「トルコ」カテゴリーアーカイブ

『ナスレッディン・ホジャ物語』オンデマンド頓知じいさん

護 雅夫訳『ナスレッディン・ホジャ物語―トルコの知恵ばなし』を読んだ。

トルコでいちばん有名なキャラクターである、ナスレディン・ホジャの民話集。日本でいう、一休さんや吉四六さんに相当する、とんちの利いたおじいさんです。くわしくは、当サイトの特設ページをごらんください。

ホジャの本は、トルコ各地のみやげもの屋に各国語版がズラリとならんでおり、世界中のひとが読めるようになっている。有名どころはおさえているつもりですが、本書はマイナーな部類の物語もバッチリ網羅。ホジャの艶笑ばなしなんて、はじめてよんだよ。注釈が充実しており、トルコの文化をしるためにも役立ちます。

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初出は1965年ですが、オンデマンド(注文生産)方式で新品をゲット。割高になっても、ほしいときに新品が買えるのはとてもよいことです。できれば、受注から生産、納品までを、もっとスピーディーにしてほしいです。

おまけで、ホジャネタをひとつ、ご高覧。トルコ旅行にいったときに、おみやげにTシャツを買ったんですよ。カッパドキアの奇岩をバックに、ロバにのったターバン巻きのおじいさんが描いてあるヤツ。

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僕はてっきり、ホジャのTシャツを買ったつもりでホクホクだったのですが、裏をみて愕然。

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ア……アリババさんでしたか。

トゥルキエ!

『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』理想を現実でうめる努力

新井政美著『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』を読んだ。

俗にオスマントルコ帝国なんていいますが、当時帝国を運営していたひとびとの意識として、「トルコ人」というものはなく、トルコ語とイスラム教をよりどころとしつつも、さまざまな民族、宗教を包含した「オスマン人」という認識が強かった。オスマン帝国のエリートからみれば、トルコ人とはアナトリア(小アジア)に住む田舎者でしかない。多民族、多宗教国家であったオスマン帝国の領土が、西欧列強によって蚕食され、つぎつぎと独立していくなかで、残された地域がアナトリアであり、そこに住まう人々を「トルコ人」と定義して、ナショナリズムのもとに成立させたのが、現在のトルコ共和国。「トルコ人」という概念がうまれたのは、ほんの百年たらずのことなのです。

いぜんトルコ旅行へいったとき、現地のガイドさんが、なにかにつけて「トルコでは!」と、お国自慢をしていたのですけど、つまりコレがナショナリズムの成果ということなんでしょうね。

本書は、オスマン帝国末期のトルコ人思想家に焦点をあてて、崩壊する帝国のなかでいかにして近代的なトルコ国家を思想的に定義したかを描いています。近代トルコというと、トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの活躍が有名すぎて、それ以外の方々の活動が、いまいち見えてこないのですが、本書をよむと、さまざまな思想家が議論をたたかわせ、現状とすりあわせることで、いまのトルコ共和国の方向性がさだめられたことがわかります。

単一民族でも、単一宗教(宗派)でもない土地を、「トルコ人」の国家として定義することは、いろいろ無理があり、そのほころびが現在もあちこちで噴出しています。西洋にみとめてもらおうと、近代化にとりくむオスマン帝国末期のすがたが、現在のEU加盟を悲願とするトルコ共和国と、かさなってみえました。自身の理想とする評価を周囲から獲得するのは、とても大変です。

カレンダー壁紙2009年7月

月例のケータイ用QVGA(320×240ピクセル)カレンダー壁紙を公開。

今月はネタがまったくないので、トルコ旅行のときに撮影した写真を使用。とんだイスタンブールです。

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左がガラタ塔のうえから撮影したもので、右がドルマバフチェ宮殿で撮影したものです。

『トルコ民話選』忠告は、まもらないのが基本

いまも今、たったいま。ひとりのよっしいが『トルコ民話選』を読んだ。

トルコの民話で世界的に有名なのは、なんといっても『ナスレディン・ホジャ』という、とんちの利いたおじいさんなのですが、本書ではあえてそれ以外の民話に焦点をあてている。トルコ語と日本語訳が併記されているので、オリジナルの雰囲気をあじわえます。

主人公が機転をきかせて富や名声、美女をゲットする展開は世界共通。ただ、日本の民話とちがうなと思うのは、「やってはいけない」と忠告されたことは、「とりあえずやってみろ」が基本なところ。『浦島太郎』は、乙姫からもらった「けっしてあけてはならない」玉手箱をあけて、おじいさんになるのがオチ。でもトルコの民話は、失策による逆境から栄光をつかむはなしが多い。ペナルティはあっても、挽回可能なのです。

たとえば『ロバの頭(EŞEK-KAFASI)』という物語は、子供がさずかるといわれてもらった魔法のリンゴを、ほんとうは夫婦で半分こしないといけないのに、うっかり夫が全部たべてしまい、妻の腹から子供ではなく、夫の腹から「ロバの頭」が息子として出てくる。この、ロバの頭が主人公になって物語が展開します。コレでちゃんとハッピーエンドになります。

生の民話らしく、残酷な展開もあり、日本の民話と共通するパターンもありますが、意表をつかれる展開もあり、なかなかにたのしめる民話集です。満足。

僕も望みがかなったので、みんなも望みをかなえましょう。←テケルレメ(きまり文句)ふう

『オスマン帝国の近代と海軍』汽缶爆発しょんぼり海軍力

『オスマン帝国の近代と海軍』を読んだ。

薄い本なので、すぐに読破できます。オスマン帝国というと、騎馬民族を母体とするだけに陸軍の強さに目がいきがちですが、すぐれた海軍力で地中海の制海権をえたこともおおきい。とはいえ、トルコ民族は操船術にたけているわけではないので、海賊を提督に任命するなど、「外注」によって強大な海軍力をえた。しかし、中世から近世にうつり、ヨーロッパの技術的優位があきらかになると、敗戦とともに「外注」していた民族がつぎつぎと独立し、オスマン帝国海軍は弱体化の一途をたどる。本書はオスマン帝国末期の海軍の窮状に注視しています。

日本が明治以降、海外からまねいた軍事顧問を師としながらも、みずからの力で海軍力をたかめたのに対し、オスマン帝国は軍事顧問をまねいても、自国の技術として消化しようとするする意志がなく、いつまでも「外注」にまかせきり。とくに、海事関係で大きなはたらきをしていたルーム人(ギリシャ人)が独立すると、自国内のルームは信用できないけれど、それでも船をうごかすためにはルームにたよらざるをえない。スルタンの肝煎りで──予算を無視して──そろえた近代的な軍艦も、維持費がかさむと20年間ほっぽっておいて、いざ戦争だかとらうごかそうとしたら、汽缶は爆発するわ、大砲を撃ったら破損するわ、座礁するわのていたらく──でも陸軍が勝ったのでことなきをえた。

日本とトルコ友好の契機となった「エルトゥールル号」の座礁、沈没事件にしても、このように低下しまくった海軍力にもかかわらず、イスラム世界の盟主としての力を誇示するために日本への派遣を強行し、さらに日本側の忠告を無視して、台風へ突っ込んだすえの末路だったそうです。

トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』を読んだときも、よくこの窮状からトルコ共和国への独立を勝ちとったものだと感心しましたが、本書からもオスマン帝国末期のしょんぼりぶりがみてとれる。時流に即してベストをつくせば、世界帝国も築けますが、そこからはずれて改善する自浄努力をおこたれば、どういう末路をたどるか──日本もまた航空戦力への転換を徹底できず、大艦巨砲主義にこだわったすえに果てた国であるだけに、おおいに学ぶべき点のある良書です。

トルコ料理屋『アルカダッシュ』で、絶品ケバブ

鎌倉駅前にできたトルコ料理屋『アルカダッシュ(ARCADAS)』へいってきた。

トルコ旅行にもいきましたが、家庭料理系はあまり食べる機会がなかった。店は小町通りの入口にあり、鎌倉駅前が一望できます。

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こんかいは3500円のコース料理にしてみた。

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まずは前菜。ちぎったパンにつけて食べます。そしてサラダ。

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メインのケバブ。パンでおさえて、串をぬくのが独特。肉が香ばしくて、とても旨味。トルコでたべたときよりも、美味しかった気が。

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デザートとチャイ。これがなければ締まりません。

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トルコの飲み物といえば、アイラン(塩味のヨーグルトドリンク)とラク(水で割ると白くにごるお酒)。アイランは、あと味がクリーミー。写真は飲みかけ。ラクは、ボトルでたのんで、のこりはおみやげにしました。

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さいごはトルコののびるアイス、ドンドゥルマ。本場では食べそこなったのが心残りだったので、ついに宿願をはたせました。

トルコ料理とはいえ、日本の素材をつかっているので、日本人むきな味つけになっていると思う。鎌倉駅前点のほかに長谷(鎌倉大仏があるほう)にも店舗があり、そちらではベリーダンスのショーもやってるそうです。こんどは、そっちのほうにもいってみるかな。値段はそれなりですけどね。

小説『シナン』で至難の建築指南

夢枕獏さんの小説『シナン』を読んだ。

オスマン帝国、スレイマン大帝時代の建築家、ミーマール・シナンの人生を活写。日本でいえば戦国時代、織田信長がブイブイいわせていたころに活躍していた人物です。もとはキリスト教徒出身でのちにイスラム教に改宗し、イェニチェリという軍団に所属して従軍建築家となる。その後、帝室造営局長に任命され、モスクや橋など、たくさんの建築物を遺しています。世界遺産にもなっている、イスタンブールのスレイマニエ・モスクが、シナンが手がけたもっとも有名な建物でしょう。

Google先生が誕生日に、特製ロゴバージョンへ変えてくれるぐらいの有名人。

シナンはイスタンブールにある、アヤソフィアという──東ローマ帝国時代にハギア・ソフィア大聖堂として建てられ、のちにモスクに改修された──建物以上のモスクを建てることに執念を燃やす。しかし、スレイマン大帝の命令でイスタンブールにスレイマニエ・モスクを造ったときは、壮麗さではまさるものの、建築規模では一歩およばず、のちにより地盤の強固なエディルネに、アヤソフィア以上のドームをもつセリミエ・モスクを建設し、目的をとげます。

ラストで、セリミエ・モスクを完成させたくだりが大変良かったです。史実と伝説と創作が渾然一体となって、チューリップ畑に結実しています。また、上下2冊あるわりには大変読みやすく、歴史的な背景もバッチリフォローされているので、予備知識がなくても大丈夫。

トルコには渡航経験があり、アヤソフィアにもブルーモスクにも行っているのですが、スレイマニエ・モスクには行かなかった。こんどトルコへ行く機会があったら、エディルネのセリミエ・モスクとともに、訪れてみたいと思います。トゥルキエ!

トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル氏の像問題がニュースに

先日、お伝えしたトルコ建国者の像問題が、産経新聞でとりあげられました。

ニュースの効果か、オンライン署名の伸びも良いようで。この調子で、一刻もはやく問題が解決することを期待します。ホントに、さっさとなんとかしちゃおうよ!

ムスタファ・ケマル像問題解決のため、オンラインで署名した

それでも迅速に対応すべき!

以前、ご紹介したトルコ建国の父、ムスタファ・ケマル氏の像が、日本でビニールシートにくるまれて野ざらしにされている問題で、解決のためのオンライン署名活動がスタートしました。友好のためにいただいた像を、こんな状態で放置すること自体、取り返しのつかない大失態ではありますが、遅きに失しているとしても、一刻もはやく現状を改善すべきです。ケマル氏は、日本でいえば、明治の維新志士を全員ひっくるめたぐらいの功績をあげられたかたです。真逆の立場なら、どれだけ不愉快なことか、容易に想像がつくと思います。

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署名は、住所氏名といった個人情報を入力する必要があり、じゃっかん手間がかかりますが、ネット上で確認できるステータスを匿名にすることができます。

本件が一刻もはやく解決されることを、切に期待して、トゥルキエ!