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S.S.Princess
── その三、おミキの恋は吹きさらし ──




 それからしばらく、《猫と狩人》はその活動を停めいていた。
 あの橋の一件以来、動物虐待する人間を制裁することも、ぱたりと止まった。
 まひるは二、三日は難しい顔をしていたが、やがていつものにこにこ顔の彼女に戻った。
「嵐の前の静けさ、というやつかな」とは、谷々鯖斗のコメント。

 その間、すわんは鯖斗がまとめたレポートに目を通したり、鯖斗やゲンガと話をして、およその現状を把握した。また、超級幻我の能力についても、使用中の破壊活動が因果律的にキャンセルされることや、浄気的存在ですわんの上空で待機できること。剣をもっていなくても、常に浄気はすわんの体を巡り、彼女を強化していること。その他、いろいろ。

『よーは、存在体[イグジスト]ってのは魂のことで、まひるが存在体[イグジスト]だけでいるってのは、生き霊[いきりょう]みたいなもん、てわけだ』
『ま、そう考えていいんじゃねえか』
『で、あんたはまひるの儀式でまひるに宿った、たっくさんの霊……多重存在体[イグジスト]の残り半分』 『……の、集合意識ってやつらしいぜ』
『てことは……まひるもわたしも、おんなじ力で闘ってるわけぇ?』
『そういうこと、らしいな』
『じゃ、わたしにも耳やしっぽが生えてくるの?』
『そーなる予定はないらしいぜ』
『……ちょっとゲンガ、あなたさっきから、らしいらしいって、なに他人ごとみたいにいってんのよ!そもそもあんたってゆーか、あんたたちが超級幻我にとり憑いたりするから、こんなことになったんじゃない!』
『そもそもの原因は樺良だと思うが……それはともかく、オレは、オマエの意識が生み出したものだろーが』
『だから、何よ?』
『だからぁ、オマエの知識で理解できないことは、オレにも理解できねーんだよ』
『そーなの?』
『そーなんだよ!』
『……でもこないだ、存在体[イグジスト]がどーのっていってたじゃん。あんときわたし、そーゆーの理解してなかったと思うけど』
『何のためにオレが、三筒幻像[トリビジョン]で出現できると思ってンだよ……ってなにテレてんだ、すわん』
『い、いーから話を続けなさいよ!』
『……だから、オマエ以外の奴ともあの姿でなら話ができるし、そこですわんが知らない知識も得られるってわけだ。だから、存在体[イグジスト]とかのことは、初めてオレが出現した晩、あんとき鯖斗や樺良から聞いたのさ』
『ふぅーん』
『ただな……』
『ただ何よ?』
『ただ、オレの基本的な理解力はオマエに依存しているわけだから……だから、オレが馬鹿だったり、無知だったりするってことはつまり……』
『つまり、わたしがバカだから、あんたもバカっていーたいわけ……』
『……さっしがよくて、助かるなぁ』
「どーいたしましてっ!」
「なにが、どーいたしまして、なんだ?」
「なにがって……」
『すわん、声が出てるゼ……』
『へ?……』
 ツけば、目の前で鯖斗が怪訝な顔でこちらをうかがっている。
 ここは演劇部の部室。今日は、超級剣姫の舞台衣装を作製するための寸法採りの日。周囲では、部の女子がメジャーですわんの体の各部を採寸していた。
 すわん自身はというと、体操服姿で超級幻我を構えて十五分以上じっとさせられている。同じ姿勢でじっとしているのは、彼女にとってさほど苦痛ではないのだが、なにしろヒマなのだ。
 ゲンガという話し相手がいるということもあり、いきおい内向モードに突入してしまったというわけである。
 鯖斗も、鯖斗で超級剣姫が剣を構える姿がいかにカッコよくするか、というテーマに必死だったので無言のすわんにずっと同じポーズを取らせ続けていたのだ。
「あ、悪い。ずっとそのままの格好じゃ、きついよな。ちょっと休憩にするか?」
「いえ、そういう……では、少し休ませていただきますわ」
 なんとなく、気まずい思いでおのおの休憩に入る。
 採寸していた女子部員が、どうしたものかとオロオロしていたが、二人にそれを気づかう余裕はなかった。



 胸元から袈裟掛けに吹き出す[くれない]の蒸気を見ながら、すわんは驚愕を通り越した呆然でそれに応えた。

 ばらけた制服を洗濯機で踊らせるという醜態を、どうにかごまかせてから一週間後、すわんと鯖斗が気まずい沈黙を経験してから三日後、みたび《猫と狩人》からの挑戦があった。
 指定の場所──学校の屋上──ですわんを迎えたのは、なんのことはない、彼女のクラスメートの[くれない]のだった。
 どこかの芸能人を意識した容姿、成績は中のなかほど、運動能力は人並みで、何か格闘技をやっているという話は聞かない。ちょっとクセのあるしゃべり方をするぐらいで、正直、すわんには単なるクラスメートとしての認識しかなかった。

 安寿はみずからをA鎖吐[エイサット]と名乗り、直後、手と腰から赤い布のようなものを垂らした。すわんは思わず、なにが半憑依しているのか聞いてみる。
「もち、金魚よ!」
 A鎖吐[エイサット]は元気に答えた。
 そんな二人を、猫君主M[キティロードエム]こと王鳥まひるは、階段室の上の一段高い場所から,にこにこしながら、だが一言も発することなく見守っている。

 すわんも超級幻我を実体化させて、対決が開始された。
 最初に動いたのはすわん。様子見に斬撃を打ち込む。
 それに対し、A鎖吐[エイサット]は軽いバックステップで回避すると同時に、手から生えた金魚のひれを、タオルではたくようにすわんに打ちつけた。

 そして視界が紅に[くれない]染まった。






 鋭利な傷を受けると、その直後は何も感じず、一拍おいてから痛みがやてくる。すわんの場合、それは痛みではなく重さであった。
 胸元から激しく噴出する紅い[あかい]蒸気は、彼女から体の自由を奪う。軽いはずの超級幻我が、手から滑り落ちそうになるほど重くなった。貧血になったように体全体がけだるく、しゃがみ込みたくなるほどつらい。
「なぁんだ、聞いてたほど強くなーいじゃんっ」
 A鎖吐[エイサット]のお気楽な台詞。
 暗転しそうになる視界の中で、その声はひどく遠くから聞こえていた。
 
猫君主[キティロード]、あれでは強すぎます』
 まひるの視線から、闘いを存在体[イグジスト]的接続(テレパシーのようなもの)で観察していたN篠遊園[エヌシノユウエン]はそう忠告した。
『そーかなーぁ?』
 のんきな返事。

 《猫と狩人》に頭脳集団を形成するという、まひるの構想の手はじめとして登用されたのは、烏鷺帆[うろほ]中学の歴史教師、根深戸[ねぶかど][まさる](四十一歳男性)だった。
 狩人名[ハンターコール]N篠遊園[エヌシノユウエン]と名づけられた彼はさっそく、まひるの抱える問題の打開策として、すわんと対決している《猫と狩人》を、まひるが存在体[イグジスト]的に強化、サポートすべしと進言した。
 現在のまひるは強すぎて、すわんは太刀うちできない。その一方で、すわんはほかの《猫と狩人》たちよりは強い。この差を埋めるためには、一番強い者が弱い者を手伝ってやり、そこそこ強い者と善戦できるようにすればよいのだ。まひるはこの考えを採用した。
 結果は見事、当初のまひるの思惑通りとなる。
 だが、N篠遊園[エヌシノユウエン]は自分の進言が、このような状況を生み出すとは考えていなかったようだ。

『いくら強力な敵が必要だからといって、あれでは勝負になっていません』
 N篠遊園[エヌシノユウエン]の言葉には、あせりの色が見て取れる。
『そーでもないよ、ほら!』
 驍フ視界の中で、すわんが吠えた、文字通り。

「ぬぅおぉぉぉぉぉぉぉぉ、おぉぉぉぉぉぉぉう!」

 そして、胸元から噴出する蒸気が紅から白に変わる。
 すわんはがむしゃらな特攻をかけると、大上段で斬りかかった。
 さきほどのような余裕はなかったが、それでもA鎖吐[エイサット]は、かろうじて切っ先をかわす。

 かわしたはずだった。

 弾き飛ばされ、屋上のフェンスにめりこむA鎖吐[エイサット]
 なにが起こったか、まひるだけは見ている。
 振りおろされる超級幻我の切っ先のさらに先に、瞬間的に蒸気の塊が発生していた。
 それは、刃ほ[やいば]ど研ぎ澄まされてはいなかったが、接触した相手を吹き飛ばせるだけの密度をもって実体化していたのだ。
 さらにA鎖吐[エイサット]にせまるすわん。
「ちょちょ、すわ、ちょっとタンマ」
 あせるA鎖吐[エイサット]。だがすわんは躊躇しない。
 真横になぎはらわれる超級幻我が、一瞬前までA鎖吐[エイサット]がめりこんでいたフェンスを斬り裂く。
 その刃は、なおも執拗にA鎖吐[エイサット]を狙いつづけていた。

『いや、失敬。猫君主[キティロード]の読みのほうが、的確でしたな』
 まひるが冷静だったのが事態を正確に把握していたためと知り、N篠遊園[エヌシノユウエン]は素直に自分が不必要にあわてたことを謝罪した。
猫君主[まひる]はぜんぜん、手加減してないよ』
 イタズラが成功したときのような、ほころんだ口調。
『わかっております』
『おねえちゃんはねぇ、テスト勉強は前の日にしかしないの。そんで、テストの範囲をぜんぶ暗記して、結構いい点数とるんだよ』
『確かに、王鳥君は暗記系の教科の成績が優秀でしたな。なるほど、追いつめられた時の瞬発的な能力によって、限界を引きずり上げよう、というわけですか。しかし……このようなことを続けていては、いつか王鳥君……いや、超級剣姫も致命的な敗北を喫することになるのでは……』
『最後はそうなってもらわないと困るんだけど……でも、それまでは勝ちつづけてもらわないとね。これは猫君主[まひる]賭け[カケ]けなんだよ。ハンパなことじゃ、おねえちゃんは本気になんないからね』 
『やれやれ、私は階級闘争の思想的補佐役になったつもりでしたが、どうやら勧善懲悪劇[かんぜんちょうあくげき]悪辣[あくらつ]な参謀に収まっていたようですな』
『イヤになった?』
『ご冗談を……それを禁止したのは猫君主[キティロード]、あなた自身だ』
猫君主[まひる]も、自分で禁止したわけじゃないよ』
『お互い、災難ですな……』
『ゴメンね……』
『!?……そういう感情をもつことは、猫君主[キティロード]自身も禁止されているはずではっ?』
『……いってみただけだよ』

 闘いはまだ続いている。だが、もうすぐ決着が訪れることは、誰の目にも明らかだった。



 この数ヶ月というもの、千春御[ちはるお]ミキのうつうつ[うつうつ]とした感情は、ひどくなるばかりだった。
 無論、その原因は谷々[たにや]鯖斗[さばと]への恋愛感情と、それが一向に報われないことである。
 何かきっかけが欲しい、そう彼女は考えていたが、水泳部でいそがしいミキと演劇部でこれまたいそがしい鯖斗では、接点というものがない。
 手紙を書くなり、電話をかけるなりも考えたが、なんていったらいいものか見当もつかないし、それよりナニよりこいうコトは、直接自分の口からいいたかった。
 寝つけない日が多くなる。恋わずらいというのが本当にあるのだと、はじめて知った。
その一方で、ミキは学校での成績と、水泳の記録を完璧に維持していた。絶好調とまではいかないものの、ほかの人間には彼女の内面的苦痛は針の先ほども感じさせなかった。
 外面的には、彼女の快活さと自身に満ちた態度は揺るがなかったが、ひとたび一人になるため息が多くなり、ダークな気分になる。
 以前は友人達とおしゃべるしたりすることが、楽しくリラックスできる時間だったのに、今では気疲ればかりして少しも楽しくない。
 誰かに相談すれば……と思わなくもないが、すわんには相談したくないし、ほかにぶっちゃけて話ができる心あたりはない。
 
 結局、自力で鯖斗に告白するしかない。ミキがこの結論に達したのは早かったが、それを実行するとなるとどうしても躊躇してしまう。
『俺は、王鳥が好きだから……』
 鯖斗にそういわれるのは、目に見えている。
 これはなにも、ミキの勝手な思い込み、とばかりはいえない。なにしろ、ここしばらくで、すわんと鯖斗がいっしょになにか話し合っている光景は、日常的なものとなっているのである。
 実際は、超級剣姫の劇や《猫と狩人》との闘いについて相談しているだけなのだが、超級幻我の威力によって会話の内容が暗号秘匿[スクランブル]されているため、聞こえても意味が理解できないのだ。
 二人はつき合っている!そういうふうに他人に思われても無理からぬことだった。
 ミキにはそんな認識がある一方で、もし鯖斗が彼女の気持ちを受け入れたとしたら、それはそれですわんに悪いのではないか、という気もしている。
 はっきりいってミキはもてた。今も、複数の男性から(このさい女性は員数外)交際を申し込まれている。そういう申し出に、ミキはいつも『好きな人がいるから』ときっぱりことわっているのだが、何人かの男性、特に水泳部の関係で知り合ったある大学生からは、相当熱心なアプローチを受け続けている。
 それに対し、すわんは男っ気がまったくない。恋愛感情がないわけではないが、精神面が外見についていってないので、てんでダメダメなのだ。
 山際[やまぎわ]からすが好きだからといって、じゃあ実際にどうこうしようなどということは考えもつかない。その面ではまひるのほうがずっと積極的だし、まだまだ兄妹気分は抜けないものの、はるかにお似合いのカップルだと思う。
 そんなすわんが鯖斗には、あれほど積極的になっている。単に劇の相談をしているだけ、とすわんはいうが、理由はどうあれ、彼女が気楽に関われる男性は鯖斗だけなのだ。それに、たとえ今そうでないとしても、これからもそうならないとは限らない。
 そんなすわんから、鯖斗を奪うようなまねをしていいものだろうか?
 恋愛は自由だ、誰が誰を好きになってもかまわない。ミキもそう思う。
 だが同時にその自由は、大切な何かを犠牲にして成立する自由ではないか?それは、今ある自分を犠牲にしてまで手に入れるべきものなのだろうか?
 なんでこんなに、谷々君のことが好きなんだろう?結局ミキは、この疑問で停止してしまう。
 恋に理由なんてない。それはわかっているはずなのに、どうしてもその理由を求めてしまう。
 人類の半分はいる男性の中でただ一人、谷々鯖斗のことがどうして気になるのか?
 あるはずもない、と自分でも思うその理由を求め、ミキは今日も生きていた。
 
 季節は夏、烏鷺帆[うろほ]中学も夏休み。
 けれども、部活の練習がいそがしいすわんとミキは、しょっちゅう学校で顔を合わせていた。
 それは同時に、谷々鯖斗とも顔を合わせるチャンスだったが、いつも見せつけられるのは、楽しそうに会話するすわんと鯖斗。
 それでもミキは、何とか話しかけてみたりする。
 
「ね、谷々君。谷々君て、どうしてそんなにスゴい物が造れるの?」
 われながら、つまらない質問だと思う。
「こういうのが好きだからね」
「な、何か訓練とかしてるの?」
 あちゃあ〜
「別に……造りたいものに必要な技術は、そのつど思考錯誤するな」
「そっか……」
 むうぅぅぅぅぅ、か、会話が続かないぃぃ。
 なんてやってるうちに、
「おミキごめん。谷々君、ちょっと見ていただきたい所がありますの」
「わかった。千春御さん、もういいかい?」
「うん、邪魔しちゃってごめん……」
 挨拶もそこそこに、仕事にむかう鯖斗。
「で、王鳥、なにが問題なんだ……」
 
 こんな状態が続くともう、なんで自分が『千春御さん』で、すわんが『王鳥』で呼び捨てなんだろ?とか余計なことばかり気になってしまう。
 これはマズいと思う。
 なんらかの形でこの問題にケリをつけないと、どうにかなってしまいそうな気がした 。
 だが、一番問題なのは、彼女自身がその問題を認識しながら、その呪縛から逃れられないということである。
 いくら考えても、思考が同じ道のりをぐるぐる廻るばかり。
 そんな彼女が、とうとうこの問題をすわんに打ち明けようと決心したのは、夏休みの登校日、ひさしぶりに顔を合わせたクラスメートと談笑していた時……
 
「ちお、ちお、どしたの?」
「おミキ、大丈夫ですの?」
 クラスメート達の声。
「……え?」
 気がつくと、すわんをはじめ幾人かの女子が心配げに彼女の顔をのぞき込んでいる。
 しばらく記憶が混乱していたが、どうやら意識を失っていたらしい。
 その場はうまく取り繕ったが、ミキは睡眠不足と日々のストレスが極限に達したことを痛感した。
 
 次の日曜日、すわんと買い物に行く約束をした。その時すべて打ち明けよう。たとえそれが、どんな結末になろうとも。
 
十一

 
 その男子高校生は、頭にイチョウの葉のような角を生やしていた。どうやら雄鹿[おじか]のようだ。
 夏休みの登校日、場所は烏鷺帆[うろほ]中学の正門前。昼、下校する生徒達が、二人の前を何事もないように通りすぎていく。
「……その名も超級剣姫[ちょうきゅうけんき]なりっ!」
 お決まりの超級唱歌[ちょうきゅうしょうか]を唱えると、すわんは[]ぶ。
 彼女を迎え撃つべくその少年、E磁須[イージス]の瞳が怪しく輝いた。
 
十二

 
 この一月[ひとつき]半というもの、王鳥[おうとり]すわんは闘い続けていた。
 無論、その原因は谷々[たにや]樺良[かばら]が妹の王鳥まひるを洗脳し、人類社会転覆を狙う秘密結社《猫と狩人[ねことかりゅうど]》の首領としてしまったからである。
 ほぼ一週間に一回のペースで、まひるの生み出した《猫と狩人》の尖兵達を、苦戦しながらも[ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ]次々と撃破しているすわんではあるが、最近あることが原因で、自分の勝利が喜べなくなっていた。
 それというのも、先日谷々兄弟が、《猫と狩人》の戦術、戦略分析によって、かなりショッキングな報告を出したからである。
 
 後にマタタビ文書と呼ばれ、コピーを入手した《猫と狩人》の首脳陣を震撼させたといわれるそのレポートは、用紙にして十枚ほどの、万年筆の几帳面な字で書かれたものである。
 そこにはこれまでのいきさつから、まひるのがどういう目的ですわんに闘いを挑んでいるか、正確に分析されている……つまりは、すわんは猫君主[キティロード]の思惑によって意図的に勝たされている[ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ]ことが記されているのである。
 そして、このレポートはさらにこう、分析している。
 
『我々が、この状況で取りうる最良の選択は、次の二つに絞られる。「1」すべての《猫と狩人》を撃破し、超級幻我の威力によって、全部をなかったことにする。「2」今すぐ闘いを放棄して、《猫と狩人》に全面降伏する。
 「1」が最良であることはいうまでもないが、前述の通り、この方針は猫君主[キティロード]が意図的にわれわれに採らせている方針でもある。つまり、猫君主[キティロード]は王鳥すわんがどれほど強力になろうとも、最終的には勝てるという確信があるからこそ、あえて自軍が負けつづける闘いを王鳥すわんに仕掛け続けているのである。
 注目すべきは、現状の王鳥すわんと《猫と狩人》達との闘いが、漫画やアニメーションでくり返し描かれている正義のヒーローと悪の組織という対立の構図を踏襲している点である。この種の物語では、物量の面で圧倒的に有利なはずの悪の組織が、なぜか戦力を小出しにした結果、正義のヒーローを鍛錬することとなり、当初の戦力差ならば容易に倒せたはずの正義のヒーローに、最終的には悪の組織が壊滅させられる、という流れが大筋となっている。
 猫君主[キティロード]の精神的母体となる王鳥まひるが、その種の物語を好んで見ていることは王鳥すわんの証言でも明らかである。これは、あえて自らを悪役的立場に置くことで、いかにも自分が最終勝利者になれるであろうという幻想を、王鳥すわんに与えることを意図しているように思われる。猫がマタタビの香りに惹きつけられるように、正義のヒーローが次々と悪の組織の怪人を倒していくというカタルシスで、王鳥すわんを自分の思惑通り動かそうとしているのである
 だが、忘れてはならないのは、《猫と狩人》は勝てるという確信的打算によってこの闘いを仕掛けているのに対し、我々には最終的に勝利できる確信などないことである。
 神風に代表される奇跡によって形成逆転がされ事実は、確かに存在する。しかし、それはあくまでも偶然が生み出した結果にすぎず、正当な実力差による正当な結果ではない。逆に言い換えれば、奇跡とは、当事者が予想しきれなかっただけであり、絶対的な客観性をもって物事を把握できるならば、決して奇跡などという超自然現象は存在しないのである。
 物事を計画、運用する者は、現実に起こり得るできごとを可能な限り想定し、たとえそれ以外の事態が発生しても対処できるだけの人的、物的な備えをすべきである。この点に関し、猫君主[キティロード]はその年齢、経験にもかかわらず、極めて優秀な指導者であることは疑う余地がない。勝てるかもしれない、という希薄な打算で《猫と狩人》に闘いを挑むことは極めてリスクの高い賭けである。しかし、それを承知であえて不利なカードに賭けざるをえない状況を創り出した猫君主[キティロード]の戦略的なセンスは賞賛に値する。
 現状で猫君主[キティロード]の思惑に反する手段は、「2」の全面降伏によって、猫君主[キティロード]の思惑を百パーセント達成させないことしか立案できない。だが、王鳥すわんの気性からして、「2」が採用される可能性は低いと思われる。この点も猫君主[キティロード]は計算していると見て間違いない。 
 現在の我々が早急に成すべきことは、最終局面に達する前に、《猫と狩人》が勝利を確信する根拠を把握し、それを打破する方策を立案することである。
監修:谷々樺良 執筆:谷々鯖斗』

 
 結局、猫君主[キティロード]に躍らされていただけ……この結論に、すわんはガックリきた。
 たまらずすわんは、まひるにこのことを聞いてみた。
「まひる……これって、本当なのかしら?」
 居間でポテチをかじってバラエティ番組を見ていたまひるはレポートを受け取ると、眠そうにしながらも、さらさらと目を通した。
「う〜ん……」
 唸ってから、まひるはレポートをすわんに返すと、ちょっとまってて、と言い残していったん自室にもどり、すぐに何やら紙切れを持って戻ってきた。
「えーと、それについてはね……」
 そういいながら、すわんのレポートと同じぐらいの厚さの紙の束──ただし、こちらはプリンターで印字されている──をぺらぺらとめくっている。
 だが、いつまで待っても、まひるはレポートをせわしなくめくるのをやめない。
「いつまでやってますの……ちょっとお見せなさい」
 ばさっ
「あっ……!」
 いうなりすわんはまひるから、その紙束をひったくった。
 その表紙には『超級剣姫への質疑応答書』と書かれている。中はQ&A方式で、まひるがすわんに《猫と狩人》のことで質問された場合の模範解答が記されている。
 たとえば…… 
 
>問8:
『《猫と狩人》の最終的な目的は、具体的にどういったものですか?』
>答8:
『その件については、私の一存では答えられません。ですが、あなたが闘いを続けていれば、いずれ明らかになるでしょう』
 
>問15:
『あなたは精神作用力[ミュールフォース]によって洗脳されていますが、どこまでが自分の意思で、どこまでが洗脳された事柄か自覚していますか?』
>答15:
『私は猫君主[キティロード]として成立してから、すべて自分の意志で行動しているといえます。どこまでが王鳥まひる個人の意志で、どこまでが洗脳の結果であるかを明確に規定することは不可能です』
 
>問38:
『《猫と狩人》の構成員の総数はどれぐらいですか?』
>答38:
『今日現在で、千三百二十七名です』
 
 とまあ、こんな具合で質疑応答例が記されている。
 面白いのは、模範解答の下に赤いボールペンで、プリンねこの落書きなどといっしょに、まひる自身が『まひる語訳』を書いていること。
 たとえば上記の三つの質問については…… 
 
>問8:
『《猫と狩人》の最終的な目的は、具体的にどういったものですか?』
>問8のまひる語訳:
 『うーん、そーゆーことって、まひるがカッテに答えちゃダメなんだよ。でも、おねえちゃんがずぅーっと勝ってれば、そのうちわかるんじゃない?』
 
>問15:
『あなたは精神作用力[ミュールフォース]によって洗脳されていますが、どこまでが自分の意思で、どこまでが洗脳された事柄か自覚していますか?』
>問15のまひる語訳:
 『そーハッキリ聞かれちゃうと、まひるもよくわかんないよ』
 
>問38:
『《猫と狩人》の構成員の総数はどれぐらいですか?』
>問38のまひる語訳:
 『たくさんいるよ』
 
 最初はまじめにに訳しているのだが、最後のほうになると適当[テキトー]な訳がミミズののたくったような字で書いてあるのが笑える。
『あんた、手下[てした]にこんなもん書かせてんの?』
 めんどくさいので、すわんは心でそう考えて、まひるに読み取らせた。
 
 この頃になると、すわんは精神作用力[ミュールフォース]から、自分の精神をガードする方法を身につけており、以前のようにこちらの考えを読まれ放題という、やたらと不利な状況からは脱している。さらに、意識の一部だけ解放して、精神をガードしたまま存在体[イグジスト]的接続による伝心会話をする、などという芸当も可能になっていた。
 
『別にいーって言ったの[ったん]だけど、もってけってウルサイんだよ』
 まひるは、ふー、困ったもんスよ、というジェスチャーをしながら答える。
『あんたも大変ね。そりゃそうと、さっきのレポートの内容はどうなのよ?』
『んーとねぇ、かなり合ってると思うけど……こーしきな回答は、みんなに相談してみないと……』
『だったら、それコピーして読んでもらってよ』
『そんなことしていーの?』
『いーんじゃない?まひるにはもう、見せちゃったし……』
 
 そういわれてレポートを渡されると、まひるはそれを家庭用のファックスのところに持っていった。そして、レポートを綴じているホッチキスを、落ちていたゼムクリップで器用に外すと、まず一枚目を機械にセットして、コピースタートのボタンを押しす。
 
 ぶーん、にょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごごごごごっ。
 
「次ノ用紙ヲせっとシテクダサイ、ぴーっ」
 ファックスの指示に従って、まひるはせっせと用紙をセットした。
 都合十回、紙を吸っては吐き出すと、コピーがうすっぺらいファックス用紙に、トイレットペーパーのように続けて出力されていた。
 
 じょりっ
 
 やっぱりトイレットペーパーのように切り取ると、まひるはそれをくるくる巻いて、端っこをセロテープで留めた。
 ばらばらになったレポートは、さっき外したホッチキスの針をふたたび同じ穴へ差し込んで、キチンと綴じ直してからすわんに返す。
「ありがと、おねえちゃん。なんならこれもコピーする?」
 まひるは、自分の質疑応答集をひらひらさせながら聞いた。
「では、お願いしようかしら……」
 
 ぶーん、にょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごごごごごっ。
 
 その日、王鳥家にはファックスのスキャン音が響き続けた。
 翌日、飛翔が気づいた時には、ファックス用紙はほとんど残っておらず、買い置きもちょうど切れていたため、会社帰りに横浜駅前の安売り電気店へ寄らなければならなくなり、いつもより帰宅時間が三十分ほど遅れるのである。
 
 かくて、世界の運命を賭けて闘う二人の少女は、双方の極秘文書を入手するという偉業をなしとげる。その後、双方の首脳陣は入手した文章の内容と、自分達が頼む少女のあまりにずさんな情報管理に、頭をかかえたのである。 
 
十三

 
 谷々[たにや]鯖斗[さばと]は、うず高く積まれた資料の山から顔を上げた。
 六角形の自室を埋め尽くしているがらくたは、一見無秩序にならべられているようだが、実際は彼にしかわからない分類で、超級剣姫関係と《猫と狩人》関係、この二種類のものにきっちり分けられている。
 今は超級剣姫関係の仕事で、すわんが舞台で着る衣装デザインのスケッチをやっていた。造形が本業ではあるが、身近に鯖斗が納得するデザインを起こせる人間がいないので、必然的にデザイン作業も自分でやることになる。
 鯖斗は体をひねって腕を伸ばし、指先で必要な資料を手にとると、作業を再開した。
 
 劇の準備と、闘いのバックアップという仕事を両立させるのは、鯖斗にとってもかなりの負担である。だが、それでもこうあれこれ起こりまくるといい加減、自分なりのリズムというものができ上がってくる。
 要は、何をやるにしても同じリズムを守ってやればいいのだ。世界の運命がかかっていようがいまいが、すべて自分のペースでこなせばいい。
 自分ができる範囲で最善をつくす。向上する努力は常におこたらないが、できないものは、できないである。それでいいのだと、最近やっと確信できるようになった。
 
 鯖斗はふと、もう一度顔を上げた。
 なんとなく、いつも彼に話しかけてくる少女、千春御[ちはるお]ミキのことが頭に浮かんだ。
 水泳部のホープなだけあって、見事な逆三角形に鍛え上げられた肢体。彼女の体型に合う舞台衣装はどんなものだろうか?漠然とそんなことを考える。
 頭の中でラフデザインが完成すると、そういえば、なぜ彼女はなにかにつけて自分に話しかけてくるのか、ということが疑問に浮かぶ。すわんに会いに来たついでかもしれないが、なんだかんだで、彼女と会話した記憶が結構あった。
 意識しすぎだろうか?と鯖斗は思う。
 なにしろすわんやミキは、口をきいただけでほかの男子生徒に嫉妬されかねないという、難儀[ナンギ]な少女たちである。鯖斗としてはなるべく普通にふるまっているつもりだが、ただ世間ばなしをしているだけで、そういうことを考えるのは、やはり自意識過剰なのだろう。そう、結論づけると、鯖斗は作業に戻った。
 
 なにかひっかかるものはあったが、鯖斗のミキに対する認識はその程度のものでしかない。
 
十四

 
 谷々[たにや]樺良[かばら]は、鯖斗の部屋のちょうど真上にある、塔屋の屋根裏部屋にいる。
 彼はベットに寝ころがり、ラテン語で書かれた古書のページを繰りながら、肉球と兎耳[ウサミミ]を讃える歌をボーイソプラノで十コーラスほど口ずさみ、さらに愛するウサギの名を呼んでからこう、続けた。
 
「……ちん……ワシ、あんたのこと、好いちょるんよ」
 
 そのときの樺良の顔立ちは、どこか偉大な四畳半の住人を彷彿[ほうふつ]とさせる。
   そしておもむろに、ここしばらく、思考の片隅に懸案として常駐していた、精神作用力[ミュールフォース]を無力化する方法を思いつき、会心の笑みを漏らした。
 
十五

 
 日曜日、すわんとミキの二人は、隣町の石川町にやって来ていた。
 大船寄りの改札口から出ると、川と高速道路に平行してある、元町のショッピング街をぶらぶら歩く。
 このあたりは中華街にもちかく、マリンタワーや山下公園へも徒歩でいけるという場所なので、すわんもミキもなにかと声をかけられることが多い。
 だが二人が一緒にいると、なぜか声をかけられる回数が少なくなる。彼女ら一人ひとりなら、なんとか相手をしてみようという気になれるのかもしれないが、この二人がコンビを組むと、なまなかな自信では声がかけられないようだ。

 すわんはロングヘアーをうなじでまとめ、スカイブルーのワンピースドレスに、ヒールの高い、角ばったデザインの黒いエナメルサンダル。
 ミキはいつものショートボブの髪にサングラスをのせ、白いキャミソールに黒いベルボトム。足は調靴師[シューフィッター]に選んでもらった、アースシューズというタイプの、踵が[かかと]つま先よりも低い位置にある茶色いブーツ。
 上背があり、年齢不相応の容姿をもつ二人が私服になると、もはや彼女らは女子中学生には見えない。もともと三十近くなっても、十代にしか見えない人間がめずらしくない日本人のこと、二人を二十代前半ぐらいのモデルかタレントと勘違いする人間は、少なくなかった。






 日ざしが強い日中を避けて、二人は午前中のうちに買い物を済ませる。
 どこかで昼食をとってから、横浜(駅周辺)へでもくりだそうかという話になり、とりあえず昼食がてら駅前のコーヒーショップに入った。コーヒーがメインの店ではあるが、なかなかに気合いの入ったホットドックのようなサンドイッチを出す店で、あちこちにチェーン店がある。
 間接照明を多用した落ち着いた雰囲気の店で、女子高生やアベックなどよりむしろ、一人で読書をしているような客が多い。
 
 二人はそれぞれ注文の品を受け取ると二階にあがり、窓際のカウンター席にすわる。クラシックが流れるシックな雰囲気に、ちょっと倦怠風[アンニュイ]入ってる少女たちの姿は、二人を実際よりずっと大人に見せた。
 もっとも、二人の会話の内容は都会的[アーバン]でも豪奢的[ゴージャス]ではなかったが。
「あずささん、本当にさっき買ったやつを使うのかな?」
 ミキは、ミルクが混ざりきっていないアイスコーヒーを一口吸ってから、となりにすわる、大人びた少女に聞く。
「これのことですの?」  
 そういってすわんが紙袋からごそごそ取り出したのは、ピンクの豹が[ひょう]ついた携帯電話ストラップと、ラッパ[ぐち]のペンギンがプリントされたステンレスのマグカップ。
「そう、それ……会社で使うの?」
「そういってましたわ」
「気合い入ってんのねぇ」
 あいかわらず飛んでるなぁとミキは思った。
 結婚しても、総合職(課長や部長に昇進できる扱い)で仕事を続けているというあずさを、ひそかにエラいと思っているミキであったが、彼女が会社でどんな顔をして仕事をしているのかは、まったく想像がつかなかった。
 なにしろ、王鳥家の最年長者であるあずさ(姉さん女房なのだ)が一番、精神年齢が低いというのだからスゴイ一家である。
 ミキがはじめて王鳥家に遊びに行ったとき、うっかりあずさを『おばさん』呼ばわりして、すごく嫌がられことがる。以来、ミキは彼女のことを『あずささん』と呼ぶことにしている。さすがに、彼女がリクエストする『あずさちゅわん』コールは、ミキにもちょっとキツかったが。
 
 自分用としては、すわんはTシャツや下着類と小物が数点、ミキは遊び用の派手な水着と、秋もののセーターを少し早めに買った。
 二人とも、回復力を上回る過度な訓練は、結果的に肉体をボロボロにしてしまうというスポーツ医学的な観点から、日曜日は完全休養が義務づけられているが、そうはいってもいられない場合もけっこうあるので、そろってでかけることはそう多くない。
 そのためか、ふだん学校では話せないような種類の話を、結構長い時間話すことになった。
 
 その間に、ミキはなんとか本題を切り出そうとチャンスをうかがっていた。
 とりあえず、スキャンダラスな話題をふってみる。
「まあ、根深戸[ねぶかど]先生と玉代[たまよ]先生が……不倫、ですの?」
 ちょっと小声がちに、すわんは聞き返した。それからシーフードサンドを口に運ぶ。
「そーそー、根深戸[ファラオ]とタマヨが二人して、校舎裏に消えるのを見たってヤツがいんのよ」
 やっぱり小声がちに答えながら、ミキもすわんのまねをして、ひな鳥の黄金焼きサンドを口に運ぶ。彼女としては、上手に食べているつもりなのだが、どうしてもパンくずがこぼれてしまうし、若干かぶりつく格好にもなってしまう。
 すわんは談笑しながらも、惚れぼれするような優雅さで、自分のシーフードサンドを平らげていく。以前、同じものを食べたことがあるが、小さなエビやら貝柱のマリネやらがレタスと一緒にはさんであって、こぼさないようにするのが異様に大変だったと記憶している。
 どうやったら、あれほど美しく食べられるのだろう?しかも、無意識のうちに。
 
十六

  
 かれこれ二時間近く経過しただろうか。
 すわんとミキの雑談は続いていた。
 横浜へ出るとの話もどこへやら、二人の会話はクライマックスを迎えようとしている。
 
「そういえば、おミキって誰か好きな人っていますの?」
 すわんのなにげない質問。
 チャンスだ!ミキはそう思う。
 ミキはすわんにそういう質問はしない。それがわかっているからか、すわんはまったく気負ったふうはない。
「そりゃもちろん、いるさっ」
 できるだけ普通に、おどけた調子でミキは答える。
 内心では動悸が高まり、手のひらがべとつく。
「まあ?[わたくし]の知ってる方ですの?」
「その前に……すわ、ちょっと聞いていい?」
 
 そこから先、ミキはどう会話を進めるかのシミュレーションを完璧にしていた。以降は、ミキの想像上の会話である。
 
「なにが、聞きたいんですの?」
 すわんはまったく予期していない。
「すわは、谷々君のことどう思う?」
「谷々君、て……どっちの谷々君?」
 目をまるくして、まぬけな質問をするすわん。
「そりゃ……そ、そりゃ、お、弟のほうに決まってるじゃん」
 自分で考えても、さらりといえるとは思えない。
「弟って……谷々、鯖斗君?」
「そう、鯖斗、君」
 ミキの告白に、しばらく沈黙するすわん。
「おミキ、あなた……あ!ああ、ああ、ああ。そーゆーこと、そゆことですのね」
「ウン、そゆこと」
「それでぇ、なにかと口実つけて、演劇部に顔出してたのね」
「……そうなの」
 こうなっては、ミキはどうしても自分がまっ赤になることしか想像できない。
「へー、ふーん、そーですの、ほーはーふぅー」
「んでね、すわ……」
「うん、うん、うん、なに?」
「鯖斗君に告白しようと思うんだけど……その……いいかな?」
「いーもなにも、じゃんじゃんやりなさいよ!応援するよ!なんなら私がセッティングしましようか?」
「ううん……そういうことは、自分でやる」
「そう……でも、そうなんだ……で、なんで谷々君のことが……なの?」
「なんでっていわれても……好きになっちゃったものはしかたないじゃん。じゃあ、すわはあたしが谷々君に告白してもいいんだねっ」
「なんで、私に聞くの?おミキの好きになさいよ」
「……じゃ、告白する」
「ガンバってね!」
「ん、がんばる……」
 
 多少の差はあれ、すわんがこの話を聞けば、そんな反応をするのは目に見えていた。
 恋愛に興味はあっても、実際に自分がその問題にかかわっているなどとは、これっぽちも考えない。
 すわんはそういう少女である。それがわかっていながら、これまでミキはそれを躊躇していた。
 そのことですわんとの友情が壊れるとは思わない。だが、すわんに好意を寄せる少年を、むりやり自分に振りむかせることに、罪悪感を感じていたのも事実である。
 
 それでもミキはこのことを、すわんに告げる決意を固めていた。そうしないと、自分が壊れてしまうから。
 
十七

 
 ミキがすわんに、鯖斗への思いを打ち明けようとした五分とすこし前。
 他愛のない話を続けながら、すわんは不穏な気配を感じていた。
 最近、よく感じるようになった、[けもの]の気配。
 すわんは窓の外の商店街に目を走らせる。
 その視線が止まった先で、一人の少女がすわんを睨みつけていた。
 小学校五、六年生くらいの少女は、遠目にも怒っており、やがて憎悪の意識がすわんを捕らえた。






『よくも……よくも、よくも、よくも……お兄ちゃんを殺したなぁ!』
『なによそれ……お兄ちゃんて、どーゆーこと?』
『るさい!だまれ、死んぢゃえ!』
『そういわれても……』
 
 理由もわからず、途方にくれるすわんに助け船を出したのは、なんとまひるだった。
絵符F[あとり]E磁須[さとるさん]は死んだんじゃなくて、フツーの人に戻っただけだよ』
『ちがうっ!絵符F[あとり]がいっくら呼びかけても、お兄ちゃん、ちっとも返事してくれないじゃない!』
『そーはいっても、負けちゃったんだから、しょーがないよ』
『ちょっとまひる、一体どうなってんの?』
『あのね……』
 
 まひるの説明では、今日の対戦相手である絵符F[エフエフ]という少女は、先日倒したE磁須[イージス]の妹なのだという。彼女は兄妹そろって《猫と狩人》となり、精神作用力[ミュールフォース]で意志の疎通ができるようになったことに至上の喜びを感じていた。普通では絶対に得られない、精神的なつながり。それをすわんに破壊されたことで、絵符F[エフエフ]は彼女を《猫と狩人》の使命以上に憎むようになった、とのこと。
 
『てゆーことなんで、ちはるお姉ちゃんとのお話しが終わってからって思ってたんだけど、いますぐこの子と闘ってくんないかなぁ』
『でも……』
『いーから、さっさと出てこいっ!』
 
 ここですわんは、思考を暗号秘匿[スクランブル]モードに切り替えた。
 もうゲンガとの思考会話は、まひるたちには認識できない。
『なにグズってんだよ、すわん』
『だって……ここであいつをやっつけるのって、結局まひるの思うツボなんでしょ』
『だがよ、たとえそうだとしても、オレたちゃ逃げるわけにゃいかねえだろ!』
『闘わないで、降伏する方法もあるって谷々が……』
『それで、どーなるってんだよ。ただ、猫君主[キティロード]の思い通りにしないために、バカ面さげて降参する奴があるか!』
『どーせ勝ったって……まひるの……』
『オイ、そんなハンパな気持ちでアイツと闘ったって、絶対[ぜってー]勝てないぞ!』
『そしたら……したら、まひるの計画もダメになるんじゃ』
『だからって、ワザと負けてくれるような相手じゃないだろが!』
 
 沈黙
 
『……えーい!うん、もーメンドくさい!わかった、いいよ、やる!』
 かなりヤケクソ入りながらも、すわんはふっきった。
『そうそう、難しい理屈は鯖斗がなんとかしてくれるさ!』
『おーけー!ほんじゃ、行こかぁ!』
 
 それはちょうど、ミキが一世一代の決断をすわんに告げる寸前のことであった。
 ミキとの会話は、あたりさわりのないことを適当に受け答えしていたので、実際になにをしゃべっているか、ほとんど自覚していない。
 だから、自分がミキに恋愛の話をふったのも、ほとんど無意識のことだった。
 
「そういえば、おミキって誰か好きな人っていますの?」
「そりゃもちろん、いるさっ」
 うわずった声で、必死に平静を装うミキ。
 普段のすわんなら、ミキのこういう姿を見れば、いくらなんでも異変に気づいたかもしれない。
「まあ?私の[わたくし]知ってる方ですの?」
  だが、いま彼女の関心は窓の外の少女にあったので、あくまでも他人ごととして、すわんは聞いた。
「その前に……すわ、ちょっと聞いていい?」
 
『そうそう、難しい理屈は鯖斗がなんとかしてくれるさ!』
『おーけー!ほんじゃ、行こかぁ!』
 すわんはちょうど、そう考えていた所だった。そのため、ミキの言葉に反応するのが一瞬遅れる。
 沈黙するすわんに構わず、ミキは話を切り出した。
 
「すわは、谷々君のことどう思う?」
 対するすわんの反応は、ミキが予想だにしなかったもの。
 それはなに気ない、一言。
 
「……え?鯖斗がどうかしたって?」
 
 ひゅうううううううぅぅぅうぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅ〜
 
 真夏の日、ミキの心に寒風が吹いた。
 谷々[たにや]君ではない、谷々でもない、鯖斗[さばと]君でもない、鯖斗。
 なにかに注意がそれた時の、ごくごく無意識下の言葉。
 そんな時のすわんの言葉こそが、偽りのない彼女の真実の声であることを、ミキは知っていた。
 
「ごめんなさい。ちょっといいかしら?」
 トイレに行くふりをして、すわんは席を立った。
 ミキは沈黙している。
 しばらくして、すわんと雌鹿[めじか]に変身した絵符F[エフエフ]との、かつてない激闘が開始されても、ミキは微動だにしない。商店街に浄気の白刃[はくじん]が吹き荒れ、ミキがすわるカウンター席の窓を斬り破って、すわんと絵符F[エフエフ]が脇を駆けぬけても、背後の窓をブチ抜いて商店街に平行に流れる中村川に水柱が上がっても、ミキは何も反応しない。
 それは常人には認識できない出来事であり、誰も二人の死闘に気づきはしなかなかった。
 だがもし仮に、人々がこの状況を認識できたとしても、パニックに陥る群集の中でただ一人、ミキだけは何の反応もしめさずに、じっと沈黙していたことだろう。
   それほどの、沈黙。
 
「おミキ、おまたせ。これ、食べて」
 そういって、すわんがホットドックとアイスティーを二つずつ、トレイに載せて戻ってきたとき、ミキはなにごともなかったかのように彼女を見た。
「おかえり……せんきゅっ」
 かすかに微笑みながら、ミキは応える。
「ふぅー……あ、そういえば、さっき聞きたいことがあるって言ってなかったかしら?」
 アイスティーにシロップを入れながら、急にそれだけを思い出して、すわんは聞く。
 ミキを沈黙させた一言は記憶にない。
「うん……まあ、その……どうやったらすわみたいに、上品にサンドを食べられるのかなって、思ってさ」
 目線を外しがちに、ミキはそう、返事をした。
「なあんだ、そんなことでしたの……簡単ですわ。まず、こうやって背筋をのばして……」
「ふん、ふん……」
 ミキは興味深げに、すわんの講釈を聞いている。
 
 結局四時すぎまでおしゃべりしていた二人は、横浜へは出ずに、そのまま家に帰ることにした。
 
十八

 
 夏休みが明けて九月、すわんはあまり親しくないクラスメートから、ミキがある大学生と交際している、という話を聞いた。
 






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