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S.S.Princess
── その四、鯖斗の夜、樺良が微笑[わら]う ──
★ Illustration Top:04 ★


 
 そして千春御[ちはるお]ミキは、大きくのけぞった。
 中学生のわりに豊かな胸元から、巨大な剣が生えている。
 []を幻我、呼んで超級幻我[ちょうきゅうげんが]
 剣を振るうは王鳥すわん。
 少し前を歩いていたミキを、すわんはおもむろに剣で貫いた。
「かァ、はッ……」
 ミキは紅い蒸気の塊をひとつ、吐き出す。
 それが合図であるかのように、剣から真紅の蒸気が吹きあがる。
 やがて蒸気の噴流がおさまり、周囲の景色が明確になるころ、すわんは剣をぬき、膝をついて崩れ落ちそうになるミキを抱きかかえ、ほっと息をついた。
 

 
「この島を西洋人が発見したとき……チキューケナシザルの言葉とはいえ、視野の狭い表現だな……島の大半は荒れ地となっており、島民はごくわずかだった。そして、もっとも特徴的だったのが、巨大な石像が無数に存在していたことだ。誰が、一体なんのために?これは長い間のミステリーであり、なんでも超古代文明や宇宙人の仕業にしたがる連中に、格好の素材を提供していたのさ」
 谷々樺良[かばら]は、ひさびさに訪れたペットクラブの部室で、三ヶ月ぶりに部長として講義をしていた。
 樺良の前では、王鳥まひるや時央紀之[ときおのりゆき]といった現在の《猫と狩人》の中核をになう面々が、じっと彼のはなしに耳を傾けている。
「だが実際はどうだ?最新の研究によれば、これらの巨像は当時の技術力でも製作可能だったのだ。ただ、巨像を建立することに腐心するあまり島中の木材資源を食い潰した結果、政治機構は瓦解し、過去の栄華を忘却したわずかな人々だけが残る、不毛の大地になりさがってしまった、というだけのことだ。いわゆる、ありえない遺物[オーパーツ]というやつの大半は、非常識な手間と時間をかけさえすれば実現可能であるということが多い。つくづく、チキューケナシザルって奴らは自分たちが生きてる時代や場所の常識でしか、物事を判断できない連中ばかりだな……話をもどすが、いま話した例と同様に、人間が繁栄の代償として生み出した不毛の大地というのは、規模こそちがえ人類開闢[かいびゃく]以来、四大文明を経て近現代いたるまで、世界中に普遍的に見られるものだ。かつては豊かな森だった場所が、あるときは建材として、あるときは燃料として、紙の原料として、さまざまな理由で不毛の大地に変えられている。もちろん、そこに生息している愛らし〜い動物たちも犠牲にしてな!!」
 例によって、樺良は愛らし〜いというフレーズに特別の感情を込めていった。
「今日はこれまで……なにか質問は?」
「はいっ!」
 そういって手を挙げたのは、都院B[トインビー]こと時央紀之。
「なんだね?いってみたまえ」
 若干、不機嫌そうに応える樺良。
「はい、地球の環境が悪化したのは、人間が文明活動をおこなうせいだと言われましたが……」
「だからなんだ?」
「そもそも、現在の地球は砂漠化が進んでいて……」
「この惑星が砂漠化しているのは、なにも人間だけのせいではなく、太陽活動や地軸の傾斜、磁極の変化といった、地球規模、宇宙規模の流れではないかといいたいのだろう!」
「いや……その……そうです、と思います」
 時央は自分がいわんとすることを、十倍ぐらいの密度で言い返されて、すっかり萎縮してしまう。
 樺良は貴様ごとき小物の相手などしていられるか、という態度のまま自分が提起した問題に答える。
「確かにそれはある。かつて文明が栄えた地域が、今は砂混じりのやせた土地になっていても、当時はもっと豊かな自然環境だったということが、記録やさまざまな調査によって明らかになっている。これらを総合すると、人間が自然を破壊している以上に、地球という惑星自身の環境変化によって、砂漠化が進んでいるのは事実だ……だから、どうだっていうんだ?」
「……ですから、そのなんで……」
「なんだ、はっきり主張することもできないのか!!」
 だまりこんでしまった時央のかわりに、まひるが言葉を続ける。
「時央君は、なんで樺良部長は、人間だけとくべつに嫌うのか聞きたいんだと思いまーす」
 
 人間の経済活動によって、地球が傷ついているのは事実だ。だがその一方で、地球環境自体も砂漠化する方向にある。なぜ、そこで人間だけを特別に憎む必要があるのか?
 《猫と狩人》として樺良の理想を──樺良が望まない形で──実現しようとするまひるたちは、それを精神作用力[ミュールフォース]による調節の結果、使命としては受け入れざるをえないのではあるが、実感としてはどうしてそこまで人間だけを排除したいのか、納得できない部分が残る。
 そりゃ人間はロクなことしないかもしれないけど、なにも人間の存在自体を否定することもないじゃん。現代社会を平穏に生きようとする人間ならば、そのくらいで精神的なバランスが取れるのではないか?改善の余地は多分にあるが、無理に破滅的な考えに傾倒するほど、今の時代は腐ってはいない。まひる自身はそう考えていた。
 
「けっ、ド素人[シロート]が!」
 樺良は、まひるの質問を言下[げんか]に吐きすてる。
「実際に、目の前で動物たちがチキューケナシザルどもに殺戮されてるのを、地球規模の流だなんだ、大局的な視野で判断できると思うのか!目の前で猫を轢き殺して平気な顔して走りさるような奴らを、貴様は生かしておいて平気なのか!!」
「そりゃ、イヤだけど……でも、それって人間ぜんぶじゃないと思う。それに、そーゆー風潮[ふーちょー]を直そうって人もいると思うんです。そんな人たちもふくめて、人間ぜんぶを排除するのは、なんかやりすぎってゆーか……」
 なにやら、正義の味方が悪の帝王に言うような台詞。一応、彼女が最後の的[ラスボス]なのだが。
 樺良はここに、《猫と狩人》以外の人間もいることなど気にしてはいない。それで問題があるのなら、まひるが精神を調節するだけのことだからだ。
「それで僕が、貴様のその邪悪な思想に感化されたとして、貴様自身は僕の計画を実行するのをやめるのかね?」
「それは、ないけど……」
 もしそうなら、まひるが四つ耳になった時点で、とっくにこの計画は白紙にもどっている。
「いいかね、王鳥君……」
 樺良は急に、普段のインテリげな声音[こわね]にもどり、こう続けた。
「……僕はなにも、地球や宇宙のすべてを否定しているわけじゃない。この世界には、美しいもの、尊重すべきものはたくさんあると思うよ。ただ、そこにチキューケナシザルはふくまれていない、というだけのことだ。ま、せいぜい、黒焼きがハゲの特効薬になるくらいかな……迷信だったか?」
 ハゲの特効薬うんぬんは意味不明だが、樺良はそれで正論のつもりのようだ。
「……知ってるかね?地球の歴史上、その時代の生物の大半が死滅するという現象は、めずらしいことではなんだよ。もっとも有名なのは、六千五百万年前の恐竜絶滅だが、それと同規模の天地崩壊[カタストロフ]は、この事件もふくめて数億年周期で発生しているんだ。
 僕のやりたいことってのはね、せいぜいチキューケナシザルただ一種族だけを絶滅させようっていう、地球の歴史から見れば、じつにささやかなものさ……君たちには大ごとらしいがね」 
「さっきは、人間が動物を殺すのは我慢[ガマン]ならないっていってたのに、こんどは地球[ちきゅー]規模でみればたいしたことないって、そーゆーのは都合のいい理屈だと思いますっ」
 必死で食い下がるまひる。でも樺良は動じない。
「主観の相違だな。僕にとっては人間以外の動物がなにより大事だが、君ら本来の精神は、人間が一番大切なんだと思い込んでるのだろう。そもそも、思考のベクトルが違うのだからしょうがないさ……どうしたね王鳥君?納得できないか?……そうだな……もし僕が、言葉で事実を歪めていると感じるならば、いくらでも君の正義を主張してくれたまえ。いくらでも相手になるよ。それを僕に、納得させる自信があるならば、だがね」
 ふっと息をつき、唇を横にゆがめる樺良。
「……王鳥君、君の姉が手駒として便利なのは、細かいことにこだわらないからだろう。君も、余計なことは考えずに、自分の計画に全力をつくしたらどうだね?より有効に君の姉を利用できたものが、勝利するのは間違いないのだから……あと、最後にこれだけは、ハッキリさせておく」
 威厳のある視線で一同を見まわしてから、言葉をつなぐ。
「僕は今後も全力をもって、四つ耳が跳梁[ちょうりょう]する、《猫と狩人》の策謀を打ち破るつもりだ。そして君たちの歪んだ理想を打破した後に……この僕が、改めて真の《猫と狩人》を創設するっ!最後に笑うのは僕だということを、覚えておいてくれたまえ!!」
 
 樺良は今日のクラブ活動が終了したことを宣言すると、さっさと部室を後にする。
都院B[ときおくん]、樺良部長の考え読めた?』
 まひるは声に出さずに聞いた。
『いや、まったくわからなかった。猫君主[おうとりさん]は、どうなんだい?』
猫君主[まひる]全然[ぜんっぜん]、読めなかったよ。あの感じって……』
 はじめから、議論に勝つつもりのなかったまひるはむしろ、そのことのほうが気になっていた。
 

 
 JR根岸線、柏葉[かしわば]駅の近く。高架軌道になっている線路の真下の舗装道路。
 はじめて間近でみる戦闘の迫力に、谷々鯖斗[たにやさばと]は圧倒された。
 ぶつかりあう[やいば]と爪。
 またたくまに瓦礫と化す周囲の風景。
 ときおり認識が焦点を失い、何事もない日常の街だけがしか見えなくなるが、鯖斗はもう、それに惑わされない。精神作用力[ミュールフォース]による調節から、完全には逃れられないだけのことである。
 
 黒塗りの爪が、ふいに鯖斗を狙う。
 狙い澄ましてというよりは、たまたま軌道上に鯖斗がいただけのようだ。
 あわてない。
 たとえここで両断されたとしても、すわんが勝利すれば元どおりになるから。
 だが寸前、その黒い爪の持ち主、狩人名[ハンターコール]K通[ケイツー]──雪男[イエティ]らしい。夏場にご苦労なことだ──と鯖斗の間に、今までの三倍ぐらいの速度ですわんが割り込む。
 すわんは超級幻我[ちょうきゅうげんが]で黒い爪の軌道を逸らす。
 これだけの重量級ともなると、さすがに受けとめるのは無理のようだ。
 だがその一方で、すわんは自分の速度をかなり殺しているようにも見える。
 その気になれば、スピードで敵を翻弄[ほんろう]することもできそうだ。
 どうも鯖斗に見せるため、わざと動きを抑えて闘っているようである。
「鯖斗君、怪我はありませんこと?」
 すわんは激闘をつづけながらも、どこか余裕のある表情で鯖斗に声をかける。
「俺にかまわず、全力で闘ってくれ!……すわん」
 橋脚[きょうきゃく]の一つが砕ける音が[とどろ]き、鯖斗が最後に呼んだすわんの名は届かない。
 なにやら最近、すわんは鯖斗のことを名前で呼ぶようになっていた。
 彼女に自覚はないのだが、それは正確に、千春御ミキが沈黙したあの日を境にしている。
 鯖斗もなるべく、すわん、と呼ぶようにしているのだが、まだまだ照れがあった。
 
 それにしても……と鯖斗はいまさらながら思う。雪男[イエティ]って、実在してたんだな、と。
 なにせ半憑依してくるぐらいだら、きっと本物もいるのだろう。
 あるいは、人間の神秘的な存在を求める心が、存在体[イグジスト]的に本来は架空の存在であるはずの雪男[イエティ]を、実在化させたのかもしれないが。
 登場したときは、体育教師の久我山[くがやま]先生(三十二歳、男)だったものが、眼前で化物じみた姿に変貌する過程を見せつけられるのは、ショッキングな出来事だった。
 だがそんなことも、いざ戦闘が開始されると、どうでもよくなってしまう。
 それほどまでにすさまじい、戦闘。
 
 十二戦九勝一敗二分け。これが、今日現在のすわんの戦績である。
 ちなみに一敗は、谷々邸で猫君主M[キティロードエム]とまみえたとき。二分けはいずれも敵が撤退した結果である。猫君主[キティロード]戦を別格とすれば、実質すわんは無敗であった。
 そして、今日が十三戦目。どうやら今日も、無事に勝てそうである。
 
[ジャク]!、[メエェツ]!!」
 
 磯子[いそご]行きの電車が通過中の高架軌道の底を蹴り、すわんは鯖斗が視認[しにん]できるぎりぎりの速度でK通[ケイツー]の脇をすりぬけ、地上に着地したときにはすでに、超級幻我がその首を飛ばしていた。
 浄気が周囲に満ちる。
 鯖斗には、その過程がよく認識できた。
 立ちあがったすわんが、わずかに微笑[ほほえ]みかける。
 鯖斗も軽く手を上げて、うなずき返す。
 
「…………?」
 そのとき鯖斗は、どこかから視線を感じた気がした。
 ごくかすかな、刺すような視線、それは次の瞬間には消滅している。
 だが、すわんはそれにに気づいたふうもなかったし、鯖斗もそれが本当のことだったか自信がなかったので、それ以上、気を配らなかった。
 

 
 一番の問題は、山際[やまぎわ]からすをどう、貫くかということである。
 この問題に限ると、王鳥すわんまるでダメ虫。
 どうにか、さりげないつもりのぎこちなさで、廊下の隅へさそうことに成功すると、からすにもなにか含むところがあるらしく、だまってついてきた。
 すわんはここしばらく、からすと話をしていない。
 《猫と狩人》との闘いが続いているというのが一番の理由だが、間接的にはおたがい関わりあおうとしなかったという面もある。
 からすの複製[コピー]ともいうべきゲンガとは、ひまさえあればあれこれ話をしていたが、いざオリジナルを目の前にすると、どうしても足もとが小きざみにふるえてしまう。
「あのよぅ……」
 沈黙をつづけるすわんに、からすは話しかける。
「な、なにかしら?」
「まひるのことなんだけどよ……最近、アイツに変わったこととかってねぇか?」
「!?……べ、べつにどうってこと、ありませんです、わ」
 平静をよそおう努力をしながら、ふるえる声ですわんは答えた。
「そっか……うーん」
「なにか、ありましたの?……ま、まひると」
「なんかさぁ、まひるのヤツ、妙にベタベタしてくんだよ」
「べべ、べたベタ?」
 すわんのイントネーションがヘン。
「おうよ、ちょろちょろオレのクラスにきちゃあ、ケシゴムかしてくれだの、一緒に帰ろうだの、休みに遊園地につれてけだの……なんかあったんじゃねぇか?」
「!……」
『それってよ、まひるがコイツに……モーション、かけてるだけじゃねえか?』
 からすと同じ声で、ゲンガがストレートな感想をもらす。
「それって……」
 おもわずゲンガとおなじことを言い出しそうになり、すわんは凝固した。
「それってなんだよ?……あと、すわん、オマエもオレに用があんだろ。オイ、すわん……オマエも最近、なんかヘンじゃないか?……きいてんのか?」






 沈黙
 
 つぎの瞬間、爆音とともに天井に大穴を開けて、超級幻我がすわんの手に握られた。
 そして、なにが起こったか理解できないからすの胸に、おもむろに剣をつきたてる。
 [あか]い蒸気が周囲に満ちて、すわんは目的を達した。
 うずくまるからすの前をあとにするすわんに、ぼそりとゲンガがつぶやきかける。
 
『そーゆーゴマかしかた、やめてくんねーかなぁ』
 

 
 名を紅浄気[くれないじょうき]という。
 予防注射のようなのものだ、と鯖斗は平易[へいい]な語句に換言[かんげん]……もとい、わかりやすい表現で言いかえた。つまり、《猫と狩人》にされたらマズそうな人間の精神に、あらかじめプロテクトをかけておこう、ということである。方法は単純に、超級幻我で相手を刺しつらぬき、体内に超級幻我の浄気の一部を循環させる。
 この紅浄気は個々に効果が設定することができる。たとえば谷々兄弟の二人に流しこまれた紅浄気には、最高の威力が設定されており、精神作用力[ミュールフォース]による干渉を受けず、《猫と狩人》の構成員にされることもない。
 一見便利なようだが、精神作用力[ミュールフォース]によって調節されていれば、見なくてすむもの──《猫と狩人》とすわんの闘い──まで見えてしまうとあっては、だれにでも使用できるものではない。
 それを考慮して、敵対者として調節されては困るが、事情は知られたくない人間、たとえば千春御ミキや山際からすなどには、目くらまし程度の精神作用力[ミュールフォース]による調節は無抵抗で、半憑依とそれにともなう精神の改変には頑強に抵抗するという設定の紅浄気を流しこんだ。
 
 以前なら、すわんはこの説明だけ認識していればよかったのだが、紅浄気は超級幻我が成立した後に追加された設定である。あとづけ設定を剣の能力として使用するためには、すわん自身がそのシステムを理解し、イメージする必要があった。
 そこで鯖斗は、樺良との協議によって採用が決定したこの紅浄気の仕組みについて、すわんにじっくりと説明した。以前に比べると、すわんはこういった理屈を理解する力が向上していたので──それが進歩なのかは別問題だが──脳みそウニらせながらも、以下のように理解することができた。
 
 谷々樺良の定義によれば、一人の肉体には、本人の存在体[イグジスト](魂)は一つだけ存在するのが自然な状態である。半憑依とは、一人の肉体に本人の存在体[イグジスト]一.〇プラス、別の存在体[イグジスト]〇.五を内包する状態のことをさす。
 
 存在体[イグジスト]とは、生命活動の副産物、もしくは外部からやってきた寄生生物のようなものであり、生物の思考活動をエネルギーとして活動する、四次元以上の領域に存在する超物質的構造である。
 存在体[イグジスト]の役割は、獲得形質の予備保存[バックアップ]、つまり生まれてからの経験で覚えたことを、脳の精神活動情報とは別に保存することである。この情報は、常に最新のものに書き換えられているが、その流れは一方向であり、肉体が予備保存[バックアップ]情報の参照を要求することはない。個体の生命活動が停止、つまり死亡すると、存在体[イグジスト]は精神活動情報の予備保存[バックアップ]作業を中止して、情報を初期化[リセット]したのち新たな生命に宿る。
 
 このプロセスは、いわゆる魂の概念に近いものであるが、樺良の発想の独自な点は、存在体[イグジスト]を精神寄生[きせい]体ととらえ、生命活動に不可欠なものとは考えていないことである。生命体は、遺伝情報にもとずく有機的なメカニズムであるDNA、ディオキシリボ核酸の二重螺旋構造に記述されたプログラムによって形成され、思考活動はこのプログラムによって形成された、脳という生体演算機[バイオコンピューター]によって行われる。また、遺伝情報だけでは伝達できない種族や個体の固有情報は、経験と教育によって継承、発展される。このシステムだけでも、生物は環境に応じての成長、適応、繁殖、進化が可能であるが、その一方で樺良は、生命活動の歴史に存在体[イグジスト]が少なからず影響をあたえているとしている。
 存在体[イグジスト]予備保存[バックアップ]された情報が、ごくまれに生命体へ反射供給[フィードバック]される場合があり、個体の知識や経験が物理を超越して伝達されることで、突然変異以上に効率のよい、進歩や進化の可能性をあたえているというのだ。
 
 たとえば幽姿出現、いわゆる幽霊とは、肉体が失われたことを認識できなくなった存在体[イグジスト]が、消滅した肉体を再生しようとする現象であるし、前世の記憶とは、消去しきれなかった精神情報が次に宿った個体の精神に書き込まれる現象である。これ以外にも、予知夢、透視、死者との交信などといった、本来えられるはずのない情報が認識できるとする事例の一部は本来、生命体には不干渉であるはずの存在体[イグジスト]が、物質界に影響をあたえた結果であるとしている。
 つまり存在体[イグジスト]の持つ情報が、生命活動に不可欠なものではなく、まれに反射供給[フィードバック]された情報が実際に有効活用されることがほとんどないとしても、存在体[イグジスト]の干渉が生命体に無関係ではありえないということである。そして、半憑依による動物への変身や、精神作用力[ミュールフォース]による洗脳の原理とは、存在体[イグジスト]の情報を術者の任意で加工し、強制的に肉体へ反射供給[フィードバック]させることで、肉体と精神を生命工学[バイオテクノロジー]では実現不可能なレベルで変容させる技術なのである。
 
 半憑依とそれにともなう精神操作は、存在体[イグジスト]予備保存[バックアップ]した精神情報そのものを追加、改変して反射供給[フィードバック]させるため、恒久的かつ強力に作用し、獣の能力を発現させるといった超常的な変容が可能であるが、手順が複雑で多数を同時に調節することは困難である。対して精神作用力[ミュールフォース]のみによる精神操作は、半憑依を介さずに直接、不正情報を反射供給[フィードバック]させるため、一時的かつ広範囲に作用することができる。
 
 超級幻我の発生させる浄気の作用は、この不正状態の存在体[イグジスト]を正常な状態にもどし、外部からの不正な存在体[イグジスト]
  改変と、反射供給[フィードバック]を完璧に防止するのである。つまり《猫と狩人》の社員が、その存在を維持する力を完璧に奪ってしまうわけで、このため一度、超級幻我に貫かれた社員は《猫と狩人》であった記憶を失い、二度と社員になることはないのである。
 
 紅浄気[くれないじょうき]とは、事前にこの効果を《猫と狩人》ではない人間にあたえ、肉体と存在体[イグジスト]の接続を監視して、半憑依や精神作用力[ミュールフォース]のプロセスを阻害[そがい]するためのモノである。存在体[イグジスト]の追加、改変を監視すれば半憑依を防止できるし、不正情報の反射供給[フィードバック]を阻害すれば、半憑依を介さない精神作用力[ミュールフォース]に対抗できる。そして、これらの監視項目と対処法を設定することで、任意の効果を得られるというわけである。
 
 すわんはこのシステムを理解したのち、鯖斗と打合せをして、対象者と各人に必要な紅浄気の設定を決定し、実行した。彼女のこの行動は、すぐさま猫君主M[キティロードエム]こと王鳥まひるに報告され、《猫と狩人》側でも対応が協議される。
 
『超級剣姫が施術した人物は、報告されているだけで五名、いずれも彼女と親しい人間です』
 N篠遊園[エヌシノユウエン]こと根深戸[ねぶかど][まさる]は、すわんに発見されるのを避けるため、暗号秘匿[スクランブル]された意志を存在体[イグジスト]的接続、存在体[イグジスト]予備保存[バックアップ]された思考情報を暗号化して無限距離で移行させ、特殊な反射供給[フィードバック]によって意味を再生するという情報伝達手段により、まひると会話している。 
『もちろんパパとママは、そんなかに入ってないよね?』
『ええ、御存知とは思いますが、その点に関しては、超級剣姫は忠実に猫君主[キティロード]との不可侵条約を履行しています』
『……うん。そんで、計画にはどのくらい影響があるの?』
『大筋では問題ありません。むこうも、こちらの計画の大枠を破壊するつもりはないようです。対象者についても、[エル]SSS[エススリー]には、はじめから対策が講じられておりますし、それ以外は対象外ですので』
『だよね』
『ただ……』
『……ん?』
『……ただ、今回の超級剣姫側の行動を軽視すべきではないと考えます』
『なんで?』
『これまでは、すべてが我々の思惑で動いていました。超級剣姫が自らの意志で剣をとることさえ、我々が計画した行動です。ですが今回の行動は、明らかに我々の意図とは無関係です。事実上、はじめて超級剣姫側の意志で、積極的に我々の行動を阻害することを目的とした行動がなされたといえます』
『今回はたいしたことなかったけど、こーゆーことが続くと、そのうちマズいことになるかもしれない、ってこと?』
『ええ、その通りです。我々が根本的な戦略を見直さない限り、この危険は日増しに増大します。今後、超級剣姫側の動向によっては、[アール]の投入もありうることを覚悟しておいてください』
『そーならないと、いいんだけどね……』
 まひるはため息まじりにそう、答えた。
 
『……少し、いい?』
 二人の会話が途切れたのをみはからったかのように、かぼそい少女の声が割り込んだ。






『なーに?久理数P[チエリせんぱい]
 狩人名[ハンターコール]久理数P[クリスピー]こと須磨[すま]チエリ。烏鷺帆中学三年生で、《猫と狩人》としては非戦闘系、N篠遊園[エヌシノユウエン]とおなじく参謀タイプの調節を受けた少女である。
『……こないだの、K通[くがせんせい]超級剣姫[おうとりすわん]決闘記録器[デュエルレコーダー]の解析がおわったの……超級剣姫[おうとりすわん]との戦力比が五対四、自律戦闘で八十パーセントまで追いついたわ』
 おお、という歓声が二人から上がる。
 賞賛の声音にも、とくに調子をかえることなく報告はつづく。
『……前回が三対二、約六十六パーセントだから、十四ポイントアップね』
猫君主[キティロード]のサポートなしで、そこまでやれるのか!』
久理数P[チエリせんぱい]のパパのおかげだねっ』
『……父さんは、家庭用[コンシューマ]ゲームの能動周期[アルゴリズム]解析だと思ってるけど』
 
 久理数P[クリスピー]こと須磨チエリは数学部に在籍し、理系方面では大学生並みの知識をもっている。彼女の参加によって、半憑依のメカニズムが数学的に解析され、経験則だけにたよらず、あるていどは計算によって半憑依によって得られる能力をコントロールできるようになった。さらに、大手コンピュータメーカーのシステムエンジニアをしている父親の精神を調節し、開発させたプログラムにより、独自の強化半憑依法を確立した。
 内包する存在体[イグジスト]量の圧倒的な不利を、半憑依時におけるパワー配分の合理化と、独自の増幅理論で、戦闘能力のみを特化し、九月初旬現在、ついにまひるの力なしでもすわんとほぼ互角に闘えるようになったのである。
 
『しかし、精神作用力[ミュールフォース]も満足に行使できないようでは、手駒として問題はないのかね?』
『……戦闘領域の認識妨害に、問題はないのよ……超級剣姫[おうとりすわん]の思考が読めない以上、精神作用力[ミュールフォース]に力を配分するのは合理的じゃないわ』
『君の父親にしても、思考を調節して才能を絞り出すようなまねを続ければ、いずれ体を害するおそれがあるぞ』
『……平気……どこまでが安全で、どこまでが危険かは十分、把握してるわ』
『君が優秀なのは認めるが、くれぐれも節度を守ってくれたまえ。我々が、力をもった危険思想者であることを、常に心に留めておいてくれ。』
『……はい、心に留めておきます』
『じゃ、それでいーね……』
 
 《猫と狩人》としては、とくに問題のある会話ではない。N篠遊園[エヌシノユウエン]久理数P[クリスピー]の功績を認める一方で、彼女のやりすぎをいましめる。久理数P[クリスピー]も素直にそれを受け入れた。
 なにも問題はない、と理性的に判断できる一方で、何かがまひるの心の内側をチクチクつついてくるのを感じていた。
 その感覚にとまどいつつも、まひるは話題をかえる。
 
『それはそーと、アノ件はどーなってる?』
『《征服者[コンクエスタ]》の件ですね……あいかわらず、我々の動向を監視しているようです。どうやら、彼らも精神作用力[ミュールフォース]に対抗する手段があるようです』
 
 最近、《猫と狩人》とすわんの闘いを監視している組織があることが報告されている。調査の結果、欧州を活動拠点とする秘密結社、《征服者[コンクエスタ]》の人間であることが判明した。組織の理念は、世界の破滅であり、その手段として二十世紀最後の年の一年前に、世界が破滅するという、日本でやたらとメジャーな、例の予言を現実のものにするために、精力的な活動をしているらしい。
 まひるなどは、精神作用力[ミュールフォース]に強制されてもいないのに、世界の破滅をのぞむ人たちがいるなどとは信じられなかったのだが、N篠遊園[エヌシノユウエン]などからすれば、世紀末などの年代的な節目にそういう[やから]が横行するのはまあ、恒例行事[おやくそく]みたいなものである。
 
『……早急に、排除すべきよ』
 久理数P[クリスピー]の発言。彼女は別に、コミュニケーションが苦手ではない。
『目にあまるようならそーするけど、今てーどなら別にほっといてもいんじゃない?』
『それ以外にないでしょうな……にしても、彼らはどこから我々の知識を得ているのでしょうか?』
『……精神作用力[ミュールフォース]に、拘束されている以上、組織に内通者がいる確率は限りなくゼロ……超級剣姫[ちょうきゅうけんき]側が呼び寄せたのかしら?』
『それはないだろう』
『……なぜ?』
『我々の策に乗る以上に、最善の手段があるとは思えない。死者が出ないという、ただ一点をとってみても、第三者が介在しただけで、この状況を維持するのは不可能だからな』
『……その危険[リスク]を承知で、現状打破に出ているということは?……剣姫の力が最終段階まで高まれば、死者をよみがえらせるどころか……物質世界の構造を組みかえることすら可能よ』
 
 久理数P[クリスピー]による最新の観測結果では、猫君主[キティロード]超級幻我[ちょうきゅうげんが]、この二者に分割して多重憑依している存在体[イグジスト]の総数は約五万体。大半は、たんなる浮遊霊だが、うち百五十体前後が悪霊や物の怪[もののけ]といった力ある存在体[イグジスト]、さらに、そのうち数体は、世界さえ構築しうる力をもつ存在体[イグジスト]、人間が神や神悪魔とよぶ存在がふくまれているとしている。
 谷々樺良の予測では、猫君主[キティロード]多重半憑依した段階で、残りは四散するとされていたが、実際は超級剣姫という演劇の設定にもとづいて制作された、超級幻我という剣の設定を利用することで、存在意義の違いを超越し、協調して猫君主[キティロード]に支配された半身を取りもどそうとしているのだ。
 だからこそ《猫と狩人》は、樺良の初期プランである、鉄拳制裁により動物虐待を阻止し、マスコミに露出することで、善悪は別として社会的な権威を確立するという方針を放棄して、超級剣姫との対決のみに全勢力をかたむけ、剣に宿る残り半分の存在体[イグジスト]をも取りこもうとしているのだ。どちらか一方が、残った力を支配するか、一つに融合できれば、物理法則も因果律も無視して、自由に世界を変革できるのだから、至極当然の選択である。もっとも、樺良の初期プランのほうが感情的にすぎるともいえたが。
 
『……精神作用力[ミュールフォース]が絶対でなくなった以上、いずれ超級剣姫側もそれに気づく、もしくは気づいていると考えるべき……神の奇跡に相当する能力が得られるなら、多少の犠牲は覚悟のうえで、こちらが予想できない手段で勝ちにくるかもしれないわ……たとえ、今回の件が無関係でも』
 おもわず、思考をつきあわす、猫君主[キティロード]N篠遊園[エヌシノユウエン]
『その件については、私もさきほど猫君主[キティロード]上申[じょうしん]したが……で、君はどう対処すべきと考えるのかね?』
『……《征服者[コンクエスタ]》に接触し、むこうの真意を確かめるの』
 久理数P[クリスピー]の即答。
『それは一案だと思うが、猫君主[キティロード]のお考えでは今のところ静観ということに……』
『まって!』
 まひるはあえて、N篠遊園[エヌシノユウエン]の思考をさえぎった。
『そーゆーことなら……久理数P[チエリせんぱい]、先輩が直接、交渉してくれる?もちろん、護衛はつけるよ』
猫君主[キティロード]!?……それは!』
 抗議の声を上げるN篠遊園[エヌシノユウエン]を、まひるは無意識の圧力でしりぞけて、久理数P[クリスピー]の返答をまつ。
『……別に、かまわない』
 またしても、即答。まひるは、自分の直感が正しいことを感じはじめていた。
 
 《征服者[コンクエスタ]》との交渉についての詳細な打ち合せがなされた後、猫君主M[キティロードエム]N篠遊園[エヌシノユウエン]久理数P[クリスピー]の三人はそれぞれ、教室の窓際で黒板消しをはたきながら、社会科資料室で資料の整理をしながら、図書室へもち込んだ数学書の山から顔を上げる。
 まひるはひとり、教室で日直の仕事を再開しながら、ふぅと息をつく。
 これでよかったのだろうか?という迷いがないわけではない。技術官僚[テクノクラート]にすぎない久理数P[クリスピー]に交渉をまかせるなど、ナンセンスだとN篠遊園[エヌシノユウエン]がいいたいのもわかる。
 だが、まひるが久理数P[クリスピー]の行動に不穏なものを感じたのは事実なのだ。
 まひるは、自分で選んだはずの仲間を信用できない自分がイヤだったが、あえて久理数P[クリスピー]を交渉の表舞台に立たせることで、彼女を本当に信用していいかが見極められるはずと考えていた。
 
 結局その判断が、《猫と狩人》を混迷の淵へ追いやることになる。まひるはミスを犯したのだ。
 

 
 それは決して、本意ではなかった。
 自分が信じたものを踏みにじってまでも、進まなければならなかっただけ。
 ただ、その場のなりゆきでそうなっただけに過ぎない。
 過去[むかし]の自分が想像することすらなかった、現在[いま]
 それでも少女たちはどこかで、今の自分を楽しむ心を失ってはいなかった。
 それが、自分にとってどういう意味を持つかを考えることは、まだできない。
 
 王鳥すわんの場合、それは剣を[]り、妹を正気に戻すために超人的な力で怪人達と死闘をくりひろげること。
 王鳥まひるの場合、それは猫の魂を半分宿し、他人の歪んだ理想を実現するために組織を運営すること。
 
 そして……
 
 もう一人、千春御ミキの場合、それは等身大より少しだけ背伸びをした恋愛だった。世界の運命も、人類の明日も関係ない、ただ自分と自分を大切に思う人との、たった二人だけの世界。だが、そこに込められた思いの深さは、すわんやまひるが背負っているものよりも軽い、などということは決してなかった。
 ミキが交際している男性は、烏鷺帆中学水泳部の恒例行事で、合同合宿した大学の水泳部の人間で、水無原[みなはら][まこと]という。知り合ったのはミキが一年生のときの合同合宿で、烏鷺帆中学のOBということもあり、それがからちょくちょく烏鷺帆中学に顔を出すようになった。水泳選手としてはさほどのことはなかったが、教えるのが上手だったので水泳部の女子には人気があった。
 とはいえ、べつに女に手が早い、というようなタイプにはみえない。むしろ奥手でろくにデートもしたことがないような感じに見えた。
 ミキは男性がアプローチしてくるときは、だいたい相手の様子で事前に察知できる自信があったのだが、水無原が告白してきたときには、その瞬間まで、相手が何をいいたいのか理解できなかった。
 そのころは谷々鯖斗とは知りあっていなかったが、水無原を恋愛の対象として見ていなかったし、そもそもべつの同級生と交際していたので、丁重に断った。その後、三学期頃には交際していた相手と別れ、フリーになったのだが、やっぱりミキは水無原を相手にしなかった。その頃の彼女にしてみれば、水無原は群がる男どもAでしかなかったのである。
 二年生になってミキは電撃的な一目惚れで、谷々鯖斗を好きになったのだが、ついに振りむかせることはできず、夏休みの終わりに鯖斗のことはあきらめてしまった。
 そのナーバスな時期に、水無原が何度目かのアプローチをしてきた。その申し出を受けたのは、ほとんど自暴自棄だったからなのだが……
 
 水無原は、ミキの第一印象どおり、女性に積極的なタイプではなかった。淡々としていて、何事にも落ち着いていて対処するので、頼りがいがあった。何度か水無原の友人に紹介されたが、みな一様に彼が交際しているという事実に驚いていた。なかには、水無原が女性に興味がないのでは?と思い込んでいた者までいたぐらいである。
 ちなみにミキが十四歳の中学生であるという事実は、だれも追求しなかった。水泳関係者なら、ミキの容姿と水泳の成績を知っているはずなのだが、なにやら暗黙の了解が成立しているらしい。まあ、知っている人間がバラさなければ、若くてもせいぜい高校生ぐらいにしか見えなかったが。
 水無原関係の友人にはひと通り紹介されたが──その時こっそりと、水無原じゃなく俺とつきあわないかと誘われたのは一度や二度ではなかったが──ミキ自身は水無原を友人に紹介することはしなかった。
 正確にいえば、すわんに合わせづらかったのであるが、水無原には高校生になるまでは内緒にしたいと説明していた。
 
 いざ、つきあってみると、水無原は好感のもてる男性だった。金持ちでも、いい車にのっているわけでもなかったが、気さくで素朴なよさがあった。水無原のポンコツワーゲンでワリカンのデートしているときに、ラジエーターがオーバーヒートしたときなど、路肩で湯気を上げるエンジンにミネラルウォーターを補給するのは無条件で楽しかった。ぱっとしないヤサ男、といえなくもなかったが、それが水無原の味なのだと、ミキには思えた。
 なりゆきはともかく、ミキはすっかり水無原のことが好きになっていた。
 自分のパートナーにはこの人しかいない、そう確信するようになる。だからミキは、水無原になんでも話した。小さい頃、はじめて海にいったこと、小学校時代のこと、中学に入ってから交際した男子のこと、すわんのこと……そして鯖斗のこと。水無原はそれを聞きながら、ときおり自分の感想をコメントした。
 
「その、君が好きだった彼……鯖斗君だっけ、だけどもしかして、君が好意をもっていたことすら、気づいてなかったんじゃないかな?僕も、あとで、ああ、あの[]ぼくに気があったんだなって、思ったとき、あったもの」
「そうかもね……でも、もういいんです。キッパリあきらめましたから……
 と・こ・ろ・で・水無原さん?その、ぼくに気があった娘って、本っ当に、そうだったのかな?単なる、思い込みじゃないんですかぁ?」
「……まぁ、確かめたわけじゃないけど……いうね、君も」
「あはは」
 
 さらにミキは、自分が日頃感じていること、考えていることを話した。
 人生感や恋愛感などについても、思っているままをありのまま告げる。
 水無原はミキの考えをよく理解してくれたし、彼女の考えが年齢以上の立派なものであることを驚きもしたし、誉めてもくれた。
 ミキは今まで、自分の考えかたを、誰かに話したことがなかった。それをすると、みな一様にとまどった顔をするからだ。同年代の人間では、ミキの早熟した思考にはついてこれないのである。だからミキは、はじめてありのままの自分をぶつけられる相手に出会えたことが、単純にうれしかった。
 
 だから、ただそれだけで満足だったのである。
 

 
 《猫と狩人》があふれかえる横浜スタジアムのスタンドで一人、王鳥すわんは超級幻我を手に、かつては横浜市民だった群集をにらみつけている。
  すでに、約二千人ほどの肉塊が、血もふきださずに周囲を埋めつくしていたが、敵の数はいっこうに減る気配はなかった。
 かたわらには千春御ミキが、すわん以外、ただ一人の人間としてうつむき、座っている。
 彼女の体内に巡る紅浄気[くれないじょうき]を調節して、意識を断たれているのだ。敵になる心配がないとはいえ、異常な闘いに身を投じている姿を、親友に見せたくはなかった。
 とはいえ、この数万人の《猫と狩人》……U暴徒[ユウボウト]をどう処理するか、すわんにも見当がつかない。とりあえず、右手で超級幻我をふるい、左手でPHS[ピッチ]をかけて、谷々鯖斗に相談してみた。
 
『なんだ、すわんか……ずいぶんそうぞうしいな?』
「さ、鯖斗君、い、いま敵と闘ってますのっ」
『おう、で、なんの用だ?対戦結果はあとで連絡すればいいぞ』
「いえ、そうでなくて……て、敵が……このぉ!……い、いえ、数が多すぎて……」
『多いって、どのくらいだ?』
「百体くらいは数えてたのだけど、それ以上は……ともかく、スタジアム中の人間が、みんな敵に……」
『スタジアムって、横浜スタジアムか?そういやなんとかって歌手がコンサートをやってるらしいな』
「そうそう、で、おミキが一緒に行く予定だった人の都合が悪くなったっていうので、[わたくし]がかわりにつきあった……もしもし?」
 
 そこでいったん、通話がとぎれる。電波の状態にもよるが、すわんの持っている電話は、何の気なしに途切れることが多い。これで腹をたてるようなら、このタイプは使ってられない。
 戦闘中に使ったのははじめてだが、今日は特に、電波の調子が悪いようなだ。
 
『……もしもし、あ、経緯はわかった。じゃ、すわん達以外の全員が、《猫と狩人》になったんだな』
「ええ、そう、私とおミキ以外全員……」
 
 また数秒間、途切れる。
 
「……周り全部、敵ですわ。敵のタイプはトカゲかしら……服を着たままなのが不気味ですわ。ちょっと前に声がして、ユウボウト、ええ、アルファベットの[ユー]に、漢字で暴徒、そうそう、暴風の暴に生徒の徒……そう名乗ってましたわ」
『手強い……(途絶)……手強いのか?』
「一体なら、全然……でも、これだけ多いとこっち……(途絶)……こっちが参ってしまいますわ」
『わかっ……(途絶)……対策を検討する。しばらく……(途絶)……のままで……』
 
 そこでまた通話が途切れ、数秒後にはツーツーツーと回線が切断された音がする。
 直後、一体のU暴徒が爪をふり上げ、すわんのPHS[ピッチ]を狙うように振りおろす。
 とっさに、つま先立ちに左手を上げ、一撃を回避。
 すかさずすわんは、右手の剣を逆手に振り上げ、さきほどの攻撃で態勢を崩しかけているU暴徒[ユウボウト]の背中に深々と突き立てる。
 それを合図に、周囲のU暴徒[ユウボウト]達がいっせいに、かつて仲間だった肉塊を踏みつぶしながら迫ってくる。
 すわんは、腰のあたりに下げたリュックにPHSを放り込むと、剣を両手でつかみ、気合一閃。
 超級幻我の根元につけられた、圧力計と温度計の針が跳ねあがる。
 
 蒸気の噴流が視界を白く染めた。
 
 瞬間、群集がひるむ。
 彼女には、それで十分だった。
 すわんはU暴徒[ユウボウト]がささったままの剣を振りかぶると、思いきり真横になぎ払う。
 白い蒸気を[]きながら疾走する剣の圧力に、貫かれたままのU暴徒[ユウボウト]が体を割いて四散し、剣と切っ先の延長、十メートルの半円にいたU暴徒[ユウボウト]百五十体は即座に両断され、さらに半径五十メートルまでのU暴徒二千体ほどが吹き飛ばされる。
 この斬撃で、有効範囲内の約七割の敵が、活動を停止した。
 すわんの周囲は敵の残骸と、砕けた合成樹脂の椅子、えぐれたコンクリートの破片で埋めつくされている。
 彼女はぐったりしているミキを抱きかかえると、場所を少し移動した。
 このままの場所で闘っていると、スタンドが崩れる危険があったからだ。
 いまの一撃で、しばらくは総攻撃をくらうことはない。
 剣の効果範囲外にいた数十体が襲いかかってくるが、その程度なら、ミキを抱えたままでもどうにかなる。
 だがこれは一時的なものでしかない。
 これでもまだ、二万体以上の敵が残っているのだ。
 すわんは力を浪費したときの、体のだるさが蓄積しているのを感じている。
 あと何度かは、さっきの攻撃が可能だったが、敵を全滅させるまとなると、かなりしんどい。
 正攻法で倒すには、あまりにも数が多すぎた。
 
 ふたたびミキをかたわらに、何度目かの総攻撃をしのいだとき、着信音がする。
 すわんは手近な敵を切りふせつつ、器用に背中のザックをはずすし、PHSを取り出した。
「はい、もしもし……あ、鯖斗君おそい!なにしてたの?」
『悪い、ちょっと兄貴と相談……(途絶)……さ。聞こえてるか?』
「聞こえてますわ……で、どうしたらいいの?」
『兄貴の話だとな、そういう場合、パターンとしてはそいつらを操ってる奴がいるはずだから、そいつを倒せばいいってことだ……マンガじゃありがちなパターンらしいが……そうなのか?』
「しらないよ、んなコト!でぇ、どうやって、そいつを探せばいいの!」
『なんか通話状態がよくなったな……いや、俺にもよくわからん。ともかくそいつを倒せば、全員もとに戻る決まりになってるらしいぞ』
「まひるが操ってるんじゃないのぉ?」
『それはない!猫君主M[キティロードエム]は原理的に超級幻我では倒すことができない。絶対に、すわんが勝つ手段があるはずだ!』
「ともかく、全員倒すってのはムリだかんね!なんか方法、考えてよ!……んのぉ!」
『大丈夫か?……そういや、ゲンガはなんて言ってんだ?まず、アイツと相談すればいいだろ』
「れれ?そーいやアイツのこと、すっかり忘れてた」
『……忘れんなよ』
「おーい、ゲンガ、生きてる?……もしもぉーし」
 しばしの沈黙の後、蒸気吹く剣の振動が、固有の音声を形成する。
「……るせぇ、さっきから見てるぜ」
 その声は、電話口の鯖斗にもはっきりと聞こえた。
『お前、電話に出られるのか?』
「立体映像で話せりゃ、音でしゃべるなんざ、ワケねえよ。オマエがそう、造ったんだろが」 
『そうかよ……で、お前の考えを聞かせてくれ』
「知るか!オレはすわんが理解できないことは認識できねぇ」
『わかってる。だが、すわんが理解できなくても、単に見落としているだけのことなら、お前でもわかるはずだ』
「んなもん……オイ、いまの一言、すわんが気を悪くしてるぜ。オレの無知は、手前のバカだからな……おお、おっと、いまのでひらめいたぜ!」
 
 すかさずゲンガは、すわんと鯖斗に自分の考えを告げる。
 すわんはそれに従い、PHSを切ると、剣を振るいはじめた。
 無差別蒸気攻撃。
 超級幻我の先から圧縮して投射される蒸気の塊が、U暴徒[ユウボウト]であふれかえるスタジアムに振り注ぐ。
 決して、効率のよい攻撃ではない。
 当たれば昏倒確実だが、狙いがアバウトなので、誰もいない場所に着弾するものも少なくない。
 線ではなく、点の攻撃なので、当たってもせいぜい一、二体を倒すのみ。
 それでもすわんは蒸気投射をやめない。
 攻撃を続けながら、必死でU暴徒[ユウボウト]の動きを観察した。
 
 やがて一体だけ、他のU暴徒[ユウボウト]とは違う動き……つまり、盲目的にすわんに迫ろうとせず、蒸気投射の射程から逃れようとする奴がいる。
 背ビレのある特徴的な背中を見せているので、似たような動きしかしないU暴徒[ユウボウト]達の中ではけっこう目立つ。それが親玉だった。
 すわんは吠えて、斬撃を叩き込む。
 百メートルはあろうかという長大な蒸気の刃が、親玉U暴徒[ユウボウト]を粉砕した。
 ついでに勢いあまって、横浜スタジアムをまっぷたつにしてしまったのは、ご愛敬であるが。
 
「すわ、すわ!起きなよ」
「んん?」
 次に眼を開けて、認識を再開したとき、すべてはなかったことになっている。
 徹底的に破壊されたスタジアムは、すわんが眼を閉じて、彼女が状況を認識することをやめた瞬間、スタジアム中の人間がU暴徒[ユウボウト]化したという事実は、つつがなくコンサートが終了したという事実に修正された。
 となりに座っている千春御ミキは、怪訝な顔ですわんを見ている。
「あんなにヤカマシかったのに、よく寝てられるわね」
「ええ、あ、おミキ。[わたくし]、寝てしまったの?」
「ええもう、ぐーぐー寝てたわよ……ま、わたしもそんなに、興味のあるコンサートじゃなかったけどさ」
 
 周囲では、観客達がぞろぞろと出口に流れてゆく。それがなんとなく、U暴徒[ユウボウト]達とダブッて見えた。
 
「例の、つきあってる彼氏にさそわれましたの?」
 ミキがそのことを話したがらないのは知っていたが、あえて聞いてみる。
 彼女の答えは簡潔だった。
「……ん、まね」
 
 なんとなく、それで会話が途切れる。
 そのまま二人は、ほとんど会話をせずに帰宅した。




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