映画『STAND BY ME ドラえもん』を観た

ラストで中盤の未来を覆したってこと?

3D CGによって描かれた長編映画『STAND BY ME ドラえもん』の3D版を劇場で鑑賞。ネタバレ注意。ダメな先祖の未来を改変すべくやってきた、22世紀のネコ型ロボット、ドラえもんと、のび太少年の交流を描く……って、書くまでもないド定番ですな。いままで3Dアニメになってなかったのが、かえって不思議なぐらい。髪の毛フサフサなのび太は新鮮です。

物語は、大長編の冒険物ではなく、原作の日常エピソードをつなげて、雪山のロマンス、さようなら/帰ってきたドラえもんで締める流れ。ところどころ、オリジナルの要素が入ってますが許容範囲という感じ。『ALWAYS 三丁目の夕日』における、ヤング茶川さんや、女体化六さんにくらべれば、じゅうぶん原作準拠といえる。本作では、のび太が改変した未来に満足するまで未来に帰れない、帰ろうとすると苦痛を受けるという、ドラえもんを束縛する設定に否定的な意見が多いようだけど、これはつまり、さようならドラえもんにおける、原作では説明のなかった、なぜ急にドラえもんが未来へ帰ることになったのかの動機づけとなっている。結果から見れば、納得できる改変となってます。

ただ、ラストで現代に残れるようになったドラえもんは、中盤の大人のび太が言っていた「子供時代の友達」という、突き放された存在とは別物ということなのだろうか。そラストで中盤の未来を覆したってことなのか、それとも、のちに真の別れを経験した上での「子供時代の友達」なのだろうか。

原作では語られていないが、結果としておとずれるであろう、のび太とドラえもんの真の別れとは何かが、本作では不明確というか、ぼかされているのが、すっきりしない感じがしました。3Dの人形劇としては水準以上ですが、終盤の戸惑いがあったせいか「泣ける」ほどではなかったな。

原作のドラえもんは締切に追われて量産された作品でもあるから、重複したり矛盾したりする設定やエピソードがある。ここらへんに整合性をもたせ、長編としてまとめようとしたのはわかるけど、オリジナル設定を追加するなら、ラストで大人のび太に、「それでもいつか、ドラえもんとわかれる日はくるんだよ」的なセリフを言わせるぐらいのアレンジをしても、良いと思いました。

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