Turkey 13
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2002年5月26日(日) 成田

■この文章に豚肉は含まれておりません
■見慣れた世界へ
■あとがきのようなモノ
Merhaba Turk トルコ・イスタンブール旅行記
■この文章は郁雄/吉武[いくお/よしたけ]の、トルコ・イスタンブール旅行記です■
Astronaut by Ikuo/Yoshitake 2002
この文章に豚肉は含まれておりません AM4:34(日本時間26日AM10:34)
 もうすぐ、成田到着の飛行機内。
 機内では、「ロードオブザリング」が上映されておりましたが、一度観てるのと画面が小さいため、序盤だけ眺めて寝た。


 え〜と、きのうの報告の続きだけど、レストランで無事、ツアーの方と合流。
 昼メシにでっかい焼魚を食って、アタテュルク国際空港へ。
 手続きをすませたところで、ガイドさんとはお別れ。
 2週間ちかく、どうもありがとうございました。

 日本のモノをプレゼントすると喜ばれるというので、持参した『イスタンブールを愛した人々 エピソードで綴る激動のトルコ 』という本を差し上げる。
 トルコの近代史なんて、ガイドさんには専門分野だろうけど、日本語で説明するのは苦手っぽかったので。
 お礼として、名刺と日本で知人が経営しているという、トルコ料理の店を紹介していただきました。東京にあるので、こんど行ってみようっと。
 最後まで貫き通した、勤勉な営業熱心さに敬意を込めて。(笑)
 別れの挨拶はトルコ語で、「イルギニゼ テクシュクレデリム(ご親切にどうもありがとう)」。
 ちゃんと通じたみたい。

 出国カウンターの係の人に、「メルハバ!(こんにちは)」と挨拶したら、手続きを終えたあとに「ギュレギュレ(送る側のさようなら)」と言ってくれた。すかさず、「アラスマルドゥック(去る側のさようなら)」。
 飛行機の中で練習をはじめたにしては、それなりにトルコ語を覚えたのではないかと。

 機内では、機内食についてた「豚肉は入っていません」表示の紙片をしおりに、「アドバード」を読書。 結局、半分ぐらいしか読めなかった。ま、いつでも読めるモノだけどね。
 ともかくコレで、豚肉ヌキの食生活と、底の浅い洋式バスとはおさらばだ!

 そんな感じで、トルコを後に。

見慣れた世界へ 日本時間PM12:16(トルコ時間AM6:16)
 成田へ無事に着陸[セーフティ ランディング]
 友人に、帰国を伝えるメールをPHSで。
 久々に携帯端末が「圏内」へ入ると安心しますよ。(笑)
 ツアーの皆様、添乗員さんとお別れして、これから電車で鎌倉へ。

 わし母はすっかり、トルコ語能力が退化。
 行きにはちゃんと「アラスマルドゥク(さようなら)」が言えたのに、帰りは無言。
 「テシュキュレデリム(ありがとう)」も、覚えはしたようだケド、実践で現地の方に感謝を伝えられたどうかは微妙。
 テシュテシュ言ってる間に、相手はいなくなっちゃうし。(苦笑)
 言語は正確さより、意志が伝わってナンボだぞよ。

 13日間というと長い気もしますが、中身が充実してたので、ずいぶん短く感じた。
 もっとジックリ見たいところも沢山あったし、もっと学びたいコトもある。
 イスタンブールにはもう一度行くつもりデス。

 短いながら、トルコを旅した印象は、ともかく人々が人なつっこい。
 旅行者にも、気さくに話しかけてくる方がずいぶんおりました。
 トルコでは夏休み前というコトで、観光地には社会見学へきた子供たちがいっぱい。
 子供たちの行列に手を振ろうモノなら、数十倍の返事が返ってきます。
 なんだかもう、アタテュルクの次に有名人になったような気分。(笑)
 臆せずコミニュケーションを取る大切さを、トルコの方々に学んだような気がします。


 現地更新の旅行記は、とりあえず終了ですが、これから撮り溜めた写真の整理と公開、それからいくつかコラムを書き下ろしたいと思っておりますよ。
 お読み下さったみなさま、どうもありがとうございます。
 ツアーに参加された皆様、お疲れさまでした。

 とりあえずは、これにて。

2002.05.26

あとがきのようなモノ
 「とりあえずは、これにて」……と書いてから、半年が経過してしまった。
 もう、2002年も終わろうとしてますよ。ダメじゃん。
 今年の日本とトルコの関係といえば、何といってもワールドカップサッカー。
 調子こいて本戦出場した日本と韓国を、ブチ負かしやがってくれました。
 3位入賞、おめでとうございます。

 てな感じで旅行記の締めに、トルコについて思ったことを、つらつら書いてみたいと思う。

トルコあとがき
現地のガイドさんと、旅行会社の添乗員さん

 トルコでのガイド業ってのは、連れてった店での売り上げマージン込みのビジネスらしい。
 だからガイドさん、店の人と親しげに挨拶してたのか。
 空港で贈呈したトルコの本は、役に立っただろうか。そういや、別れ際に教えてもらったトルコ料理の店、まだ行ってないなぁ。
 添乗員さんには、なんで必死こいて写真撮りまくってるんだと聞かれたんだけど……まぁ、こういうページを造るためです。ワケのわからん奴だと思われただろうなぁ。

トルコ共和国 アンカラ カッパドキア コンヤ パムッカレ エフェス イズミール ベルガマ トロイ チャナッカレ イスタンブール

 コレが、今回の旅行ルート。
 見ればわかる通り、トルコといってもイスタンブールを起点とした西部地域のみの旅行でした。東部地域は、方舟で有名なシナイ山など、観るべき所も多いのだが、民族問題や国境に隣接する国々との問題など、ちょっと素人が安心して旅行できる地域ではないみたい。
 ただ、今回のツアーで行った所に関しては、恐い思いをしたことは一度もありません。
 なにしろ各地で警備してる人は大抵、機関銃を持ってますからね。
 犯罪者も、ナイフや拳銃程度では、どうにもならないのではないかと。

トルコあとがき
ドルマバフチェ宮殿にて

 んで、トルコを観光してても思うのは、軍事施設が多いコト。
 撮影禁止なので写真はないけど、歴史ある遺跡のそばに戦車が並んでるなんてコトも。
 オスマントルコという征服王朝を母体にしてるだけあり、軍事力がなければ領土を維持できないってのは実感できる所。というか、トルコ革命が起きなければ、トルコ民族の国家は滅びていたわけであり、戦うことに誇りを持つのも至極当然なのでしょう。
 日本のように「戦争=悪」という公式が社会通念として通ってしまう国のほうが、むしろ珍しいのでは? まぁ、それが通用しちゃう平和な国に生まれて、良かったとは思いますが。
 戦わなければ得られない平和ってのもあると思うけど、平和のために戦わなければいけない事態を避けたいってのも、本音なのではないかと。

トルコあとがき
軍事施設の上にあるトルコ国旗模様の山(撮影許可済)

 トルコと日本は似た国だとよく言われる。古い歴史を持ちながら、西欧列強の植民地とならずに近代国家として発展した。宗教に関して比較的アバウトなのも似てるか。
 ただ、実際にトルコを旅して感じたのは、日本よりもむしろ、アメリカに近いかな?ってコト。
 軍隊に対するスタンスもそうだけど、雰囲気がいかにも西洋人なんだよね。
 経済の中心がイスタンブールで、政治の中心がアンカラってのも、ニューヨークとワシントンの関係と同じだし。
 逆に、アメリカに戦争で負けた日本のほうが、ぜんぜんアメリカ的じゃない気もする。
 トルコは第二次世界大戦の戦勝国なので、好きこのんでアメリカを手本にした。
 日本は敗戦国なので、アメリカ主導で民主化が行われた。
 みずから学んだ者と、学ばされた者の違いが、似た経歴を持ちながら微妙に違うスタンスを産む原因になっているのかもしれません。

トルコあとがき
エフェソス考古学博物館のアタテュルク閣下 コワイ

 イスラム教国家を、好きこのんで西欧式の民主国家にしたのは、オスマントルコ帝国の軍人出身で、革命家にして初代大統領のケマル=アタテュルクという人。
 「旦那、あんたスゲェお人だよ……舎弟にして下せぇ!」と、時代劇に出てくる三下みたいなセリフが出そうになるぐらい「[おとこ]」ですよ。
 例えは悪いが、架空歴史小説に出てくる英雄みたいな、「実在の人物」だと思ったね。
 ただ、凄い人なのは認めるけど、そこら中にアタテュルク閣下の肖像が並びまくってるのは、どうかなぁって感じ。まぁ、死者を祭り上げてるのは生者の所行なワケですが、尊敬することと崇拝することの区別はつけた方がイイと思いますな。
 過剰なケマリズム(ケマル=アタテュルク主義)は、民主主義に立脚しているはずのケマリズムそのものを否定しかねません。そうしなければ国が治まらないというなら、そうしなくても国が治まる方法を考えるべきです。

トルコあとがき
ボスフォラス海峡を望むケマル氏 まったり〜

 トルコでまずビックリなのは、お札の額面。百万、千万単位が小銭扱いですからね。旅行当時は「万」の位を取ると、ほぼ日本円になるので計算はラクだったケド、最新(2002年12月)のレートでは1円=1万3〜4千トルコリラぐらい。どこまでインフレが進むやら。
 イスタンブールのビジネスマンは、ドルで給料をもらってるそうです。それでいいのか?
 そういや、ホテルで5千円札をトルコリラに換金しようとしたら、「この絵柄は誰だ?」って聞かれた。新渡戸稲造[にとべいなぞう]って名前は知ってるけど、何した人と言われても……とりあえず、「プロフェッサー(教授)」って答えておきましたが、間違いじゃないよね。
 改めて、日本のお札は文化人ばっかりだなと思った次第。

トルコあとがき
みやげを買ったら撮影させてくれた民族コスプレ児童

 ともかく、トルコは荒削りながらパワーのある国だなと思った。
 日本で言えば高度経済成長期の、良いことも悪いことも含めガンガン突っ走ってた頃を想起させます。イスタンブールの一局集中化が進み、東部地域との経済格差が問題になってるのも、かつての日本を思わせる。
 人々が人なつっこいのは、古い純朴な気質が残ってるからだろうし、経済発展の代償として失われて行くものなのかもしれません。
 色々と無理をしてる感じはしたけど、そういう所も含め、僕は好きだな。

 てゆ〜か、イスタンブールに3日は少なすぎ。
 ツアー参加とかじゃなく、1週間ぐらいダラダラと市内観光したい。
 トルコ料理も、もっと食いたい。ラクとエフェスビール飲ませろ。イチゴロクム甘過ぎ。
 インスタントコーヒーをネスカフェって言うな。アイランは場所によって味が違うぞ。
 エルマチャイは甘くてウマイが男も飲め。
 ホテルの電話代高すぎ。シートベルト締めろ。
 有料トイレより有料施設の無料トイレの方が綺麗だ。
 ヤヌルズジャ バクヨルム!←「チョット見てるだけ」の意、観光地の店先で言おう

 そんな感じで。

郁雄/吉武
2002.12.30
info@astronaut.jp

トルコ・イスタンブール旅行記:了

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