きせきのハオル

郁雄/吉武




 むかしむかし、征芭せばの国は紀美きみの城下町に、ライラク丸という、たいそう強いサムライがおった。
 齢二十なかば。見かけはボロをまとった食い詰め浪人だったが、その強さたるや、百戦あまりの真剣勝負にすべて勝ち、鬼や妖怪までも退治したという。それでも足りぬとはじめたのが、よろず助太刀。
 金品一切受け取らず、血涙けつるい尽きぬ民のため、信じた正義の命ずるままに、ライラク丸の剣が疾る。
 ──ちまたに名高き、正義屋ライラク──


   一/七

 その日、ライラク丸は紀美川の河原に構えられた、見せ物小屋に来ていた。
 『天女石てんにょいし』なる世にも希なる奇石を、十文で見せるという。
 無論、ライラク丸は物見遊山に来たわけではない。
 この『天女石』は、さる商家から盗まれたものであり、これを取り戻して欲しいと依頼されていたのだ。
 見せ物小屋の中は、見物人でごったがえしている。
 すえた臭いが鼻につく。
 くだんの『天女石』の前は、寸分の隙もない人垣だったが、いかなる業か、ライラク丸は鞘当てもなくスイスイと人垣を進んでいく。
「ほぅ、これは……」
 粗末な台の上に、上物の布が敷かれて鎮座する『天女石』はなるほど、裸の少女の姿をした等身大の石像だった。
 いかなる形質か、微妙に色を変える像の内部に、血筋や経絡とおぼしき筋まで見える。
 膝をつき、天を仰ぐような表情で鎮座する『天女石』は神々しくもあり、同時に命乞いをしているようでもあった。
 幾人かの見物人が熱心に手を合わせ、無数の賽銭が投げられているのも、なるほど得心が行く。
 見せ物としては、十分に満足できるものであったが、これが盗品となれば話は違う。
 家伝の宝物を無断で拝借するような悪人共を、のさばらせておくわけには行かぬ。
 ライラク丸に依頼が来る以上、正攻法で取り戻すのは困難であろう。
 さて、どうしたものかと思案していると、頭上から不穏な気配。
「皆、下がれぃ!」
 叫びながら両手を広げ、体重を背中にかけると、周囲の見物人が何事かと不満の声を上げる。構わず力を込め、周囲の人々がわずかに下がり始めた時、それは落ちてきた。
 爆音と共に、簡素な造りの屋根が崩れ落ち、『天女石』の前に降り立つ。
 舞い上がる塵が視界を奪い、怒号と悲鳴が混乱を加熱させる。
ン!」
 ライラク丸は、『天女石』の前にいる何かに向かって、刀を抜きざまに斬りつけた。
 その剣圧で、周囲に舞う塵が一気に吹き飛ぶ。
 ライラク丸は驚愕した。
 相手が尋常ならざる相手であることはわかっている。
 一瞬見えた異形の巨躯からして、およそ人ではあるまい。
 だが、このデカブツが、ライラク丸の抜刀を逃れるとは思わなかった。
 刃が届くよりも早く、そいつは再び跳躍して逃れている。
 『天女石』の姿はもうない。
 納刀のうとうしながら、吹き抜けになった空を見上げたが、長く暗い場所にいたために、目を細めてもまぶしいだけだった。
 見えぬならいっそ。
 ライラク丸は目を閉じたまま、気配だけを頼りに小屋の外へ飛び出した。
 逃げまどう人々の気配をさけながら、デカブツの気配……いや、妖気を追う。
 しばらく走っていると目が明るさに慣れてくる。
 視線の先に、ゴマ粒ほどの何かが跳ぶ姿が見えた。
 逃しはせぬ。
 視界が開けたことで、ライラク丸の脚がさらに早まる。
 その勢いに耐えられず、草履ぞうりの鼻緒が弾け飛んだが、構わず素足で疾駆した。


   二/七

 その夜、ライラク丸は紀美川にかかる橋の下で休んでいた。
 すぐ傍らには、大きく『正義屋』と墨書すみがきされたのぼりが、夜風にはためいている。
 あれから十里ほど追いかけたが、いかな健脚けんきゃくといえども、宙を跳ぶ者を森の中まで追いかけることはできない。
 気配は覚えたので、ひとまず戻ることにする。
「正義屋などと自惚うぬぼれた輩に頼んだのが、そもそも間違いだった。帰ってくれ!」
 『天女石』奪還を依頼された商家へ事の顛末を報告しに行くと、主にそうののしられた。
 相手は、盗人や見せ物小屋を仕切るヤクザ者ではない。
 あの人ならざるデカブツを相手にできるのは、おそらくライラク丸だけ。
 それが確信できるだけに、この物言いは理不尽極まりなかったが、理不尽な相手を正してやる義理もまた、一切なかった。
 こちらは無償の善意でやっているまでで、名声すら不要。失うものは何もない。
 それゆえ商家を後にして、そのままねぐらに戻ってきたのだ。
 ライラク丸は焚き火を前に、人々から差し入れられた飯を食らう。
 こういう商売をしていると、銭にはならぬが食うには困らない。
 『正義屋賛江』と一筆添えられた、竹の皮に包まれた握り飯を食べていると、一個だけ妙な臭いのするものがある。
 どうやら、毒が盛られているようだ。
 腹下し入りか。食えぬでもないな……。
 よくあることなので、気にせず口に放り込む。
 この程度の毒なら、気にする必要もない。
 食べきれない分は近所の顔見知りに振る舞うことにしているので、こういうハズレは自分で処分している。
 さて、そろそろ寝るかという時、近くの茂みに何者かが立っているのに気づく。
「すまぬが、余りはないぞ」
 飯をたかりに来た者に告げる口調だったが、その実、ライラク丸は物音を立てずに刀に手をかけていた。
 接近に気づかなかったことといい、人とも思えぬ気配といい、ただ者ではあるまい。
 おおまかな姿は人のようだが、背はあまり大きくなかった。
 火のついた木ぎれを気配のする方にかざす。
 ほのかな光に、着物を着た少女が浮かび上がった。
 年の頃は十二、三といった所か。
 背中まで伸びた長い髪が、腰の辺りで大きな紅い珠つきの髪飾りで留められていた。
 虚ろな瞳で、こちらを見つめている。
 ハテ、どこかで会ったことがあるような……そう考えてから、ライラク丸は昼間見た『天女石』を思い出す。
 この少女の顔立ちは、あれと瓜二つ。
 見たところ敵意はなく、仮にあったとしても対処できそうだ。
 相手の外見にではなく、剣士としての本能が、そう結論する。
「……ともかく用向きを聞こう」
 ライラク丸がそう言うと、少女はおとなしく従う。
 いつでも刀を抜けるよう、心づもりをしておく。
 焚き火を挟んで、ライラク丸の対面にちょこんと座った少女は、大きな紅い髪留めを両手で抱えながら、うつむき加減で淡々とと話しはじめる。
 見た目よりも大人びた声音だ。
「かの名高き、正義屋ライラク様とお見受けします。わたくしの名はハオル。お察しの通り、姿こそ人を真似ておりますが、人とは異なる者」
「その、人とは異なるハオル殿が、拙者に何用か」
「昼間、ライラク丸様は『天女石』なるものを御覧になられましたね。あれは、ただの奇石にあらず、我らが眷属が非業の死を遂げた姿にございます」
「するとそなたは、天女様であらせられるのか? ずいぶんと大きく出たな」
「左様です。わたくしはある者……人が言うところの、邪悪な妖怪に命を狙われております」
「その妖怪に殺されると、『天女石』にされてしまうから、拙者に用心棒を頼みたい……そんな所か」
 そう断言すると、少女は驚いた表情で、わずかに顔を上げる。
 瞬間、ライラク丸は少女の口元を見てあることを確信したが、そしらぬ顔で話を続けた。
「なに……拙者も人にあらざる者と関わることが、いささかあってな。おおよその察しはつく」
「ならば、わたくしめを邪悪な妖怪めからお守りくださいませ」
 少女の懇願に、ライラク丸は厳しい声で問う。
「そなた自身が、邪悪な妖怪ではないという証はあるのか。拙者は己が正義と信じることしかせぬ。正義屋ライラク、見返りは求めぬが、それだけは譲れぬぞ」
 ハオルと名乗る少女はしばらく逡巡したのち、袖をまくって腕を見せた。
「これを御覧ください」
 透き通るような白い肌。
 よく見ると、本当に透き通っており、内に血筋や経絡が走っている。
 さらによく見れば、腕の表面に無数の細かい亀裂が走っていた。
 いくらか距離はあったが、ライラク丸の研ぎ澄まされた感覚は、それを見逃さない。
 化粧や奇術、幻術や妖術の類でもない。
 まぎれもなく『天女石』の少女と同じ、異形の生きた腕だった。
「御覧のとおり、わたくしは『天女石』の原料でございます。わたくしを殺せば、その身はたちまち固まり、人の姿をした奇石と成り果てます」
「だが、昼間の『天女石』には、そのような亀裂はなかったぞ」
「それは、わたくしの寿命が尽きかけているからにございます」
「天女にも、寿命があるのか」
「左様です。まもなくわたくしの余命は尽き、塵も残さず砕け散る運命にございます。しかし、わたくしの余命あるうちに命を絶たれると『天女石』に成り果て、永遠に醜態をさらすこととあいなります。ライラク丸様、どうか、わたくしが安らかに天寿を全うし、『天女石』とならずにすむよう、ご助力下さいませ」
 ライラク丸は腕を組んで黙考したのち、言う。
「断る!」
「!?なぜにございます、ライラク丸様」
 声に動揺が見て取れたが、焚き火の向こうの少女は、うつむいたままだ。
「そなたの話……偽りとは思わぬ。おそらく昼間の奴が、邪悪な妖怪とやらなのであろう。奴ならば、相手にとって不足なし」
「ではなぜ……」
「しかぁし!」
 少女の言葉を遮って、ライラク丸は刀を抜き、大上段に振り上げながら叫ぶ。
「そなたは自ら語っておらぬ。そのような者に助太刀する正義を、拙者は持ち合わせておらぬわ!」
 そのまま一気に振り下ろす。
 少女は動けない。
 剣圧で一瞬、焚き火の炎が二つに割れる。
 それが戻るより早く剣を納めると、ライラク丸は一転、穏やかな口調でいう。
「……命が惜しいなら、己の言葉で頼むがいい」
 少女の手元で、大きな紅い珠の髪飾りが二つに割れた。
「ナぁ・ニぃ・オぉ……」
 ざらついた戸惑いの声を残し、饒舌じょうぜつな髪飾りが沈黙する。
 少女はしばらく放心していが、我に返ると、すくっと立ち上がった。
 豊かな長い髪が、左右に拡がる。
 両手を胸の前に組み、懇願こんがんした。
「た……たすけてっ!」
 さきほどまでの怜悧れいりな声ではなく、見かけ通りの少女の声が、はじめて少女自身の口から発せられた。
 ライラク丸は、いかつい顔に満面の笑顔を浮かべて言う。
「よかろう! ハオル殿、そなたの命尽きるまで、拙者がお守りしよう」
 人の世に、神仙とも天女とも妖怪変化とも呼ばれた眷属の少女……ハオルは、必死の形相でコクコクと首を縦にふる。
 それを満足そうに見つめるライラク丸。
 ハオルが本当は、何に対して助けを求めたのかなど、考えもしなかった。


   三/七

 紀美の城下町を離れて四日。
 裏街道を行く、ライラク丸とハオル。
 襲撃を避けるためというより、周囲に被害を出さないため、あえて人通りの少ない道を選んでいたものの、今日までに二度の襲撃があった。
 逃げることに専念していたが、追っ手が断念する気配は微塵もない。
 少女を連れているとはいえ、ライラク丸が全力で逃走しても、なぜか振り切ることが出来なかった。
 そして今、三度目の襲撃の真っ最中。
 崖を背にした古い神社の境内に、二人はいる。
 追っ手は妖怪変化ではなく、五人のゴロツキ風の男達。
 周囲を囲まれ、退路はない。
 ハオルは怯えた表情で、ライラク丸の後ろに隠れている。
 ゴロツキ達の一人が言う。
「おとなしくその……」
 みなまで言わせず、ライラク丸は一気に五歩の距離を詰め、無造作に両断する。
 ハオルを含め、残ったゴロツキ達が事態を把握した時には、ライラク丸は元いた位置に戻っていた。
 返り血を浴びることもなく、刀にも血はついていない。
 それだけで、ゴロツキ達を恐怖が支配した。
 ある者はガタガタと震えながら後ずさり、ある者は奇声を上げて走り出す。
 残る二人のうち一人が、駆け出しながら最後の一人に叫ぶ。
犬銃郎けんじゅうろうの旦那ァ……こいつぁ、何人束ンなっても勝ち目がねぇですぜ!」
 ゴロツキたちが走り去る中、犬銃郎と呼ばれた頭目とおぼしき男だけが、その場に踏みとどまる。
 鎖鎌を手にした隻眼の男。
「へへっ、さすがは正義屋。見事なモンだ」
 下卑た声でそう言いながら、左手を振り上げる。
 そこから放たれたのは、手裏剣。
 正確に、ライラク丸の心臓を狙っている。
 爆発などはせぬな……。
 瞬時に見極めて後、手裏剣を無造作に打ち落としながら、切っ先を犬銃郎に突きつけて言う。
 言葉を交わすのは初めてだ。
「おぬし、妖怪の気配が染みついておる。あるじの名を申せ」
 静かな物言いからでも伝わってくる、裂帛れっぱくの気合い。
 それをものともぜす、犬銃郎は答えた。
「はンっ、奴はそんな上等なモンじゃねぇ。しくじれば……」
 その言葉を遮るように、ゴロツキ達が逃げた先で、三つの絶叫がこだまする。
 声の主達は、死ぬこともできず、苦しみもがく声を上げ続けた。
 たまらずに、ハオルは耳をおさえてしゃがみ込む。
 遠くからでも、あの時と同じ気配が感じられた。
 犬銃郎が言葉を続ける。
「しくじれば、ああなっちまうから従ってるだけよ。正義屋、あんた滅法強ェが、奴……蟷螂斉とうろうさいには勝てねェ。大人しく娘を渡しな。運がよけりゃ、逃げ切れるかもしれねェ……ぜ!」
 言いながら、犬銃郎は手に持つ鎖鎌の先を突き出す。
 仕込み銃。それも火縄ではなく、火打ち石を使って発火させる、南蛮渡来の新式。
 見慣れぬ武器に対し、ライラク丸の反応が、一瞬遅れる。
 犬銃郎の目線と指の動き。そして銃口の位置から狙われているのは……ライラク丸のうしろでしゃがみ込む、ハオルだった。
 回避するのは容易だが……。
 ライラク丸は、避けぬ覚悟を決めた。
 引き金が引かれる。銃口から棒状の火焔かえんが吹き出し、鉛玉が撃ち出される瞬間が見えた。その時はじめて、ライラク丸に動揺が走る。鉛玉は、一発ではなかった。複数の鉛粒が、みるみる拡がりながら迫ってくる。刀で打ち落とすか、最悪でも急所を外して身体で受け止めようという心づもりだっただけに、この一撃は予想外。もはや食らうしかない……そう確信した時、それは起こった。
 突然、周囲が光に包まれたようになる。
 鉛粒はまだ、こちらに向かってきているが、ひどく遅い。
 命中する寸前、横に身をかわす。
 ねっとりとした水の中を動くような、風の感触。
 今までなら、絶対に回避できない距離だ。
 ハオルを目指して進む鉛粒の動きを見る。
 命中する八つの鉛粒だけを選別し、刀を突き出して軌道をそらす。
 鉛粒が刀身に命中するたび、ゆっくりと火花が散るさまが見えた。
 よく見ると、しゃがんだハオルの身体が輝いており、乱れた髪の中から数本の光る糸のようなものが伸びて、ライラク丸の背中に繋がっている。
 ふいに、その光る糸のようなものが溶け落ち、周囲に満ちた輝きが薄れたかと思った瞬間、ハオルの周囲に当たった鉛粒が地面をえぐり、命中するはずだった鉛粒は、あらぬ方向へはじけ飛んだ。
 犬銃郎は、ありえない動きに驚愕しつつも、鎌で追い打ちをかけようと踏み込んでいる。
 ライラク丸が、わずかに視線を向けた。
 犬銃郎の鎌を手にした右腕が、何の抵抗もなく斬れ飛ぶ。
「クッ!」
 傷口から鮮血が噴き出すより早く、犬銃郎は逃走を開始している。
 ライラク丸に両断されそうになる直前、何かに弾かれたように身をひるがえしたのが幸いした。
 それを追おうとして、ライラク丸は思いとどまる。
 ハオルを守るのが、今の役目だ。
「蟷螂斉か……犬銃郎とやら、そなたの主の名、しかと覚えておくぞ!」
 逃げ去る犬銃郎の背中に、言葉を投げかける。
 それにしても、さきほどの感覚は、一体……。
 生身で矢玉を見切るライラク丸ですら、あれほど速く動けた試しはない。
 いつの間にか、逃げた手下のうめき声は消えている。
「ハオル殿、怪我はござらぬか?」
 そういってライラク丸が振り返ると、ハオルはぐったりと地面に伏している。
 あわてて抱き起こすが、身体のあちこちから亀裂が生じ、パキパキと音を立てて砕けて行く。
 亀裂が増えるたび、ハオルは苦しげなうめき声を上げた。
 しばらくすると症状はおさまったが、以前よりも身体の亀裂が増えたように見える。
 静かに息をしはじめたハオルを、ライラク丸は苦々しく見ていた。
 いつしか、ゴロツキ達のうめき声が消えている。
 犬銃郎の断末魔の声は、ついに聞こえて来なかった。


   四/七

 その夜、ライラク丸とハオルは、人里はなれた山中にいた。
 夕方から雨が降り出したので、うまく木々が雨よけになる場所を探す。
 昼間襲われた場所から、かなり距離を取ったが、追跡を免れたとも思えない。
 むしろ夜こそ、襲撃の好機。
 ライラク丸は一層、気を引き締めて番をする。
 焚き火の前で、雨降る闇を睨むライラク丸に、ハオルが声をかけた。
「ライラク丸、ねないの?」
 ハオルが、もそもそと起き出してくる。
 心配げにのぞき込む少女に、ライラク丸は笑顔で応えた。
「大丈夫。拙者は、こういうのには慣れておるのでな」
 たしかにここ数日、ライラク丸は一睡もせずに警戒している。
 疲れがないといえば嘘になるが、ハオルを守るのに支障がないのも、また事実だった。
 なにかと命を狙われることが多いので、最低限の休息で疲れを取るのは慣れている。
「ハオル殿……」
 何かを言いかけて、ライラク丸は言いよどむ。
 焚き火の火に照らされたハオルの身体は、痛々しいまでに朽ちかけている。
 そんなライラク丸を、ハオルはきょとんと見ていたが、唐突に右腕を前に突きだし、指を三本立てる。
「あと、これだけだよ」
 ライラク丸は、しばらくその意味を考える。
 こういう時、あの喋る髪飾りを斬ってしまったのは失敗だなと思う。
 それ自体に命を宿しているわけではなく、単に遠方からの言葉を伝える道具のようだったので破壊してしまったが、本人とだと、どうにも話が通じない時があった。
 しばらく考えて、やっとそれらしき意味を思いつく。
「ひょっとして、あと三日……と言いたいのでござるか」
 ハオルはコクコクと首を縦にふる。
「そしたら、ハオルは消えちゃうから、ライラク丸は、たくさんねられるよ」
 つまり、あと三日の命ということか。
 その言葉の意味する重さに、ライラク丸は胸が潰れそうになる。
 かける言葉がみつからずにいると、無邪気にハオルは言う。
「ねぇ、もっと近くに行ってもいい?」
 ライラク丸が返事をする前に、ハオルの小さな背中が、ライラク丸の大きな背中に合わされる。
 背中合わせに座する二人。
 これなら、いざ抜刀する時も邪魔にはならないので、好きにさせておく。
 ハオルは何を語るでもなく、耳慣れぬ旋律を口ずさんでいた。
 嫌われるよりも、なつかれる方が心苦しい時もあるのだな……
 苦笑しつつも、ライラク丸は思いきって尋ねてみた。
「ハオル殿は、消えるのが恐くはないのでござるか」
 耳慣れぬ旋律が止み、ややあって答えが帰る。
「殺されちゃうよりは、へいき」
「己の運命を呪ったりはせぬのか」
「んっとね……我がケンゾクは、カミヨの昔よりこの地にあり、光もてショウじ、光もてチる。そのテンペンにムジンのシフクあれ……なの」
「それは、誰かの受け売りでござろう。ハオル殿自身は、どう思っておるのだ」
 やや沈黙があってから、ハオルがつぶやく。
「……ちょっぴり、消えたくなくなったな」
 ライラク丸は、しばらく意味を考えてみたたが、どうにも意図を計りかねて振り返ると、ハオルは小さな寝息を立てて眠っていた。
 不思議な心持ちで、ライラク丸は番を続ける。
 しとしとと、雨音だけが響き続けていた。


   五/七

 ハオルと出会ってから、七日目の朝がきた。
 ライラク丸は、廃屋の中から赤く腫らした目で周囲の森をうかがっている。
 ゴロツキ達の襲撃は何度かあったが、ライラク丸の実力を知った上でのものにしては、実にささやかな規模。
 あの日以来、犬銃郎はまったく姿を見せていない。
 うまく逃げ延びたのか、離れた場所で指揮をしているのか。
 ともかく手下を捨て駒にして、ライラク丸を疲弊させようというのが意図であろう。
 あるいは単に、なぶり殺しにするのを楽しんでいるのかもしれぬが。
 最後の時を迎えるにあたり、ハオルにどこが適当な場所はないかと尋ねたが、心当たりはないという。
 ハオルの眷属は、その寿命が近づくと、早々に死んだものとして放逐されるのだとか。
 むごい話だが、ライラク丸がとやかく言えることではない。
 ともかく、安全ではなくても、安心して戦える場所が必要になる。
 そこでライラク丸は、樹海の深部にある、うち棄てられた村を選んだ。
 いずれ森に飲まれてしまうだろうが、今はいくつかの家屋が形を留めている。
 二人はその一軒で夜を明かし、来る襲撃に備えた。
 ハオルはいろりの前に座って、ライラク丸を見ている。
 ここ数日で、常にライラク丸を視線で追うようになっていた。
 それが、どういう意味を持っているかにも気づいている。
 全身くまなく亀裂が走り、今にも砕け落ちそうだったが、ゆっくりとなら、まだ動くことができる。
 痛みはないものの、動くたびに身体がきしむ音がするのが、不快この上ない。
 漏刻ろうこくの水が絶えるように、命が尽きようとしているのが感じられた。
 ハオルは小さく頭を振ってから、部屋を見まわす。
 廃屋だが、元は立派な屋敷のようだった。
 うち棄てられていた割に、それほど痛んではいない。
 土壁の一角に、墨で書かれた落書きがあった。
 低い位置にあるので、ハオルかそれより小さな子供が書いたのだろう。
 いびつな筆致で『豪放磊落ごうほうらいらく』とあったが、ハオルには読めなかい。
「あれ、なんてかいてあるの?」
 ライラク丸は、問われた先にちらりと視線をやってから、言う。
「大胆かつほがらかで、些細なことにはとらわれぬ、という意味でござるよ」
 読みではなく意味だけ告げると、ライラク丸は警戒を続けた。
 ハオルは小首をかしげる。
「ふぅん。ライラク丸のことみたいだね」
「……そうでござるか」
 微動だにせず、ただ返事だけをした、その時。
 殺気。
 惜しげもなく放たれた膨大な殺意。
 ライラク丸は走る。
 目指すは、いろり端のハオル。
 天井を貫いて、巨大な何かが落ちてくる。
 七日前の見せ物小屋の時と同じ、何かが。
 それが地に降りるより早く、ライラク丸はハオルを抱えて跳ぶ。
「あうっ!」
 床に転がる衝撃で、ハオルの左腕が砕け散った。
 一瞬後に、巨大な何かが巻き上げた砂埃が周囲を包む。
 ライラク丸は、ハオルを可能な限りそっと床に寝かすと、見えぬ何かに走り込み、居合で斬りつける。
 その一閃で、廃屋の屋根がバラバラに吹き飛んだ。
 砕けた材木や瓦は、すべて敷地の外に散っている。
 剣圧で塵が晴れた場所にはしかし、人も妖怪の姿もない。
 ただ、巨大な鎌の形をした、赤黒い腕のようなものが落ちているだけ。
 逃げられたか。手応えはあったがな……。
 気配が樹海の中に消えていくのが感じられる。
 ほかには誰もいないようだ。
「ハオル殿!」
 ライラク丸が駆け寄ると、ハオルは目に涙をため、声を殺して耐えている。
 ハオルの依頼は、みずからの安らかな死。
 この調子では、それすらも困難な目標だが、最良の結末に納得しているわけではない。
 常に襲われる危険よりも、その心労がライラク丸の心を疲弊させていた。
 だが、人ならざる者の倒し方は知っているが、救い方など見当もつかぬ。
 無用な感傷は動きを鈍らせると知りつつも、ライラク丸が思い悩んでいると、ハオルの身体が淡く輝く。
 直後、ハオルの砕けた左肩から白い糸のようなものが吹き出し、さきほど斬った化け物の腕に巻きつき、引き寄せる。
 ライラク丸にとっても一瞬の間に、ハオルの左腕が復元した。
 ただし、新しい腕は赤黒く濁っている。
 ハオルは苦しみから解放されたようで、しばらくすると、むくりと起きあがった。
 怯えるような視線で、新しい腕を見ている。
 依然として、左腕をのぞくハオルの全身には、無数の亀裂が生じ続けていた。
 ライラク丸は言う。
「ハオル殿……もしや蟷螂斉とやらを倒せば、ハオル殿を救うことができるのでは」
 対するハオルは、頭を抱えて激しく首を振る。
「ダメ! ……そんなことしちゃダメなの!」
「なにゆえでござる! 現にこうして、左腕が……」
「ダメだよ……そんなことしたら、ハオルも化け物になっちゃう。ライラク丸に退治されちゃうよ!」
「な……」
 そんなことはないと即答しようとして、断言できないことに気づく。
 何であれ、不当に他者を害するものを、ライラク丸の正義が許しはしない。
 これまでも、そしてこれからも、生き方を変えるつもりはなかった。
 重い沈黙が流れる中、樹海の中からふたたび、あの巨大な殺気が近づいてくる。
 ライラク丸は、その膨大な殺意に救われたような気がしていた。


   六/七

 朽ちた村のまわりは、犬銃郎に率いられた数十人のゴロツキ達に囲まれている。
 みな恐怖に怯えながら、かといって逃げることもできずに武器を構えていた。
 右腕を断たれた犬銃郎は、かわりに鎌のついた義手をつけている。
 だが、問題はそこではない。
 あたりに充満する、人ならざる気配。
 その主こそが、諸悪の根元。
 奴さえ倒してしまえば、この連中も、そしてハオルも……。
 ライラク丸は、広場の中央でハオルをかばいながら周囲を睨み付けている。
 人相手なら、同時に何人来ようが負けはしない。
 と、正面に立つ犬銃郎の背後から、右手に杖を持った人物が歩み出た。
 背の高い細身の老人で、肩から先の左腕がない。
 老人は、低いしゃがれ声で言う。
「この姿では初めてまみえるな、正義屋ライラク」
「おぬしが蟷螂斉でござるか」
「いかに……」
 みなまで言わせず砂塵が舞う。
 ハオルの姿が砂煙のなかに隠れた。
 一拍置いて、「ン!」という声がすると同時に、犬銃郎が突風に吹き飛ばされる。
 その時すでに、ライラク丸は敵の眼前に迫っていた。
 蟷螂斉は右腕だけで杖に仕込まれた刀を抜き放ち、身構えていたが、かまわず無銘の愛刀を横薙ぎにし、返す刃で垂直に斬る。
 ライラク丸は、十文字に弾け飛んだ蟷螂斉の内を抜け、停止ざま反転、ハオルの元に駆け戻ろうとした。
 が、その時すでに、ハオルの周囲には数十人のゴロツキがおり、今まさに飛びかかっている真っ最中。
 並の人ではありえぬ速さに疑問を持つ余裕もなく、ライラク丸は駆ける。
 そこに犬銃郎が立ちふさがった。
 ハオルの身体が、無数に覆い被さるゴロツキ達に隠れる。
 気配はあるので、死んではい。
 焦りながらも、ライラク丸は言う。
「退け! 蟷螂斉は倒した。もはや戦う理由はないはずだ!」
「ンぬ、うべぅ……」
 犬銃郎は、笑いとも恐怖ともつかない表情で鎌のついた義手を構えると、みずからの胸に突き立て、えぐった。
 鮮血が吹き出す肉の中から何かが光った瞬間、犬銃郎の義手が弾け、そこから無数の赤い糸が宙を舞い、背後のゴロツキたちに吸い込まれていく。
 義手を失った犬銃郎の身体が崩れ、ゴロツキ達の身体が溶ける。
 ライラク丸は、犬銃郎を両断したが、その程度で何が変わるわけでもない。
 死臭と腐臭をまき散らしながら、巨大な殺気の正体が姿を現す。
 それは紛れもない、両腕に巨大な鎌を持ち、カマキリを思わせるあの化け物、真なる蟷螂斉だった。
 全身が血のように赤黒く、胸の中に、天を仰ぐ少女が取り込まれている。
 一瞬、ハオルかと思ったが、そうではない。
 それは見せ物小屋で奪われた『天女石』となり果てた少女だった。
 ハオルは蟷螂斉の足元に倒れている。
 淡く、身体が輝いていた。
 それがハオル自身の命の輝きであることが、今のライラク丸にはわかる。
 生きてはいるが、全身の亀裂が見る間に増えていく。
 蟷螂斉が、わずかに動いた。
 弾かれたように、ライラク丸は斬りつけると見せかけ、横に跳んでハオルの側へ寄ると見せかけ、測方から斬り上げる。
 巨大な鎌が動き、それを受けたが刃に切り落とされた。
 直後、蟷螂斉に取り込まれた『天女石』が輝き、切り落とされた部位が修復される。
 ライラク丸は、ハオルをかばうように立つ。
「ハオル殿、その鎌で!」
 倒れたハオルが、うっすらと目を開けると、その先に斬り落とされた蟷螂斉の鎌がある。
 自然にハオルの右腕から、白い糸のようなものが伸びかかった。
「ダメぇっ!」
 その叫びで糸が退き、ハオルはよろよろと半身を起こす。
「今は生き延びることが先決! あとのことは……」
 蟷螂斉が、嗤う。
ゆるいな……」
 鎌を振り上げ、ゆっくりとハオルの頭上目がけて落とす。
 ライラク丸が間に入った。
 また斬り落とそうと構えると、赤黒い鎌の中から小さな鎌が生え、さらにその小さな鎌と、次々に生えてくる。
 一閃して数十の小鎌を斬っても、それより多くの鎌が生え続けた。
 もはや、ハオルを抱きかかえて逃げることもできない。
 それでもライラク丸は、飽くなき執念で鎌を斬りつづける。
 やがて、斬りそこなった鎌が、ライラク丸の身体をえぐりはじめた。
 ハオルは恐怖のあまり目を閉じることもできず、それを見ている。
 ライラク丸の血が、小雨のように降りかかってきた。
 死んでほしくない。
 命がけで守ってくれるライラク丸に、死んでほしくない。
 生きて……。
「大好きだよ……」
 ハオルは小さくつぶやくと、斬り落とされた蟷螂斉の鎌を見た。
 右腕から糸が伸び、それを捉える。
 赤黒い鎌が瞬時に吸収され、ハオルの身体がいくぶん赤黒く染まると同時に、全身の傷が消えた。
 輝き放つ。
 その時、無数の鎌に蹂躙されつつあったライラク丸は、周囲が光に包まれているのに気づく。
 以前にも感じたあの感覚。
 刃を一閃すると、これまでの数十倍の鎌が消え、新しく生えるよりも早く次の一閃が舞う。
 蟷螂斉の胸にある『天女石』に、わずかな亀裂が生じる。
 たまらずに、蟷螂斉は鎌を引いて距離を取った。
 ライラク丸は、荒く息をつきながら剣を構え直す。
「残念であったな」
 蟷螂斉は、両の鎌を下ろしながら言う。
「なんだと?」
「娘を見よ」
 その言葉で、ライラク丸はハタと気づいた。
 敵前であることを無視して背後を見る。
 無数の輝く糸のようなものがライラク丸の背中に繋がれており、左腕が赤黒く染まった『天女石』の頭髪と結ばれていた。
 『天女石』は見上げる姿で、幸せそうに微笑んでいる。
「ハ……」
 声もなく立ちつくすライラク丸に、蟷螂斉は喜悦の声をあげる。
「愉快なり。その娘は貴様を救うため、最後の命を放ったのだ。ただ死ぬことしか考えぬ愚者の末路よ。生きる意思なき者は、大人しく我が力となっておればよいのだ……守るに値せぬ者を相手に、ご苦労であったな」
 ライラク丸は動かない。
 怒りに燃えるでもなく、悲しみに暮れるでもなく。
 蟷螂斉の独白が続く。
「さて正義屋ライラク。最早この勝負に意味はない……が、続けても構わぬぞ。復讐の刃を我に突き立てるも良し、望むなら我が配下になるも良し。あるいは、石を置いて立ち去っても構わぬ。そなたの強さは、末路を選ぶに値する。人の身にて驚嘆すべき、生きる意思よ!」
 蟷螂斉は返答を待った。
 それに応えるように、ライラク丸はゆっくりと歩み出る。
 光る糸が少しずつ、溶けるように消えて行く。
 すべての糸が断ち消えた頃、ライラク丸は言った。
「ハオル殿を愚かだというのか……」
「他の命を喰らってでも生きる。それが命というものだ」
「罪なき者の命を弄ぶ貴様が、命を語るか……」
「命に正義も悪もない。ただ生きるか死ぬかだ。自ら生きる意思を放棄する者を、我は決して認めぬ。正義屋……立場は違えど、貴様もそう考えていたのではないのか?」
 しばしの沈黙の後、ライラク丸は返答する。
「いかにも、ハオル殿は愚かだったやもしれぬ……」
「わっはっはっ。認めるか! 認めるのだな!?……これまた見下げ果てた正義漢よ!」
「だからどうした……」
「どうしただ……と?」
 そう問い返してから、蟷螂斉はライラク丸の異変に気づく。
 炯々[けいけい]とした眼光。
 今までの比ではなく、みなぎり溢れる殺気。
 人の器をはるかに凌駕するこの者が、さらなる力を意思に込めている。
 ライラク丸は言う。
「蟷螂斉よ……ハオル殿の生き様が、拙者やおぬしのことわりと異なるからといって、何だというのだ」
 そして愛刀を正面に構え直し、高々と宣言した。
「ハオル殿の想いに活かされた拙者は今、最高に強まっておるぞ!」
 ライラク丸の言霊が樹海に轟き渡る。
 蟷螂斉は、おのれの身体がわずかに後ずさるのを感じた。
 恐怖しているというのか……人ごときに。
「至楽は楽しみ無し、か……」
 蟷螂斉は、両の鎌を振り上げて威嚇する。
 ようやく、全力をもって倒すに値する相手が出現したことに、喜び打ち震えながら。


   七/七

 その日の夕刻。
 死闘はついに決着した。
 倒壊した家屋、なぎ倒された樹木、えぐれた地面が、戦いの軌跡を示す。
 体内の『天女石』が砕け散り、溶け落ちていく蟷螂斉の骸を背に、ライラク丸はかつてハオルだった『天女石』を見ている。
 何か言いたかったがはずだが、何も言葉が出てこなかった。
 もしかしたら望む通り、満足な死だったのかもしれない。
 『天女石』に刻まれた至福の表情を見ると、そうとも思える。
 だが、真意は永遠にわからない。
 ライラク丸は、極限に耐え、ボロボロに歯こぼれた愛刀を振り上げる。
 わずかに逡巡した後、軽く振り下ろす。
 『天女石』と愛刀が、同時に砕け散った。
 破片はさらなる破片を生みながら、細かい塵となって黄昏の陽光に消えていく。
 これで、奇石として人に珍重されることも、奇跡の源として妖怪に利用されることもない、死者の列に連なりし鬼籍のハオルとなったのだ。
 ライラク丸は、村の裏手の墓地にハオルの墓を造り、翌朝、かつての生まれ故郷を後にする。
 その後もライラク丸は正義屋を続け、みずからの信じる正義を貫いたが、その活躍が後代に伝えられることはなかった。
 今は知る者とてない、むかしむかしの物語。
 めでたしめでたし。



著者・郁雄いくお/吉武よしたけ
info@astronaut.jp
http://www.astronaut.jp/
著作・2003 HDC / Astronaut
禁無断転載