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S.S.Princess
── その五、みなとみらい、からすの決着 ──
★ Illustration Top:05 ★


 
 翌朝、王鳥家の台所。
 すわんとまひるの母である王鳥あずさが、お気に入りのアニメのエンディングテーマを口ずさみながら、家族分の弁当と、朝食の支度をしている。
 王鳥家では、家事は家族全員で負担することになっており、今日はあずさの当番というわけなのだ。
 お弁当に関しては、その日の朝食当番の都合や気分で決まるので、あったりなかったりということになる。あずさは自分が当番で、かつ定時出社のときは必ずお弁当を作ってくれるので、みんな彼女が朝食当番の日を楽しみにしていた。
 そのかたわらでは娘のすわんが、朝食用の食器をテキパキとならべている。
 結局、昨日のいざこざのせいで眠りが浅く、早く目が覚めてしまったので、あずさの手伝いをしているのだ。
「すわちゃあ〜ん。たまご四つ、割っといてちょ〜だ〜い」
 あいかわらずのイントネーションでいいながら、あずさは四人分の弁当箱に、きのうの残り物や冷凍食品、おしんこ、つくだに、それと簡単な炒め物やあえ物を、それぞれの栄養バランスや、趣味にあわせて盛りつけていく。
「はーい、わかりました、お母様」
 すわんは冷蔵庫から、たまごを四つ取り出して、慣れた手つきで陶器の器にカパカパと落とす。
 多重存在体[イグジスト]の力が宿り、ふだんでも常人を遥かに超える腕力をもっているすわんであるが、たまごを割る、といった繊細な動作をするときは、自動的に力が抑えられるので、特に加減をする必要はない。その一方で本気になれば、手のひらにはさんだ五百円玉を、両手の圧力で押し延ばす(違法行為なので真似しないように)ことだってできるのだ。腕力があるからといって、あたりかまわず周囲の物を破壊しまくっていては大変である。
 あずさは器に開けた、四つ分のたまごをすわんから受け取ると、それをあらかじめ、ベーコン、ゆでたホウレン草の順番で炒めているフライパンに流し込む。ぷくりと盛りあがる黄身を、四等分できる位置にそろえ、塩、コショウ、バジルを加え、そのまましばらく置いてから、最後にコップ一杯の水を加えてすばやくフタをして蒸す。香ばしいにおいが、キッチンから家中にながれていく。
 あずさ特製、スピナッツエッグのでき上がりである。
 さりげないテクニックとして、四つの黄身の位置と、火加減を微妙にかえることで、それぞれの好みの固さに焼き上げられている。ちなみに固焼き派はすわんとあずさ、半熟派はまひると父、飛翔。
 そのできばえに満足しているあずさの横で、すわんは四つのマグカップに牛乳を注ぎ、電子レンジに入れた。全員が起きてから、加熱することになっている。
 朝食の準備が一段落つくと、あずさは再びお弁当に取りかかった。いま、彼女が作っているのはまひるの分で、ごはんの上に、煎りたまごで、プリンねこを描いている。
 グリンピースの目玉を入れて、完成。
 
 口ずさむ歌は、『十一月のマンボ船長』とあずさが呼ぶモノに変わっていた。同じアニメの挿入歌で、正式なタイトルではないらしい。
 
 となりでは、すでに完成した、あずさと父、飛翔のお弁当が湯気を上げて、なかよく二つで一つのハートマークを描きながら、さめるのを待っている。
 最後にあずさは、すわんのトーストサンドに取りかかった。すわんとしては、別にごはん物でもかまわないのだが、あずさはあくまでも、それぞれの好みにあわせる主義。
 まひるのプリンねことおなじ、電子レンジで作ったノンオイルの煎りたまごをマヨネーズであえて、すわんの好物のタマゴサンドを作る。他にもポテトサラダやハムをはさんだサンドを作り、最後にチーズとジャムをはさんだものにとりかかった。
 そこで、あずさはなにやらウンウンうなっていたが、やがてすわんに声をかける。
「すわちゃぁ〜ん。コレ、ちょっとあけてぇ〜」
 そういいながら、輸入モノらしい、外国語のラベルが貼られたでっかいブルーベリージャムのビンをすわんに見せる。
「はい……やってみますわ」
 ジャムのビンを受け取ると、ちょっと力を込めてフタをまわそうとする。
 たしかにカタい。
 フタが大きすぎて、力がかかりにくいというのもあったが、やっぱりフタ自体が異常にカタい。
 ちょっと気合を入れる必要があるな……そう思ったすわんは、多少、強めに力を加える。
 ぐばしゃ、という音をたてて、ビンが砕け、フタがつぶれた。
 強すぎ。






 濃い紫色のべとべとが、あたりに飛び散る。
 もちろん、ビンを握りつぶしたすわんの両手は無傷。
『あちゃぁー』
 彼女は外見的に冷静のまま、内心しまったと思いながら、反射的に眼をとじる。
 
 次の瞬間、眼をひらくと、すわんは砕けていない、ジャムのビンをもっていた。
 
「ふぁ〜おはよぉ〜」
 まひるが、ボサボサ髪をぼりぼり掻きながら、台所に顔を出す。
「まぃるちゃん、おっはよっ!」
 なにごともなかったかのような、あずさ。
「!?……お、おはよ、まひる」
 そういいながら、すわんは声には出さず、まひるに聞く。
『いまの、まひるが直してくれたの?』
『ううん〜まひるじゃないよぉ。おね〜ちゃんが、自分で直したんじゃない〜?』
『そんな……わたしにそんな力が?』
『そ〜ゆ〜つかい方も、できるってことだよ〜』
 ネボケた意識を伝達しながら、まひるは洗面所のほうへ行ってしまう。
 
「すわちゃぁ〜ん。ジャムぅ〜」
「あ、はい、いま開けます」
 こんどは注意して、力を込める。
 ガキッという音がしてから、しゅぽっとフタがあく。
 フタの一部がささくれて、ビンに食い込んでいたようだ。
「ありがとぉねぇ〜」
 あずさはうれしそうに、ジャムのビンを受け取り、パンに塗りはじめる。
 すわんはなんだか呆然としながら、朝食用のパンを、トースターに入れていた。だから、しばらくのあいだ、あずさが口もとのホクロを右手の小指でぽりぽり掻きながら、不思議そうな顔で、すわんを見ていたことに気づかなかったのである。
 
 しばらくして、あずさは新たに、アニメの主題歌のある一節から口ずさみはじめた。
 心の唄であるエンディング以外はうろおぼえなので、歌詞はちょっとアヤシイ。
「どっこっが、もっんっだっいっかっ、当ってってみてぇ〜よ♪」
 もうすぐ、王鳥家の朝食が始まる。
 

 
「おミキ、どうして……水泳部、やめてしまったの?」
 そうたずねられたミキは、笑ってこう、答える。
「一身上の都合、ってやつでさ……もういいの。すわにも相談しようと思ったんだけど、いろいろあって……ゴメン、急に決めちゃって、心配かけたね」
 ミキは、さらりと言ってのけた。
「別にそれは、かわわないけど……」
 水泳に対する彼女の思いいれをを知っているすわんには、どうにも信じられない。
 昼、教室で昼食をとる二人。
 すわんはあずさ特製のトーストサンド。ミキは購買で買ったやきそばパンとおにぎり。
 きっちりカロリー計算した食事をしていたはずのミキが、できあいの物を平然とパクついている。
 それがすでに、変だ。
 ミキは話題を変えて、昨日やってたテレビドラマの話をはじめた。
 
「千春御先輩……少し、よろしいでしょうか?」
 食事がすんで、まったりした時間をすごしていた二人の前に、一年生らしい少女が立っている。
 たしか、水泳部で見かけたことがある。
 おそらく、ミキの退部について聞きたいのだろう。
 ……ということは、水泳部内でも突然のことだったのか?
 対するミキの態度は、別に動揺するでもなく、静かに反応する。
「いいよ……どうぞ」
「いえ、あの……ここではちょっと」
 教室に残っている生徒達が、いっせいに彼女に注目していた。
「わたしは、気にしないから……わたしのことでしょ?」
 さも平然と、ミキはいう。
 そこで少女は、しぶしぶミキに聞いた。本当に水泳部をやめたのか?理由はなんなのか?と。
 ミキは、にっこり笑う。
「一身上の都合、ってやつでさ……もういいの。みんなにも相談しようと思ったんだけど、いろいろあって……ゴメン、急に決めちゃって、心配かけたね」
 
 それからしばらく、ミキはその質問をされるたびに、まったくおなじ内容の返事を、まったくおなじ調子でしゃべっていた。
 

 
 山際からすには、理解できない。
 なぜ、まひるがこうも、ベタベタしてくるのか。
 たしかに、まひると一緒にあそぶのは楽しい。
 退屈しない、少女ではある。
 
『山際 、おまえ王鳥まひると、ガキのころからつき合ってるんだろ?てことは、王鳥すわんも幼なじみってことだよな。な、今度、紹介してくれよ』
 中学生になってから、そう何度も聞かれた。
「オマエら、どこまで行ってんだよ?」
 だが正直いって、からすには、いまいちピンとこないのである。
 彼にも年頃の少年が迎える、肉体的、精神的な変化はおとずれていた。
 ワル仲間に、その種の本やビデオを見せてもらったこともある。
 だから、知識としてはどういうことか、理解してはいるつもりなのだが、それを身近な人間にあてはめて考えることが、どうしてもできなかった。
 このあいだ、ついうっかり、昔すわんやまひると一緒の風呂にはいったことがある、なんて話をしてしまったばかりに、クラス中で変態あつかいされたことがある。
 小学校にも上がる前のことで、とやかく言われるのは、納得できない。
 以前なら、気楽に話ができたはずのすわんとは、ここ数ヶ月、ロクに口もきいていない。
 まひるだけが、以前とかわらず、からすに話しかけてくる。
 それ自体が、うっとうしいわけではないのだが、無邪気にじゃれついてくる、まひるのことでからかわれるのは、いちいちムカついた。
 いっそ、まひるはオレの彼女だ!とでも宣言すればいいのだろうが、では具体的に、どうすればいいのかとなると、さっぱりイメージがわかないのである。
 そもそも、自分は、まひるを異性として好きなのか?それすらもわからない。
 一緒にいて、楽しいのはたしかだが、それはガキの頃からつるんでるせいではないだろうか。
 友達とか、兄妹みたいなものといわれれば、その通りだと思うのだが、それを恋人、などという得体のしれないものにすべきなのか、判断しようがなかった。
 こういう時、昔ならすわんに相談したものだが、最近は、いざ話をしようとすると、彼女はしどろもどろになるばかりで、ちっとも会話にならない。
 それどころが、彼女は、となりのクラスの谷々とかいうヤツとつきあっているという、もっぱらの評判である。
 ……べつに、すわんが誰とつき合おうが、知ったこっちゃないが、この間まで、一緒に遊んでいたヤツが、赤の他人のようになってしまうのは、ま、そーゆーモンなのか、と思いつつも、ちょっと寂しい気もした。
 なにかにつけて、すわんはおしとやかだ、美人だ、という言葉を耳にするが、それだって、彼にはピンとこない。
 そりゃ、確かにフツーの奴よりは大人っぽいし、ニキビはないし、バカ丁寧だとは思うが、昔から彼女を知っている自分からすれば、笑うし、怒るし、メシも食う、便所にだって行くヤツなのだ。
 カッとなりやすいし、あわてるとすぐ、上品な言葉づかいをわすれてしまう。
 すわんを美化する連中は、そーゆーことを知ってていってるのだろうか?
 見てて楽しいヤツだとは思うし、お人好しで要領の悪いすわんが、ガンバっているのを見ると、つい応援したくなるのは事実だが、世間の評価が正しいとは、とても思えない。
 うわべだけのイメージですわんを判断して、それで勝手に騒いでいるだけなのだ。
 相手を、本当に理解してそれから判断しなければ、好きになったとは言えないのではないか?すわんのことも、まひるのことも……
 だが、理解するにゃ、どーすりゃいンだよ、オイ。
 
「どしたの……?」
 ふいに、まひるがのぞき込んできた。
「……なんでもねぇよ」
 からすは、思った以上に愛想のない口をきいてしまった自分にとまどう。
 日曜日の夕方、近所の公園のベンチ。
 すぐ横の高架上を、柏葉駅に停車するためにスピードを落とした電車が、ゆっくりと通りすぎる。
 横浜近郊のアミューズメントパークに、二人で出かけた帰りである。
 意味もなく、ぶすっとしているからすに、まひるは笑いかけた。
「きょうは、たのしかったね……」
 たしかに、楽しかった。
 しかし今、まひるが期待しているのは、そんな返事ではない気がする。
「まひる……」
 そういってから、からすは自分がどうすべきなのか、途方にくれた。
「なに?」
 そういうまひるの表情は、あたりが急速に暗くなってきたのでよくわからないが、すこし緊張しているようにも見える。
 
 居心地のわるい、時間が流れ……
 
「……そろそろ、帰ろうぜ」
 沈黙をやぶるため、からすは無理に明るい口調でいう。
 まひるはしばらく、ぽかんとこちらを見ている。
「……うん……そだね」
 ぽつりとそういうと、自分から先に立ちあがり、歩き出す。
 
 なんだか、まひるがガッカリしたように見えるのは、気のせいに決まっている。
 無理矢理自分を納得させると、からすも立ちあがった。
「ねえ、からすお兄ちゃん!」
 まひるがくるりと振り返り、こちらを見る。
 いつもの、元気なまひる。
「な、なんだよ?」
 多少、動揺しつつも、からすは普段通り応えた。
「また、どっか連れてってよ!」
 まひるは、いつどこへ、連れていけとは言わない。
 なぜ、からすにつきまとうのか、その理由も言おうとしない。
 それは、いつものこと。
 だから、からすもいつものように、こう答えた。
「ああ、また連れてってやるぜ」
 
 そしてからすは意識をうしなう。
 つぎに気づいたとき、彼はまひるを彼女の家まで送ったという記憶をもって、自宅の前に立っている。
 そんなことがここ数ヶ月、毎週のように行われていた。
 

 
 狩人名[ハンターコール]N篠遊園[エヌシノユウエン]こと寝深戸勝[ねぶかどまさる](四十一歳男、歴史教師)はひとり、放課後の社会科資料室にたたずんでいる。
 小テストの採点を終えて、一休みというところ。
 寝深戸は、タバコを吸わない。
 結婚したのをきっかけに、キッパリやめている。
 病で妻をなくした今も、彼は禁煙をつづけていた。
 一人娘は来年、大学への進学を希望している。
 自分とおなじ、教師の道へ。
 娘の、希望に燃えた瞳がまぶしい。
 彼女がいずれ、[]びたつであろうこの世界を、根本から変革するために寝深戸は活動している。
 
 N篠遊園[エヌシノユウエン]はライオンを半憑依させてはいるものの、戦闘能力はほとんどない。
 ライオンが百獣の王というのは、人間が勝手に造ったイメージであり、草原[サバンナ]のハンターとしては、二流なのだ。ハイエナが捕らえた獲物の食べ残しを、ライオンがあさるという、イメージと正反対のことすらあるという。ライオンだから強い、ということではないのだ。無論、本物のライオンが温厚で無力な生き物、というわけではないが。
 
 猫君主[キティロード]を封建社会の絶対君主とするなら、N篠遊園[エヌシノユウエン]宰相[さいしょう]の地位にあった。猫君主[キティロード]のビジョンを具体化し、より明確なものに煮つめ、実行する。完璧、とはいえないが、自分の力が《猫と狩人》の発展に貢献しているという自負もあった。
 だが現在、N篠遊園[エヌシノユウエン]は、《猫と狩人》の宰相的な仕事の任を解かれ、新たな使命、つまり、完全勝利後の世界変更計画の具体案作成に専念している。
 彼の代理は猫君主[キティロード]が兼任する形で努めていたが、ことここに至って、N篠遊園[エヌシノユウエン]が解決すべき問題はのこっていない。もはや、いつ決戦を行うかを決断するだけなのだ。
 数日中に、結論がでるだろう。
 
 N篠遊園[エヌシノユウエン]はいま、変革後の世界の人口が五分の一になるという状況が実現する上の問題として、《猫と狩人》の縁者を特例として、優先的に存在を継続させるべきか?ということを検討している。
 地球環境を直接的に維持管理するための人類は、せいぜい十億もいればいい。それ以上は資源の浪費が多すぎて、恒久的なリサイクル環境の構築が困難になってしまうのだ。だが、誰を残し、誰を消滅させるかということになると、感情論がからむ問題になる。
 
 不特定多数の人間をまびくことは、社会システムを維持する上で問題があるのか?といわれると、実は問題ない。物理的に人間を消去するのではなく、はじめから十億程度の人口で、かつ不必要な環境破壊をせずに、現在と同程度の科学レベルをもった社会が、存在していたことにする[ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ]のである。
 その世界では、人間の活動効率がはるかに高い。変革が行われた時点で、自動的に社会を維持するための仕事が割りふられるのだ。たとえば、現在はホームレスをやっている人間が、新たな世界の住人として選ばれた場合、なにか社会の維持に必要な仕事を割り当てられる。だからもしかすると、原子炉の維持管理技術者をやっているのかもしれないのだ。もちろんその場合は、仕事をこなせるだけの教育を受けてきた、ことになっているので、本人がとまどうことはない。犯罪や貧困、戦争がまったくないわけではないが、全体として、現在よりもひずみの少ない社会が実現するはずである。
 だだし、これは世界の枠組を変える変革であり、人間の本質を変えるものではない。勉強しなくてもいいわけではないし、働かなくていいわけでもない。黙って口を開けていれば、自動的に食べものが放り込まれるような、進歩のないSF的理想世界[ユートピア]ではないのだ。世界の様相がどう変わろうと、個人の幸福はあくまでも、その人自身の努力によって獲得すべきものである。N篠遊園[エヌシノユウエン]は、そして猫君主[キティロード]をはじめとする《猫と狩人》は、そう信じていた。
 
 この社会が実現する限り、存在が継続される人間は、人種や国籍を問わず誰でもいいはずなのだ。N篠遊園[エヌシノユウエン]が頭を悩ませているのは、この件で猫君主[キティロード]があくまでも、すべての継続者は五分の一のランダムで決定すべきだと主張していることである。
 変革後も《猫と狩人》の社員は必然的に存在が継続されるのだが、社員の親族や縁者についてはその対象に含まない。世界が変革されると、社員の親や兄弟、友人、恋人や配偶者、子供の存在が消滅してしまう確率が五分の四、あるということである。しかも、困ったことに、《猫と狩人》の社員は変革前の世界の記憶を継続してしまうので、そのことを嫌でも自覚してしまう。
 猫君主[キティロード]はそれを、世界を変革する者が背負う業のように考えており、自分達だけが大切な人間の存在を継続させる、などという行為は不公正[アンフェア]なのもだと思っている。個人的見解としては、同意したいN篠遊園[エヌシノユウエン]ではあるが、公的な立場としては少なくとも、猫君主[キティロード]の両親だけは優先的に存在を継続させるべきだと考えていた。
 猫君主[キティロード]の考えは、君主のあるべき姿、といえなくもない。指導者がまず率先してリスクを背負うのは、立派なこととはいえる。だが同時にそれは、教科書的な理想主義にすぎる、とも感じてしまうのだ。
 N篠遊園[エヌシノユウエン]猫君主[キティロード]を過大評価してはいない。臣下の礼をとり、敬語を使う対象とはしていても、猫君主[キティロード]が多感な年代の少女であることをわすれたわけではないのだ。理屈では誰が残ってもかまわないとはいえ、現実に猫君主[キティロード]の両親が消滅したとき、彼女が今まで通りの理性的な判断ができるか?といえば、否と結論せざるをえない。
 その気になれば、どれほど退廃的で悲惨な状況をも造りうる立場にありながら、目先の衝動にとらわれず、可能なかぎり他人を不幸にしない、もしくは不孝を自覚させない状況を築いてきた猫君主[キティロード]のバランス感覚を、N篠遊園[エヌシノユウエン]は高く評価している。だが同時にそれは、極めて不安定な、限定された状況で成立しているように思われてならないのだ。
 部下の忠告に耳を傾け、考え、判断し、決断を下せる今はいい。だがそうでなくなった時、猫君主[キティロード]を止められる者は、もうすぐ、この地上に存在しなくなるのだ。
 治世の初期に名君と[うた]われながら、後に恐怖政治を行い、歴史に暴君と記される権力者という、あの黄金パターンが、猫君主[キティロード]にだけは当てはまらないなどと、N篠遊園[エヌシノユウエン]はこれっぽちも思ってない。何らかの形で権力というものが発生する以上、腐敗する危険はゼロにはできないのだ。その時、猫君主[キティロード]を止める手段は皆無といっていい。いずれ猫君主の権力は制限されるべきだと思うが、当面は戦時独裁官[ディクタトル]としての彼女の精神性[メンタリティ]を信用するしかなかった。
 それゆえにN篠遊園[エヌシノユウエン]は、世界が変革するという以上の変化は、可能なかぎり避けるべきだと考えている。だから、どのような結果になるか予想できない、王鳥まひるの両親が消滅するかもしれない事態は、絶対に回避したい。民衆の支持を気にする必要はないのだから、道理を通して五分の一の確率を期待するよりは、公正[フェア]でなくとも、まひるの両親は残すという決断のほうが、結果としてはよい状況を維持できる可能性が高いのではないだろうか?権力者にとって、肉体的、精神的な健康を維持することは、政治的、軍事的手腕と同等に必用不可欠なものだ。N篠遊園[エヌシノユウエン]の見るところ、猫君主[キティロード]は両親が消滅するという状況で精神的な健康を維持するのは困難に見えたが、どんな経緯であれ、両親が健在であれば多少の負い目は克服できるように思える。
 
 よって、この問題の解決策として、N篠遊園[エヌシノユウエン]が提案したいのは、存在を継続させる人間を、すべて猫君主[キティロード]一人に決定させる、という方法である。実際は、《猫と狩人》の社員全員の希望をリストアップして、その中から選ぶのだが、誰を残し誰を消滅させるかという最終決断を猫君主[キティロード]が下せば、それを不服に思う者がいたとしても、反抗することはできない。そもそもこれは、変革すること自体が不公正[アンフェア]なのだから、その程度の私的な融通は、許容しても問題ないと思う。おなじ負い目を背負うなら、愛するものを公正[フェア]に消滅させるよりは、不公正[アンフェア]にでも存続させるほうがマシというものである。主君としての猫君主[キティロード]を、洗脳されている以上に敬愛しているN篠遊園[エヌシノユウエン]ではあるが、彼女が神に等しい絶対者となるる以上、あえてそういう責任を背負うのは、指導者として当然のことだと思っていた。 
 まあもっとも、現在の世界は《猫と狩人》の勝利が確定しても、しばらくは継続される予定なので──その間に、全面核戦争なんぞが起こらないよう、監視はキッチリするが──この件はもう少し、じっくりと検討してもいいだろう。
 
 なんとなく考えがまとまったので、マグネシウム合金製のノートパソコンを立ち上げて、覚え書きを作成ようとしたとき、大きな丸眼鏡をかけた、一人の女性が入ってきた。
 狩人名[ハンターコール]I氏照[アイシテル]こと千路玉代[ちじたまよ](二十八歳女、音楽教師)である。
「どうされました、千路先生?」
 寝深戸は精神作用力[ミュールフォース]を使わずに聞いた。
 半憑依によって、獣の力を宿していないときは、まず言葉で会話をするのが《猫と狩人》式のマナーである。
「あ……いえ、あの、その、ちょっと手があきましたので、寝深戸先生のお手伝いをしようかなと……」
 玉代は、もじもじしながら頬を赤く染めている。






 寝深戸は、ちょっと困ったなという顔で返事をした。
「いや、当分は私ひとりで十分ですよ。千路先生には、まひる君達の面倒をお願いしたはず……」
「……そんなことじゃないんです!」
 玉代は急に、声を荒げる。
 はりあげた声にあわせて、豊かな胸が上下に揺れた。
 そして、自分のはりあげた声に動揺し、うつむく。
「……そんなんじゃ……ないです。私……寝深戸先生には娘さんもいらっしゃるし、てっきり……その……はじめてお会いしたときから、ずっと……でも、イケないことだと思ってて……まさか、お亡くなりになってたなんて……その……私、不謹慎だと思いますけど、その……先生がまだ、奥様のことを……愛してらして……それはわかってるんです……けど、その、やっぱり私も……その……私……わたし……」
 玉代はそこまでいうと、黙り込んでしまう。
 こぶしを固くにぎりしめて、寝深戸の返事を待っている。
 寝深戸は、どうしたものかと考えたが、うまい結論はでない。
 
 そもそも、こんなことになったのは、先日、久理数P[クリスピー]の反乱の事後処理として、危険思想者を事前に察知するため、社員全員の精神を猫君主[キティロード]が探査し、最後にN篠遊園[エヌシノユウエン]I氏照[アイシテル]ら幹部数名が、猫君主[キティロード]自身の精神をチェックしたのがきっかけである。
 探査自体は特に大事もなく終了したのだが、その時、猫君主[キティロード]の精神に情報として蓄積されていた、《猫と狩人》全員の個人的な情報が、いろいろと見えてしまったのだ。
 寝深戸は、自分より一周り以上、歳のはなれた若い女教師が、自分に寄せる思いの深さを知り、玉代は既婚者だと思っていた男性が、すでに連れ合いをなくし、一人身になって長いことを知った。互いの心がわかってしまい、それを隠すことも、否定することもできなくなってしまったというわけである。
 
 沈黙の後、寝深戸は玉代のそばまで歩いてから、ゆっくりと口をひらいた。
「……千路先生」
「はい……」
 玉代はうつむいたまま、声だけで返事をする。
「……別に、隠していたわけではないのですが、あまり喧伝[けんでん]するようなことでもないし……いや、正直いって、二度とあんな思いはしたくないと思ったのも、事実ですがね……」
「はい……」
「……それに、その、私は、粗忽[そこつ]者でして……いまだにアレが、私のどこに惚れていたのか、わからんのですよ……」
「はい……」
「だから……あまり多くを、私に期待されても、困るのだが……」
「は、はい……」
 玉代のこぶしが、さらに強くにぎられる。
 寝深戸は、そんな彼女の姿を見ながら、一呼吸いれて、言葉を続けた。
 
「もし、よかったら……その、この騒ぎが落ちついてから、一緒に、食事でも、ど、どうだろうか?」
 つとめてさりげなく言ったつもりだが、やはり語尾がふるえてしまった。
 どうも、こういうのは苦手である。
 それでも寝深戸は、玉代の、眼をうるませながら上げられた視線を、正面から受けとめた。
 きらめく瞳。
「……はい!喜んで」
 鼻声の、妙な発音だったが、間違いようのない、イエス。
 それから玉代は、涙をひっしにこらえ、ゆっくりと微笑む。
 魅力的な笑顔だった。
 
 しばらくして、玉代が部屋から去ると、寝深戸は呪縛が解けたように、どっかりと椅子に腰かける。
 いつのまにか、ノートパソコンのTFT液晶ディスプレイは、スクリーンセーバーとに切り替わっていた。
 暗闇に、ゆらゆらと無数の桜の花びらが降りそそいでいる。
 寝深戸は、しばらくそれを眺めていたが、おもむろにキーを叩き、画面を通常にもどすと、システムの設定画面を呼び出して、スクリーンセーバーの設定を変更した。
 それから画面上の、プレビューと書かれたボタンをクリックすると、ふたたび画面が暗黒につつまれる。
 今度は紅葉[もみじ]が、静かに舞い散りはじめた。
 サクラチル桜花[おうか]よりは、すこし、特攻破滅的な雰囲気がへったかなと思う。
 それは、どこまでも主観でしかなかったが、たまには叙情に過ぎるのも悪くはない。
 
 そして、ようやく寝深戸は、ふかく安堵のため息をつくことができた。
 
 なまじ体を合せるよりも、むきだしの心をつきあわせる方が疲れるものだな。
 そう考えながらも、体の奥からじわじわと充足感がわきあがってくるのを感じている。
 かつて、一度だけ味わったあの感覚。
 だが、あの時とは違い、相手が自分の意図を理解してくれたか不安になる必要はなかった。
 人の手にあまる力とはいえ、相手の心がわかってしまうのも、たまには悪くない。
 
 なにしろ玉代は、自分が寝深戸に食事にさそわれた、二人目の女性であることを知っているのだから……すこしだけ、気が楽だな。
 あとは、二人が食事を約束した世界が、どんな姿になるか、それだけだった。
 

 
 千春御ミキが、ようやく冷静に、自分の身に起こったことを考えられるようになったのは、水泳部に退部届を提出してから一週間後、失恋してから九日目のこと。
 学校から帰って、ボーッとしていた時、急に頭が回転しはじめた。
 ここしばらく、自分がなにをしていたか、よく覚えていない。ノートを見ると、授業はちゃんと受けていたようだが、まるで他人が書いたみたいだった。
 出る杭はとりあえず打っておけという、画一的な日本の教育現場では、パターン通りの行動をとっていれば、案外それですんでしまうようである。
 唯一、自分の意志で行動したのは、水泳部をやめたこと。
 恋愛とそれ以外のことはキッチリ区別する、というのがミキの理想だったが、どう考えても部活で水無原と顔をあわせて、正気でいられる自信がない。
 不本意ではあるが、今の自分の限界というものをわきまえれば、妥当な判断だと思う。
 
 結局、なんで水無原がミキを拒絶したのかというと、どうも男女の立場のありかたで、彼女と意見があわなかったことのようだ。
 ミキは根本的に、男と女は人間として同等だと思っている。
 能力や、ものの考えかたに差はあっても、人間として対等に接するのが当然と考えていた。
 異性には興味がある。
 カッコイイ男性、頼りがいのある男性がイヤなわけがない。
 でもミキは、人生の最後の責任は、自分でとりたかった。
 好きな人と、一緒に歩いて行きたい。
 その人のために、何かしてあげたい。
 苦しいときも、悲しいときも、楽しいときも、幸せなときも、いろいろな気持ちを一緒に感じたい。
 それにはまず、たしかな自分というものがなければダメたと思う。
 一方的によりかかるのではなく、自分にも、好きな人によりかかってもらえるだけの、ちゃんとした自分が欲しい。
 まず、一人で生きていける力をもった自分がいて、その上で好きな人と人生を共有したいのだ。
 男だから、女だからという前に、人間として対等な関係を築きたい。
 それが、当然だと思っている。
 それが当然だと、思っていた。
 それが当然ではないの、だろうか?
 
 水無原はそうは考えていなかったらしい。
 彼は、女性は男性につき従って生きるべきだと考えており、そういう女性が理想なのだという。
 なぜそんなことをいうのか、ミキには理解できなかった。
 
 彼女は、自分が女性であることを否定しているわけではない。
 ミキは、水泳部のホープだった。
 水泳に限らず、スポーツをやっていれば、超一流の女子選手の記録が、男性の水準から見れば、二流のものでしかないことは、よく知っている。
 単純に、運動能力で勝負をすれば、頂点のレベルで女性は男性にかなわないだろう。
 だが、頂点で勝てないからといって、そこらの男子に体力で負けるつもりはない。
 たとえ、体力で負けたとしても、機械文明が発達した今の世の中、それを補うモノが沢山あるし、体力をあまり必用としない分野で、重要な仕事もたくさんある。
 そもそも女性には子供を宿し、新たな子孫を残すという特権があるのだから、そのメリットとハンデを差し引けば、体力的に劣っても、男性とほぼ対等の能力があると思う。
 女性の感覚を生かして、なんてフレーズは嫌いだ。
 男でも女でも、できる奴はできるし、ダメな奴はダメ。
 同じ人間のやることが、そうそう違うハズもない。
 たしかに、向き不向きはあるだろう。
 男女平等の名のもと、男性のほうがうまくできることを女性にやらせて、みじめな結果を出すのはお互いにとって不幸なことだ。
 なんでも、女性にやらせろとはいわない。
 でも能力があるのに、女性だからダメ、男性だからオッケーというのは間違っていると思う。
 男女をまったくの平等にするのはムリだし、個人の能力によって区別はされるべきだとは思うが、男だから、女だからという理由で不当にランクづけをされるのは、納得がいかない。
 
 だが水無原は、男性のほうが経済力があるとか、力が強いとか、そういうことが理由ではないという。
 共働きで、経済力が対等であったとしても、体力で互角だったとしても、精神的に、男性は女性を保護し、女性は男性に依存するのが当然だという。
 のんびりした性格の水無原が、なぜそんな、旧時代的な差別発言をするのかわからない。
 世間では、女性の社会進出はあたりまえだし、逆に女性は男性に従うべきなどと、うかつな発言すれば、総スカンを食ってしまうのでえはないか。
 あらためて、水無原の話を思い出すと、まったくもって納得いかなかったが、ふとこんなことを思い出した。
 
 ミキのクラスメートに、瀬戸安寿[せとあんじゅ](十四歳女、元《猫と狩人》社員。すわんに敗れたため、現在その記憶はない)という少女がいる。
 一月ほど前、彼女はあることで目茶メチャ[イカ]っていた。
 理由は、恋について。
 安寿には二歳年上の幼なじみがおり、今でもちょくちょく会っている。
 最近、その幼なじみの彼は、安寿を女性として意識しはじめており、なんとなくそれっぽい雰囲気になってきたのだという。
 彼女も実は、ずっと前から彼のことが好きだった。つまり、両思いなワケで、あとは告白されて、友達から恋人へランクアップするのを待つばかり、という状況だったらしい。
 ところがその彼が、いつまでたっても安寿に告白してくれないという。
 彼女もなんとか雰囲気をもりあげて、告白してもらおうとするのだが、どうしてもダメ。
 そういうそぶりは見せるのだが、どうしても、最後の一言が出ないのだ。
「なーんで、アイツってば意気地がないのかねー?アタシの気持ち、知ってんだからさー、とっとと告白しちゃえばいいのに。ホント、ばっかみたい」
 愛情と憤りが複雑にからみあった表情で、安寿はいう。
 
 ちょと待てーい!とミキは思った。
 
 なぜに、そうなる?
 片思いならいざしらず、両思いであるのがハッキリしてるなら、安寿のほうから告白すればいいじゃないか?わざわざ、男に告白されるのを待つ必要がどこにある?
 男性だからって、女性に積極的になれないヤツもいる。
 そういうヤツを好きになったのなら、自分でどうにかすべきじゃないか?
 安寿はかなり、気の強い少女だ。
 誰にでもハッキリものをいうし、時折グサッとくるような毒舌を披露したりもする。
 そもそも、こんな話を昼休みの教室でするなんて、ミキにはとても真似できない。
 話を聞く限り、その彼は安寿より、ずっと温和な性格のようだ。
 彼女にアプローチするには、かなりの勇気がいるだろうと思う。
 ミキは安寿に、なんで告白されるの待っているのか?と聞いてみる。 
「……なして、ちおはそう思うワケ?」
 逆に、そう聞かれてしまった。
 そんな考えは、これっぽっちもなかったらしい。
 ミキは彼女に、自分の考えを説明する。
 自分から、告白したほうが簡単でしょ、と。
 それを聞いて、安寿はしばらく腕組みしながらウーンと唸って、こう答えた。
「……そーかなー?……そーかもしんないけど……ううん、いや、だってさぁー、もしかしてアイツが、アタシの結婚相手になるかもしんないワケじゃん……べつにまだ、ソコまで考えてるワケじゃないケドさ……したら、アタシのコトを好きって言ってくれないよーなボンクラに、これからのアタシの人生、まかせられると思う?アタシはヤだな」
 まかせるって……まかせちゃうの?
 ミキは愕然としする。
 たった一度の自分だけの人生を、誰かに任せるなどと、考えたこともなかった。
 一緒に聞いていた女子にも聞いてみたが、おおむね安寿と同意見のようである。
 唯一すわんだけが、そういうのもアリじゃないかしら、と言ってくれただけだった。
 ただその時は、一時的にショックを受けたものの、自分と違う意見をむやみに否定すべきじゃないし、安寿には、安寿なりの人生があるんだ、というトコロで納得してしまったのである。
 それが、世間ではわりと普通の考えかたであるということには、あまり注意をはらわなかった。
 
 つまり水無原は男性の立場で、ミキに安寿のような反応を期待していたのだ。
 気が強かろうと、しっかり者だろうと、腕っぷしが強かろうと、秀才だろうと、最後のさいごは男性に依存する、依存させてくれることを期待する女性であって欲しかったのである。
 自分と対等な立場を主張する女性を、彼は拒否したのだ。
 ミキは、安寿と自分の恋愛観の違いが、水無原と自分にもあるかもしれない、ということを考えなかった。考えられなかった。なんでも話ているのだから、水無原は自分のことを理解してくれていると思い込んでいた。
 それは間違いではない。だが、理解してくれたからといって、ミキの考えを受け入れてくれるとは限らない[ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ]ことには、まったく気づかなかった。
 そう気づいた時、あたかもそれがパスワードであったかのように、突然、水無原が最後にいった言葉を思い出す。
 
「……ひょっとしたら、僕の考えかたは古いのかもしれない。君の考えかたは立派だと思うし、尊重すべきだとも思うよ……ただね、それはあくまでも、自分とは無関係の相手に対して、そう思うだけなんだ。
 これは、君の恋であると同時に、僕の恋でもあるんだよ。僕は、僕が受け入れられない考えをもった女性を愛することはできない。君の考えが立派で、しっかりしていればいるほど、僕は君との妥協点を見いだせなくなってしまうんだ。僕は君の考えかたを受け入れられないし、君も、僕の考えかたは受け入れられないだろう。だから残念だけど……君とはもうつきあえない。
 もちろん、だからといって、君を避けるつもりはないし、今後も何か相談があるなら、話を聞かせてもらうよ……友達としてね。
 ……あと、これだけは理解して欲しいのだけど……君と話しをするのはとても楽しかった。君みたいな考えかたがあるんだなと、新鮮な驚きを感じたよ。僕には受け入れられない考えかただけど……勝手な言い草かもしれないけど……君は、君の考えを大切にして欲しいと思っている……話は、それだけだ」
 
 まったくもって、隙のない理論だ。
『君の考えは立派だが、僕とは意見があわない』
『僕は意見をかえるつもりはないし、君もない』
『だから、君とはつきあえない』
 ご丁寧に、今後も友人としてつきあおうという、フォローまで入っている。
 一年の時につきあっていた同級生の男子など、彼女の理屈についていけず、いつのまにかミキを避けるようになり、それきりうやむやだった。
 水無原は、ミキの考えかたを理解し、自分との違いを分析したうえで、彼女を否定している。
 それだけでも、ミキは水無原を選んで正解だと思う。
 前よりはマシだ。
 今回は、自分の考えかたを理解できる人間に出会えたことで満足し、また別の恋をさがそう。
 そう思って、納得しようとする。
 
 いやだ 
 できない
 
 ミキはその思考を拒否した。
 理屈の上では納得できる。
 他人事なら、それでいいだろう。
 でも、自分自身の気持[キモチ]の上で、それを認めることはできない。
「なんで……」
 こんなに好きなのに、どうして、さよならなの?
「どうして……」
 理由はハッキリしているのに、理解したはずなのに、ミキにはそれが受け入れられない。
 それがわかった時、彼女はやっと、涙を流すことができた。
 泣いた。
 ずっと、泣いた。
 ずっと、すっと泣いた。
 泣いてる自分を、鏡で見た。
 ウサギみたいだと思った。
 鏡が割れた。
 手から血が、流れていた。
 心臓の鼓動にあわせて、傷がうずいた。
 流水で傷を洗ってから、止血して、消毒して、バンソウコウを貼った。
 散らばった、鏡をの破片を片づけた。
 また、泣いた。
 ずっと、泣きつづけた。
 でも、気持ちはおさまらなかった。
 つぎの日、学校を休んだ。
 
 昼すぎ、烏鷺帆町にある、八階建てマンションの六階。
 自室で寝ていたミキは、隣の家の物音で目がさめた。
 眠いような、だるいような、イヤな気分。
 ベットはシーツがめくれ、汗で湿気[しっけ]ている。
 手を見た。
 だが、傷はない。
 殴り割ったはずの姿見も、もとのまま。
 あの痛みは夢、だったのだろうか?
 壁一つむこうでは、はなし声といっしょに、壁をドリルかなにかであけているような音がする。
 それなりに防音はされているので、会話の内容まではきこえない。
 居間のほうへ出てみるが、当然、だれもいなかった。
 この時間、母親はいつも仕事に出ている。
 テーブルの上には書き置きがあり、一緒に、千円札が二枚、そえられている。
『学校へは、体調が悪いので休みますと連絡しておきました。今日は遅くなるので、食事はこれで何か買ってください。あと、昼すぎから茂木原[もぎわら]さんのお宅で、漏水の調査があるそうなので、うるさくなるとのことです。困ったことがあったら、いつでも相談してください。
母より』

 ミキは、母子家庭に育った。
 両親は、彼女が小さい時に離婚しているので父親はいない。
 たまに会ったりもするが、父親にあたるおじさん、という以上の認識はなかった。
 だから、好きでも嫌いでもない。
 パック入り牛乳の残りを、ラッパで飲み干してから、軽くシャワーを浴びる。
 
 また、すこし泣いた。
 
 シャワーを終えて、居間の椅子にどっかりと腰かける。
 心も体も、重い。
 隣では、まだ、なにかやっている。
 耳をすますと、作業をしている音といっしょに、女性の声が聞こえた。
 ちょっと、キツそうな声。
 どうも、実際に作業をしている人の上司らしく、いろいろと指示をだしているようだ。
 女性の声に応えて、男性の声で、わかりました、課長といっているのが聞こえる。
 課長といえばミキの父親と同じ地位だから、結構エラいほうだ。
 世の中には、女性でもバリバリ仕事をしている人もいるのに、なんで男性が女性をリードしなければいけないのだろうか?女性はリードされなければいけないのだろう?
 別に、女性が男性を支配しよう、というワケでもないのに。
 男と女は、一緒にならんでは、生きて行けないのだろうか?
 わからない……
 
 ちょっと、涙。
 
 すこし気分が落ちついてから、ミキは昼食を買いにいくため、カーディガンを羽織って外に出る。
 カギを閉めて、エレベーターのほうに向かおうとしたとき、背後でバタンと扉が開く音がした。
 振りむくと、ブランドもののスーツをびしっと着こんだ女の人が、すごい顔で携帯電話をにぎりしめている。
「……ちょっと、静かな場所に移動するから、待ってなさいっ」
 凄みのある声で、電話にささやく。
 どうやら、さっきの声の主のようだ。
 ミキの、課長というモノに対するイメージからすると、ずいぶん若く見える。
 すらりとした美人。
 彼女は怒りをあらわにしながら、身をひるがえす。
 多分、非常階段のあたりで電話をするつもりだろう。
 仕事をしてると、ムカつくことも多いんだろうなぁ。
 そう思いつつ、エレベーターのほうを向いた時……
「……!?」
 そこでミキは、再び立ちどまった。
 女課長がふりむく瞬間、彼女の持つ、ちょっと型おくれの無骨な携帯電話に、場違いなピンクのストラップがたなびくのを見たような気がしたのだ。あれは……
 思わず、彼女の後を追うミキ。
 女課長は、非常階段のある通路の端をまがる。
 瞬間、ビクッと足を止めるミキ。
「アンタねぇ、一体どういうつもりなのっ!自分が何様のつもりか、言ってごらんなさいっ!!」
 女課長の一喝。
 この大音量では、非常階段に移動してもあまり意味がない。
 扉のいくつかが開き、怪訝そうな住人たちが顔をだす。
「あ……いえ、なんでもないんです。すみません」
 ミキが、かわりにあやまった。
 女課長の声も、それからは一段、低くなったので、とりあえず騒ぎはおさまる。
「……でぇ、一週間前に依頼して、おとといの夕方FAXする約束で、なんで今日になっても見積が上がんないわけっ!……そんなこと、こっちには関係ないワよっ!できるっていっときながら、いまさらダメなんて、そんな理屈が通用すると思うの?……とにかくねぇ、今日の三時までに見積がもらえないと、先方に提案できなくなるの。四時にアポとってんだから……こっちは、そちらの見積さえ出れば、全部すむようにして待ってんの……だからぁ!担当が休暇中なら、別の人間がやりゃいいでしょう!!……にぃっ!……わかるヤツがいないって、アンタはどうなの!……えぇっ?……自分の仕事が終わらなくなるからなんて、そんな理屈が通るとでも思ってんのっ?……」
 女課長の声がまた、高くなってくる。
 白い煙が流れた。
 ミキからは見えないが、タバコを吸いはじめたようだ。
「……んもう、あんたじゃラチあかないわね……ちょっと、上司にかわってくれる?……いないって、そんなことないでしょうっ!課長か部長か……え?みんな出はらってる?……へぇ、景気いいじゃない……だったらっ!!誰でもいいから一番エラいの、呼んできなさいっ!おたくの社員は無能しか雇わないのかって、いってやるからっ!!……社長よ、社長!常務でも、取締役でも会長でもイイから、誰か出しなさいよっ!!」
 また声のトーンが高まったので、ふたたび部屋から何人か出てきた。
「すいません、すいません、もうすぐ終わりますからっ」
 ミキは必死で、なだめに入る。
 女課長のほうでも、どうやら電話のむこうの人が泣き出してしまったようだ。
 あの剣幕で怒鳴られたら、無理もない。
 女課長も、すこし声のトーンを和らげる。
「……泣いたからって、許してあげるワケにはいかないのよ……こっちも仕事なんだからね……いい?……そう、あなたが三時までに見積してくれるのね?……わかったわ。仕様はもう一度、FAXさせるから……ほら、泣かないの……はい、はい、必ずやってよ……はい。
 ……あ、ちょっと待って!……それから、仕事すっぽかして有給とった奴、名前は?……そう、じゃ、そいつが出社したら、あたしの携帯に電話かけるようにいっといて……大丈夫、あなたは伝えるだけでいいから……もし、また逃げるようなら、今度こそ社長に怒鳴りこむって、言っといて……じゃ、三時にね……よろしくっ」
 いったん電話を切った女課長は、もう一度、べつのところにかけて──多分、自分の会社だろう──仕様をFAXするよう指示すると、ようやく通話を終える。
 その時自分の名前を告げたので、やっぱり間違いない。
「はあっ」
 女課長の、大きなため息と、白い煙。
 何本目かのタバコに火をつけたようだ。
 ミキの視界の先にも、吸い殻が何本かはみだして転がっている。
 むこうが落ち着くのをまって、彼女が声をかけようと身構えたとき、紫色の作業服を来た男がミキの脇をすりぬけた。
「課長、ちょっと来て下さい。漏水箇所を特定しました」
 作業服の男は背筋をのばして、すこし緊張した声で報告する。
「……録画したぁ?」
 疲れが感じられる、女課長の返事。
「ええ、今やらせてます。継ぎ手がイカれて、スラブにだいぶ、雑排[ざっぱい]が溜まってますね」
「あっそ……場所がハッキリしたなら、あとは職人の手配ね……でもさぁ、いっくら点検口がないからって、ウチのファイバースコープ、給水用なんだけどねぇ……」
「すいません、あとで消毒しときますんで……」
「あ、いや、べつに君を責めてるワケじゃなくて……ウチを、便利屋みたく呼びつける奴とか……あんなギッシリ、部屋ン中に機械をつめ込む神経とか……ま、いいワっ……とにかく見せてっ」
「どうぞ……」
 
 作業服の男に案内されて、女課長がこっちにやってきた。
 女課長はタバコを指にはさんだまま、厳しい表情でミキの横を通りすぎようとする。
「あのぉ……」
 ミキはおそるおそる、女課長に声をかけた。
「何か?」
 [りん]とした動きで、ミキを見る。
 と、そこで女課長の動きが止まった。
 
 
「!?……あらぁ、ミキちゃんじゃない……」
 
 きょとんとした顔で、女課長、王鳥あずさがミキを見ている。
 

 
 夕方、谷々邸。
 王鳥すわんは、谷々邸の屋根の上で、超級幻我を構えたまま、眼を閉じて立っている。
 その横で谷々鯖斗が、大学ノートに何やら書きこんでいた。
 谷々邸は山の上にあるため、横浜が一望できる景色は抜群である。
 風がけっこう冷たいので、鯖斗は陰陽マークがプリントされたジャンバーを着こんでいたが、すわんはコートなしの、セーターなしの制服姿。
 彼女にとって、夏の猛暑も、冬の寒さもどうでもいいことなのだ。たとえ、アマゾンのジャングルでも、シベリアのツンドラでも、それは変わらないだろう。
 今日、すわんと鯖斗は、来たるべき決戦の日を前に、最後の打ちあわせをしていた。
 どんな敵が出現しても、最良の闘いをするにはどうしたらいいか?
 鯖斗は最大限、知恵をしぼって、考えられるあらゆる状況の対応策をすわんに伝える。
 すわんのこれまでの闘いをまとめたノートのページをめくりながら鯖斗は、よくもまあ、ここまで強くなったものだと思う。
 すでにすわんは、鯖斗が最初に考えていた超級剣姫、天燕玲[エレインディーン]の強さをはるかに超えている。逆にいえば、とても舞台の上では、表現しきれないレベルの強さなのだ……むしろ、アニメや特撮むきだろう。
 結局、彼女は今日まで、猫君主M[キティロードエム]戦をのぞく全ての戦闘に、引き分け以上の結果を出している。意図された結果であるとはいえ、征服者[コンクエスタ]戦のように、いっさい手加減してもらえない戦闘もあったのだから、実力と同時に運もよかった。
 鯖斗は彼女の強大無比な、しかし大雑把な認識の上に成立する力を、理論的にまとめ、体系化してきた。この作業によって、すわんの能力が明確に規定され、それをまた彼女が理解することで、超級剣姫、王鳥すわんの確かな強さになるのだ。
 
 あれこれと、ノートに書きつけていた鯖斗に、瞑想をおえたすわんが話しかける。
 内容は先日、ジャムのビンをひねり割ってしまったことについて。
「……すると、すわんも任意に因果律を修正できるわけか……大規模な影響力があると同時に、局地的な事象への干渉も可能なんだな……ま、どこからが大規模で、どこからが局地的なのかはわかないが……確か、都院B[トインビー]が猫のケガを治すのに使ってた能力だろ?」
[わたくし]、そういうことを闘い以外でやったことがなかったから、ビックリしてしまって……」
「街中を破壊しても、すべてをキャンセルできるんだから、それぐらいできるだろうさ。猫君主[キティロード]は、すわんのそういう力を利用して、世界を変革しようとしてるんだからな」
「……私、思うのだけど、いきさつはどうであれ、まひる達のやってることって、結構スゴいですわよね」
「……」
「もし……もし万が一、私が、負けるようなことがあって、それで世界が変わってしまったとしても……そう、悪い世の中には、ならないんじゃないかしら?」
「……」
「そう思うと、変にプレッシャーを感じる必要なんて、ありませんわよね……ふふふ」
「……そうか」
 
 鯖斗の返事をきいて、すわんはクッと体をかたくした。
 超級幻我を片手に、眼をうるませて鯖斗を見る。
「……そうじゃないっ!……そうじゃ、ありませんわ……ホントは、不安でしょうがないの……だって、まひるは私を負かすために、ずっと準備をしてきたわけでしょう?……仲間をふやして、どうやったら私を倒せるか、研究してますのよ……まひるが、本気で勝負をするってことは、絶対に勝つ自信があるってことですわ……たとえ私が、どんなに強くなっても、しょせん、まひるの手の上であばれてるだけなんじゃ……そう思うと、どうやったら勝てるのか……わからなく、なりますの……」
 すわんは、涙をこらえているようだ。
 鯖斗は思わず、すわんを抱きしめたいと思ったが、ふみとどまる。
 いま自分が、私情に走れば、彼女の精神的なバランスを崩すおそれがあった。
 時がくれば、自分の気持ちを伝えるのを躊躇[ちゅうちょ]するつもりはないが、いまはその時期ではない。
 かわりに鯖斗は、こんな話をはじめる。
「そうともいえないぞ……もし、猫君主[キティロード]が本気で勝つつもりなら、そもそもすわんを、ここまで鍛える必要はないとは思わないか?」
「だって、最強の私を支配したほうが、いいからって……」
「多分、それは本当なんだろうが、負けない勝負がしたいなら、なにも敵を強くする必要はないと、俺は思う……世界の構造そのものを、まるごと変質させようなんて考えなければ、いまの能力だけでも十分、世界を支配できたはずだ……すわんが、今ほど強くならなければな。
 気づいてるか?……《猫と狩人》の『無人動物楽園化計画[ユニア・エデン・プロジェクト]』ってのは、手間と時間をかけさえすれば、今の地球を改革するだけでも達成できるぞ。人間の精神を、自由にあやつれるんだからな……俺なら、わざわざ敵を鍛えて、負ける可能性を高くしてまで、計画を急ぐような真似はしないな」
「じゃ、なんでまひるは、私をここまで強くしたのかしら?」
「そのほうが、計画をより効率よく達成できる……ってのが、表向きの理由だな」
「おもてむき?」
「そう……表向き。実際は、いま言ったように、もっと確実な手段もあったはずなんだ……これは、俺の推測なんだが、猫君主がわざわざリスクの高い、圧倒的な勝利をねらったのは、猫君主なりの手加減、なんじゃないかと思う」
「?……」
「もちろん、猫君主は精神作用力[ミュールフォース]によって調節されているから、わざと負けるわけにはいかない。だけど、地味ながら確実な勝利と、派手だけど不確実な大勝利という選択肢があったとき、大勝利を選択することで、すわんが猫君主を倒す可能性を残すことができる。精神作用力[ミュールフォース]による調節に、反することなくな……」
「まひるが、そこまで考えてたなんて……」
「いや、これは俺の推測だから、正しいかどうかはわからない。けどもしそうなら、俺はますます、みじめな気分になるよ」
「え?……どうして鯖斗君が、みじめになりますの?」
 やっぱり、そう思われてたか、と、鯖斗は思う。
「……俺達の両親は、いつも海外を飛びまわってるから、好き勝手にやってられる……だから、俺も兄貴も昔から、自分の好きなことに集中できた……俺は、造形デザイナーとしての技術には自信がある。こんまま研鑚をつづければ、いずれプロになれると思うし、なるつもりだ……
 俺は兄貴とは違う……それはわかっている。兄貴の主張や理想に、これっぽっちも賛同するつもりはない、が……俺は、ずっと、なにか根本的な部分で、兄貴に負けているような気がしてならなかった。努力や才能とかでは埋められない、何かでだ……前々から思ってたことだが、今回の件で痛感したよ」
「でも……」
「そもそも、根本的な枠組を作ったのは兄貴だ。猫君主を生み出したのも、兄貴だ……俺は、兄貴が造った状況にあわせて判断し、行動しているにすぎない。どんなに努力したところで、俺は、兄貴の歪んだ発想に、勝てないのではないか?猫君主が優秀だってことは、猫君主とそれを生み出した兄貴のほうが、すわんと俺より、優秀だってことだ……だから、俺は……」
 
「るっさいっ!!」
 
 叫んだすわんは、おもむろに超級幻我をふりかざす。
 メーターの針が、はねあがる。
 軽いモーションで、ふりおろす。
 長大な、蒸気の[やいば]がが地を[はし]る。
 刃は住宅街を破壊し、土煙と、数瞬おくれた爆音を発生させながら、五百メートル先にある、JR柏葉駅を両断したところで止まった。
「そんなこと……」
 すわんはそういいながら、くるりとふりむいて、鯖斗を見る。
 瞬間、破壊されたはずの幌巣町が、破壊されていないという事実におきかわった。
 紅蒸気に守られた鯖斗にだけは、それがハッキリと認識できる。
「そんなこと、ありませんわっ!……鯖斗君は、十分スゴイ。もし、私一人だったら、ここまで闘えなかったもの……つ、造ってるモノも、考えてるコトも、とても中学生レベルじゃ、ありませんわ。なんで、そんなに自分に自信がもてないの?いーじゃない、鯖斗君が樺良先輩と違っても……樺良先輩は樺良先輩、鯖斗君は鯖斗君……まひるはまひる……私は……わたくし、ですわ……ね」
「ま、まあ、そういうことだな……」
 結果、予想通りとはいえ、すわんのあんまりな反応に、鯖斗はちょっと気圧されぎみ。
 それでもなんとか、冷静に言葉をつづける。
「俺だって、不安に思うことがないわけじゃない。自信をなくしそうになることだってある……けど、自分をダメだと決めつけることは、結局、何もできない自分を正当化しているだけだ。泣きたくても、苦しくても、そんな、くじけそうになる自分をはげまして進んでいかなくちゃいけない。それができないなら、生きていてもしかたないさ……はは、俺もずいぶんエラそうなことをいうもんだな……」
 言っててハズかしかったが、自分にウソをついているとは思わない。
 つられてにっこりする、すわん。
「そだね……気にしてもしょーがない。わたしは、わたし……まひるじゃないよ。ヤれるだけのことをヤル……それだけで、いーんだよねっ……鯖斗、ゴメン……ちょっと弱気、はいっちゃったね」
 
「それでいい……それが、すわんらしいよ……」
 鯖斗は笑ってこたえながら、いますわんがくだけた口調でしゃべったのは、いつものように、ついうっかりなのか、あえて本心でしゃべってくれたのかと、考えていた。

 


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