに近い時間だったが、保証交渉関係で夕食が遅れた者が多いせいか、思いのほか混み合っていた。
「なっ!……」
 予約した窓際のテーブルに近づいた時、ミッチェルは不覚にも目を見開き、立ち止まってしまう。
 他人の訓練度合いをとやかく言える態度ではなかったが、それに気づく余裕すらない。
 約束の時間より早く到着し、予約したテーブルについていた堀越レイアは、いつもの白衣と黒い全身服姿ではなく、目にも鮮やかな翡翠[ひすい]色のパーティードレスに身を包んでいた。
 長い黒髪もドレスに合わせてセットされ、薄く化粧をし、あまつさえアクセサリーまで身につけている。
 お決まりの、黒いノートパソコンすら見あたらない。
 モデルかタレントか、セレブの令嬢か。
 〈平成日本〉……いや、二十一世紀をモデルとした火星領域[マーズドライブ]内の洋式パーティーなら、どこへ行っても恥ずかしくないどころか、宴の注目を一身に集めそうな姿だった。
「どうした、何か変か?」
 口調だけ、いつも通りにレイアが言う。
「いや……変というなら、いつもの君よりは変じゃないね」
 我ながら最低限、そつのない返答だったと思う。
「そうか、ならいい」
 給仕が引いてくれた椅子に腰かけながら、ミッチェルは言う。
「どういう心境の変化かね? 僕の知る限り……といっても、たかだか三十年だが、君がいつもの全身服と白衣以外のものをを身につけているのは、初めて見るよ」
 テーブルを挟み、淡いキャンドルの光に照らされて座る彼女は、薄い笑みを浮かべながら答える。
「少し、やり方を変えようと思う。今までの手では、通用しない相手が現れたものでな」
「その件だが……」
 そう言いかけて、ミッチェルはテーブルの脇で待機する給仕に、辛口の白ワインを注文する。
 「かしこまりました」と、給仕が席を離れるのを見送ってから、ミッチェルは愛用の杖を握りしめて続ける。
「……ここで、そんな話をして大丈夫なのかね?」
 緊張を隠せないミッチェルに比べ、レイアは落ち着いたもの。
「聞かれてまずい話などないさ。が、念のため"対策"は講じてある」
 彼女――と、その相棒である黒いノートパソコン――の能力をもってすれば、容易にあらゆる種類の盗聴、盗撮行為を無効化できるだろうということには確信が持てた。
「君がそう言う以上、大丈夫なのだろうが……」
 だからといって、こう人目の多い場所で語るべき事柄でもないと思うのだが……。
 運ばれてきたワインをテイスティングし、ろくに味もたしかめずグラスに注がせる。
 そして乾杯。
 いささかぎこちなく、二人だけの会食が始まる。
 彼女の説明により、メインの皿が空になる頃には、ミッチェルもおおよその事情を把握できた。
 事前に情報を得ていたとはいえ、それはやはり驚くべき内容と言わざるを得ない。
 "嘆きのエヌ"と呼ばれる未知の存在により、〈平成日本〉の少年がプレイヤ属性を発現した時の認証過程に発生する未知の脆弱性が悪用された。ヴァリアブルス条約機構と同等の管理権限が不正に行使され、〈平成日本〉を中心とした複数の領域の消去が実行されようとする。その事態を察知した〈ストレイジーク〉こと堀越レイアは、参戦中だったクイックハルトを放棄し、独自に事態の収拾を図る。しかし、早々に管理権の再奪取は不可能と判断し、ヴァリアブルス条約機構が保護に失敗した〈平成日本〉の領域情報を複製し、消滅前に〈平成日本〉を脱出したというもの。複製した領域情報はすみやかにヴァリアブルス条約機構へ提供され、三十年前の状態に巻き戻るという最悪の事態を防ぐことに成功したが、複製漏れを起こした領域を飛行中だった旅客機が一機、完全に消滅してしまったというものだ。
「その"嘆きのエヌ"という名称は、自称かね?、他称かね?」
「仮称だな」
 彼女が言うには事件発生直前、プレイヤ属性を発現させる少年の元に送られたメールの件名が、"アルファベットのエヌと、泣いているかのような顔文字"で、それを元に"奴"がつけた仮称がそのまま上層部で使われるようになったという。
 ──また"奴"か──
 その件には触れず、ミッチェルは質問を続ける。
「属性を発現させた少年……名前は何といったかね?」
「良一だ」
「……僕が釈然としないのは、その"良一君"がプレイヤ属性保持者となった原因が、嘆きのエヌにより彼に電子メールを送りつけられたことが契機となっている点だ。しかし……」
「たしかに、プレイヤ属性の発現は、事前に察知することも、人工的に発現させることも不可能とされている」
「君でも無理かね?」
「無理だな」
「嘆きのエヌには、それが可能ということか」
「オレは、人工的に発現させたとは思っていないがな」
「だが、属性を発現させる直前に干渉して来ているのだろう?」
「そこがわからんのさ。今回突かれた脆弱性は、プレイヤ属性の発現を管理体が了承するプロセスの不備を突いたものだが、そのためには、あらかじめ属性が発現されるタイミングで待ち構えている必要がある」
「では、良一君が属性を発現した直後、限りなくゼロのタイミングで脆弱性を突いたと?」
「それで可能ならオレにも出来るし、そんな穴なら、とっくに管理体が塞いでいるさ」
 基本的に、ドライブスペースを統括して管理する"管理体"と呼ばれる存在は、システム全体を常に監視し、自己診断によって発見した脆弱性は自身で修正してしまう。また、第三者からの未知の攻撃に対しても、管理体は瞬時に解析して対応策を取るため、仮に今回の攻撃が再度行われたとしても、二度と通用しないはずだ。
 無窮の自己研鑽と防御経験によって構築された堅牢なシステムが、第三者にここまで良いように乗っ取られたという事実が、有史世界領域連合やヴァリアブルス条約機構のみならず、ドライブスペースの管理に携わるすべての者を震撼させているという。
「……ではなぜ、嘆きのエヌは属性が発現する前の良一君に干渉することが出来た……いや、干渉したのかね?」
「わからんよ。プレイヤ属性を意図的に発現させたと見せかけるためか、あるいは属性の発現するタイミングを予測できることをアピールするためか。どちらにせよ、あまり効率的なやり方とは思えないが」
「愉快犯的だと?」
「冗談にしては、相当にタチの悪いものだがな」
「どちらにせよ冗談であることは確定かね?」
「まあな。それでいて、現状ではオレよりも能力は上と来ている。ここまでオレが……お?」
 ふと、デザートを食べながら話していたレイアの手が止まる。
 ミッチェルが彼女の視線を追うと、新たな客が来店したのが見える。
 ぎりぎり、ラストオーダーの時間。
 視界の隅に映ったのは、学生服姿の少年と私服の少女。どちらも高校生ぐらいか。
 初々しいカップルといった印象の二人は、少し緊張気味に手をつなぎ、給仕に案内されてこちらに歩いてくる。
 多少、場違いな印象はあるが、おそらく補償交渉の関係者であろう。
 少年少女がミッチェルたちのテーブルの前を通過する時、少年が一瞬だけレイアを見たが、あわてたように視線を戻して通過して行った。
 二人は店のさらに奧の席に案内される。
 そこでミッチェルは気づく。
「もしかして、今のが?」
「そうだ」
 レイアは何事もなかったかのように、フルーツシャーベットを片付けていた。
「あれが噂の良一君か。今回の事件のキーパーソンにして、君の後継者でもあるわけだね。女の子の方は……」
「千早だ」
「……中島近恵女史の補償交渉相手か。フフッ、どうやら二人とも、君に気づかなかったみたいだね」
 食後の紅茶をすすりながら、ミッチェルが悪戯っぽく言う。
 実のところ彼も、何の説明もなければ、眼前の女性が堀越レイアであると、瞬時に識別できるか自信はなかったが、それをわざわざ教えてやることもない。
「中身を替えたつもりはないのだがな」
 翡翠色のドレスに身を包んだ彼女は、少し憮然としているようにも見える。
「二人に挨拶しなくて良いのかね?」
「これ以上、今話すことはないさ」
 そう言って、ナプキンで口元をぬぐう。
 ──ひょっとして、無視されて落ち込んでいるのだろうか?──
 確証はなかったが、可能性はゼロではない。
 最低でも千年は生きているはずの、不滅者たる彼女はしかし、二十年も生きれば身につくであろう感情の機微が欠落している所がある。
 そのアンバランスさが、彼女の魅力でもあるのだが。
「それよりもだな……」
「ん?」
 いつの間にか彼女が、視線をじっとこちらに向けている。
 レイアは静かに問う。
「部屋を取ってあるのだろう。これから一戦するという認識で良いか?」
 彼女の言わんとする事柄は、すぐに理解できた。
 まるでクイックハルトの野試合でも申し込むかのような言いぐさだが、無論そうではない。
 ミッチェルは、わずかに残った紅茶を飲み干し、ゆっくりとティーカップを受け皿に戻してから答える。
「……お手柔らかに願いたいね」
「考慮しよう」
「では参りましょうか、お嬢様」
 そう言いながら、ミッチェルは上品な所作で彼女の手を取り、席を立つ。
 レイアも流れるような動きで、彼の腕に自身の腕を絡めた。
 ──まるで、美女に誘惑されているようだな──
 彼の心象が、あながち間違ってはいないどころか、まったくもって正しいことに気づくのは、随分後になってからのことである。
 
 ミッチェルとレイアが、いわゆる"男女の仲"になったのは、二人がほぼ同時期にクイックハルトプレイヤーになったのがきっかけだった。
 反権力志向の強い彼が、祖国〈GDイギリス〉の国選クイックハルトプレイヤー、〈スピットワンダー〉となることを受諾したのは、四十五歳でプレイヤ属性を発現し、その後十年以上の放浪生活を送ったことで、世界に対する認識が変わったことが大きく影響している。歴史を学び、様々な国家体制を直に見て、彼は痛感した。どの時代、どの世界の国家にせよ、少なからず権力者は腐敗を友とするものなのだ。特に、超大国と呼ばれるものを善悪で二分すれば、おおむね悪に傾倒する。残念なことではあるが、それが世界標準なのだ。
 これに対してクイックハルトという代理戦争ルールは、少なくとも他国民を――結果的に死に追いやることはあるにしても――物理的に殺害せず、戦争と同等の結果を出すことができる。異なるドライブスペース間戦争が禁止だからと、わざわざ憎しみ合う領域同士を一つの世界に結合し、"内戦"扱いにしてまで直接的な戦争を行うことを考えれば、はるかに理性的だ。
 もう一点、彼がクイックハルトプレイヤーとなることに魅力を感じたのは、過去未来を問わず、異なる時代設定の領域へ移動できるということ。その頃、すでに彼は宇内領域[ガイアドライブ]内だけでは飽きたらず、過去や未来、あるいはそれ以外の設定で構築された領域の言語も学びたいと思うようになっていた。有史世界領域連合内において、後代領域はともかく、先代領域に移動することは原則として禁止されており、また有連以外の領域への移動は、有連内への帰還が困難になる場合が多い。プレイヤ属性保持者たる彼が、もっとも容易に領域間移動の権利を手にする方法として、クイックハルトプレイヤーとなるのが最適と思えるようになる。
 精神的なわだかまりが解決して〈GDイギリス〉の国選クイックハルトプレイヤーとなった後、〈ストレイジーク〉こと、堀越レイアと最初に出会ったのは、有連イスタンブールの訓練センターにおいてだった。
 黒い全身服の上に白衣を着て、携帯用の黒い"タイプライター"ならぬ"ノートパソコン"を常備する姿に違和感はあったが、日本語会話のトレーニングのつもりで軽く話しかけてみる。当時、クイックハルトプレイヤーとして新人だった彼女は、当然ながら不敗神話もなく、むしろドライブエンジニア──ちなみに、ミッチェルがいた領域の日本語では"空間技師"と呼ばれていた──として著名だったらしい。それすら知らないミッチェルは、彼女が自分よりひと月ほど早くクイックハルトプレイヤーとなっていたという理由だけで、戦闘技術の手ほどきを頼んでしまったのだ。技術の習得など二の次で、後代領域のネイティブな日本人と会話ができればそれで良かったのだが。
 一回目に、訓練施設で手合わせをしただけで、彼女がクイックハルトプレイヤーとしては新人でも、達人クラスの戦闘技術を持っていることを思い知らされる。女の細腕とはいえ、格闘も近接武器も飛び道具も、すべて回避するか受け流してしまうのだから関係がない。そして彼女の攻撃は当たり放題。動作が異常に速いというわけではなく、無駄がまったくないのだ。その頃、彼女から学んだ戦闘技術は、現在のミッチェルにとって大きな財産となっている。
 訓練後に詳しく聞いてみると、彼女もミッチェルが様々な言語の習得を趣味としているように、個人的な興味で様々な戦闘技術を研究、習得して来たという。クイックハルトプレイヤーには、本業の気分転換でなってみたのだそうだ。
 彼女もなぜかミッチェルが気に入ったようで、戦闘訓練以外でも時折、食事などを共にするようになる。その頃には彼も、レイアが本業のドライブエンジニアとしても卓絶した能力を持つ、その片鱗を感じ取っていた。本来、ドライブエンジニアとは、ヴァリアブルス条約機構から許可された範囲で、ある領域から別な領域へ土地や物を転移させるというのが主な仕事だ。今回の件でもそうだが、ヴァリアブルス条約機構ですら手に負えない破壊者に、勝てないまでも私的に複製情報を作成する、などという行為は、本来の職域を大幅に逸脱している。彼女は以前から、しばしば平然とその種の奇跡をやってのけるのだ。"唯一神"とは言わないまでも、ギリシャ神話に出てくるオリンポスの神々の一人、ぐらいは自称しても良さそうな能力を持っているように思えたが、自身は泰然自若としたもの。
彼女にとっては、誇る必要もない、至極当然の能力なのだ。
 ミッチェルは当初、自分がレイアを恋愛対象として意識して良いものか、自信が持てなかった。外見年齢的には、親と子供でも通じるほど歳が離れていたし、生存年齢的には逆の意味で、老人と幼児ほど──あるいはそれ以上に──歳が離れていた。そんな彼女が、自分をまともに相手などするはずがないのでは……そう疑問に思う前に、二人は親密な関係となっている。生存年齢が百歳を超えた現在のミッチェルには、少しわかるようになってきたことだが、プレイヤ属性保持者としてある程度長く生きてしまうと、大概の他人は自分より年下になってしまうため、年齢差にこだわる気持ちが失せてしまうのだ。外見も一般人は、十年もすれば"すぐに"変化してしまうし、見かけが同年代の不滅者と親密になる機会など滅多にない。内面的に気が合うなら、それ以外の多少のことは気にしない、ということのようだ。
 それから彼が、数多くの言語の中から、日本語能力を洗練させることに、もっとも力を入れたのは言うまでもない。
 以来、三十年。ミッチェルとレイアは、一ヶ月から半年に一度という頻度で逢瀬を重ねるようになっている。活動する領域が異なるため、クイックハルトプレイヤーとして直接闘うことはなかったが、彼女が闘えば必ず勝つという"不敗神話"を打ち立てたことに、さほど驚きはない。戦士としても、ドライブエンジニアとしても、蓄積したノウハウが違いすぎるのだ。多少、装備の性能でハンデをつけてたぐらいでは、カタログデータを対等にできたとしても、本当の意味で対等になどなりはしない。
 そんな彼女も、〈平成日本〉のクイックハルトプレイヤーを辞し、ふたたび一介のドライブエンジニアに戻っている。それが、今までの二人の関係を大きく進展させるチャンスであると確信したミッチェルだからこそ、クイックハルトプレイヤーの特権を最大限に行使し、有連イスタンブールを経由して、〈MDイギリス〉から、一気に〈平成日本〉へと駆けつけて来たのだ。この事件がなくとも、すでに亡き妻の墓に許しを請うた以上、彼の行動は一つに定められている。

■オッカムの剃刀ふたつ 3/4■

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