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『イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ』を読んだ

第一次世界大戦前のイスタンブールに、中村商店ってのがあったのか。

松谷 浩尚著『イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ』を読了。興味を持っている、トルコ関連書籍として手に取りました。オスマン帝国の首都にして、トルコ共和国最大の都市、イスタンブールに関わった十二人の人々の活躍とともに、近代トルコ史および、日本との交流を概観できる。特に、トルコ革命前後における日本との関わりの部分は、もうちょっと早く読んでおけばよかったと後悔。人物誌であると同時に、近代トルコ史としても優れた読み物です。

来年2010年は、「トルコにおける日本年」に定められており、トルコと日本がますます近しくなる年。トルコから贈られた国父の像がヒドイ扱いを受けている問題も、とっとと解決してもらいたいもの。トルコは世界有数の親日国だそうですが、日本にもトルコ大好きな人はいるのです。

トゥルキエ!

『トルコのもう一つの顔』で、コミュニケーションの達人

二重思考者(ダブルシンカー)が、ここにも。

小島剛一著『トルコのもう一つの顔』を読了。言語学者である著者が、1970年代からトルコの言語について、地道なフィールドワークをおこなった際の体験ルポ。当時のトルコで言語の調査をおこなうというのは、大変な危険がともなう。といっても、東部のクルド人が住む地域は治安が悪いから……という話ではありません。いや、それもあるのだけれど、著者は日本人ながら、トルコの全県を巡って調査をおこなっており、トルコ語はもちろん、各地の方言や地方語もマスターしているため、トルコ人よりもトルコの言語にくわしいのです。

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問題なのは、1923年のトルコ共和国成立以後、トルコには「トルコ語を話すトルコ人(それと、公認された一部の民族、言語)」しかいないことになっていること。名目上はそれ以外の独立した民族、言語が存在するはずがない。実体としては多民族、多言語国家であるのに、無理矢理に(ほぼ)単一民族、単一言語国家であると主張しているので、客観的な学術調査とは齟齬が出てしまう。本書の序盤、著者は政府に目をつけられないよう、こっそりと調査を行い、トルコの多様な言語文化に魅せられていく。中盤以降は、政府公認のもと……という名目の監視つきで、窮屈な思いをしながら調査をおこなう。読み物としては、この監視つきの調査行が、えらくスリリング。監視人について現地人に、現地語で「こいつは信用するな」と警告してから、トルコ語で「この人は私の友人です」と紹介し、うかつな発言をさせないようにする場面も。

なにより感心するのは、腹芸をふくませつつも誠実さを堅守する、著者の当意即妙な対応。相手に応じて言うべきことと、言うべきでないことを明確に線引きして、政府高官とも革命シンパともコミュニケーションを取る。複数言語をマスターするのは無理でも、こういうタフで大人な対応は大いに見習うべきでしょう。

ちなみに、本書が刊行されたのは1991年なので、2009年の現在とは情勢が異なっています。現在はクルド語によるテレビ放送が始まり、アルメニアとの和解が模索されるなど、本書で描かれた情勢よりは、だいぶ緩和、改善されているようですよ。トゥルキエ!

『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』理想を現実でうめる努力

新井政美著『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』を読んだ。

俗にオスマントルコ帝国なんていいますが、当時帝国を運営していたひとびとの意識として、「トルコ人」というものはなく、トルコ語とイスラム教をよりどころとしつつも、さまざまな民族、宗教を包含した「オスマン人」という認識が強かった。オスマン帝国のエリートからみれば、トルコ人とはアナトリア(小アジア)に住む田舎者でしかない。多民族、多宗教国家であったオスマン帝国の領土が、西欧列強によって蚕食され、つぎつぎと独立していくなかで、残された地域がアナトリアであり、そこに住まう人々を「トルコ人」と定義して、ナショナリズムのもとに成立させたのが、現在のトルコ共和国。「トルコ人」という概念がうまれたのは、ほんの百年たらずのことなのです。

いぜんトルコ旅行へいったとき、現地のガイドさんが、なにかにつけて「トルコでは!」と、お国自慢をしていたのですけど、つまりコレがナショナリズムの成果ということなんでしょうね。

本書は、オスマン帝国末期のトルコ人思想家に焦点をあてて、崩壊する帝国のなかでいかにして近代的なトルコ国家を思想的に定義したかを描いています。近代トルコというと、トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの活躍が有名すぎて、それ以外の方々の活動が、いまいち見えてこないのですが、本書をよむと、さまざまな思想家が議論をたたかわせ、現状とすりあわせることで、いまのトルコ共和国の方向性がさだめられたことがわかります。

単一民族でも、単一宗教(宗派)でもない土地を、「トルコ人」の国家として定義することは、いろいろ無理があり、そのほころびが現在もあちこちで噴出しています。西洋にみとめてもらおうと、近代化にとりくむオスマン帝国末期のすがたが、現在のEU加盟を悲願とするトルコ共和国と、かさなってみえました。自身の理想とする評価を周囲から獲得するのは、とても大変です。

『オスマン帝国の近代と海軍』汽缶爆発しょんぼり海軍力

『オスマン帝国の近代と海軍』を読んだ。

薄い本なので、すぐに読破できます。オスマン帝国というと、騎馬民族を母体とするだけに陸軍の強さに目がいきがちですが、すぐれた海軍力で地中海の制海権をえたこともおおきい。とはいえ、トルコ民族は操船術にたけているわけではないので、海賊を提督に任命するなど、「外注」によって強大な海軍力をえた。しかし、中世から近世にうつり、ヨーロッパの技術的優位があきらかになると、敗戦とともに「外注」していた民族がつぎつぎと独立し、オスマン帝国海軍は弱体化の一途をたどる。本書はオスマン帝国末期の海軍の窮状に注視しています。

日本が明治以降、海外からまねいた軍事顧問を師としながらも、みずからの力で海軍力をたかめたのに対し、オスマン帝国は軍事顧問をまねいても、自国の技術として消化しようとするする意志がなく、いつまでも「外注」にまかせきり。とくに、海事関係で大きなはたらきをしていたルーム人(ギリシャ人)が独立すると、自国内のルームは信用できないけれど、それでも船をうごかすためにはルームにたよらざるをえない。スルタンの肝煎りで──予算を無視して──そろえた近代的な軍艦も、維持費がかさむと20年間ほっぽっておいて、いざ戦争だかとらうごかそうとしたら、汽缶は爆発するわ、大砲を撃ったら破損するわ、座礁するわのていたらく──でも陸軍が勝ったのでことなきをえた。

日本とトルコ友好の契機となった「エルトゥールル号」の座礁、沈没事件にしても、このように低下しまくった海軍力にもかかわらず、イスラム世界の盟主としての力を誇示するために日本への派遣を強行し、さらに日本側の忠告を無視して、台風へ突っ込んだすえの末路だったそうです。

トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』を読んだときも、よくこの窮状からトルコ共和国への独立を勝ちとったものだと感心しましたが、本書からもオスマン帝国末期のしょんぼりぶりがみてとれる。時流に即してベストをつくせば、世界帝国も築けますが、そこからはずれて改善する自浄努力をおこたれば、どういう末路をたどるか──日本もまた航空戦力への転換を徹底できず、大艦巨砲主義にこだわったすえに果てた国であるだけに、おおいに学ぶべき点のある良書です。

『トルコ・イスタンブール旅行記』をご紹介いただきました

当サイトにて公開中の『トルコ・イスタンブール旅行記』を、『アルファポリス―電網浮遊都市―』の「本日のWebコンテンツPickUP!」にてご紹介いただきました。ウチのコンテンツをご紹介いただくのは、『きせきのハオル』につづき2度目。大変ありがたいことです。

alphapolis2009

トルコがらみだとさいきん、『トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』という本を読んでいます。トルコ革命を題材にした小説で、トルコのかたがトルコで出版したベストセラーを邦訳したもの。ムスタファ・ケマルを首班とするアンカラ政府が、オスマン帝国、ギリシャ、イギリスといった内外の敵から実力をもってトルコ国家をかちとるまでを描いた熱い物語ですが、なにせ熱いうえに厚い。ハリー・ポッターいじょうにぶあつい凶器たりうる本なので、持ちはこぶ気にもならず、家でじっくり読んでます。トゥルキエ!