小説とアニメ文庫で『吾輩は猫である』

夏目漱石著『吾輩は猫である』を、Nintendo DS『DS文学全集』にて読了。

明治時代、日露戦争直後の日本を舞台に、名前はまだない「猫」の視点から、ひとびとの生活を活写する古典的名作。学生時代に挑戦して、読み切れずに断念したおぼえがあるのだが、こんかいは最後まで読めました。僕にとって『吾輩は猫である』っていうと、じつは小説ではなくむかしやってたアニメスペシャルのほうが印象深い。いまだにアニメ文庫が家にありますし。

P1070440

アニメ版だと、世間知らずな「猫」が、人間社会を観察するかたわら、猫社会でたくましく生きていく猫パートと、青年寒月君が金田令嬢と身分違いの恋を成就させる人間パートを平行して描いており、たいへん好きなアニメでした。いまのところDVD化してないようだけど、ぜひ再見したい。

で、こんかい読んだ小説ですが、アニメ版が人猫ともに身の丈にあわない恋を成就させるというテーマで統一されているのにくらべ、原作小説はこれといった大きな事件はおこらない。猫パートはヒロインやライバルになりそうなキャラは早々に登場しなくなるし、人間関係も寒月君は無理をしない。というか、いい年したインテリ崩れのおっさんどもが、ダラダラだべっているシーンが延々と描写されるだけ。こりゃ、学生時代に断念するわけだ。SF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」と映画「ブレードランナー」以上に、まったくの別物です。

内容が軽妙洒脱なわりに、文章が大時代的──明治時代の作品ですから当然ですが──で、辞書をひきながらでないと理解できない単語が満載。それじゃ、つまらないかというとそうでもなく、じっくり読ませる美麗な筆致。逆説的ですが、現代人には難解でストーリーにほとんど起伏がないにもかかわらず最後まで読めてしまう、超絶ハイクオリティな雑談といった感じです。

(前略)世の中にはこんな頓珍漢(とんちんかん)な事はままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥(はる)かに下落してしまう。不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目(めんぼく)を施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑(けいべつ)して相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。

本書に登場する「猫」は上記のごとく、2歳たらずのヤングキャットのくせして、ものすごい含蓄のあるインテリキャットでもある。どうやら、この世界の猫には人間の思考を読みとる超能力があるらしいのだが、それにしてもわずか2歳にしてこの辛辣で博覧強記な才猫っぷりは、只猫ではない。なかのひとが明治の文豪とはいえ、ニャンコに国語力でうちのめされるのは、新鮮な経験でした。豚的幸福ではなく、猫的不幸をあじわいながら、おめおめと生きていきましょう。ニャ~。