★Astronaut 小説★
〈クイックハルト〉外伝
〈 #_quickhalt_external:オッカムの剃刀ふたつ 〉

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■オッカムの剃刀[かみそり]ふたつ 4/4■

 
 世界が遷移する、独特の感覚。
 何も考えず、ミッチェルはベッドの脇に立てかけた愛用の杖を手に取る。
 二人の眼前に、何かが出現した。
 ミッチェルは、林檎の木で出来た柄頭を掴み、居合いの要領で一気に引き抜く。
 そして"それ"に向かい、杖から引き抜いたエネルギーの塊を叩きつける。
 〈GDイギリス〉のクイックハルトプレイヤー、〈スピットワンダー〉ことマーリン・ミッチェルが愛用する武器、アヴァロンの杖が一閃した。
 使用者の意思で形状を選択できるそれは、輝くエネルギーで形成された棘つきの鈍器、"明けの明星[モーニングスター]"の姿をしている。
 完璧なカウンターが決まったかに見えたが、出現した"それ"は、手に発生させたエネルギーの刃で容易にアヴァロンの杖の一撃を逸らせてしまう。
 同時にレイアも、手にエネルギーの刃を発生させ、打ち込んでいたが、こちらは左手に持った白い板状の物体に防がれる。
 その直後、ミッチェルはアヴァロンの杖の鞘を突き出し、レイアは体をひねって蹴りを入れた。
 五割以上の勝率を誇る、優秀なクイックハルトプレイヤーであるミッチェルには見えなかったが、二人の二撃目が到達する前に、"それ"は二人の間を駆け抜けている。
 そしてようやく、何かの圧力が二人を跳ね飛ばしていることに気づく。
 敵が何をしたのかは見えなかったが、敵が何者であるかははっきりと見えた。
 遷移した世界が元に戻り、"それ"が消える。
「やはり、二人がかりでも駄目か」
 レイアが部屋の隅で立ち上がりながら、いまいましそうに言った。
 圧力で部屋が派手に破壊されたはずだったが、元の状態に戻っている。
 ミッチェルは吹き飛ばされた先がベッドだったので、さほどダメージは受けていない。
 エネルギーの塊が消滅したアヴァロンの杖の柄頭を、鞘に嵌めなおしながら言う。
「今のは何だ……いや、今のが嘆きのエヌなのかね?」
「ノーコメントだ」
 守秘義務に抵触するから言えないのなら、正解だと言っているようなもの。
 ミッチェルもそれ以上、言及する気にはならなかった。
 かわりに気づいたことを指摘する。
「さっきの武器はどうしたのかね? 見あたらないようだが……」
 彼女はさらりと答える。
「奪い返されたようだ。まあ、オレが呼んだようなものだがな。最低限のデータは取れたから、良しとしよう」
「まさか、自分より優れた敵のデータを採取するために、事件の鍵を囮に使ったのかね?」
「ノーコメント……いや、その通りだな。敵の手先を引きずり出せただけでも、大きな収穫だ」
「だが、しかしあれは……あの姿はまるで……」
 ミッチェルは見ている。
 "それ"は、白い全身服に白いノートパソコンを持った、堀越レイアそっくりの人物であった。
 黒い全身服姿のレイアが、小さな声で言う。
「敵の攻撃手法が、オレのやり方と良く似ているんだ。しかも、オレより洗練された手法でな。だから、敵がオレと無関係とは最初から考えていなかった。まさか、あんな姿だとは思わなかったがな……」
 そこにすかさず、ハンスが割り込む。
『守秘義務違反ですよ、レイア。一応、誤魔化しておきますのでご心配なく。本件は、オフレコでお願いしますよ、ミッチ』
 ミッチェルは疲労を自覚しつつも言う。
「わかったよ……色々とね。白と黒の太陰対極図が何を示すのかも、レイア……君がなぜ、嘆きのエヌにこだわるのかも……それに、僕がどうこうできる相手じゃないことも、ね。もちろんこの事は、他言しないと約束する」
 レイアは、ミッチェルの言葉に頷いてから言う。
「正直、あいつが何者かは知らんし、興味もない。だが、クイックハルトなぞにかまけている場合ではなくなったということだ」
 ──だから、クイックハルト〈平成日本〉代表を良一君に譲るというわけか。今回の事件の鍵となった、もう一つの存在を監視する意味も含めて──
「勝算はあるのかね?」
「今は自分の身を守るので精一杯だ。できれば十年……いや、二十年以内に決着をつけたい所だな」
「それまでに相手の技術を学び、さらには凌駕してみせる、ということかね?」
「可能ならな。何とか敵の手段を限定し、こちらに有利な場所に引きずり出す。それで奴に追いつけなければ、オレにはお手上げだな」
「その時、管理体自身にこの世界を守るだけの力がなければ、この世界が滅んでも仕方ない、というわけか」
「最悪でも、管理体自身が力をつけるのまでの、時間稼ぎができれば良いと思っている」
「さっきから聞いていると、君にしては随分と悲観的だね」
「明らかに自分より優れた敵だからな。確率的に勝算が低い以上、悲観的にもなるさ」
「……」
「他にも、言いたいことでもありそうだな」
「ああ……その通りだ。僕は……僕には、君が悲観論を口にしながら、無力な自分に怒りを覚えながら、それでいて実に生き生きとしているように見える。ひょっとして君は、世界の……いや自分の存在意義を揺るがす危機的状況を楽しんでいないかね?」
 驚くレイア。
「そう見えるのか?……そうかもな。いや、そうだな。確かにオレは、自分を超えた存在に挑戦する行為を、楽しんでいるな」
 嘆息するミッチェル。
「気づいていなかったのかね……まったく、実に君らしいよ」
 レイアが去った部屋の中で一人、ミッチェルはうなだれてベッドに腰掛けていた。
 結局自分は、彼女にとって何だったのだろうか?
 上着のポケットから小箱を取り出し、振り上げた手で床に叩きつけようとして、止める。
 ──あんな敵さえ出現しなければ、僕は彼女に……──
 その時、部屋の内線電話が電子音を発する。
 ミッチェルは、小箱を持ったまま空いた手で受話器を取った。
「もしもし……」
 電話口から、明るい男の声が流れる。
『ハンスです、ミッチ。よろしいですか?』
「……なんだ、君か。まだ用があるのかね」
『ええ。失礼ながらお尋ねしますが……ひょっとして、あなたはレイアにプロポーズするつもりだったのではありませんか?』
 ミッチェルはため息混じりに苦笑する。
「すべてお見通しというわけか……彼女にも」
『いえいえいえ、私はそんな野暮じゃありませんよ。レイアには知らせていません。こうしてお電話させていただいているのも、彼女に知られないためです』
「もう終わったことだよ。わざわざ連絡してもらって悪いがね……」
『せっかくエンゲージリングまで用意されたのでしょう。言うだけ言ってみれば良いじゃないですか? 案外レイアも、"それも面白いな"とでも言って、受けてくれるかもしれませんよ。……無論、私の個人的な見解ですので、保証はいたしかねますが』
 ミッチェルは鈍った思考を総動員して、ハンスの提案を検討してみた。
 たしかにその可能性は、ある。
 彼に愛想をつかせたわけではないとも言っていた。
 彼女が変化を求めるならば、別離のかわりに結婚もありだと考えるかもしれない……が。
「……いや、駄目だな」
『そうですか。よろしければ、根拠をお聞かせ下さい』
「ハンス……君は、人間の感情の機微というものが理解しきれていないようだな。いいかね。仮に、レイアが僕のプロポーズを受けてくれたとしよう」
『ええ』
「それは、彼女にとってどの程度、意味のあることだと思うかね?」
『?……新たな状況の変化が発生するという意味があるかと』
「そう……だがそれは、僕と別離するのと同程度の変化でしかないのだよ」
『どちらにせよ、レイアにとってさほど重要な変化ではないし、自分にその程度の価値しか無いと思われることに耐えられない、と。なるほど、理解できました』
 ミッチェルは、君に理解されても嬉しくないのだがね……と言いたかったが、その言葉をぐっと飲み込み、かわりにこう言った。
「ハンス、レイアのこと、よろしく頼む」
『微力を尽くしますよ、ミッチ』
「随分とご大層な"微力"だな。たしかに、君という存在がレイアにとってプラスの変化をもたらすであろうことは、認めざるを得ないよ」
『"恐縮です"と、申し上げておきましょう』
 ミッチェルとハンスは同時に笑う。
 彼は、最後にハンスと話が出来て良かったと、心から思った。
 電話を切り、彼は再び一人になる。
 枕元の電気時計で時刻を確かめようとして、止めた。
 見て何になる?
 彼の時間は止まってしまったのだ。
 無造作に、エンゲージリングの入った小箱を放り上げる。
 再び、アヴァロンの杖を抜き放つ。
 今回は細長い"細剣[レイピア]"の姿をした輝きが、宙を舞う小箱を貫く。
 小箱が光に還元され、次いで細剣に貫かれたエンゲージリングも光の粉となって散った。
 ミッチェルは思う。
 堀越レイアは、無用な複雑さを避けているに過ぎない。
 彼女はその心を、ふたつの剃刀で削り落としている。
 第一の剃刀で、三十年来のパートナーを削り落とし、第二の剃刀で神々の戦いに臨む大義を削り落とした。
 個人の情愛もなく、救世主の気概もなく、ただ自尊心を満たすためだけに、嘆きのエヌをも凌駕する、新たな自己を再構築しようというのだ。
 神にも等しい存在に迫り、超越しようとする純粋な意思。
 それが何者であれ、全力で敵対者を排除する。
 本気になった彼女のそばに、自分の居場所などありはしなかった。
 今のレイアにとって、自分と結婚することは、別離と大差がない。
 それでは駄目だ。
 ――もし僕に、今の彼女と正面から向き合う方法があるとすれば――
 それがミッチェルの心に、[くら]い決意の宿るきっかけとなった。



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