小説『ナスレディン・ギア(1/3)「灰色の人形機」』

独自用語はおおむねトルコ語です。

長編小説『ナスレディン・ギア』を3回に分けてブログ配信。PDFデータはすでに公開していますが、ダウンロードしなくても読めるよう、ブログでも3回に分けて公開してみます。そそくさと読みたい方は、ダウンロード版をどうぞ。ちなみに、本データはシャープ電子書籍リーダーの『GALAPAGOS(ガラパゴス)』用に最適化されていますが、iPadの「i文庫HD」で開いてみたら、かなりいい感じに閲覧できましたよ。

ipad3

ブログ形式で読みたい方は、以下からどうぞ。

ナスレディン・ギア

著/郁雄/吉武

     統合四界連合成立以後の略歴。

人類最後の総力戦が終結して六百年。
戦争行為が禁止されて五百年。
飢えと貧困、肥満と奢侈(しやし)が駆逐されて四百年。
世界人口が、増減を停止して三百年。
惑星内での、資源循環型社会が完成して二百年。
制限つきながら、ふたたび戦争行為が許可されて百年。
統連監視下にて行われた制限戦争、ロメリア大戦が終結して半年。
資源は管理され、技術は制限され、人類は惑星上で生かされ続けている。

    灰色の人形機(ククラマキネ)

                                          01

彼女の意中にある少年は、みなぎる怒りに翻弄されるまま、叫ぶ。
「それじゃまるで、実の妹を政略結婚させるようなものじゃないですか!」
画面(モニヨテル)越しのナスレディン・パシャは、声音に勝利の確信を漂わせている。
『政略絡みであることは認めよう。だが、古今に交わされた、数多の政略結婚の中に、互いが望んだ関係もあり得たと思うのだが。どうだい、コルン?』
問われると、コルンは大人びた肢体をビクリと弾けさせ、顔を覆った両指に隙間を作る。
指間(たなまた)から、黒髪の少年が途方に暮れているのが見えた。
涙液(るいえき)がにじむ、ふたつの熱い黒色(スィヤフ)の瞳が、なにかを訴えている。
不覚にも、彼が心を掻き乱されていることに、いびつな満足感が全身にほとばしる。
求めているのか、不服があるのか、悦んでいるのか、わからない。
なぜ、こんなことになったのか?
毀(こわ)れた大樹と揶揄された、ヒズメト・ギヨト経済圏連邦の行く末について、論じていたはずではなかったのか?
ギヨト再建委員会の大志ある反逆と、愛するひとの想いを両立し、ともに歩もうとしただけではなかったのか?
──目論見を狂わせた元凶は、あの日、あの洞穴(マアラ)で、コルンが少年に、太股を両手で鷲掴まれたことにはじまる。

手探りで進む闇の細道に、光明が差す。
か細い光のせせらぎから、ざわめきが漏れる。
光の流れに心乱されることなく、少年は堅実な一歩を心がける。
ざくり。
わずかに揺らぐ足もとを感じ取る。
ただ、それだけを頼りに、ゆっくり、ゆっくりと出口を目指した。
ざくり。
……ざくり。
…………ざくり。
歩を進めるにつれ、鈍い光が狭い洞穴内を満たしていく。
照らされた壁面は荒く鑿(のみ)で削られ、足もとには砕けた石が堆積し、複雑な陰影を塗りつけている。
伝わる雑多な反響には、人声や重機の駆動音がふくまれる。
光と音が、不意に消えた。
後には沈黙と、微弱な息遣いが漂うのみ。
「……」
出口の手前。
少年は確固たるなにかを感じ取ったが、あえて無視する。
ざくり。
踏みしめた最後の一歩が、彼を隘路から解放した。
出口の先から、三つの光る花が咲き、網膜を焼く。
刺すような投光器の光に目をすがめながら、周囲に視線を送る。
予想通り、小銃を手にした男がふたり、両脇から彼を狙っていた。
軍人ではなく、作業着を着た私服の民兵だ。
少年は、軽く両手を挙げながら、左右の民兵を見る。
誰何しようとする左側の青年は無視し、右側に立つ髭面の中年男性に告げる。
「──鬼の父(デヴ・ババ)よ、娘はいずこにおられるか──」
「……」
約定通りの割り符となる言葉だったが、中年男性は無言で視線をむけるのみ。
隙のない、刺し貫かれるような目力を感じる。
突きつけた銃口は、微動だにしない。
中年男性のかわりに、左側に立つ、眼鏡をかけた青年が問う。
「お……おとなしくしていろ! 君、どこからきたんだ?」
書生上がり、といった風体。
従軍経験はおろか、兵役も済ませていないのだろう。
少年は、両脇から突きつけられた銃口を無視して、平板な口調で答える。
「ドラシュム親方からの紹介できたものです。テケル親方にお取り次ぎ下さい」
「えっ……」
青年は意表を突かれ、銃口をぐらつかせる。
銃を下ろしてよいものか、迷っているようだ。
そこで、右側に立つ中年男性が返答する。
「──わが娘は四十一番目の扉の奥にいる。が、決して開けてはならない──」
約定に合致する言葉を受けて、少年は小さくうなずいた。
中年男性は冷静に、だが、困惑にあらがうように、告げる。
「話は……聞いている。ヤバン、客人がきたと親方に伝えてこい」
「ええっ、なにかの間違いでは? ……了解しました、客人がきたと親方に伝えてきます」
ヤバンと呼ばれた青年は復唱すると、奥へむかう。
不安定な足場が、彼の歩みを鈍らせる。
広くなったとはいえ、ここも洞穴の中。
幅五十メトレ、高さ十メトレはある、広い通路だ。
相変わらず、地面には無数の砕石が堆積している。
一見するとホールのようだが、少年がでてきた隘路の出口から見て、右手から左手へ登る、ゆるい坂道になっていた。
正面奥は、光の奔流にさえぎられ、見通すことはできない。
「おーい、光を止めてくれ。まぶしくてコケそうだ!」
青年が叫ぶと、三つの光線が舐めるように洞穴内を走る。
光線が収束した先で、砕石の集合が小さな丘を屹立させていた。
石積みの墓標。
その下に埋葬されているものが、垣間見える。
巨大な腕と脚。
灰色の巨人。
砕石にうずもれ、胸を突きだす形で仰臥している。
青年との対比から、灰色の巨人は人身の四倍以上。
その周囲に、灰色の巨人よりも小さな巨人が五体。
さらにその周囲に、小さな巨人よりも、さらに小さな人間たちが、十数人ほど。
息をひそめていた、小さな巨人と人間たちが、活動を再開する。
巨人の埋葬にも、偶像を奉じる異教の民にも見えるが、もちろん違う。
灰色の巨人が転倒したため、積もった砕石を撤去しているのだ。
小さな巨人は、三メトレほど。
少年には馴染み深い、人形機(ククラマキネ)と呼ばれる有人式の人型重機。
操縦席は開放式で、目視により周囲の状況を確認する。
繰者の手足の動きに追従するため、金属製の服を羽織っているように見える。
不整地での力仕事には、うってつけの機械だ。
埋没した灰色の巨人も人形機の一種。
全高八メトレほど。
人形機としては大型で、操縦席は胸の部分に内包された密閉式。
はじめて見る機種だ。
大きさからすると軍用だろう。
戦闘用の人形機は、装甲の厚さを優先するためか大型のものが多い。
「こいつはまた、ご大層な鬼の父だな……」
少年は、嘲笑に口もとをほころばせた。
相変わらず、無駄なものを造っているわけだ。
近頃は、反政府組織が〈ナスレディン・ギア〉とか言う兵器を開発している、なんて噂があるけれど、まさかこいつがそうなのか?
尾鰭のついた噂の正体なんて、案外こんなものかもな。
彼はそう考えながら、両腕を下ろし、ホールの中央へむけて歩みはじめる。
突きつけられた銃口など、ついぞ存在しないかのように。

中年男性が、拘束しようと手をのばす。
「動くな。確認中だ!」
その手が触れる前に、少年はするりと距離を稼いだ。
さらに追いすがろうとするも、男性は不規則な砕石に足を取られる。
条件は同じはずだが、少年の歩みには奇妙な滑らかさがあった。
「デステキ、どうした? なんだ、ガキじゃないか……」
小銃を構えながら近づいてきた数人の男たちが、銃口をむけてくる。
それでもなお、少年は冷ややかな微笑と沈黙のまま、歩みを止めない。
銃が怖ろしくないのか、こいつは?
合い言葉がなければ、とっくに硬土弾を喰らわせている。
昨年のロメリア大戦終結を、戦地で迎えた中年男性、デステキには、その無謀な行動が理解できない。
グレシア軍の自律兵器の方が、残酷なまでに単純な分、まだ予測しやすい。
少年の、理屈に合わない行動が恐怖に変じ、殺意が誕生しかけた時。
灰色の人形機の奥から、先ほどの青年にみちびかれて、ひょろ長い人影が歩みでてくる。
照明が、逆光から順光に変じて浮かび上がったのは、豊かな白髭をたくわえた老人。
長老然とした老人は、少年に満面の笑みをむけている。
「おお、きなすったか。聞いていたより若いな。……皆、案ずるでない。この少年こそ、わが客人。銃を下げよ」
年長者の言葉に、中年男性は渋々、ほかのものたちはヤレヤレと警戒を解く。
入れ違いに、老人が軽捷に歩みよる。

少年は、あらためて年長者へ名乗りを上げた。
「はじめまして、エルギン・トーゴです」
この国の人間は姓名を持たない、もしくはあっても名乗らない。
後年につけられた俗名か、生まれた時につけられた誕生名のどちらかを使用する。
彼の場合、エルギンが俗名で、トーゴが誕生名だ。
少年が差しだした手を、テケル親方は、筋ばった右手でしっかりと握り、左手で肩を軽く叩いた。
「テケル・エクレムだ。急な招きによく応じてくれた。ぬしの噂は、聞きおよんでおるよ」
「恐れ入ります。さっそくですが……」
ふたりは同時に、灰色の人形機へ視線をむけた。
「うむ。見ての通り、転倒しおってな。あれを起こして移動させてもらいたい」
「移送先は地下船渠(せんきよ)ですね」
「そういうことだ」
「それで、転倒前の繰者の方は?」
「中におるはずだが、返事がなくての。これだけの巨躯。背にある搭乗口がうまっておるので、掘り起こすのもひと苦労よ」
「あれは軍用の人形機……人形闘機(サヴァシユ・ククラマキネ)。SKMとか言う奴ですね。新型ですか?」
「フム、そんなところだな。ぬしに繰れそうか?」
民間人に、いきなり新型兵器を操縦しろと言うのも無茶な相談だ。
だがこの老人は、それとわかっていながら質問している。
エルギンは、自信の過不足があたえる影響を考慮して、言葉を紡ぐ。
「──繰作系は民生用と変わらないと聞いています。歩かせるだけなら問題ありません」
如才なき応答に、親方は満足げにうなずく。
「よかろう。左様な状況だけに、復旧までしばし待たれよ」
「わかりました。発掘作業はどれくらい、かかりそうですか?」
「大物は撤去したゆえ、小一時間ほどかの」
「結構かかりますね。軍や警察に感づかれる心配は……」
「ここは資源管理局の管轄ゆえ、気づいても連中は手出しできぬ。ただし、この付近は境界が入り組んでおるゆえ、進行経路上にリバティノブル市を通過せねばならぬ地点がある。鼻薬は効かせてあるが、過信は禁物というところだ」
「もし見つかったら、資源管理局の管轄区域に逃げこめばよろしいですか?」
「しかり。船渠区画の手前まで到達できれば、そこから先に邪魔は入らぬよ。ほかに確認したきことはあるかな?」
「いえ、もう十分把握しました」
「うむ。では、しばし休まれよ。むこうで紅茶(チヤイ)を用意させるよってに、な」
「わかりました」
ふたりは現場より上手に用意された、荷物置き場らしい一角へとむかう。
親方が手を叩きながら、
「これ、ケディや……」
と呼ぶと、木箱の間から、女の子がひょっこりと姿を現す。
小柄なエルギンよりも、頭ひとつは小さい。
歳も、彼より若く見える。
亜麻色(ケテン)の髪を、ふたつの団子に結って留め、翡翠色の大きな瞳がきょろりと動く。
少女は無表情にこちらを注視していたが、やがて、渋々といった感じで木箱の間から歩みだす。
ほっそりとした小柄な肢体に纏うのは、闇に染みる黒いスカートとブラウスの上に、闇に映える純白のエプロン。
少女は、無機質な声音で年長者に問う。
「そちらが今宵の客人か」
「うむ、名はエルギンと言う。客人に茶の用意を頼む」
「わかった、しばし待て」
まるで年長者同士のような、即物的な会話の後、ケディはエルギンへむきなおる。
スカートとエプロンが、ふわっと小さな花を開かせた。
少女は、かろうじてそれとわかる微笑とともに問う。
「客人、エルギン、なにを飲む? 紅茶か、珈琲(カフヴェ)か、林檎紅茶(エルマチヤイ)もあるぞ」
「そうだね……林檎紅茶を頼もうかな」
「林檎(エルマ)? なんだ、女みたいな奴だと思ったら、本当にエルギンは女なのか?」
「いや、ぼくは男だよ。紅茶や珈琲より林檎紅茶が好きなんだ」
「そうか。しばし、そこで待て」
少女は絨毯の敷かれた折りたたみ式の長椅子をしめす。
ケディは手際よく、沸かしてあった湯と携帯用の茶道具で林檎紅茶を淹れ、小さな硝子の茶器に注ぐ。
「飲め」
木訥な愛らしさを振りまくケディ。
薄茶色の毛玉がふたつ、頭部で揺れている。
エルギンが「ありがとう」と笑顔をむけながら、団子髪を軽く撫でる。
四足獣の耳を撫でているかのような、やわらかい毛の感触。
ケディは翡翠色の目を見開き、くるんと後ろをむいてしまう。
「……ゆ、ゆるりと過ごせ」
どうやら、嫌がってはいないようだ。
苦笑しつつ、エルギンは両手の汚れを拭き、淹れてもらった林檎風味の紅茶をすすり、絵皿に盛られた茶受けのロクムをかじる。
粘りのあるサイコロ状の菓子は大粒で、ほんのりとバラの香りがした。
ケディは続けて、テケル親方のために珈琲を淹れる。
煎った豆へ漉さずに湯を注ぎ、上澄みだけを飲むのが流儀だ。
ひと息ついてから、あらためて転倒した灰色の人形機を観察する。
人形闘機は、作業用の人形機に比べ、ずっと人間に近い姿をしている。
胸殻が鋭く前方に突きだし、胸の脇には白文字でKX41と記されている。
頭部は低く、小さく、首に埋没するようだ。
頭頂部には感知器(ドゥヤルガ)が、黒い鶏冠(とさか)のように突きだしている。
胸部が、がっしりとした構造であるのに比べ、手足は細い。
要所に装甲が施されているものの、あちこちに内部の機械構造が露出している。
動力は、標準的な分散型蓄電駆動。
四肢の各所に、動力と動力源を内蔵している。
出力は高そうだが、四肢の防御はあまり考慮されていない。
胸部の操縦席のみ保護し、後は運動性を優先しているようだ。
エルギンが見知っている人形闘機は、もっと重装甲だった。
状況から見るに、この人形闘機は斜面を登る途中で右脚もとが崩れ、転倒している。
その衝撃で、天井が崩落し、砕石に埋没したのだろう。
興味深いのは、結果として転倒しているものの、転倒を回避するため、かなり無茶な機動を行っていること。
彼の脳裏で、右の足場が崩れたため平衡を失った灰色の人形機が、体をひねりながら転倒回避につとめるさまが再現される。
最後に踏み出した右の足場がさらに崩れたのが、決定打となった。
内部の繰者に、相当の衝撃がもたらされたはずだ。
努力は認めるが、無理せずさっさと転んだ方が、衝撃は軽かっただろう。
転倒した灰色の人形機に積もった砕石の撤去は、五機の人形機によって進められている。
繰者は三人が女性で、残るふたりが男性。
人形機は腕力を増強させる装置であるだけに、女性繰者の比率が高い。
五機のうち、四機はかなりの熟練者と見たが、一機だけ異なる動きの機体があった。
問題の繰者は、人形繰りにしては大柄な、若い女性。
髪は栗色(ケスターネ)の短髪。
体の線を引き締める、つなぎの作業着を着ている。
遠目にも目立つ、豊かな胸のふくらみが、人形機の操作桿を繰るたびに跳ね上がる。
残念なのは、彼女の人形繰りが、あまりにもお粗末なこと。
必死の形相で砕石を持ち上げる四肢の動きが、危うい。
エルギンが理想とする挙動を、ことごとく外している。
自動の脚部と手動の腕部の連携が取れておらず、思い切りがわるい。
それでいて、動きに無駄が多いため、結果として女性的な肢体の魅力を振りまくこととなってしまう。
未熟な繰者特有の、「人形機に背負わされている」状態だ。
残る四機がうまくフォローしているが、率直に言えば足手まといだった。
それに……。
エルギンは、かじりかけた大粒のロクムを絵皿に戻しながら、告げる。
「親方、あの人形機ですが……」
隣で、ロクムにまぶされた、澱粉のついた指を舐めていたテケル親方が言う。
「……うむっ。コルンの機体ですな。あやつは繰者になって間がないが、ほかに適任者がおらんでの」
「そうですか。でも、早く止めた方がいいです。あれはもうすぐ、ベベキになりますよ!」
その言葉に、親方は片眉を上げて、ちろりとエルギンを見る。
「それは、まこと……」
親方が訊ね終える前に、異変は起きた。
コルンの人形機が、不自然によろめいたのだ。
手にした砕石が放逐され、灰色の人形機の腕に当たって、砕ける。
一方向へ倒れまいと踏ん張ると、今度は逆方向によろめきだすという、酩酊じみた挙動を繰り返す。
「いかん、皆のもの、コルンを止めよ!」
叫ぶテケル親方の眼前で、エルギンがコルンの機体へむかって走り出していた。
不安定な足場をものともしない敏速さで、制御を失った人形機の前に立つ。

当のコルンは、機体を制御しようと必死で、エルギンの出現には、しばらく気づかない。
彼女は学業の合間に人形機のライセンスを取得して三ヶ月。
本格的に人形繰りをはじめてひと月半。
ようやく、ひと通りの操縦に慣れたばかりの彼女に、不整地での作業は酷だった。
自律制御の不調に気づき、とっさに手動制御に切り替えたまではよかった。
だが、足場のわるいこの場所で、人形機を手動で安定させるのは困難を極めた。
「なんで、なんっ、ですっ、かっ!」
両足を突っ張って、制御しようと躍起になるが、いちどは安定したと思っても、すぐに脚もとが崩れ、平衡を失ってしまう。
蠱惑的な、狂乱の舞踏が続く。
先輩の女繰者が、叫ぶ。
「斜面を背にして、尻もちを突きな! 教えただろ!」
その声は聞こえていたが、もはやどちらが斜面の上手なのかすらわからない。
ともかく背をむけて倒れれば、大怪我をせずに済むという発想すら浮かばない。
汗が散り、全身が火照る。
栗色の髪が、吹き散らされる寸前の蝋燭のように、ゆらめきを続ける
ハーネスに締めつけられた豊かな胸が、窮屈そうに、よろめく人形機を追いかけて不規則に弾む。
その惑乱(わくらん)は、人形機が静止した直後、わずかな反動のたゆみと共に止まる。
次いでコルンは、開いた両の太股が、何者かに鷲掴まれているのに気づく。
潤いと光沢を放つ、漆黒の長髪と瞳を持つ女……いや、男だ。
見下ろすコルンの瞳と、見上げる切れ長の瞳がぶつかる。
整った顔立ちの青年が、清涼な笑みをむけた。
「やぁ、どうも」
人形機の真正面に飛びこんだ見知らぬ男性が、彼女の弾力のある太股を、指が食いこむほど握りしめている。
彼女の頬を伝う汗があごの先から離れ、青年の額で水冠が弾ける。
「んあっ……イヤっ!」
その事実を認識したコルンは、先ほどとは別な意味で顔が火照り、反射的に男性を手で叩こうとする。
操作桿を通して、彼女の腕の動きが忠実に人形機へと伝達され、金属製の剛腕が青年の頭部をなぎ払う。
駆動音と風鳴りが、グブォンと疾る。
途端に機体が流れ、安定したはずの人形機が、ふたたびよろめく。
「あっ!」
自身の反射行動を、ようやく認識したコルンだったが、それを後悔する暇はない。
無限に崩壊し続ける足場と、ふたたび格闘しなければ。
彼女が再度、全身を硬直させかけた時、男性の声。
「暴れないで、落ち着いて!」
剛腕の一撃を回避していたらしい男性が叫び、臆することなく、ふたたびコルンの太股に指をめりこませる。
その絶妙な力加減が人形機の脚部に伝達され、ふたたび彼女の機体を安定させる。
「力を抜いて、ぼくに任せて……そう、いい感じ」
「は、はい、わかりました」
彼女を見上げてやさしく告げる青年に、コルンはか細く答える。
顔が熱い。
人形機の脚もとでは、たえず砕石が崩れていたが、そのたびに男性の手によってコルンの両足が動かされ、人形機の両脚は変化する大地をしっかりと踏みしめている。
彼女は見知らぬ男性の手管によって、なすがままにされるしかなかった。
長い十数秒が流れ。
僚機によって両脇を抱えてもらい、ようやくコルンは操縦席から降りることができた。
狂乱の余韻に身体がふらつき、倒れそうになるのを男性に抱きとめられる。
潤う黒髪の間から、鋭利な曲線で構成された甘い顔立ちがのぞく。
闇より黒い瞳が、彼女を射貫く。
細身だが、引き締まった筋肉の硬さを感じる。
その抱擁を、無条件で受け入れそうになり、あわててコルンは四肢を離す。
彼は青いジャケットの下に灰色のシャツを着て、紺色の膝丈ズボンに、編み上げたゲードルと革靴を履いていた。
作業現場には場違いとも言える、モダンな装束。
「コルンさん、よくがんばりましたね」
黒髪の男性は、清涼な笑顔でコルンに言う。
「は、はいっ、お見苦しいところをお見せしましたっ!」
汗で湿った栗毛を揺らし、上ずった声でどうにか返事をする。
「もう少し、制御系に負荷をかけない人形繰りを覚えた方がいいですよ」
「は、はひっ、がんばりますですっ!」
男性はエルギンと名乗り、コルンと入れ替わりに、人形機に飛び乗った。

テケル親方が問う。
「どうされるつもりか?」
エルギンはハーネスで四肢を固定し、人形機のライセンスカードを眼前に下ろした画面(モニヨテル)に読み取らせながら答える。
「こいつで、撤去を手伝います。その方が早いですから!」
「ぬしの出番はまだだ。ほかのものたちに任せい!」
読み取られた情報をもとに、人形機の操作桿が伸縮し、エルギンの体躯に合わせて調節される。
この機体はクルマギヨト製の、マイムンという旧式の人形機。
マイムン系の人形機は、制御系を粗悪な国産のものへ、後付けで換装しているため、不具合がでやすい。
自己診断させてみると、やはり死んでいるのは自律制御系のみだ。
ほかに、問題がないことを確認してからエルギンは告げる。
「あの大物を動かすなら、なるべく余裕が欲しいんです。さっさと撤去しないと、ぼくが後で困りますから!」
「……そのベベキで問題ないとな。よし、ぬしの腕、見せてもらうぞ!」
「お任せ下さい!」
人形機の四肢に組みこまれた電動器が唸りを上げ、待機モードから駆動モードに切り替わる。
両脇で支える二機の繰者たちは、テケル親方の合図で、人形機を解放した。
少年はいつも通り、堅実な一歩を心がける。
堆積した砕石を踏みしめ、揺らぐ脚もとを感じ取る。

親方の隣で見守っていたコルンが、小さく叫ぶ。
「あ、駄目っ!」
黒髪の男性が繰る人形機が、平衡を失い、ぐらりと前に転倒したように見えたからだ。
だが、前のめりに姿勢を崩した人形機は、滑らかな動きで脚を交互に踏み出し。
灰色の人形機へむけて歩行を開始する。
手早く四機の人形機に挨拶すると、砕石の撤去作業に加わった。
エルギンの繰る人形機の動きは、まるで人間そのものが歩いているようだ。
動作を倍加させるだけではない、人形機独特の制御を、自律制御ぬきで行う。
その困難さは、コルンもたったいま、体験したばかりだ。
先輩たちの人形繰りも、エルギンに比べれば、もっさりとして見えた。
彼の動きは、無駄がないばかりでなく、はじめて協業をするはずの四機とも柔軟に連携し、見る間に砕石を撤去していく。
遅れを取り戻してなお、余財をなすほどだ。
「ほっほう。あのベベキを、こうも見事に繰るとはな……」
顎髭をしごきながら嘆声を上げるテケル親方に、コルンは訊ねる。
「親方、ベベキって、わたしの人形機のことですか? 赤ん坊(ベベキ)ってどういう意味です?」
「ぬしははじめてか。うむ、人形機の自律制御系が不調で、手動操作しか受けつけぬものを、手のかかる赤ん坊にたとえて、そう呼ぶ」
「あの人は、エルギンさんは、そのベベキを自在に扱えるんですね」
「知恵なき頭は、脚を疲れさせるもの。あやつは別格だが、ぬしも、いざという時には自律制御に頼らぬ人形繰りを覚えねば、な。」
「……はい、あの人にも言われました」
「ぬしは努力家であるからな。期待しておる──精進せいよ」
「はい、努力します!」
ふたりが休憩所に移動すると、ケディがテケルに珈琲を、コルンに紅茶を差しだす。
「ご苦労だったな、飲め」
「ありがとう、ケディ」
小さな硝子容器に淹れられた紅茶には、スプーンと角砂糖が三個、添えられている。
長椅子に座り、角砂糖を溶かして紅茶をすする。
広がる甘みが緊張の糸をほぐし、くつろがせる。
痺れるような開放感が心地よい。
紅茶を飲み干してふと、脇を見ると、絵皿に載ったロクムの山に、かじりかけがあるのに気づく。
食べかけの菓子を皿に放置することなど、まずない。
おそらく自分を助けるために飛びだしたあの男性、エルギンのものに違いない。
コルンはそれとなく、テケル親方とケディの様子をうかがう。
ふたりの意識が作業に集中しているのを確認してから、歯形のついたロクムを、そっと口にふくむ。
舌の上で転がる、バラで風味づけされたロクムのやわらかさは、混乱のさなかでエルギンに太股を掴まれた時の感触を思いださせた。
あれほどまでに触れるのを許した男性は、彼がはじめてだ。
平然と彼女の窮地を救い、いまも迅速に作業を進める人形繰り。
我知らず、全身が熱を帯びる。
テケル親方が、視線を作業現場にむけたまま、ぽつりと言う。
「コルンよ。ぬしの若さがうらやましいのう」
ケディが、視線をあさっての方向にむけながら、ぼそりと言う。
「エルギンには、黙っていてやる。感謝しろ」
すべてを見透かされたコルンは、耳まで紅潮させ、長椅子の上で縮こまるしかなかった。

                                          02

統連、統合四界連合は、人類の文明活動を惑星内で完結させるために設立された、超国家的な世界管理機構。
六百年前、ヒズメト・ギヨト経済圏連邦は、軍事力と経済力をもって旧勢力を打破。
統合四界連合の成立に多大なる貢献を果たし、黄金時代を築いた。
しかし、最盛期には三大陸、西のロメリア、東のヴァラシア、南のトプリカにおよんだ支配地域も、経済的衰退と、制限戦争解禁後のたび重なる敗戦により、縮小を続けている。
統暦五九八年十一月、ヒズメト連邦はネルギア総国を盟主とする新興勢力、協総国陣営との間に起こった、ロメリア大戦に敗北。
敗戦が確定した後も、協総国陣営によって各地は分割占領さた。
統暦五九九年七月現在。
残されたのは、ロメリア大陸東端の残滓(ざんし)と、ヴァラシア大陸西部のトリアイナ半島中央部、そして両者にまたがるの首都リバティノブルのみとなっている。

三十分後、灰色の人形機の発掘作業が完了する。
人形機をうずめる砕石はまだ残っていたが、起立させるには、これで十分だ。
コルンの人形機を座らせたエルギンは、ふたたびテケル親方とならんで立つ。
少し離れた場所で、もじもじしているコルンと、それを空虚に見つめるケディが気になったが、つとめて業務に徹する。
なりゆき上、発掘作業を仕切る形になったエルギンが、状況を説明する。
「砕石を撤去し、巨人の背面にある搭乗口を露出させました。つぎの指示をお願いします」
親方は、「よかろう」とうなずいて、エルギンにカードキーを差しだす。白無垢のカードには、黒文字で「#2」となぐり書きされている。
「ぼくが、開けていいんですか?」
「うむ、ぬしに任せる。この人形闘機はデュルトと言って、戦時中にヒズメト陸軍が開発していたものでな。ぬしも噂には聞いたことがあろう、〈ナスレディン・ギア〉なる……」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。いきなり、そんなこと教えられても困ります」
唐突に、灰色の人形機の解説がはじまったことに、エルギンは困惑する。
この連中が、再建派であることは、容易に想像ができる。
再建派こと、ギヨト再建委員会は、衰退する祖国を憂い、三十年前に設立された組織。
彼らの目的は、ヒズメト連邦の母体となったトリアイナ半島発祥の共同企業体、ギヨトへの原点回帰によって、祖国を再建することにあった。
ヒズメトとは、もとはギヨト内の一部門名にすぎない。
警備部門であったヒズメトが軍閥化し、ギヨトの多国籍経済圏を軍事的に統一したものが、現在の共同企業体国家、ヒズメト・ギヨト経済圏連邦である。
今回の依頼主が、再建派であることは構わない。
だが、あからさまな密輸の片棒をかつぐ仕事の詳細など、知りたくもないし、話すべき事柄でもないはずだ。
なにを考えているんだ、このじいさん。
不信感をいだく少年をよそに、親方は平然と続ける。
「うむ、しかり……だが、ぬしには知っておいてもらった方がよいと思っての。のう、みんな」
その問いかけに、ふたりの周囲をとりまく人々が、それぞれに首肯する。
そこでようやく、エルギンは場の空気が変質していることに気づいた。
テケル親方だけでなく、コルンやケディ、そのほか人形機の繰者や警備の人たちも皆、一様に、エルギンを尊敬や信頼といった種類のまなざしで見つめている。
エルギンに小銃を突きつけた青年や中年男性ですら、そうなのだ。
自身の仕事をやりやすくするために手伝った作業が、図らずも彼らの信頼を高める結果となったらしい。
仕事がしやすいのはたしかだ。
だが同時に、全身を無遠慮になでまわされるような、不快感もある。
皆の態度に満足げな親方は、取ってつけたように咳払いを、ひとつ。
「コホン。とは言え、これは秘事ゆえに、ぬしの胸のうちに留め置いてもらいたい。では、はじめてもらおうか」
「……わかりました」
「コルン、手伝って差し上げなさい」
「は、はいっ」
不気味な好感を背に受け、エルギンはコルンとともに、灰色の人形機の背に潜りこむ。
人形闘機の背中の両脇にふたつ、大きな車輪のようなものが取りつけられていた。
小径車輪が巨大な円環に束ねられ、大径車輪となっている。
この小径車輪は大径車輪とは別に回転し、前後移動だけでなく左右移動も可能にするものだが、移動用にしては不自然な位置だ
どんな役目があるのだろうか?
入口は、腰の左上。人間で言えば、左肩胛骨の下にある。
「ここです」
コルンがしめす場所に、白いカードを押しあてる。
自動的に、小さな耐爆扉が開く。
一拍遅れて、橙色の照明が点灯する。
生体認証などのセキュリティがかけられている様子はない。
狭い入口から潜りこむと、一メトレほど垂直に──仰臥しているので水平に──通路がのびており、胸郭に通じる内扉がある。
淡く発光する開閉釦(デユーメ)を押す。
自動的に内扉が開き、白い明かりがあふれ漏れる。
「繰者の方、大丈夫ですか……」
エルギンは内部の惨状に、しばし凝固する。
──それから思いだしたように。
「うっ!」とうめいて、目をそむけた。
そこにいたのは、糸杉のごとき細身の肌を紅潮させた、小柄な少女。
純白の髪が、白い照明をあびて、玄妙に輝く。
操作桿に磔(はりつけ)られ、顔をうつむかせている。
うなだれた少女の額からは、赤黒い液が垂れ。
柔和な起伏のある肢体に赤い筋が這い、足もとに脱ぎ捨てられた服を染めている。
──そう。
彼が目をそむけたのは、少女が白皙の肌をさらし。
局部に僅少な布地のみを纏った状態で、吊り下がっていたからだ。
さらに言えば、「んっ、うっ」と、かすかなうめきとともに、薄目に開けた紅玉色の双眸が、ギリリと険悪にエルギンを刺し貫いたからだ。
半裸で縛を受けた少女は、表情を歪めてもなお、その全身に三日月(ヒラール)のごとき鋭利な美を宿している。
灰色の人形機の裡(うち)に宿る、文字通り鬼の父(デヴ・ババ)の娘だった。
四十一番目の扉は、決して開けてはならない。
おとぎ話の中で、娘は養父である鬼に、そう忠告されたはずだ。
「ゴ、ゴメン。少々お待ち下さい!」
そう言い残し、エルギンは石にでも変えられそうな、凶眼の放つ毒気から逃れるように、搭乗口の外へでる。
光に満たされた世界から、ふたたび闇の支配する世界へ。
外で待っていたコルンの双眸が、不安げに彼を見つめていた。

エルギンが、黒い瞳で呼びかける。
「コルンさん!」
「は、はい、なんでしょう?」
彼は不意に声をひそめ、恥入るように小さくなりながら、言う。
「!?……あの……い、いや、コルンさんでなくてもいいのか。ともかく、女性の方にお願いしたいのですが、その、操縦席の娘をだしてあげてもらえませんか? 怪我をされてるし、ぼくでは、ちょっと……」
「?……はい、あの、それは……」
コルンはふと、彼が自分の思うような大人の男性ではなく、大学生の彼女と同年代か、あるいはもっと歳若い少年であることに気づく。
冷静に観察すれば、小柄な女顔の少年が、年長者に見えるはずもない。
この人、年下なの?
「言われた通りにせい、コルン。おなごどもはコルンを手伝え!」
「は、はひっ!」
親方の言葉が、凝固した空気を溶かし、コルンは考えがまとまらぬまま、人形闘機の背にもぐる。
操縦席のぞいてみて、エルギンが恥入る理由は、すぐにわかった。
内部の繰者はなぜか着衣を脱ぎ捨て、上下の下着のみで操作桿に四肢を固定させていた。
手折(たお)れそうな肢体の少女は、女であるコルンから見ても、理想化された彫像のごとき美しさを宿している。
柔和な起伏のある肢体には、おだやかな陰影がつけられ、主張の激しいコルンの肢体とは見事な対比を見せていた。
こういうのが、あの人の好みなのかしら?
そんな邪念を振り払い、彼女は仲間と協力して、少女を操縦席から搬出する。
意識が朦朧としているようだが、命に別状はない。
怪我は、転倒の衝撃で外れた部品が、頭部に直撃したことが原因だった。
長椅子に寝かせると、ケディが手際よく傷の処置をはじめる。
「大事ない。頭部裂傷は出血が多いが、深手ではない」

少女繰者の治療が進められる脇で、エルギンは用意された林檎紅茶を一気にあおった。
ようやく、乱れかけた心に、平静が戻ってくる。
ああいうのは、どうもは苦手だ。
彼女の意識が戻れば、色々と訊ねたかったのだが、しばらくは無理らしい。
──さて、と。
親方の許可を得て、エルギンはふたたび搭乗口をくぐる。
白色光に浮かび上がる操縦席は球状で、中央に少女が磔られていた操作桿があり、その直上に椅子がある。
いまは上部に位置しているが、人形闘機が起立すれば胸郭の先に位置する、前席となるのだろう。
後部の操作桿で人形機の四肢を操り、前席で火器管制などを行うということか。
人形闘機の姿勢がどうあれ、球の中央に位置する操作桿は、水平を保てる構造になっていた。
同様に、胸郭から突きだした前席も、独立して水平を保つ構造になっている。
軍用というだけなら、特区軍で運用されている作業用の人形機を繰ったことはあるが、戦闘用で、しかも試作機となると彼にも未知の領域だ。
電源は投入されている。
エルギンは、操作桿を足場に登り、前席に滑りこむ。
後部操作桿とは独立した、三つの画面に、さまざまな情報が乱舞する。
画面のレイアウトは異なるものの、基本ソフトは特区軍の作業用人形機と大差はないようだ。
ためしに、エルギンのライセンスカードを読み取らせる。
裏の仕事用の偽造カードだが、人形繰りに必要な操作系の情報は保持している。
いくつか発生したエラーを無視して操作を進めると、操作桿が彼の体型に合わせて調節される。
四肢の操作に必要な設定項目をチェックしながら、彼は苦笑まじりにつぶやく。
「ああ、なるほど……こいつは、とんだベベキだな」
わざわざ自分が呼ばれた理由が、よくわかった。
「あのう、調子はどうですか?」
入口から上半身をのぞかせたコルンが、声をかけてきた。
「はい。歩かせるぐらいなら大丈夫です。はじめていいですか?」
「お、お願いします。!……あ、、あの……エルギンさん。この人形闘機って複座ですよね」
「?……ええ、ご覧の通りですが?」
それがどうしたと問うエルギンに、コルンはおずおずと提言する。
「あのですね、も、もしよろしければ、前座はわたしがつとめましょうか? 人形繰りは不得手ですが、マニュアルには目を通してますから、機器の操作ぐらいできます……」
「それは助かります。ぜひ、お願いします」
素直に了承すると、コルンは雲間から陽光がのぞくように表情を輝かせる。
彼女は外に待機していた仲間に次第を伝え、自身はエルギンと入れ違いに前席へ登る。
鍛え引き締められた肉体を持ちながら、彼が触れるたび、かすかに体を震わせ、恥じらう仕草が、妙に艶めかしい。
エルギンは、動悸の高まりを押しかくし、コルンを押し上げる。
彼女は前席に着くと、少々あやしい手つきながらも、起動準備を進めていく。
機関の制御はコルンに任せ、エルギンは操作桿に乗り、とりあえず腰部だけ固定する。
操作盤から各種の設定情報を確認。
いかにも戦闘用らしく、安定性よりも機動性を重視している。
機敏に動けるということは、不安定ということでもある。
これを繰るとなると、相当に熟達していなければならないだろう。
あの鬼の父の娘が、ここまで歩かせたと言うなら、相応の技量はあったということか。
ならば、先人の知恵に倣うとしますか。

コルンが、少年を見下ろし、呼びかけた直後。
「エルギンさん、あの……きゃっ!」
彼女は小さく悲鳴を上げる。
整った顔立ちの少年が、おもむろに服を脱ぎはじめていたからだ。
黒髪の少年はジャケットとシャツ、靴とゲードルを脱いで、引き締まった上半身をさらし、膝丈のズボンのみを穿いていた。
脱いだ着衣を上着でまとめ、操作桿に縛りつける。
エルギンはさして気にした風もなく、四肢を操作桿に固定させながら言う。
「あ、驚かせましたか?」
「い、いえ、はい。驚きましたけど……」
コルンは朱く頬染めながら、少年から視線を外せずにいた。

エルギンは言う。
「さっき運びだされた娘が、下着姿で操縦していたじゃないですか」
「……えっ? そ、そうですね」
コルンはどこか、上の空。
彼女の意識が、こちらにむくのを待って。
「──なんで、あんな格好をしていたと思います?」
「……わかりませんけど、乗る前は、ちゃんと服を着てましたよ」
「でしょうね。おそらくあの娘は、操作桿の反応を、少しでもよくしようとしたのだと思います」
「反応って、素肌だと、感度がよくなるものですか?」
「多少は、ね。ご存じのように、操作桿は人体の筋電を読み取って、人形機の操作に反映させ、逆に外部の感覚情報を超音波で繰者の体に伝達させるものです。最近の操作桿は読み取り精度も高いし、そもそも自律制御が優秀だから、服を着ていても問題はないのですが……」
「ですが?」
「この人形闘機はには、自律制御用のシステムが、ごっそりと抜け落ちているんです。コルンさんの人形機のように、途中で調子がわるくなったとかではなくて、最初から実装されていないんです」
「それも……ベベキって言うのですか?」
エルギンは破顔して断言する。
「きわめつけの、ベベキでしょうね。試作機としても、かなり程度の低い代物ですよ、これは」
「そ、そうだったんですか。エーミアさん……あ、さっき運びだされた方の名前なんですけど、彼女もそれがわかったから、服を脱いでいたんですね」
「だと思います。その、エーミアさんという方は、人形闘機の操縦経験がおありになるんですか?」
「さあ……ほかに適任者がいないと言ったら、なら自分でやるとおっしゃいましたから」
「そう、おっしゃったんですか」
コルンの口振りからすると、エーミアという少女が依頼主、もしくは依頼主に近い立場にいる人物のようだ。
依頼主みずからが人形闘機を繰り、転倒させたあげく、エルギンが呼ばれたたというところか。
「そ、それで、あの、エルギンさん」
「エルギン、でいいですよ。コルンさんの方が年長者のようですし」
「えっ……あ、そうですか。ではわたしも、コルンでいいです。わたしの方が、初心者のようですし」
──結構、面白い人だな。
「わかりました──それではコルン、用件は?」
「あ、はい、エルギン。こちらの準備は完了です。後席の銀幕(エクラン)に火を入れます」
コルンが告げると同時に、球状の内壁へ、次々と映像が貼りつき、やがて全周が動画で満たされる。
人形闘機の各所に設置されたカメラの映像を合成しているようだ。
立体視にも対応しており、距離感が掴みやすい。
複数の露出設定で撮影された映像と、赤外線や紫外線といった各種感知器からの情報が視覚的に反映される。
情報量は肉眼よりも豊富だが、加工を重ねたあざやかな映像からは、代償として現実感が抜け落ちていた。
風景に続いて、半透明の立体構造が前後左右に追加される。
形状からして人形闘機の四肢を表現しているのだろう。
なんとも高価な操縦装置だ。
人形機は砕石の上に横たわっているはずだが、現在の映像は直立したエルギンの姿勢に合わせ、縦に九〇度回転している。
映像の倍率が拡大されており、エルギン自身が巨大化したようだ。
感覚としては作業用の人形機と大差ない。
人形闘機の周囲では、一同が固唾を飲んで見守っている。
ベベキとなったコルンの人形機は、なんとテケル親方みずからが操縦していた。
人形機組合の長、西のドラシュム親方と肩をならべる、東のテケル親方は、相当な技量の持ち主と見て間違いない。
飲み助な西のおっさんとは、えらい違いだ。
五機の人形機が灰色の人形機を囲み、小銃を持つ男たちが、その周囲を警戒していた。
「じゃ、起こしますよ」
「お願いします」
「起立させて、斜面を登ればいいんですよね?」
「はい、そうです」
エルギンは了解を告げると、操作桿の動きを人形闘機と同調させる。
無数の電動機が四肢を唸らせる。
人形闘機の姿勢や周囲の情報が操作桿に反映され、直立していた操作桿が水平に倒れる。
直上に、コルンの座る前席が見えた。
すらりとした足が二本、座席からのびている。
太股の間から、コルンの瞳がわずかにのぞく。
一瞬だけ、ふたりの視線が交錯する。
気恥ずかしげな瞳は、すぐに太股と腕の間から消えてしまう。
彼はなぜか、無性に残念だと感じた。
背中に、ごつごつとした岩の感触。
操作桿は、操縦者の肉体がもたらす運動情報を読み取って、人形機に伝える。
人形機側からの情報もまた操作桿を介し、操縦者に伝えられる。
彼は指や腕、脚をわずかに動かして、その動作が確実に反映されていることを確認する。
まっとうな人形機なら、倒れた状態から直立を命じれば、人形機自身の判断で自動的に立ちあがらせることができるはずだ。
しかし、今回はそれも繰者の仕事。
エルギンは両方の人差し指を軽く二回、叩く。
デュルトがその動きを模倣して、金属製の指で砕石を叩く。
その感触は、エルギンの指先にも擬似的に反映されている。
これから起き上がるというサインを理解した一同が数歩、退がる。
十分な空間が確保されたことを確認。
エルギンは、ゆっくりと上半身を起こしながら、膝を曲げて両肘を突き、さらに両手を突いて上半身を起こす。
彼の動きに合わせて、直上にあったコルンの前席が、前下方へと降りてくる。
予測していたよりも、動きは軽い。
それでも、斜面の下方に背中をむけて立ちあがるのは、難しかった。
無理をせず、臀部を支点にして両脚を浮かせ、ゆっくりと方向を一八〇度回転させる。
人形闘機は人間よりも、そして、並の人形機よりも巨大だ。
そのことを念頭に置き、ゆっくりと、確実に動かす。
脚が斜面の下方をむくと同時に両脚を地面につけ、上半身を前傾させた反動で一気に起立させる。
人形闘機の質量に耐えられず、脚もとの砕石が崩れるが、エルギンは最小限の脚捌きで足場を安定させ、さらに一八〇度旋回させて斜面上方をむかせた。
「おお!」と言う歓声が、頭部の黒い鶏冠に内蔵された感知器を通して、操縦席にも伝わってくる。
エルギンは、わずかに右手を挙げて応えると、ゆっくりと斜面を登りはじめた。
歓声に乱されることなく、少年は堅実な一歩を心がける。
ざくり。
積層した砕石を踏みしめ、わずかに揺らぐ脚もとを感じ取る。
まるで、角砂糖が敷き詰められた坂道を歩いているようだ。
わずかでも配分をあやまれば、たちまち角砂糖の地面を踏み砕き、再度転倒するだろう。
あわや転倒という一線を、一歩目を踏みしめる間に何度か回避し、二歩目、三歩目に移る。
いままで通り、自身の感覚だけを頼りに、ゆっくりと上方を目指した。
ざくり。
……ざくり。
…………ざくり。

千変万化の斜面を踏みしめ、デュルトは登坂を続ける。
コルンには、それが高度な操縦技術の成果であろうとと、想像することしかできない。
先ほどは涼しい顔で、コルンのベベキを繰って見せたエルギンが、いまは華奢な肢体にうっすらと汗を浮かべ、時おり苦渋をまじえながら、灰色のベベキを歩ませている。
彼の技量をもってしても、相当な負荷がかかっているのだろう。
すぐにでも……エルギンのように、人形機を操れるようにならなければ。
憧れと、憤りがないまぜになって、胸が苦しい。
この想いを、どこへむけたらよいのか、彼女にはわからない。
「もうすぐ坂を登り切りますよ、コルン」
エルギンの言葉に、彼女は想いを見透かされたような気がした。
「は、はひ、そ、そうですねっ」
「……いや、この先、どっちへむかえばよいのでしょうか? 指示をいただきたいのですが」
斜面の終点は、狭い──と言ってもデュルトが直立してギリギリ通れるだけの広さはある──回廊になっており、その先で左右に分かれていた。
コルンはあわてて地図情報を確認する。
「はい、左です。ここから一キロメトレほどリバティノブル市内を通過します。右側はリバティノブルへ市街。左側が船渠区画へ通じています」
「わかりました……!?……いや、ちょっと待って下さい」
なにかを感じたエルギンは、両方の手の平を斜め後方へ突きだす。
周囲に「待て」を告げるサインだ。
テケル親方がこれを追認し、一同は坂の頂上手前で停止。
足もとに味方がいると、機動が制限されるからだろう。
デュルトだけが単機、前進を続けていた。
コルンが問う。
「なにかいるんですか?」
「いそうですね」
彼は曖昧に答えながら、デュルトを坂道の頂上間際まで歩ませた。
あと一歩で隘路を抜けるというところで、エルギンが告げる。
「廻しますよ」
「えっ? なにっ……」
コルンが問うよりも早く、デュルトは前方に倒れはじめる。
彼女の眼前に、砕石の地面が急速に迫る。
「ひきゃっ!」
悲鳴を上げてみたものの、衝撃はないまま、景色が転変する。
エルギンは、全高八メトレの人形闘機を前転させたのだ。
ふわりとした沈降とともに、一瞬だけ、天地真逆の背後が見えた直後、デュルトの左腕が一閃。
それと同時に感知器が、金属塊をとらえる。
コルンが声高に報告。
「敵、SKMが左右に二機です!」
エルギンは左右の人形闘機の間を前転で抜け、余勢でデュルトを起立、反転させる。
眼前に立つ敵は、ただの一機。
デュルトと同寸法の、甲冑を思わせる濃紺の人形闘機。
もう一機がいた場所から、轟音とともに洞内へ砂塵が噴きでる。
コルンには状況が把握できない。
感知器の情報を信じるなら、洞穴の左右にひそんでいた人形闘機のうち、左側。
船渠方向の通路にいた一機が、前転中のデュルトに引き倒されたのだ。

なにが起こったか理解できないのは、敵も一緒だった。
三脚大釜の徽章を胸につけた、ヒズメト特区軍の単座式SKM、K38ヒサール。
その繰者であるメルジェキ挺曹長は、混乱する間も、恐怖する間もなく、ただ茫然としている。
「なんだ、このベベキは……」
そう、つぶやくのが精一杯。
待ち伏せは、完璧なはずだった。
昨年の、ロメリア大戦敗北直後から常態化している、反政府組織、ギヨト再建委員会への物資横流し。
それだけなら、首都防衛を任務とする特区軍がでることではないが、その物資が軍の開発した試作SKMであるとなれば、話は別だ。
憲兵隊(ジヤンダルマ)からの要請により、メルジェキ挺曹長率いる、ヒサール二機のSKM分隊と、歩兵二〇名の歩兵分隊からなる第三小隊がカザンカプ兵舎を進発。
SKM分隊長と小隊長を兼務するメルジェキは、歩兵分隊を隧道のリバティノブル側手前に配し、僚機のダヴル専伍長とともに隘路の出口で左右に埋伏して、盗難機を待ち構えていた。
探知技術と隠蔽技術は、ともに極大の進歩をとげている。
結果、隠蔽技術を駆使して静止している限りは発見することが困難となり、些少でも動きを見せれば瞬時に探知技術を駆使して発見されてしまう。
こちらが隠蔽状態でかつ、敵機を捕捉しているという状況は、絶対的優位なはずだった。
相手は新型とはいえ、自律歩行も戦術評価もままならない、造りかけのベベキだ。
反政府組織の雇った繰者に、歩かせることはできても、戦闘などできるはずもない。
現在配備されているSKMは、戦勝国である協総国軍により、対戦機砲をはじめとする重火器の装備と使用を禁止されていた。
それでもこちらは、正規兵の繰るヒサール二機で待ち伏せしていたのだ。
感知器に反応しない相手の存在を予想できたとしても、せいぜい逃げだすのが関の山だ。
そう、たかを括っていたメルジェキは、敵がこちらに気づいたばかりか、あのような攻撃を仕掛けてくるなど、想像もつかなかった。
二機のヒサールが拘束しようと動きはじめる直前、敵SKMは、眼前で両手を突いて前転したのだ。
ヒサール二機の剛腕を低い姿勢で回避した敵機は、ついでに平衡を失いかけていたダヴル機の左脚を腕で払い、転倒させてしまう。
共有情報は、ダヴル専伍長が転倒の衝撃で昏倒したことをしめしている。
機体が無事でも、いま動けなければ、評価は撃破相当だ。
ヒサールの操縦席は単座で、操作桿はデュルトと同じく自在に回転するが、周囲の状況認識は、頭部を覆う情報帽(ハベルカスク)の内部に投影された映像をもとに行う。
砦(ヒサル)という名の通り、重装甲かつ鈍重で、歩兵の盾となるのが主任務の機体。
低重心が売りのヒサールを、よくも転倒させてくれたものだ。
眼前の敵SKMが、見慣れた巨大な短剣(ブチヤク)を構える。
それは、メルジェキ挺曹長のヒサールが構える人形闘機用短剣と同じもの。
彼の口から、絶望が漏れる。
「それはない……」
だが、それが現実だ。
武器の個体識別符号が、それを力強く肯定している。
盗難機はダヴル機を転倒させたばかりでなく、手にした短剣まで奪い取っていたのだ。
機動性も操縦技術も、違いすぎる。
これでは、まるで……。
『メルジェキ、状況は把握している。奮励なさい』
凜とした女性の声が耳朶を打つ。
それは、彼に敬愛とともに畏怖をいだかせる元上官の督戦だった。
SKMの格闘模擬戦で、彼女に打ちのめされた屈辱がよぎる。
メルジェキは、ざらつく心を鎮め、答える。
「了解。これより盗難機を確保します」
ダウル機の轍を踏まないため、メルジェキはヒサールの腰を落とし、短剣を構える。
敵は一機。
たとえ相討ちになっても、動きを止められれば、こちらの勝利だ。
盤石の勝利を確信した時、盗難機が動く。
滑らかに倒れこむ、不自然な挙措。
それとて、はじめて見る動きではない。
かつてスィヒルにしてやられた苦い経験に比べれば、まだ甘い。
敵機は全力で体当たりしてきた。
重量ならばこちらが勝る。
短剣を突き立てながら、受け止めようと重心を前にかけた時。
敵機が視界から消えた。
ぐらり、と視界に大地が迫る。
その脇で、敵人形闘機が低い姿勢で脚を突きだしていた。
重心を移動させた瞬間。
脚を払われたのは理解できたが、転倒を回避する術はない。
敵機の腕が、短剣をヒサールの腰に突き立てる。
敵機の体が、身をよじってヒサールとの衝突を回避する。
衝撃。
手にした短剣が跳ね飛ぶ。
前もって予測できた分、メルジェキは意識を保つことができた。
だが、動くことはできない。
敵機が突き立てた短剣が右太股のつけ根に刺さり、右脚の機能が麻痺していた。
メルジェキは無言のまま、両手を爪が喰いこみ破れるほど、強く握りしめる。
性能の差ではなく、技量の差で破れたのは明白だった。
かつてスィヒルと対峙した時と同じように。
ギリリと歯ぎしりした彼は、つとめて冷静に状況を報告する
「少佐、対象健在。二号昏倒。自分の一号は起立不能。右脚をやられました。こちらで敵民兵を対象と分断します。対象の確保をお願いします」
『了解。対象は三号が処理する。一号、二号は沈黙し、こちらの合図で敵民兵を攪乱なさい』
「了解……ご武運を」
万一の場合はスィヒルへ敵を誘導するため、船渠側には兵を配していない。
作戦の指揮系統から外されたスィヒルに戦闘の機会を残す、苦肉の策だった。
敵がスィヒルと同等の技量の持ち主であった場合にのみ、効果を発揮する策ではあるが、まさか本当に使うことになるとは。
メルジェキは、隘路側から民兵が進出してくるのを見計らい、攻撃を命じる。
「第二分隊、隘路出口、速射!」
洞穴のリバティノブル市街側から、歩兵分隊の発砲による、プラズマ光。
直後に隘路側からも発砲が行われる。
連中は、後ろむきに人形機四機を進出させて臀着し、即席の陣地とする。
マイムン型人形機の背に、着弾で火花が散った。
装甲板を背負い、掩蔽効果を高めている。
民兵にしては、よく訓練された動きだ。
『……ううっ、なんだ、畜生め!』
ダヴル専伍長の嘲罵が、健在を告げる。
覚醒処置が効いて、ようやく意識を取り戻したようだ。
「ダヴル、脳味噌は潰れていないようだな」
『ええ、両手でしっかりおさえてましたからね』
「上等だ──ダヴル、俺が指示するまで動くなよ。気絶したふりだ。感知器も切っとけよ。後でたっぷり、連中と遊んでやろうぜ」
『……了解しました。感知器を切断し、別命あるまで待機します。……にしても、あの灰色の奴はどうなったんです?』
「俺たちを手玉にとって、悠々と先に進みやがった。スィヒル少佐が、お相手なさるそうだ」
『少佐みずから? でも、盗難機ごときに、あのお嬢様のお相手がつとまりますかね?』
そう疑問を呈するダヴルは、あくまでスィヒルを格上と見ているようだ。
同意はする──が、全面的に賛成はしかねる。
盗難機はベベキだと聞いていたが、あれは並のベベキではない。
「わからん。が、勝負にはなるだろうさ。どちらも、俺たちでは歯が立たないのだからな」
『そこまでの相手でありますか?』
「ああ。俺は少佐並の機動をする少佐以外の奴を、はじめて見たよ」

逆襲のため、擬死を決めこむ人形闘機の間。
隘路の出口で、マイムンを背負ったテケル親方が、エルギンたちに指示をする。
「ぬしらは、先に進め!」
敵弾が近傍をかすめるが、臆する様子はない。
その声は、マイクが拾っている。
エルギンが、コルンに告げる。
「進みますよ」
「で、でも、みんなが……」
「上位者の指示です。従いましょう」
「はい……了解です」
彼は操作桿を繰り、壁面に突き立った、二番目に倒した相手の短剣を抜き取る。
そして隘路の出口から左手の、船渠区画にむけて歩みだす。
地面はすぐに舗装されたものへとかわり、格段に歩行が楽になる。
背面に数発被弾するが、歩兵の小銃なら、無視しても問題ないだろう。
次は、なにがでてくるやら。

数分にも満たない攻防に、コルンは心がすり切れそうな思いだった。
人形繰りが極限まで人形機を操ると、あのような動きができるのか。
過激な人形繰りによる負荷に耐えきれず、駆動系は異常な負荷と発熱に悲鳴を上げ、制御系は想定外の動きに混乱をきたしていた。
彼女は、関節各部の強制冷却を実行し、システムの自己診断と修復、および現状は不要な箇所のカットを行う。
デュルトの駆動部から、冷却にともなう白煙がたなびく。
エルギンが問う。
「まだいけますかね?」
「負荷がかかり過ぎですが、可能な限り持たせます」
「お願いします。ここはまだ、リバティノブル市ですか?」
「はい。あと五百メトレです。そこから先は、船渠区画まで資源管理局の管轄になりますから、攻撃を受ける心配はありません」
「そうですか……でも、またきますよ」
エルギンがそう告げた直後、デュルトの感知器が敵機の出現を知らせる。
どうしてこの人は、感知器よりも気づくのが早いのかしら?

エルギンは、銀幕に映じられた情報に黒い視線を走らせる。
船渠区画へむかう隧道の途中に、中央高二〇メトレ、直径一〇〇メトレほどのドーム構造がある。
細い光の柱が五つ、薄暗いながらも場内を照らしている。
その中央部に、棹状武器を掲げた紅褐色の人形闘機が一機、たたずんでいた。
先ほど交戦した二機と同型機……には見えない。
胸部や頭部の形状には共通点があるものの、甲冑を思わせる装甲はなく、内部の構造が各所であらわになっている。
両脚のつま先から膝にかけて、中央線が山折りに尖っていた。
手にした長物の先は、機体色と同じ紅褐色の、鞘状の被覆板がつけられ、鋭角であろう刃の部分を隠している。
被覆板の根本から垂れ下がる飾り布が、わずかにたなびき、ゆららめく。
デュルトとは異なる形状ながら、どこかデュルトを思わせる人形闘機。
それと認めた時、コルンの声が震える。
「〈ヒズメトの月(アイ)〉……スィヒル・ハリデ少佐」
「スィヒル?……あの機体の繰者が、ですか?」
「そ、そうです」
この国でその名を知らぬものはない、ロメリア大戦時、リバティノブル防衛戦の英雄(カフラマン)。
彼女の指揮する人形闘機小隊が、リバティノブル近傍に上陸してきた協総国軍を撃退したことにより、首都占領を断念させたと言う。
ロメリア大戦の敗北という凶事の渦中にあるからこそ、彼女の活躍は敗戦にうちひしがれた国民を鼓舞する、数少ない吉報と言えた。
新型とはいえ、兵役も受けていない民間人が繰る人形闘機に、どうこうできる相手ではない。
常識的な判断ならば。
エルギンは問う。
「どうしますか。降参します?」
「そ、それは困ります。スィヒルさんとは顔を合わせたくないと言うか、なんと言うか」
「もしかして、お知り合いなんですか?」
「はい、若干お知り合いです」
「はあ。で、どんな方ですか?」
「……それは、ヒズメト特区軍の女性将校にして、人形闘機部隊の中隊長で、ご自身も優秀なSKM繰者です。それに……」
「それに?」
「……それに、とっても美人です!」
コルンはそう断言すると、ちらりとエルギンを振り返る。
妙に真剣だ。
「そ、そうですか」
もちろん、頻繁に新聞や電子映像機(テレヴィズヨン)に露出する、英雄の顔ぐらいは知っている。
が、美人かどうかは、このさい関係ないと思うけれど。
「……で、どうします? 降伏しないなら、逃げますか?」
「いえ、その、それは……」
コルンは逡巡のあまり、うつむいてしまう。
紅褐色の人形闘機は、わずかに四肢を揺らしなが沈黙している。
微動するのは、操作系が繰者と接続されている証拠だ。
ためしに、デュルトの右脚をわずかに踏みこませると、スィヒル機も同方向へ重心を移動させる。
これより先へ進むなら、容赦はしないということらしい。
不意に。
コルンが顔を上げ、エルギンを見据える。
その表情からは、一切の迷いが消えていた。
熱く、揺るがぬ堅牢な意志だけが、その双眸に宿っている。
彼女は問う。
「エルギン──〈ヒズメトの月〉と、戦っていただけますか?」
「!……」
峻厳な瞳に釘付けられた。
彼女は、自暴自棄になったわけではない。
劣勢を自覚しつつもなお、エルギンが勝つ可能性に賭けたのだ。
これが命令なら、死ねと言うに等しい。
なんて無茶な。
雇われの人形繰りには、過ぎたる依頼。
それでもなお、彼女の言葉には、勝負を決断するに足る、確たる意志がこめられていた。
客の期待には、可能な限り応えるのが信条だ。
自然、口もとをほころばせながら告げる。
「──いいですよ、戦いましょう。たしかにここは、人形闘技(ククラギユレシユ)に、うってつけだ」
「人形……闘技?」
「まあ、人形機同志の喧嘩、みたいなものですよ」

エルギンの言葉に、コルンは周囲の状況を再確認。
言われてみれば、このドーム構造は円形闘技場のようにも見える。
紅褐色の人形闘機以外、敵の反応はない。
一騎打ち。
逃げるという選択肢がない以上、戦うべきだと判断した。
不安と逡巡の圧力に押しつぶされそうだったが、その感情を他者にさらすことは許されない。
たとえあやまちでも、絶対の自信を持って部下を死地に送りこまねばならない。
それが、彼女が生きると決めた世界での、掟なのだ。
「わかりました、お願いします!」
「了解。じゃ、いきますよ」
気負わず答えたエルギンは、デュルトを闘技場の内部に進入させる。

灰色の人形機が完全に闘技場へ脚を踏み入れた直後。
紅褐色の人形闘機、K39テズヒサールの内部でスィヒル少佐が指示を飛ばす。
「三号会敵。小隊、攻撃開始」
『了解。第一分隊、攻撃開始。第二分隊、隘路出口へ一挙前進』
メルジェキ曹長の復唱を確認し、スィヒルは眼前の敵のみに集中する。
いまは、何者にも戦いを邪魔されたくない。
ヒズメト陸軍第四軍、リバティノブル経済特別区防衛軍、通称、特区軍の中隊長であるスィヒル少佐は、灰金髪と灰色の瞳を情報帽のうちに隠し、布告する。
「月は輝く光を欲す。突出(デユルト)の名にし負う衝力──とくと見せてもらいます!」
テズヒサールは、量産機であるヒサールをベースに軽量化と高出力化を追求した、格闘戦専用機。
次世代試作機であるデュルトと、格闘能力に大差はないはずだ。
スィヒルは掲げていた鎌槍(トゥラパン)を突き構える。
その動作に呼応して、先端の被覆板に穿たれた、六角形の穴の列から、シュシュシュフゥと白煙が噴出。
数秒後に、被覆板が左右へ割れ落ちた。
鎌槍の先に、突きを意図した鋭利な切っ先と、払いを意図した鎌状の刃が出現する。
その刃は抜けるように白く、文字通り光を透過していた。
薄く、硬く、撓(しな)う新素材、瞬硬エアロゲルの鎌槍。
超臨界乾燥によって形成されたJSエアロゲルを積層し、電磁硬化させた白雪の鋭刃は、接触面の分子結合を瞬断する。
主力戦車級の正面装甲すら断ち得る刃の前では、SKMなぞ藁束のごときもの。
先に仕掛けたのは、スィヒル。
操作桿の動きに追従し、鎌槍を構えたテズヒサールは、ぐらりと前傾する。
巨躯であるがゆえに、位置エネルギーを移動力に転化させるのは、格闘機の定石。
盗難機の繰者も、それを心得ている。
短剣を腰溜めに構えたデュルトも、前傾。
互いの距離が、一気に縮む。
間合いに長けた、テズヒサールの鎌槍が、切っ先で突く。
胸を狙った刺突に、デュルトは短剣を跳ね上げる。
鎌槍の軌道がそれ、デュルトの右側頭部を擦過。
代償に、短剣を持つ右腕の手首から先が、鏡面のごとき鋭利さで切断される。
構わず進出するデュルトに、テズヒサールは鎌槍を引き戻す。
突起した鎌が、灰色の人形機の背に突き立つかに見えた、寸前。
デュルトは右脚を踏みこむと同時に左脚を引く。
右脚を軸に左脚を引き上げる動作で前傾し、白刃を回避。
鋭利を極めた鎌の切っ先は、頭頂にある黒い鶏冠を刈り取るのみ。
デュルトは敵に背をむけながら旋回し。
テズヒサールの左側頭部めがけて後ろ廻し蹴りを放つ。
異様にのびる左脚を、テズヒサールは鎌槍の柄で払おうとする。
──が、それよりも速く。
デュルトの左脚が軌道を歪める。
蹴りの目標が鎌槍の柄に変じ、鞭のようにからみつかせる。
そのまま蹴り下ろす威力で、鎌槍をテズヒサールの手からもぎ取る。
敵は引き倒されるより早く、獲物を手放していた。
地を跳ね、宙を舞う鎌槍。
瞬硬エアロゲルの電磁結合が解け、紅茶に落とした角砂糖のごとく、刃が霧散した。
デュルトは蹴った左脚が地を掴むと同時に右脚を引き、半身で構えて距離を取る。
そこへテズヒサールが、引き倒されかけた姿勢から両手を突き、前転。
屹立する左脚。
かかとを、斧のように振り下ろす。

エルギンは、デュルトの上体を反らせて、その一撃を回避。
そこへ、さらに屹立した右脚が続く。
二撃目は、さらに深くのびる。
それすらも回避したかに見えたが、かかとの先端が胸郭の突出部を強打。
デュルトの操縦席を、強引に下方へ撃ち下ろす。
ギンッと乾いた衝撃が、頭上で爆ぜる。
「きゃんっ!」
コルンの悲鳴とともに四囲の画像がとぎれ、球状の銀幕に意味のない図像を散らす。
「ぐっ」
エルギンは操作桿越しの圧力にあらがわない。
上肢をわずかに前傾させながら、左腕を添え、するりと胸郭を引き抜く。
テズヒサールの右脚が、床面を砕いた。
警報や警告とともに、四囲の映像が回復しはじめる。
頭部の感知器を刈り取られていたが、有視界戦闘に支障はなかった。
やるなら、いましかない。
「コルン、冷却装置を切って!」
「えっ?」
「ぼくを信じて、早く!」
エルギンはそう言いって、ふたたびデュルトを前傾させる。

テズヒサールが二連脚の余勢で起き上がる瞬間。
そこへ、デュルトが左後ろ廻し蹴りを合わせる。
テズヒサールは、かろうじて右腕で受ける。
重く鋭い一撃は左腕を潰した上に、胴体をきしませ、なおも後退させる。
さらに踏みこんで、追い打ちをかけようとするデュルト。
不意に、動きが鈍る。
よろめき、膝を突く。
肘と膝、肩と腰から、威勢よく白煙が噴出する。
勝機あり。
スィヒルが吠える。
「断(ケス)!」
武人の礼儀に加減はない。
テズヒサールは前傾姿勢から両手を突く。
デュルトの頭頂部めがけて、先ほどと同じ二連脚を放つ。
双脚が、続けざまにデュルトに打ちこまれる。
加圧。
衝撃。
「ヌグウッ!」
闘技場の壁面に叩きつけられたのは、スィヒルのテズヒサールだった。
口腔に、錆びた味の体液が広がる。
視界の六割が失われ、左脚を中心に警報が多発していた。
虫喰いとなった視界の先で、灰色の人形機が、幽鬼のごとく立ちあがる。
駆動部から白煙をたなびかせながら。
胸部が陥没している。
右腕はなく、左腕もひしゃげ、かろうじて腕としての形状を留めるのみ。
「まさか、偽計だとでも言うのか?」
スィヒルは操作桿を握る手が、そして四肢が、汗で貼りつくように湿っていることに気づく。
擱座を装い、スィヒルに大技をださせる。
降りかかる右脚を寸前でかわし、身をひねりながら、つぎなる左脚を取る。
自身を支点として、壁面に投擲する。
テズヒサール自身の重量が、壁に激突することで、破壊エネルギーとなる。
デュルトの繰者は、勝利のためには偽計も厭わないというのか?
いちど見せた技ではあるが、それだけで見切ったというのか?

奇しくもデュルトの操縦席で、エルギンがスィヒルの疑問に答える。
「限界ギリギリまで、冷却装置を切る。あとは演技力が勝負の、つまらない技ですよ。なにも死んだふりは、連中の専売じゃありませんからね」
「死んだふりって……どういうことです?」
疑問符を浮かべるコルンに、エルギンはこともなげに言う。
「さっき倒した、二機の人形闘機ですけどあれ、繰者は生きてますよ。ぼくらを、こいつと戦わせるために、わざと動けないふりをしてたんです」
「!……で、では親方たちは……」
「わかってて、ぼくらをいかせたに決まってるでしょ。こいつを届けるのが仕事なんですから。さて……」

                                          03

統合四界連合の交戦協定により、核兵器、生物兵器、化学兵器、ナノマシン兵器といった汚染兵器はもちろん、航空兵器、レーザー兵器、ビーム兵器、殺傷目的の自律兵器といった、過度な破壊力を持つ攻撃兵器、さらに、誘導兵器、榴弾、地雷、金属弾といった、資源消費型兵器の製造、保有、使用、その一切が禁じられている。
総力戦によって、資源の大量消費を行う時代は過去のものだ。
それでも人類は、ふたたび戦争という贅沢を許されるようになっていった。
統連の交戦協定にもとづく戦争行為は、戦略、戦術レベルを、初期の機械化兵器が登場したころの水準にまで退化させている。
銃砲弾として使用が許可されているのは、硬土弾と呼ばれる特殊な粘土を硬化させた非金属弾のみ。
硬土弾は、人造藻類ヴィアトマによって生成される重藻土(ヴィアトミツト)を原料とし、これ自体が一次電池として大量の電気をたくわえることができる。
現在の銃火器は熱射砲(サーマルガン)の一種で、重藻土の弾丸から供給される電力によって銃身内にプラズマを発生させ、その膨張圧力で硬土弾を射出する。
電荷を帯びた硬土弾は、カービンソン効果による電磁硬化によって一時的に金属弾並の硬度と剛性を獲得し、飛翔体として目標を射貫く。
直撃すれば金属弾と同等の破壊力を生むが、有効射程距離を飛翔後、もしくは対象に命中後、硬化が解けて無害な土塊(つちくれ)と化す。
硬土弾の使用が徹底されたことにより、流れ弾による意図しない損害は激減した。
だが、それでも、人は銃弾で死ぬ。

デュルトとテズヒサールが戦闘を開始した直後。
先にデュルトによって昏倒させられ、そののち息をひそめていたダヴル専伍長のヒサール二号機が、小隊長であるメルジェキ挺曹長の命令によって右腕をふるう。
その一撃で、密輸業者の人形機一機と、その影で銃撃を行っていた三人の民兵を宙にはね飛ばす。
これを合図に、リバティノブル側から歩兵分隊が一挙前進を開始する。
SKM二機が敵を攪乱せしめると同時に、歩兵によって制圧することを意図したのだ。
だが、その目論見に反し、敵が混乱に陥ることはなかった。
敵は人形機を盾に、突撃する分隊に対して整然と銃撃を加えることで、確実に損耗を増やしていく。
「クッソ、ベベキどもはなにやってんだ!」
攪乱役のSKM二機が役目を果たさないことに、歩兵分隊を指揮するギョル専軍曹は毒づく。
一撃目こそ、二号機が人形機ごと敵をはね飛ばしたが、それ以降は二号機の右腕が振りまわされるだけで、小隊長の一号機にいたっては、芋虫のごとく身をよじるだけだ。
「小隊長、一機どうなって……っ!」
そう問いかけ終える前に、ギョルは民兵の放つ硬土弾に暗視眼鏡ごと左目を貫かれ、脳を散らして絶命した。
彼の耳に、決して届くことのない小隊長の声が響く。
『歩兵分隊、一時撤退だ、図られた!』

ヒサール一号機の操縦席で、メルジェキ挺曹長は悲痛な叫びとともに、自機を動かそうと奮闘している。
反政府組織の連中は、あろうことかヒサール二機が擬死を決めこんでいる間に、四肢を固定してしまったのだ。
しかも、ダヴルの二号機右腕だけ固定を甘くすることで、味方に計略が成功したと思わせ、手はず通りの突撃を敢行させるという周到さまで備えている。
擬死を完全なものとするため、感知器を切っておいたのが裏目にでた。
三号機のダヴルは、通信機の先で悪罵とともに。
『畜生、殺す、畜生、殺す、畜生、殺す、畜生、ブッ殺してやる……』
唯一自由な右腕をふるい、大地から身を引きはがそうと奮闘している。
だが、たとえ自由を取り戻せたとしても、歩兵分隊との連携は完全に失敗だった。
SKMの装甲は、対戦機砲以上でなければ、容易に破られるものではない。
だが、このままでは安全な棺桶の中で、小隊が壊滅するさまを見せつけられることになる。
「撤退だ、撤退してくれ!」
メルジェキの叫びは、ギョルの後任者が指揮権を引き継ぐまで続き、そのわずかな間に、壊滅的な被害を受けることとなる。

結果として歩兵分隊に大打撃をあたえたものの、すべてがテケル親方の意図した通りにはいかなかった。
彼は部下に指示し、岩盤固定用の超早強シュリュクレンセメントを、ヒサール二機の関節部に流しこみ、動きを完封したたはずだった。
しかし、左側の人形闘機だけ右腕の固定が甘く、味方に被害をだすこととなる。
歩兵分隊は撤退を開始していたが、この場に長く留まるのは得策ではなかった。
先ほどエルギンに銃を突きつけたふたり、中年男性デステキと、青年ヤバンは、暴威をふるうヒサールの右腕を固定しようと奮闘する。
手首から先は完全にセメントで固められているため、掴まれたり、砕石を投げつけられる心配はない。
デステキがセメントを封入した袋を投げつけ、そこにヤバンが小銃を撃ちかける。
袋の中身が大気に触れ、爆発的に膨張。
拡散、伸張する無数の腕が、周囲の物体を手当たり次第に巻きこんでいく。
セメントの触手がからみつくことで、わずかに右腕の動きを鈍らすことに成功するが、硬化前に動き廻られては、その効果も半減される。
「クソッ無理だ、固定できません!」
「野郎っ、おとなしく、してろって、言ってんだろ!」
「もうよい、いったん退け!」
テケル親方が、後退を指示する。
人形機が死傷者を抱え、男たちが銃で牽制しながら、隘路へと後退する。
ケディたち非戦闘員が、奥で待ち構えているはずだ。
特区軍はリバティノブル防衛が任務。
管理区域外まで追撃されることはない。
隘路まで後退すれば、資源管理局の管理区域。
撤退するのは容易なはずだ。
船渠区画へ進んだデュルトのため、可能な限り時間は稼いだ。
後は、エルギンたちに任せるしかない。
撤退する、人々の流れに逆らうものが、ひとり。
それは色鮮やかな、橙色(ポルタカル)のワンピースに身を包み、額に止血帯が貼られた白髪の少女。
手には折りたたみ式の二輪車(モトスィクレト)を抱えていた。
止血されたはずの額から、血がにじみでている。
テケルが、人形機を繰りながら問う。
「エーミア嬢、どういうおつもりか?」
少女は中央でふたつ折りにされた二輪車を広げながら言う。
「特区軍がいるなら、あいつもでてくるわ。デュルトを助けないと!」
「おひとりでは、どうにもなるまい」
その言葉に少女は作業を止め、紅玉色の目を細め、睨めつけるように言う。
「盾がわりには、なれると思う」
背後から、追ってきたケディの声。
「はあっ、はあっ……冗談は、血を止めてから、言え」
「冗談じゃないわ。見なさいよ、はじめて乗った機体で、SKM二機を倒せる繰者を、みすみす失うわけにはいかないわ!」
眼前に、のたうつ二体の巨人。
特区軍による銃撃は散発的に続いていた。
ケディが、手近な人形機の影に隠れなつつ、確認する。
「!……エーミアは、エルギンたちを助けたいのか?」
「そうよ、そのエルギン君を、助けたいの!」
テケルが、大きくうなずきながら、告げる。
「嬢のお心、承知いたしました。ならば、われらにできることはありませぬか?」
その言葉にエーミアは、白い歯を見せて笑う。
「それじゃ、頼みがあるのだけれど……」
「言うてみなされ」
テケル親方は、手早く打合せを済ませる。
エーミアは組み上がった簡易二輪車を駆り、電動機を唸らせて船渠区画方面へむかった。
ケディの願いを背に受けながら。
「ふたりを、助けてやってくれ!」
それがちょうど、闘技場でのデュルトとテズヒサールの戦闘が終了した直後。

「──こいつを届けるのが仕事なんですから。さて……」
そう言って、エルギンは壁面にへたりこむ人形闘機の前にデュルトを立たせる。
灰色の人形機が静止するのと同時に、敵人形闘機の胸部装甲が外れ、地面にゴガンと落下する。
「緊急脱出装置を作動させたようです」
コルンが解説したように、あらわになった胸部構造の隙間から、特区軍の軍服を着た女性が立ちあがる。
彼女が情報帽を脱ぐと、灰金髪が流麗な波のように広がる。
年齢は二十代後半。
中背の白く艶のある肌に、形のよい鼻梁と太い眉。
真一文字に引きむすばれた唇。
見上げる灰色の双眸が、灰色の人形機を射貫いている。
〈ヒズメトの月〉と称されるに足る、華と精強さを兼ねそなえた美貌。
女性士官はデュルトを睨みつけたまま、顔をひねって血のまじった唾を吐く。
次いで、口もとを手の甲でぬぐってから、目顔で闘技場の出口──船渠区画側をしめす。
「?……」
「なんでしょうか?」
コルンが疑問を口にした時、頭上でなにかが弾ける。
「!……」
反射的に、エルギンはデュルトをのけぞらせ、そのまま右肩から地面に転がす。
真正面の視界が、灰色に染まっていた。
前方用のカメラが撃ちぬかれたのだ。
すかさず、右斜めからの視界で前方を確認。
すでに感知器は、テズヒサールに破壊されている。
闘技場の内部は薄暗く、光学カメラやマイクだけでは、遠方を認識することはできない。
出口方向から、なにかの動作音はする。
だが、攻撃者の意志が感じられない。
静止していることは、危険。
そう判断したエルギンは、デュルトに複雑なステップを踏ませ、入口へむかう。
その努力もむなしく。
出口付近でプラズマ光がまたたいた直後、衝撃が脚もとで炸裂する。
「対戦機砲による狙撃です。右脚膝関節、全損。直立を維持できません!」
「ちいっ!」
エルギンは、動作可能な左脚を駆使してむきを変える。
出口に正面をむく形で、デュルトを臀着させた。
さらに両手、両脚を前に突きだす。
操縦席のある胸部を保護しやすい姿勢を取らせたのだ。
出口付近で駆動音が真横に動き、プラズマ光の列と発砲音の連続により、デュルトの四肢が砕かれていく。
「左膝、左肘、右肩、左肩……四肢の関節が正確に狙撃されています!」
すでに歩行不能。
逃げるどころか、立ちあがることもできず、身じろぎするのが精一杯という惨状だ。
不意に、光の洪水があふれ出す。
何者かが天井の照明を強めたのだ。
光の中に、車高の低い白い戦闘車両がいた。
四つの駆動輪を持ち、優美な曲面を描く車体中央に一門、長大な対戦機砲が突きでている。
両脇に、機関砲が、二門。
戦闘車両のようだが車高が低い。
まるでスポーツカーのような、空力性能を追求したフォルムを有していた。
車体の両側面には、特区軍の徽章が描かれている。
白い戦闘車両は、こちらに砲身をむけたまま、ゆっくりと真横に移動していた。
「あれは……」
コルンのつぶやきに、エルギンが低い声で答える。
「自動機(オトマキネ)……だ」
その声音は、陽光に焼かれた亡者の、怨嗟のごとく。
説明されるまでもない。
あれならよく知っている。
ネルギア総国製の自律兵器、自動機だった。
国政すら機械が行うというネルギアでは、多くの戦闘機械が自動化されている。
中でも、ロメリア大戦で実戦投入された、戦兜(ヘルム)と呼ばれる陸戦用自動機は、精密な射撃能力に加え、高い機動力と防御力を具備していた。
あまりに強力無比なため、交戦協定によって可能な限り敵兵を殺さないことが義務づけられているほどだ。
世界の水準から言えば、いまだに人間の兵士と、人間が操縦する戦闘機械が主力のヒズメト軍は、遅れた軍隊なのだ。
「自動機……あいつが、ぼくの……」
「エルギン、あの、どうかしましたか?」

コルンは絶望的な現状よりも、エルギンの様子が気になった。
彼は操作桿に四肢を固定されたまま、みずからの歯を噛みくだきそうな形相で、自動機を睨みつけている。
「!?……」
彼女の不安げな視線に気づいた彼は、少し驚いた表情をして、それから目を閉じて静かに細く息を吐く。
漆黒の瞳がふたたび光を受けた時、そこにいるのは、先ほど彼女を助けてくれた、外見以上に大人びた少年、エルギンだ。
「なんでもないよ、コルン。これからどうします? 自動機なら、抵抗しなければ殺されはしないでしょうけど」
「それは……」
どうすべきか問いたいのはコルンの方だった。
だが、投降するにしろ、逃げるにしろ、判断するのは彼女の役目だ。
これ以上、戦闘を継続することはできない。
彼女が投降を決断しかけた時、リバティノブル側の入口から。
「手脚を捨てて、動輪を降ろす!」
そう叫びながら、二輪車にまたがった少女が飛びだしてきた。
「エーミアさん、なんで!」
「コルン、彼女の言ってること、わかりますか?」
「えっ……あっ!……は、はい、わかると思います」
「では、言う通りに!」
「了解です!」
コルンは手早く機器を操作して、エーミアの指示を実行する。
「左右肩部剥脱、腰椎分離、胸郭動輪展開!」
上下左右から、ガゴトリ、ゴガトリと部品が落下し、最後に操縦席が斜め後方にスライドする。
胸郭のみとなった人形闘機の背面に、大きな車輪がふたつ、前面に小さな車輪がひとつ、展開していた。
「そしたら、九時の方角に全力移動よ!」
「コルン!」
「はいっ!」
エーミアとエルギンの言葉に、コルンがデュルトの前席でハンドルと右脇の操縦桿を握る。
操縦桿を手前に倒し、足もとのペダルを踏みこむ。
背面の車輪が高速で回転し、わずかに後退。
ペダルからいったん足を離し、操縦桿を左に倒し、再度ペダルを踏みこむ。
直後、動輪の小径輪が地面を掴み、真横に走りだす。
ハンドルで前輪を微調整し、自動機に正面装甲をむけ続ける。
すかさず自動機の砲口が指向し、デュルトの動輪を狙う……が、その間にエーミアの二輪車が割りこみ、射線を塞ぐ。
「撃たれません!」
コルンが驚喜した。

エルギンは分析する。
「そうか、自動機だから、攻撃の意志がない人は撃てないのか」
肉叢(ベデン)の盾。
ああいう真似なら、彼にも経験があった。
自動機は左右に自走しながら射界を確保しようとするが、エーミアは先読みして射界を塞ぎ、動輪を守る。
業を煮やした自動機が、デュルトにむけてプラズマ光を放つ。
動輪ではなく、胴体上部を狙った砲撃。
巨大な鎚で殴られたような衝撃が、上部を擦過する。
砕けた硬土弾が、闘技場の壁に降りそそぐ。
直近を砲弾がかすめても、エーミアは臆さずに、遮蔽を続ける。
自動機が人命を考慮しなければ、デュルトの車輪を破棄することも、デュルトの操縦席を撃ちぬくことも可能だっただろう。

安全圏に達したかと思われた時。
エーミアが後退。
自動機の左脇に搭載された機関砲が一発だけ撃たれ、エーミアが駆る二輪車の後輪を撃ちぬいたのだ。
「なんの!」
エーミア下肢を高く浮かせながら、二輪車の前輪をロック。
途端に、後部が跳ね上がる。
そのまま前方一回転。
彼女の下肢の方が、早く着地。
自動機の主砲が、プラズマの閃光を吐く。
エーミアは、ハンドルを両手で握ったまま、遅れて前転してきた二輪車を前方へ投擲。
それが、あまりにも絶妙に砲撃の射線を塞ぐ。
二輪車を貫いた硬土弾は、硬化が解けて土塊と化し、デュルトの装甲を乱打する。
「的中(イザベト)、よし!」
彼女は地面を三回転してから起立し、そのまま走り続けた。

すごいものを見てしまったな。
エルギンが感心していると、やがて彼女が指示した、闘技場の壁面が迫る。
近くに、擱座した紅褐色の人形闘機があったが、女性士官の姿はない。
不意に、むかう闘技場の壁面から、砂塵とともに、なにかが飛びだす。
二機の人形機、マイムンだ。
人形機が左右に散り、さらに穿たれた坑(あな)の奥から、小銃を持ったふたりの男──エルギンへ銃を突きつけた青年と中年男性──が現れる。
嬉しそうにコルンが叫ぶ。
「みんな!」
青年と中年男性はそれぞれ人形機に取りつき、手早く女性の繰者ふたりを操作桿から解き放つ。
四人がそれぞれに、こちらへこいと合図してから、先に坑へ逃げ戻る。
まるでエルギンのように、コルンが宣言する
「廻します」
彼女はデュルトは方向転換させ、後進しながら、人形機が穿った坑を通過する。
かなり速度がでていたが、見事に坑の中央を通過。
彼女は人形繰りよりも、運転の方が得意らしい。
そこから先は、しばらくデュルトの胸郭が、ギリギリ通れる隘路。
もとから存在した出入口が、闘技場側で塞がれていたようだ。
最後にエーミアが坑へ飛びこむと同時に、無人の人形機二機が坑の前に立ち塞がる。
白い自動機は、発砲することも追ってくることもなかった。
通路はデュルトが転倒していた洞穴に通じている。
奥で待機していたテケル親方の「よし、撤退!」という号令一下、ギヨト再建委員会リバティノブル支部の面々は、整然と撤退を開始する。
エルギンはデュルトの胸郭内で瞑目していた。
倒した敵の偉大さにではなく、倒された敵の冷徹さに、まんじりともせずに。
統暦五九九年七月二十日、深夜。
特区軍の人形闘機三機を撃破し、ネルギア製の自動機により大破。
それが、「元」ヒズメト陸軍の試作SKM、KX41、計画名〈デュルト〉の、初戦における戦果だった。

 

続く

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