スマートフォンを忘れた日

自宅を出て、駅に着く頃。

腰のスマートフォンケースが空であることに気づく。ベルトにケースをつけておきながら、中身を忘れるという失態。個人のPHSと会社支給の携帯電話はあるので、連絡に問題はないが、自宅に戻る余裕はない。スマートフォンのおサイフ機能が使えないため、駅で切符を買う。職場は私鉄の駅なので、JRで行けるところまで買い、到着後に精算する。

依存しているつもりはないが、やはりないと不便。スマホのゲームはやらなくても困らないと思いつつ、つい習慣で腰に手をやることもしばしば。職場は電子マネーの自販機しかないため、買い物は社外のコンビニへ。いつも買うコカコーラゼロではなく、脂肪を燃焼させるというトクホのペプシとファミ通を厳禁で買う。

帰宅時も駅で切符を買い、地元で精算して退場する。これが一番面倒だ。ゲーム機もAndroidタブレットも持っていたけど、ネットには繋げない、孤独な端末と化している。あると当り前のものが姿を消すだけで、みじめなほどに日常は一変する。あの震災で嫌というほど学んだはずだが、その変容には何度でも驚かされる。

帰宅時は、その寺の敷地を通ることが多い。一般人が通行できるよう、開放されているのだ。最近まで、山門が改修中で、正門の脇に廻る必要があった。その工事がいくらか進んだらしく、白いシートに覆われながらも、いつもの道筋で山門をくぐぐことができそうだ。

自分も周囲も変わり続ける。やってしまったことは変えられない。それでも先へ進むため、僕は造りかけの山門をくぐり、家路についた。

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