Turkey 02
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2002年5月15日(水) イスタンブール─アンカラ

■アンカラ
■アタテュルク廟
■アナトリア考古学博物館
■ネット接続成功
Merhaba Turk トルコ・イスタンブール旅行記
■この文章は郁雄/吉武[いくお/よしたけ]の、トルコ・イスタンブール旅行記です■
Astronaut by Ikuo/Yoshitake 2002
アンカラ
アタテュルク空港
トルコ時間 15日AM9:20(トルコ時間 14日PM:3:20) 以後、トルコ時間

 どうにかパソコン用電源のめどがついたので、ヤレヤレ。
 ホテルの朝食はバイキング形式だったのだが、絶対に食べ過ぎそうなので、トマトジュース1杯だけにしておいた。
 それとあと、わし母の食べ残しのバナナ半分など。


バスですぐに空港。

 添乗員さんが手続きしてる間、フリータイム。
 せっかくなので売店をフラフラして、変圧器やPCモデムカードがないか調べる。
 やっぱねぇや。

 わし母は、切手と絵葉書をゲット。
 つーか、買い物したのはわしですが。
 切手は60万TL、絵葉書4枚はテンミリオン……って、百万TLだから万をとって百円。
 4で割ると1枚あたり25円かぁ……成金気分だが、わかりにくいコトに相違ナシ。

アタテュルク空港 AM9:35

 ……と思ったら、搭乗ゲートをくぐってから、またフリータイム。
 さすが余裕のある熟年の旅!
 実際、こうやって旅行記を書く時間が確保できるのは、大変にありがたいです。

 ふたたび売店をまわるが、やっぱしブツはない。
 なにげに、オモチャ関係の店が多いような。
 トルコ語版ハリーポッターの本も売ってたよ。
 アラビア文字が見あたらないのでホント、イスラムっぽくありませぬ。

 これからアンカラに移動。
 見学先はアタテュルク廟と、アナトリア考古学博物館。
 旅行記と写真は大丈夫だけど……現地更新できるかは微妙な所。
 むむむぅ。

イスタンブール上空 AM10:35

 無事に離陸。
 空から見るイスタンブールの大地はとにかく、「平べったい」。
 かな〜り遠くまでみわたせます。


ボスフォラス海峡の黒海側出口……だと思う。


なにげに美男美女率は高いと思う。

アンカラ、エセンボーア空港 AM11:38


首都到着!……という割に、地方っぽい慎ましやかな空港。

 イスタンブールの方が数倍、都会っぽい。
 ……と言っちゃぁ、正直すぎるか。(笑)
 これからトルコ国内をバスで廻る。
 バス会社はジェミニ、日本語で双子座を意味する。トルコ語ではゲミニ。
 レストランなのでは、日本の旅行会社の名前は通じないので、ゲミニというバス会社の名前を告げるよう言われた。
 30分ほどでアンカラ市内のレストランに到着予定。


アンカラ市内。わりと起伏に富んだ土地で、ともかく車が多い。つーか多すぎ!
謎の綿ボコリが乱舞してたのが印象的。





アンカラ市内レストラン PM1:39

 昼メシ!
 やっとトルコっぽい食事。
 サラダ、野菜春巻きみたいな三角形のパイ、チキンのケバブ、フルーツの盛り合わせなど。
 ドリンクは、2百万TL(2百円)のアイラン(甘くないヨーグルトドリンク)と、チャイ(トルコ紅茶)を飲みました。


ちょっと、盛りつけがアバウトかも?
アタテュルク廟
建国の英雄、ムスタファ=ケマル=アタテュルクの霊廟。

 警備は厳重ながら、入場無料で写真フラッシュOK。
 一見、砂岩の地味な建築だけど、天井に模様があったり、金ピカだったり。
 裏地にこだわってるらしい。(笑)



壁面には、アタテュルクの言葉が刻まれている。


アタテュルクの棺。
イスラム教徒は火葬厳禁なので、石棺の下の砂に遺体が埋まってるのだとか。


陸海空三軍の兵士たちが、常にココを守ってる。

 交代は1時間ごと。
 声を張り上げて、大仰な動きでメンバーチェンジ。 
 普通の施設は2時間ごとの交代なんだけど、アタテュルク廟と、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿だけ、1時間ごとなのだそうな。
 ドルマバフチェ宮殿は、アタテュルクが没した場所。

 霊廟の周囲には、アタテュルクの持ち物などが展示されてる。
 車や大砲、刀剣類もあった。

 そんな感じで、アタテュルクの墓を見学。
 ものすごく派手というワケでもないが、一人の人間を讃える施設としては、ちょっと立派すぎる気もする。
 トルコにとって、それだけ偉大な人物なのは理解できるけど、民主国家の長としては若干、個人崇拝のきらいはあるな。
 まぁ、この霊廟はアタテュルクの死後に、国民からプレゼントされたモノだそうだから、こういう扱いを本人が望んでいたかどうかはわかりませんが。

 新生トルコ共和国を統一するシンボルとして、こういう施設が必要とされるのかもしれない。
 うっかり凄い業績を残したばかりに、一個の人間に、人間以上の何かが背負わされてしまったワケだ。夢破れるよりは百万倍マシだけど、成功したらしたで、死後も救国の英雄として祭り上げられる。革命家というのも、つくづく難儀な商売だと思ったよ。(苦笑)
 ご苦労様です。

 霊廟内には、おみやげモノ店があり、さまざまなグッズが売られてる。
 バッジや肖像画などの他に、CDやDVDもあって、ちょっと気になる……けど、やめた。
 たしかに、アタテュルクは尊敬に値する人物だと思うけど、批判的精神が疎遠な場所で、そういうモノを買う気分にはなれませんでしたな。(苦笑)
 施設内ではずっと帽子を脱いで、「アタテュルク[父なるトルコ人]閣下」にではなく、「ムスタファ=ケマル氏」個人へ敬意を表してはいたけどね。
アナトリア考古学博物館
別名、ヒッタイト博物館。

 アナトリアというのは、バルカン半島の東、黒海の南、アラビア半島の北、アジアの西部の地域名。小アジアともいう。つまり、現在のトルコ共和国のアジア側地域のコト。
 ちなみに、ヨーロッパ側はトラキアと呼ぶそうです。
 ここには12の文明が起こったそうで、この博物館は主に、紀元前2千年ごろに起こったヒッタイト文明の遺物を展示してる。
 世界史でも、製鉄と騎馬を駆使した強国として習った覚えがあります。
 よさげな写真を、あれこれ並べてみた。






 
ネット接続成功
 かなり余裕をもって、アンカラ・ヒルトンホテルへ到着。
 旅行記を編集する時間は取れそうだけど、ネット接続できるかは微妙。
 とりあえずやってみたけど、イスタンブールと同じで接続不能。
 海外ローミングサービス、いまだに接続できた試しナシ!
 添乗員さんに調べてもらったところ、ホテルが用意したネット接続用の電話番号があるとのこと。IDやパスワード無しで、モデムに指定の番号を設定すると……

 おお、接続完了!

 ちょいと遅いけど、ふつうにサイト閲覧できます。
 メールチェックも可能。これで現地更新できるなり。
 接続に、どんくらい費用がかかるか、ちょっと怖いけど。


晩メシはバイキング形式。
 夕食だけは、たらふく食いましたヨ。
 バクバクバクバクバクバクバクバク……

 満腹で、ちょいと眠くなったけど、次の宿でもネットに繋がるか不安なので、旅行記をまとめる。わし母にさっさと寝ろと言われるが、わしも寝たいんじゃボケェ。
 アンカラ市内の写真をまとめたところで、さすがに明日に響きそうだから、中断。
 アタテュルク廟以後の文章は、翌日のバスの中でまとめております。


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