★Astronaut 小説★
〈クイックハルト〉外伝
〈 #_quickhalt_external:オッカムの剃刀ふたつ 〉

###シンプルテキスト版###

indexに戻る >>

■オッカムの剃刀[かみそり]ふたつ 1/4■

ストレイジーク
 
 有神論者は言った。
 神なる存在を定義すれば、すべてをシンプルに説明できると。
 無神論者は言った。
 神なる存在を排除すれば、すべてをシンプルに説明できると。
 有神論者と無神論者、双方に愛された剃刀。
 彼女はその心を、ふたつの剃刀で削り落としている。
 
 ようやく見つけたホテルの公衆電話器に百円硬貨を投入した。
 彼は暗記している携帯電話の番号を順に押す。
 交換手を介することなく繋がった電話口から、ぶっきらぼうな女性の声。
『オレだ』
 不機嫌そうに聞こえるが、これがいつもの彼女。
「僕はミッチェルだが、レイア」
 気安くそう応えると、レイアと呼ばれた電話口の相手はいくぶん語調を緩める。
『なんだ、ミッチか。今どこにいる?』
「君がいるホテルのロビーだ。少々時間を取れないないかね?」
『そうか、近いな。わかった、今行く』
「ああ、談話室で待ってるよ」
 そう結んで、ミッチと呼ばれた男性は受話器を置く。
 見かけは四十代なかば、長身の白人男性。
 蜂蜜色の髪と口髭、手には独特な柄頭のステッキを持ち、仕立ての良いスーツを着込んでいる。
 本名はマーリン・ミッチェルと言ったが、一般的には別の名前で広く知られている。国家の命運を賭けて闘う不老不死不滅の戦士たる、クイックハルトプレイヤー。彼は、二十世紀前半の旧世界を再現したドライブスペース領域、宇内領域[ガイアドライブ]内の〈GDイギリス〉こと、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の国選クイックハルトプレイヤー、〈スピットワンダー〉と呼ばれている。
 ミッチェルは、平然と談話室を目指していたが、昨日の事件のせいで、いまだにマスコミ関係者らしい人々がホテル内を行き交っているのには、内心冷や汗をかいていた。
 時代設定の異なる未来の領域とはいえ、彼を知るものがいないとは限らない。
 カード式のルームキーを提示して、ホテルの客とその関係者のみ立ち入りが許された区域へと入る。
 人はまばらで、ここなら他人の目を気にする必要はなさそうだ。
 ミッチェルがゆったりとした足取りで談話室へ到着するのと、エレベーターホールから背の高い女性が早足でやってくるのが、ほぼ同時だった。
 長身に長い黒髪。体の線がはっきり見える、黒い全身服の上から白衣を着て、両手を白衣のポケットに突っ込むという、いつもの格好で、彼女、堀越レイアはやってくる。
 二十一世紀前半をモデルとしたドライブスペース領域火星領域[マーズドライブ]内の〈平成日本〉という、彼女の主たる活動領域内でありながら、いわゆる“外人”であるミッチェルよりも、目立つ格好をしている。
 彼女もつい数時間前まで、〈平成日本〉代表の有選クイックハルトプレイヤーだったが、昨日の平成日本航空機消滅事件の混乱の折、〈MDスウェーデン〉とのクイックハルトを放棄した責任を取って――ということにして――、その職を辞している。
 ミッチェルが個人的に得た情報はいささか異なっていたが、彼女が国家を代表する武力代理人ではなくなったという事実に変わりはない。
 彼としては、少なからず喜ばしいことだった。
「久しいな、ミッチ」
 彼女は挨拶のキスをするでもなく、握手をするでもなく簡潔に言う。
 ミッチェルも慣れたもので、気にせず応える。
「三ヶ月ぶりかな。急に呼び出して悪かった。……ところで、そちらの用事は良いのかね?」
 どちらともなく、談話室のソファーに腰をおろす。
 詳しい事情は知らないが、彼女が東京駅の近くにある有史世界領域連合の分室で、職員一名――かの有名な中島近恵女史らしい――を拾い、平成日本航空機消滅事件の保証交渉が行われる、このホテルに向かったと聞いて来たのだ。現在は、保証交渉の真っ最中のはずである。
 しかし、彼女は気にするふうもない。
「構わんさ。本題に入るにはしばらくかかりそうだったからな。奴に任せておけば問題あるまい」
 “奴”という人称代名詞が何者を指すのか、ミッチェルには思い浮かぶ相手がいなかった。
 そういえば、彼女が常に所持しているはずの黒いノートパソコンが見あたらなかったが、まさか物言わぬ機械を“奴”などと呼ぶとは思えない。
 少なくとも、三十年来の付き合いである彼女が持つ黒いノートパソコンが──彼女の言葉に反応することはあっても──自らの言葉で何かを主張する姿を見たことがなかった。
 ミッチェルが“奴”の考察によりわずかに会話を途切れさせたため、レイアが続ける。
「ミッチこそ、こちらに来ているとは聞いていなかったが」
「ん?……ああ、最近、妻の墓が月面領域[ルナドライブ]から火星領域[マーズドライブ]に移設されて来てね。墓参りに来たついで、というわけさ」
「それにしても、いつもは事前に一報があったと思うが」
「そうだね、悪かった。火星領域[マーズドライブ]の滞在は一週間の予定で、後半にこちらに来ようと思っていたのだがね……」
「事件を聞いて、予定を前倒ししたのか」
「そういうことだ。九時間の時差がある領域を一気に移動するのは、なかなかに堪えるよ。かくいう君も、随分と厄介な事件に巻き込まれているのではないかね?」
 彼女は自嘲的な笑みを浮かべながら応える。
「まったく腹立たしい限りだ」
 冗談めかしてはいるが、ミッチェルが知る限りレイアがこれほど露骨に怒りの感情をあらわにするのは、初めてのことだった。
 それほど、今回の“敵”は厄介な相手ということか。
「そのあたりの話を聞きたいな。君の用事がすんだら、食事でもどうかね?」
「ふむ、良かろう。終わったら連絡する」
「待ってるよ」
 ミッチェルが自分の部屋の番号を伝えると、彼女は足早に戻って行った。
 ふぅ、と溜息をつく。
 いつも通り、そっけなく約束を取りつけたが、肝心なのはこれからだ。
 彼は上着のポケットに入った小箱のふくらみを再度確認すると、杖に手をかけてゆっくりとソファーから立ち上がった。
 
 マーリン・ミッチェルは外見年齢四五歳、生存年齢は一〇四歳。宇西暦一九〇〇年初頭、〈GDイギリス〉のグラスゴーで、とある工場主の長男として生まれる。裕福な家庭で何不自由なく育ったが、やがて自身の生活が、多くの労働者の貧困によって支えられていることを知る。彼は家業を継ぐことを拒否し、勘当同然で家を出た。家業は、弟が継いでいる。その後、徴兵も良心的に拒否し、様々な職を転々としながら二八歳で結婚し、一児の男子を授かる。四〇歳の時に妻が病死し、以後は男手ひとつで息子を育てた。
 不老不死不滅のプレイヤ属性保持者となった四五歳の時、彼はエディンバラの活版印刷所で経理の仕事をしていた。アイルランドでは独立運動が盛んになり、ヨーロッパ全体が不穏な空気に染まりつつある世界。政治も景気も先行きが不透明だった。一人息子は数年後には家を出る予定であり、そろそろ宇内領域[ガイアドライブ]から月面領域[ルナドライブ]への移住を考え始めた矢先のことだった。
 ある日、職場の事務所に英国国防委員会を名乗る男が現れ、ミッチェルがプレイヤ属性保持者となったことを告げられる。クイックハルトという代理戦争の仕組みは知っていたが、まさか自分がその適合者になるとは思ってもみなかった。有形無形の紛争が多発する昨今、彼は欠員の出ていた英国の国選クイックハルトプレイヤーとして、なかば強制的に徴用されようとしていた。
 ミッチェルは生来の反骨精神でこれを拒絶し、息子を連れてGDアメリカに移住する。その亡命に近い逃避行の過程で、彼は自分が本当に不滅の存在となってしまったことを実体験する。彼は祖国の強引な徴用に対し、有連裁判所に提訴し、数年ののちに彼と彼の親族の自由と身の安全を保証する判決を取りつけてから帰国。その頃には、史実と似た形で第一次世界大戦が終結し、アイルランドも南部が独立している。
 息子がミッチェルの弟の養子となり、彼が捨てたはずの家業を継いだのは予想外だったが、ともかく親として最低限の責務は果たした。その後、ミッチェルは十数年をかけて宇内領域[ガイアドライブ]の各地を放浪している。彼はプレイヤ属性保持者となる前から、さまざまな言語を習得することを趣味としていた。学生時代にスコットランド・ゲール語を学んだのをきっかけに、米語を含む各地域の英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、ラテン語など、主要なヨーロッパの言語は、属性を発現する前から習得しており、プレイヤ属性発現後はさらに世界各地の数十ヶ国語をマスターしている。世界を放浪していた当時は、趣味で覚えた言語学を活かして、通訳や翻訳の仕事で路銀を稼いでいた。その頃から、アジア地域の言語の一つとして、日本語も日常生活に支障がないレベルで習熟はしていたが、現在の水準に達するのはクイックハルトプレイヤーとなり、堀越レイアと知り合った後のことである。

■オッカムの剃刀ふたつ 2/4■

indexに戻る >>


■本編〈クイックハルト〉の紹介ページ(PC用サイト)■


★クイックハルトをAmazonで購入する:携帯版

★クイックハルトをAmazonで購入する:PC、PDA、PHS版

Copyright(c) 2000 - 2007 Astronaut by Ikuo/Yoshitake

http://www.astronaut.jp