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[ぜろ]

 虫の音が聞こえる。
 微風にざわめく、木々。
 月の美しい夜だった。
 赤い着物の少女は、剣をわずかに構えなおす。
 月光に、濡れた刃が鈍く輝く。
 馬尾結[ポニーテール]に束ねられた紫銀[しぎん]の髪が、ふさりと揺れた。
 着流しの男もまた、わずかに揺れはじめた大剣の切っ先を、止める。
 ふと、少女は敵の背後に輝く月の脇に、小さな輝きがあるのを目にとめた。
 剣士としての鋭敏な知覚はそのままに、彼女は残ったわずかな意識で、思う。
 それは「端月[ハヅキ]」と、呼ばれている。
 月に従う、伴星。
 端月のことが史書に登場するのは、今からおよそ六百年前。
 当時は凶兆を示す星として、王朝を滅ぼすほどの混乱をもたらしたそうだが、今では当然のように天球の一部となっている。
 そんな話を思い出した。

 青い着物の少女は木によりかかり、腕を組みながら、じっと二人の対決を見守っている。
 ちらりと隣に目をやると、出来の悪い三人組は、二人の対決に固唾を飲んでいた。
 当分、こちらに危害を加えることはないだろう。
 少なくとも、この戦いに決着がつくまでは。
 視線を前に戻す。
 月光を背に、赤い着物の少女と、着流しの男の対決は続いている。
 まるで端月ね。
 少女は思う。
 赤い衣の少女がしようとしていることは、まさに端月の出現と同じだ。
 端月が出現したのは、今から六四〇年前。
 通砂[つうさ]九三六年、敏弧[としこ]三五三年のこと。
 三百五十年以上続いた伝紗朱樹[ディンシャアカギ]朝が滅亡するきっかけとなったのは、この星の出現といわれる。
 この星の出現が、王朝の滅亡を予言していたのか、それとも、この星が出現したことがきっかけで、王朝が滅亡したのか、長く議論の的となっていた。
 現在、端月の出現は単なる自然現象の一つとされている。
 当時の人々は無知なるがゆえに、その自然現象を凶兆ととらえ、現実に凶事としてしまったのだという。
 新たな存在が、世間に認知されるのは並大抵のことではない。
 その過程において、命が失われることすらある。
 赤い着物の少女にとって、これが最初の試練。
 端月が天球に在ることが、認められるか否か?
 そして、赤い着物の少女に賭けた自分が、認められるか否か?
 いずれにせよ、結果はまもなく出る。

 赤い着物の少女と、着流しの男が、同時に叫ぶ。
「でぇいやぁぁぁぁぁっ!!」
「セイ、ハァァァァァッ!!」
 夜の空気を切り裂くように、二つの影が動く。
 二つの月に照らされて、二つの決意ある刃が、激しく打ち合わされた。


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